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長野県安曇野市

塔ノ原城

2006年12月03日

塔ノ原城跡
塔ノ原城は、鎌倉時代の中頃川手郷の地頭となって東信から川手に進出してきた海野氏の一族塔原氏の本城として築かれました。城の規模は、500m×500mとかなり大きなもので、長峰山の尾根を六条の空掘で切り本郭と第二郭の主体部を設けている。さらに吐中部落の方向へ東側に5個、北の尾根筋に13個の帯曲輪を設け、主体部には土塁や石垣を巡らす大規模な城です。といっても松本城のような天守閣をもつ城ではなく、合戦の最後にたてこもる城で、普段は居住していませn。塔原氏の居館は明科中学校付近にあり、普段はそこで暮らしていて、いざというときだけ城へたてこもるのです。居館のまわりには家来の住む城下町がありました。現在「町」の集落がその城下町のあったところです。
塔原氏は戦国時代の天文22(1553)年に、武田信玄に攻められ城を捨てて逃げたのち信玄の配下となりましたが、武田氏滅亡後、松本へ帰った小笠原氏との争いになり天正11(1583)年松本城で誘殺され塔原氏は滅亡します。おそらく同時に居館と塔ノ原城も破棄されたものと思われます。
(看板資料より)

前回、松本から川中島に向かう街道沿いの城跡めぐりの際に見落としてしまったのが塔ノ原城で、今回の史跡めぐりの中で一番行きたいところのひとつでした。雪で真っ白になった聖高原から麻績、坂北を経て明科で国道19号線に入ってから明科駅の近くから長峰山に向う道を登っていきました。途中に何度か道路案内図が出てきてそこに塔ノ原城も記載されているので場所はなんとか分かると思います。しばらく登って行ったところで道路が2つに分かれており右側の道路は舗装されていない道路になっています。右側の舗装された道路との間に遊歩道のようなものがあって小さな看板には塔ノ原城へ300メートルと書いてあったので車を止めてその遊歩道を登っていきました。しかしこれは間違いだったのです。ここを登って行っても結局また舗装された道路に出てしまいます。元の場所に戻って車で左側の舗装されていない道路を進みました。しばらく登っていくと塔ノ原城の案内板が出てくるのでそこが塔ノ原城への入口です。

看板がある入口から奥に入って行くと、はっきりと分かりやすい遺構が残されている城跡であることがわかります。最初のうちはあまり大きな規模の城ではないのかなと思うような感じでしたが、一番奥の大きな曲輪まで行ってみると、その先の下の方に幾つもの大きな曲輪が残されていてその規模の大きさに驚きました。思わず下の曲輪まで降りてみました。

 
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