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戦後補償─裁判と企業交渉による和解
◎関連報道 
相手
提訴
和解時
和解金・条件
詳細・報道
新日本製鉄
・韓国
  1997.9 
裁判外
韓国人遺族11人に
弔慰金計2005万円
詳細・報道
日本鋼管
(韓国・金景錫)
1991.9
東京地裁
99.4
東京高裁、控訴審
410万円、解決金
法的責任は否認
詳細・報道
不二越 
・韓国
92.9
富山地裁
00.7
最高裁、上告審
8人(米で訴訟準備含む)と1団体に3000万円以上の解決金 詳細・報道
鹿島
(花岡事件、中国)
95.6
東京地裁
00.11
東京高裁、控訴審
中国紅十字会に「基金」5億円  詳細・報道
西松建設(東京)・中国 2007
最高裁
2007
最高裁、棄却
会社に問題見直し求める
2009.10
東京簡裁で和解
被害者救済基金2億5000万円。強制連行360人全員の補償に。記念碑 詳細・報道
           
         

以下、報道等


新日本製鉄 1997年9月
和解の内容 1.遺骨未返還の原告10名に対し一人 200万円の支払い。遺骨返還の原告1名に対し5万円の支払い。2.釜石製鉄所内にある鎮魂社に25名全員の戦災犠牲者名簿を奉納、かつ合祀祭の実施。3.韓国における慰霊に関わる費用の一部負担(総額1000万ウオン=約 140万円)。

和解の内容は、
遺骨未返還の原告10名に対し、一人当たり総額200万円を支払う。(遺骨返還済みの原告1名に対し5万円を支払う)
釜石製鉄所内にある鎮魂社に、原告の親族以外の韓国人犠牲者をも含めた25名全員の戦災犠牲者名簿を奉納し、かつ、合祀祭を行う。これに出席する原告の旅費を負担する。
韓国における慰霊に関わる費用の一部について負担する。(総額1千万ウオン=約140万円)
釜石製鉄所内での合祀祭は9月17日に行われ、原告6名が参加。翌18日には、上記の総額2005万円の受け渡しが完了した。これにともない、原告らは被告新日鉄に対する訴えを取り下げた。
 
 

■強制連行訴訟NKKと和解 1999年04月07日共同
第二次世界大戦中に日本に強制連行され、就労先の日本鋼管(NKK、本社東京)川崎製鋼所で暴行を受けたなどとして、韓国・春川在住の金景錫(キム・キョンソク)さん(72)がNKKに一千万円の損害賠償と謝罪を求めた訴訟が六日、東京高裁での控訴審で、同社が四百十万円を支払うことで和解が成立した。
一連の戦後補償をめぐる訴訟で、企業が原告本人に金銭を支払うのは初めて。これまで企業側に賠償を命じた判決はなく、和解成立は新日本製鉄が一九九七年九月、死亡した韓国人徴用工の遺族に慰霊金などを出した例に続き二件目。国内各地での他の訴訟にも影響を与えそうだ。
和解条項で、NKK側は従来通り法的責任は認めず「金さんが障害を持ち長く苦労したことに、会社は真摯(しんし)な気持ちを表す」と表明。また金さん側は「NKKの責任を問うことは法的に困難との認識を前提にするのもやむを得ない」とした。金さん側は「賠償請求額の四割以上の和解金であり、実質は損害賠償金と受け止めている」と評価している。
この訴訟は九一年九月に起こされ、私企業に強制連行や強制労働の責任を問う初の裁判としても注目された。



韓国人強制労働、不二越訴訟が和解 2000年07月12日共同
第二次大戦中に強制労働させられたとして韓国人の元女子挺身(ていしん)隊員らが、雇用先の機械メーカー「不二越」(富山市)に未払い賃金や損害賠償計約二千万円の支払いなどを求めた訴訟が十一日、提訴から約八年ぶりに最高裁第一小法廷(町田顕裁判長)で和解した。
和解内容は、不二越が原告三人を含め、米国で訴訟を準備していた関係者ら計八人、一団体に総額三千万―四千万円の解決金を支払うのが柱。さらに戦時中の労働に感謝するため会社構内に記念碑を設置する。
日本企業や日本政府を相手に全国で約六十件起こされた一連の戦後補償で和解成立は三件目。最高裁では初めて。同様の訴訟に影響を与えそうだ。
原告側は同日夕の記者会見で「勝利的な内容だ」と評価。不二越側は「謝罪はない」と強調した。
訴えていたのは、元挺身隊員の李鐘淑さん(68)と崔福年さん(69)、元徴用工の高徳煥さん(77)の三人。二審判決によると、三人は「女学校に通えてお金もたくさんもらえる」などと誘われて一九四三年から四四年にかけて来日。当時軍需工場だった不二越の富山工場で研磨作業などに従事したが、四五年に突然帰国させられた。

▼早期決着へ和解を評価
韓国人の元女子挺身(ていしん)隊員らが富山市の不二越を相手取った訴訟は十一日、最高裁で和解が成立した。明確に当時の責任は認めないものの、戦後半世紀以上経過し高齢化した原告との間で日本企業が和解による早期決着を図る動きは評価できよう。他の訴訟への波及効果も注目される。
全国で約六十件ある戦後補償訴訟の和解成立は三件目で、いずれも日本企業を相手取った強制労働や強制連行絡みだ。
戦後補償問題に取り組む関係者は「従軍慰安婦訴訟などに比べ、企業相手の訴訟は和解が成立しやすい」と口をそろえる。日本での強制労働など事実関係が比較的はっきりしている上、企業側もイメージを気にする面があるからだ。
不二越訴訟では、関係者は「日本の裁判所には期待できない」と米国で提訴する構えも見せた。和解の結果、提訴は見送られることになった。
戦時中に日本企業で強制労働に従事した元米兵捕虜らが最近、米国で相次いで約三十件の訴訟を起こしており、日本企業にとって「脅威」となっている。
一方、慰安婦訴訟など多数の裁判で被告になっている国は和解に応じない姿勢を貫いている。
在日韓国人の元軍属が国相手に起こした訴訟で、大阪高裁が昨年五月に和解勧告したが、国は「いかなる和解にも応じられない」と拒否し、批判を浴びた。
今後も日本国内での戦後補償訴訟提訴は相次ぐ予定で、国や企業がかたくなな対応を示す限り、日本とアジア各国などとの火種を抱えたままになるだろう。

▼原告団「勝利和解で感無量」
「勝利和解で感無量だ」。提訴から八年。戦後補償をめぐる訴訟は、韓国人の元女子挺身(ていしん)隊員を雇用していた機械メーカー「不二越」(富山市)が、解決金を支払うことで十一日、和解が成立した。原告団は「金銭以上のものを勝ち取った」と喜ぶが、不二越は「賃金の未払いなどの事実はない」と強調し、「謝罪する必要はない。強制連行した覚えはない」と話すなど双方の主張は平行線をたどったままだった。
不二越の井村健輔社長は、和解の経緯について「第二次世界大戦下における過去の事実をめぐる不毛の争いを継続することは、当事者双方にとって不幸」とし、「不幸な過去を今世紀中に清算し、新しい時代に向けて進んでいくことを決断した」と説明。「当社で労働されたことに感謝したい」と、企業責任については触れなかった。謝罪や強制連行をめぐり質問が相次ぐと「大日本帝国主義の当時を今(の尺度で)計ることはできない」と語気を強め、記者をにらみつけた。



花岡事件訴訟で和解成立 掲載日2000年11月30日共同

日本に強制連行された中国人が犠牲になった「花岡事件」訴訟が二十九日、和解した。「二十世紀に起きた問題を次世紀の宿題にするな」との声が強まる中、新世紀を目前にしたぎりぎりの決着だった。和解の柱は、雇用主の鹿島が中国紅十字会(赤十字社)に五億円を信託する被害者救済基金の設立。ドイツでも採用された「基金方式」は、当事者の高齢化が進む戦後補償問題解決のモデルになる可能性を帯びている。
▼裁判長の一言
「通常の事件とは違うと理解している。和解で解決を図るべきだ」。昨年九月、和解勧告した東京高裁の新村正人裁判長の言葉に、原告側弁護団長の新美隆弁護士は驚いた。
一審判決では「証拠調べするまでもなく賠償請求権は消滅した」と事実上の門前払いに遭っていた。法律論が無情に立ちはだかる戦後補償裁判。期待が膨らんだ。それから一年余、訴訟当事者だけでなく全被害者を一括救済するという前例のない基金方式が実現した。
対立を乗り越えた新美弁護士は「まさに生みの苦しみがあった」と振り返り、鹿島関係者も昨年の和解勧告直後から「落としどころは基金かな」と受け止めていたと明かした。
▼米国で訴訟多発
四日に亡くなった王敏さんを含め原告十一人のうち三人が死亡している。
「戦後半世紀がたち、高齢化した被害者に残された時間は少ない」と松尾章一・法政大教授(日本近現代史)。全国で約六十件係争中の戦後補償訴訟はどの原告側弁護団にとっても「時間との戦い」だ。
松尾教授は「今回のような基金方式の和解が現実的だ。今後のモデルケースになる」と評価し、日本政府と企業が拠出する「強制労働補償基金」の立法化を提言している。
参考にしたのは、ドイツで今年発足した補償基金。ナチス時代の強制労働に対して政府と企業が折半して計百億マルクを出資するやり方だ。基金発足は、米国でのドイツ企業相手の集団訴訟が引き金だった。
米カリフォルニア州で昨年七月、大戦中の強制労働について「訴えの時効を二○一○年末まで延長する」との新法が成立。ドイツ関連だけでなく、捕虜となった元連合国軍兵士や韓国、中国、フィリピンの民間人らによる日本企業相手の提訴も相次ぎ、既に三十件以上。市民団体「戦後補償ネットワーク」の世話人代表、有光健さんは「米国の訴訟多発で追い詰められた日本企業が対応を迫られるようになってきた」とみる。
▼企業イメージ
和解に動き始めた企業と対照的に、日本政府は「戦後補償は解決済み」との姿勢を崩していない。国が被告となった別の戦後補償訴訟での和解勧告に「いかなる和解にも応じられない」と拒否したままだ。
「企業はイメージを気にするし、強制労働の事実関係が比較的はっきりしているので、まだ和解に応じる余地がある。だが国は難しい」と有光さん。「強制連行の経緯や企業への監督責任の両面で日本政府に責任があるのは明らかだ」
花岡事件訴訟で粘り強い訴訟指揮を見せた新村裁判長は「二十世紀の終えんに当たり、解決は誠に意義がある」と所感を述べた。
同裁判長は、十二月六日にフィリピン人元従軍慰安婦による訴訟の判決も控える。「これだけ被害者の立場に理解を示した新村さんが国の責任をどう判断するのか」。関係者は次の司法判断に厳しい目を注いでいる。

▼識者談話
一括解決と基金評価
田中宏竜谷大教授(日本アジア関係史)の話 今回の和解は原告だけでなく全員を一括解決したところに意味がある。中国赤十字という、公共性の高いところに信託する基金方式も、今までにないやり方だ。90年の「共同発表」を基礎としており、不二越訴訟などこれまでの和解の金銭給付に比べて、謝罪を踏まえた上でそれを実現するための金銭給付という意味は大きい。一審であまりにもひどい判決となったことが、かえって二審の裁判官を動かしたのかもしれない。

玉虫色の決着で残念
山田昭次立教大名誉教授(日本近現代史)の話 被害者、支援者のここまでの大変な苦労を思い、成果をともに喜びたい。しかし鹿島側が法的責任を認めず「受難した者に対する慰霊の念」などという、あたかも第三者が人道主義でしているかのような表現での決着は、やはり玉虫色と言わざるを得ない。あいまいで残念だ。この和解を踏み台に、アジア全体に戦後補償をしていけるよう、今後も努力を続けたい。



■西松建設・中国連行者 2009和解
報道から──


「やっと勝利」/西松強制労働和解
2009年10月26日 朝日新聞

 戦時中、旧安野村(現・安芸太田町)の安野発電所の建設現場で強制労働させられた中国人元労働者らと西松建設(東京)の和解成立を受け、元労働者 側の支援団体が25日、広島市中区の広島弁護士会館で報告集会を開いた。約70人が参加し、招かれた元労働者ら3人をねぎらうとともに、喜びを分かち合った。
 3人は元労働者の邵義誠(シャオ・イ・チェン)さん(84)=天津市、遺族の楊世斗(ヤン・シィ・ドウ)さん(68)と曲啓杰(チュイ・チィ・ジエ)さん(42)=いずれも青島市。
 集会では一連の裁判で元労働者側の代理人を務めた足立修一弁護士が経緯を説明。「和解は日本社会に大きな影響を与える。今後も日本政府の責任追及など運動を進めていきたい」と述べると、会場から大きな拍手が起こった。
 続いて3人が和解成立の喜びを語った。邵さんは、「闘いをやめずに交渉を続けてくれた日本の友人の努力によるもの」と謝意を示し、「安野発電所に行き、亡くなった人たちに、『やっと勝利を手にしました。安らかにお眠り下さい』と伝えたい」と、目に涙を浮かべた。
 楊さんは「和解は中日友好の橋を造り、道を切り開く」。曲さんも「今後の戦後補償問題の勝利につながる」と喜んだ。3人は26日、同発電所を訪れる。(村形勘樹)


読売新聞
強制連行訴訟 「16年の闘い報われた」
写真・報告集会で涙を流す邵さん(広島市中区で)

 戦時中に安芸太田町の発電所建設現場で過酷な労働を強いられたとする強制連行訴訟で、敗訴が確定後、工事を請け負った「西松建設」(東京都港区) と和解した中国人の元労働者らが25日、広島市中区の弁護士会館で報告集会を開き、「16年の闘いが報われた」などと喜びを語った。
 原告5人のうち、元労働者の邵義誠(シャオイチェン)さん(84)と、元労働者の遺族の楊世斗(ヤンシィドゥ)さん(68)、曲啓杰(チュイチィ ジエ)さん(42)が出席。冒頭、約50人の支援者とともに、亡くなった仲間たちに黙とうをささげた。この後、19歳の時に強制連行されたという邵さんが 和解を伝え、「亡くなった人たちの魂に、『やっと勝利しました。安らかに眠ってください』と報告したい」と涙を流した。楊さんは「西松建設が心から謝罪す ることを期待している」、曲さんも「ほかの戦後補償の問題解決にもつながるはず」と期待感を現した。
 一方、和解の条件となった被害者救済基金は、強制連行された360人全員の補償にあてられるが、支援者らによると、現在、所在を把握しているのは遺族も含め約120人。曲さんは「生存者や遺族を探し出し、救済したい」と述べた。
 3人は26日に発電所建設現場を訪れ、亡くなった仲間たちに和解を報告するという。
(2009年10月26日  読売新聞)