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長野県岡谷市

高尾城

2007年04月15日

高尾城跡案内図

史跡 高尾城址
標高1008mの頂上に構築された山城で、規模が大きい割合に形式が単純で、鎌倉時代の築城と見られる。本丸の跡は地ならしをされたのみであるが、空堀があり、また北側には底無し井戸と呼ばれる堀井戸があって、南東山麓には城主三沢対馬守の居館跡といわれるところもある。
(看板資料より)

広畑遺跡の背後にある高尾山は中世戦国時代には険しい地形を利用して造られた山城です。山頂には土塁の痕跡を残しています。城主は武田信玄に仕えた武将三沢対馬守といわれています。三沢氏は永禄10(1567)年、武田氏に忠誠を誓った「起請文」の中にその名を連ねています。
(看板資料より)

高尾城

鶴峰公園を目指して現地に向かいました。近所まで行ってから公園の駐車場の場所を聞いて車を止めて公園の中を散策してみました。ツツジがたくさん植えられていて有名な公園とのことでした。ツツジはもちろん桜も一部咲いていましたがまだつぼみのところもありました。その後公園を1周してから次の目的地に行こうとしましたが、別のところで高尾城への案内板を発見したのでその指し示す方向に向かって行ってみました。途中再び尋ねてみてやっと場所が分かってきました。それによると高尾城は先ほどの公園とは別のところにあるとのことでした。公園から更に坂を登っていく方向です。慎重に行けば案内板が出ているので現地にたどり着くことができると思います。畑仕事をしていた人に聞いてみてここで間違いないことを確信できました。頂上には休憩できる施設もあるとのことでした。

とりあえず車を登山道の入り口のところに止めて、登山用のグッズを用意することにしました。が、靴はあったものの一番肝心なひざのサポーターがどこを探しても出てこないのです。ひざのサポーターはあきらめて付近を見渡してみました。すると少し下のほうに看板らしきものがあったので行ってみることにしました。マレットゴルフ場のようなところに広畑遺跡の案内板がありました。そこには高尾城に関する記述もありました。また、近くにいた畑仕事をしていた方に話を聞いてみると、ここは城というよりも狼煙台のようなところだったのではないか?とのことでした。頂上までは15〜20分程度であろうとのことでした。城といっても上まで行っても何もないよ!とのことでした。先ほどの登山道から登りはじめてみると、一合目、二合目、、、というように書かれた杭があるので登っていて励みになりました。熊除けの鈴も持参したので歩くたびに音がしました。

休まずに登り続け、約10分程度で頂上に到達することができました。確かに頂上には屋根つきの建物がありました。またここからの景色は素晴らしかったです。中央高速岡谷ジャンクションの先には諏訪湖が見え更にその先には八ヶ岳連峰まできれいに見えました。

少し奥まで進んでみると「頂上」と書かれた木の杭があって、その先には3つの祠がありました。その先に進むと空堀?のようなものがあってその先にある曲輪?との間を仕切っているような感じでした。

 
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