愛するということ



 私には愛する人がたくさんいる。それだけで幸せなんではないかと最近思う。
愛してるまで行かなくても、過去好きになった人もたくさんいる。そしてその人達はたぶん今も何処かで生きていてくれる。それだけで幸せなんではないかと最近思う。
 死んでしまわない限り、何処かで繋がっている気がする。でも死んでしまったらそれはやっぱり永遠のさよならのような気がする。だから私は死を受け入れることが出来ない。誰にも死んで欲しくないし自分も死にたくない。そう言う訳で、生きていればそれで充分と思っているのかもしれない。
 今の時代の人達は、幸せの感じ方が下手だと思う。満たされる感覚が麻痺している。きっと、自分が何を求めているかわかっていないからだと思う。わかってなくても、一瞬の奇跡を感じることは出来ると思うのだけれど・・。
 たくさんの人に愛されているのに、それに気付けない人がいる。なぜだろう?けしてその人に愛がないわけではないのに(むしろ溢れてるのに)何かの事情で自分自信を見失ってしまったからだろうか?自分を嫌いになってしまったからだろうか?
 たくさんの愛を持っている人には、たくさんの愛の中で笑っていて欲しい。自分から愛することの出来る人はすばらしい!
 「愛は見返りを求めないもの」よくそう聞く。でも私の中の定義だと、「愛は見返りを求めるもの」となっている。それが笑顔であったり喜びであったりさまざまだとは思うけれど・・。いくら愛しても何も返ってこなかったら、その人は疲れ果て深い悲しみの淵に追いやられるだろう。マザーテレサだって、きっと病人の神に感謝する最後の言葉や心の変化があったからこそ続けていられたのではないかと、私は勝手に思っている。お母さんの愛だって、赤ちゃんは全部わかっていて、体中で愛を送ってるからこそお母さんは頑張れるんだと思う。

 だから私は人に言いたい。
 愛をたくさん欲しがって大丈夫。その分人を愛せばいいんだよ。大地と空の関係みたいに与え合えばいいじゃない。
 何も与えられない愛に疲れ果て逃げてしまった時は自分を許してあげて。人はそんなに強くない。神様になんてなれないし、なる必要もない。自分の中の天使と悪魔、大事にしてあげればいいんだよ。その子たちの声に耳を傾けて、感じるままに・・心のままに・・・愛したい時、愛せばいい。愛して欲しいから、愛せばいい。
 もし、誰のことも愛せないと思うなら、まず自分のことをちゃんと愛さなくちゃ。同じ耳の形の人が何処にもいないように、あなたは他の誰とも違うものをたくさん持っているのだから・・。
 それだけでもう、生きて行くには充分な理由でしょ。
 泣いても笑っても、人はみんな死んでしまう。形ある者はいつか全て死んでしまう。星だって、人だって、ライオンだって、アリだって、始まりと終わりはみんな一緒。だから好きなように生きればいい。好きなだけ我侭に好きなだけ自分勝手に、愛したいだけ愛せばいい。

 人を救うのが愛なら、自分を救うのも愛のはずだから。