私の甲子園

 
 
 
 
 私は普段から髪を短くしているが、夏が近づくとさらに短くなる。意識してそうしていたつもりはなかったのだが、ある時ある人に指摘され、改めて思い返してみると、次第に自分でもそうかなと思えてきた。

 散髪に行くと、まず、「どのようになさいますか」と訊かれる。私は大抵、「バリカンで刈り上げて、上の方も短く」という具合に適当な返事をする。普通それで注文は完了するのだが、たまに、「どのくらい短くなさいますか」とくる。「いや、ホント、短くていいですよ」と応えると、理容師はバリカンの先に付いているアタッチメントを取り替える。このアタッチメントで刈り上げる長さを調整するのだ。私と理容師の間で交わされるこんな風なやり取りで、最終的な髪の長さが決定されることになる。

 私はいつでも同じように受け答えをしているつもりなのだが、夏を前にして散髪に行くと、出来上がってくる頭は必ず皮膚が透けて見えるくらいの薄さになる。もしかしたら、普段と変わらぬつもりの私の言動の中に、夏だし思い切ってやってくれ、という無言のメッセージが含まれているのかもしれない。あるいは、外は随分と暑いな、よし、この客の頭を涼しくしてやろう、という理容師の気まぐれな善意があるのかもしれない。

 ある時、思わず、「一番短くして下さい」と言ってしまったことがあった。そうすると店主は、一瞬えっという顔をして、それから「分かりました」と応えた。そしておもむろにバリカンのアタッチメントを取り外した。そうなのだ。アタッチメントなしで、バリカンを直に頭に当てようとしているのだ。

 いざ、バリカン入りますという時、さすがにおやじさんは、「ほんとにいいんですね」と確認してきた。あれでやられてしまうのか。バリカンの先を睨みつつ、私は内心では出来上がりに不安を抱いていたのだが、えーい、俺も男だと覚悟を決め、「はい、お願いします」と力強く言い放った。

 出来上がった頭は見事なものだった。前頭部にお情け程度に黒い部分が残っているだけで、側頭部から後頭部にかけては全くの肌色だった。目を凝らしてその肌色を見ると、黒い点々がポツポツと出ているのが分かる。寝坊して慌てて安物のシェーバーで剃った時の剃り残しのようだ。シャンプーしてもドライヤーなんかいらない。タオルで拭こうものなら、タオルが頭に引っかかってしまう。

 翌日会社に行くと、私の頭を見て皆柔らかな笑みを浮かべる。またえらい短くなったな。それは嘲笑ではなく、思わず出た微笑みだった。

「Beachって、夏になると髪、一段と短くなるね」

 言われてみて、そうなのかなと私は改めて考えてみた。そしていろいろと思いを巡らすうち、一つの結論に達し、思わず一人で苦笑してしまった。
 



 
 
 私は高校生の頃、野球部に所属していた。進学校だったので、大して強くはなかったが、それなりに一所懸命練習していた。勉強よりもむしろ野球が中心の毎日だった。

 今では長髪も少なくないが、当時高校球児と言えば坊主である。朝から整えてきた髪を気にして、大半の生徒は制帽を被らず手に持って登校していた。生徒指導の先生に見つかって、被るように注意されない限りは、頭に帽子が乗っかることはない。そんな中で唯一私たちだけが、眉毛が隠れるくらいに深々と帽子を被ったものだ。

 高校野球の最大のイベントは夏の甲子園である。尤も私たちのレベルでは予選での一勝が目標であった。三年生にとっては最後の大会となるため、自ずと練習にも気合いが入る。梅雨明けの湿気と差すような強い日差しの下、全力で投げ、必死に走り、そして力強くバットを振る。声をからし、泥にまみれる。全身から汗が吹き出す。寒暖計の水銀が上昇するに伴い、私たちの気合いも最高潮に達する。

「何しよっか。おらぁ。気合入れろ。おらぁ」

 坊主頭のことを五分刈りという言い方をするが、それの十分の一は五厘である。組合せ抽選会の後、対戦相手が決まると、我々野球部員の頭は五厘になった。

 別に伝統という訳でもなければ、強制された訳でもない。各個人が最後の大会に向けて、気合いを入れるためにそのヘアースタイルになるのである。

 私は高校時代のことを思い出し、社会人になった現在の、夏の髪型の謎が解けたように思った。

 あの当時の気合いを入れねばという思いは余程強かったのだろう。あれから随分と時間が経ってしまっているのだが、夏の暑さか、吹き出す汗の仕業か、梅雨が明ける頃になると、私は無意識に反応し、髪を短くしてしまうようだ。そう考えると妙に納得がいく。一度身体に染み着いたものはなかなか忘れないのだろうか。尤も今は取り立てて気合いを入れる必要などないのだが。
 



 
 
 高校を卒業して数年は、たまにボールを握る機会もあったのだが、ここ最近はキャッチボールもやっていない。身体を動かすこと自体あまりやらなくなった。野球に限らず、スポーツはすっかり見る方に回ってしまった。といっても、専らテレビ観戦である。

 故郷から遠く離れてしまったからだろうか、夏の予選が始まると母校の試合が気になるようになった。当然試合は見に行けないが、新聞やテレビで予選の結果を知る事ができる。残念ながら今年は一回戦で負けてしまった。

 全国大会が始まるとやっぱり地元の代表を応援する。今年の代表はなかなか強そうだぞと思っていたら、強豪を倒して二勝をあげた。結局三回戦でサヨナラ負けを食らってしまったのだが、それでも頑張った方である。

 二回戦の試合は土曜日だったので、自宅でテレビ観戦することができた。

 いきなり打線が爆発し、五点を先制。なかなかやるな、調子良いぞ。だけども相手は強豪である。試合には流れと言うものがある。必ず反撃される。そんなにうまくいく訳がない。私にも少なからず経験があった。

 私は五対零のところでテレビを消してしまった。このまま勝つならそれで良い。だけども、ここから逆転されるならば見たくない。

 次にテレビのスイッチを入れた時、予想通り反撃は始まっていた。そして見る見るうちに同点となった。やっぱりそうだよな。簡単には勝たせてもらえないよな。私は再びテレビを消した。

 それでも気になる。見たくないけど見たい。負けるなら見たくない。勝つ時は見たい。恐る恐るテレビをつけると、同点でサヨナラのチャンスだった。そして結末は呆気ないものだった。

 暴投。バックネットにボールが転々とする中、三塁ランナーが歓喜のホームを踏んだ。相手のバッテリーはその場に泣き崩れた。

 高校野球にはやはりドラマがある。
 



 
 
 私にとっての甲子園は、一言で言えば憧れである。子供の頃からの憧れ、夢。そして結局その夢が叶うことはなかった。

 甲子園までの距離が一番遠かったのは、もしかしたら高校時代だったのかもしれない。甲子園には高校生しか出れないので、こう言うと奇妙に聞こえるかもしれないが、やっぱり一番遠かった。高校球児という当事者でありながら、全然実感がなかったのだ。

 高校時代にテレビで甲子園の試合を見ることは殆どなかった。だから子供の頃より、甲子園が遠く感じたのかもしれない。

 同じ時間にはグランドで白球を追っていた。同じ高校生でありながら、そして同じ野球をやりながら、私たちにとっての目標はもっと低いところにあったのだ。

 それでも今から考えると、私たちが甲子園に近付いた時があった。それまで一回戦負けを続けていたチームが、何と三年生の夏に県大会のベストエイトに進出したのだ。

 私たちは今まで経験のなかった勝利に酔った。確かに嬉しかった。最後の大会でこれまでにないプレーができたのだ。無欲の勝利だった。満足感があった。達成感があった。

 そして準々決勝は酷い試合となった。確かに疲れもあったが、それ以上に満足感があった。満足感は諦めにつながった。前の試合までの勢いは何処へやら、呆気なくコールド負けを喫してしまったのだ。

 私は甲子園を夢見ながら、実際に甲子園が近付いた時、全く甲子園を見ていなかった。普段から甲子園を目標に練習をしていたなら、最後の試合は違った結果になったかもしれない。チームが弱かった訳ではなかったと思う。現実に良いところまで勝ち進んだ。

 足りなかったものがあった。甲子園に行くんだ。その思いこそが、夢を現実に変えるのだ。長い時間が過ぎ、高校時代が遠くになった今、冷静に当時を振り返ることができるようになってその思いを強くした。
 



 
 
 今年の夏の始め、会社に行ってパソコンを立ち上げ、いつものようにインターネットで、朝日新聞(asahi.com)をチェックした。私はそこで面白そうなものを見つけた。

「俳句甲子園」

 朝日新聞社が主催して、甲子園について詠んだ俳句を、葉書、FAX、インターネットで募集していた。

 これはおもしろそうだ。自分でもやれそうだ。私は素早く三句作り、そして会社からインターネットで投句した。俳句を作った経験は全くないが、何といっても高校野球の経験がある。

 その時はそれだけで終わったのだが、その後、この俳句甲子園への投句は、私にこの夏一番の興奮を与えてくれるのである。

 事件は七月に起こった。その時は投句したこともすっかり忘れていた。私は仕事の合間、朝日新聞のホームページでニュースを読んでいた。そして俳句甲子園の事を思い出し、そう言えは投句したんだな、そんな感じで俳句甲子園のページを見た。そして優秀句の紹介のところを何気なく見ると、東京都、会社員、31才、Baech。そして確かに私の作った俳句。

 おおー。俺の句だ。私は興奮し、大量のアドレナリンを分泌した。思わず声が出そうになるところを我慢し、辺りを見回した。まだ勤務時間中である。誰も私の事など気にしてない様子で、いつもと変わらず仕事に集中している。私は誰かにこの事を告げたい衝動に駆られた。しかしまだ勤務中である。しかも勤務中に投句したものである。

 私は誰かに自慢したい気持ちがあったが、この事は誰にも言わないことにした。私の会社はそんなに堅苦しいところではないと思うが、やはり会社でこういう事をするのはいけないことだろう。それに選ばれた句は、自分としては一番良くないと思った句だった。正直なところ他人に披露できるものではないと思った。誰が選んでくれたのか分からないが、素人の私には良く思えない。見る人が見ると良いのだろうか。それでも取りあえず私の頬は緩んでいたと思う。

 再び事件は起こった。甲子園大会が始まっていたので、八月の中頃だったと記憶している。私はまた朝日新聞のページで、甲子園速報を見ていた。そして、スコアを見てページを戻した時、自分の名前があったように思った。何で俺の名前が? 

 再び甲子園速報のページを見た。確かにある。俳句甲子園にどんどん投句して下さい、そういった案内の部分(バナー)に、私の句が使われている。

 おいおいおい。私はまたしても興奮した。この前以上に興奮した。またしても辺りをキョロキョロと確認した。誰も私など気にも掛けていない。取りあえず、ほっとする。

 どうやら、こんな感じで皆さんも投句して下さい、という例として私の句が選ばれているようだった。もしやこの句は物凄く素晴らしい句ではないか、私の鼻は次第に高くなりつつあった。いかんいかん。どう考えてもこの句が良い句に思えないだろ。

 それに、それどころではなかった。甲子園速報だったら、誰か知ってる人に見つかるのではないか。そうなるとやばいぞ。

 私は冷や冷やして仕事をしていた。そして時々甲子園速報を見た。だけどそれは野球のスコアを見ると言うよりも、私の句がまだあると言うのを確認しているようでもあった。やばいかなと思いつつも、やはり頬が緩んでしまう。
 



 
 
 俳句甲子園の結果は九月中旬に出る。文部大臣賞を始め、朝日新聞賞等が数万の句から選ばれる。私は少しばかり期待してその日が来るのを待っている。もしかしたらという気持ちで待っている。

 何気ない投句で、今年の夏は思いがけず楽しむことが出来た。最終的な結果はどうであれ、いい思いをすることが出来た。夢を果たせなかった高校球児が、俳句という全くの別の世界で夢を見ることができた。

 俳句甲子園は今年が第一回。おそらく来年以降も続くのだろう。私は来年も俳句甲子園が開催されるのであれば、もっと真剣に句を作ろうかなと思っている。文部大臣賞でも狙ってみようか、そんな風に思っている。

 気合を入れて取り組んでみよう。梅雨が明けたら、髪を短く刈って。
 

(99年9月)

 
 


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