こんにちは 赤ちゃん♪



最近、まわりの女友達が次々と妊娠して結婚しそうな気配。
(生むと決めた子も、迷っている子もいるけれど。)
俗に言う「出来ちゃった結婚」というやつだ。
でも、このネーミングって下品よね。
出来ちゃったから結婚する、を短くしただけなのだろうが、
出来ちゃったという表現がそもそも失礼ではないか。
子供と妊婦に対する敬意が微塵も感じられん。

まあ実際、不意に妊娠したのだろうが、今の時代生まない選択をすることも可能だ。
それを生むと決めて結婚するのだから、凄い決意と覚悟だと私は思う。
恋人として付き合っている二人が結婚するだけでも、
ハードルをジャンプする勇気が必要だ。
その上、8,9ヶ月後には子供が産まれ家族3人になっている状況を受け入れるのは、
生易しいことではないと思う。
中には容易に考えて妊娠・結婚・出産を辿る人もいるだろう。
ここで、そういう人の話をすると幼児虐待の話にまで発展してしまうので控えることにする。

それにしても・・
女人の神秘という言葉があるけれど、女という生き物は不思議だ。
母性という本能があるからなのだろうが、私の友人は生むと決めていないうちから、
お酒を一滴も飲まず、食事にも気を配り、走るのは良くないからと早めの出勤を心掛けている。
本来お酒を飲んで騒ぐのが大好きなその子の変化?に私は正直驚いた。
そして言いようの無い気持ちになった。なんだか寂しいような切ないような微妙な心境。
大げさに言えば、(もうあなた一人の体じゃないのね〜)みたいな。
きっと、直接関係はないとわかってはいても戸惑っていたのだろう。
妊婦は体の中にもう一人の命を抱える。
普通人間は一つの体と一つの心を持っているわけだが、
世界中で妊婦だけが、二つの体と二つの心を持っている。
ちょっと、これって凄くない?凄すぎて恐くない?
私は頭でっかちなので、ただただ圧倒されてしまうのです。

ここまでダラダラ書いておいて情けないのだが、
私は出産についてまるでよくわかっていない。
わかっていないというより、遥か遠くのことのようにしか考えられない。
正直、自分の体にもう一つの生命が宿ったら、喜びよりも恐怖を感じると思う。
少しずつ大きくなるお腹、ツワリや様々な体の変化に、
陰鬱な気分になってしまいそうな気がする。
産んでから子供に嫌な思いさせないだけの、精神的安定も、経済的安定もない。
「産んだらどうにかなる。」という人がたまにいるが、私には考えられない。
犬でも鳥でも植物でも、部屋に置いておけばどうにかなるものなんて一つもない。
育てなければ、生き物は病んで死ぬ。
ましてや赤ん坊の無力さは凄まじい。空気を吸って泣くことが精一杯の生き物だ。
産んだだけではどうにもならない。育てなければ死ぬし、愛を注がなければ心が病む。

私にはまだまだ無理。今生んだら子供が可哀想。
もっともっと成長しなきゃ、自分に精一杯じゃない自分にならなきゃ、
私がいなければ生きていくことも出来ない生命を担うことなんて出来ない。
もう26だっていうのに、私にはやりたいことが山のようにあって、
今の状況が好きで、未来に可能性を見出していて、自分を愛し過ぎている。

いつになるかわからないけれど、もし子供を産む時が来たら、
その子に私の童話の本や詩の本を読んであげたい。
子守唄代わりに即興で詩を歌ってあげたい。
そしてそれを見守りながら微笑んでいるダーリンに子供共々抱きしめられたい。

会いたくないわけじゃないのよ。むしろ会いたいの。
でも、もう少し待っていて下さいな。可愛い私の未来のベイビー♪