トルコの世界遺産

 
スルタン・アフメト・モスク(ブルーモスク) イスタンブール歴史地区 1985年  文化遺産 (撮影:2015年 5月7日)  お勧め度:7
 
             
    場所:トルコ北西部イスタンブール県

トルコのイスタンブルを代表するモスクで、世界遺産であるイスタンブルの歴史地区の歴史的建造物群のひとつ。
オスマン帝国の第14代スルタン・アフメト1世によって1609年から1616年の7年の歳月をかけて建造された。
計はメフメト・アー。「世界で最も美しいモスク」と評される。
世界で唯一優美な6本のミナレットと直径27.5mの大ドームをもち、内部は数万枚のイズニク製の青い装飾タイルや
ステンドグラスで彩られ、白地に青の色調の美しさからブルーモスクとも呼ばれる。
   
       
   アヤソフィア イスタンブール歴史地区 1985年  文化遺産 (撮影:2015年 5月7日)  お勧め度:9    
             
    場所:トルコ北西部イスタンブール県

アヤソフィアは、トルコのイスタンブルにある博物館[1]。東ローマ帝国(ビザンツ帝国・ビザンティン帝国)時代に
正統派キリスト教の大聖堂としての建設を起源とし、帝国第一の格式を誇る教会、コンスタンティノープル総主教座の
所在地であった[2]が、1204年から1261年まではラテン帝国支配下においてローマ・カトリックの教徒大聖堂とされていた。
その後は1453年5月29日から1931年までの長期間にわたりモスクとして改築を繰り返し使用されて現在の特徴的な姿となり
]、後に世俗化された。1935年2月1日から博物館(トルコ語: Ayasofya Muzesi)として使われている[4]。
   
             
   イェレバタン・サライ(地下宮殿) イスタンブール歴史地区 1985年  文化遺産 (撮影:2015年 5月7日)  お勧め度:8  
             
 

  場所:トルコ北西部イスタンブール県

バシリカ・シスタン (Basilica Cistern) は、トルコ共和国のイスタンブルにある東ローマ帝国の大貯水槽。
トルコ語では「地下宮殿」を意味するイェレバタン・サラユ (Yerebatan Saray?) 、あるいは「地下貯水池」を
意味するイェレバタン・サルヌジュ という名前で呼ばれている。


 
 
             
   トプカプ宮殿 (地下宮殿) イスタンブール歴史地区 1985年  文化遺産 (撮影:2015年 5月7日)  お勧め度:8  
    場所:トルコ北西部イスタンブール県

トプカプ宮殿は、大きな建物を持たず比較的小さな建物と部屋が連なり、また数多くの庭園と離れ
(キョシュク。キオスクの語源)を持つ建造物群である。このことから、トルコ人の中央アジアの
遊牧民的な伝統に 基づいた宮殿である、と説明されることもある。

宮殿のある丘は、古代ビュザンティオンのアクロポリスのあった場所にあたる。宮殿の外壁はこの丘を大きく囲み、外壁内の総面積は約70万m2ほどの面積である。宮殿の正門は、アヤソフィアの側にある「帝王の門」(バーブ・ヒュマーユーン)である。

 
   
   トロイ考古学遺跡 1998年  文化遺産 (撮影:2015年 5月3日)  お勧め度:6  
             
 

  場所:トルコ西部チャナッカレ県

古代エーゲ文明のひとつトロイ遺跡は、1998年に世界遺産に登録。ドイツ人の実業家
シュリーマンによって発掘された遺跡です。
古代ギリシアの詩人ホメロスの長編叙事詩『イリアス』に描かれている
トロイ戦争の「トロイ」ではないかと云われているものも、
未だ証明はされていません。発見当時の発掘状況が悪かったため、9期に分けられるという
トロイの歴史を完全に 辿ることは困難です。
それでも数々の遺跡に伝説のトロイの木馬を復元した巨大木馬などもあり
、歴史のロマンを 十分に感じることができます。
 
             
   パムッカレとヒエラポリス 1988年  複合遺産 (撮影:2015年 5月5日)  お勧め度:8  
    場所:トルコ北西部デニズリ県

パムッカレとは、トルコ語で「綿の宮殿」という意味。綿とあるのは昔からこのあたりが
良質の綿花の一大生産地であることによる。

パムッカレの石灰華段丘の一番上にある遺跡。ローマ帝国の温泉保養地として栄えた
。ローマ帝国時代にも地震で破壊されるが、そ
後復興。しかし1354年の大地震で完全に廃墟と化す。
ローマ劇場、ローマ浴場などが残る。


 
   
   カッパドキアのギョレメ国立公園と岩石軍 1985年  複合遺産 (撮影:2015年 5月6日)  お勧め度:9  
 
 

  場所:トルコ中部 アクサライ県

カッパドキア(ラテン語: Cappadocia)は中央アジアの歴史的地方、あるいはトルコの首都アンカラの南東にあるアナトリア高原の火山によってできた大地をいう。

小アジア(現代のトルコ)の広大な内陸地域を指した。ヘロドトスの時代には、「カッパドキア人」がタウロス山脈から黒海)までの全域をなしていた。この意味でのカッパドキアは、南ではタウロス山脈と、東ではユーフラテス川と、北はポントス地方(黒海沿岸部)と、西はおよそトゥズ湖と境界を接していた。だが、その境界を正確に定義することは不可能である。その国の多少とも詳細な記録を記したただ一人の古代の著述家ストラボンは、その大きさを非常に誇張したが、現在は長さ約250マイル、幅150マイル以下の範囲だったと考えられている。

 
 
             
 
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