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中世の豪族島津権六郎矢筒城跡
矢筒山(標高566.7メートル)は単に城山ともいわれている。文献中には黒川城または牟礼城などの名が登場する。昭和54年矢筒城館跡の緊急発掘で、山の東南斜面直下、内堀と外堀(現舗装道路)に囲まれた畑地内に中世の館跡(現飯綱病院)が確認された。そこでこれまで普通の山城と考えられていたが、山城と館が合体した平山城であることが分かった。
昭和61年第2次矢筒城緊急発掘の結果、内堀の深さは約4メートルもあるV字型空掘であったことも確認された。山頂には本丸、二の丸があり、北側は急峻で八蛇川の谷に落ち込み、南斜面は五条の帯曲輪でめぐらされ、縦堀、馬場等も備わり、まさに要害堅固な平山城というべきである。
大手口は東方からの登山道で、他に北と西にも小登山道がある。言い伝えによると永正の頃の城主は島津権六郎といわれ、その所領は現在の牟礼はもちろん、三水村普光寺倉井にまで及んだ時代があったようである。
昭和43年本丸跡中央に平和のシンボルとして平和観音が建立された。ここからは牟礼盆地が一望でき、北に城下町時代の地名である字裏町、南に字表町等が眼下に展開している。ことに表町地区には近年、近代工業が進出し、再び新しい町が形成されつつある。
(看板資料より) |