| 鵜殿渕 | 
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鵜殿藤五郎光成戦没之地

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         天正2(1574)年4月、徳川家康は兵2千を率い、犬居城を指して信州街道を北上した。一の瀬より大久保、田能を経て、気田川のほとり、犬居の瑞雲寺に本陣を張った。たまたまその夜から雨が降り出し、折からの梅雨時で激しい雨は2日2夜降り続いた。気田川は増水して各所で氾濫した。 
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鵜殿藤五郎光成戦没之地

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         戦国夢街道の史跡は車で回ろうと思っていたのですが、戦国夢街道の入口を発見してしまいそこは階段になっていて車で行くことは無理でした。少し離れたところにある駐車場に車を止めて歩いて行きました。ハイキングコースのうち一番短いコースでも4kmくらいあるとのことで気合を入れました。戦国夢街道の入口のところには大きな馬のオブジェクトがありました。馬の足元には「鵜殿藤五郎光成戦没之地」と書かれた小さな石碑がありました。そしてその先には鵜殿渕の説明案内板がありました。 天正2(1574)年4月、徳川家康は兵2千を率い、犬居城を指して信州街道を北上した。一の瀬より大久保、田能を経て、気田川のほとり、犬居の瑞雲寺に本陣を張った。たまたまその夜から雨が降り出し、折からの梅雨時で激しい雨は2日2夜降り続いた。気田川は増水して各所で氾濫した。  | 
    
戦国夢街道入口

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         戦国夢街道 
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