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  •     判決の評価──弁護団から (NO.61 2001.4.13)

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     韓国・太平洋戦争犠牲者遺族会裁判 東京地裁判決(3.26)の検討と控訴審の争点
     ────林和男(同訴訟原告代理人)
     
     

     今回の判決については、当日の夕刊でも報道されましたが、一部の新聞報道に正確でない点があります。
     まず、東京地裁の丸山裁判長が言い渡した判決と報道されていますが、これは誤りです。たしかに、判決の内容を評決して判決書を書いたのは、丸山裁判長をはじめとする3人の裁判官ですが、3月26日に法廷で判決言渡しをしたのは、別の裁判官(新しい裁判長)です。
     この新しい裁判長の言い渡し方が、「原告らの請求をいずれも棄却する。訴訟費用は原告らの負担とする。」とだけ読み上げて、すぐに立ち去るという方法でしたので、10年かけて審理したにしては、あまりにも素っ気ない、理不尽だという批判が、原告の間から出ています。

    【補償・賠償の法的根拠退ける】
     私も、日韓両国民にとってこれほど重要な問題に対する判断を下すのですから、棄却するならするで、理由の要旨くらいは説明すべきだと思いました。しかし、まことに遺憾なことですが、日本の裁判所では、このような言渡し方は決して珍しくない、むしろ民事・行政事件ではこれが普通なのです。
     次に、判決の内容ですが、事実認定と法律問題に分けて評価する必要があります。法律問題については、補償、賠償を求めた法的根拠の多くについては認められませんでした。しかし判決理由のなかで、部分的には評価すべき点もあります。
     これに対して、事実認定については、むしろおおむね、良い認定がされているのではないかと思います。

    【自由募集も強制連行と認定】
     まず、背景的・歴史的事実について、判決は、私たちの主張の一部を事実として認定しています。例えば、
     「昭和一〇年代になると、日本国は、朝鮮半島内において、皇国臣民の誓詞の斉唱を強制し(昭和一二年)、君が代斉唱、宮城遙拝及び神社参拝を強要し、また、学校での朝鮮語教育を廃し(昭和一三年)、日本語を常用させ、さらには、日本風の姓名を名乗らせる創氏改名を行なう(昭和一四年)などのいわゆる皇民化政策を急速に推進して行った。」(判決書10頁)
     「さらに、日本国は、戦時下における労働力不足を補うため、昭和一四年(1939年)九月以降、朝鮮から日本内地へ労務動員をし、多数の朝鮮人が強制的に連行された。」(判決書11頁)
     といった認定があります。判決が、いわゆる「自由募集による動員」をも含めて、強制連行であったと明確に認めていることは、日本の裁判所による歴史的事実の認定としては画期的ではないかと思います。

    【「慰安婦」全面認定、個々人「不知」覆す】
     次に慰安所の設置、経営、慰安婦の「募集」と輸送について、判決は、日本軍当局が「直接関与」していたこと、「詐欺強迫により本人たちの意思に反して」集められたことを認定しています。
     「旧日本軍においては、昭和七年(1932年)のいわゆる上海事変の後ころから、醜業を目的とする軍事慰安所(以下単に「慰安所」という。)が設置され、そのころから終戦時まで、長期に、かつ広範な地域にわたり、慰安所が設置され、数多くの軍隊慰安婦が配置された。」(12頁)
     「軍隊慰安婦の募集は、旧日本軍当局の要請を受けた経営者の依頼により、斡旋業者がこれに当たっていたが、戦争の拡大とともに軍隊慰安婦の確保の必要性が高まり、業者らは甘言を弄し、あるいは詐欺強迫により本人たちの意思に反して集めることが多く、さらに、官憲がこれに加担するなどの事例もみられた。」(12頁)
     「慰安所の多くは、旧日本軍の開設許可の下に民間業者により経営されていたが、一部地域においては旧日本軍により直接経営されていた例もあった。民間業者の経営については、旧日本軍が慰安所の施設を整備したり〔中略〕慰安所規定を定め、軍医による衛生管理が行われるなど、旧日本軍による慰安所の設置、運営、維持及び管理への直接関与があった。
     また、軍隊慰安婦は、戦地では常時日本軍の管理下に置かれ、日本軍とともに行動させられた。」(13〜14頁)
     そして、原告ら元慰安婦についても、全員について「その主張のころ軍隊慰安婦とされ、軍隊慰安婦として働かされたことが認められる。」と認定しています。これは、被告国の「不知」の答弁を、裁判所が覆したものであり、画期的と言ってよいと思います。

    【軍人軍属原告の事実認定】
     他方、軍人軍属については、すでに厚生省保管資料によって被告国側が認めていた徴兵・徴用・入隊・配属の事実、戦傷、戦死、戦病死の事実を裁判所も認定していることはもちろんですが、非常に評価できる点は、国側が最後まで「不知」の答弁を維持し、決して認めようとしなかった2名の原告(金恵淑、金載鳳)について、裁判所は、原告本人の証言を主たる証拠として、徴兵、徴用、死亡、戦傷などの事実を詳細に認定したことです。
     金恵淑さんは、夫が徴兵されて日本内地に配属され、広島第一陸軍病院に転院になったという最後の頼りを残したまま消息を絶っています。判決は、被告国が最後まで認めなかった徴兵の事実を認定した上、「原爆の投下により、そのころ同病院において死亡したものと推認される。」ことを公に認めたのでした。金恵淑さんは、この判決を待つことができずに亡くなりましたが、生きておられたらさぞほっとされたことと思うと、無念でなりません。
     金載鳳さんは、徴兵後、東京の世田谷高射砲中隊に配属され、東京大空襲の際に米軍機の機銃掃射で両脚を負傷しました。被告国側は、「資料が見あたらない」と言って「不知」を続けていましたが、金載鳳さんは、判決の認定を心配して、結審間近かまで、脚の新しいレントゲン写真や診断書を追加提出するなど努力しておられましたが、ともかくも事実が認定された点は、ほっとしました。
     しかし、他の軍人軍属の原告らの事実認定は、徴用の方法の強制性や、戦地における虐待、差別待遇などに関して、判決はほとんど言及していません。これらの事実認定がなされなかったことは、法律問題として損害賠償が認められなかったことと絡むのですが、たいへん残念であったと思います。控訴審においては、軍人軍属に関しては、この点が主張立証の重要なポイントになるのではないかと思います。

    【個々の証拠が必要】
     次に、今回の判決の法律問題についても、簡単に見ておきたいと思います。
     裁判のなかで私たちが主張した法律構成(請求原因)は、人道に対する罪から未払給与請求権まで各種ありますが、実は、その大部分が、すでに他の訴訟に対して否定的な判決が出てしまっているために、私たちの判決は、これまで他の判決で述べられた否定的な論理の繰り返しになってしまっています。
     しかし、その中でも、なお今後の希望の端緒にできそうな点に2つだけ触れておきたいと思います。
     まず、安全配慮義務違反による損害賠償請求権です。今回の判決の積極的な点は、安全配慮義務違反といえるような事実が、もしあったとしたら、原告らに請求権があり、国側に支払い義務があることを否定していないという点です。判決が請求棄却になったのは、そのような事実を認定しなかった、あるいは、いまだ私たちの主張立証が不十分で、認定することができないため、ということになります。
     50年以上前の出来事について、国が安全配慮義務に違反した事実を1つ1つ立証して行くことは、極めて困難なことですが、私たちは、やはりこれを1つの課題として取り組んでいきたいと思います。

    【措置法で国の主張採る】
     次に、未払給与請求権ですが、判決は、1965年の日韓請求権協定によって個人の権利が消滅したわけではない、という点までは、私たちの主張を認めました。請求権協定のような国家間の取り決めによって、個人の権利を消滅させることはできないという私たちの論理を、東京地裁は認めたわけです。
     この点は、すでに裁判のなかで、被告国側も、1991年の「柳井答弁」に基づいて、私たちの主張に同意していたと言えます。しかし、これまで戦後の関係判例のなかでは、国側の同意如何にかかわらず、裁判所は、「請求権協定によって消滅した」「平和条約によって消滅した」という判断を示すことが多かった論点なのです。これは、今回の判決の積極的に評価できる部分です。
     しかし、判決は、1965年法律第144号(いわゆる「措置法」)の合憲性を認め、この「措置法」によって、原告らの給与請求権は消滅したという判断を示しました。これは、たいへん遺憾とするところです。
     というのは、合憲の理由として、この措置は日本と韓国の分離独立に伴う措置であって、「国の分離独立というがごときは、本来憲法の予定していないところであって、憲法的秩序の枠外の問題である。」と述べています。しかし、原告らの権利を消滅させなければならないというようなことが、韓国の独立に伴って当然に要請されるわけではありません。私たちが主張しているのは、個人の権利の問題であって、個人の権利、個人の人権が、国家間の政治的な駆け引きの犠牲となって消滅させられるようなことは、あってはならないし、消滅させなければならないとしたら少くとも相応の補償はなされなければならないという素朴な発想です。
     この点で、判決の論理は、たいへん乱暴に思いますが、私たちの論理にも、まだ未成熟な点があるかもしれません。今後の重要な課題として、「措置法」違憲論をさらに展開して行きたいと考えています。

    【立法、行政に提言すべき】
     それと、もう一つ。「憲法秩序の枠外」というのは、ある意味で、いわゆる「統治行為」の論理です。高度の政治性を有する国家行為については、裁判所は、おいそれと違憲の判断をしてしまうわけにはいかない三権分立の制約がある、という考慮が、この判決の行間ににじみ出ているように思います。
     しかし、もしそうだとすれば、むしろこの問題は、立法・行政による補償問題として解決されなければならないのではないでしょうか。この点について、裁判所は、積極的に立法府・行政府に対して提言をすべき責務があるのではないでしょうか。
     私たちは、控訴審において、行政府への交渉を並行させながら、裁判所にも、いま一歩の奮起を求めていきたいと考えています。