エジプト旅行 (2002年9月13日〜2004年9月18日

      カイロからルクソールへ 

      MS−131便(カイロ)発 6:00 → ルクソール着 7:00

ルクソール地区西岸地区


太陽が沈むナイル川西岸の砂漠地帯は、「死者の都:ネクロポリス」 

ムメノンの巨像
(Cloossi of Memnon)
座像は、新王朝時代絶頂期の王アメンホテプ3世のもの。風によっては「像が歌う。」とわれている。

    

王家の谷
(Valley of the kings)

すべての墓は新王朝時代に岩をほって造られたもの。 ここで、世紀の大発見ツタンカーメンが発見された。

王家の谷 入り口
 
ツタンカーメンの墓入り口
     

       

公開されている王家の主な墓

すべての墓は新王朝時代に岩をほって造られたもの。 ここで、世紀の大発見ツタンカーメンが発見された。

アメンホテプ三世(第18王朝 玄室の2本の柱にオシリス神、アヌビス神、ハトフル神、ホルス神とともにアメンホテプ2世が描かれています。
ツタンカーメン(第18王朝) 王のミライは今なお玄室に安置されている。
ラムセス3世(第20王朝) ハーブ奏者の絵
ラムセス9世(第20王朝) ラムセス6世のものに似ている。

   

ハトシェプスト女王葬祭殿
(Deir el Bahri)

エジプト発の女王ハトシェプスト。夫トトメス2世の死後、トトメス3世の摂政であったが自らファラオになった。

15年後、女王が亡くなってようやくトトメス3世が王位につくと長い間王位につけなかった恨みから

ハトシェプスト女王の関係の物を片っ端から壊して歩いたらしい。そして

果てには王名表からその名を削除するにいたったそうです。

 

ルクソール地区東岸地区

古代エジプトではテーベ
  紀元前2050年頃 メンチュヘテプ2世が上下エジプトを統一しテーベを首都と定められました。 

ルクソール神殿
(luxor Temple)

アモン大神殿の付属神殿として建立されたもの。かつては、カルナック神殿とは、スフィンクスが両脇に並ぶ参道によって結ばれて

いたそうです。 正門が第一塔門で、ここには2本のオベリスクが建っていましたが右側のオベリスクは、パリのコンコルド広場に

建っています。また、第一塔門をくぐるとラムセス2世の1対の座像と2対の立像があります。

 

カルナック神殿
(Temple of Karnak)

カルナック神殿にはいくつかの神殿があり、アモン神殿は、エジプト最大規模の神殿である。

アモン神は、テーベの地方神であったが、テーベの発展ともに、太陽神ラーと結合して国家の最高神となった。

そのため歴代のファラオがアモン信仰の地に、神殿、オベリスク、神像など寄贈して巨大な建物群になった。

第一塔門
スフィンクス参道(40頭)
大列柱室(高さ23m15mの柱 134本)
スカラベ
   
     

           

              MS−116便(ルクソール)発 23:00 → カイロ着 23:59 帰国へ

     KE−952便 (カイロ)発 10:35 → トバイ経由/ソウル経由 → 成田

     と思い出した限り記載してみました。3泊6日で、しかも炎天下!!かなり体力を

     奪われましたが、仕事で休めなくてこんな強行軍でも絶対行ったほういい国です。

 

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