バンコクの観光編
戦場にかける橋の舞台となった悲劇の場所

 
 

JEATH戦争博物館は、1942年から1943年の間、日本軍の指示により泰緬鉄道建設のために強制労働に従事させられた連合国戦争捕虜に関する展示を行っている。
1977年、カーンチャナブリー市内クウェー(クワイ)・ヤイ川とクウェー・ノイの合流地点にあるワット・チャイチュムポンチャナソンクラームの住職が寺の敷地内に開館した。
博物館名の「JEATH」は泰緬鉄道建設に従事した日本人(Japanese)、イギリス人(English)、オーストラリア人(Australian)、アメリカ人(American)、タイ人(Thai)、オランダ人(Holland)の
頭文字から名づけられた。最初DEATHという案だったが、タイの国民性に合わぬということでこう名付けられた。 館内では、再現された泰緬鉄道建設時の連合国戦争捕虜収容所、
連合国軍捕虜による絵画作品など多数展示されている。なお館外には戦後、現地において慰霊と社会活動に身を投じた永瀬隆の銅像がある。

この場所は、日本人はほとんどおらず、欧米人ばかりでした。
 
   
 
 
 
第二次世界大戦時、日本軍が建設をしたという泰緬鉄道。この時、捕虜となって過酷な労働に従事し、
命を落とした連合軍兵士 6982人の墓石が並んでいるのがカンチャナブリの連合軍共同墓地(Thailand Burma Railway Centre)です。
 
   
 
 
 
泰緬鉄道(たいめんてつどう)は、第二次世界大戦中にタイとビルマ(ミャンマー)を結んでいた鉄道。
旧日本陸軍によって建設・運行されたが、戦後連合国軍によって部分的に撤去され、現在はナムトックサイヨークノイ停車場で途切れている。
日本軍の公式名称は泰緬連接鉄道。英語名称は「Thai-Burma Railway(またはBurma Railway)」だが、
大量の死者を出した過酷な建設労働から英語圏ではむしろ「死の鉄道(Death Railway)」の名で知られる。存置部分は、タイ国有鉄道南本線ナムトック支線として運行されている。
深い自然の中を通っているため風光明媚であり、「チョンカイの切り通し」や「タム・クラセー桟道橋(アルヒル桟道橋)」など見所も多いため、観光客に人気の路線となっている。
 
   
 
 
全長約250mのクウェー・ヤイ川に架かる1942年に日本軍がタイとビルマをつなぐために建設を始めた泰緬鉄道の一部。
映画『戦場にかける橋』の舞台で一躍世界的に有名になった。
第二次世界大戦中の強制労働を強いられた多くの連合軍兵士が犠牲者になった。

クウェー川鉄橋はカンチャナブリ地方クウェー・ヤイ川に掛けられた日本軍製作の鉄橋で1943年に完成しました。第二次世界大戦中、
日本軍はタイからミャンマーへの物資補給のための鉄道、泰麺鉄道を完成させ、この鉄橋も勿論その一部として現在も残っています。

映画「戦場にかける橋」を見てから訪れるとより味わい深いものになります。