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和歌山県高野町

武田信玄・勝頼供養塔


2005年08月03日

和歌山県指定文化財
史跡 武田信玄・勝頼の墓
指定年月 昭和43年4月16日
武田信玄は上杉謙信とともに乱世を生きた戦国武将であるが、性格直情の中にも文を学び神仏に帰依してその墓所を奥の院の一隅に求めた。戦国武将らしく簡素な墓石は、豪華を誇る上杉家のそれに比し却って人の心に迫るものがある。
(看板資料より)

高野山奥の院は弘法大師空海の御廟であるが、そこへ続く参道には多くの武将などの墓が並んでいる。武田信玄・勝頼をはじめ、上杉謙信・景勝父子、小田原北条氏、織田信長、豊臣秀吉、明智光秀、石田三成、伊達政宗など名前を挙げればきりがない。しかも今まで見たことがないような立派な墓石で圧倒されてしまう。まさにここはお墓のテーマパークである。
我々が訪れたのは朝6時半ころでしたが、7時くらいからお墓の掃除をする人たちが集まり始めました。ここだけではなくて高野山全体は非常に管理がしっかりしていてどこもきれいでした。今回訪れたのは平日ということもあり観光客は少なめでしたが、外国人の方が多かったように思われます。また蚊がすごくて、写真を撮るために立ち止まるとすぐに刺されてしまいます。虫除けスプレーなどを携帯することをお勧めします。
ところで武田信玄・勝頼の供養塔ですが、ここにはちゃんと案内板があって説明が記されていました。しかも和歌山県指定文化財とされていて、特別な扱いのような気もしました。前田家や島津家のような巨大な墓石と比べると質素なお墓ですが裏にまわってみると墓石には天正元年4月12日、及び天正10年3月11日と書かれているのでどちらが信玄でどちらが勝頼かはすぐに分かると思います。

 

 
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