ある日右手が言いました。
「君に恋をしたみたい。」
すると左手も言いました。
「あなたに恋をしたみたい。」

いつも当たり前のように右側と左側で暮らして来た二手が、
そう愛を打ち明け合ってから、
切なくも終わることのない恋の物語が始まりました。

手の主である少年は胸の上で手を組んだまま眠りました。
まるで死人のように。
悲しいことがあると祈るように手を組みました。
まるでイエスキリストのように。

そんな時、右手は左手の温かさに安心し、
左手は右手の強さに身を委ねるのでした。
けれど、そんな瞬間はとても短く、いつも手を繋いでいる訳にはいきません。

少年がご飯を食べる時、右手は箸を、左手はお茶碗を持っていましたし、
少年が勉強をする時、右手は鉛筆を、左手は消しゴムを握っていました。
歩く時も走る時も、右手と左手が触れることはありません。
でも、本を読む時はちょっと良かったのです。
右手が本を持ち、左手がページをめくる時、一瞬ですが手と手が触れ合います。
少年が一ページ読み終わるたびに、そっと触れ合うのです。
右手は待っていました。少年がそのページを読み終わるのを。
いえ、左手が自分に触れるのを、指先を熱くして待つのでした。

少年はごく普通の健康で心優しい子でした。
ですがある日、学校の帰り道に自転車から落ちて、
右腕を骨折してしまいました。
それからというもの、右手は包帯でグルグル巻きにされ、
動かすことも出来なくなってしまいました。
左手は泣きました。触れることも顔を見ることも出来ない右手を恋しがり泣きました。
けれど、それもつかの間のこと。
少年が右手の代わりに、左手で字を書いたり、ご飯を食べたりしなくてはいけなくなりました。
なれない仕事を一日中させられる毎日です。
左手は忙しく体を動かし、右手を思い悲しむ暇もないくらいだったのです。

ある夜、少年がぐっすり眠っているので、左手がほっと肩を撫で下ろしていると、
胸元に置かれた右手が小さく左手を呼びました。
「大丈夫?疲れているみたいだね。」
左手は叫び出したいほどの喜びをぐっと堪え、右手を見つめました。
相変わらず、白い包帯に包まれた右手を、包み込みたい気持ちでいっぱいでした。
「大丈夫よ。何も心配しないで早く良くなってね。」
「僕の仕事を君に押し付けてしまって、心苦しいよ。」
「何を言ってるの?私達は一心同体。助け合うのは当たり前よ。」
「ありがとう。」
その言葉を最後に右手は黙り込んでしまいました。
左手も、それ以上話し掛けることが出来ませんでした。

左手は心の中で思います。
(あの人の方が、私よりずっと辛いはず。
それに、今まで私の何倍も働き続けてくれた。
私は今、あの人と同じ仕事をしている。苦しいけど頑張っている。
とうてい右手には敵わない。でも、こうしているうちに、
右手のことがもっとわかるようになるかもしれない。)

右手は暗闇の中で思います。
(あの子はなんていい子なんだろう?
きっと辛いだろうに、僕を心配してくれている。
あの子のために何もしてあげられない今の僕を庇ってくれる。
なんて優しい子なのだろう。
あの子のためだったら、僕は何でもするのに・・)

少し前まで、少年が眠る間、繋がれていた右手と左手。
今は離れ離れで眠れない夜を過ごしているのでした。

それからというもの、左手は驚異的な進歩を遂げ、
箸を持つのも、鉛筆を動かすも、とても上手になりました。
ずっと右利きだった少年が、左利きのようになりました。

そして、長いようで短い時が過ぎ、右手のギブスが取り外される日がやって来ました。
右手は左手より青白く細くなっていました。
でも、そんなことは気を病むほどのことではありませんでした。
少年は左手で右手に触れました。
右手は愛しくて仕方がない左手のぬくもりを確かめました。
二手はしっかりと手を繋ぎました。
左手は右手を労るように、ありったけの優しさで右手を温めました。

死が二手を別つまで、ずっと一緒に生きていこうね。
そう言って小指と小指で口付けをするのでした。