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長野県長野市

皇足穂命神社

2016年05月01日

飯縄神社里宮
飯縄神社は、西暦270年頃、第15代応神天皇の御代、飯縄山頂に天神大戸道尊を祭り、飯縄大明神と称したのがそもそもの起こりで、仏教伝来の後、本地を大日如来とし、嘉祥元(848)年、学問行者が飯縄山に入山して、この如来の尊容を拝したといわれている。
天福元(1233)年に、信濃萩野(信州新町)の地頭、伊藤兵部太夫筑前守忠綱が、飯縄大明神のお告げにより入山し、山頂に飯縄大権現を勧請した。忠綱の子、盛綱も父に従い入山し、だき尼天の法を取得、父よりは飯縄の法(管狐を使う独特の法術)を受継ぎ、飯縄原始忍法を確立、自ら「千日大夫」と称し、飯縄信仰を全国に広めると共に忍法の祖となった。また、武門の尊崇を受け、特に足利三代将軍義満は紫金仏の地蔵菩薩像を飯縄山本地仏として寄進し、室町時代末期には、武田・上杉両家の深い尊信を受け、神領を寄進され、徳川三代将軍義光も朱印地百石を寄進するなど、飯縄信仰は全国的に伝播、万余の末社を有し、全盛を誇った。この里宮は、千日太夫の冬季居所に武田信玄が創建したものといわれる。
飯縄山は山頂より食べられる砂(飯砂)を産し、山麓の行者等はこれを採って食べたことから飯砂山、転じて飯縄山と言い、これは保食神(皇足穂命)の霊徳として、明治6(1873)年、長野県庁より皇足穂命神社の社号を与えられた。
(看板資料より)


天然記念物 皇足穂命神社の大杉

杉は日本特産の樹木で、我が国でもっとも大きく、また、高く育つ木でもある。その名はまっすぐに立つ木という意味で、直木(すぎ)がその語源だろうとされている。
人家の近くや川の流域、山地帯などに林業竪種として普通に植林される。長寿で大木になるので、古くから神社や寺の境内にも植えられた。古人が森林を切り開いて人里をつくるとき、高い大きな木は神の目じるしとなって、そこに神が宿ると考え、それを残して御神木とし、そのあとで社を建てて、神域ができたことが多いと考えられている。
指定木は樹高約30メートル。目通り周囲4.82メートルで、ここの社叢中最大の木であり、市内のほかの社叢の中でも杉としてはまれに見る巨木である。
高さ8メートルほどの部分にキツツキの穴があるほかは損傷がなく、樹勢も盛んで姿もよい。また、社殿に近く、御神木としてふさわしい位置でもある。
この神社の社叢の高木には、過去40年間に3回の落雷があり、その都度1本ずつ損傷を受けたが、この大杉には今まで落雷がなかったのは幸いである。
(看板資料より)

 



2008年12月29日

飯縄神社里宮
飯縄神社は、西暦270年頃、第15代応神天皇の御代、飯縄山頂に天神大戸道尊を祭り、飯縄大明神と称したのがそもそもの起こりで、仏教伝来の後、本地を大日如来とし、嘉祥元(848)年、学問行者が飯縄山に入山して、この如来の尊容を拝したといわれている。
天福元(1233)年に、信濃萩野(信州新町)の地頭、伊藤兵部太夫筑前守忠綱が、飯縄大明神のお告げにより入山し、山頂に飯縄大権現を勧請した。忠綱の子、盛綱も父に従い入山し、だき尼天の法を取得、父よりは飯縄の法(管狐を使う独特の法術)を受継ぎ、飯縄原始忍法を確立、自ら「千日大夫」と称し、飯縄信仰を全国に広めると共に忍法の祖となった。また、武門の尊崇を受け、特に足利三代将軍義満は紫金仏の地蔵菩薩像を飯縄山本地仏として寄進し、室町時代末期には、武田・上杉両家の深い尊信を受け、神領を寄進され、徳川三代将軍義光も朱印地百石を寄進するなど、飯縄信仰は全国的に伝播、万余の末社を有し、全盛を誇った。この里宮は、千日太夫の冬季居所に武田信玄が創建したものといわれる。
飯縄山は山頂より食べられる砂(飯砂)を産し、山麓の行者等はこれを採って食べたことから飯砂山、転じて飯縄山と言い、これは保食神(皇足穂命)の霊徳として、明治6(1873)年、長野県庁より皇足穂命神社の社号を与えられた。
(看板資料より)

皇足穂命神社は七曲を登って行き、葛山城のちょうど北側にあるとのことで現地に向かいました。雪が心配でしたが七曲を登り切ったところでも積雪はなくて問題なく現地にたどり着くことができました。現地に来てみるとここは以前この前の道を通過したことがあることを思い出しました。その時も気になっていたのですがそのまま忘れていたのです。駐車場は無さそうだったので前に止めさせてもらって参道を登って行きました。本堂左側に皇足穂命神社の大杉という大きな杉の木があったのが印象的でした。


天然記念物 皇足穂命神社の大杉

杉は日本特産の樹木で、我が国でもっとも大きく、また、高く育つ木でもある。その名はまっすぐに立つ木という意味で、直木(すぎ)がその語源だろうとされている。
人家の近くや川の流域、山地帯などに林業竪種として普通に植林される。長寿で大木になるので、古くから神社や寺の境内にも植えられた。古人が森林を切り開いて人里をつくるとき、高い大きな木は神の目じるしとなって、そこに神が宿ると考え、それを残して御神木とし、そのあとで社を建てて、神域ができたことが多いと考えられている。
指定木は樹高約30メートル。目通り周囲4.82メートルで、ここの社叢中最大の木であり、市内のほかの社叢の中でも杉としてはまれに見る巨木である。
高さ8メートルほどの部分にキツツキの穴があるほかは損傷がなく、樹勢も盛んで姿もよい。また、社殿に近く、御神木としてふさわしい位置でもある。
この神社の社叢の高木には、過去40年間に3回の落雷があり、その都度1本ずつ損傷を受けたが、この大杉には今まで落雷がなかったのは幸いである。
(看板資料より)

 

 
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