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スペインの世界遺産 |
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セコビア・トレド・クラナダ・バルセロナ |
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セコビア旧市街とローマ水道 (セコビア ) 1985年 文化遺産 (撮影:2016年 5月1日) お勧め度:8 |
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時代:15世紀
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古都トレド (トレド) 1986年 文化遺産 (撮影:2016年5月1日) お勧め度:8 | ||||||
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年代711年〜1493年 場所:スペイン中部カスティーリャ・ラ・マンチャ州トレド かつての西ゴート王国の首都であり、中世にはイスラム教・ユダヤ教・キリスト教の文化が交錯した地である。 「町全体が博物館」と言われ、タホ川に囲まれた旧市街は世界遺産に登録されている。また、 ルネサンス期のスペインを代表するギリシア人画家のエル・グレコが活躍した町としても有名。
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グラナダのアルハンブラ、ヘネラリフェとアルバイシン (グラナダ) 1984/1994年 文化遺産 (撮影:20166年5月2日) お勧め度:8 | ||||||
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時代:13世紀 場所:スペイン南部 アンダルシア州グラナダ県 グラナダはナスル朝の首都であった。ナスル朝はイベリア半島で最後まで残存したイスラーム勢力である。 レコンキスタでイスラーム勢力が衰えていく中でマリーン朝がイベリア半島から撤退し、 これによりイスラーム教徒がグラナダに流れ込んだ。その中にはイスラームの高度な技術を持った職人もいた。 当時のナスル王、ムハンマド5世(在位・1354年 - 1359年、1362年 - 1391年)がこれらの技術者を 保護したことによりグラナダに世界を代表する高度なイスラーム文化が花開くことになった。 |
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アントニ・ガウディの作品群 (バルセロナ) 1984年 文化遺産 (撮影:2016年5月4日) お勧め度:9 | ||||||
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時代:19世紀
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バルセロナのカタルーニャ音楽堂とサン・パウロ病院 (バルセロナ) 1997年 文化遺産 (撮影:2016年5月5日) お勧め度:8 | ||||||
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時代:19世紀 場所:スペイン北東部カタルーニャ州バルセルナ県 カタルーニャ音楽堂は建築家リュイス・ドゥメナク・イ・ムンタネー(Lluis Domenech i Montaner)によって ムダルニズマの様式で設計されたコンサートホールである。1905年から1908年にかけて、 カタルーニャ・ルネサンス(文芸復興運動)において指導的役割を果たした合唱団、ウルフェオー・カタラー (Orfeo Catala、1891年設立)のために建設された。建設にあたってはバルセロナの篤志家たちの財政支援も 受けている。この音楽堂の建設によりドメネクは1909年にバルセロナ市より賞を受けた。 モデルニスモのこの豪華な病院は1902年(または1901年から1930年にかけて建築された。 建築家リュイス・ドメネク・イ・ムンタネーが手がけている[3]。145,000平方メートルの敷地内には 48の建築物が立ち並ぶ巨大な建物群である。 起源は1401年よりバルセロナの市内にあった6つの病院で、これらを統合して設立された[3][4]。 |
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