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長野県塩尻市 長野県岡谷市

塩尻峠・勝弦峠

2014年05月24日

塩尻峠


塩尻峠の合戦跡地

天文年間、信濃侵略をめざす武田勢と信濃の武将とは幾度となく合戦を繰り返したが、特に天文17(1548)年7月19日の武田信玄と小笠原長時(本拠地松本)との塩尻峠での合戦は熾烈を極め、これに勝利した信玄は信濃制覇の基盤を確立したと伝えられている。
この合戦は「塩尻峠の合戦」として有名であるが、主戦場の場所は特定されずこの付近一帯と思われる。
(看板資料より)


勝弦峠



2003年07月05日

塩尻峠から諏訪湖方面

塩尻峠、及び勝弦峠では、天文17(1547)年7月に武田晴信と小笠原長時との間で大合戦が行われ、これに勝利した武田側は信濃での優位な立場を決定的なものとしたといわれている。この半年前武田晴信は上田原にて村上義清と戦い、板垣信方、甘利虎泰、初鹿野伝右衛門など有力な家臣を失い大打撃を受けており、諏訪、佐久、伊那、小県等新しい占領地でもかなりの動揺が起こった。そんな大ピンチ状態のときに起きたのがこの塩尻峠の戦いであり、晴信にとって極めて重要な合戦の一つであった。

塩尻峠には国道20号線が走っており、頂上付近にはトンネルなどは無く、峠に向かって登る車線には登坂車線があって大きなトラックなどが排気ガスを出しながら一生懸命坂を登っている景色を見てなんだか懐かしい思いがしました。塩尻市側から登っていくと峠の頂上には歩道橋があって「塩尻峠」と書かれていますが、逆に塩尻峠であることが分かるようなものはこの歩道橋に書かれた文字くらいしか見当たりませんでした。歩道橋を越えるとそこからは八ヶ岳、諏訪湖、諏訪の町並みを一望することができなかなかの景色です。当時峠に陣取っていた小笠原長時もこのような景色を見たのでしょうか。
塩尻市側から行くと歩道橋のところから左に入る道があり、そこに車を止めて塩尻峠の碑のようなものや古戦場跡のようなものがないか探しましたが何も発見できませんでした。歩道橋を渡って南側に行くとそこから勝弦峠方面へ行かれる?道がありましたが車は進入禁止でした。歩く気力も無かったので再び車に乗って国道20号線を岡谷市方面に下り、途中で右折して勝弦峠に向かいました。こちらは塩尻峠に比べれば道も小さく交通量も少ない峠でした。勝弦峠と分かるようなものは何もありませんでしたが、先ほどの塩尻峠から続いていると思われる進入禁止の林道がありました。この塩尻峠と勝弦峠を結ぶ林道も次回は是非歩いてみたいですね。

勝弦峠


首塚・胴塚
長井坂戦跡

 

 
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