←前のページ トップページ↑ 次のページ→

長野県伊那市

山田城

2015年05月17日

山田城の城跡は、高遠町三峰川左岸扇状地扇頂、大沢川の左岸に島状に突き出た標高857mの山頂に位置する。眼下に河南、高遠町一帯、高遠城を眺め、三峰川下流一帯を遠望し、天神山と対峙する。
往古山田は伊勢の神領であり、中世春近領に属し文治の頃は諏訪神領であり、正平年間(1346〜70)には南朝方宗良親王の御領であった。明徳年間(1390〜94)より武田が滅亡するまでの間、山田氏代々がこの地を支配した。応永年間(1394〜1428)城主山田新左衛門尉は父左衛門尉と共に古城よりここに築城し、城下町を形成居館を構えた。北町、城下町、西町、羽場町の地名がある。
戦国時代、武田信玄による高遠攻撃に対し金沢峠で戦死。山田弥介は武田氏に属し将として武田勝頼に従い天目山で殉死した。血族は高遠城主保科氏に仕え、山形移封に随伴した。
(伊那の城郭より)

「南信濃資料」によると、天文18(1549)年に山田新左衛門なるものが伊那衆と共に金沢峠において武田勢と戦い戦死したとしている。山田氏が伊那衆として武田方に挑む背景には、その主人である高遠頼継がいまだ武田方に従属していないということであろうが、「高白斎記」では天文17年に頼継は甲府を出て高遠に帰還したとあるので、この時点で降伏したのであろう。
(戦国武田の城より)

主郭

主郭

主郭と副郭を区切る大きな堀切

副郭

副郭

 
←前のページ トップページ↑ 次のページ→