ナヌムの家:ナヌメチプ──院長がセクハラ・スキャンダルで辞任
反日・ナショナリズム「運動」に囲い込まれる元「慰安婦」ハルモニたち

 

韓国仏教団体系施設で、元「慰安婦」が集まって暮らす「ナヌムの家=ナヌメチプ」(分かち合いの家)内部で「性暴力」事件が表面化(2001年)。施設の運営責任者が起こした「女性問題」が職員の当事者女性の告発によって表面化したもの。
「慰安婦」被害者支援運動家・「ナヌムの家」へジン園長(院長)は、この告発を受けて辞任に追い込まれた。
韓国挺身隊問題対策協議会や日本で「女性戦犯法廷」を推進した関係者や団体はこの事件に触れていない。(2004.09 一部追加)

*「ナヌムの家」は同名映画でも知られ、日本などからの訪問が多い施設。

● ニュース  3月7日開いた「ナヌムの家」理事会、慧眞院長の辞任を受理し、後任決める(2001.3.追加)
● 告白会見記事 2001.2
● 挺対協など運動の周辺からも批判 2001
● ナヌムの家「歴史館」後援会(日本)──人権活動「全否定はできない」などと整理。女性運動家も沈黙
 
韓国「ナヌメチプ」園長が女性問題で辞任

 韓国の元「慰安婦」らの施設、「ナヌムの家」=「分かち合いの家・ナヌメチプ」の慧眞(ヘジン)園長が、解雇した元女性職員の告発によって当の「女性職員らとの性関係」を認め、記者会見で告白、園長を辞任すると公表した。
 韓国各紙が報道している。
2001.2.17会見、19日の報道記事▼下に(写真は最近の日本軍「慰安婦」歴史館パンフ)

 慧眞氏は、「暴力や強圧はなかったが、騒動が続けば慰安婦被害補償運動を巻き添えにしかねないと思い、身を引くことにした」と語ったと伝えられており、法的責任問題には現状でなっていないが、「道義的・人道的・社会的責任」によって「辞任」したもよう。
(記事中の性暴力相談所は、性暴力犯罪の処罰及び被害者保護等に関する法律=制定94.1.5 法律第4702号=に規定されている。)

 報道の限りでも、「慰安婦」問題に関わる上で重大事、ひどい事件。韓国の人たちに聞いても、彼は宗教者というより商売人との評があったという。
 ナヌメ・チプ、歴史館の体質、その「運動の本質」を物語る事件と真剣にとらえないなら、それこそが運動の自滅的態度というべきだろう。

 慧眞(ヘジン)氏は仏教会・寺院敷地内に「ナヌメチプ=分かち合いの家」(ナヌム・エ・チプ)を設立、韓国・挺対協とも連携し、元「慰安婦」ハルモニたちの「支援、募金、補償要求運動」を行ってきた。先の「女性国際戦犯法廷」にも「慰安婦」被害者らと来日し参加、つぎのように書いている。(この部分は、サイト「日本軍“慰安婦”歴史館」後援会 から引用。同サイトでは、01年2月21日、事態について「調査中」としている。)

「先日日本の東京で日本軍性奴隷戦犯国際法廷が開かれた。たとえ民間法廷と言えども今はこの世にいないヒロヒト日本天皇と日本政府の戦争責任を明確にする有罪判決が裁判府によって下された。人類の歴史上もっとも反人道的な戦争犯罪を処罰する歴史的な事件として去る10余年間を孤軍奮闘してこられたハルモニたちの勝利だった。しかし、判決が下された日本青年会館の建物を出ながら再び現実の壁を感じてしまった。まさに右翼人士たちがピケットをふりかざし、スピーカーを通じて発する発言がそうだ。「『慰安婦』は存在しない」という内容だ。法廷参加者たちが街頭集会をする間にも前を歩きながら「後ろから来る人々は詐欺だ」「この人たちの話はみんなウソだ」と叫んでいたというのだ。日本の現実を目の当たりにするようで、後味が悪かった。問題の解決は遠いが、来年も去る10年の歳月を通して体験したように、正義は一つずつ実現されるということを見せてくれたことだけがこの問題を解く解決方法ではないかと思う。
ナヌムの家院長 ヘジン 合掌」(翻訳:方清子さん)

 
 

【報道記事】 *転載注意。オリジナルから翻訳。上の記事によれば以下の「園長」は「院長」。

(2001.2.19 朝鮮日報 社会)
『ナヌムの家』慧眞師「女子職員と性関係」/園長職を辞任

 日本軍従軍慰安婦ハルモニたちが集い住む、京畿道広州の『ナヌムの家』園長である慧眞(ヘジン 36・俗名ぺ・ヨンギル)師が、女子職員とのセックススキャンダルが取りざたされる中で17日に記者会見を開き、「園長職から退き、僧籍を離れる」と表明した。

 慧眞師の辞任は、同団体に勤務して昨年の11月に解雇された呉某(女・43)氏が、最近になって韓国性暴力相談所に「慧眞が園長という地位を利用して、97年2月から98年の5月までひと月に2〜3回ずつ性関係を強要した」と告発したことによるものである。

 慧眞師は記者会見で「困難な状況下で共に仕事に励んでいて気持ちを抑えることができず、性関係を続けてしまった」とし、「暴力や強圧はなかったが、騒動が続けば慰安婦被害補償運動を巻き添えにしかねないと思い、身を引くことにした」と語った。
 慧眞師を告発した呉氏は、昨年の10月に同団体で総務を担当していた自分の同居人である張某氏(男・4 2)が『会計処理が不透明で管轄官庁ともめた」という理由で解雇された後、慧眞師や他の職員との間で感情のもつれが生じ、解雇された。

 一方で『ナヌムの家』側はこの日、内部騒動などを理由に慰女婦ハルモニたちの絵画や遺品、各種資料を展示している『日本軍慰安婦歴史館』をしばらくの間休館することに決定した。/金秀惠(キム・スへ)記者

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(2001/02/19-18:56 Digital Chosun)
日本軍従軍慰安婦歴史館、長期休館へ

 元従軍慰安婦が共同生活している京畿(キョンギ)道・広州(クァンジュ)にある「ナヌムの家」の院長兼僧侶、ヘジン氏(36)のセクハラ事件による内部葛藤で、ここにある世界唯一の「日本軍従軍慰安婦歴史館」が長期休館に入り、韓日両国民が落胆している。

 98年8月完工したこの歴史館は、元従軍慰安婦女性が描いた絵や遺品、証言などを基に再構成された慰安所の模型や肉声の証言テープなどを展示しており、昨年一年間の訪問客約9000人のうち3分の1以上を日本人が占めるなど日本人にとっては「懺悔の場所」として有名だ。

 19日午前、ナヌムの家。日本人ボランティアの米倉万有美さん(27)は歴史館の参観を予約していた日本の市民団体や高校などへの休館通知に追われていた。米倉さんは語学研修で韓国を訪れたが、99年2月からは住み込みで通訳や案内の仕事をしてきた。

 「休館の理由を聞いてくる国際電話が殺到しているが、何と答えればいいのかわからなくて困っています。日本の右翼が‘元従軍慰安婦女性の被害賠償運動の先頭に立っていた僧侶がセクハラ事件で退いた’と主張すれば、日本政府に公式謝罪を要求してきたこれまでの苦労が水の泡になってしまうのでは…」

 米倉さんは「今月は日本最大の戦争研究所、‘戦争資料センター’所属の学者や市民団体の関係者が予約していた」と残念がっていた。ナヌムの家の総務、アン・シングォン(41)さんは「昨年、歴史館を訪問した東京・正則高校の生徒350人が来月また来たいと言っていた。歴史館が日本人教育の場として定着していたのに」と、深いため息をついた。/キム・スヘ記者、キム・ミング記者

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(韓国日報2001.2.19)
元「慰安婦」「分かち合いの家」慧眞僧侶 性関係を告白
「2名の女性と関係 院長辞任」

 元「慰安婦」であった女性が在住している「分かち合いの家」の院長、慧眞(3 6才)僧侶が、自身の女性問題を理由に院長職を辞任した。

 17日、慧眞僧侶は、「良心告白」の記者会見において、「1997年、二人の女性と性関係を持った」と述べた上で、「宗教人であり「慰安婦」ハルモニを支援する活動を行う者として責任を痛感する。分かち合いの家の院長職を辞任し、また一切の社会活動を中断する」と述べた。彼の「良心宣言」は、この二人の女性のうち一人が最近、韓国性暴力相談所へ相談を依頼したことを受けて行われたと伝えられている。

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(中央日報 01年2月19日 社会面)
従軍慰安婦憩いの場の園長である僧侶/スキャンダルに関連して僧職離脱宣言

 従軍慰安婦ハルモニたちが集い住む京畿道広州の『ナヌムの家』園長である慧眞(ヘジン、35・俗名:ペ・ヨンギル)師が17日に園長職の辞任と僧籍からの離脱を宣言した。
 慧眞師は記者会見を自ら進んで開き、「ナヌムの家の事業を行うなかで1997年に知り合ったAさん(44)など、二人の女性と性関係を持ってきた」とし、「宗教者、及び慰安婦ハルモニを助ける仕事をしてきた者として責任を痛感し、このように決心した」と語った。/孫ミンホ記者

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(東亜日報 01年2月19日 社会面)
『ナヌムの家』園長の慧眞師/女性二人との性関係を告白し物議

 日本軍慰安婦被害者ハルモニとともに9年余りを生活してきた京畿広州郡『ナヌムの家』園長の慧眞師が、17日に女性問題による良心告白記者会見を開き、園長職辞任と僧籍離脱の意志を明らかにした。

 慧眞師はこの日の午前にソウル鍾路区仁寺洞にある某カフェにて開かれた記者会見で「97年に二人の女性と性関係を持った」とし、「宗教者、及び慰安婦ハルモニを助ける仕事をしてきた者として責任を痛感して、ナヌムの家園長を辞任し、一切の社会的活動を中断する」と語った。
 女性二人のうちの一人は97年当時、慧眞師が運営していた『ナヌムの家』に勤務していたことが明らかになった。

 これについて韓国性暴力相談所、女性民友会、女性の電話などの女性団体は「事件の再発防止のため、20日に真相調査委を設ける」と明らかにした。 /徐ヨンア記者
 

*はらだ注──記事中の性暴力相談所は、性暴力犯罪の処罰及び被害者保護等に関する法律=制定94.1.5 法律第4702号=に規定されている機関。また記事中の「女性の電話」団体は挺対協の構成団体。

 

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追記(2001.3.20)
以上の情報のあと「緊急のご報告 2001年3月9日 ナヌムの家歴史館後援会事務局」がようやく出されています。
それによれば──

2月17日、「ナヌムの家」院長・ヘジン氏が「良心告白」という形の記者会見
 97年に関係があったことなどを女性(ナヌムの家・元職員、2000年12月31日付け解雇)が「性暴力相談所」に相談
 「良心告白」に至った動機やその間の経緯を述べ、責任を痛感し懺悔

▼2月20日、韓国の民間団体からの「真相調査委員会」
 大韓仏教曹渓宗でも、内部監査中

社会福祉法人・大韓仏教曹渓宗「ナヌムの家」は3月7日、理事会でヘジン氏の辞任受理
 後任としてヌングァン氏任命。福祉学を勉強した尼僧

 

「起こるべくして起こった」──内部から批判

 ──このナヌメチプ活動の中で起こしたヘジン事件について、山下英愛(やました・よんえ)さんが、「戦争責任研究」に二回連載した、韓国の「慰安婦」運動論考のなかで「運動圏」の対応ぶりと挺対協の「沈黙」について触れ、「運動」に内在する問題を論じている。

▽韓国における「慰安婦」問題解決運動の位相──80-90年代の性暴力運動との関連で 上・下 
 山下英愛(やました よんえ、ブリティッシュコロンビア大学アジア研究所客員研究員)
 「季刊戦争責任研究」34・35、2001冬-02春、日本の戦争責任研究センター
 以下に冒頭部分を引用させていただく
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 はじめに
 今年(二〇〇一年)の初め、韓国の元「慰安婦」たちの共同居住施設である「ナヌムの家」の園長(ヘジン僧)が、同施設の女性スタッフらに対し性暴力を行ってきたという事実が被害者の一人によって明らかにされた。日本軍の性暴力問題に対する事実究明と謝罪・個人賠償を求めて闘ってきた運動の中で起きた事件であるだけに、内外の運動関係者を含めて多くの人々が衝撃を受けたであろう。
 筆者はこれまで、韓国の「慰安婦」問題解決運動(以下、「慰安婦」運動)に直接かかわりながら、この運動が内包している民族主義的傾向とその言説に含まれた問題点について女性学的視点から指摘してきた。こうした観点からいえば、このような事件が起こったことは奇想天外なことではなく、むしろ起こるべくして起こったといえる。
 この事件が暴露された後、いわゆるネティズン(ネットとシティズンの合成語)たちによるサイバー上の議論が起こつたが、その意見の大半は、他の性暴力事件に対する一般世論の反応と同様に、加害者を擁護し被害者を非難する傾向を示した。だが、筆者がそれ以上に落胆させられたのは、「慰安婦」運動の主体たちが、この事件の真相究明と解決のための積極的な行動をとれなかったことに対してである。()それはいみじくも「慰安婦」運動の性暴力的視点の脆弱さを示すものであったといえよう。
 韓国で「慰安婦」適動が起こった九〇年代は、国内の性暴力運動が急速な進展を遂げた時期でもある。そうしたことから、同じ性暴力問題が根にある「慰安婦」運動は、その性暴力運動の高まりと軌を一にすると考えられがちであった。しかし、「慰安婦」運動は、大きく見れば性暴力運動の流れの中にあるとはいえ、運動に現れた「慰安婦」認識や独特の民族運動的性格によって特異な存在であるともいえる。…略
 略…。挺対協は、個人レベルでは数人が積極的に取り組んだものの、組織としてはこの事件について一切コメントせず、真相調査にも加わらなかった。)
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運動の立場上の論理?

 →ナヌムの家「歴史館」後援会(日本)
 ──「…ナヌムの家でハルモニたちの世話をするために当初ボランテイアで勤め始めた不安定な立場の女性と院長で人権活動家であるヘジン氏の間には「立場の違い」があり、「暴力や明らかな強圧はなかった」としても、誘いがあった場合、拒絶しにくいという状況があるように思います。」──引用

 「人権活動家」の「人権」活動そのもののエセぶりこそが問題なのではないか。「慰安婦」被害者への対応自体が、指導者の「支配下」において「力」を働かせた運動ではないのか? という自省の視点はまったくここには見えない。個人の「立場」の比較などしている場合ではない。その論理と姿勢に、運動の問題があるのだ。山下英愛さんの「起こるべくして…」の指摘は、韓国で「慰安婦」支援と称する運動の、被害者をも立場の都合次第で「敵」にする問題性に向いていることに、無自覚なのだ。

 ところで、ナヌムの家運動や挺対協をただ盲信する日本の運動の質も、ほとんど同種同根といえるだろう。「後援会」呼びかけ人の面々には、例の責任者処罰・沈黙の打破をうたいあげた「女性国際戦犯法廷」の主催・推進者たちも多いが、この件についての「見解」は聞かれない。都合があるのだろう、沈黙している。

 呼びかけ人: 阿部宝根、池内了、池田恵理子、石川康子、石黒紀子、石田貴美恵、上野成利、浦崎成子、徐勝、大分勇哲、大賀美弥子、大久保和子、大越愛子、大島孝一、岡部伊都子、尾畑潤子、神谷雅子、君島恒昭、キム・チョンミ、金富子、金英姫、楠瀬佳子、高正子、高龍秀、小林温子、酒井義一、崎山政毅、佐藤典子、嶋田美子、清水政夫、朱秀子、城山大憲、新屋英子、菅原龍憲、杉本正信、鈴木弘子、鈴木裕子、高城たか、高里鈴代、高橋哲哉、滝沢秀樹、たけだまるみ、角田由紀子、鶴園裕、西野瑠美子、萩原弘子、日高六郎、藤井正昭、藤永壮、朴英子、藤目ゆき、細見和之、馬場咲枝、前田義朗、松井やより、三宅和子、望月慶子、横井小夜子、吉岡数子、藤岡直登、レベッカ・ジェニスン、渡辺和子