←前のページ トップページ↑ 次のページ→

長野県南佐久郡南牧村

城山


2001年04月28日(土)

参加者:PSアドバイザー、総支配人
ルート:藤沢→厚木→相模湖I.C→須玉I.C→清里(休憩/朝食)→海ノ口城跡→同コースを逆戻りして帰宅

海ノ口城は甲陽軍鑑によると武田信玄が初陣で攻め落としたとされる城です。しかし信玄の初陣説ははっきりしていないそうなので本当かどうかは分かりませんが。。
甲陽軍鑑によれば、1536年冬に信玄が初陣として16歳のときに父信虎とともにこの海ノ口城を攻めましたが、70人力といわれる平賀源心が加勢したため落とすことができずに甲府へ戻ることになりました。殿を勤めていた信玄はその後引き返して攻め入り、油断していた平賀源心をついに討ち取ったということです。

去年の10月に小諸 に向う途中、夕方暗くなりはじめた頃に海ノ口城跡の看板を見つけ、ちょっと立ち寄ってみようと思ったのですが暗くてよく分からずに断念しておりいつかは行かないと。。と思っていたのですがやっと実現することができました。
ゴールデンウィークの初日ということもあって、午前1時半ころに出発し直接現地へ向いました。途中、中央高速の双葉サービスエリアで朝食を購入して清里駅にてそれを食べ、予定通り4:30には南牧村役場周辺に到着しました。

去年10月に既に近くまで行っていたので、迷うことなく大芝峠へと向うことができました。国道141号線を小諸方面に向って南牧村役場をすぎて少し行ったところに「海ノ口城跡」の看板が出てくるのでそこを右折して千曲川を渡ってつきあたりを左折し、あとは道なりに進んでいけばOKです。OKなはずでした。。。

だんだん道は狭くなり私の車がやっと1台通れるような道になります。この峠道を進んで大芝峠を越えて南相木村へ入ったところに登山道の入口があるに違いないと考えていました。
しかし道の様子は去年の10月に来たときと全く違っていました。土砂崩れがおきており道路には石が散乱して進めず、何度か車から降りて土砂をどかしてゆっくりと車を進めました。

土砂崩れは3、4ヶ所でおきており、その都度車から降りて石をどかしては進みましたが、あともう少しで峠というところで大規模な土砂崩れがおきていました。ちょっと我々2人だけの力では動かせそうもなかったのでここで車をあきらめることにして歩き始めました。
しかし、この時はまだ峠までどれくらいあるか分かっていなかったため途中で断念し、反対側(南相木村側)から峠に向うことにしました。去年の10月に一度来ていた経験がここで役に立ったのです。

峠まであと一歩のところで、、、、

去年の10月に来たときはこの道を進んで大芝峠を越えて南相木村に出て峠を下ると大きな道に出ることができたのです。その道は南牧村と南相木村を結ぶ新しい道のようでした。トンネルを抜けてから大きな橋(海ノ口大橋)を渡ってまた141号線に戻ることができたのです。そこはちょうど南牧村役場の南側でした。
そのときの経験を生かして反対側に行くことに決めたのです。好運にも道幅はそんなに狭くなかったのでUターンしてまた国道141号線に戻って南下し、役場を越えて左折して海ノ口大橋を渡りトンネルを越えてすぐに左折できる小さな道があるのでここから大芝峠へと進みました。こちら側は木が倒れた跡がありましたが誰かが切断してくれていたおかげで車を通すことができました。走り始めてすぐに大芝峠に到着。
しかし海ノ口城跡への登山道らしくものを見つけることはできませんでした。峠には漫画チックな観光案内の図があり、ちょうど峠から海ノ口城跡への登山道があるように書いてあったので車を降りて付近を歩きまわりましたがそれらしきものは無く、途方にくれてしまいました。

大芝峠

峠→城跡→城山→鍾乳洞?

その後PSアドバイザーと相談して、とりあえずまた南相木村側へ降りていきながら登山道の入口を探すことにして道を降りていきましたが、なにやらあやしい道らしきものを見つけました。しかしこのあやしい道には何の案内板も無くしばらく悩みましたがこれ以外に上に行けそうな道は見当たらなかったため車を止めて登ることに決めたのです。5:30すぎに登山開始です。

これが登山道の入口なのか?

最初のうち道は比較的大きくて登りやすかったのですが、そのうち道はなくなってしまいます。途中ところどころに三角点?があってそこに目印のような木の枝が立てられていました。あとはひたすら山の尾根を進みました。落ち葉が深く積もっていて歩きにくかったです。登りはじめてから30分ほどしたところで大きな岩がある山頂らしきところに到着しました。この日に持参していった地図によると城山=海ノ口城跡と書いてあったのでここが海ノ口城跡だ!と思いました。
先ほどの大芝峠の案内図に城山からの眺望は最高!と書いてあったとおり、ここからは360°全ての方向を見渡すことができました。八ヶ岳もきれいに見えました。ちょっと気になったのは先ほどの案内図では城跡は城山より手前にあるように書いてあったことでした。ここが本当に海ノ口城跡なのか?。。。

城山山頂

城山からの八ヶ岳連峰

しばらく城山山頂からの景色を楽しみましたが、深く積もっていた落ち葉の下に隠れていた鉄板を発見しました。それはなんと城山について説明している案内板でした。それによるとそこは間違いなく城山であり、海ノ口城跡はそこから南西方向へ約700mのところにあると書いてあったのです。やっぱりここは海ノ口城跡ではなかったのです。南西方向へ700mというと城山へ来る途中に通過してきたところです。すぐに今歩いてきた尾根を戻り、海ノ口城跡へと向いました。

規模の大きさや周りの雰囲気?や城山からの距離などから考えて海ノ口城跡と思われるところに到着しましたが、ここにも特に何もありませんでした。一番高くなっているところにはやはり木の枝が立てられていました。従ってここが本当に海ノ口城跡なのかどうかは結局分からなかったのですが、周辺にはお堀らしきもの?もありましたので、きっとここが城跡に違いない!と勝手に決めました。
場所は登山道が無くなった付近から尾根伝いに歩いてすぐのところです。ちょうど登山道入口の真上になると思います。

竪堀か?

7:30には下山して現地を出発して帰ることにしました。清里あたりで30分ほど休憩して仮眠をとりましたが、10:30には帰ってくることができました。

八ヶ岳連峰

 
←前のページ トップページ↑ 次のページ→