韓国・遺族会 裁判経過
1990 韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会が日本に補償請求の提訴(代理人なし)。弁護士、日本の戦後責任をハッキリさせる会の支援を受ける
1991 12.6 東京地裁に国を相手に補償請求の集団提訴 (原告35人、うち金學順ら元「慰安婦」3人)、92年5人の元「慰安婦」追加提訴。のち1人離脱)
1992 韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会が政府により社団法人認可 。韓国政府の「給付」を受けるが、国家財政困難により停止されている
2001 3.26 東京地裁で判決 棄却
2001 4.6 東京高裁に控訴
2002 靖国公式参拝違憲訴訟原告に
2003 7.22 東京高裁判決 棄却
2004 11.26 最高裁判決 棄却
2005 4.26 靖国訴訟 東京地裁判決
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韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会の裁判、2000年1月31日結審韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会が提訴した「アジア太平洋戦争韓国人犠牲者補償請求事件」の裁判が1月31日に結審、その後の判決も早まる見通しになった。東京地裁で開かれたこの第33回口頭弁論では、判決日は指定されなかった。
この裁判は、同遺族会による元「慰安婦」、元軍人・軍属、遺族(原告40人)の戦後補償請求民事訴訟 。1991年12月6日に東京地方裁判所に提訴、訴訟原告代理人・高木健一弁護士、林和男弁護士、福島瑞穂弁護士ら11人。
金学順(キム・ハクスン、1997年12月17日死亡)さんら元「慰安婦」提訴の最初であり、元日本軍人・軍属、それらの遺族の大規模な戦後補償裁判として問題をひろめた。提訴から30回以上の口頭弁論(法廷)が行われ、9年におよぶ裁判となった。
日本の弁護士たち、そして戦後補償活動グループの日本の戦後責任をハッキリさせる会(ハッキリ会・臼杵敬子代表)が支援してきた。ハッキリ会では、その滞在費、行動費などのためカンパ、募金を呼びかけている。
ハッキリ会の連絡先は、電話03-5466-0692、寒灯舎。郵便振替口座は、00110-8-551701「日本の戦後責任をハッキリさせる会」。
梁順任(ヤン・スニム)名誉会長、金鍾大(キム・チョンデ)会長ら17人が来日
1月、結審の法廷はつぎのとおり。
▽第33回口頭弁論 (結審)
▽2000年1月31日(月)13時30分から15時
▽東京地方裁判所 713法廷
▽最終弁論
元軍隊慰安婦・金田君子(仮名)1938年から1944年まで中国・石家荘-棗強(なつめきょう)で「慰安婦」生活を強いられた。総理の謝罪の手紙を受け取ったが国側から「不知」とされたままである。
元軍人・鄭キ永(チョン・キヨン)1944年陸軍特別志願兵(学徒兵)。陸軍歩兵として中国・蘇州、太湖、杭州、上海。未払給与あり。慶尚南道出身、79歳。
元軍属・朴七封(パク・チルポン)1941年関東軍、44年台湾第71師団。マラリアで半身不随に。未払給与あり。全羅南道出身、75歳。
遺族・金鍾大(キム・チョンデ)全羅南道出身の父・金判龍が1941年海軍軍属徴用、44年8月8日戦死。
弁護団(高木健一弁護士ほか)国家無答責・統治行為論への反論、国際法上の権利、措置法違憲論など。
1月31日夜、集会「遺族会裁判の意義と今後の展開」日本キリスト教会館で
韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会と日本の戦後責任をハッキリさせる会は、結審の法廷の開かれる1月31日の夜、集会を開いた。
▽「韓国・遺族会裁判の意義と今後の展開」
▽2000年1月31日18時30分〜21時
▽日本キリスト教会館6階 A・B室
▽発言 遺族会金鍾大会長、梁順任名誉会長、原告たち、弁護士、ハッキリ会、平和遺族会連絡会など支援グループほか
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連絡先 日本の戦後責任をハッキリさせる会(ハッキリ会)電話 03-5466-0692(寒灯舎)
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