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山梨県甲府市

武田神社(武田氏館跡、躑躅ヶ崎館跡)

2004年08月14日

武田氏館跡(躑躅ヶ崎館跡)
「武田氏館」は、「躑躅ヶ崎館」とも呼ばれ、武田信玄の父、信虎が、永正16(1619)年に石和からこの地に館を移したことから始まります。その後、信玄、勝頼と、武田家当主の館として使われました。そして武田家の滅びた後、文禄年間に館の南方に今の甲府城が作られるまでの約70年にわたりこの館一帯は領国の政治、経済と文化の中心地として発展しました。
館は一辺が約200メートルの正方形の主郭(現武田神社)を中心に、その回りのいくつかの副郭とによって構成された平城形式のものです。館の回りには、家臣の屋敷が建てられ南方一帯には格子状に整備された道路に沿って、城下町が開けていました。この館と城下町は、戦国時代の大名の本拠地として第一級の規模と質を誇るものです。
(看板資料より)

奇木『三葉の松』
この三葉の松は信玄公が信仰致しておりました高野山より、公を慕ってこの地に種子が飛来落種し、今日に至ると伝えられております。
三葉の松は全国でも珍しく、黄金色になり落葉することから金運の御利益があると言われております。
またそもそも松は古来より「延命長寿」の縁起もあり、この松葉を身に付ける事により御利益を戴き、招福必来と言われております。
(看板資料より)

躑躅ヶ崎館(武田氏館)跡
この地は武田氏三代(信虎、信玄、勝頼)の居館にして、躑躅ヶ崎の西方にあるところから後世この別称を用いたと伝えられる。屋形一帯の濠塁、縄張りはこのような構成でほぼ現存し往時を偲ぶに足る。居館中心地域については各説あるも一応この図の如き屋形配置が想像される。
(看板資料より)


武田神社拝殿

宝物殿にて風林火山の旗を特別展示していました。風林火山の旗は以前雲峰寺で聞いたときの話では、雲峰寺に4つ、恵林寺に1つ、民間人が1つもっているということであり、武田神社に風林火山の旗があるという話は聞いていませんでしたので宝物殿の受付の人に聞いてみました。彼女の話では最近どこからか奉納されたものとのことでした。民間人が武田神社に寄付したのでしょうか? 念のため別の場所でも風林火山の旗について聞いてみましたがそこでは、風林火山の旗は以前から武田神社にあったものを今回特別展示しているとのことでした。出所が不明の風林火山の旗でしたが、雲峰寺や恵林寺のものよりかなり古めかしいものでした。

信玄公御使用井戸


姫の井戸のお水

この水は境内「姫の井戸」のお水です。「姫の井戸」は躑躅ヶ崎屋形の内でも其の生活の中心となる場所に有り、一説によると信玄公の御息女誕生の折、産湯に使用した事に因り「姫の井戸」と名付けられたとも云い、また「茶之湯の井戸」とも言われ、この井戸より発見された茶釜等の品々が現在宝物殿に展示されており、当時の生活を推測する貴重な資料であるとともに、この茶釜は勝頼公(信玄公継嗣)が京よりの客をもてなす茶会の折使用した茶釜とも云われており、屋形内で茶を点てるときにはこの井戸の水を使ったと伝えられております。
(看板資料より)


武田水琴窟

土中に底を小さな穴をあけた甕(かめ)を埋め、そこにわずかな水を流す。水はその穴から水滴となって落ち、甕の中で反響し、琴の音にも似た澄んだ音色を地中に響かせる。一つの音文化の極致である。江戸期、文化文政の時代に庭師によって考案されたこの技術は、茶室のつくばいや庭先の手水鉢に設えられ、数奇者たちに愛でられた。昨今は「癒し」の音として注目を集めている。
(看板資料より)




お屋形様の散歩道

戦国時代の大名の住まいを屋形といい、室町将軍家が認めた格式の高い大名を特に「お屋形」と呼ぶようになりました。この散策路の名称は、武田氏の館(屋形)に住んだ信玄がお屋形と呼ばれたことから名づけられました。
(看板資料より)

御隠居曲輪南スポット公園



1999年09月05日

躑躅ヶ崎館という武田家の本拠地だったところだが、入口だけは立派だけど特に何も無い。石垣の跡や館の周りの堀の様子が残っているくらいである。昔来たときはたしか有料トイレがあったはずであったが今回は無かった。トイレはすごくきれいだった。結婚式もできるらしいので結婚をお考えの方はいかがですか?



1984年03月29日

甲斐の名将武田信玄をまつってあります。この館は永正16(1519)年武田信玄の父信虎の造ったもので、信虎、信玄、勝頼の三代63年間にわたる館跡でつつじが崎の館と呼ばれています。信玄の詠歌「人は城 人は石垣 人は堀 情けは味方 仇は敵なり」との歌でわかる通り、信玄には城も石垣もいらず偏小な館で十分であったろうと思われます。
(パンフレット資料より)

 

 
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