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群馬県高崎市

鷹留城

2012年02月24日

鷹留城は、中世永禄期(1558-69)の中規模山城の典型であり、本丸以下の曲輪、虎口、大手口、搦手口、井戸、掘切等の各種遺構が原形に近く残っている点では県内希な城跡である。
明応年間(1492-1500)長野業尚築城。永禄9(1566)年9月武田信玄のために落城(城主業通)。長野氏4代70余年の居城である。
並郭式であり、南北430メートル、東西300メートル、本丸高さ東谷より70メートル。
東南の菩提寺長年寺に長野氏累代の墓がある。
(看板資料より)

名刹長年寺の西北1kmにあり、箕輪城と相助ける別城一郭の関係にある。永禄9(1566)年、高浜の砦を落とし白岩に進出した武田勢は、それにより箕輪城との間を分断された鷹留城を攻撃した。城将長野業通は弟業勝・業固と力を合わせて防ぎ戦ったが、業勝は討死して城も落ち、業通らは吾妻に走ったという。
(日本城郭大系より)

大手口に車を止めてそこから歩いて行きました。想像以上に遺構がしっかりと残っている城址で驚きました。頂上部には郭が3〜4つ並立していてそれぞれに戦死者供養塔や祠、墓などがありました。またその下には幾重にも郭が存在していて規模の大きな山城であったことが分かりました。

掘切

土橋

土橋

 
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