books「慰安婦」問題はどのように書かれたか
多くの分野の人たちが「慰安婦」問題に、日韓問題に発言した──それらを拾い集めた
あまたの関連本はあるが、手元にあった本、気になって買った本によって、そこにある韓国・朝鮮観、「歴史観」「立ち位置」を見ておきたい。韓国人の日本(人)観も見たい。自己検証として──。


 

  • 歴史の中で語られてこなかったこと 網野善彦・宮田登
  • 仮面の国 柳美里
  • 期待と回想 鶴見俊輔
  • 韓国は一つの哲学である 小倉紀藏
  • 日本のイメージ 鄭大均

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    『歴史の中で語られてこなかったこと──おんな・子供・老人からの「日本史」』
     網野善彦+宮田登、洋泉社、1998.12

     網野
    「こうした『奴隷的』な兵士を相手にする慰安婦が、兵士以下の最悪の状態に置かれたことは間違いありません。慰安婦のいる部屋に兵士たちが行列し、一定の時間で性欲を処理したという話を聞いたことがあります。…」
    「そういう軍隊の兵士の相手をする娼婦が、どういう状態だったかを十分に考えておかないといけないと思います。『従軍慰安婦』についてのいわゆる『自由主義史観』からの議論は、そのことをまったく考えていませんね。…」
    「社会学者の上野千鶴子さんが『実証主義』だけではなくて、それよりも元慰安婦が口頭で話した言葉が資料として非常に重要だと言っていますが、この指摘は民俗学や歴史学に対しても重要な問いかけとなっています。」
     


     
     
    『仮面の国』
     柳美里、新潮社、1998.4

     朝鮮人慰安婦をめぐる問題について一部重複するが私の考えをはっきりさせる。
    ○ アジア諸国に対して旧日本軍の戦争責任を認める。
    ○ 教科書には、軍によって強制連行された朝鮮人は存在したと記述する必要はない。絶対に必要とするならば、軍による強制連行はなかったという説も併記すべきだ。
    ○ 元慰安婦に対する民間からの補償を、元慰安婦は受け取るべきだ。もし慰安婦側があくまで国家補償でなければ受け取れないと主張し続けるならば、司法の判断に従うしかない。
    ○ 南京事件はジョン・ラーベ氏の『南京の真実』を資料として尊重すべきだ。
    ○ これらの歴史認識に早く決着をつけ、アジア諸国との友好を深めたい。
    (発表時、1997.12)
     
     


     
    『期待と回想』下巻
     鶴見俊輔、昌文社

     慰安婦問題について=抜粋=

     きょうは最後に「慰安婦の問題」を置きたいと思って、ここに来たんです。いままで私はこの問題について発言をしたことがないので、どこかで発言しないといけないと思っていました。
     日本軍の慰安婦問題ですが、戦後から五十年たった去年(注・1995年)、「女性のためのアジア平和国民基金」が八月十五日にスタートしたでしょ。戦争中、日本軍によって「従軍慰安婦」とされた女性たちに対する償いを目的にしたものです。私も基金の呼びかけ人の一人ですが、大沼保昭、和田春樹、萩原延寿、高崎宗司といった私より若い呼びかけ人もいます。「国家補償」ではなく「国民からの募金による」ということで、韓国、フィリピンなどアジアの国々から批判の声が起こり、日本でも議論がつづいています。
     日本軍、日本人はアジアのいろんなところで、ものすごく悪いことをしてきているのだから、それに対するうらみが残っているのは当然なんです。呼びかけ人になり、こうした運動を進めるということは、みずから選んで進み出たのですから、アジアの国々から叩かれるのは当たり前だと思う。大沼さん、和田さんたちは戦争中、子どもだった。萩原延寿はまだ旧制高校の三年生だから、自分には直接の責任はないでしょう。責任はないけど、自分であえて呼びかけ人になりアジアの国々から「殴られるあいつ」というポジションを選んだと私は思っていますね。韓国に行って、フィリピンに行って、「戦後処理を清算していない」「国民感情として、民間の募金は納得できない」と叩かれている。「殴られる」位置を選んだのだから、叩かれつづけるしかないと思う。私はそれでいいと思う。

     日本の内部からも「民間の募金はけしからん。国家がやったことたから、国家か補償するべきだ」と批判が起きていますね。もちろん私も国家は謝罪すべきだと思っています。しかし、ゆっくり考えてみると、日本の国内事情からいって「国家補償はやらない」ということになるのではないでしょうか。 私からすると、民間の募金運動に対する批判のやり方は、どうしても「東大新人会」とかさなってくるんです。戦前の東大新人会は、革命政権で国家を倒して、すげ替えるというところまでワーッともっていったでしょ。統帥権というものをやめ、衆議院一本にするといった吉野作造という人たちまで叩き、ついに反動の側にまわしてしまった。東大新人会のこうした論理と同じことをくり返すことになると思う。
     この人たちは「日本政府は民間募金で済ませようとしている」といっている。私もそうした政府のやり方には反対しています。だが政治的、思想的に一つに擬り固まると、いいことはない。東大新人会が戦前から戦争中にどのような軌跡をたどったのか、その後の五十年を見ればはっきりしているでしょ。その運動の中で国家によって殺された人はもちろんえらいと思っています。しかし、「殺されたからえらい。そのかれを見よ」という資格はわれわれにはないでしょう。私はそうした考え方に根本的な疑問をもっているんです。「殺された、かれを見よ」。こうしたかたちは、結局、キリスト教がつくったと思う。権威をもった宗教はそうしたすり替えをやるので、私はきらいなんです。そうした考え方にはマンガ的に対抗したいんだ。そこにこそ宗教性がある、というのが私の考え方なんです。

     アジアに対して悪いことをしてきた。そのことに謝罪するポジションに来たのだから、アジアの国々から叩かれつづけていなければいけない。拳闘のリングの上に立ったのだから、殴られて殴られて殴られて、殴られつづけることが重大たと思う。すごくいいことじゃないかな。
     先日、和田さんに会ったところ、「国連人権委員会でのクマラスワミ報告が採択されたのはありがたかった」といっていました。慰安婦制度を軍事的性奴隷ととらえ、問題を解決するための方策を日本政府に勧告したでしょう(一九九六年二月)。和田さんは「これで問題がはっきりする」といっていました。和田さんのような精神でやるべきですね。世界のそれぞれのところで「日本はけしからん」といっていくのは当然のことです。
     同時に、インドネシアと中国の場合のように「国家にお金を」といっているところもありますね。だが慰安婦の問題は個人の人権にかんすることなので、あくまでも個人に対して償いたい。「国家にお金を」というのは問題のすり替えですね。それに対しては「すじがちがう」といって、くり返しくり返し押し問答をしていくべきことだと思っています。
     フィリピンの場合は、自分は慰安婦だったと率先していった人がいましたね。その人が民間の募金を受け取る側に立った。同時に「国家に対する補償要求もつづける」といっている。これは当然です。私はそう思っている。フィリピンでは、ほとんどレイプによって慰安婦にされたという。日本の官僚は「レイプと国家の強制した慰安婦になるのとカテゴリーがちがう。だから同じように扱 えない」といっているけど、そうしゃないでしょ。レイプによって慰安婦にしたわけだから、一緒に扱っていかなければいけない。運動をそのように広げていかないとね。
     日本の政府はあの十五年戦争のとき、「これから百年戦争を戦い抜く」といった。「この百年戦争を戦い抜き、本土決戦で一億玉砕しても国体を守る」。百年戦争という政府と言論人のかけ声のもとに戦争はつづけられ、沖縄での地上戦をつくりだした。そして戦後の好景気は、沖縄に米軍基地を集中させることによって保たれてきた。その百年戦争でいえば、百年戦争の終わりのころには、いまよりもう少し前に進めると思う。
     慰安婦の問題は、お金を渡して「はい、済みました」という問題ではないでしょ。「こんなことじゃ済まない」と押し合いへし合いすることで、問題がはっきりと浮き上がってくる。そのことが重大なんです。あの戦争のときにとんでもない奴がいたわけで、そういう人間がその後も日本で責任のある位置にいた。いまもいる。このことを世界に知らせることです。くり返しくり返しアジアの国々から叩かれる。ボクシングの負ける側のように殴られつづけることです。
     その意味で私はこの民間募金の運動を支持するし、自分が呼びかけ人として入ったポジションは撤回しません。私の立場はそうです。

     私は戦争に行ってるけど、古山高麗雄〔作家)に近いと思っています。かれの仕事にとても共感してる。戦争中の回想を読んだのですが、古山は戦争中に三高からずりおち、永井荷風を見知った人として、戦争に背を向けた暮らしをしていたそうなんだ。そうした仲間の一人にのちに日立製作所会長になった倉田主税の息子かいて、彼は玉の井の女性と一緒に住んでいた。そして召集令状がきたとき、家に立ち寄ることなく女性との部屋からまっすぐ軍隊に入った。家に帰り「万歳」で見送られて出征すると、自分がためになると感じたそうなんです。
     私は心を動かされましたね。そこが戦争中、いまでもそうなんですが、私が心を置こうとしている場所なんだ。慰安所は、日本国家による日本をふくめてアジアの女性に対する凌辱の場でした。そのことを認めて謝罪するとともに言いたいことがある。
     私は不良少年だったから、戦中に軍の慰安所に行って女性と寝ることは一切しなかった。子どものころから男女関係をもっていた、そういう人間はプライドにかけて制度上の慰安所にはいかない。だけど、十八歳ぐらいのものすごいまじめな少年が、戦地から日本に帰れないことがわかり、外地で四十歳の慰安婦を抱いて、わずか小時間でも慰めてもらう、そのことにすごく感謝している。そういうことは実際にあったんです。この一時間のもっている意味は大きい。
     私はそれを愛だと思う。私が不良少年出身だから、そう考えるということもあるでしょう。でも私はここを一歩もゆずりたくない。このことを話しておきたかった。
     


     
     
    『韓国は一個の哲学である〈理〉と〈気〉の社会システム』
      小倉紀藏(おぐら・きぞう)著、講談社現代新書、1998.12

     著者は現在、京都大学大学院准教授。
     1959年生まれ、東京大学ドイツ文学科卒業、電通を退社し韓国留学。ソウル大学哲学科博士課程修了、韓国哲学専攻。
     『韓国人のしくみ』講談社現代新書、01.01
     『韓国、引き裂かれたコスモス』、『韓国、愛と思想の旅』『韓国インパクト』『心で知る韓国』『歴史認識を乗り越える』ほか
     自身でいうと、『歴史認識を乗り越える──日中韓の対話を阻むものは何か』(2005、講談社現代親書)と格闘中。
     

     朝鮮、韓国とは一つの哲学。この哲学とは〈理〉。
    「〈理〉とは普遍的原理である。天すなわち自然の法則と、人間社会の道徳とが一ミリの誤差もなく一致した、いや一致すべきであるとした、絶対的規範。今の韓国人の道徳志向性は、この伝統的な〈理〉志向性の延長なのである。」
    「〈道徳志向性国家〉の韓国において、道徳の最高形態は、権力と富とともに三位一体のセットになっている時であると考えられている。韓国人が理想とする人生もまた、この三つが無欠でそろっている状態である。」
    「〈気〉というのは、いまの言葉でいえば、物質性だ。すべての物は、〈気〉でできている。」
     …〈気〉は一つ(一気)であるが、陰と陽の二気に分けられる場合もあり、五行(木火土金水)に分けられもする。
     ──ところから本書は展開される。朝鮮王朝による儒教化によって儒教国家となるが正確には朱子学国家。〈理-気〉をキーワードに、韓国という哲学を分析してくれる。

    「普遍原理」志向のあまり排除を生む

     勝手な拾い読みをすると──
    「韓国は日本よりも上位者=〈ニム〉であるから、上位者の役目として、下位者=〈ノム〉の日本を教育してやらねばならない。/韓国が日本に対してつねに教育的態度で接するのは、このためである。これは理不尽な尊大なのではなく、〈理〉の果たすべき使命を行使しているだけなのだ。/金泳三が大統領時代に『目上である韓国に対する礼儀のなっていない日本の根性をたたきなおしてやらねばならぬ』という意味の言葉をいったのも、韓国の〈理〉的立場からしてみれば当然の発言なのである」
    「〈民族ハン〉を吐露する舞台のひとつが、マスメディアだ。百花繚乱の趣さえある。…/「従軍慰安婦」、「妄言」、領土問題など、道徳的志向性の題材は事欠かない。/そしてこの道徳的志向性を最大限に増幅したのが、北朝鮮である」
    「憎日の感情が、『憎まねばならない』という〈理〉によって当為化されているのだ。…/『日本人に対して反抗心がないなんて、韓国人ではない』…」
    「反日という〈理〉が〈韓国人〉という幻想共同体をつくる。そしてその〈理〉に疑問をさしはさもうとする人間は、『韓国人』という共同体から排除されるのであった」「韓国人は、民族・国家という〈理〉にしばりつけられている」

     日本からカネをもらったとして元「慰安婦」たちをいじめる、女性主体の「運動体」の顔たちが思い浮かんでくる。
    「韓国におけるフェミニズムとは、朱子学的普遍運動のひとつである。…〈女〉も〈理〉を露わにできるのだと主張するのが韓国のフェミニズムなのである。…/下位者であった〈女〉を上位者の位置にひきあげることこそが、フェミニズムの仕事なのである」
     上にいるものは、より上をめざす。下をあっさり見下し切り捨ててしまうか、正しい〈理〉の実践、指導にだまってついてくるべきものという扱いになる。「日本の汚い金をもらったあんたはただの売春婦」といってはばからない、あの運動を主導する女性エリートたちは、マイナス10度にもなる冬のソウルを、高級な毛皮コートを翻して闊歩しているに違いない。(この段落のことは、実体験、実見聞を下敷きに書いた。)


     
     
    『日本(イルボン)のイメージ 韓国人の日本観』
      鄭大均 著、中公新書(中央公論社)、1998.10

     1948年岩手県生まれ、立教大学卒業、米・韓国の大学を経て東京都立大学教授。「韓国のイメージ」も同じく中公新書。

    「相互不信や相互懐疑が日本人と韓国人の眺め合いの基調となっているような今日、私たちは意識下に埋もれてしまいがちなもう一つの眺めを想起する必要がある」
      ──韓国人の日本に対する眺めにはどのような特徴があり、そこで認知された日本像とはどのようなものであり、それは韓国人の自国に対する認知像によってどのように規定されているのか…。つきつめると韓国には「文化的優越意識や懐疑主義」があり、それにはまた異論や批判もあることを、多数の資料・材料を提示して説いている。たとえば──
    「韓国は常に包装されない露骨なナショナリズムを表に出すために結果的には大きな副作用を引き起こし、国益を損なうという逆説的な自己矛盾の弱みを持っている。…」(金龍瑞、1995)

     著者が、つぎのように書くとき、むしろ日本の「進歩派」といわれれる人々があわてるだろう。
    「…植民地時代とは今日の韓国の公定史観がいうほど単純に過酷で悲惨なものだったのだろうか。仮にそうだったとして、解放後の韓国人が戦後の日本人の過去史に対する集団的な責任を問う態度は正当なものだろうか。そもそも今日の韓国人が植民地主義に対する反動形成の域を出ていないは異常なことではないだろうか」として、引用した三人の韓国人の言説がいうのはそのようなことであり「私たちはこれを植民地世代の墓碑銘として読めばいい」と断じる。
     反日主義をめぐる論争があることを紹介して、著者はこういう。
    「この反日主義は相互交流や相互浸透という新しい日韓関係の展開にともなって、むしろ活性化している」
    「あるタイプの日本の知識人が反日主義を積極的に支持し、韓国の反日主義者からその道徳性と韓国理解の深さを賞賛され、友好のかけ橋とおだれられているがゆえに、自分が友好や理解と考えているものが、実は韓国人の日本や日本人に対する偏見やステレオタイプを支持しているに過ぎないのだということに気づかないという状況がある」

    「第三期の日韓関係を規定するのはこれら両国の進歩派であり、今日の道徳・心理劇的日韓関係の立役者は彼らである」
    「この新しい国際連帯にはいくつかの特徴があるが、最も重要なのは、これが自己否定派と自己肯定派の連帯であるという点であろう。つまり日本の進歩的知識人が自己(国)否定的な傾向を持つ人々であるとしたら、韓国側の進歩的知識人に見てとれるのは自己肯定的な性格であり、前者が自国のナショナリズムに批判的な人々であるとしたら、後者はむしろそれに肯定的な人々である。韓国においては、進歩派であるということとナショナリストであることは矛盾しないのである」
    「在日韓国・朝鮮人に対する蔑視や差別を語る者は、自国のエスニック・マイノリティである在韓中国人の問題には無関心であり、隣国の教科書を批判する者は自国教科書のナショナリズムや文化的優越意識には無関心であり、また『慰安婦問題』に関心を寄せる者は自国の『人肉市場』には無関心なのである」
     著者がとなえているのは、「加害者・被害者」「贖罪者・糾弾者」といった「過去志向的な日韓の役割分担の永続化」への絶縁、であろう。それは「韓国人にとってはその多元化やナショナリズム批判を遅延させるものであり、誰よりも韓国人にとって不幸なことである」からだといっている。
     
    「加害と被害」「贖罪と糾弾」の構図を超える──

     鄭氏はしばらくの間、「東京新聞」でコラムを連載していた。ある日、大要こんなことを書いていた。──「北」は世界を相手にした、孤高の全体主義、韓国の反日主義も集団化して全体主義の様相を呈する。どこが違うのか。あまりに似て、そのどちらもが結局、民主主義を殺し遅らせている、と。大胆で的確な指摘だった。この本でも「封じ込められた言説に、…復権の機会を」と意図して、あまり取り上げられない韓国内(人)の発言を集めている。

     日本の一部では「謝罪派に対する民族の誇り」意識で反発し、安直な「歴史の読み替え」を進めようとしている。そんな対決・対抗的「民族・国家」論は胡散臭いが、それと好一対な態度が「日帝36年がある、それは韓国(人)にいってはいけない」という一見理解者の態度である。
     このテの、あらかじめ「理解する立場」を持ち出すつきあい方も同じく胡散臭い。このような「政治的立場」を前提にした知識的理解者の振る舞いには、これが正しいと思い込んで疑わない独善がある。知の押しつけがある。それでいてというか、だからこそ体内(胎内)に知識的態度では決して克服されない差別意識をつつみ隠しているのだ。

     この間、日韓にかかわる知識的理解者が「全体」をリードできるかのような思想・イデオロギーは破綻してきたし、これからも徹底して否定しきることが健康な関係回復の道だろう。
     いまだに、韓国の旧友知識人と会って理解してもらえば、庶民・弱者もふくめた「社会全体との和解ができる」かのように思い込み、出番を画策するなどの行動をみると、あまりにさびしい。じつは無数の人たちが行き来しながら、すでに、あらたな道筋をつくり出している。その流れは未整理でむずかしさも依然かかえてはいるが、たしかな実感を手にしている。そうした生傷絶えない動きから体験的・体感的つきあい方を知ってきている。

     日韓で圧倒的な大衆的体験が進行しているいま、そのうわずみ部分に、相変わらす「日韓親善業界」の「知識人」が登場しようとする。うんざりする。(『世界』誌上で、「日韓論壇リーダー」をめぐる争いのような、坂本義和氏の和田春樹氏に対する口を極めた当て擦り発言が池明観氏を前にして行われた。いずれも「同じタコ壺」の占有位置を争うだけの同業者なのだ。)
     もはや自己更新もできず、知の枠組みを前提にした旧来の「日韓関係」を見切り、あれやこれやの路地のつきあいをしていきたいものだ。

     日韓の「ベルリンの壁」を無にするためにも、裏も表もふくめた議論が知のレベルでも出てくるのはいい。世間では進歩人権派、韓国でもちあげられて、じつは権力的で鼻持ちならない言動が横行している。そのようなところをついている、ある種の批判は、あながち不当ではない。自己責任で公然と論争もせず、自己検証もせず、「人を悪くいう議論ではだめだ」などと逃げるのでなく、ここらで、表舞台で鼻血を出すくらいの論争をやってほしいものだ。