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山梨県甲府市

東光寺

2005年01月09日

東光寺庭園
この庭園は広さ約1.485平方メートル、法堂の裏手にのびる山畔を活かして上部に組まれた雄渾な中央滝を主景にして左右に展開する石組みをみせ、枯れ流れの末端に変化に富む護岸石組みの竜池をたたえた。坐視的池泉観賞庭園として傑出するものである。
とくに滝石組みの手法は京都の天竜寺、信濃の光前寺庭園など、寛元4(1246)年来朝した中国の僧蘭渓道隆に関係ある寺院のそれに共通するところから、東光寺の中興開山道隆(大覚禅師)の手になるものと推定され、従来の回遊式庭園から一変して縦の線を強調した禅庭の基準ともみられ、その後の築庭に至大な影響を及ぼしたと考えられる名園である。
(看板資料より)


東光寺仏殿

東光寺は、蘭渓道隆によって鎌倉時代に再興された臨済宗の寺である。仏殿は天正10(1582)年の織田信長の兵火及び昭和20(1945)年の戦災を免れて今日に伝えられたもので、建立年次は明らかではないが、様式からみて室町時代の建築とされている。
桁行3間、梁間3間、裳階つきで、入母屋造、桧皮葦である。江戸時代初期の修理で、裳階部分が改造され、外観の変更を余儀なくされているが、低い基壇・竿縁の天井・裳階の角柱・窓・引戸などの部分に、大陸の建築が日本化する過程を示し、清白寺仏殿(山梨市)、最恩寺仏殿(富沢町)と並んで中世禅宗様建築を知る上で貴重である。
昭和31年解体修理が行われた。
(看板資料より)

東光寺仏殿内部の様子

木造薬師如来坐像
木造薬師十二神将立像
仏殿の本尊として安置されている薬師如来坐像は、鎌倉時代に造られたもので、右手を曲げ手のひらを正面に向け、左手は膝のうえで薬壷をのせている一般的な薬師如来像である。檜材の寄木造りで座高51.5cm。我が国の保守系仏師の手によって造られたと推定される。
十二神将立像は、薬師如来の守護神として本尊の三方を取り囲んでいる。これも檜材の寄木造りで玉眼が嵌入されており像高は85cm前後でやや小柄な造りである。像の一つには弘長2(1262)年の墨書があり鎌倉時代の像である。しかし技法や彩色法などに異同が認められ、造られた時期や補修の時期に差異のあることが推定される。姿態や衣服・鎧等の細部にわたって写実的に入念な仕上となっており、美術史的にも重要仏像である。
(看板資料より)


武田義信の墓

義信ハ晴信ノ長子。天文7年ヲ以ッテ生マル。母ハ三条夫人ナリ。永禄8年故アツテ幽閉セラレ、同10年逝去ス。東光寺殿籌山良公大禅門ト云ウ。
(石碑記載文章より)


諏訪頼重・禰々の墓

諏訪頼重ハ天文11年7月武田氏ニ亡ボサレ甲府板垣信形邸ニ幽閉セラレ7月20日ニ自尽セリ時27才祢々夫人ハ武田信玄ノ妹ニテ翌12年正月19日16才ニテ歿ス 二人墓ナリ
(石碑記載文章より)

向って右側が諏訪頼重の墓であり、その左側にある小さな墓が諏訪頼重夫人である禰々の墓といわれています。禰々は武田信玄の妹であり、16才で亡くなったとのことです。2人の間には寅王が生まれましたが、武田信玄の諏訪攻略戦の際に担ぎ出されて利用されました。その後の消息は不明とのことです。


東光寺には、武田信玄の長男義信の墓と武田信玄が滅ぼした諏訪頼重の墓が並んでいる。考えて見れば、諏訪頼重は義信失脚後武田家を継いだ勝頼の祖父にあたる人であり、この二人は隣同士に墓を並べてあの世でどんなことを語り合っているのでしょうか?
またここの仏殿は室町時代から燃えることなく残っている貴重な建築物であり、今回訪れたときは前が開けられていて中を見ることができました。義信も頼重も東光寺に幽閉されていたわけですが、ひょっとしたらこの仏殿にいたのかもしれません。そうでなくても、彼らもきっとこの仏殿を目にしていたであろうし、触れていたかもしれません。そのときの建物が現代にも残っているわけです。

 



2001年02月18日

法蓋山東光寺といい臨済宗妙心寺派のお寺であり甲府五山の一つである。伝えによれば新羅三郎義光が保安2年(1121)に国家鎮護仏法興隆の祈願所として諸道を建立、本尊に釈迦如来を安置し、興国院と名付けたことに始まるとのこと。
文永5年(1268)に建長寺開山である蘭渓道隆が元のスパイという根拠の無い理由で甲斐に流され、蘭渓道隆によって再興された。
信玄の時代の住職は藍田和尚だが彼は武田二郎といい信玄の伯父にあたる。天正十年武田滅亡後に恵林寺にて高僧が殺されたがこの中に藍田和尚もいたという。
その後柳沢吉保によって保護され壮大な敷地に数多くの建物が建てられたが、明治維新後の廃物棄却で広大な土地などが政府に上納された。(パンフレット資料より)


東光寺仏殿

仏殿は天正十年(1582)の織田信長の兵火や、昭和20年の戦災を免れて今日に伝えられている。建立された時期は不明だが様式からみて室町時代のものとされている。
(パンフレット資料より)


諏訪頼重の墓


信玄の長男である武田義信の墓


本能寺

 

 
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