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「慰安婦」問題─日本政府による調査結果

「慰安婦」はいなかったか? 「強制」はなかったか? 問題にすることでないか?
「慰安婦」問題については、政府自身が調査して、その結果を発表している。
──◎「いわゆる『従軍慰安婦』問題の調査結果について」

資料として、文書件名、時期、発出者、宛先、記述の概要─を整理している。つまり、内閣官房内閣外政審議室「問題について」・「調査結果について」と、内閣官房長官談話が同時に発表された(1993年8月4日、右その一部)。──◎内閣官房長官談話

1.政府省庁の資料  ──◎政府調査資料集成
2.元「慰安婦」聞き取り
3.元慰安所経営者、元軍人、元朝鮮総督府関係者、住民、研究者などからの聞き取り(その対象者100人以上という)
によって、以下の通りに事実、実態とその問題を明らかにしている。

政府が、「慰安婦」の証言だけをうのみにし、「政治決断」で問題として、すべきではなかった「謝罪」をしたというのは、うそである。
「慰安婦」はいない、強制はなかった、問題ではないというならば、それら個々の資料・証言を否定するしかるべき手続きをすべきだろう。実際に、この調査以降、政府は元「慰安婦」らの裁判法廷でも、これら政府調査結果にもとづく原告側の主張について争っていない。したがって判決も、「慰安婦」の実態、事実を認めている(賠償、補償については否定する判断)。
資料、証言、判断のいちいちを大事にしない「史観」などには、神話ほどの根拠もないというべきだ。

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いわゆる従軍慰安婦問題について

平成5年8月4日(1993)
内閣官房内閣外政審議室
 

1、調査の経緯
 いわゆる従軍慰安婦問題については、当事者による我が国における訴訟の提起、我が国国会における論議等を通じ、内外の注目を集めてきた。また、この問題は、昨年1月の宮澤総理の訪韓の際、盧泰愚大統領(当時)との会談においても取り上げられ、韓国側より、実態の解明につき強い要請が寄せられた。この他、他の関係諸国、地域からも本問題について強い関心が表明されている。
 このような状況の下、政府は、平成3年12月より、関係資料の調査を進めるかたわら、元軍人等関係者から幅広く聞き取り調査を行うとともに、去る7月26日から30日までの5日間、韓国ソウルにおいて、太平洋戦争犠牲者遺族会の協力も得て元従軍慰安婦の人たちから当時の状況を詳細に聴取した。また、調査の過程おいて、米国に担当官を派遣し、米国の公文書につき調査した他、沖縄においても、現地調査を行った。調査の具体的態様は以下の通りであり、調査の結果発見された資料の概要は別途の通りである。

調査対象機関
 警察庁、防衛庁、法務省、外務省、文部省、厚生省、労働省、国立公文書館、国立国会図書館、米国国立公文書館

関係者からの聞き取り
 元従軍慰安婦、元軍人、元朝鮮総督府関係者、元慰安所経営者、慰安所付近の居住者、歴史研究家等

参考とした国内外の文書及び出版物
 韓国政府が作成した調査報告書、韓国挺身隊問題対策協議会、太平洋戦争犠牲者遺族会など関係団体等が作成した元慰安婦の証言集等。なお、本問題についての本邦における出版物は数多いがそのほぼすべてを渉猟した。

 本問題については、政府は、すでに昨年7月6日、それまでの調査の結果について発表したところであるが、その後の調査をもふまえ、本問題についてとりまとめたところを以下のとおり発表することとした。
 

2、いわゆる従軍慰安婦問題の実態について
 上記の資料調査及び関係者からの聞き取りの結果、並びに参考にした各種資料を総合的に分析、検討した結果、以下の点が明らかになった。

(1) 慰安所設置の経緯
 各地における慰安所の開設は当時の軍当局の要請によるものであるが、当時の政府部内資料によれば、旧日本軍占領領地内において日本軍人が住民に対し強姦等の不法な行為を行い、その結果反日感情が醸成されることを防止する必要性があったこと、性病等の病気による兵力低下を防ぐ必要があったこと、防諜の必要があったことなどが慰安所設置の理由とされている。

(2) 慰安所が設置された時期
 昭和7年にいわゆる上海事変が勃発したころ同地の駐屯部隊のために慰安所が設置された旨の資料があり、そのころから終戦まで慰安所が存在していたものとみられるが、その規模、地域的範囲は戦争の拡大とともに広がりをみせた。

(3) 慰安所が存在していた地域
 今次調査の結果慰安所の存在が確認できた国又は地域は、日本、中国、フィリピン、インドネシア、マラヤ(当時)、タイ、ビルマ(当時)、ニューギニア(当時)、香港、マカオ及び仏領インドシナ(当時)である。

(4) 慰安婦の総数
 発見された資料には慰安婦の総数を示すものはなく、また、これを推認させるに足りる資料もないので、慰安婦総数を確定するのは困難である。しかし、上記のように、長期に、かつ、広範な地域にわたって慰安所が設置され、数多くの慰安婦が存在したものと認められる。

(5) 慰安婦の出身地
 今次調査の結果慰安婦の出身地として確認できた国又は地域は、日本、朝鮮半島、中国、台湾、フィリピン、インドネシア及びオランダである。なお、戦地に移送された慰安婦の出身地としては、朝鮮半島出身者が多い。

(6) 慰安所の経営及び管理
 慰安所の多くは民間業者により経営されていたが、一部地域においては、旧日本軍が直接慰安所を経営したケースもあった。民間業者が経営していた場合においても、旧日本軍がその開設に許可を与えたり、慰安所の施設を整備したり、慰安所の利用時間、利用料金や利用に際しての注意事項などを定めた慰安所規定を作成するなど、旧日本軍は慰安所の設置や管理に直接関与した。
 慰安婦の管理については、旧日本軍は、慰安婦や慰安所の衛生管理のために、慰安所規定を設けて利用者に避妊具使用を義務付けたり、軍医が定期的に慰安婦の性病等の病気の検査を行う等の措置をとった。慰安婦に対して外出の時間や場所を限定するなどの慰安所規定を設けて管理していたところもあった。いずれにせよ、慰安婦たちは戦地においては常時軍の管理下において軍と共に行動させられており、自由もない、痛ましい生活を強いられていたことは明らかである。

(7) 慰安婦の募集
 慰安婦の募集については、軍当局の要請を受けた経営者の依頼により斡旋業者らがこれに当たることが多かったが、その場合も戦争の拡大とともにその人員の確保の必要性が高まり、そのような状況の下で、業者らが或いは甘言を弄し、或いは畏怖させる等の形で本人たちの意向に反して集めるケースが数多く、更に、官憲等が直接これに加担する等のケースもみられた。

(8) 慰安婦の輸送等
 慰安婦の輸送に関しては、業者が慰安婦等の婦女子を船舶等で輸送するに際し、旧日本軍は彼女らを特別に軍属に準じた扱いにするなどしてその渡航申請に許可を与え、また日本政府は身分証明書等の発給を行うなどした。また、軍の船舶や車輌によって戦地に運ばれたケースも少なからずあった他、敗走という混乱した状況下で現地に置き去りにされた事例もあった。