気まぐれバーディング   
Birdという単語は「鳥を観察する」という動詞としても使われ、バードウォッチング はバーディングとも言います。このコーナーでは、私の折々のバーディング随想をポストします。
目次はこちら   06/02以降のポストはブログ随想「ささなき通信」(自然のカテゴリ)に移しました。


2006/02/06 冬来ぬと目にはさやかに見えぬ間に

佐世保に住む兄からの近況メールに「今冬は鳥が来ない」とあった。例年なら今頃はとっくになくなっている庭の木の実がまだ食べられずに残っているというのである。

「ピラカンサの実はたわわで木が可哀そうだ。千両 万両 百両 柘植の実もそのままだ。昨冬は正月前にきれいになり、生け花もできなかったのに。柿の実にも誰も来ない。ヒヨドリは一度きたのみ。カラスも来ない。防鳥ネット今年は不要。山に実が多いのか、鳥が少ないのか、メジロも未だこない」。

この冬は冬鳥が少ないことは私も気づいていた。わが家の玄関前のピラカンサは剪定のかげんで実が少なくて大きかっただけにヒヨドリに食べられてしまった。けれど、隣家はまだほとんど手つかずである。例年であれば、ムクドリの大群に襲われて道路が糞で赤く染まらないうちに裸にしてしまうのに、今年はムクの大群の先触れが来たという気配もない。

インターネットにも、今冬は全国的に冬鳥が少ないという情報が出ている。とくにアオジ、ツグミ、シロハラなどの小型の渡り鳥が少ないようである。「こんなに冬鳥が少ない年は記憶がありません」と言う人もいる。「この冬の小型鳥類の激減は異常ですね。渡りの冬鳥だけでなく、標鳥、留鳥も居ないのはどうしてか」と書いている人もいる。

中国新聞の1月8日の地域ニュースには「ツグミなど小型渡り鳥、今冬は半減」という記事がでている。日本野鳥の会広島県支部長の日比野政彦さんは「1995−96年に次ぐ極端な減少。カモ、ツル類など中大型の鳥に大きな変化はないようだ」と語る。山階鳥類研究所の仲村昇研究員は「ここ十年で経験したことのない少なさ。気候変動や環境汚染など繁殖地の中国やロシアで何が起きているのかを調べないと、原因を絞れない」と話す。

理由については各地のバーダーがいろんな推測をしています。「今年は山には餌が豊富なので下りてこないのだろうか」、「カケスが少ないのは、奥山のドングリの実りがよかったせいかもしれない。シロハラの餌となる木の実も豊作だったのかも知れない」、「このところの寒気や大雪を本能的に感じたからでしょうか」、「今年の猛烈な日本を覆う寒波で、どこかに避難してるならいいけれど」、「寒いからもっと南に行っちゃったのか」などなど。

いったいどうなっているのかと思っているうちに、兄から冬鳥の第二信が届いた。それには「小鳥は依然まったく姿を見せない。メジロも来ない」とある。このことより私の注意を引いたのは同じメールにあった「出水の鶴の北帰行が始まった」というニュースである。最初に飛び立ったのは6羽のマナヅルであったらしい。

2月7日の朝日新聞地方版は「マナヅルの北帰行が5日、佐世保市船越町の石岳展望台で見られた。ツルの群れはV字に、横一線にと編隊の形を変えながら、悠々と青空を渡っていった」と伝え、日本野鳥の会県支部会員の大久保昭さん撮影の写真を掲載していた。

鹿児島県出水市役所ツル博物館http://www.city.izumi.kagoshima.jp/izumi08/izumi44.aspによれば、出水平野に昨秋マナズルの初渡来が記録されたのは10月13日であった。ここで越冬したツルたちは、立春から3月下旬にかけて、佐世保の上空を通り故郷のシベリアに帰っていく。

ツルやカモなどと小型の渡り鳥とは事情が違うとはいえ、冬鳥が来ないと案じているうちに、早くも北帰行のシーズンが始まったというのは、冬来ぬと目にはさやかに見えぬ間に、春の渡りに驚かれぬる、という感じである。

冬の渡り鳥が日本を住処にする期間は意外と短い。日本が住みやすいところでないと冬鳥も来てくれなくなる心配がある。江戸後期の俳人の小林一茶が案じたのもまさにそのことであった。そこで一茶の俳句を4句。

けふからは日本の雁(かり)ぞ楽に寝よ
雁よ雁よいくつの年から旅をした
鴨どもも立ち尽くしたり木なし山
春雨や喰われ残りの鴨が鳴く



2005/10/09 ミサゴの狩りも楽ではありません

今日は久しぶりに淀川左岸を枚方大橋下から牧野ゴルフ場まで歩きました。快晴であったにもかかわらず、昨夜までの雨のせいか、どこかでダムの放水があったのか、泥水のような濁流に大小のゴミが浮いて大雨の日を思わせるような流れでした。

見たのはヒバリ、オオサギ、アオサギ、コサギ、カワウ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、キジバト、ヒヨドリ、ホオジロ、スズメ、カワラヒワ、ハシボソガラス、カイツブリ、マガモ、カルガモ、ミサゴの17種でした。まだ北からの秋の使者たちが来ておらず、予想以上に少なくてがっかりしました。

そのなかでせめてもの慰めは、わずかな時間でしたが、お目当てのミサゴに出会えたことです。ミサゴはトビと同じくらいの大きさで、海浜や大きな河にすみ、上空から急降下して魚を捕らえます。魚を捕る鷹、これがミサゴです。

「ニューヨーク通信」に書いたように、2001年7月に訪れたニューヨークのケネディ空港に面したジャマイカ湾の人工島の野生生物保護区では、柱か杭のような営巣施設の上にミサゴのヒナが2羽巣立ちを待っていました。その折りに、ミサゴは英語では正式名はオスプレイですが、通称フィッシュ・ホークと呼ばれることを知りました。日本でも江戸前期にすでにウオタカという別名があったようです。

今では準絶滅危惧種で数が減っているといいますが、留鳥で北海道から沖縄まで全国に生息することから、多くのバーダーやフィールド・カメラマンが自分のホームページにミサゴの写真を載せています。

「野鳥写真」さんのサイトでは、水面に魚影をみつけて急降下するところを見事にキャッチしています。「寝屋川の野鳥園」さんのサイトには、私が今日行った淀川のコースのミサゴの雄姿が出ています。また男里川(大阪府南部)の河口でミサゴがフグを捕っている場面があり、「河豚しか採れないミサゴさん。とっては捨ての連続でした」という解説がついています。フグは食べると危ないことを知っているのでしょうか。

ミサゴはボラやスズキやコイなど大きな魚を鋭い爪で捕らえます。しばしば大きすぎて、あるいは魚が暴れて、落としてしまうようです。「サーモンランド宮古の鳥と島と」さんは、ミサゴが40センチは優にあろうかと思われるボラを掴んで、舞い上がろうとして、あまりに重くて取り落とす(突き刺した爪にまだ引っかかっているようにも見える)までを14枚の写真に巧みに納めています。

今日のコース途中の穂谷川の浅瀬では1羽のコサギが、じっと目を懲らし、小魚(たぶんハヤ)を見つけるとちょこまかと走り回っては逃さず上手にキャッチしていました。でも3、4センチのハヤではなかなかお腹にたまらないので、しょっちゅう捕っていなければなりません。それに比べると、大きな魚を捕らえるミサゴは、ライオンの狩りに似て、一度成功するとしばらくは満腹でいられるでしょうが、それだけに失敗するリスクも大きいのかもしれません。

ミサゴは高い杭や電柱などを食事専用の場所にしており、キャッチした獲物はそこに運んで食べるそうです。リスクはここにも潜んでいます。カラスやトビがいつ横取りするかわからないからです。自然のなかで生きるのは楽ではありません。



2005/05/20 卯の花の匂う垣根に時鳥早も来鳴きて

いつも早起きの兄から、「未明たぶん4時ごろ、まだ床のなかだったが、ホトトギスを今年初めてきいた」というメールをもらいました。それには、ホトトギスの聞きなしについて「テッペンかけたか」と皆は言うが、三木(わたしたち兄弟の生まれ育った大分県旧大野町)では「トッタンはげたか」と言っていた、と記されていました。調べてみると、聞きなしのほかにホトトギスについていくつかのことがわかりました。以下は兄への返事に書いたことです。

1 聞きなしはいろんなバージョンがある

特許許可局
テッペンカケタカ
トッピンカケタカ
テッペンハゲタカ
トッタンハゲタカ

このうち最後の「トッタンハゲタカ」は父親のことを「トッタン」(おとったん)という大分県の田舎のバージョンなのか、一般には言われていないようです。

2 漢字の当て字や異名が多い

時鳥(ほととぎす)、初時鳥(ほととぎす)、霍公鳥(ほととぎす)、不如帰(ほととぎす)、
子規(ほととぎす)、田長鳥(たおさどり)、沓手鳥(くつてどり)、妹背鳥(いもせどり)、
卯月鳥(うづきどり)、杜鵑(とけん)、杜宇(とう)など

文芸上の異名となるとさらに多く、「日本鳥名由来辞典」には上記以外に30余りの異名が出ています。そのなかには「いにしへこふるとり」や「みつきすごすとり」というのもあります。

3 古来、文芸上もっとも愛された

「万葉集」では4500余首中、156首に「ほととぎす」が詠まれているそうです(153首の説もあり)。「かり」「かリがね」の51首、「うぐいす」の47首よりずっと多い。異名が多いのもそのためだと思われます。

4 卯の花との結びつきが強い

「万葉集」に出てくる150余首のうち、少なくとも14首は卯の花と一緒に詠み込まれています。万葉学者の歌人、佐々木信綱は、明治29年に、「卯の花の匂う垣根に時鳥早も来鳴きて忍び音もらす夏は来ぬ」を作詞しています。このもとは万葉集にあります。たとえば次の歌もその一つです。

霍公鳥(ほととぎす)来鳴き響(とよ)もす卯の花の伴にや来しと問はましものを

5 卯の花月に越冬地の東南アジアから来る

卯の花(ウツギ)が咲く陰暦の4月になると、南から来て野山に響きわたるように鳴く。それで「来鳴き響(とよ)もす」と言うのでしょう。広辞苑に出ている古事記の用例では「雉は響(とよ)む」とあることから、「響(とよ)もす」とはあたりに響くように鳴くことをいうようです。

なお「夏は来ぬ」に出てくる「忍び音」はホトトギスの初音のことだそうです。大辞林(三省堂)には「忍び音は苦しき物を時鳥」(和泉式部日記)という例が出ています。あの独特の鳴き声が何かつらいことを我慢しているように聞こえるからでしょうか。

6 ウグイスへの托卵は万葉の時代にも知られていた

兄からのホトトギスの初音メールには、「裏藪でウグイスが元気よい。目覚める前からにぎやかだ」ともありました。ホトトギスがウグイスに托卵することはよく知られていますが、『鳥獣虫魚歳時記<春夏>』(朝日新聞社)によれば、『万葉集』には「鶯の生卵(かひご)の中に霍公鳥(ほととぎす)独り生れて己(な)が父に似ては鳴かず己が母に似ては鳴かず……」と詠まれているそうです。奈良時代にも近代の博物学者顔負けのバードウオッチャーがいたものと思われます。昔の人はそれほど自然に親しんでいたということでしょうか。



2005/05/04 北へ帰るマナヅルの群れ


昨日、ツバメの飛来と子育てについて書いた後、どうしても記しておきたいことを想い出しました。それは今年の2月14日、佐世保に住む兄から届いた、マナヅルの北帰行に関する次のようなEメールです。

2月11日3時頃、佐世保の有福の上空あたりをかなりの数の大きな鳥が、鳴きながら北西の方に縦になり斜めになりながら飛んで行った。翌日の新聞に鶴の渡りが始まったことが出ていた。25羽のマナヅルが10時に飛び立ち、その日に450羽が飛んで行ったそうだ。私の観測では40羽くらいに見えた。1月26日に大学時代の友人5人と天草に行き、翌日出水の鶴を観に行ったところだった。                     

日頃は鳥に特別の関心があるわけでもなく、めったにメールなどしてこない兄からの、うれしくなるようなバーディング・メールでした。

実は兄夫婦とは数年前の12月の初旬に、鹿児島県の出水市にマナヅルとナベヅルを観に行ったことがあります。出水地方がツルの渡来地となったのは元禄年間(17世紀末)だと言われています。いまでは九州における唯一の大量渡来地として、毎年秋から冬にかけてナベヅルが約8000から1万羽、マナヅルが約2500から3000羽来ています。佐世保はそのツルたちが2月初旬以降、北に帰る空の道に当たっているのです。

佐世保に住む志久浩介さんが主催するサイトの「抹香クジラの脊椎コロニー別館」の「鳥になりたい」(2005年4月3日)には次のように書かれています。

わがS市は、鹿児島県の出水市で越冬したナベヅル、マナヅルたちの北帰行ルートの真下にあたる。2月から3月にかけて、運がよければ、編隊を作りゆうゆうと巡航する彼らを見ることができるが、正直かなり難しい。 彼らは標高にして相当高い位置を飛ぶ。啼き声もかすかにしか聞こえない。そもそも普通に生活していると仕事に学校にと忙しく、空を見上げて鳥を探している暇などない。

「その日」とあるだけで、いつかなのかはっきりしませんが、自衛隊の大型ヘリに驚いて、とつぜんものすごい数のツルたちが高度を大きく落として志久さんの視界に飛び込んできたそうです。「翼と胴体は黒く、首から上が白い」ことからナベヅルだったようです。しかし、こういうことはめったにあるものではありません。今年のことではありませんが、「日本 全国鳥便り」というサイトには次のように書かれています。

3月21−22日の連休を利用して佐世保にツルの北帰行を見に行きました。が、見事にふられました。ツルは難しいですね。タカの渡りより難しいようです。少なくとも広島に住んで休日を利用してツルの北帰行を見るのは至難の業、そんな気がしました。

兄は仕事人間で、四六時中鳥をみている人ではありません(そんな人はいませんね)。それでも偶然のなせるわざか、最初に紹介したメールがあった後も、「またツルが帰って行った、おまえも観に来てはどうだ」という電話が二度もありました。

正直言って、今年の冬から春にかけては、「仕事に学校にと忙しく、空を見上げて鳥を探している暇などない」毎日でした。



2005/05/03
  先生 つばめがきました



小学校の5年だったか、6年だったかも忘れてしまいました。誰が書いたのかも覚えていませんでした。なのに、春になると想い出す詩があります。といっても最後の一行だけです。

先生 つばめがきました 

もうひとつ、不思議に覚えている詩があります。こちらは作者も石川啄木だとはっきり覚えています。いま確かめると全体で8行あるのですが、4行まではそらんじています。

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。

給仕づとめの少年が
たまに非番の日曜日、
肺病やみの母親とたつた二人の家にゐて、
ひとりせつせとリイダアの独学をする眼の疲れ……

見よ、今日も、かの蒼空に
飛行機の高く飛べるを。


「先生 つばめがきました」のほうは、「北の春」という詩で、作者は丸山薫という人です。高名な詩人なのですが、なぜかこの詩の作者として私の頭に入っていませんでした。そこであらためてこの詩の全体を紹介しておきます。

どうだろう
この沢鳴りの音は
山々の雪をあつめて
ごうごうと谷にあふれて流れくだる
このすさまじい水音は

緩みかけた雪の下から
一つ一つ木の枝がはね起きる
それらは固い芽のたまをつけ
不敵なむちのように
人の額を打つ
やがて 山すその林はうっすらと
緑いろに色付くだろう
その中に 早くも
こぶしの白い花もひらくだろう

朝早く 授業の始めに
一人の女の子が手を挙げた
──先生 つばめがきました

いま読んでみるとぼんやりとこんな感じだったなあという想いはあります。それでも、手を挙げたのが女の子だったという記憶はありませんでした。ともかく最後の一行だけが鮮明に焼き付いているのです。ツバメは春になると毎年南から渡ってきます。それを見るたびに「先生 つばめがきました」というところだけが頭に浮かぶからかもしれません。

少し自己流の解釈を挟むと、どちらの詩も空を見上げたときの喜びと驚きの入り交じった発見を詩っているように思います。その印象があまりにも強かったことが、ツバメの詩と飛行機の詩の断片だけが、私の子ども時代の遠い記憶に残っている理由かもしれません。

まえおきが長くなりましたが、今年、最初にツバメを見たのは、3月の末ごろだったように思います。阪急高槻市駅の京阪バス乗り場の柱の最上部に巣を作りはじめているところでした。でも「ツバメが来ました」というより「もう来ていました」という感じです。去年も同じところで雛を育てたのですが、その巣はいつの間にか壊されていました。また一から作り直して、今日見たときにはもう卵を抱いているようでした。付近の地面はコンクリートに覆われていて巣材の泥は見あたりません。いったいどこから運んで来るのでしょう。

3日前の4月30日、京都の嵐山から清滝まで真夏日の暑い中を連れと歩きました。帰りに立ち寄ったカフェの入り口に半円のドームのようなテント状のひさしがあり、それに囲まれた壁の最上面にツバメの巣を二つ見つけました。店を出たときにちょうどツバメが飛び出したので気づいた次第です。連れに言われてよく見ると片方の巣の縁に4つほどの黄色い可愛いくちばしが見えました。

もう雛がかえっていたのです。



2004/12/23 セキレイは一度教えてあきれ果て


今年5月23日の「カルガモ一家」以来です。こうも間が開いては「気まぐれバーディング」にもなりません。いっそのこと「師走バーディング」ならぬ「し忘れバーディング」としたほうがよさそうですね。

今日は、今年の鳥収めのつもりで、連れと久しぶりに淀川に行きました。歩いたのは枚方大橋のそばから淀川べりを牧野の少し先までの約10キロです。もうとっくに冬鳥万来の季節なので、「今日は40種以上を目標にする」と言いながら家を出ました。結果は、カワウ、マガモ、ヒドリガモ、アメリカヒドリ、オカヨシガモ、コガモ、ユリカモメ、セグロカモメ、コサギ、チュウサギ、アオサギ、ゴイサギ、カンムリカイツブリ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、サシバ、ヒヨドリ、ハシボソカラス、ハシブトカラス、ツグミ、キジバト、ムクドリ、ノジコ、カワラヒワ、キビタキ、ホオジロ、スズメの27種にとどまりました。

アメリカヒドリやサシバと出会えたのは収穫でした。けれど、いつもいる留鳥のカルガモやカイツブリの姿はありませんでした。冬鳥のオナガガモ、ハシビロガモ、ミコアイサもなぜか現れませんでした。このコースの人気者はベニマシコです。途中、ベニマシコを撮ろうと望遠カメラで構えて待ち受けているニ人の男性と出会いました。でも残念ながら、連れがガガイモを探して先に先に行くので、結果を見届けることはできずじまいでした。

ほかに特筆するほどのことはありませんでした。とはいえ、これで終わるのも淋しいので、今日見たセグロセキレイとハクセキレイにちなんだ話を書きましょう。セキレイ(鶺鴒)類は、平安時代には「とつぎをしヘどり」とも呼ばれていたそうです。なぜでしょうか。ことは奈良時代に編まれた『古事記』(712年)に戻ります。その書き出しにイザナギ、イザナミの国生み神話の次のようなくだりがあることはよく知られています。

その島に天降りまして、天の御柱を見立て、八尋殿を見立てたまひき。ここにその妹伊邪那美命に問ひたまはく、「汝が身は如何か成れる。」ととひたまへば、「吾が身は、成り成りて成り合はざる處一處あり。」と答へたまひき。ここに伊邪那岐命詔りたまはく、「我が身は、成り成りて成り餘れる處一處あり。故、この吾が身の成り餘れる處をもちて、汝が身の成り合はざる處にさし塞ぎて、國土を生み成さむと以爲ふ。生むこと奈何。」とのりたまへば、伊邪那美命、「然善けむ。」と答へたまひき。 

『古事記』の直後に編まれた『日本書紀』(720年)には、このイザナギ、イザナミの国生みの場面に、次のようなエピソードが挿入されています。「遂に合交(みあはせ)せむとす。而(しか)も其の術を知らず。時に鶺鴒有りて、飛び来たりてその首尾を揺(うご)かす。二の神、見(みそなわ)して、学(なら)いて、即ち交(とつぎ)の道を得つ」とあります。

要するに、事に及んだが、仕方を知らなかった。ちょうどそのとき、セキレイが飛んできて、尾を揺り動かした。それを見てイザナギとイザナミはセックスのハウツウを学んだ、そのためセキレイは「とつぎをしへどり」(交教鳥、嫁教鳥)と呼ばれるようになったというわけです(菅原浩・柿澤亮三編著『図説日本鳥名由来辞典』柏書房、1993年)。

なおセキレイについてはこんな古川柳があります。私なら、セキレイは教えることもなかったに、と言いたいところです。

鶺鴒は一度教えてあきれ果て 読み人知らず



2004/05/23 高槻市番田の水路脇の人工池に今年もカルガモ一家

わが家から近い高槻市番田の水路脇の人工池に今年もカルガモが子育て中です。今年は2組の親からそれぞれ10羽と11羽のヒナたちが誕生し、5月17日頃から可愛い姿を見せるようになりました。それを新聞やテレビが報じて、近所はもちろん遠方からも大勢の人が見物に来ています。

(母親と11羽のヒナ)

昨年、本欄に「近くの池に11羽のカルの子誕生」と書いたのは6月22日のことでした。実はこれより何週間か前に、同じ池に別の親から生まれた子どもたちが10羽ほどいたようです。生まれたばかりの11羽を私が見たときには、前に生まれた10羽は4羽に減って、もうヒナとはいえないほど大きくなっていました。

今回インターネットで検索したところ、高槻市の公式サイトに一昨年(2002年)6月4日付けで、「番田の流域下水道高槻処理場敷地内にある公園の池にカルガモの一家。こどもは12羽。散歩する近所の人たちに温かく見守られながら育っています」という寿町の足立道成さんの写真付き投稿が載っていました。

ここ3年間の例から考えると、カルガモはどうやら1回の子育てで10個から12個の卵を産むようです。大阪自然環境保全協会編『大阪の野鳥』(松籟社、1983年)にそれを裏書する次のような専門家の解説がありました。

「カルガモたちは5月に入ると、繁殖にとりかかる。かれらの巣場所は水辺の草の中。枯れ草をしいただけの粗末な巣に10〜12個ものたくさんの卵を産む。卵は、いわゆる“アヒル”の卵で、かなり大きい。だから、2日に1卵しかうめない。産卵が完了するまでに、12卵だと23日もかかってしまう。さらに、卵を抱いている期間をあわせると50日にもなるから、親鳥が卵を外敵にとられないようにする苦労は大変なものである」。

20日以上もかかって卵を産んでも、順々に孵るというわけではありません。同時に温めはじめるからか、すべての卵が同じ日に孵化するのだそうです。子育てはもっぱらメスの仕事らしく、メスのそばをいつまでも離れないオスもいるようですが、オスはたいていは交尾をすませた後どこかへ行ってしまうようです。

1回の子育ての卵の数については、必ずしも「10〜20個」というわけでも、「2日に1卵しかうめない」というわけでもなさそうです。慶応志木高校生物部制作の記録映画「カルガモ子育て日記」には「1度に18羽ものヒナが孵った」とあります。「カルガモは産卵期になると、卵を毎日数個づつ生み10個くらいになったところで生むのをやめ、卵を温めはじめます」という解説も付されています。ニワトリでも卵は毎日1個(まれに2個)なので、「毎日数個づつ」というのは本当でしょうか。

カルガモは生まれ落ちると同時に自分で泳ぎはじめます。歩くこともできます。食べ物も自分で採ります。それでもなお、ヒナの生育環境には厳しいものがあります。1回に10羽から12羽産まれても、カラス、タカ、蛇、イタチ?、猫?などに命を奪われて、無事に大人まで育つのは半数以下だと思われます。

話は変わりますが、カルガモの環境に関連してぜひとも書いておきたいことあります。今年の4月17日の東京での出来事です。前夜、水道橋のグリーンホテルに泊まった私は、翌朝、友人とJR水道橋駅に向かって東洋高校の近くを歩いているときに、カルガモの成鳥が路上で死んでいるのを見付けました。どこにも外傷はなく、触るとまだほの温かい感じがしました。

その場は、可哀そうに思い、道端の植え込みの脇にそっと移してやりました。その後、本郷から上野の方へ歩いているうちに、大阪(茨木市見山)で弱っていたところを捕獲されて死んだカラスを調べたら鳥インフルエンザに冒されていたという話を思い出しました。友人にその話をすると、彼は携帯で110番に電話して、警察に場所を伝え死んだカルガモを調べてほしいと頼みました。けれど、その後、何の発表もされておらず、友人にも何の連絡もありませんでした。ということは、単純な事故死か自然死だったのでしょう。そもそも鳥インフルエンザは関西での騒ぎでした。

人間はカルガモに危害を加える存在なのでしょうか。藤本和典『野鳥−−ポケット図鑑』(主婦の友社、1992年)には、「人気のカルガモ親子だが、毎年、狩猟鳥として20数万羽が打(撃)ち落とされているという事実もある」と出ています。なかには私の好物のカモ鍋になっているものも少なくないでしょう。

しかし、今年も近くの人工池で子育てをしているカルガモたちは、人家の軒下に巣を作るツバメのように、あえて危険な人間に近づくことによって天敵から身を護る戦略をとっているのかもしれません。子どもの頃、わが家の土間には毎年ツバメが来て子育てをしていました。子どもも大人もツバメにやさしく、だれ1人としてツバメを虐める人はいませんでした。

カルガモ一家を見ようと集まってくる人たちも、カラスなどの天敵を気にしながら温かくヒナを見守っています。というより、平和なカルガモ一家に心を癒されて、みんなとてもやさしい顔をしています。人間がカルガモにやさしい心遣いをしているというより、カルガモが人間をやさしい心根にしてくれているのです。



2004/04/05 石舞台古墳の桜を啄ばむニュウナイスズメ

4月5日、関西大学の飛鳥文化研究所(セミナーハウス)から近い、石舞台古墳に行ったときのことです。双眼鏡で満開の桜を見ていると、スズメに似ているがスズメとは明らかに異なる鳥たちが、樹上を見え隠れするように移りながら、桜の花をくわえてはちぎって落としていました。20羽近くいたと思います。地面に落ちた花を手にしてみると、5枚の花弁はきれいについたまま、花柄の子房と接する箇所がプツンと食いちぎられていました。切り口を吸うと甘い味がしました。子房の付け根の蜜を吸っていたのです。

後で確認すると、桜花を啄んでいたこの鳥たちは、私にとっては初対面のニュウナイスズメでした。手元の本には「スズメとはずい分と違った鳥のような印象を持たせる」。「雄は上面が明るい赤褐色で白い頬。雌は上面がオリーブ色で太く白い眉斑が目立つ」(竹下信雄『日本の野鳥』小学館)とあります。まさしくその通りでした。

インターネットでざっと検索した範囲では、桜の花にいるニュウナウスズメの写真はあっても、雄の赤褐色と雌の白い眉斑がはっきりと写っているものは見つかりませんでした。桜の花の中ではなく、地面にいる「知床サイト」の写真は特徴が比較的よく出ています。ただし、私が見たのは天気がよかったせいもあって、これよりもっと明るい色でした。

スズメは雌雄同色ですが、ニューナイスズメの雌雄は色も模様も違います。大きさはどちらも14cmとされていますが、ニュウナイスズメは、スズメやイエスズメと比べて、やや尖って(細く)見えます。

ついでに言えば、日本ではスズメはいたるところに棲んでいますが、ヨーロッパではスズメは森の中に追いやられ、町中ではスズメにかわってイエスズメが暮らしています。ヨーロッパを旅行していて出合うスズメの多くは、実はスズメ(tree sparrow)ではなく、イエスズメ(house sparrow)なのです。公園などで人なつこく、人間の手からパン屑などを取るのもイエスズメだと思われます。

そのイエスズメが環境悪化の影響のためか、近年、急激に減少していると伝えられています。イギリス政府は本格的な調査に乗り出したという報道もあります。昨今は日本でも鳥インフルエンザなどの野鳥への感染や、野鳥による伝染などが問題になっていますが、スズメ社会にも何か大きな異変が起きているのでしょうか。



2004/03/21 八重山諸島で野鳥の世界の生物多様性を実感


3月14日から18日まで沖縄県に行ってきました。息抜きのために思い立った休暇旅行でしたが、のんびり過ごしたというより、車、高速艇、飛行機を乗り継いで忙しく回ったというほうがあたっています。

最初に降り立ったのは石垣島(石垣市)でした。ここは沖縄本島から430キロ、大阪から1590キロも離れています。観光ガイドによればハワイやマイアミとほぼ同緯度だそうです。アダン、ソテツ、ヒルギ、ヤシなどが茂るまぎれもない亜熱帯です。

ここはまた西表島、竹富島、小浜島、黒島、与那国島、波照間島など大小19の八重山諸島の中心になっています。上記のうち、与那国島を除く島々は地方自治体としては竹富町に属していながら、役場(本庁)は石垣市にあります。島々の交通は石垣島を介して互いに結ばれているからでしょう。

最初に行った場所は、石垣市街地の重要文化建造物とされている宮良殿内(みやらどぅんち)でした。どこでも観光ついでにできればバーディングをしようということでしたが、チャンスはのっけからやってきました。門をくぐって見上げると、電線に頭部が白い、モズより少し小さい鳥が尾羽を折るようにして止まっているではありませんか。それは八重山諸島でよくみられる、私には初お目見えのシロガシラでした。

その後、レンタカーで道に迷ってバンナ公園に出ようと走っていると、道路脇の草地にオオクイナが2羽、足早に消えていきました。それからほどなく行くと、やはり道路脇にシロハラクイナが一羽、ひょこひょこと歩いていました。どちらも、石垣島では年中見られるようですが、私は初見でした。車でうろうろしているうちに、ニューフェースの2種のクイナと出合うなんてことは八重山諸島以外では考えられないことです。

2日目の午前中は竹富島に渡りました。地域研究している友人のいうにはここは住民自治と景観保存の理想みたいなところで、かねてより訪ねてみたいと思っていました。今回の旅ではその点を確認する余裕はありませんでしたが、短い時間でわかったのは、ここが蝶の楽園だということです。港から歩いた海岸沿いの狭い外周道路には、オオゴマダラカバマダラアサギマダラリュウキュウアサギマダラシロオビアゲハなどの蝶たちがふわふわと舞っていました。このうちアサギマダラははるばる大海原を超えて千数百キロ先の本州へ渡っていくのかもしれません。

2日目の午後は、再び石垣島に戻って、川平湾のほうへ車を走らせました。途中、ぶさま岳に近い海岸でヒルギがまばらに広がっているのを見ようと停まったときのことでした。双眼鏡で田んぼを辿っていくと、150メートルほど先の山際の電柱にワシかタカらしき鳥が見えました。どうやらお目当てのカンムワシらしいのです。しかし、遠すぎてはっきりとは識別できません。

そこで車で回り道をして側まで行くことにしました。ところが目指す場所に着く前に、電柱に止まっていたサシバにまず挨拶をすることになりました。このタカは昨秋、伊良湖岬で群をなして南に渡って行くのを見ましたが、彼らの一部は石垣島などの八重山諸島で越冬し繁殖しているようです。竹富島で立ち寄った食堂では、「この近くでサシバのつがいが毎年子育てをしています」という話を聞きました。このときを含め、今度の旅ではサシバを間近に見る機会が4回ありました。

石垣市の市鳥とされているお目当てのカンムリワシとの初対面は車の窓越しでした。車だと近づいても、真下を通っても、じっと見つめても、まったく驚いたり、警戒したりする気配がありません。20メートルほどに近寄って、見上げると白い部分の多い羽の色から推して、幼鳥のカンムリワシでした。でも体は大人並で、嘴も目も鋭く、いかにもワシ然としていました。

西表島では仲間川のヒルギが主体のマングローブの林が壮観でした。地中から突き出た板根が特徴のサキシマスオウの群落も亜熱帯の自然を感じさせてくれました。しかし、それ以上の発見は、咲き誇るデイゴの花の間に赤と黒のあざやかなコントラストをなして止まっていたカラスでした。


デジカメで景色を写すように撮ったものです。
野鳥を望遠で狙ったことはまだありません。


このカラスの第一印象は小さいということでした。ハシブトガラス(57cm)はもちろん、ハシボソガラス(50cm)よりも小さい感じがしました。一見、コクマルガラス(33cm)かと思いましたが、後で調べてみたところ、コクマルが八重山にいるという情報はありません。真木広造(写真)・大西敏一(解説)『日本の野鳥590』平凡社、2000年を見ると、ハシブトガラスのページに、デイゴの花の間に止まっている亜種のオサハシブトガラスの写真がありました。あっこれだ、と得心しました。説明も符合します。

屋根屋の池田板金」さんのホームページには、「西表のカラスは、本土のカラスに比べ小型でスマート」と出ていますが、これもおそらくオサハシブトガラスのことでしょう。「自然観察の部屋」さんのホームページには、「オサハシブトガラスというハシブトガラスの別亜種がいるのですが、ずっと小さいのです。手元の図鑑によると、ハシブトガラスが全長57cmに対して、オサハシブトガラスは47cmしかありません。色をそれ以上黒くできないので、暑さ対策としてサイズを縮めたのでしょうか。そういえば、『動物のサイズは南へ行くほど小さく、北へ行くほど大きくなる』という法則もありましたね」という興味深い解説が出ています。

カラスにかぎらず、ヒヨドリ、キジバト、メジロ、ウグイス、その他多くの鳥が、西表島や石垣島では、本土のそれらと比べて、色や姿がどこか違います。こららの亜種にはたいていリュウキュウホニャララという名が付けられています。この地方の人たち(とくに男性)の眉毛が濃いのと同じように、こららの鳥たちの色も本土の仲間と比べて何か濃い感じがします。そのことは今回初対面のズアカアオバトシマアカモズについてもいうことができます。

八重山地方を初めて訪れて、日本における鳥の世界の生物多様性−−種の豊かさ、多様な生息地や生態系−−は、亜熱帯のこの地方をぬきには考えられないことを実感しました。



2003/12/23 交野 白旗池のオシドリ

交野市の植物園(大阪市大理学部付属)や府民の森(星田園地)には毎年のように足を運んでいます。くろんど池や磐船神社にも何度か行ったことがあります。生駒山系に懐かれた交野市は私にとってホームグラウンドとはいえないまでも、慣れ親しんだ場所のつもりでした。

しかし、交野は広い? 今回訪れた交野山や白旗池は私の地図から落ちていました。明日は鳥見に行こうと近場の探鳥情報をネット検索していて、「
大阪近辺の野鳥」というサイトに巡り合いました。そのなかの「関西の主な探鳥地」というページの大阪府の欄に出ていたのが白旗池です。「JR津田駅から歩いて40分。環境もよく2重丸。周りの山々も自然林がほとんど。冬場のオシドリは有名ですね。交野山頂上の大岩からの眺めも良し。鷹の渡りなども見れるそうです」という説明が付されていました。

白旗池は、交野ゴルフ場の北端に接する「
交野いきものふれあいの里」という自然公園の一角にあります。ずっと以前、そのゴルフ場の側を、「こんなに広いスペースを占有して許せない」と思いながら歩いたこともありました。それなのに、白旗池は聞いたことも見たこともなかったのです。

「いきものふれあいの里」は、1992年5月に、自然保護活動や自然体験学習の拠点として開設されたそうです。白旗池に面した学習施設の「ふれあいセンター」では鳥や昆虫の標本が展示されており、備え付けの望遠鏡で実際に野鳥観察ができます。出迎えてくれたのは、マガモ、カルガモ、キンクロハジロ、ヨシガモ、コガモ、そしてお目当てのオシドリでした。

見たオシドリは50羽ほどでしたが、現在160羽ほどが飛来しているそうです。最初に飛来を確認したのは1995年だと聞きました。同じ生駒山系の四条畷の室池にも以前は来ていた(今もまれに見る?)そうです。交野にも昔は来ていたのでしょうが、何かの理由で途絶えていて、近年になって戻ってきたのかもしれません。

それにしても府下の近場でオシドリをこれほどたくさん観察できるとは驚きです。伊吹山の麓の三島池にも劣らぬ数です。係員によれば「ほかと違ってここには大陸から来るらしい。不思議なことに雄に比べて雌が少なく、繁殖はしていない」とのことでした。私は見ておりませんが、2年前にNHKのテレビニュースでここのオシドリが取り上げられ、大勢の人が押し掛け、池の奥の立入禁止区域にも傍若無人に立ち入るカメラマニアもいて、オシドリたちは警戒心が強いだけにその後しばらく姿を消したということもあったそうです。

金色の2枚の銀杏羽を帆のように背中に立てて、腹部を除く全身に化粧を施したオシドリはあまりに綺麗すぎます。派手すぎます。
 
 鴛に美を尽くしては冬木立   

八木雄二氏は『鳥のうた−−詩歌探鳥記』(平凡社、1998年)のなかで、蕪村のこの句を挙げて、こう述べています。

「冬木立のなかにオシドリが群れている。とにかく不似合いなほどの美である。ほかの季節には他の所にあった美を全部ここに寄せ集めてしまったみたいに、オシドリは化粧羽を見せつけて泳いでいる。暗くなったら安全を確認してドングリを食べに木立のなかに入ってゆくのだろう。あとをついて行けないのが残念である」。

オシドリは大木の樹洞によく巣を作り、雛たちは樹上から転がり落ちるように飛び降り、母親に連れられて水辺までよちよち歩くということは知っていました。けれども、ドングリが大好物であることや、木立のなかにも入ることや、交野にも来ることは今回はじめて知りました。

白旗池への手前の交野山の頂上には観音岩といわれる大岩があります。ここはタカの渡りの観察ポイントであることも今回はじめて分かりました。今年の
渡り速報によると、9月28日には422羽のサシバが確認されています。来年はその時期にぜひ行ってみたいものです。



2003/12/12 熊本港―島原港のフェリーを追いかけるユリカモメの群

学生のゼミ(卒業)旅行について九州旅行に出かけました。移動ばかりで恐ろしく慌ただしい2泊3日の行程でした。大分出身の私には、コースの見どころである別府・湯布院も、雲仙・長崎もめずらしくはありませんでした。そのなかで、まだしもよかったのは、やまなみハイウェイ最高地点の
牧ノ戸峠の霧氷と、熊本港と島原港を結ぶフェリーのユリカモメでした。

霧氷は別府から湯布院に向かう途中の鶴見岳や由布岳の山頂付近にも見えました。しかし、それは双眼鏡でやっと確認できるような遠景であって、間近に見たものではありません。その点、九重連山を望む標高1300メートルの牧ノ戸峠は違います。すぐ目の前の手の届きそうなところに氷の花、雲仙でいう「花ぼうろ」が咲いているのです。折しも、ちょうど雪が降りはじめ、山々は見る見るうちに白くなっていきました。ただし、美しい霧氷も雪も、悲しいかな、バスの窓から眺めるしかなく、歩いて楽しむ暇はありませんでした。

瀬の本で昼食を取った後は、バスは、紅葉で名高い菊池渓谷を40分ほど歩いたほかは、ひた走りに走り、熊本港に出ました。そこからフェリーで島原港に渡り、雲仙の宿に向かうためです。バスが港についたのは定刻の5分前。少し遅れれば後の便になるところでした。

ガイドからこのフェリーではたくさんのカモメが餌をもらおうとついてくるので、船内の売店でエビセンなどの菓子を買ってやるとよい、という説明がありました。看板に出てみると、いるわ、いるわ、数百羽のユリカモメが餌を求めて乱舞していました。エビセンを投げ与えると飛翔しながら、上手に空中でキャッチします。その様子はまるで仕込まれた芸のようです。取り落とすことはほとんどありません。人間に慣れているのか、差し出した指に挟んだエビセンをくちばしで直接くわえて飛び去ります。

学生たちは「わーすごい」、「きゃー」といいながら、飽きることなく餌を与え、デジカメや携帯のカメラで写真を撮って楽しんでいました。港を出て20分以上経ったころでしょうか。船尾のほうに行ってみると、船の横に寄り添うユリカモメの群とは別に、船の航跡を追うように数百羽の群が海面近くを上に下に舞いながら飛んでいました。

その群のなかには背中と翼の上面の黒灰色からウミネコと思われるものも多数混じっていました。さらに一羽だけでしたが、暗い褐色の上面、体の円い膨らみ具合、大きさ、ジグザグな飛び方、などから
オオミズナギドリとおぼしき鳥がユリカモメの群に即かず離れず悠然と舞っていました。



2003/12/07 淀川牧野探鳥会に参加して

インターネットで
淀川牧野探鳥会が毎月第一日曜日に行なわれていることを知り、一度参加してみたいと思っていました。それが先週の12月7日に実現しました。午前9時京阪電車牧野駅集合となっていて、8時45分頃に指定の場所に行くと、すでに20人近くが集まっていました。あとで聞くと当日の参加者は44人だったそうです。

コースは牧野駅から穂谷川に沿って淀川堤防まで下り、淀川堤防を上流へ船橋川まで行きます。。そして淀川に面するところまで出て、対岸の高槻鵜殿方面を右に、牧野ゴルフ場を左に見ながら淀川べりの小道を枚方方向に向かいます。途中、御殿山駅に近い磯島実験池(川原のヘラ釣り場)の周りで弁当を食べ、天野川の河口にかかる橋まで歩いて、そこでみんなが何を見たか鳥合わせをして解散しました。所要時間は約5時間でした。

最大の収穫は猛禽類のオオタカ、ハイタカ、ミサゴに出会ったことです。オオタカは舟橋川の手前で空を舞う姿を見上げると、肉眼でも白地に縞の独特の模様がよく見えました。そのうち、数羽の烏に追われて、逃げるように高く高く上がり、視界から消えていきました。ハイタカは最初は鵜殿の淀川べりの高圧線の高い鉄柱の最上部近くにこちらに背中を向けて止まっているのが見えました。といっても、30倍の望遠鏡でようやく確認できるほど遠くに小さく見えたのであって、肉眼では姿さえとらえられませんでした。二度目は空を舞っているところで、これは双眼鏡ではっきり確認できました。前のと同じ固体かどうかはわかりませんでした。ミサゴは天野川の河口の橋でその日の鳥合わせをしているときに淀川上空に姿を現しました。

高槻側の淀川べりは家から近いのでよく歩くのですが、バーディングを始めてこの10年来、そこではタカの仲間にはトビを除いてお目にかかったことがありません。牧野・枚方側で観察できたのは、ベテランのバーダーたちが何人も集まって目を八方に光らせている探鳥会ならではの発見なのでしょうか。それとも淀川の左岸と右岸の自然環境の違いなのでしょうか。おそらく、そのいずれでもあるというのが真実でしょう。

当日グループ全体で見たのは、カンムリカイツブリ、カワウ、ゴイサギ、ダイサギ、コサギ、アオサギ、マガモ、カルガモ、コガモ、オカヨシガモ、ヒドリガモ、ハシビロガモ、ミサゴ、トビ、オオタカ、ハイタカ、ハヤブサ、*キジ、*クイナ、*バン、イソシギ、ユリカモメ、セグロカモメ、キジバト、カワセミ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、ヒヨドリ、モズ、*ジョウビタキ、ツグミ、*ウグイス、*シジュウカラ、ホオジロ、*カシラダカ、*アオジ、カワラヒワ、*ベニマシコ、スズメ、ムクドリ、ハシボソガラス、ハシブトガラスの42種でした。

このうち、*印を付けた9種は私は見ていません。クイナとベニマシコはきっと会えるだろうと期待していただけに、たまたま出現ポイントに居合わせなかったのは残念です。また、次の機会を待つことにします。

いまさら言うのも気恥ずかしいことですが、妻と二人の探鳥行ならぬ、グループの探鳥会に参加したのは、実は、今回が私のバーディング人生で初めてでした。そういう意味でもいい勉強になりました。



2003/11/22 森鴎外『雁』を読んで−マガンが東京に渡ってきていたころの話

表題につられて森鴎外の『雁』という中編を新潮文庫で読みました。興味の一つはなぜ「雁」という題がついているのか、雁がどのように描かれているのかということでした。そのことを言うためにも、どんな筋なのか紹介しておきましょう。

舞台は明治13(1880)年の東京。語り手は東京大学医学部生の「僕」。主な登場人物は、「僕」の下宿の隣部屋のまじめでがっしりした岡田という学生と、寄宿舎の小使から高利貸しになった身なりの好い末蔵と、母を亡くし貧困の中で父親に可愛がられて育ち、結婚に失敗して末蔵の妾になった美しいお玉。

囲われの身のお玉は、上野不忍池にほど近い無縁坂にひっそりと住んでいる。資力のある末蔵は、所帯やつれした古女房に飽き足りず、妾宅のお玉のもとに足繁く通う。お玉は父親を楽にさせるために不遇な境涯を受け入れてはいるが、無縁坂をいつも散歩する岡田に恋心をいだくようになる。岡田もお玉を何度か見るうちにひそかに思いを寄せるようになる。ある日、鳥籠の紅雀が蛇に襲われたところに岡田が通りかかり、退治してもらったことが縁で、お玉の岡田への思いはいよいよ打ち消しがたくなる。

旦那の末蔵が商用で千葉に行った日、お玉は今日こそは岡田に声を掛け、家に招こうと意を決する。いつも同じ道を散歩する岡田はその日も必ず家の前を通るはずであった。しかし、「僕」がたまたま「鯖の味噌煮嫌い」であったことがお玉を哀しい目に会わせることになる。その日、「僕」は下宿の晩御飯の膳にその嫌いな味噌煮が出て閉口し、食べずに席を立ち、岡田を誘って散歩に出る。岡田が一人で来るものばかり思っていたお玉は、岡田に思わぬ連れがいたために、声を掛けそびれてしまう。

そのあと「僕」と岡田の二人は不忍池の周りを散歩する途中、石原という学生に出会う。枯蓮の折れた水面には、十羽ばかりの雁が緩やかに往来していた。石原が岡田に「あれまで石が届くか」という。そして「君が投げんと云うなら、僕が投げる」とそそのかす。岡田は「そんなら僕が逃がしてやる」といってひょうと石を飛ばした。

それを観察していた「僕」はこう語っている。「その行くえをじっと見ていると、一羽の雁が擡(もた)げていた頸(くび)をぐたりとたれた。それと同時に二三羽の雁が鳴きつつ羽たたきをして、水面を滑って散った。しかし飛び起ちはしなかった。頸を垂れた雁は動かずに故(もと)の所にいる」。

その後、石原は夕闇を待って死んだ雁を拾い、それを岡田の外套に隠し、「僕」を含む3人は岡田を挟んで団子になってもとの道を帰る。お玉は岡田の帰りを迎えに出ていたが、またも岡田が一人でないことを知って言葉を交わす機会をなくしてしまう。岡田はその翌日ドイツに留学することになっていた。二人だけになりたいというお玉の思いは遂げられずに終わる。

以上があらすじです。この小説では雁は運命のいたずらを象徴しています。気が進まず、逃がすために投げた石がたまさかあたってしまたったというのは雁にとっては不運でした。とはいえ、死んだ雁を葬るわけでも、悲しむわけでもなく、持ち帰って食べるという筋立てになっています。これは計算があってのことで、一羽の雁がつぶてにあたる様をあっさりと述べ、それを獲物として持ち帰る3人姿をいともこっけいに描いていることが、待ちこがれて声さえ掛けられなかったお玉のせつなさをかえってうまく表現しているように思います。

この小説に出てくる雁は今は東京ではみることができなくなったマガンです。浮田章一・巻島克之『鳥・鳥・鳥 そのエッセイ』(笠間書院、1984年)には、明治十年頃の話として、馬場孤蝶の「外国文学に現われた鳥と東京の鳥」からの次のような文章が引用されています。

「私共の若い時分に、最も印象の深いのは雁の声でありましたろう。秋になってくると非常によく聞えました。本郷あたりにいると、秋の末から冬の初には、ほとんど屋根を掠(かす)めて飛びまして、例の船の舵(かじ)の音に似たような、一種、物淋しい詩的なあの歌とか詩とかいうものにふさわしい、悲哀を帯びたような、趣のある雁の声を聞いたものであります」<
http://www.iic.tuis.ac.jp/edoc/collection/tori/25.html>。

鴎外と同時代人の胡蝶のこの文章は、本郷あたりのかつての風景と重ね合わせに、『雁』の作品世界をぴったりと言い当てているように思います。



2003/10/4-5 伊良湖岬のタカの渡り

タカの渡りを見るならこの時期しかない。そう思い意を決して渥美半島の
伊良湖岬に出かけました。高槻の家を出たのは午前7時。豊橋から連れの運転のレンタカーで現地についたのが午前11時。すでに観察ポイントの恋路ヶ浜の広い駐車場は車でいっぱいでした。空き地には望遠鏡をセットした三脚が所狭しと並び、手に手に双眼鏡を持った人たちが空を見上げていました。

なにしろ初めてのタカの観察で、最初はなにかと要領を得ませんでした。地上200mはあろうかと思うほど高いところを時速40kもの速度で飛翔する姿を見上げて追うのですから、望遠鏡でとらえるのはむろん、双眼鏡でキャッチするのも容易ではありません。

水鳥なら姿を見ながら図鑑で確かめることも可能です。飛んでいるタカはそれができません。写真に焼き付けるように頭に姿を刻むことができればいいのですが、翼や尾のかたち、体下面の色や模様を瞬間に覚えることは至難の業です。しかも色や模様は日が差していればまだしも、曇っていると黒いシルエットにしか見えません。

最初は自力では識別ができないまま、そばにいるベテランや解説員の言うのを聞いて、双眼鏡で再度見て、図鑑と見比べようやくそれと判る次第です。そうやって、タカの仲間では、トビを別として、サシバ、ノスリ、ハチクマ、オオタカ、ツミ、ミサゴ(渡りはしない)を視認することができました。タカ以外では、アマツバメ、ツバメ、ヒヨドリ、カワラヒワ、ハクセキレイが移動していました(渡りの種類の詳細は
こちら

渡りのタカの仲間では数がもっとも多いのはサシバです。タカの渡り
ネットワークによれば昨日(4日)は「合計600ほど」だったようです。今日(5日)は早朝6時からの観察会に7時半までつきあいましたが、その間は、曇っていたせいか、風が少しあったせいか、わずかしか飛びませんでした。朝食後9時半過ぎに再び行ってみると、かなり数が増えており、数十羽のサシバの群のタカ柱も2度見ました。

原始林に覆われた宮山の上に姿を現したサシバたちは、山を越えたところで上昇気流に乗って高く舞い上がり、その後、海に出るあたりで再び高く舞い上がるのが見えました。これを「タカ柱」というのだなと得心しました。

本州におけるサシバの渡りのルートは、東海道を南下して伊良湖を通るコースと、本州中部(信州・岐阜)から琵琶湖を通るルートとの二つがあるようです。今回、現地で買った信州ワシタカ類渡り調査研究グループの出した『タカの渡り−−観察ガイドブック』を読んで、渡りのルートに沿って全国各地に観察ポイントがあり、なかでも長野県南安曇の白樺峠は数において伊良湖に負けない好ポイントであることを知りました。

そうそう。チョウではあっても鳥ではない生物も渡る場面を見ました。
アサギマダラという蝶の渡りです。種子島でマーキング(油性のフェルトペンで、翅に「しるし」をつける)した個体が北海道で見つかった例や、台湾を発ったものが滋賀県で確認された例も伝えられています。伊良湖岬灯台から伊良湖旅客ターミナル(フェリー乗り場)まで波打ち際の路を往き、恋路ヶ浜まで山道を帰ったときのことです。灯台の手前の山陰の道端に、手の届くところだけでも百を超えるアサギマダラがいました。しかし、タカを見ているときに海の方にヒラヒラ舞い上がり空に消えていったアサギマダラはなぜか、なぜかどれも単独飛行でした。



2003/09/28 大阪南港野鳥園、シギ・チドリ・ネットワークに登録

秋の渡りのシーズンです。北からヒシクイ、マガン、オオハクチョウなどの飛来のニュースが伝えられています。伊良湖岬からは南に帰るサシバの群れの便りが今年も届いています。そういうなかで、南への長旅の途中のシギの仲間たちに挨拶しなければと思い立ち、南港野鳥園に行ってきました。

昨夜、ネットで調べているうちに、今日は同園が
シギ・チドリ・ネットワークに登録されたのを記念してセレモニーが現地で開かれることを知りました。それに興味があって行って見ると、開園20周年記念式典の一環であることが判りました。

かつて大阪湾のいたるところにあったはずの自然干潟は産業優先の開発によってとっくに消えてしまいました。南港野鳥園は「南港の野鳥を守る会」などの市民グループの運動に押されて大阪市が造った人口干潟です。もともとお粗末な環境行政と近年の財政難のために、ここは全国の他の水鳥センターに比べていかにも貧相です。それでもシギやチドリの仲間が移動の途中でよく立ち寄るところとして知られています。

地球を旅するシギ・チドリ」によれば、この鳥たちはシベリアやアラスカなどで夏生まれ、日本・韓国・中国などの干潟でエネルギーを補給しながら南を目指し、オーストラリアやニュージーランドなどで冬を越すそうです。この季節に見かけるシギたちははるばる南の越冬地へ渡る途中で日本に立ち寄ったものと思われます(種類によっては日本で繁殖するものもいるようです)。前述の「シギ・チドリ・ネットワーク」は、正式には「東アジア・オーストラリア地域シギ・チドリ類重要生息地ネットワーク」といいます。これも文字通りグローバルな渡りのルートゆえです。現在、ルート上の10か国、31湿地がこのネットワークに参加しているとウェブに出ています。

肝心の今日のバーディングですが、シギの仲間ではチュウシャクシギ、セイタカシギ、タシギ、アオアシシギ、コアオアシシギを識別することができました。
チュウシャクはくちばしが頭の2倍もあって下に湾曲していることが特徴です。いたのは一羽で、熱心に水浴びをしていました。セイタカはとても長いピンクの足と白い胸、黒い背中の優美なシギです。これも一羽でしたが、宝塚のラインダンスのようにずらりと並んだところを見たいものです。

シギ類は識別がたいへん難しく、これまでの何度かお目にかかりながら、図鑑をもっておらず、これとはっきりさせられない種類もありました。そんなわけで、先に挙げた5種は明確には今回初めて識別したことになります。

予想外だったのは、
ミサゴに出会ったことです。Fish Hawkといわれるように魚を常食とするこのタカは、2年前にニューヨークのジャマイカ湾の野生生物保護区で子育て中のつがいを見たことがあります(「ニューヨーク通信」参照)。でも日本ではっきり確認したのはこれが初めてです。南港にはタカ類ではミサゴのほかに、ハヤブサ、オオタカ、チュウヒ、チョウゲンボウなどが来るようですが、ここではチョウゲンボウと今日のミサゴ以外はまだお目にかかっていません。

シギ・チドリ類では、このシーズンだけでも、アカアシシギ、イソシギ、エリマキシギ、オオソリハシシギ、オジロトウネン、オバシギ、キアシシギ、キョウジョシギ、コオバシギ、コチドリ、ソリハシシギ、トウネン、ヒバリシギ、ホウロクシギなどが立ち寄るようです。景観からも鳥の種類からもさほど面白くない野鳥園ですが、これからも春と秋の渡りの季節には足を運ぶ必要がありそうです。



2003年6月22日 近くの池に11羽のカルの子誕生

気まぐれもいいところです。この半年は仕事と雑事に追われてバーディングはほとんどできませんでした。前にも書きましたが、秋に渡ってきたはずのカモの仲間たちも、その姿をみることなく、気がつけば北に帰ってしまっていました。

しかし、つかの間でも時間にゆとりができさえすれば、視界から消えていた鳥のある風景が見えてくるものです。その証拠にというか、今日は昨日孵化したばかりと思えるような11羽のちびっ子たちと対面することができました。都会でもよくみる留鳥で梅雨の季節に繁殖するあのカルガモのヒナたちです。

場所は家から歩いて5分ほどのスポーツグラウンドの横手の水路沿いの人口の池です。池はできて数年経っており、いまでは周囲に葦と蒲がほどよく生い茂り、カルガモやカワセミやヨシキリのかっこう住処になっています。

近くに住みながらごく最近になって知ったのですが、ここには2年ほどまえからいまごろになると、カルガモ一家の姿が見られるようになってきたのだそうです。一昨年は私がニューヨークに出張して不在だったために知らなくても当然ですが、去年も知らずに過ごしたのは迂闊でした。

この池のカルガモファミリーに初めて出合ったのは、先週のことです。そのときは、水路を今日見たのとは別の親が6羽の生後2週間?ほどの子どもたちを連れて泳いでいました。このファミリーが棲んでいる池では、一羽の成長の遅れたヒナが家族から取り残されてひとりさびしく泳いでいました。

今日、行ってみると、この家族のヒナはたちはすでに顔にカルガモ特有の横線が見えるほどに成長していました。しかし、先週は6羽+1羽(その前は8羽いた、あるいは10羽いたとも言われる)いた兄弟姉妹は、3羽減って4羽になっていました。

今日はじめて見た11羽のヒナというのはこれとは別のファミリーです。連れに教えられて行ってみると、池のなかの岩の上にうずくまった親カモの胸の下に小さな足と尻尾がいくつか見え隠れしていました。それをじっと見ていると、やがて親が立ち上がり、伸びをし、水に降りました。すると、子どもたちも次々とダイビングして扇形に広がって滑るように泳ぎだしました。親が逆立ちを繰り返して池の底の餌を捕っているあいだ、子どもたちは輪になったり散ったりしながら、あちこちと自由に泳ぎ回ります。親は気になるのか時々そのあとを追い呼び戻すという感じです。

私が池にいたのは30分ほどでしたが、その間にもヒナたちを一目見ようとする人たち、安否を気遣う人たち、ウオーキング途中の人たちが次々と立ち寄り、会話を交わしています。「何羽、何羽、えー、11羽」。「まえに10羽いたのはもう4羽になってるわ」。「カラスにやられたらしい」。「人間じゃない、悪い人もいるから」。「この子たち無事に大きくなるかしら」。

いろんな危険にさらされ強い者が生き残るのは動物界の常かもしれません。それでもなお、ヒナたちの無事を祈らずにはおられません。



2003年2月25日 水路のそばの公園で  打って食べられたゴイサギ?

気まぐれバーディングの本領発揮というか、気まぐれの間隔がだんだん長くなってきて、ついに3か月−−昨年の12月3日以来−−もご無沙汰してしまいました。ともかく忙中閑なく、いたずらに無粋な日々を送っております。

座業が過ぎて腰痛になる危険を覚え、3日前の日曜日の午後1時間余り、近くの公園を歩きました。昨年の3月24日の「イカルはどう鳴くか」に「高槻市西大樋の小さな公園」と書いた場所です。

この公園のはずれに幅5メートルほどの水路があります。おそらく灌漑用でしょうが、芥川の鷺打橋に近いこのあたり一帯は地名を南大樋、北大樋、西大樋といいます。かなり昔から大きな水門、すなわち大樋があったのでしょう。

このあたりの二つの水路が直角に交わるところに工場があり、その工場の端の植込みにゴイサギ(五位鷺)がたくさんいます。絵画に描かれた貴婦人の帽子を思わせるような立派な白い冠毛のある成鳥だけでなく、褐色の地色に白い斑点のあるホシゴイ(星五位)という異名をもつ幼鳥もあちこちにいます。あたりの葉っぱが糞で白くなっていることからみて、ここはどうやら小さなコロニー(集団営巣地)になっているようです。

この鳥は「よがらす」「つきよがらす」「よさぎ」「よだか」といった別名をもつように、夜行性のサギで、普通、昼は樹木の上の茂みに眠っていることが多く、夜になると川や池に魚を捕りに出かけます。

ゴイサギはまた別名、「いつぱいさぎ」「わやわやどり」といわれるほど昔はたくさんいたようです。いまもみる鳥ですが、昔はもっといたのでしょう。その証拠かどうか、近くにはさきほど言ったように鷺打橋という名の橋があるくらいです。この鷺は、アオサギやコサギの可能性もありますが、たぶんゴイサギでしょう。

ここから先はまったく根拠のない憶測ですが、「鷺打」というのは誰かが鷺を打った逸話から来ているのでしょうか、あるいは打って捕るほどに鷺がたくさんいたということでしょうか。今も鷺が多い場所であるかことから、後者ではないかと思います。

ゴイサギには「ばかさぎ」「あつぽさぎ」という別名もあります。醍醐天皇から五位のくらいを授かったので「五位鷺」と呼ばれるようになったにしては、なんともしまらない名前です。昼間は眠っていることが多いためか、おそらく簡単に人の手にかかったのでしょう。

では打って捕った鷺はどうしたのでしょうか。人間によって食べられたのだと思います。ゴイサギは現在では数少ない狩猟鳥(狩猟が許可されている鳥)の一つです。人が好んで食べるとは聞いたことがないカラスの仲間も狩猟鳥に入っているので、狩猟鳥だから好んで食されたとはいえませんが、鷺のなかでもゴイサギはかつてはよく食べられたのではないかと推測します。しかし、たしかな根拠はありません。

昔、ゴイサギは食べられたのかどうか、鷺打ちとはどういうことをいうのか。ご存じの方は教えてください。

ゴイサギの名前についてはH.Hiraizumi's Birding Pageの《鳥類辞典》を参考にしました。
http://www.asahi-net.or.jp/~SG4H-HRIZ/dic/index.html

ゴイサギの写真については下をご覧ください。
http://tubamail.cool.ne.jp/p_bird/bird_goisagi.htm



2002年12月3日 旧北海道庁 ハルニレのアカゲラ

12月1日から3日までゼミナールの学生の卒業旅行に引率?されて札幌に行きました。この寒い季節になぜわざわざ寒いところに行くのでしょうか。食べ物がおいしいからというのが学生たちの理由のようです。

カニもジンギスカン(羊肉)も海鮮もラーメンもたしかにおいしゅうございました。しかし、この季節の札幌はみるところはほとんどないじゃないかという印象を受けました。下調べもせずに行ったので文句は言えませんが、お目当ての北大植物園は冬季の閉鎖期間にはいっていました。この時期、藻岩山もタクシーでは行けないようです。小樽では小林多喜二の記念碑のある丘に行く道も閉鎖されていました。冬季はどこもかしこもこんな感じなのでしょうか。

今度の旅では慌てて家を出たために双眼鏡を持っていくのを忘れました。バーディングを始めてこんなことは初めてです。しかし、それでもバーディングを楽しむことができました。

旧北海道庁前の池の周りを歩いていたとこのことです。二抱えはありそうな大きなハルニレ(英名エルム)の根本の周辺に大鋸屑(おがくず)のような小さな木片がたくさん散らばっているのが目に止まりました。どこから落ちてくるのかなと見上げると、地上10メートルほど上の太い枝の付け根近くにピンポン玉くらいの穴が空いていて、そこからひょこんとアカゲラらしいキツツキが可愛い頭を出して、小さな木片をせっせと落としているではありませんか。

池のマガモを望遠カメラで撮っていた60年輩の男性に、あれはアカゲラでしょうかと訊くと、その人は私の見ていた巣穴の方にカメラを向けかえ、誰かに携帯電話をかけて「アカゲラはいまごろ巣を作るの?」と訊いていました。その男性によれば、電話の相手は「この時期に作るのはめずらしい」と話していたとのことでした。

望遠カメラの男性と話しながら様子を窺っていると、アカゲラは数分おきにひょこんと頭を出しては自分の穴掘りによってできた廃棄物を地上に落としていました。コツコツというドラミングの音は聞こえませんでした。よほど深い穴の中で仕事をしているのでしょう。しばらくすると、疲れたからか、私たちがうるさかったからか、巣穴から出て、「ほらごらん私はアカゲラのメスですよ」と言わんばかりに近くの樹にとまり、そのあと別の樹の方向に飛んで行ってしまいました。



2002年11月4日 ヤマガラのおみくじ引き

秋が深まりカムチャッカからシベリアからカモやハクチョウやガンの仲間が渡ってきています。そうだというのに今年はまだ一度も会っていません。バーディングに出かける時間がなかなかつくれないのです。

忙しいときも暇なときも、夜は入眠剤として文庫本や新書を何分か読みます。それで手にした小沢昭一の『むかし噺うきよ噺』(新潮文庫)のなかに、ヤマガラの芸についての話を見つけました。

前回書いた比叡山のヤマガラの続きのような話です。坂本側の山頂駅のケーブル乗り場でのことでした。ベンチに座って売店をみているとヤマガラが繰り返し飛んできて、店番のおばさんから餌をもらっていました。そのときはおばさんに慣れ、大胆にして細心で、ちょこまかと同じような動作を繰り返すヤマガラの習性に感心したものです。

今年はヤマガラと縁があるらしく、4月29日の日誌に書いたように、熊野本宮の近くのあばら屋でヤマガラとメジロをたくさん飼っている鳥おじさんに会いました。そのおじさんは手製の鳥籠を開けたまま餌をやっていましたが、ヤマガラは籠から出てもまた戻ってくると言っていました。

小沢昭一の随筆に出てくる「ヤマガラの芸」というのは、「おみくじ引き」のことです。それはかつて(彼が最後にみたのは十数年前とか)は、あちこちの神社の初詣やお祭りや縁日などで見ることができたそうです。まったく知らなかったことなので少し引用させてもらいます。

「まずお客が、ヤマガラ使いのおじさんにお賽銭(300円)を渡しますと、鳥は籠から出て、百円玉では重いので一円玉を嘴でくわえさせられます。するとチョンチョンと模型のお宮の参道を進み、賽銭箱に金を落とし、鈴をならし、階段を登って扉をあけ、お宮の中からおみくじを取ってでてきます。これをすべて嘴でやる姿がかわいいのです。

ヤマガラはさらにそのおみくじを足で押さえ、封を切り、くるりくるりと調べるふりでひっくり返したりしておじさんに渡しますと、麻の実をもらって籠にもどります。おじさんはそのおみくじを客に渡して一回の終わりです」。

ヤマガラの芸も細かいけれど、小沢昭一の観察も細かいですね。回想でここまで微細に書けるということは記憶力のよさもありましょうが、それだけ熱心に見ていたということでしょう。

ちなみに羽鳥宏『野生のいのちは温かかった』(三省堂書店)にも同じような話が出ていますが、これによっても小沢昭一の観察眼の確かさを確認できます。こちらはhttp://www.bremen.or.jp/sinjo/yaseino.htmlに全文出ているのでご参照ください。ここにはヤマガラにはほかに「揚げつるべ」など数種の芸があると書かれています。

野鳥には乱獲や環境の変化ですでに絶滅したものや、絶滅危惧種とされるものがいます。ヤマガラはいまのところそのおそれはまったくありませんが、それでもその至芸がそれを一度も見ないうちに絶滅したとすればまことに残念無念です。どこかでまだ生き残っていないものでしょうか。



2002年9月16日 比叡山のヤマガラおばさん

敬老の日の振替休日の16日、北九州から来た姉といっしょに比叡山に登りました。といっても叡山電車の八瀬遊園駅からケーブル、ロープウエイを乗り継いでのラクチン移動。歩いたのは東塔エリアから西塔エリアの往復をはさんで2時間ほどでした。

バーディングに行ったわけでもないので文句は言えませんが、歩いている間は鳴き声のほかにはこれという鳥さんには会いませんでした。しかし、午後3時過ぎに坂本ケーブルの山頂駅の待合室で次の便を待っているときに、面白い光景を目にしました。

待合室に入ろうとすると、逆光でよく見えませんでしたが、中から何か小鳥が飛び出してきたのです。家の中から出てくるからには一瞬ツバメかと思いましたが、ツバメは子育てをとっくに終えもう南に帰る頃ですから、いるはずはありません。それに室内を見渡してもツバメの巣は見当たりませんでした。

ベンチに座ってぼんやり売店の方を見ていると、ちょこんと売場のフイルムケースの上に止まっている鳥がいるではありませんか。頬の白い、胸と背の上がオレンジ色の可愛いヤマガラです。次の瞬間には店の中の机の上から何かをついばんで飛んで行きました。その一羽だけなら驚きませんが、客の往来の隙間を縫うように、またチョンと飛んできて、入り口の開いたドアの蝶番(ちょうつがい)に止まったり、キーホルダーの商品棚に止まったりして、次々と店の中に入り、餌をくわえてまた飛んで行くのです。

客がいない場合には外から見えない位置に、60歳は過ぎていると思われるおばさんが店番として座っています。ヤマガラはそのおばさんを恐れている様子はありません。いったいどうなっているんだと思い、中を覗いてみると、ピーナツらしきものを砕いて、それを机の上に置いてやっていました。ヤマガラはそれをもらいにきていたのです。

そのおばさんに訊いてみますと、ヤマガラは4、5年前から来るようになり、いまでは10羽余りが常連になっているそうです。10羽が嘘ではないことはわずか20分ほどの観察からもわかりました。

山と渓谷社『日本の野鳥』を見ると、ヤマガラは秋には木の実を幹の割れ目や朽木に埋め込んで貯える習性があるようです。エゴノキの実やイチイの実を運んでいる写真も出ています。しかし、野生のヤマガラが餌付けされたとか、人から餌をもらうとかいう話はきいたことがありません。ロンドンやパリではスズメが人の手の上で餌をついばむのをみたことがありますが、ヤマガラも環境によってはそういう行動をみせるということを知りました。

なお、ヤマガラ(山雀)については下をご覧ください。
http://www.fsinet.or.jp/~bird/bird/photo/titmice/yamagara_j.html



2002年8月4日 日韓に橋を渡せるカチガラス

7月27日から30日まで関西大学の地方教育懇談会の仕事で九州の福岡と長崎に出張しました。そして、1日おいて、8月1日から3日まで韓国の市民団体の参与連帯と交流する目的でソウルを訪問しました。バーディングが目的の旅ではありませんでしたが、目に入ってきた野鳥は九州でもソウルでもカチガラス(カササギ)だけでした。

カチガラスはユーラシア大陸から北アメリカまで北半球全域に広く分布しています。それなのに、日本では佐賀平野を中心とする筑紫平野とその周辺(佐賀県以外では、福岡県、長崎県、熊本県の一部、最近では大分県にも広がっているとか)でしか見られません。佐賀県では県鳥で、国の天然記念物に指定されています。大きさは普通のカラス(ハシボソガラスやハシブトガラス)より一回り小さく、色は、腹部が白、頭胸部と尾が黒のツートンカラーが特徴です。ただし、翼の一部には青が混じっており、見る角度によっては青い光沢を発します。
http://kyushu.yomiuri.co.jp/pre-spe/sfuruten/sfu9812/fu981207.htm

カチガラスは、カラスの仲間ですが、他のカラスと違って、なぜか、電柱がお気に入りです。今回の九州出張でも、目についたのは筑紫平野の鉄道沿線の電柱の上の大きな巣でした。しかし、小枝のほかにハンガーなどの針金やプラスチックを巣材に、がっしりとした大きな巣を作るというのは、最近の都会のカラスと同じです。三輪節生氏は野鳥探訪のなかで、「九州電力では、繁殖シーズンが終わった後、福岡、佐賀両県教育委員会を通じて許可を受けて電柱の巣を撤去しています。佐賀県教委によると、電柱から撤去された巣の数は2000年は約6900個。また福岡県教委の話では、筑後地方だけで約3400個の巣が電柱にかけられていたということです」、と述べています。
http://mytown.asahi.com/kitakyu/news01.asp?c=2&kiji=547

インタネットに出てくる情報では、一部の例外を除き、ソウルでは普通のカラスはおらず、いるのはカチガラスだけであるということになっています。しかし、これはうそっぽく、今回のソウル旅行でも、景福宮から国立民族博物館に移動する途中だったか、ハシブトかハシボソかは確認しませんでしたが、黒い普通のカラスを見たように記憶しています。

カチガラスは、韓国の国鳥で、身近にいる吉鳥(吉兆の鳥)として人びとに親しまれていると言います。しかし、今回、ソウルの街中では意外に見かけませんでした。ソウル市内で見たのは、ソウルタワー(南山タワー)の展望台に上って裾野の森を見下ろしたときと、晶徳宮を訪ねたときだけでした。晶徳宮は15世紀の初めに造営された宮殿で、ユネスコの世界遺産として登録されており、こんもりした森に覆われた野鳥の楽園と見受けました。

ガイドの梁(ヤン)さんから聞いた話では、韓国ではカチガラスのことを「カチ」(「カッチ」「ッカーチー」とも聞こえるが、日本人には発音できないとか)というのだそうです。それが日本に伝わって「朝鮮でカチと呼ばれるカラス」ということで「カチガラス」となったというのが梁さんの解説でした。「カチ」という韓国の名は、「カシャカシャカシャ」あるいは「カッチカッチカッチ」とも聞こえる鳴き声から来たものでしょう。

不思議なのは、朝鮮半島にいるカチが日本にどうやって来たかということです。一般に伝えられている説は「豊臣秀吉の朝鮮侵略のとき、佐賀藩主が持ち帰った」というものですが、これには明確な根拠があるわけではありません。

朝日新聞社刊の『鳥獣虫魚歳時記・秋冬』(2000年)は鵲(カササギ、カチガラスのこと)を秋の季語として取り上げ、旧暦の七夕に織女星と牽牛星が出あう時、カササギが翼を並べて天の川に橋を架けるという中国の伝説にちなんだ「鵲の丸太の先にあまの川」という其角の句を掲げています。そのページの解説では、百人一首にも出てくる、

 かささぎの渡せるはしに置く霜の
 しろきをみれば夜ぞ深けにける
  (『新古今和歌集』大伴家持) 

という歌を載せ、「カササギがいなかったにもかかわらず、わが国には鵲を詠った詩がたくさんある。これは漢詩から連想したものであろうと考えられている」(山岸哲)と解説しています。この説は天の川伝説と重ね合わせると、いかにも説得力があるようにみえますが、私は納得がいきません。

有田地方の陶磁器生産は豊臣秀吉の朝鮮侵略の際に連行されてきた朝鮮の陶工たちによって起こされたと言われています。しかし、それと同じように、カチガラス(カササギ)を持ち帰ったという話には疑問が多すぎます。1)秀吉の朝鮮侵略以前から、多くの歌に詠まれているのを、漢詩からの連想というだけで説明できるのか。2)慶長の役(1596年)から数えて400年以上になるになぜ国内の生息地は最近まで筑紫平野とその周辺に限られてきたのか。3)カチカチ(勝ち勝ち)となく縁起のいい鳥なので持ち帰って保護したというのは話として出来過ぎてはいないか。4)最近は新潟県や長野県でカササギが営巣しているという話(前出の三輪氏)や2000年には大阪南港に「迷鳥」として出現したという話をどう考えるか、など。
http://www.asahi-net.or.jp/~VP1K-MZN/bird4.html

より大きな疑問はいったい何羽のカチガラスを生け捕って持ち帰ったのかということです。北アメリカにはヨーロッパ・スターリング(ホシムクドリ)という小鳥がいます。ヨーロッパ原産のこの鳥は植民地時代から何度か持ち込まれたが繁殖するまでにはいたらず、1890年にいたって60羽ほどがセントラル・パークに放たれ、それ以後、北アメリカ全域に広がったと言われています(本HPの「ニューヨーク通信」第2章を参照)。これから推測して、10羽や20羽持ち帰ったところで、持続的な繁殖は難しいでしょう。トキの人工繁殖の難しさからもそれは言えます。

カチガラスはツルやハクチョウやガンやカモのような渡り鳥ではなく、したがって長距離の飛翔能力はないと考えられます。しかし、うまく偏西風に乗れば、大陸から渡ってこれなくはないかもしれません。いずれにせよ、どうやって日本にきたのか、なぜ九州の一部にのみ生息してきたのか、不思議は広がる一方です。



2002年6月15日 バード苗字考−−小鳥遊(たかなし)、善知鳥(ウトリ)

先日、株主オンブズマンがソニーや雪印乳業に対して行っている株主提案の件で、『日経ビジネス』の記者の大豆生田(おおまみゅうだ)崇志さんに取材を受けました。

私はこれまでこれほど変わった苗字の人に会ったことがありません。息子の話では、国語学者の金田一春彦がミャミュミョの「ミュ」という音が日本語にあるかどうかを調べていて出会ったのがこの「大豆生田」という姓であったとか。

珍しい苗字に関心をもって、ウェッブ検索をしてみると、小林一茶の「我と来て遊べや親のない雀」を思い出させるような、「小鳥遊」という姓が出てきました。「たかなし」と読むのだそうです。
<「新(珍)人名字典」
http://village.infoweb.ne.jp/~fwga6073/name1dic.htm>

「パチンコ人気ライター小鳥遊エリコ」、「スーパーアイドル “小鳥遊 ひびき”」という情報も出てくるので、意外によく知られた姓かもしれません。しかし、いったいなぜ小鳥遊が「たかなし」なのでしょうか。前出の「新(珍)人名字典」には「小鳥の天敵の鷹がいないので、小鳥が遊べる」とあります。ウッソーと言いたくなります。でも、「月見里」を「やまなし」と読ませる(山がない里なので月が見えるから)、あるいは「四月一日」と書いて「わたぬき」と読ませる(春になり綿入れの着物を脱ぐから)という例もあるくらいだから、ホントーなのでしょう。

鳥にちなんだ珍しい苗字では「善知鳥」というのもあります。これはバーダーならご存知の「ウトウ」のことです。私はニューヨークの動物園のペンギン館で見たことがありますが、日本では北海道はオホーツク海にいるウミスズメ科のハト大の海鳥で、嘴に突起がついています。名前は、アイヌ語で突起を「うとう」というところからきているという説があります。

ウトウの親子にまつわる悲しい説話をめぐって、能には「善知鳥(うとう)」という謡曲があり、浄瑠璃には「善知鳥安方(うとうやすかた)」という人物が登場する。青森の裁判所庁舎の近くの安方(やすかた)2丁目には「善知鳥(うとう)神社」がある。こんなことはわかっても、漢字表記で「ウトウ」をなぜ「善知鳥」というのかはわかりません。だれか教えてください。



2002年5月5日 連休特別情報 米国バーディング協会のバーディング倫理原則

連休中なさけないことにフィールドならぬインターネットでバーディングをしていて以下の情報を見つけました。英文からの下手な日本語訳ですが、賢明なバーダー諸氏の参考になれば幸いです。

米国バーディング協会のバーディング倫理原則
American Birding Association's PRINCIPLES OF BIRDING ETHICS

http://www.americanbirding.org/abaethics.htm

鳥とバーディングを楽しむ人はすべて、常に野生生物、その環境、および他の人々の権利を尊重しなければならない。鳥とバーダーの間の利害が衝突する場合には、鳥の幸福と鳥の環境が最優先される。

バーディング倫理規範

1. 鳥の幸福と鳥の環境を促進する。


a. 鳥の大切な生息地の保護を支援する。

b. 鳥にストレスを加えたり、鳥を危険にさらすことを避け、観察、写真撮影、録音、映画撮影の間は抑制と注意を保つ。

鳥を寄せるために録音やその他の方法を使用することを自制する。バーディングがよくされる地域においてそうした方法は使用してはならない。また絶滅危惧種や特別に心配のある種を寄せるために、そうした方法は使用してはならない。

巣や、営巣場所や、ねぐらや、求愛活動地や、大切な餌場には近寄らない。そうした感じやすい場所において、長期の観察や、写真撮影や、映画撮影や、録音の必要がある場合には、ブラインドや隠れ場所を使用するようにし、また自然の覆いを利用するようにする。

映画撮影または写真撮影のために、とくに近距離からの撮影のために、人工的光を使用することは控える。

c. 珍しい鳥の存在を知らせるときは、その前に、その鳥や、その環境や、その地域における他の人々への加害の可能性を評価検討する。そして、アクセスがコントロールでき、加害が最小化され、土地所有者から許可が得られる場合にのみ、実行に移す。巣作り中の珍しい鳥のるところは、関係保護当局にのみ知らされるべきである。

d. 人々が通る道路、小道、歩道の外に出ない。出る場合は生息地への妨害を最小化する。

2. 法律や他の人々の権利を尊重する。

a. 所有者の明示的な許可なしに私有地に入らない。

b. 国内でも国外でも、法律、規則、および道路や公共区域の使用を管理する規制に従う。

c. 他の人々との接するときは社会一般の礼儀を実行する。あなたの立派な行動は、バーダーにも、バーダーでない人にも、好感を持たれるだろう。

3. フィーダーや、巣箱や、その他鳥の人工的な環境の安全性を確保する。

a. 容器、水および食物を、清潔で、腐食や病気のないものにしておく。天候が荒れている間も鳥に続けて餌を与えることが大切である。

b. 巣箱を規則的に整備し清潔にする。

c. 鳥をある地域に寄せている場合は、猫や他の家畜の捕食、あるいは人工的事故によってもたらされる危険に、鳥をさらさないようにする。

4. 組織的であるか、たまたまかは問わず、グループ・バーディングは特別の注意を要する。

グループ中の各個人は、第1条および第2条に述べられた義務に加えて、グループ・メンバーとしての責任をもっている。

a. 他の本式の野外活動に参加する人々と同じように、仲間のバーダーの関心や、権利や
技能を尊重する。第1条の(c)が当てはまるところ以外は、あなたの知識や経験を自由に共有するようにする。とくに初心者のバーダーの助けになるようにする。

b. 不道徳なバーディング行動を目撃したときは、状況を評価し、それが賢明と思えば割って入る。仲裁する場合、その人に不適切な行為であることを知らせ、道理にかなった範囲で、それを止めさせることを試みる。その行動がなおも続く場合は、それを記録して、しかるべき個人あるいは組織に通知する。

グループ・リーダーの責任[アマチュアおよびプロのツアー]。

c. グループの倫理的役割の模範となる。言葉と実例を通じて教える。

d. グループの人数を、環境への打撃を制限し、同じ地域の利用する他の人々を邪魔をしない程度にする。

e. グループの誰でもこの規範を知っており、実行することを確かなものにする。

f. 訪れる地域に適用される特別な状況(例えば、テープレコーダーの使用は許されない)を学び、そのグループに知らせる。

g. 専門の旅行会社は、その会社の営業上の利益よりも、鳥の幸福と公共知の利益を優先することに特別な責任を負うことを承認する。理想的には、リーダーは、旅行の見所を把握しておき、異常な出来事を記録し、しかるべき組織に記録を提出するべきである。

…………………………………………………………………………………………………………

この規範を守り、他の人々に配布し、教えてください。

米国バーディング協会(ABA)のバーディング倫理規範は、配布ならびに普及のために自由に複写してよい。url<
http://americanbirding.org/>を用いて、ABAウェブサイトへのリンクを張ることで、この規範を啓発し奨励するABAの役割をご承認ください。



2002年4月29日 熊野古道、本宮  不思議な鳥おじさん

連休前半の27日から29日、友人夫婦の案内で、御坊に一泊したあと竜神温泉、中辺路を経て本宮町までパートナーの車で走りました。2日目は川湯温泉のかめやに泊まり、翌日、熊野本宮大社旧社地の大斎原から伏拝王子までの熊野古道を二人で歩きました。かめやは大塔川の掘れば温泉という川原を臨む場所にある、料理のおいしい純和風旅館です。鯉のぼりが泳ぐ川原の朝風呂はややぬるめでしたが、実に風情がありました。

里も山も聞こえてくるのはウグイスのさえずりです。ケキョ、ケキョ、ケッキョ、ケキョ、ホーホケキョ……。この時期、ウグイスは次第に梢に姿を現すようになるといいますが、そのせいか下から声のするほうを見上げると、そこで鳴いているのが見えました。

ほかによく目についはのは、セグロセキレイにハクセキレイ、ホオジロ、カワラヒワ、トンビなどでした。もちろん、スズメも、ハシボソカラスもいましたが。少ない種類しか見ていないなかで、初めての発見だったのは、大斎原で見たコルリでした。大きさはルリビタキとほぼ同じ、雄は色も似ていますが、わき腹の薄いオレンジがないところがルリビタキとは異なります。

熊野本宮の脇から少し行ったところで、不思議な鳥おじさんに出会いました。というより正確には、鳥に引かれて、鳥おじさんの家に立ち寄りました。その人は、小さなあばら家に一人で住んでいるようです。周囲はスズメのお宿のような藪と狭い畑があります。家の周りにはなんと20個ほどの手製の鳥篭がぶら下げられ、ヤマガラがツーツーピィ、メジロがチィチィチュー。数はヤマガラがやや多いようでした。鳥もちと落し仕掛けの籠で捕ったのだと聞きました。

鳥たちの水浴びの仕掛けもおじさんが自分で作ったとか。鳥籠を一度に4つは並べて置けるような広い容器に水を張って、籠に入った鳥を浸してやるのです。ヤマガラの何羽かは籠から出ても戻ってくるらしく、私の目の前でおじさんは籠の窓を空けて餌をやって見せました。野鳥を捕るのも飼うのも感心しませんが、おじさんを見ていると虐待しているとも思えず、まあいいんじゃないのという気になりました。そういう鳥仙人のような不思議な不思議なおじさんでした。



2002年3月24日 高槻市西大樋の小さな公園  イカルはどう鳴くか

しばらくまともなバーディングには行っていません。でも思わぬ出会いはあるものです。今日は家の近所のスーパーに買い物に行った帰り道、ちょっと立ち寄った名もない公園で、桜の蕾をついばむイカルたちをじっくり見ることができました。10羽までは数えました。もっといたかもしれません。

大きさはムクドリくらい。嘴がやたらと大きく、鮮やかな黄色。声がいい。まるで美しい口笛のように、ヒョーヒーヒョーヒーと聞こえます。「ただし、私には」、と付け加えなければなりません。手元の図鑑(『日本の野鳥』山と渓谷社)には、<「キィーコーキィー」とか「キョコ、キィー」「キキキィーコ、キコキコキィー」などと、明るく朗らかな声でさえずる>とあります。私の耳が悪いのでしょうか。

鳥の鳴き声やさえずりを、何か意味のありそうな言葉に例えるのを「聞きなし」といいます。たとえばホトトギスは「特許許可局」、ツバメは「土喰うて虫喰う口渋い」、ヒバリは「一升貸して一斗取る、利取る、利取る」というように。これに倣っていえば、イカルの場合は「お菊二十四」「あけべべ着い」と聞こえるのだそうです。「月日星(つきひほし)」と聞きなせるという説もあります。このHPのリンク集にあるGoichi's Birdsの「森のコンサート」では、いろんな鳥たちのさえずりを楽しむことができます。あなたにはイカルのさえずりはどう聞こえますか。<http://www.asahi-net.or.jp/~yi2y-wd/a-uta/uta.html>で確かめてみて下さい。

古名は奈良の斑鳩と同じ「イカルガ」だったそうです。万葉集にも「いかるが」と出てくるとか。ただし漢字では斑鳩はジュズカケバトを指すので、イカルには、嘴の大きな鳥を意味する国字の鵤をあてるのが正しいようです。菅原・柿澤編著『日本鳥名由来辞典』(柏書房)には、ほかに「マメマワシ」「マメウマシ」「マメ」「マメワリ」といった呼び名も出ています。いずれもマメのような木の実を食べるのにふさわしい嘴の持ち主であることに由来する名前だと考えられます。



2002年3月10日 山田池公園  悲恋雀ではありません

ほかの大事な要件を断って時間をつくり、枚方の山田池公園に行きました。車で家から道路が空いていれば25分ほどの距離です。今日はありきたりの鳥たちしかいないと思いきや、他のバーダーの指さす梢にヒレンジャクが10羽ほどいました。3月から5月に群で現れることが多いようです。悲恋雀と書けば何か物語がありそうですが、実際は緋連雀と書きます。同じく冠毛に特徴がある色違いのやや大きい仲間にキレンジャク(黄連雀)がいます。

緋も黄もレンジャクはヤドリギの実が大好きなことで知られています。ヤドリギの実は甘くてねばく、レンジャクが食べた後に出る糞は長い糸を引き、それが風に吹かれて、他の木の枝にくっつき、樹上に根づいて茂るというわけです。ヒレンジャクはけっして珍鳥ではありませんが、私はなぜか出会いの運に恵まれず、図鑑以外で見たのは実は今回が初めてです。夢に見た恋人は会ってみるとそれほど美人ではありませんでした。

バーディングのポイントとしての山田池公園については、関西野鳥園http://www5a.biglobe.ne.jp/~kageyama/homez22.htmをご覧ください。



2002年3月3日 琵琶湖  オオバンの大群に出会う

ブハハ会という自然愛好サークルがあります。会の名はブナ、ハルニレ、ハンノキから取ったとも、ブラリ、ハルニハ、ハハノンキから取ったとも言われています。今回は東京から来たこの会の面々12名と車で琵琶湖周遊を楽しみました。

比叡山を起点に湖岸の風物を2日かけて時計回りに見て回るという以外はこれという確かな計画もない気ままな旅でした。堅田で浮御堂に寄るというのは予定のうちでした。その後は、朽木に行く、棚田をみる、と言っていたはずが、ザゼンソウはいまが見頃というので今津に直行。と思いきや、私が手前の新旭町に「水鳥センター」があるよと言うと、「じゃあ」ということで、みんなでどやどやバード・ウォッチング。

ここは冬場に限って開かれています。観察小屋の前にはアシの茂みが水鳥たちの隠れ家をつくり、周りはヤナギやハンノキの疎林になっています。すでに鳥たちの北帰行が始まっていて、呼び物のコハクチョウは旅立った後でした。それでもホシハジロ、オカヨシガモ、ヒドリガモ、オナガガモ、マガモはまだ残っています。見ているうちにバンが2羽、水辺のヨシの間からよちよち歩いて出てきました。

そうそう。うっかり忘れるところでしたが、高好さんが「あれなに?」と指さすところに、いましたいました。多くのヒドリガモに混じってただ1羽、顔に緑のパッチがあり、頭が白い雄のアメリカヒドリです。緑と白のコントラストが思っていた以上に鮮やかなので初めは特別な雑種かと思ったほどです。このカモは、その名のとおり北アメリカの鳥で、ヒドリガモの大群にまれに混じっているのが発見されます。観察小屋のボランティアのおじいさんも知らなかったほどです(これを知らないということは知ろう人かな)。

水鳥センターから少し行ったところで、突然、高好さんが「古い常夜灯があるので寄ろう」と言うので、湖岸にLターン。そこで私は初めて見ました。岸辺から200〜300メートルほど沖を北に向いて泳いでいる、千羽は超そうかというオオバンの大群です。嘴と額が白く目が赤いほかは全身真っ黒ですから見間違えるはずはありません。淀川で見るオオバンは、あっちに1羽、こっちに2羽といった感じで、群をなすなど思いもよりませんでした。水鳥センターに関連したHP情報では、この辺りのオオバンの群は2千羽とも3千羽とも言われているそうです。

今津で遅い昼食を取って、マキノに向かう途中、ハシビロガモをたくさん見ました。このカモは群れると、鎖状に輪を描いて、シャベルのような嘴を水面にすれすれにつけて、ぺちゃぺちゃと集餌しています。英語ではシャベラーといいます。エッ?、「ブハハ会のシャベラーは誰ですか」だって?。言っておきますが、私ではありませんよ。

浮御堂や水鳥センターでは不思議に見ませんでしたが、その後は何度かカイツムリを観察しました。カイツムリは「鳰(にお)」とも言われ、琵琶湖は古くは「鳰(にお)の海」とも呼ばれていました。潜水の名手のこの鳥は、水面のアシや杭などに浮巣をつくり子育てをすることでも知られています。

五月雨に鳰の浮巣を見に行かむ  芭蕉   長の日を涼んでくらす浮巣かな  一茶

余呉湖からの帰りにひっよとすれば寄れるカモと密かに期待していた湖北野鳥センター(+琵琶湖水鳥湿地センター)は時間切れで残念。雪をかぶった伊吹山が水面に映る「逆さ伊吹」の三島池にも行けずじまいでした。ここはマガモの繁殖地として知られ、また100羽を超すオシドリが来ることでも有名です。次の機会には遠来の皆さんをぜひご案内したいと思います。

今回の旅は、バードディングは目的というより道草にすぎませんでした。それでも2日目に行った彦根城や近江八幡を合わせると、さすがは琵琶湖だけあって、ブハハの皆さんはともかく、私は下に書いたように32種類の鳥を観察することができました。このうち、コブハクチョウは飼育鳥かそれが野生化したものですから、野鳥とはいえません。日本に渡って来るハクチョウの仲間はコハクチョウとオオハクチョウの二種だけです。

ホシハジロ、キンクロハジロ、バン、オオバン、オカヨシガモ、ヒドリガモ、アメリカヒドリ、オナガガモ、ハシビロガモ、カルガモ、マガモ、カイツブリ、ユリカモメ、カワラヒワ、セグロセキレイ、ハクセキレイ、キセキレイ、ジョウビタキ、コブハクチョウ、アオサギ、コサギ、チュウサギ、カワウ、トビ、ムクドリ、ツグミ、モズ、ヒヨドリ、キジバト、シメ、ハシボソカラス、スズメ

以上、ブラリ、ハルニハ、ハハノンキの旅でした。

(注)琵琶湖に水鳥については下のサイトが参考になります。
http://kookaburra.tripod.co.jp/birds/2001_2_4/2001_2_4.html
http://www2s.biglobe.ne.jp/~yasuu/bird.html



2002年1月27日(日) 安威川、鶴野橋付近  ここのお薦めはタゲリです

安威川は京都府の亀岡市に発し、茨木市を北から南に流れ、摂津市を経て、吹田市で神崎川に合流する北摂の川です。高槻の私の家からは車で10分ほど走ると、安威川のバーディング・ポイントに出ます。

この日は前日の雨で川は水かさが増し、だいぶ濁っていて、あまりよいコンディションではありませんでした。それでも、川面や岸辺には、オナガガモ、ヒドリガモ、コガモ、ハシビロガモ、マガモ、カルガモ、オカヨシガモ、カワウ、アオサギ、コサギ、ユリカモメ、タゲリなどがいつものように遊んでいました。

モノレール(近畿道)が安威川と交差するあたりに鶴野橋があります。昔は鶴が来たのかも知れませんね。それはともかく、鶴野橋から上流1キロほどの間の冬の見鳥寄り鳥の代表格はタゲリです。日によっては10羽、20羽と群舞していることもありますが、この日はあすこに3羽、こちらに2羽といった感じで、いつもより淋しい顔見せでした。

タゲリはなかなか気品のある鳥です。頭には長い黒い冠羽が後ろにピンと跳ね上がるようについています。体の上面は光沢のある緑がかった黒で下面は白い。胸から頸(くび)にかけてはエプロンのような頸(くび)輪があります。姿はリンクに貼ったYchooで確かめて下さい。ケリが比較的渇いた田畑にいるのに対して、タゲリは川辺や水田が好きなようです。ケリはキリキリ、タゲリはミューミューと鳴きます。

今回のことではありませんが、安威川での私の最大の発見はアメリカヒドリです。この鳥は日本ではヒドリガモに混じって渡ってくる希少種であるうえに、頭部に光沢のある緑のパッチ(つぎあて模様)がある以外はヒドリそっくりですから、見つけにくい珍鳥といえます。3年ほど前だったか、ヒドリガモの群を双眼鏡で覗いているときに、ふと目に留まり、これはと思って望遠鏡を立てて見ると、それがアメリカヒドリでした。緑のパッチはコガモにもありますが、大きさと色が違うので間違うことはありません。

安威川にカモ類がたくさん来る理由は、深からず浅からずの水深、安全が保てる川幅、平地の緩やかな水流にあります。これら3条件がそろった安威川の鶴野橋付近はカモの楽園といいたいところですが、彼ら/彼女らに迫る危険もあります。その一つは釣り人です。私も何年か前まではよく釣りをしていたので言いたくはないのですが、鯉を狙って投げ釣りでジャボンジャボンとやる釣り人はカモたちにとってははなはだ迷惑な存在です。しかし、ここでは50センチから70センチの大鯉がよく釣れるとあっては、釣るなというのも無理かもしれません。

カモたちにとってもっと大きな敵があります。上流に30数年来ダム建設の計画があり、このダムが出来ると辛うじて残っているカモの楽園も消えるのではないかと思います。安威川にダム計画があり、反対運動を押し切って周辺工事が進められてきたことは、予定地の側を何度も通って知っていました。「安威川ダムはムダ」というHP<http://www.geocities.co.jp/NatureLand-Sky/2678/>を見ると、多目的ダムとして計画されて35年、現在付替道路工事中。まるでムダなダムばかりつくる日本の公共事業を象徴しているようですね。ダムが水を堰き止めれば、カモの水場は干上がってしまうでしょう。なんとか止めさせることはできないものでしょうか。

 

2002年1月20日(日) 京都植物園  今年の鳥初め

遅れ馳せながら今年のファースト・バーディング、和風にいえば鳥初めに行ってきました。場所は京都植物園です。高槻の家を出たのは午前11時。車で途中、大徳寺に立ち寄って、泉仙(いづせん)で昼食に精進の鉄鉢料理を食べ、大仙院の庭を見物したりしたので、植物園に着いたときは午後2時になっていました。

ある年の如月十日の頃、私はここで初めてルリビタキを見ました。それは望遠カメラの列の先の梅の枝に、小さな青いマントを羽織って止まっていました。梅の花に来たのではなく、誰かが仕掛けた果汁か何かに招き寄せられたらしいのが残念といえば残念でしたが、私にとっては、カワセミ以外では初めての青い鳥の発見でした。

梅林はすでに咲き始めていましたが、造園係りの人がちょうど梅の無駄枝を剪定をしていたところで、幸せの青い鳥は見ませんでした。前に見たことのあるアオバト(背は暗緑色、胸は緑黄色)も今日は姿を現しませんでした。

今日見たなかで、可愛さにおいて一番は、コゲラです。日本のキツツキのなかでは最小で、一見目立ちませんが、背中にシマウマ模様の横縞があり、ギーギーと小声で鳴くのですぐわかります。他のキツツキに比べてトントントンあるいはコツコトコツというドラミングは少ないというか、弱いようです。

コゲラの来ていた桜の古木にはシジュウカラが何匹も遊んでいました。ほっぺたにハートを横にしたような白い円があります。ツイッピー、ツイッピーという鳴声はまだ本調子になっていませんでした。ウグイスもまださえずりにの季節には早すぎてチャッチャッと笹鳴きしています。

というわけで今日は大きな収穫はありませんでした。短時間だったとはいえ、京都市内の屈指のバーディング・ポイントにしては、観察した種類はいつになくさびしいものでした。以下、前出の3種を除き名前だけを書いておきます。

シメ、ツグミ、アカハラ、カワラヒワ、アオジ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、ハシボソカラス、ムクドリ、キジバト、トビ。



2002年1月9日(水) 私の探鳥リスト

今年の正月は訳あってどこにもバーディングに行けずに終わりました。これまではどうだったかと過去の記録をめくっておりましたら、バーディングをはじめて10年余りの間にアイデンティファイできた日本国内の野鳥のリストが出てきました。以下の106種がそれです。近頃はなかなか増えずに、年に2、3種しか追加できません。たいていの場合はここに挙がっている鳥達に繰り返しお目にかかることになります。それでも季節季節にいろんな新しい発見があってけっこう楽しいものです。

アオサギ、アオジ、アオバト、アカハラ、アトリ、アマサギ、アメリカヒドリ、アリスイ、イカル、イソシギ、

イソヒヨドリ、イワツバメ、ウグイス、ウソ、ウミウ、ウミネコ、エナガ、オオバン、オオヨシキリ、

オカヨシガモ、オシドリ、オナガガモ、カイツブリ、カケス、カササギ、カシラダカ、カルガモ、カワアイサ、

カワウ、カワガラス、カワセミ、カワラヒワ、カンムリカイツブリ、キジ、キジバト、キセキレイ、キビタキ、

キンクロハジロ、クロサギ、コアジサシ、ケリ、ゴイサギ、コガモ、コゲラ、コサギ、ゴジュウガラ、

コジュケイ、コチドリ、コノハズク、コハクチョウ、コミミズク、ササゴイ、シジュウカラ、シメ、ジョウビタキ、

シロチドリ、シロハラ、スズガモ、スズメ、セグロカモメ、セグロセキレイ、セッカ、ダイサギ、タゲリ、

タヒバリ、チョウゲンボウ、チュウサギ、ツグミ、ツクシガモ、ツバメ、トウネン、トビ、ナベヅル、ノジコ、

ハクセキレイ、ハシビロガモ、ハシブトガラス、ハシボソガラス、ハヤブサ、バン、ヒシクイ、ヒドリガモ、

ヒバリ、ヒヨドリ、ホウロクシギ、ホオジロ、ホシハジロ、ホトトギス、ベニマシコ、マガモ、マナヅル、

マヒワ、ミコアイサ、ミソサザイ、ミヤマホオジロ、ミユビシギ、ムクドリ、メジロ、モズ、ヤマガラ、

ユリカモメ、ヨシキリ、ヨシガモ、ヨシゴイ、ルリカケス、ルリビタキ



2001年12月30日  Birding in New York City

今年は「ニューヨーク通信」の第2章にも書いたように、アメリカでたくさんの種類の野鳥を見ました。正確にメモをとったわけではありませんが、備忘録として、遊学中に現地でアイデンティファイ(識別)できた主な鳥の名とその特徴を記しておきます。写真は説明の下のURLを開き、そこから画像ファイル名を選んでクリックして下さい。少し時間がかかります。

Mute Swan  みるからに優美な、静寂な感じのするハクチョウ。"mute"は「無言の」の意。日本ではコブハクチョウといい公園の池などで飼われているが野生のものはいない。
http://forums.about.com/ab-birding/messages/?msg=5284.1

Canada Goose 映画「グース」で500マイルの渡りの旅に出るカナダガン。頬から喉に白斑があり、日本ではシジュウカラガンと呼ばれる。複数形はギース。
http://forums.about.com/ab-birding/messages/?msg=4845.1

Red-tailed Hawk 尾バネが赤茶色の大型のタカ。セントラルパークに面したビルの壁面に毎年営巣している人気者。子育ての季節にはウォッチャーたちが望遠鏡で観察している。
http://forums.about.com/ab-birding/messages/?msg=1939.1

Osprey ミサゴ。日本にもいる。一時はDDTなどの農薬で減ったが、いまは徐々に増えてきている。別名Fish Hawkと言われるように、魚を餌にしているタカ。
http://forums.about.com/ab-birding/messages/?msg=5281.1

Green Heron ササゴイに茶色を混ぜた感じ。セントラルパークの亀池で小魚を狙っているところを見た。
http://forums.about.com/ab-birding/messages/?msg=3958.1

Glossy Ibis
 下に湾曲した長いクチバシと長い脚もつトキの仲間。ジャマイカ湾の沼地に多い。色は茶に緑を入れた感じで光沢がある。
http://forums.about.com/ab-birding/messages/?msg=2699.1

Black Skimmer 首と胸と腹以外は黒。アジサシに似ているが、上より長い下クチバシを使って走りながら水面をすくい餌を取る。名前は上澄みをすくう杓子をskimmerということから。写真は手前がBlack Skimmer。
http://forums.about.com/ab-birding/messages/?msg=1710.8

Red-bellied Woodpecker 頭は赤く背中はシマウマ模様。なのにアカハラキツツキという名前をもつ。
http://forums.about.com/ab-birding/messages/?msg=4689.1

Northern Flicker アカハラキツツキより少し大きいキツツキ。身体はトラツグミ模様、後頭部は灰色地に赤い三日月がある。
http://forums.about.com/ab-birding/messages/?msg=4279.15

Blue Jay  背中は青、胸は白。ニューヨークの林のある公園ならどこにでもいるカケスの仲間。名前はジェイ、ジェイとうるさく鳴くところからきている。
http://forums.about.com/ab-birding/messages/?msg=1298.1

Northern Cardinal 英和辞典には「ショウジョウコウカンチョウ、猩々紅冠鳥」とあるが、日本には類似種はいない。雄は全身緋色で頭部に冠毛をもつ。
http://forums.about.com/ab-birding/messages/?msg=4292.1

American Robin ロビンの名をもつが、アカハラの仲間であってコマドリではない。ニューヨークの公園で最もよく見かける鳥の一つ。
http://forums.about.com/ab-birding/messages/?msg=4802.1

European Starling ホシムクドリと呼ばれ、黒い全身に金色の小さな星を無数散りばめている。他の小鳥やリスの餌を盗む、どこにでもいるきらわれもの。
http://forums.about.com/ab-birding/messages/?msg=2071.1

Red-wing Blackbird 雄は全身真っ黒で肩の一部だけが鮮やかに赤い。ヒヨドリより少し小さい。春から夏にかけて池や沼の辺で甲高く鳴き、他の鳥をしばしば攻撃する。
http://forums.about.com/ab-birding/messages/?msg=2213.1

Gray Catbard ネコマネドリ。名の通り、茂みの中でミャーミャーと鳴く。長い尻尾をよく立てている。尻尾の付け根の裏は火のようなダイダイ色。
http://forums.about.com/ab-birding/messages/?msg=4845.1

Common Loon カナダの20ドル札の絵柄になっている気品のあるアビの一種。ニューヨークでは渡りの途中にたまに観察できる。実際に見たのはカナダのビクトリアで。
http://forums.about.com/ab-birding/messages/?msg=5423.1



2001年12月8日  淀川、毛馬の閘門  堰堤に群れるホシハジロ

今日は昼すぎからパートナーと、淀川の毛馬の閘門(阪急千里線に近い淀川大堰)あたりから十三大橋(阪急京都線の横)まで、往復6キロほど歩き、バードウオッチングがてら社会調査をしました。

不況の悪化で失業者の最悪の姿である野宿生活者が増えています。淀川の河川敷にも、そういう人たちの青いテントが列をなして並んでいるのが目につきます。野外生活の期間が長くなっているのか、以前と違って犬を連れている人や猫を飼っている人が目につきました。なかには河原のちょっとしたスペースに菜園を作って野菜を植えている人もいます。これからの冬、どうして寒さをしのぐのか心配です。

鳥たちについていえば、「春風や堤長うして家遠し」という蕪村の句碑がある毛馬の閘門ちかくにざっと1000羽を超えると思われるホシハジロが群れていました。キンクロハジロも混じっています。ホシハジロは最高時には数千羽になると聞きました。ほかに今日見たのは、次の鳥たちです(全部で20種)。

ヒドリガモ、オナガガモ、ハシビロガモ、コガモ、カンムリカイツブリ、アオサギ、セグロカモメ、ユリカモメ、ハクセキレイ、ビンズイ、カワウ、マガモ、ハヤブサ、モズ、ツグミ、ムクドリ、スズメ、ハシボソカラス

途中で出会った地元のウオチャーの話では、ここではラッキーなときはチュウヒ、チョウゲンボウ、コミミズクも見かけるとのことでした。ヒドリガモやホシハドリなど毎年渡ってくるなじみの鳥が今年も来ているのを見るとほっとします。他方、めずらしい鳥を見つけると心が躍ります。「バードウォチングなんていったい何が面白いの」と言う人もいます。そんな人には言いたいですね。丹頂はまだ見たことがありませんが、探鳥はけっして単調な遊びではありません、と。


2001年11月21日(水)  関西大学千里山キャンパス  罪なツミの話

昨日夕刻、関西大学第二学舎のゼミ棟と事務棟の間の小径に小さなタカが落ちていました。拾い上げて触るとまだ生暖かく、目は閉じて息絶えてはいましたが、死後間もない感じでした。外傷がないところから考えて、おそらく窓ガラスに激突したのでしょう。ひょっとするとカラスに襲われて逃げようとしてぶつかったのかもしれません。

昨日は急いでいたので小径の隅にそっとおいて帰りました。今朝、9時前に来てみると、昨日おいた場所にまだあったので事務職員の方に頼んでポラロイドで撮ってもらいました。小さなタカの仲間のチョウゲンボウかと思いましたが、調べてみたらツミというタカでした。私が撮ったものではありませんが、下のサイトに写真(撮影:堀内洋助氏)があります。http://www.uroncha.com/99wata/99wata7/997-1.html

ツミがよく観察されるのは秋の渡りの途中だそうです。私が発見したツミも、ふらりと立ち寄った関大で命を落としたのかも知れません。大阪府レッドデータブックでは絶滅危惧II類とされている鳥で、環境の悪化で生息圏が狭まっていることが危惧されます。


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