contents

インドネシア元「慰安婦」と「女性国際戦犯法廷」


2000年12月、都内で「女性国際戦犯法廷」という運動集会が開かれた。その間、来日し参加していたインドネシアの代表当事者、NGO,議員がアジア女性基金に接触した。かれらからは「基金」に対して、「インドネシアでも個人にアジア女性基金事業を実施できないか」という趣旨の質問がなされた。
その代表団で日本に来ていたが、「基金」との接触に同行しなかった日本人NGO・教員、木村公一氏が、当方の公開の質問に対して、バウネットを介して個人あてにメールを送ってきた。当時、名を伏せて公開したメールのやりとりを、ここに記録として残すことにした。──原田
木村公一氏はその後、インドネシアを離れてイラクに行き、最近はイラクで亡くなった日本青年の家族に面会するなどしているようだ。
2004.10.

***
▽ML上に掲示

1991.3.18 はらだ、です。
女性国際戦犯法廷で、インドネシアの元「慰安婦」とされる女性たちから、アジア女性基金を受け取りたいとの発言があったと聞いたので、確かかどうか答えを期待してここ(AML)に掲げたのですが、答えは沈黙でした。主催のVAWW-NET JAPANあるいは、参加者からも一向に答えがありませんでした。
「被害者が主役」「法廷の権威は彼女たちによっている」などという割りに、「慰安婦」被害者の言動に、無頓着な傾向があるようです。

代わって、インドネシアの「代表の一人」となのる日本人から個人宛メールが来ました。それによると、アジア女性基金を受け取りたいとの「発言」はなく、それどころか「行動」があったということ(受け止め方)です。
その事態について、支援者が自ら口を「封印」したのだという説明です。当事者の意思を最大限尊重する、行動したことには口を閉ざす、アジア女性基金は「非道徳の善意」とつづくのですが、やや理解しにくい「文」と思えました。
一方的な仁義によって氏名も伏せてごく主旨の部分だけを公開します。

*********************
▽個人あてにきたメール

CC : VAWW-NET Japan
<vawwjs@jca.apc.org>, VAWW-NET Japan
<vaww-net-japan@jca.ax.apc.org>
送信日時 : 2001年 1月 29日 月曜日 9:47 PM
件名 : ご質問に対する答え
*********************

インドネシアの代表のひとりとして法廷に参加したのであなたの質問にお答えします。

質問1: (2000年)12月、東京都内で開かれた「女性国際戦犯法廷」開催中に、インドネシアから参加したイブ(元「慰安婦」被害証言者)が、「アジア女性基金(「償い金」など)を受け取りたい」と発言したと伝え聞きます。その事実は本当でしょうか。まだそのような事実は主催者等から一切明かされていません。だれかに、なにかの理由で、被害者の意志が封印されたのでしょうか?主催者、参加者にうかがいます。
答え: 「発言した」事実はありません。「発言」ではなく、行動にでたのです。…この事件にはわたしを含めて多くのこころあるインドネシア人が衝撃を受けました。

日本政府の反人権政策の故に貧しい生活を余儀なくされている多くの被害者たちは、国民基金が日本政府の責任逃亡機関であることを知っています。ある被害女性はわたしに次のように言ったことがあります。「国民基金はわたし達を飢えた馬のように見ているようだ。目の前にぶら下げられたトウモロコシを腹のすいたインドネシア被害者たちは喰らいつくに決まっているとでも思っているのでしょう」と。けれども、このような夫人ばかりではなりません。韓国や台湾の被害者達とは異なって、自国の政府の支援を置けることの出来ない彼女たちの間には、貧しさの故に、屈辱をしのんでも、「償い金」を欲しいと思うひともいるのです。

この彼女たちのジレンマを理解することが彼女たちのと連帯の出発点でもあります。わたしの知る限りVAWW−NET Japanはその連帯から出発したのだと思います。「償い金」の出所がどこであれ「償い金」を受けたいと希望するのを妨害する権利はわたしにもあなたにもありません。だからこの事件は本当に残念な事件であったと思います。こうして、国民基金はその財力に物を言わせて、被害女性たちの運動に分裂をもたらすのです。この事件を聞いたわたしの知る良心ある日本人はみな、日本の市民運動の貧しさと弱さを知らされて打ちのめされ、黙したのです。支援者が自らの口を「封印した」のであって、「被害者の意志が封印された」のではありません。

質問2: また、この件に関連してでしょうが、インドネシアから来日したNGO代表者らの間で、帰国後、激論・口論があったと聞きます。同じく同「法廷」主催者、参加者に、フォロー情報にそうした混乱があったか、なんらかの対応をしたかについてお聞きします。
答え: 混乱は5年前からありました。これを一番よく知っており苦労してきた方が、「インドネシア法律扶助協会ジョグジャカルタ」の責任者ブディ・ハルトノ弁護士です。VAWW−NET がどう対応したかについてわたしは知りませんが、わたしは、インドネシアの人々の理性を信頼し任せることが最善の道であることを、VAWW−NET関係者にに助言したことがあります。何しろ国民基金の誘いをめぐる対立は大変センサティヴですから外国人の口出しは慎重にならざるを得ないのです。

わたしが常に感心してきたことは、そのような対立があるにも関わらず、インドネシアの人々は根気強く、対立を乗り越えてきたという事実です。ブディハルトノさんは以前わたしに次のように語りました。去年の半ば頃から、欧米のNGOが「慰安婦問題」を関心を示して活動資金を出すようになって、はじめて活動しはじめた人々(NGO)は被害女性のジレンマや慰安婦問題の歴史をまだ深く理解できていないようだ。これは課題がひろく社会化されるときに起こる問題です、と。

*********************
その後のメールやりとりから
質問:はらだ、答え:木村氏
*********************

質問:
戦後補償の運動を進める上では被害者が主体であるから、その意思を知っておきたいという趣旨での質問であることはご理解いただいたでしょうか。
答え:
戦後補償の運動の主体である被害者の願いは、わたしの知る限り、日本政府の補償であって、「国民基金」からの補償ではありません。日本政府と日本国民が無責任なので、ある被害者は、その経済的・その他の貧困の故に、「怒りをおさめ恥をしのんでも国民基金の『お詫び金』でもいいから貰いたい」と思っているのだとわたしは想像しています。
その日本国民のひとりがあなたでありわたしなのです。したがって、三段論法ではありませんが、あなたもわたしも無責任ということになります。その無責任の自覚がわたし達にどこまであるのかが、ここでは問われているのだとおもいます。

質問:
「法廷」主催者・VAWW-NET JAPANからはいまも「発言の有無」の質問に対して答えがありません。VAWW-NET JAPANから木村さんが答えるようにという依頼があったのでしょうか。先のメールは主催者の代理としてのお答えとして、「「基金」受け取り意思の発言はなかった」と受け止め、公開してよろしいのでしょうか。
答え:
「『基金』受け取り意思の発言はなかったと受け止め、公開してよろしいのでしょうか。」というあなたの言葉は、被害者のアンビバレンスな実存を抽象化してるように思います。あなたは「いいえ、わたしは発言の有無という事実関係について問い合わせているのだ」と反論なさるでしょう。その発言の有無について、先の返信に書いたこと以上のことを知らないわたしには、「公開してもよろしいかどうか」をこたえる資格はありません。したがって、あなたの第一の質問「1)戦後補償の運動を進める上では被害者が主体であるから、その意思を知っておきたいという趣旨での質問であることはご理解いただいたでしょうか。」に戻りますが、「基金」という同一対象に対して矛盾するふたつの感情または価値をもつ精神状態にある被害者のアンビバレンスを踏まえた質問であるとは思えません。

質問:
「事件」については「支援者が自ら口を封じた」というのは、どのような判断でしょうか? それは被害者たちや他の代表の意志でもあるということでしょうか。
答え:
日本人の友人たちは自らが、「腹を空かした馬の前に人参をぶら下げるようなことをする」(インドネシア被害者のひとりの表現)日本政府の横暴を許す無責任な日本国民のひとりとしての自覚から、被害者たちを責めることはできないので、自らの口を閉じたのであるとわたしは理解しています。
答え:
あなたの最後のご質問も、「基金」という同一対象に対して矛盾するふたつの感情または価値をもつ精神状態にある被害者のアンビバレンスを踏まえた質問であるとは思えません。…
インドネシアの被害者が言う「腹を空かした馬の前に人参をぶら下げるようなことをする」日本政府の横暴を結果として許しつづける市民運動の貧しさであり弱さであると、わたしは理解しています。

質問:
○○さんの書かれた──「償い金」を受けたいと希望するのを妨害する権利はわたしにもあなたにもありません。──ということに全面的に同意します。では、「事 件」について支援者は自ら口を「封印した」理由は何でしょう。人の心、意思というものは封印できないと思いますが。「基金」をめぐって個々の意見の違いがあることは自然なことで、「混乱」するのがおかしい思いますね。できれば総体として被害者の意思を最大限尊重して結果をだすことができればというのが「支援者」の立場であることは、…ご理解いただけるものと思います。
答え:
黙った理由は、インドネシアの被害者が言う「腹を空かした馬の前に人参をぶら下げるようなことをする」日本政府の横暴を結果として許しつづける市民運動の貧しさと弱さを自覚しているが故、また被害者たちに「恥をしのんでも国民基金の金を貰いたいと」言わせる(これは彼女たちに対する多重レイプです)日本人のひとりとして黙る以外に仕方がなかったのであると、わたしは解釈しています。

私たち…(団体名)では、「被害者の意思を最大限尊重」することが基本です。したがって、現日本政府の責任回避政策を幇助するいかなる思想・行動とも袂を分かつ方針で運動しています。あなたの質問をインドネシアの仲間達がどう受け止めるかと思い、伺ってみたところ、「この質問者は国民基金のシンパではないか、お金の出所は何でもOKですというのは無思想・無節操な態度だ」と大方の人々が答えていました。誤解のないように断っておきますが、あなたを批判したサラティガのこれらの兄弟姉妹たちは、被害者たちの痛みに深く寄り添って、しかも、正すべきところは正す姿勢をもって、連帯してきた人々なのだということです。

質問:
「法廷」の趣旨と結果についてどのような評価がなされたのでしょうか。「基金」反対ならば、騒ぐこともなく、ハルトノ氏、インドネシア政府とも個人支給は受けないとの方針を決めたために、結果として被害者たちは事業から排除されています。日本への提訴もなく政府支援もなく、「基金」事業対象者にもなりえないインドネシアの「慰安婦」被害者たちは苦しい状態におかれています。日本の事業を正確に説明されたこともないのですから、直接に「基金」が対立を生み出したとはいえないはずです。
答え:
「国民基金が日本政府の戦後責任を実現さすことを目指した道徳的な財団として被害者たちにお詫び金を支払うなら賛同します。しかし、敗戦直後に戦争犯罪の書類を焼却した男が初代理事になり、事実として日本政府の責任逃亡を助けているのですから、国民基金は非道徳的財団です」。ここに、 さてこの質問であなたの立場が明確になりましたので、議論が食みあいます。「日本の事業を正確に説明「国民基金に何の疑問も抱かないで自慰行為にふける『善良』な多くの日本国民」(…)と、アジアの民衆の越えがたい断絶を見るのはわたしだけでしょうか。

「被害者の意思を最大限尊重」することが大原則になっております。したがって、現日本政府の責任回避政策を幇助するいかなる思想・行動とも袂を分かつ方針で運動しています。そうは考えない団体もあります。わたしたちの団体はこの道筋が、「被害者の意思を最大限尊重」する道であると信じています。しかし、被害者たちが「悔しさを押し殺してもお詫び金を受け取りたい」という意志がおありなら、わたしもあなたもそれを邪魔する権利はありません。

アジアの民衆の視点から見ても、国民基金は非道徳の善意です。「政治的・社会的公認」をぼやかす国民基金でなく、日本政府が戦後責任を未だ認めていない現時点における第一段階として、日本政府に戦後責任を自覚させ、戦後補償を実現する「市民基金」(大島孝一)を充実させ、インドネシアの被害者のように自国の政府からも何の援助も受けられないでいる被害者の必要性に相応しい助けをしていくのが主権在民を憲法で保障されている日本国民のとるべきひとつの道徳的道であると思っています。

それと同時に、現在、民主党、社民党、共産党の三党がそれぞれに作成した補償法案の一本化をめざして調整を行っていると聞いていますが、この実現を期待しています。将来のこととして、補償立法が成立するようなことになれば、国民基金の存在が当然問題にされるでしょう。いろいろな解決方法があると思いますが、それはわたしの能力と時間をこえた課題です。その解決はみなさまの正義と理性に信頼しています。

この書簡の複写をVAWW−NET Japanに送ります。ご承知置きください。
 

********************
はらだ コメント
********************
キツネにつままれたような、禅問答のような答えに首をひねっています。被害者の意思尊重といいながら、なぜこんなに苦悩に満ちた文章になるのか解せないのです。
この答えの主に、わざわざ当方の質問メールを転送して、またこの方の答えのメールや複写を手にした方の「わかりやすい解説」をおねがいしたいと思います。(ccで打たれたメールですから。)

アジア女性基金が立派な解決であると思っていないという前提で、少しでも「基金」に理解したり近寄った被害者にがく然、びっくりするような「支援運動」に、ナイーブというより傲慢さを感じます。

川田文子さんから直接、「基金で被害者の尊厳が回復すると思いますか!」と詰められたことがあります。
熱心さのあまりとはいえ、「支援運動」の思い違い、傲慢さしか感じません。政府、国家の個人補償の道を開いていくことは運動の責任。
だからといって被害者の意思や行動をしばるのが正義とはならないでしょう。実際、韓国では、基金を受け取ったものを挺対協関係者らがいじめています。

わからないこと──。

○被害者中心ということと、支援者が被害者の行動に打ちのめされという脈絡がわからない。
○被害者がこういう行動をしたとして、それを衝撃、事件という受け止め方自体に、「被害者の意思を最大限尊重」する姿勢の真贋が問われないか。
○「責任者処罰」こそが大事、それを被害者も望み、歓迎したという「女性法廷」で被害者たちが見せた行動こそ対照的に見える。
○だれも押し付けはできない。あれこれの「運動」の理屈で解釈、解説するより、被害者たちの言動に「選択意思」を素直にみることができないのか。
○「基金」を受け取るような行動が衝撃となり、事件となるような、そんな運動自身が問い直されるのではないか。解決とはカネだけではないし、カネが無意味だと他人がいうことでもないはず。
○カネだとかニンジンだとかことさらいう立場には、裏返しの「カネに弱い」というカネ信仰と被害者差別があるのではないか。
○沈黙と不処罰の解消、解決をめざした「法廷」は、被害者の行動に「沈黙」し、被害者の意思を運動から勝手に解釈するという「罪」への不処罰問題を残しはしていないか。