愛のかたち



 誰かに飼われたいな。
ご主人様と食べ物と少しの散歩があれば、
充分に満ち足りて昼寝をする犬のように、
全てを任せて安心してみたい。
不可能だとは知っているけどね。
私は無邪気に人を信じることも出来ないし、
人生を人任せにすることも出来ない。
それでも時々は思うのさ。
子供の頃に戻って、庇護されてみたいなってね。

 目を覚ました時に、誰かが隣にいる時の安心感、
恐い夢を見た時に、抱きつく腕があった時の安堵感。
そんな男が過去にいたような気がするけれど・・
もう、大分昔のことのように遠いよ。
一人暮らしを始めてから、頻繁に悪夢を見る。
そして、この前は金縛り?にもあった。
胸とお腹が圧迫され、声を出したくても出ないし、
もう、苦しいなんてもんじゃなかった。
しばらくは、恐くて眠れなかった。
そんな時は、心から思う。
同棲したいな〜ってね。
誰かのぬくもりがあれば、不思議と可笑しな夢は見ない。
なんでだろう?
大きくて暖かな恋人の空気が、私を包み込んで守ってくれるのかもしれない。
心も体も潜在意識も単純な私。
だからこそ、逆に顕著に表れる体や精神の異変が恐いのだけれど。

 何事にもメリットがあればデメリットもある。
自由に好きなことをして生きている私は、一人で不眠に悩まされている。
逆に、安心した眠りを手に入れれば、何かを犠牲にしなければならないだろう。
誰かと暮らすということ、真剣に愛し付き合っていくことは、そんなに簡単なことじゃない。
共有する時間と空間が増えれば親しみも強くなるけれど、馴れ合いから傲慢な顔を見せ始めれば、
お互いを傷つけることになる。
どちらかが何かを我慢し始める。お互いに何かを犠牲にしていると感じる。
そうなれば、一緒にいる意味の本質はぼやけ、破局が近付く。
我慢なしに共同生活などおくれない。
それでもメリットの方が多ければいい。
二人でいる時間が何よりも掛け替えのない時間だと思えるならそれでいい。
でも、その時間さえ文句や愚痴に染まり始めてしまったら、
もう、続けて行くのは無理だろう。

 悲しいね。難しいね。
それでも人は誰かと暮らそうと試みるのだから凄いね。
結婚し離婚しまた他の人と結婚しようとするのだから凄いね。
余程の淋しがり屋か、夢追い人か、バカかの全部なんだろうね。

 人生は自分で選択出来る。
今は21世紀。
一夫一婦制ということになっているけれど、
多夫一婦制でも多夫多婦制でも、何でもありだろう。
結婚のあり方も恋愛のあり方も本人達次第。
納得の行く関係ならそれでいいのだろう。
どんなにレンジが広がったところで、普遍的な悩みはつきないもの。
愛について考えることなど、今も昔も大差ない。
結婚するも同棲するも恋愛するも、自分の選択でどうにでもなる。
一人で生きるのもいいし、誰かと生きるのもいい。

 さて、私はどんな選択をして生きて行くのだろう。
既に、無意識に選び、捨てているのかもしれない。
一人で飲むコーヒーより、二人で飲むコーヒーの方が美味しいだろうし、
ベッドに二人で眠るより、一人で眠る方が広く自由だろう。
一長一短、何が一番欲しいかということ。
ダブルベッドが買えるようになった頃、もう一度考えよう。
コーヒーの香りで一緒に目覚めたい、たった一人の恋人とのこれからを・・