←前のページ トップページ↑ 次のページ→

東京都八王子市

信松院


2004年12月25日

松姫尼公墓

市史跡 松姫尼公の墓
松姫尼公は武田信玄の四女(六女とも言う)で、信松院の開基です。姫は永禄4(1561)年に生まれ、7才のとき織田信長の長男信忠と婚約したが、その後、武田・織田の両家が不和となって、この約は果されなかった。天正10(1582)年武田氏滅亡の際、姪たち数人と八王子に逃れました。後、下恩方町の曹洞宗心源院卜山禅師により仏門に帰依し、この地に庵を建て教化にもつとめ尊敬を得ました。また武田遺臣等の庇護によって、よく節操を守り元和2(1616)年56才でこの地で没しました。
(看板資料より)

松姫尼公は、永禄4(1561)年武田信玄の四女(六女ともいう)として生まれ、7才の時に織田信長の長男信忠と婚約したが、その後、武田・織田両家が不和となってこの約束は果されなかった。
天正10(1582)年武田氏滅亡の際、姪たち数人と八王子に逃れ、22才の時下恩方町の曹洞宗心源院六世随翁舜悦卜山禅師のもとで出家し、後にこの地に庵を建て信松院を開基せられたのである。
元和2(1616)年56才で没した。法名は、信松院殿月峰永琴大禅定尼である。
(看板資料より)

武田信玄の娘である松姫は、元武田家の家臣である千人同心や大久保長安の心のよりどころでもあり、墓を囲む玉垣は、没後132年目に千人頭・千人同心らが寄進したもの。
また一緒に甲斐から逃れてきた松姫の兄・仁科盛信の娘・小督(出家して玉田院)の墓は大横町の極楽寺にある。
仁科盛信の孫・仁科資真が尼公百回忌に寄進した木製軍船ひな形と寄進目録は東京都指定文化財。この軍船は朝鮮出兵の時、小早川隆景軍が使用した軍船の小型模型といわれている。また、木像松姫坐像は市指定文化財。(見学は予約が必要)
(看板資料より)

武田松姫さま東下之像

信松院は道を挟んで反対側に大きな駐車場があり駐車には困りませんでした。年末でしたので寺の入口には門松が飾られていました。本堂と思われる建物は真新しくおもしろい形をしていました。まだ朝早かったのでお寺の人を見かけることができなかったのですが工事の人?に松姫の墓の場所を聞きました。本堂の裏の墓地にあり、屋根付きの建物の中にあるとのことで、行ってみたら案内板もありすぐに場所は分かりました。松姫の墓は電球を逆さまにしたような形をしていて、所々欠けており古そうなものであることが分かりました。
天正10(1582)年、織田軍が信州に攻め込んで来たとき、松姫は高遠に在城していましたが、急ぎ甲斐に戻ることになります。兄仁科盛信の4才の娘である督姫を連れ、更に途中韮崎の新府城に立ち寄って勝頼の4才になる姫である貞姫と小山田信茂の4才になる姫である香貴姫も伴って更に東に落ち延びます。
看板に記載されていたように仁科盛信の娘である督姫の墓が大横町の極楽寺にあるとのことでしたのでお寺の方に聞いてみたところ丁寧に教えてくれました。


極楽寺
真行寺

 

 
←前のページ トップページ↑ 次のページ→