靖国神社参拝と総理大臣の談話

2001年8月13日午後4時半過ぎ、小泉純一郎総理は靖国神社を参拝した。
この日、総理は「談話」を発表。靖国参拝と談話を結びつけ両立させた点で、1995年の「村山富市総理談話」と政治的意味は大きく違った
 
 

小泉内閣総理大臣の談話

平成十三年八月十三日


 わが国は明後八月十五日に、五十六回目の終戦記念日を迎えます。二十一世紀の初頭にあって先の大戦を回顧するとき、私は、粛然たる思いがこみ上げるのを抑えることができません。この大戦で、日本は、わが国民を含め世界の多くの人々に対して、大きな惨禍をもたらしました。とりわけ、アジア近隣諸国に対しては、過去の一時期、誤った国策にもとづく植民地支配と侵略を行い、計り知れぬ惨害と苦痛を強いたのです。それはいまだに、この地の多くの人々の間に、癒しがたい傷痕となって残っています。

 私はここに、こうしたわが国の悔恨の歴史を虚心に受け止め、戦争犠牲者の方々すべてに対し、深い反省とともに、謹んで哀悼の意を捧げたいと思います。

 私は、二度とわが国が戦争への道を歩むことがあってはならないと考えています。私は、あの困難な時代に祖国の未来を信じて戦陣に散っていった方々の御霊の前で、今日の日本の平和と繁栄が、その尊い犠牲の上に築かれていることに改めて思いをいたし、年ごとに平和への誓いを新たにしてまいりました。私は、このような私の信念を十分説明すれば、わが国民や近隣諸国の方々にも必ず理解を得られるものと考え、総理就任後も、八月十五日に靖国参拝を行いたい旨を表明してきました。

 しかし、終戦記念日が近づくにつれて、内外で私の靖国参拝是非論が声高に交わされるようになりました。その中で、国内からのみならず、国外からも、参拝自体の中止を求める声がありました。このような状況の下、終戦記念日における私の靖国参拝が、私の意図とは異なり、国内外の人々に対し、戦争を排し平和を重んずるというわが国の基本的考え方に疑念を抱かせかねないということであるならば、それは決して私の望むところではありません。私はこのような国内外の状況を真摯に受け止め、この際、私自らの決断として、同日の参拝は差し控え、日を選んで参拝を果たしたいと思っています。

 総理として一旦行った発言を撤回することは、慙愧の念に堪えません。しかしながら、靖国参拝に対する私の持論は持論としても、現在の私は、幅広い国益を踏まえ、一身を投げ出して内閣総理大臣としての職責を果たし、諸課題の解決にあたらなければならない立場にあります。

 私は、状況が許せば、できるだけ早い機会に、中国や韓国の要路の方々と膝を交えて、アジア・太平洋の未来の平和と発展についての意見を交換するとともに、先に述べたような私の信念についてもお話したいと考えています。

 また、今後の問題として、靖国神社や千鳥が淵戦没者墓苑に対する国民の思いを尊重しつつも、内外の人々がわだかまりなく追悼の誠を捧げるにはどのようにすればよいか、議論をする必要があると私は考えております。

 国民各位におかれては、私の真情を、ご理解賜りますよう切にお願い申し上げます。