world heritage (世界遺産) の写真を載せる予定。
あくまでも予定です。
カトマンドゥのダルバール広場の世界遺産の写真が無いので戦意喪失。。。
<kumari
について>
昨日(’08/3/3)夫からネパールの生き神様'クマリ(kumari)'が引退したと聞いて
あのカトマンドゥのダルバール広場・クマリ館にいたロイヤル・クマリ(下左:絵葉書より)が初潮を迎えたのか、
或いはクマリの制度が廃止されたのかと思いましたが
今朝ネットで確認しましたところ、バクタプルのクマリ(下右:ネットより)のことでした。
生き神様クマリは一人だけではなく、
カトマンドゥ以外でもパタンやバクタプルなど幾つかの町にそれぞれの生き神様がおります。
クマリに選ばれると家族を離れて単身クマリの館に入り、
初潮を迎えるか或いは何らかの理由(怪我など)で血が流れて任を解かれるまでは
祭礼の時を除いて館からは出ることができません。勿論世話をする人達はおります。
問題のバクタプルのクマリは、出てはならない館を無許可で出て、なんと渡米したとあって
関係の方達の逆鱗に触れたようです。
宗教と緊密な関わりを持った生活を送るネパールの人達、殊に宗教関係者にとっては
時代が時代だからといって済ませられるようなことではなかったのでしょう。
カトマンドゥのロイヤル・クマリは特別で、9月の大祭の際に大きな山車に乗ってカトマンドゥの街中を3日間練り歩き、
ネパールの王もこの間に館に出向いてこの少女の前にひざまずき、祝福を受けるのだそうです。
私達がカトマンドゥのダルバール広場のクマリ館に着いたのは、ガイドのアソカさんの計らいで午後4時少し前。
入り口の門をくぐり抜けて中にはいると四角い広場があって、ひんやりとした古めかしい館(15世紀)がその広場を取り囲むような造りになっており、
辺りに漂う雰囲気は生き神様と崇められる少女が住み暮らすには些か陰気でもあり、またそれだけ厳かにも思えました。
ちょうど正面の彫刻の施された建物の2階(だったと思う)の窓から朝(?時)と夕方4時の2回
素顔のクマリが顔を覗かせるというので、ワクワクして待っていますと
ちょうど4時きっかりに窓が開き、思ったよりは大人っぽいやや大柄な少女が顔を出して
今日はこれだけか、といった感じで私達観光客(約10名ほど)を眺め回すと、
ものの何分(いや何秒?)かでさっと消えて窓が閉まってしまいました。
アッという間の出来事でしたが、それでも何かとても非日常的で神秘的な体験をしたような気分になり
合掌をして、わずかながらご報謝を置いて参りました。
クマリに選ばれるにはクリアしなければならない幾つかの条件があるそうです。
ガイドさんから聞いたものをひとつ。
聞きかじりですので正確ではないかもしれません。
一応ネパールではヒンドゥー教徒が最も多いのですが、
チベット系仏教やその他土着の諸々の神様への信仰などがごちゃ混ぜになって多神教のネパールでは
神に生贄を捧げるという行為が日常的に行われています。(3.native people, their life)
頭では分かったような気になっていますが、
生贄を捧げるということは即ち鶏などの生き物の首が日常的に寺院の中などで刎ねられているということです。
宗派を問わず国を挙げて祝われる10月の大祭ダサイン(日本のお正月のようなもの。)では、
寺院だけではなく各家庭でも山羊を屠ってご馳走にするのが最大のイベントです。
鶏が絞められたり牛や豚が屠殺されているところを眼前に見ることのない私達には生贄など前近代的で異なことかもしれませんが、
彼の地にいると、屠って神に捧げて、そしてそれをいただくというのは、人の営みとして根元的で自然なことに思えます。
とある仏教系の寺院では広場に長方形の石造りの窪みがあり、ダサインの際に、54頭の山羊と54頭の水牛、
併せて108頭がそこで屠られ、神(仏?)に捧げられると聞きました。
そしてそのような生贄となった血の滴る首が置かれている部屋に、夜中、暗がりの中を
クマリ候補の幼い少女が連れて行かれ、恐怖心が試されます。
泣き叫ぶようならクマリ失格、顔色ひとつ変えないようであれば神性があるとみなされ合格になるのだそうです。
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ネパールの宗教やクマリについてもっと詳しく知りたい方、或いは冒頭の引退事件について興味のおありの方はネットなどでお調べ下さい。