控訴審 準備書面
    
2002年3月5日
東京高等裁判所
第16民事部  御中

    控訴人ら代理人弁護士  高木健一、幣原廣、福島瑞穂、梁文洙、山本宜成、渡邊智子、
    小沢弘子、渡邊彰悟、古田典子、森川真好、林和男
 

本裁判の意義について
1.  本裁判は、1991年12月6日、太平洋戦争開戦50年を期して、東京地方裁判所に提起された。その後、約50件に及ぶ様々な戦後補償裁判が提起されたが、本裁判は、その最も初期のものの一つである。
   戦後半世紀もの長きにわたって、戦後補償の裁判が提起されなかったのは理由がある。原告らの居住する韓国社会において、いわゆる民主化が進展したのは、80年代半ば以降である。国家と国家が取引をし、戦後処理に関する条約や協定を締結したとしても、その国が軍事政権下の非民主的な国家である場合、日本国より相手国に渡った賠償金や経済協力は、相手側がその経済発展のためにこれを使用し、肝心の被害者本人にはほとんど届かないという実態は公知の事実と言うべきである。1965年の日韓経済協力協定においても、まさしく日本国家の補償としてただの一銭たりとも、被害者の手元に渡ることが予定されなかった。1971年の韓国における戦争被害者に対する一部支払いは、韓国政府が反発を強めた被害者に対して行われた、韓国内の政治的な決定によるものであって、日本からの経済協力金とは条約上は一切何のリンクもなかったのである。従って、本件原告らに対しては、日韓条約締結に際しては、全く何の補償もなされなかったことが断言できるのである。被害者である原告らが、その韓国政府の意向に反し、自らの個人の権利の実現のため、日本政府に対し、直接に請求を行うためには、韓国社会における民主化の進展が不可欠だったのである。80年代後半の民主化の進展により、初めて原告らは韓国内の被害者の声を組織し、日本側の協力者と共に本訴に至ったのであり、効果的に、これが開戦50年目、戦後46年という時期に当たったのである。

2.  韓国内の原告らが、自らの権利の回復を求め、日本政府に対し、戦後補債を求めるのは当然のことである。本裁判は、その後の様々な裁判の中心的な位置にあると評価されており、元日本軍人や元軍属の被害者、元従軍慰安婦や強制連行を受けた韓国人被害者は、韓国太平洋戦争犠牲者遺族会に結集している。
   これら韓国の被害者の当然の要求に対し、原判決は、これらの被害回復の問題は、戦後処理、あるいは植民地の独立という憲法の予想しない事態であるとして、裁判上の判断を避けた。しかしながら、前述のとおり、国家と国家による解決方式では、被害者に対する補償は一切なされず、韓国が当時、非民主的な軍事国家であり、被害者には一切補償が届かないことを日本政府は十分知った上で国家間の条約で解決済みとしようとしたのであって、本件原告ら被害者に対しては、全く何の効果もないことを、私たちは肝に銘ずる必要がある。非民主的な国家との間による、国家間の解決は、少なくとも被害者個人との関係では、無効とすべきなのである。原判決のように、国家間の解決以外にはないとすると、その相手は非民主的な軍事国家との間ではなく、国民の支持を受けた民主国家との間でなされなければならない。言ってみれば、日本国は、民主化の実現した80年代後半以後、改めて韓国との間で戦後処理及び植民地清算に関する取り決めをしなければならなかったと考える。それでこそ初めて、戦後処理の終わりを宣言できるのである。
   ところが、被告日本国は、非民主的な軍事国家であった韓国との間で、経済的にも政治的にも危機状態の中にあった当時の韓国政府との間で、また、国際的にもアメリカを中心とした安保体制構築のため、強力なプレッシャーをアメリカが韓国にかけた中で、まさしく相手の足元を見て、経済協力協定を締結させ、そのどさくさに紛れて、完全解決との文言を挿入したに過ぎず、これはもはや火事場泥棒的な道義に悖る行為であったという他はない。言いたいのは、そのような対等ではない非民主的な協定があるからと言って、本件被害者個人の請求を棄却する理由としてはならないということである。

原判決は、措置法「違憲」について判断停止
3.  本件は、韓国を始めとしたアジア諸国の日本に対する戦後補償裁判の中心的な裁判である。それ故、原審法廷においては、ほとんどの原告の証言を聞き、必要な証人の証言も取り調べた。当時の原審裁判官は、答弁を渋る被告国に対し、誠意ある具体的な認否を強力に促したこともある。原審記録にもあるように、裁判の最中、被告国の担当者が渡韓し、ソウルの原告らの遺族会事務所において、原告代理人立ち会いの上、原告を含めた11名の元慰安婦から長時間証言を聴取した。これが83年8月4日の河野官房長官談話と日本政府の見解に結びつき、被害者に対する補償責任(償いの義務)を認めることとなったのである。国会においても、宮沢首相を始め、政府は本裁判に特に言及し、誠意を持って裁判に対応する旨答えた。さらに、元慰安婦に対し、首相による謝罪の手紙と償いの証としての医療福祉名目の300万円の支給を実行した。にもかかわらず、被告代理人は本件において、相変わらず原告の元慰安婦に対しても「不知」を通し、本裁判の進行の上では何らの誠意を表現しないことは、極めて遺憾であった。原審は、このような被告の対応に極めて不満を有していたはずであるが、判決ではこれには全くふれず、他の裁判と同じく、紋切り型の決めつけで、本件原告らの請求を棄却したのは、あまりにも勇気のないことであったと考える。
  確かに、本件裁判以後に提起された、他の裁判において、ほとんど同一の論点で請求棄却の判決がなされた経過はある。もちろん、それらの判決も不当ではあるが、本件は、比較にならないほどの事実調べを行っており、それらの裁判とは大きく異なる論点も多い。何よりも元慰安婦原告に対する謝罪と事実上の償い金の交付は、それらの原告らに対する請求を法律上認諾したものととらえるべきであった。また、未払い給料問題における65年の法第144号は、個人に関しては外交権保護の権利だけが消滅し、個人の権利そのものは消滅させていないとの被告国の繰り返しなされた方針に矛盾するだけではなく、他人の権利を一方的に何の対価もなく消滅させるという憲法上も許すことのできない法律であり、これに関する議論は慎重になされなければならないのは当然であるのに、この点においても、原判決は判断を停止した。
   最近なされた判決の中で、いわゆる浮島丸事件において、安全配慮義務を根拠に、請求を認めた京都地裁の判決は、被害の回復を求める被害者の要求の重大さと正当性に思いをいたしたものであり、このような良心を実行に移す勇気のある裁判官は、尊敬に値する。

4.  その他の数多い先例に右にならえをし、原判決の如く控訴人の請求を棄却するのは簡単である。しかし、それでは何も解決はしない。韓国を始め、アジアの被害者が日本の裁判所に失望するだけである。最近アメリカにおける企業を被告とした裁判が数多く進行しており、多くのアメリカの議会人も、これを支持している。まだ、見通しは困難ではあるが、アメリカにおける裁判をとおし、結果的には原告らを含めた被害の救済がなされる可能性がある。アメリカにおいて出来て、肝心の日本の裁判では何故不可能なのか。まさしく、日本政府と日本人の問題であり、そこに責任があることは明白なのである。本裁判が原審記録を精査し、原判決を乗り越えて、控訴人らの人権回復のため、勇気ある審理と判決をなすよう求める次第である。

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