韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会の課題と主張

2003.5.
韓国・遺族会の課題と主張

1. 組織と活動(韓国・遺族会について)

@ 朝鮮半島出身の日本軍人・軍属動員24万4000人中2万2000人強が戦死・不明となっている。
A 団体名は、社団法人太平洋戦争犠牲者遺族会(キム・チョンデ会長)。(以下韓国・遺族会)
B 在韓国の元日本軍人・軍属、遺族、元徴用者、元「慰安婦」が集まる被害当事者団体(2万人強)。政府認可の社団法人。1974年結成、83年再編成し現在に至る。
C 1991年12月、元「慰安婦」も含め、日本政府に戦後補償を求めて集団提訴。内外に日本の補償を訴える活動をつづけている。(原告40人)
D 対日補償要求の法的解決を望んでいるが、あわせて一貫して人道的・道義的(政治的)解決を求め、政府機関、議員などとの交渉を重ねてきた。
E アジア女性基金については「反対はしない」立場から元「慰安婦」当事者の意思を尊重。元日本軍人、遺族、元徴用者らは、日韓の未来志向の立場に立って問題の人道的・道義的・政治的解決を求めている。
F 人道的措置の要請は、まず、(1)生死確認、(2)遺骨収集、(3)現地追悼。

2. 遺骨収集・現地追悼(主として元日本軍人・軍属、その遺族)

@ 朝鮮半島出身元日本兵2万2000人以上が戦死した。1984年までに日本は韓国に身元確認された8831体の遺骨を返還。旧植民地出身者で日本内外の死者の遺骨収集・追悼は手付かず。国としての明確な姿勢・施策がなく、例えば目黒区・祐天寺には1140体の遺骨がなお残されている。
A 国立の戦没者墓苑・千鳥ケ淵墓苑(環境省管理、面積約5000坪)。 昭和12年(1937)7月以降に政府などが外地から持ち帰り遺族等に渡すことができなかった遺骨を納める。外地での一般人犠牲者も含む。 昭和34年(1959)3月28日竣工、当日8万7000人以上の遺骨を納骨。 2001年現在34万6000人以上。
B 韓国の遺族たちは、遺骨が戻らず、現地での追悼もできないまま戦後57年を過ごした。早急に、当事者、遺族たちが日本の施策によって南太平洋の地域や東南アジア旧戦地へ行き、調査、収集、追悼の儀礼を行うことを望んでいる。
C 生死確認については戦後、韓国の遺族から問い合わせをすると、厚生省(現厚生労働省)が返答をしてきた。しかし、
D 韓国人戦死者、徴用労働死亡者の遺骨収集、返還は十分に行っていない。(日本人については毎年遺骨収集・慰霊巡拝・慰霊碑改修などに国の予算がつけられ実施。)
E 民間型の動きはつづいている。韓国・遺族会は独自に日本の協力者を得て、北海道、茨城の元炭坑町のお寺など)に残されていた遺骨を持ち帰り、追悼を行って仮安置している。

3. 日本国内の調査(主に労務徴用者)

@ 徴用労働に来て行方不明となった者が多く、徴用者の名簿40万人ほどが韓国側に渡り、遺族たちが調べている段階。しかし、名簿と消息の記録が炭坑などの企業などに残っていた者ばかりではない。朝鮮半島や中国人の墓といわれる場所が各地で放置されたままである。
A 日本の協力者によって関係資料が見つかった場合、可能なかぎり遺族らが来日して現地を訪問し、遺骨や遺品、確証の探索に努めている。
B 韓国人は、炭坑、鉱山、地下トンネル掘削などに従事した例が多く、北海道や九州に多数の足跡や善意の遺骨保管例がある。
C まず資料のある韓国人死者について、北海道、九州をはじめとして追悼の儀礼と追悼碑の建立のため、日本が公的措置を行うよう韓国・遺族会は要請している。
D 韓国に返還した徴用者の名簿自体が全体推定数からすれば少ない。名簿返還だけでなく、それを手がかりにした全国規模の調査と事後措置について公的措置がなされるべきだ。
E 軍人・軍属に比較して、徴用労務者、「慰安婦」についての記録、資料はきわめて少ない。民間の努力だけでは限界があり、国レベルで名簿、消息の調査を行うことが望まれる。
F 徴用労働者死亡者の多い地域では、日本のNGO有志が追悼碑を建立し、韓国・遺族会とともに追悼式を行ったりしている(例・群馬)。

4. 未払い給与・供託金払戻し

@ 韓国・遺族会の確認215人で約25億円──元日本軍人・軍属の未払い給与が東京法務局に供託されている。この確認により、2000年2月に韓国・遺族会役員、弁護士、支援の日本の戦後責任をハッキリさせる会が面談、申し入れを行った。申し入れついて「朝日新聞」は1月31日の夕刊と2月1日朝刊で報じた。すでに一次分として確認された人数は215人、合計32万3772円。これは物価換算して約25億円となる。1951年から53年に引揚援護局(現厚生省)が供託手続きしたもので、厚生省によると(供託した)朝鮮半島出身者は11万人、総額9000万円にのぼる、と報じた。
A 韓国に最終的に1993年に複写返還された元軍人軍属らの名簿によって、供託金の存在が確認されたのである。名簿には各人の供託金額が手書きで書き加えられており、照会、回答によって、東京法務局(日銀)に保管されていることが確認された。
B 韓国・遺族会当人や遺族らは、当然に個人財産として払戻しを要求している。
C 遺骨や遺品も返されない現状で、この供託金は「死者そのものであり、生きた証しの形見だ」と返戻をつよく求めている。
D なお台湾人元日本軍人軍属らの給与、貯金等「確定債務」として日本は一律当時の金額の120倍の金額を払い戻した。(1995年10月〜1999年度、軍事郵便貯金など 約128億円、生命保険会社15社 約17億円*一律120倍換算)

5. 結び

@ 当事者はすでに80歳を超えており、傷病に老齢が加わって、戦後補償がないばかりか、人道的・道義的な対応もないまま、韓国において「日本協力者」の社会的に負い目を意識せざるを得ない状態に放置されている。
A 日韓条約・協定によって韓国政府からの「民間補償」一時金は微々たるものであったし(19万円相当)、その受給者も少数な状態で打ち切られた。
B 「法的には解決ずみ」との政府対応では、戦後の心身にわたる韓国民関係者への道義は果たされておらず、人道的措置さえなされていないため、20世紀の遺恨となっている。世界的にドイツなどもふくめ「人道、道義」の名の下で、「追加措置」を重ねることで戦後の和解を図る動きがつづいている。
C 韓国・遺族会は、「あの戦争で同じく砲弾をくぐった者として」当事者や遺族がせめての人道的・道義的・法的な対処を日本に提起してきた。司法解決が限界だとすれば、人道的・道義的・政策的な「措置」によって、日韓の人々同士が未来に向かって「和解」の緒につけるだろう。まず以上の有為の措置が日本のこころとして実現することを韓国・遺族会は要請している。いまからでも、それらが日本から打ち出されるなら、必ずや韓国の人々と韓国社会に受け入れられるはずである。サッカー、ワールドカップの共催等を通した経験と気持ちの転換は、日韓の新たな関係を指し示している。
D 戦後50年を前後して、「慰安婦」、サハリン残留韓国人、中国遺棄化学兵器問題などに政府・国民が取り組んだ。以後も、より進んで在日の外国籍元日本軍人・軍属への弔慰金等、国の措置がなされた。最近司法においても、「司法以外の立法、行政の措置」を促す見解も出されている。
E 「慰安婦」問題に対するアジア女性基金事業に関し、これを受けとめたある元「慰安婦」が、「わたしは許す。そうしなければ神がわたしを許さないだろう」と述べている。