神経心理学の視点による「発達障害」療育法の提案
藤女子大学 古塚 孝 先生



1. はじめに
 我々の当初の目標は,三宅和夫名誉教授を中心に行われてきた健常乳幼児の発達研究と狩野陽,北島象司両名誉教授を中心に行われてきた脳波・誘発電位を指標とする「学習の基礎機構,認知に関する情報処理機構の分析」の研究成果をもとに,実践に有効な障害児療育の基礎を確立することにあった.しかし,現実は厳しく,基礎と実践の統合は非常に困難であった.それ故,我々は療育相談業務に専念することにした.とりわけ,障害児とその親から我々が学ぶことから始めた.もし,我々の基礎研究の中に臨床的実践的応用に資するものがあるとすれば,障害児とその親が抱える問題を解決する努力の中に自ずとその姿を現すであろうと考えたのである.
 我々の療育実践の一つ,症例Rは4歳まで正常発達を示していたが,脳炎後遺症により1歳半レベルまでに退行を示した症例である.帰宅当初は,移動不可で,じっと座ったままで,親の働きかけに何の反応もしえなかった.1週間で,尖足ではあったが,歩くことができた.約1カ月後,当センターを訪れた時には,彼女は多動かつ注意散漫で,こちらの働きかけに反応せず,ただ徘徊するのみであった.言葉は発するもののエコラリア風で,場面と状況に合ったものでは無かった.しかし,ほぼ1年を経過して,彼女は言語を回復させ,情動表現も元に復し,その後も順調に回復しつつある.
彼女のセラピーで我々が学んだことは,(1)週に1回のセラピーよりも家族全員の毎日の感情交流を含む働きかけが一番重要で,とりわけ2歳上の姉との遊びの中での経験,(2)その次の段階では、Rの発達レベルに適合する集団生活(保育園)の経験が効果的であったこと(事実,Rの発達課題達成はセラピー場面の方が母親の報告より約1カ月遅れていた),(3)セラピー当初,「彼女は随伴性に基づく条件づけ的学習をしている段階にいる」と定義し,行動レベルの「出来ること」を増やすことに専心すること,(4)過剰学習段階になると,随伴的関係にある刺激と反応の間に遅延時間を導入し,遅延時間中に期待・表象機能の活性化と表象の心的操作を引き起こす働きかけを行うこと,(5)による随伴関係を因果関係に組み換えるため,こころの中での試行錯誤的思考を促すこと,(6)因果関係的認識を目的・手段関係の枠組みでの理解へと組み換え,認識システムと行動システムの分離と両者を系列化すること,等が効果的であった.
加えて,これらの働きかけを十全に行うには,親の一般的粗雑な養育目標をきめ細かく明確にし,乗り越え可能な目標に改変する必要がある.その為には,(1)親の障害観を絶望的な『諦め』から『挑戦してみよう』に変更すること,(2)子どもの行動を親が理解できない場合,その行動を神経心理学発達モデルに基づき解釈し,子どもが如何なる情報処理機能を用いているかを考えることに徹し,そこから導出される子供の行動理解の準拠枠を親に提示し,対処法の具体策を提言すること,などが重要である.そして,この対応の中で親の持つ子ども表象を悲観的なものから楽観的なものに書き換え,「この子は○○が出来ない,こんな変な行動がある」から「繰り返し誠実に対応することで乗り越えられる筈だ,次はこんなことが出来れば嬉しい,努力しよう」への変換を行った親を理論的に支えることをめざした.
 この症例での経験は,自閉児を中心とする諸症例において我々が学んだ事柄と一致した.即ち,この症例はこれまで曖昧的にしか掴み得なかった発達障害児の発達経過を明確にしてくれたばかりでなく,我々の試行錯誤的働きかけの妥当性を確定してくれた.症例Rは,ある自閉児が3年以上療育を受けてやっと到達した発達段階を,1年で克服した.我々にとっては高速度撮影で発達を見る思いであった.我々はこの症例を典型として,神経心理学的発達モデルを試みた.(片山・古塚1994,古塚・片山1994).
 TABLE 1.は症例Rの回復過程を示したものである.Rが示してくれたことは,Rの萎縮までに到った脳損傷は,いわゆる「異常な,欠陥のある」発達をもたらすのではなく,発達退行として現象し,その回復は,同じ発達経路をもう一度たどることであった.
 発達障害も,また,発達の遅延として生じる.遅延として生じるが故に,その療育は,「普通の子育てをより細かいステップで過剰なまでに反復する」ことで,可能なのである.何故発達障害が発達遅延として現出するかの秘密は,(1)親が発達に付き添い,子どもの行動を,一般的発達基準で,評価し修正し続けること(2)子どもの側に,自分の生存を支援し責任をとってくれる特別な(愛着)対象を気遣う傾向性(遠藤,1996)にあると言える.

2. 発達障害の神経生物学的考察
2.1. 脳の発達解剖学
TABLE2.は受精から誕生までの神経系の成熟を示した.
受精卵が分裂を開始後18日目頃に脳の原基ができる.原基は22日目には神経管となり,その後50日目までに神経管は折れ曲がり大脳半球が出現する.そして2カ月目にヒトの外形と内臓の形はほぼ出来上がる.その後の8カ月は各器官が大きくなり,形を整え,成熟するのみである.
これを細胞レベルで見ると,1)神経細胞の発生,増殖,分化の指定(表現型)と神経細胞の移動,2)神経回路網の形成(軸索の成長,樹状突起の成長,シナプスの形成),3)神経回路網の修正(細胞死,シナプス結合の除去)の3段階を経る.
第1段階:神経細胞の分裂・増殖が活発になるのは受精後22日目の神経管形成後である.神経細胞は初め,外表面にあるが,徐々に移動し,内表面に接するまでに移動しその後細胞分裂する.分裂後の娘細胞はまた,再び外表面に移動する.分裂した細胞は移動し続け,その後に分裂した細胞が後に続く,この様にして大脳の各層6層と白質と脳室層(上皮層)となり,大脳皮質は肥厚する.
第2段階:神経回路網の成立は,移動が終了した細胞の軸索の成長円錐が伸びていって特定の神経細胞(標的細胞)と選択的にシナプスを作ることによって行われる(成長円錐は1分間で1μmの速度で成長し最終的には1mにもなる).また樹状突起の先端にも成長円錐と似た構造があり細胞軸索と類似した形で成長する.この両者が相互に連結しあって回路網が出来上がる.この回路網の形成には遺伝子に規定された内因的プロセスが主として関わっている.この時形成される回路網は過剰連結している.
第3段階:結合の修正・詳細化は,環境からの入力によって行われる非常に重要なプロセスである.結合の修正・詳細化は過剰回路からの間引きによって生じる.この様相については詳しく後述する.
 脳の発達は二つの主要なプロセスによって制御されていると言われている.一つは内因的なものであり,それは受精以降一貫して作用し,誕生後も持続して作用するが誕生後はその影響力は落ちる.内因的プロセスは環境の影響を受けず,脳の主要粗大部分の形成に関与する.これら内因的プロセスは遺伝子に制御された生化学的・生物物理的プロセスである.
一方,外因的プロセスは,脳の回路網整備に環境刺激を用いるプロセスである.このプロセスが作動するには感覚システムが機能していることが前提となる.このプロセスはシナプスの分布と機能の変化・軸索の髄鞘化といった微細な解剖学的変化として生じる.言い換えれば,外因的プロセスは,未成熟な脳が環境からの情報を受容し処理し,反応するという一連のプロセスを活性化する中で,強化と活性化拡散化・集中化により,神経回路網の豊穣化を図るものと言える.発達障害の療育を考える立場にある我々にとって重要なのは外因的プロセスである.

2.2. 外因的因子による神経発達としての領野別髄鞘化について
<入力?出力?報酬>プロセスが十分に反復されることで,回路網の豊壌化ばかりでなく,より効率的で安定的な機能を担う回路が出来上がる.この経過の指標に髄鞘化がある.
 Campbell & Whitaker(1986)は主としてロシアの文献を整理する中で脳内神経細胞軸索の髄鞘化について以下のまとめをしている.髄鞘化の重要な点は領域特異的な個々のモジュールの形成とモジュール間統合としての脳の機能と構造が成立することである.それが外部からの刺激作用によって形成されることに注目すべきである.臨界期という概念は,発達の特定の時期に,生体は特定の刺激を偏向的に好むことと言える.それゆえ,発達課題とは,内因的因子がどの領域,どのモジュールが髄鞘化すべきかを生活年齢に添って決められていると言える.そして,その後,外因的因子がその領域・モジュールを利用可能なものにすると考えることができる.
(A)皮質内の髄鞘化について
 1)人間においては,髄鞘化は,大部分の脳部位では通常誕生直後から始まる.
2)皮質内の髄鞘化は系統発生的な発達順序で生じる.
 3)皮質内の通路の髄鞘化はそれが機能しているということの指標である.
 4)未熟児の髄鞘化は満期産児よりも早く生じる(このことは,外部刺激によって駆動され,機能する      ことが髄鞘化を促進するということを示す).
 5)髄鞘化と比例すると言われる神経の伝導速度は年齢によって変化する(9歳までは成人よりも遅いということは髄鞘化がまだ不十分であるといえる).
(B)求心性通路の髄鞘化について
 皮質下の求心感覚性通路の髄鞘化は感覚モダリティによって異なる.前庭系は誕生時には終了している.皮質下の視覚求心路は何故か早く,胎児期2カ月目に始まり,誕生後3カ月に終了する.聴覚の下丘の髄鞘化も胎児期3カ月で始まり,誕生後3カ月まで続く.
 皮質への求心感覚通路は誕生後でないと始まらない.触覚通路のみが誕生直前に始まる.視覚求心性神 経系の皮質内部通路の髄鞘化は急速で,生後4カ月で終了する.身体感覚の通路のそれは1年かかる. 聴覚の求心性通路の髄鞘化は5歳までかかる.視床は誕生時に髄鞘化は終了している.
(C)遠心性通路髄鞘化について
 錐体細胞は胎児期5カ月で軸索の成長円錐が下降を開始し,大脳からの遠心性通路は生後2カ月で髄鞘 化を開始し,1歳で終了する.
(D)小脳への遠心性・求心性通路
 1つは運動誘発性反射にかかわるもので,これは誕生前2カ月で髄鞘化は完成する.もう一つの通路は 生後2年までかかる.
(E)皮質ー皮質下連結通路と短間隔神経間結合.
これら結合(例えば,非特殊的視床核と連合領野の連結)は生後4カ月まで,髄鞘化は始まらず,10歳 以上までかかる.脳梁の髄鞘化は6歳でほぼ完成し,その後10歳まで続く.

 以上,髄鞘化を指標にした脳の機能の発達経過から,外因的プロセス(環境刺激の影響)が作用して生 じる脳の発達は,脳部位によってその生活年齢的時期が違うということ,とりわけ,(E)で示したよう に誕生後2,3カ月は辺縁系・皮質下領域は大脳の抑制的制御から独立して機能している時期であること がわかる.この時期,辺縁系・皮質下領域は制御中枢として,ヒトを環境に適応させる働きをするのであ る.
 この時,脳のどの領域が髄鞘化・回路安定化を開始するかは遺伝プログラムによって内因的に決定され ているのか,学習の蓄積が,次の領域の回路網の髄鞘化を創発させることも考慮可能なのか? を検討す る必要がある.この段階で言いうることは,次のことである.
(1)感覚モダリティ間には少なくとも共通の空間・時間準拠枠に基づく同型性が保証されなければなら ない.この同型性の保証も外因的プロセスと言える.なぜなら,環境刺激はいつも複数要素で構成されて いるので,同時にほぼ全ての感覚を刺激する.例えば,赤ちゃんにオッパイを飲ませる時,触覚・前庭系 ・視覚・聴覚・運動感覚に同時的入力がある(Sternのamodal perception 1996). 赤ちゃんがこれらの入り口の違う複数入力を統合して単一の‘もの世界’として把握し出力するには,聴 覚空間・視覚空間・運動空間は同型的に共通していなければならないのである.
(2)感覚モダリティによって髄鞘化の時期がことと各感覚モダリティ空間を同型的に構築することとの 関係についてである.最初に一つの感覚モダリティで空間準拠枠を作り,それを次の感覚モダリティの準 拠枠に流用(コピー)する方法を用いると問題はない.このことで発達の経済を行っている可能性がある ことである.視覚空間と聴覚空間と運動空間との枠組みは共有しなければ,効率的な適応行動はできない ことになる.

2.3.シナプス変化を指標にした外因的プロセス関与のメカニズム
 津本(1986)によれば,発達脳の可塑性(外因的プロセス)は過剰の神経回路の存在とその淘汰によ って支えられている.つまり,過剰細胞の細胞死が各々の領域で時期を異にして生じることで可塑性をも たらすのである.ネコの大脳皮質視覚野で細胞死が生じるのは生後2週目以降であり,それは眼から感覚 入力が脳に到達する時期に対応している.可塑性のもう一つの因子は過剰シナプス(異所性投射)である. 異所性投射は,健常な脳の場合はある年齢で淘汰され消滅するが,健常回路が損傷されている場合に代替す る役割をもつのである.過剰シナプスは神経回路網が生後の入力に応じてその結合回路を変え整備することが出来る基盤である.つまり,入力に応じ活性化することが出来たシナプスは生き残り,応じることが出来なかったシナプスは淘汰され脱落するのである.このシナプス競合という現象が生じるのは,可塑性シナプ スの持つ次のような特徴によってである.
 その一つは,シナプス前線維の伝える信号がシナプス後細胞を興奮させた時,そのシナプスは強化されるということ,二つ目は,シナプス前線維が何も伝えないのに後細胞が興奮したりシナプス前線維が信号を伝えたのに後細胞が興奮しなかった時,そのシナプスは弱化するということである.つまり,当該のシナプスで結合されている前と後の細胞が同期的に活動するとその細胞のシナプスは強化され,維持されるのである.そして同期的活動が保障されなかったシナプスは弱化し淘汰される.この強化はシナプス後細胞からシナプス前細胞への神経栄養物質の供給によってなされるということはよく知られた事実である.

2.4. 津本の生得的細胞教師説について
 津本は視覚投射領での特徴抽出性ニューロン(例,傾き選択性)が幼若期の視覚環境によって変更を受ける メカニズムについて生得的細胞教師説を提案している.すなわち,開眼時,少数の生得的細胞(単純細胞)は遺伝情報によって固有の傾き選択性(特定の傾きを持った線刺激によって活性化されること)を既に持っている.しかし,大部分の細胞は白紙の状態にあるとする.生得的選択性保持細胞は周囲の白紙細胞に軸索側枝をもち,自己の活性時に同期的活動を促す.この反復により白紙細胞は固有の傾き選択性を持つ細胞に変身する.この機構によって,脳回路網は,周囲の細胞を巻き込み,コラムを作られるのである.
 私はこの説を全ての脳回路での環境刺激による影響を説明するものとみなしたい.脳発達の順序性と階層性もこの説で説明可能である.例えば,感覚系の髄鞘化に象徴される機能化は前庭系,身体感覚,聴覚,視覚の順で外因的プロセスの影響を受けるように遺伝的に規定されている.澤口(1989)は類似の機能を受け持つ(例えば,各感覚モジュール)領野は類似の細胞構造性を持ち,かつ,相互連結されていることを指摘し,これがsparingを可能にするとした.言い換えれば,先に機能化した感覚系の回路網を基準(教師)にして,その後に作られる感覚系は先の感覚系と同型的に作られる.つまり,各感覚系は相互連絡を完成すると共に,共通感覚(amodal perception)としての外界の認識を可能にするのである.このことは,コップが地面に落ちる(視覚入力)と同時にコップの割れる音がする(聴覚入力)状況をコップが割れたと判断するという例に見られるように,物理的世界が複数感覚への同期的入力をもたらすという特性によって強化される.
次に,このプロセスは共通感覚のための特定領域を必要とする.個々の感覚系の上位階層にこの共通感覚領域を作り上げるのである.新生仔期の仔ネコの大脳皮質では,津本は各感覚系の臨界期にまだ存在している過剰な異所性投射が, 感覚器の損傷により入力を受容できない感覚の脳領域を,非損傷感覚(聴覚)が取り込むことを可能にする生物学的基盤であるとみなした(1次,2次聴覚野から同側半球および対側半球の1次,2次視覚野へ直接投射があるという.この成熟脳には無い投射は生後38日まで消失してしまう).Neville & Lawson(1987)は先天聾の成人で,視覚入力によって聴覚皮質に活動パターンが見られることを報告している.かれらは,このことが生じるのは,幼児期に視覚野から聴覚皮質に異所性投射があることを指摘し,これが通常では消滅するのだが,聴覚からの入力が無い場合にこの投射が維持されると考えている.同じく,盲人にとっては,視覚領は入力が無い故に,使用されないので萎縮が生じると考えられるが,彼らが点字を読んでいるときに後頭部に磁力による妨害を与えると,その間,点字が読めなくなったとも考えられる.これは,空間認識に特定した共通感覚領野が視覚領内に異所性投射を通じて出来上がり,点字を読む際に,指先からの触覚入力を受けて機能することを示す.多分,空間処理の為の上位階層的回路(共通感覚Damasio(1994)の言うconvergence zone)が視覚領に作られ聴覚感覚も,空間認識の際に,これを利用していると考えられる.

2.5. 機能コピー説
 ここで,我々は生得的細胞教師説を拡大して,機能コピー説を提出したい.機能コピー説とは,もう既に適応的に活動しているより下位の脳内処理系の反復的活動が,生得的に過剰結合(異所性結合を含む)をしている上位階層の処理回路を,当初は,随伴的・附加的に活性化拡散させるのみであるが,徐々に選択的活性化が生じ,類似の機能を行う回路を作り上げる.この様にして,先行処理系の回路のコピーが当該処理系に出来上がる.このコピーが独立して,下位処理系を制御するようになることを機能コピー説とし,発達的には生後1歳で生じる,辺縁系制御から大脳制御への切り換えメカニズムとしてこの説を考えたい.
この説の利点は,微細なレベル(細胞レベル)から高次の統合レベル(処理機能系)まで同じ論理をリフレーンさせることによって,誕生直後には白紙に近い大脳における回路構築の説明を単純化させてくれる点である.この点は障害児早期療育のアイデアを生み出すのに非常に有効的に働くと考えられる.とりわけ,階層性原理は,原初的脳機能系の修復・強化・整備をいつも反復的に附加し続けることの重要性を示唆している.また,豊富環境での刺激作用が重要であるという視点を生みだすものである.

2.6. 自閉症の電子顕微鏡解剖学研究から
 Bauman(1991)は辺縁系(前頭基底部,網様系,とりわけ感覚連合領からの投射を受ける部分)・小脳の未成熟と損傷の解剖学的データを自閉症(9歳,23歳)児で確認している.彼女はこれらの解剖学的異常が自閉児の行動症状(目的のない過活動性,社会的相互作用の欠如,過剰探索行動,常同行動,新奇刺激に対する異常行動)を良く説明するとしている.また小脳異常によって,古典的条件づけ学習困難,感情行動の制御不可能性などが生じると措定している.彼女はまた,9歳の症例には存し23歳の症例には消滅している小脳に於ける異所性投射を発見し,初期の過剰回路網(異所性投射)が児童期まで存続し,9歳まで一定の適応的機能を代行していた可能性をも示唆した(23歳までこれが存続しえないことは異所性投射が思春期のホルモンによって影響を受けて脱落するのかもしれない).
また,辺縁系は,記憶,学習(とりわけ,条件づけ学習)の中枢であるばかりでなく,群居・社会機能の中枢でもあることから,自閉症の症状は辺縁系機能の障害と彼女は考えた.彼女のこの提言に従えば,辺縁系制御(感情システム本能行動)のリハビリテーションから療育を始めざるをえないことになる.辺縁系の記憶と学習の原理と,大脳制御の記憶と学習の原理とは,明らかに違うとみなすことにより,辺縁系制御から大脳制御への切り替えをどのような療育によって行うかを考えることが重要となる.TABLE 1.におけるRの症例は情動の発達(リハビリ)が非常に重要であることを示している.

2.7. 生後数カ月,大脳制御は行われていない
 我々はこれまで,発達障害児の早期療育を考えるとき,辺縁系(limbic system)機能のリハビリテーションという観点を抜きにして,如何に大脳の制御機能を障害児に獲得させるかに専念する(これは全ての行動を大脳制御化・意識化するというルネッサンス以来の人類の目論見でもある!)という誤りを犯してきたといえる.
 自閉症児は,通常,早くて2,3歳頃に,我々の所に相談に来る.健常児においては,この時期は大脳制御が徐々に機能している.かつ,言葉もアクセス可能になっている.それゆえ,自閉児も,とりわけ,エコラリアを発する自閉症に対して我々は,大脳制御をする者として応対するという間違いを犯すのである.
 舟橋(1994)は,Diamond, Goldmanの前頭前部と遅延反応の発達経過に関する研究を紹介する中で,「生後7カ月までの幼児は,両側の前頭連合野を破壊されたサルと全く同様の行動パターンを示すことから,前頭連合野はいまだ未発達の状態であり,生後7カ月を過ぎた頃から徐々にその機能が発現されるようになってくると考えられる」と結語している.舟橋の言に基づけば,子どもは,2歳から3歳になって初めて前頭連合野の機能の発現があるとされている.とすれば「それ以前,脳はどの様に外界を処理し適応的に機能しているのか?」という疑問に逢着せざるをえない.加えてその時の制御中枢は大脳以外の何処にあるのかに思いを巡らせるしかなくなる.
大脳制御から独立して,適応的行動を可能にする制御システムとして感情システム(辺縁系制御)を考えることができよう.LeDoux(1994)は「聴覚刺激を使った恐怖の条件づけに際して,大脳皮質聴覚野の存在は必要か?」という問いを立て,内側膝状体(間脳の視床聴覚野),中脳聴覚野損傷実験をラットに対して行い,恐怖条件づけが成立するための聴覚信号は,聴覚神経回路の中の視床聴覚野まで伝達されればよく,大脳皮質まで伝達される必要が無いことを示した.そして,視床から扁桃体外側核・基底核を経由して,大脳扁桃体中心核への情報伝達が恐怖条件づけを行うとしたのである.恐怖条件づけ成立時,同時的に存在する文脈・状況刺激の処理は海馬で行われ,処理された情報は海馬支脚を経由して扁桃体外側核へ伝達される.扁桃体外側核は大脳皮質聴覚野からも入力があり,大脳皮質は単純恐怖条件づけには必要ではないと結論づけることができる.大脳は,環境刺激が複雑になると(例えば,2種類の音刺激の一方に電気ショックを随伴させる)これらの音刺激を解釈するのに役立っているにすぎない.
彼は次に情動記憶について論じ,扁桃体外側核に線維を投射する視床ニューロンにグルタミン酸があり視床扁桃体神経路における長期増強(これは長期記憶形成時に作動する)と扁桃体内のMMDA(グルタミン酸)受容体の活性化を発見し,これが情動記憶の神経生物学的基盤であると提起した.結論として,彼は,基本的な情動記憶の座は扁桃体の神経回路網にあり,視床感覚野から扁桃体への経路は外部環境からの粗雑な入力を扁桃体に伝達し処理され感情反応をもたらす.一方,視床・大脳感覚野・海馬経由の入力は環境世界を詳細且つ精確に再現する情報を扁桃体に伝達する.この入力経路は前者に比して時間が多くかかるので,前者経由で既に扁桃体は活性化し恐怖反応を引き出している内に,大脳からの詳細な情報が,遅れてやって来ることになる.LeDouxの上記の見解は,大脳制御下の感情制御システムは,大脳からの詳細な分析情報がくる前に,先行して扁桃体で感情を生じさせると要約することができよう.Lewis(1994)のいう感情状態とは,扁桃体を中核とする辺縁系制御の結果として生じるこの反応を示す者である.それは大脳での情報処理に先行して,かつ,相対的に独立して出現することから,そのプロセスへの『気づき』が必要になるというLewisの感情論と一致する.
 ここに至って,やっと,我々は感情システム(辺縁系)が独自の学習・記憶・判断機能を持つとして,療育を考える妥当性を得たことになる.

2.8. 辺縁系による心理機能制御(感情システム)
 戸田(1992)はヒトの心的制御システムが2つの独立したシステムから成立しており,時と状況によって両者は時に相乗的に関係し,時に相互に抑制し合うとしていると示唆している.彼の論説を以下に述べる.
 感情は人間の生き様に大きな意義を持つ.あらゆる体験の記憶には感情が結合している.心理学は感情という心の働きを「本来,知的であるべき人間の心の正常な働きを妨害する心の雑音,もしくはあっても無くても良い存在」だとみなしてきた.戸田は感情を緊急状況対処行動システムとして捉えると,感情の働きには「合理性」があると提起した.感情の本来の機能は環境状況に応じて適切な状況対処行動を「大急ぎで」個体に選択させることであり,そのことによって個体が生き延びることを助けるものである.しかし,大急ぎで,固定した反応(本能行動)をすることは,時間の余裕のある「文明環境」では適切ではなく邪魔者となる.しかし,それが何億年という年月をかけて動物の種の進化と共に進化し,その間に大きなシステム的拡大と複雑化を達成したものであるがゆえに,ヒトはそれを捨て去ることは出来ない.むしろそれを利用し続けているという事実に目を向けるべきである.事実, 自己の生存が危うい緊急事態では,事態に対応して変化し恐怖状態にあるが,その恐怖状態に気づくのは,対処行動が効を奏し安全が保証された後であるとLewisは,高速道路でのスリップ事故を例にして,述べている.即ち,感情システムと知性システムは状況によって切り換えられると言える. 
 野生環境適応システムとしての感情システムは以下の特徴を持つ.
 野生環境適応的合理性:適応を脅かす緊急事態発生に対する最適対処行動を強い時間圧の中で迅速に対応できる反応システムが感情システムである.反応は生得的で,あらかじめ手続き化している.野生環境では感情に従って行動している方が,結果として合理的解決が得られる.
 感情システムは非常に精巧な心的プログラムを持つ:.このシステムの基本的枠組みは生得的に与えられたものであるが,各人が生存する局所的野生環境のその場その場の特殊性を「学習」可能である.しかし,学習といってもその基本的枠組みに「肉付け」をすることでより効果的・より素早く行動することを促進することにすぎない.学習は,生得的反応システムを解発させるキー(鍵)刺激・信号刺激を記憶す る形で行われる.
 感情システムは自立した処理機構をもつ:感情システムには「知覚」「認知」「記憶」「意識」「身体機能の生理的活性化」「学習」を含む.この経験は辺縁系・小脳に貯蔵される.これらのサブシステムを制御して感情システムは適応を達成してゆくのである.
 感情システムは協力集団生成・維持機能を持つ:この機能は感情の集団内伝搬・伝染として論議されてきた.このことはヒトが,野生環境では,集団で行動してきたことによる.愛着,社会性行動,対人関係技能は感情システムに含まれるのである(古塚,1994).

 では,感情システムは何処にその座をもつのであろうか? Issacson(1982)は種々の辺縁系損傷実験をレビューして,感情システムの座は辺縁系にあるとした.辺縁系システムは,誕生時には,既に機能しているが,大脳は未だ機能化していない.我々は,ここで,辺縁系制御の下に適応的行動を反復する中で,辺縁系に連結した追随的拡散的活性化を通じて,大脳回路網の確定化(過剰回路・異所投射の消長,シナプス変化,髄鞘化)が行われ,その後,辺縁系の生得的な機能が大脳に移行するという機能コピー仮説を提案する.本吉(1982)は,心理学の対象である行動を認知過程と達成過程に弁別し,乳幼児期においては,常識に反して,達成過程が認知過程を制御すると提起した.この提案はヒトは初め環境適応のための原始反射・生得的本能行動など出力系を基盤にして入力系を調整する乳児の傾向性を指摘したものである.戸田はこのように,ヒトは感情システムと知的システムとの二つの適応システムを共存させていて,時に競合的に,時に相乗的に働くと考えている.そして誕生後1年は辺縁系制御下に置かれ,その反復的活性化が大脳制御をもたらすのであり,その移行には辺縁系制御の行動論理を利用するというスタンス(バイアス・制限)が存在することを示唆する.

2.9. 障害児の早期療育を考える際の要件
(1)上部構造を作ることの困難:
 障害された脳では,上記の生得的機能教師説は十分機能し得ず,多くの困難をもたらすことになる.例えば,(A)それ以前に機能を獲得した生得的機能としての脳構造部分が不全であるが,生徒としての回路構造はそれが正常であるとき(教師としての辺縁系の機能不全だが,生徒としての大脳は正常),(B)生得的機能教師は正常であるが,生徒となる脳部位が不全であるとき(辺縁系正常ー大脳機能不全),(C)教師,生徒双方とも不全である(辺縁系,大脳共に機能不全)ときの3つが考えられる.我々は,高機能自閉症児を(A)の典型と考える.また(B)は生後に損傷を受けた脳障害児であり,(C)はダウン症などの精神遅滞を考えている.とすれば,上記,(A),(B),(C)に対応して,それぞれ異なった適切な療育を行う道を探ることが必要となる.
(2)臨界期:
 特定の心理機能を担うモジュールは,その創発(出現)を遺伝プログラムに依存していると言われる.遺伝プログラムは創発を誘発させるが,モジュールが有効に機能するには,臨界期を中心に反復的使用(外因的プロセス)されなければならない.機能の反復的活性化が構造を整備させるのである.もしこの時期に機能の活性化を促す外部環境刺激が安定的に提供されなければ,加えて,先行処理システムによる適応的結果の反復(強化)が十分繰り返されなければ,当該脳構造部位の機能化は不十分となる.また,発達障害の療育にとって,外部環境刺激遮断ないし不足による2次的障害は避けるべき重要課題である.
 この問題に関して,Piaget理論に基づく発達スケールを作成した Hunt とUzgiris(1987)は興味ある報告集を出版し,その中でHunt(1987)は,孤児30人以上に保母3人の孤児院(MO)と孤児3人に1人の保母の孤児院(MC)と労働者階級の家庭(共稼ぎ夫婦)に育つ子ども(HR;home reared)を,Uzgiris-Hunt Scaleを用いて比較した(親の社会,教育,経済的階層は殆ど同じ).TABLE 3.に3つのUzgiris-Hunt Scale(ものの保存,音声模倣,ジェスチャー模倣)の最高レベルに到達した年齢(週齢)の平均値とSDを示した.ものの保存尺度では,環境が一番悪いMO群がMC群よりも42週(10カ月)遅れており,HR群よりも約65週(15カ月)遅れていた.次に音声模倣の方がジェスチャー模倣よりも養育条件の不利さに影響を受け易いことにHuntは注目し,ジェスチャーは視覚刺激であり,MO,MC群共に繰り返し見る機会があること,音声は聴覚刺激であり,養育者と孤児が1対1で音声ゲーム(まねっこ遊び)をし,養育者の発声を繰り返し聞くことが出来るのはMC群であることを理由にして,彼は音声模倣とジェスチャー模倣とがそれぞれ独立分離し,特殊的な(specific)感覚運動システムに担われていると推論している.
彼らのグループの1員であるWachs(1987)はこの考えをより推進し,環境因子が発達に及ぼす影響は知能に一般的(global)な影響を与えるのではなく,特定の環境因子は特定的の発達領域にのみ影響するに留まるという説を提起している.彼は12カ月から24カ月齢39人の乳児を被験者にして,環境条件と3つのUzgiris-Hunt Scaleによって示された感覚運動発達の関係を調べ以下の結果を得た.2歳の時の見通しの利用(the use of foresight)の発達レベルと相関するのは探索機会の多さ,家庭における子どもが利用できる個人空間の大きさであり,ものを取り扱う際のスキーマの利用度(schemes used in relating to object)の発達レベルと相関するのは物理環境の反応性の良さ(動きのある,音を出すおもちゃの数),刺激材料(おもちゃ)の多さ,母親の言語指示の多さであり,「もの」と「もの」との空間関係性(an understanding of relations in space)の理解では,物理環境の反応性の良さ,個人空間の大きさと正の相関をし,騒音・混乱度と家にいる人数とは負の相関をした.即ち,物理環境の複雑さは動機づけと探索心の良さと相関するが,言語・一般的認知機能の良さとは無関係であり,親の制限の多さは初期の空間能力の良さと相関するが,保存・言語発達には負の相関があることを結論している.また保存の発達は乳児の発声に対する大人の反応性の良さと正の相関,食事を与えるときの強制度と負の相関を示した.そして因果関係の理解の発達は,乳児の探索活動・大人の注意を引こうとする乳児の行動に対する大人の反応性の良さと相関していた(TABLE 3.参照).
この発達特定性を2.で論じた脳部位依存性の髄鞘化時期の相違ということに対応していると考えると,発達初期においては,領域特異的に回路網を整備し,外界の対応物(representation)を構築することに専念していると推論できる.つまり,療育は,一般的発達を目指すのではなく,臨界期をもつ特定の回路網(モジュール)の形成と整備に専念することが療育の初めに必要となる.TABLE 1.では,このことを一次感覚表象・感覚運動表象の形成にあたるとしている.