森岡孝二『就職とは何か――〈まともな働き方〉の条件』 (岩波新書、2011年11月18日発売)

ここには、拙著『就職とは何か――〈まともな働き方〉の条件』に関するblogなどにおける2012年1月2日現在の書評・紹介を載せました。日時は順不同です。 後半に拙著『働きすぎの時代』(岩波新書、2005年)の書評・紹介があります。


Amazon カスタマーレビュー
『就職とは何か――〈まともな働き方〉の条件 』(岩波新書)
9レビュー
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星2つ: (0)
星1つ: (0)

おすすめ度
5つ星のうち 4.7 (9件のカスタマーレビュー)


@ 15 人中、11人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 労働知識の重要さに共感。, 2011/11/30
By Tom

私は現在、労働局で労働基準法を中心とした労働関係法令の周知に係る仕事をしています。森岡先生が大学生の雇用環境の厳しさの背景やその根源の問題に迫っておられますが、基本的にまったく同感です。中でも、大学生が社会に出る前の知識として、労働知識の重要性を提起されていることに深い共感を覚えます。実は、大阪労働局では全国に先駆けて、大阪学生職業センターが開いているセミナーの中の一講座として、平成23年度から労働基準法のポイントを教えているのです。労働基準部門と職業安定部門が連携しての新しい試みなのです。私はその講師を務めさせていただいているので、森岡先生の著書を拝読し、まさにわが意を得たりの気持ちです。超一流といわれている企業も中に入ってみればダーティな部分が満ち溢れています。わが国の労働者が「まともな働き方」をすることができる時代が一日でも早く来るよう、これからも全力を尽くしたいと思います。この著書は大学生をメインの対象として書かれていますが、むしろ、企業の経営者や人事・労務の方々にぜひ読んでほしいと思います。



A 8 人中、6人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0 新卒の実態から労働状況全般的なことを網羅, 2011/12/8
By るぽん

統計やあらゆる数値の定義がどんなにあいまいで、分かりにくいものになっているかわかります。大学で出される内定率や一年間の平均労働総時間などの数値にまつわるロジックを知ることができます。派遣と正社員の賃金の格差問題に警鐘を鳴らし、企業を選ぶ際にも、数字上のデータに惑わされることなく、自分が望む雇用形態、時間を選ぶ必要性を説いています。



B 14 人中、10人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 日本にはまともな就職はあるのか「呆れて物が言えない」, 2011/11/28
By Gori "the 11" (東京都)

本書を読んで日本にはまともな就職はあるのか「呆れて物が言えない」
という気持ちになった。

まず、多くの企業が実施するというSPI(Synthetic Personality Inventory )総合適性検査である。
この実物を僕は見たが、中身は、私立中学の入試問題である。心ある私立中学ならばよく練られた自校にはこんな子どもが欲しいというメッセージがこもった、良い問題があるが、ここで出される問題は全くねられていないパタン学習で解ける問題である。ましてや性格など分かるわけがない。

ブラック企業の存在も見逃せない。企業をやめた221人の若者のうち合法と言えるのはわずか50人、 26%だったという。学生の中でもブラック企業の存在は噂を超えて広がっている。

雇用とは「労働者が使用者に自己の労働力を販売して、一定の時間決めで労働を提供し、
その対価として賃金を受け取る関係」であるが、これはきちんと守られているのか。

経産省が要求する「社会人基礎力」もおかしな力だ。
・前に踏み出す力(主体性、働きかけ力、実行力)
・考え抜く力(課題発見力、計画力、創造力)
・チームで働く力(発信力、傾聴力、状況把握力、規律性、ストレスコントロール力)
これでは、残業実行力ではないかと著者は言う。同感である。

夜11時に、仕事が終わり、明日の朝の企画会議までに企画を10個考えるノルマを
課されていた場合、どうするかの正解は「今が人を引き離すチャンスなので
20個企画を考えてゆく」なのだそうである。僕なら「1個だけ選りすぐりを考えて
楽する」けどなあ。

ところで本書に一つだけ苦言。
「口数が少なく、人付き合いが苦手で、社交性に欠ける人が、温厚・誠実な人柄で
 顧客の信頼を得て、営業で好成績を上げることはありうることである」
この文章は、こういうタイプの学生を苦しめます。



C 4 人中、3人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0 充実したデータと、明確なスタンス, 2011/12/15
By これでいいのだ

 学生の就職、若者の就業、旧態依然とした日本の「働き過ぎ」の現状などに論点を絞った、明快な構成、分かりやすい筆致の新書。何より、印象論を避け、広範でフェアなデータをおびただしく引用・活用している点、さすがに企業社会論・労働時間論の第一人者らしい書きぶりだと思う。思わず手帳にメモしたくなるような数字も多数紹介されていた。また、若い学生たちに対し「社会常識」「基礎知識」「専門知識」と並んで「労働知識」を学ぶ重要性をアピールし、社会環境に対する「適応」だけでなく「抵抗」をも忘れないように、と要約できそうな主張は興味深い。

 もっとも、働き過ぎ、時間外の過重労働を指弾する際、労働者の多数が「強制的・準強制的に働かされている」という側面があることは否定できないものの、一方で、過重労働であっても「働くのが好きだ」といった古来からの「働きバチ」的な風土を受容している労働者も少数ながらも存在することも確か。本書にはそうした一面への理解が希薄なような気もする。



D 7 人中、5人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 労働に関わる(これから関わる)すべての人に一読を勧める, 2011/12/7
By ats-t

『働きすぎの時代』や『貧困化するホワイトカラー』など、労働時間を中心としたあらゆる労働問題について多くの著書を残す森岡孝二氏による新著。

本書は、大学生の就職活動に焦点があてられている。
著者は、長年、大学教授として学生の指導を行い、その学生たちの就職活動を間近にみてきた。 その経験のなかで、今ほど学生が弱い立場に置かれていることはなかったと思うと述べている。

では、なぜこれほどまでに就職活動を行う学生たちの立場が弱くなったのか。
苦しい就職活動を終え、いざ就職したとしても、その後は労働者としての弱い立場が待っている。

こうした現状を克明に描き出しているのが本書であり、著者の、これから社会に出ていく若者たちへの思いがひしひしと伝わってくる。

学生はもちろん、その保護者、また就職活動をする学生・生徒を指導する立場の人には、
是非とも一読をお勧めしたい本である。



E 2 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 こんな理不尽な社会はもうイヤだ!, 2012/1/1
By 齊藤祐作 (千葉県印西市<旧・印旛郡本埜村>)

 それにしても、何で日本の就職活動は、こんなにも過酷なのだろうか?

 実際に、私も(専門時代と大学時代の)2回就職活動に臨んだ経験があるが、とにかく日本の就職活動は、地獄以外の何物でもない。
 特に、近年では就職活動の早期化及び長期化が大きな問題になっているが、ここまで就職活動が長期化すると、当の本人が肉体的にも、精神的にも参ってしまう。その上、私のように就職活動で散々な目に遭うと、当の本人が「自分は社会に必要とされていない」と思い込んでしまうのも、当然のことだと思う(しかも、私の場合は「社会に必要とされていない」というレッテルを貼られた悔しさが、処女作の『もう読みたい本がない!』{幻冬舎ルネッサンス新書刊}を執筆する大きな原動力にまでなった程である)。
 そこで、著者の森岡さんは大学の教員という立場から、就職そのもののあり方を論じているが、確かに森岡さんの言うように、就職活動をする時にも、正規労働者になった時にも、非正規労働者になった時にも地獄を味わう社会では、若者の不満が高まるのも当然である。
 だから、この本はそんな理不尽な社会を根本から変えるためのバイブルとして、多くの若者に読まれて欲しいと思う。



F 2 人中、1人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 就職とからめて現代日本の特別な労働事情がよくわかる, 2011/12/5
By be3osaka (大阪府)

今就活に取り組み中の人にこそ読んで欲しいが、現実にはそういう人は読む余裕はないだろう。それが残念である。

この本は、就活の厳しさの背景(正社員が減り、大卒が増えたこと等)に触れつつ就活関連で自殺する人が激増した事実(2009年が23人、2010年は46人)などを挙げながら就活問題のあれこれを論じている。しかし、この本は就活だけでなく、入社後に遭遇するであろう問題についてもかなり詳しく触れている。

4章で正社員の働き過ぎに触れて過労死のことが書かれており、関連で大阪高裁の判決(2011年の5月25日言い渡し)が引用されている。
〔以下一部を引用〕
責任感のある誠実な経営者であれば自社の労働者の至高の法益である生命・健康を損なうことがないような体制を構築し、長時間勤務による過重労働を抑制する措置を採る義務ことは自明であり、この点の義務懈怠によって不幸にも労働者が死に至った場合においては悪意又は重過失が認められるのはやむを得ないところである。
〔引用終わり〕

裁判の場での会社側と過労死の責任を追及する側の攻防(論戦)を踏まえて裁判官が書いたのがこの判決文である。道理をわきまえて正論を貫くとこういう結論になる。これは労働する側の人すべてが記憶しておいていいことではないか。長時間労働体制を公然と批判できないとしてもこの考え方を頭にいれておき身辺で起きたことをこの基準で考えてみる。それはムダにはならない。そうする人々が増えていくとやがて労働時間への社会意識といったものが変化していくのではないか。

この他にも知っておいて損でないことが多くでてくる。OECD加盟国のなかでこの10年間(2000年→2009年)の間に年間賃金が減少しているのは日本のみであるということなども出て驚かされる。
このように、現状への正常な問題意識を多方面からかき立ててくれるのがこの本である。

著者の制度的な改善方向は終章で示されている。まともな働き方を考察し、ワークシェアリングを解決策として提案している。

根が深い長時間労働問題、上がらない給料問題について考えてみる際に大いに参考になる好著である。



G 4 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 4.0 「就職」の意味を根本から考えさせる本。, 2011/12/14
By 飛行少年 "隆章" (佐賀県)

「就職」の意味を根本から考えるための本です。特別な意義を持って読んだ本ではありませんでした。この本を読む動機は「新聞の記事」に散見しイムリーだったからです。時期に適った書名だからです。

 このような書名は多いようですが「就職する」ことに関する採用の具体的な手順を述べたものは少ないと思う。ハウツーものと違い一読の価値があります。肝心なのは副題の「<まともな働き方>の条件」とあるように労働時間について実態調査による報告はあらためて注意を惹きつけます。

 正社員の働きがいは、今や過酷な労働条件を背負って働いていること。驚くべき事実が記されています。週5日制の決まる背景には「余暇の利用」といった言葉は政治の政策であって機能、定着していないことも事実。働くことの楽しみ、労働としての稼ぎなど今後働く人がどの方向に流れどこへ行きつくか。この書籍を読み若者の将来を希望ある環境にするべきことに取り組む機会になると思う。



H 5 人中、2人の方が、「このレビューが参考になった」と投票しています。
5つ星のうち 5.0 就活の現状と問題点が分かる, 2011/12/11
By haru_0041

就活については、昨年までは氷河期といったり、今で言えば短期決戦といったりと関心は高い。この本には就活の現状や問題点がまとめられており、改めて日本の就活がボロボロの構造で行われているように感じられた。

就活生は、就活のマニュアルやSPI対策本などは買ったとしてもこういう就職活動自体について書かれた本はあまり読まないように思える。だけど、一度立ち止まって就活を見つめたら違う考え方が出てくるのではないだろうかと思う。



Twitter @hahaguma本田由紀
森岡孝二『就職とは何か』(岩波新書、2011.11)。126頁〜で紹介されている「社会人基礎力養成講座」の例題と正解が、まさに「残業実行力」。就職の際に必要な力として、基礎知識・専門知識・労働知識・社会常識をあげ、現状の打開策としてサービス残業解消型ワークシェアリングを提唱。


Twitter @kawazoemakoto河添 誠
買おう。森岡孝二 『就職とは何か―〈まともな働き方〉の条件』 岩波新書。「「就活」に振り回される学生たち。5人に1人は定職に就けないまま卒業。内定が出ても働きすぎの仕事、正社員をやめれば非正規の仕事だけ。まともな働き方の条件を問い直す」


Twitter @tagawa_yutaka田川豊
「就職とは何か」(岩波新書森岡孝二)を買う。読みたかった。


Twitter @envmic環境微生物学(東京農工大学)
森岡孝二『就職とは何か ?<まともな働き方>の条件』岩波新書。日本の労働の実態と解決の展望を示している。学生は読んでおくべし。ただし,第1章から第3章までは事実の羅列で退屈。第4章からおもしろくなる。まず「終章」から読むと分かりやすい。文章は読みにくかった?。


Twitter @watsbyWATSBY
早速、購入してみた♪( ´▽`) ”これは興味あり。購入して読んでみよう。 RT @rashita2: New R-style posting, 【書評】『就職とは何か?』(森岡孝二)”


Twitter @okayamagaku岡山県学習協 長久啓太
『就職とは何かー〈まともな働き方〉の条件』(森岡孝二、岩波新書、2011年11月)を読み終える。学生のみなさんはもちろん、労働者のみなさんにも広く読んでほしい内容(゚-゚) 「“初任給”はあいまいな概念」は、ほんとにそうだなあと。確かな知識とたたかう手段を学びましょう。


@5goukanTOCHINAI Shin
【気になる本】森岡孝二著『就職とは何か――〈まともな働き方〉の条件――』 - akamac book review http://htl.li/865t5 「就活編の描写は生々しい・企業の違法性や労働条件の過酷さ・社会常識と労働知識を身に付けた〈まともな〉学生を育てる意義」



時が過ぎていく前に
http://blogs.yahoo.co.jp/kenchan8959/28396358.html

学生の就職活動は大変な時代  『就職とは何か』を読んで

山行計画の報告やOBとの交流会で大学の現役学生と時折会うが、3年生にもなると部活動どころではないようだ。
就職活動の方が忙しくなる。
「就活など放っておいてもっと山に行ったら!」と自分の学生時代の頃をイメージして叱咤激励をしていた。
かって30年近く前はまだのんびりしていて4年生の夏過ぎても山をうろついていても就職が出来た。特に文系の学部なので実験も無く、ゼミや時折講義に出席すればよかった。

岩波新書の『就職とは何か』を読んだ。
現在、学生は学内・学外の単独・合同を合わせて100社を超える企業説明会に出て数十社に応募書を送り1年〜1年半かけて就職活動を行っているという。
そういえば自分の会社でも何で今頃という時期に『会社説明会会場』など看板が出ていて、廊下でいかにも学生と言うメンバーとすれ違うことがある。
本を読んでもっと驚いたのはやっと入学したのもつかの間で就職ガイダンスのようなものが始まるところがあるという。これでは何の為に4年間大学に行くのかわからなくなってしまう。

社会人になって初めて気がつくが長い人生の中で4年間というあっという間の時間の中で一生懸命勉強する事の大切さを今頃になって身に染みて感じている。
社会人になってからではあの自由な時間は二度と戻っては来ない。

本書の中では大学3年の夏から始まる就職活動は異常だという。
これでは専門科目の到達度やゼミナールの学業育成は評価しようが無い。それではあまりにも不合理だというので経済界にも見直しの動きが出てきたという。
競争し苦労してやっと入った会社だから入社後も会社に対して従順だという。だから無理もしてしまう。
著者は関西大学教授として長く学生達の生活や人生観に接触していて就職活動の相談にも乗っているためか現実を良く知っておられる。過労死問題の専門家でもある。
学生達が有名企業などの大企業や安定志向を想像して公務員を目指しているので就職が困難なので、もっと中小企業にも目を向けるべきだという指摘もある。しかし大半が有名大企業を目指すのは仕方ない事で自然な事だと思う。

やっとの事で就職した企業が置かれた厳しい現実を踏まえて「まともな働き方」を実現する為にはどうしたらよいのか労働時間・賃金・社会保障などについて述べているが類書の一般論を超えたものは出てこない。
ただ法律の規制により過労死を防止する『過労死防止基本法』の制定を提言しているのは非常によいことだと思う。

11月25日付の朝日新聞の中でユニクロの柳井正会長兼社長は『就活する君へ』の中でこんな事を言っていた。
「あの時期(学生の頃仕事もせずに暮らす道を考えた。縁故で入った会社を1年足らずで辞め、友人のアパートに居候。友人は会社勤めで、昼間は仕事に出て行く。私は部屋に残る。そんな生活が半年ほど続いた。)を経験したから、若者にはともかく仕事をしてみろと言いたい。学生の身分は自由で居心地は良いが、根無し草みたいなもの。仕事には世の中を変える力がある。一人前になるには10年かかるが、人生を色々考えるのはそれからです。」と言っている。



hamachanブログ(EU労働法政策雑記帳)
http://app.f.m-cocolog.jp/t/typecast/3344/3288/75012747

森岡孝二さんより、新著『就職とは何か』(岩波新書)をお送りいただきました。ありがとうございます。

9月の水町さんの『労働法入門』から息も継がずに労働関係の本を出すとは、岩波もリキが入ってますね。

就職新氷河期」のなかで、「就活」に振り回される学生たち。大学3年生の中頃から走り回っても、5人に1人は定職に就けないまま卒業しています。採用内定が出ても、待ち受けているのは働きすぎで、正社員から逃げ出せば非正規の仕事しかありません。

 本書では、こうした就職前と就職後をつないで、〈まともな働き方〉の条件を問い直します。学生と若者に焦点を絞りつつも、働き盛りの世代にも、また、親や教員、採用側の企業関係者にもぜひ手に取っていただきたい一冊です。

就活の話から入って、「まともな働き方」の重要性を説くなど、共感できるところの多い本です。

ただ、冒頭の「はじめに」の記述で、ちょっと気になったのが、厚生労働省の「就業形態の多様化に関する総合実態調査」を引いて、こう述べているところです。

同調査の中の個人調査の結果に目を転ずると、驚くべき事実が浮かび上がる。非正社員比率は、全年齢の男女計で見ると、38.4%であるが、なんと、15〜19歳では男性91.6%、女性95.8%、20〜24歳では男性46.7%、女性44.2%となっている。これらの数字から、高校新卒者は大多数が非正社員であること、短期大学及び大学の新卒者を含む年齢層は男女とも非正社員比率が45%前後であること、・・・などがわかる。(iiページ)

この年齢階層別正規非正規比率の数字はhttp://www.mhlw.go.jp/toukei/list/5-22b.html
の附属統計表に載っていますが、これを「高校新卒者」「短期大学及び大学の新卒者」における正規非正規比率と解釈するのは違うように思われます。高卒者の9割以上が非正規で就職とすると、まさに「驚くべき事実」ですが、これはむしろ、在学中の者も含めた10代後半の若者の雇用形態が9割以上非正規と解すべきで、彼らの大部分がいわゆる「アルバイト」就労者であることを考えれば、わりと自然な数字であろうと思われます。20代前半についても、ある部分はやはり大学生のアルバイトが含まれているでしょう。実際、生活を賄う主な収入源を見ると、15−19歳男性の95.4%、同じく女性の95.7%が「親の収入」と言っていますし、現在の就業形態を選んだ理由は「自分で自由に使えるお金」がほとんどで、「正社員として働ける会社がなかったから」は男性3.4%、女性14.3%で、むしろ「古き良き時代」の家計補助的非正規とあまり変わらないように見えます(女性については必ずしもそうでない面もありますが)。

ただ、20−24歳層では(こちらにむしろ最近の高卒者が多数含まれていると思いますが)、「親の収入」が男性52.9%、女性51.9%と、半数は家計補助的ではなく家計維持的労働者であるのに、「正社員として働ける会社がなかったから」が男性22.3%、女性19.2%となっていて、高校新卒者が非正規で自活しなければならない状況が存在することを示しているように思います。

問題はむしろさらに、それより年齢層が上がっても、非正規比率が結構高いまま残っている点で、20代後半から50代まで「正社員として働ける会社がなかったから」非正規というのが分厚く存在していて、まさに大きな問題なのですが、上で引用したデータの使い方は、学卒就職問題の冒頭のネタとしてはちょっとずれがあるように感じました。



(上掲の「hamachanブログ」のご指摘に答えて「働き方ネット大阪」が運営するブログの連載に書いた拙文も以下にアップしておきます)
http://hatarakikata.net/modules/morioka/details.php?bid=169
第103回 若者の非正規雇用と大学生のアルバイト
カテゴリ : 森岡孝二の連続講座 2011-12-5 3:04 .

労働政策研究・研修機構の濱口桂一郎氏に拙著『就職とは何か―〈まともな働き方〉の条件』(岩波新書)を献本したところ、労働問題で断トツのアクセス件数を誇るhamacyanブログ(EU労働政策雑記帳)で取り上げてくれました。

濱口氏は、拙著について「就活の話から入って、『まともな働き方』の重要性を説くなど、共感できるところの多い本です」と言ってくださっています。その一方、「はじめに」で厚生労働省の「就業形態の多様化に関する総合実態調査」に触れた以下の箇所に関しては、私の説明不足を見逃さず、厳しい指摘をされています。

「同調査のなかの個人調査の結果に目を転ずると、驚くべき事実が浮かび上がる。非正社員比率は、全年齢の男女計で見ると、38.4%であるが、なんと、15〜19歳では男性91.6%、女性95.8%、20〜24歳では男性46.7%、女性44.2%となっている。これらの数字から、高校新卒者は大多数が非正社員であること、短期大学及び大学の新卒者を含む年齢層は男女とも非正社員比率が45%前後であること、・・・などがわかる」。(iiページ)

濱口氏はこの点について、「これはむしろ、在学中の者も含めた10代後半の若者の雇用形態が9割以上非正規と解すべきで、彼らの大部分がいわゆる「アルバイト」就労者であることを考えれば、わりと自然な数字であろうと思われます。20代前半についても、ある部分はやはり大学生のアルバイトが含まれているでしょう」と書いています。

これはおっしゃるとおりで、私の説明は短絡的で誤解を生む余地があります。厚労省のさきの調査は、民営(民間)事業所を対象としているために、調査対象労働者を正社員、非正社員に区別しています。したがって「非正規」という用語はつかっていません。また、「アルバイト」という呼称もこの調査では用いられていません。それに注意を促すために、「はじめに」の該当箇所では「パート(アルバイトを含む)」とわざわざカッコ書きしています。

これでアルバイトに触れたつもりでしたが、今考えるとこれでは説明になっていません。学生アルバイトはこの調査では「パートタイム労働者」だけでなく、「臨時的雇用者」にも含まれることを明記していない点でも不正確でした。

2005年に著した『働きすぎの時代』(岩波新書)では、私は「学生アルバイト」にまとまった紙幅を割き、「(学生は)外食産業やコンビニなどのアルバイト依存残業の『基幹的』労働力」になっていることや、それらの産業が「時間を細切れにつなぐ不安定な雇用によって支えられている」ことを強調しました。どの本だったかはすぐには特定できませんが、大学生が在学中に非正規で働くようになればなるほど、正規の非正規への置き換えが進み、卒業後に就く正社員の仕事口が減っていく、といった趣旨のことを書いた記憶もあります。

この言い訳によっても、例の説明が不正確であることには変わりないので、重版の機会があれば訂正しておこうと思います。

これは補足ですが、「就業形態の多様化」に関するさきの厚労省調査からは、在学・卒業別の若年者の非正規比率や、大学生の就労実態を知ることはできません。そこで参考までに2007年「就業構造基本調査」(「就調」)を見ると次のようになっています。

       表 若年者の非正規雇用比率(%)
           在学生を含む  在学生を除く
男性 15〜19歳    64.9       32.3
   20〜24歳    40.8       27.4

女性 15〜19歳    78.6       50.2
  20〜24歳    46.0       37.8

調査の対象と方法が異なるので、この2007年「就調」の数字をさきの「就業形態の多様化」調査の数字と直接比較することはできません。しかし、これが2007年の現実を反映した数字だとすると、15〜19歳では男女とも非正規が9割を超えているという、2010年の「就業形態の多様化」調査の結果は、濱口氏のように「わりと自然な数字」とは言えません。この点では、私は最近数年間の非正規化の進行はやはり「驚くべき事実」だと思います。

なお、2007年「就調」の同じデータの男女計の数字では、大学生のアルバイト就労者は、15〜19歳(大学生は18〜19歳)で約23万人、20〜24歳で約59万人います。合わせると約83万人を数えす。学生でもパートや派遣で働いている人もいるので、それらも含めると学生の非正規就労者は86万人にも達することになります。

さらに2007年「就調」の同じデータから短大・高専・大学・大学院を合わせると非正規就労者は優に100万人を超え、それに高校・専門学校を加えると、150万に上ることがわかります。

濱口氏の指摘していただいたおかげてこうしたことも確認できました。



Gori ≒ ppdwy632
http://blog.livedoor.jp/ppdwy632/archives/51758875.html
2011年12月13日23:00

ホントに就職ってなんなんだろうね。
たとえば、ぼくのムスメは(ひとりムスメなんだけど)高校受験を控えていてね、中学は公立だから、本人が意識するところでは(そう、国立の小学校をなんの準備もしないままに受験してハシにもボウにもひっかからなかったことがあったなぁ)はじめての受験で、しかしぼくがムスメと生活を共にしなくなってまもなく5年になろうとしていることから、ずいぶん経つんだなぁ、じっさいのところマッタク様子がよく分からない、なにをどうしたものなのか(なにを考えて欲しているのやら)ぼくには想像もつかない、それでもときどき携帯電話が何回ものスレ違いののちにようやく繋がってそこから聞こえ伝わる声から雰囲気から会話のさまざまの印象から(しかしついついぼくはオシャベリがすぎるキライがあって、ぼくばっかりが一方的に話してばかりで相手の話を聞くことがおろそかになる傾向がつよいかもしれないのだが)、どうやらベンキョウに励んでいるようだ。およそみずから自覚していないものでもないのだが、はたして父親とはなんであろうかとかってモンダイも問われてしかるべきなんだろうと考えないものでもないのだが(父親の不必要性、はたまた親の親としての子どもの教育者としての適格性みたいなことも)、そうすると家族とかのモンダイも、ここではおよそ核家族がその対象となろうけれども、検証したいなぁ(しないではいられない)、などと興味や関心の範囲はとどまるところを知らないのだが(まるで制限をするような必要を感じない)、そう、およそ父親失格を自覚しちゃっているぼくは、だからといって父親としての責務?!を放棄する考えはない(それでもやっぱりぼくなりに、ぼくが考えて、そしてぼくが可能な限りでの、ということはどうしたって自己満足のレヴェルにとどまるんだろうなぁ)、得手不得手はあって、それぞれの個々人の性格とか特質とかがあって、上手にできないことがフツーにあって、まぁすこし秀でているかもしれないようなことのひとつやふたつは誰にでもないものではないであろう。下手くそなことを、若ければともかくとして、それなりの年齢に達したら、もちろん努力を怠ることをしてはならないだろうけれども、得意なことで下手くそな部分をカバーして、オリジナリティーとか、まぁオトナって、さぁ

「新就職氷河期」と言われる状況下で、入学早々から「就活」への備えに振り回される学生たち。長く厳しい競争をくぐり抜けて正社員になれても働きすぎが待っている。一方で非正規雇用の身には否応なく貧困がついてくる……。理不尽極まりない近年の就職をめぐる若者の苦難を克明に描き出し、その改善を訴える。怒りと励ましの書。

以下詳細目次(省略)



acamac book review
http://d.hatena.ne.jp/akamac/20111220/1324391872

就活本は企業にいかに気に入ってもらうかの観点からのものが多い。企業の現状を前提にした議論は「新氷河期」の学生をやたら悲観させてもいる。学生の就職問題は雇用の現場と直結しているはずだ。その視点から就職を再考し,〈まともな働き方〉を提唱する本書は多くの類書のなかでも〈まともな〉一冊である。就活と働き方を同時に論じている本書は,多くの著書を通じて現代日本経済を分析してきた冷静な視点と株主訴訟や過労死に率先して取り組んできた熱い思いとを結晶させている。

就活編の描写は生々しい。就活うつと就活自殺が増える一方で,就活ビジネスが栄える日本の現状は波状的リストラが極限まで進んだ結果である。若年者の高い失業率は,彼らが打たれ弱いからではなく,企業の違法性や労働条件の過酷さにある。内定率の低さやルールなき新卒採用の実態は企業社会の病理と一体のものであろう。

働き方にかかわっては,雇用を「賃金や労働時間が法定の基準を満たし,働く権利が保障され,安定していて,健康保険,雇用保険,労災保険などの社会的保護が与えられているもとで,労働者が使用者の指揮命令下で働き,その対価として賃金を受け取る関係」と整理し(92ページ),見かけの時短が進んだものの正社員の働き過ぎは変わっていない。さらに,パートタイム労働が増えることにしたがって一般社員を正社員と呼ぶことになった歴史は知っていていい。

著者の〈まともな働き方〉はILOの decent work から採られている。「まともな労働時間」「まともな賃金」「まともな雇用」「まともな社会保障」などがその内容となる。超長時間労働者(男性正社員中心)と短時間労働者(産業予備軍や女性パートタイム労働者が中心)のあいだで仕事を分かち合う「サービス残業解消型のワークシェアリング」を解決の糸口としながら,政治と政府の課題を明確にしている。

企業社会にいかに適応するかだけでなく,社会常識と労働知識を身に付けた〈まともな〉学生を育てる意義をあらためて教えてもらった。

日経新聞「傍聴席」に著者の過労死防止基本法策定の取組が紹介されていた(2011年11月28日付)。下に縮小して貼り付けておく。(記事省略)

2011年12月20日


ADVANCE NEWS
http://www.advance-news.co.jp/column/2011/12/post-146.html

就活の早期化・長期化への警鐘

 今月1日から2013年3月卒業予定の大学生の就職活動が解禁となった。経団連の活動自粛による、例年より2カ月遅いスタートだが、マスコミなどは昨年に続いて「超氷河期」と予想する。学生諸君、がんばって!

 そんな就活学生をターゲットにした本書だが、内容は「氷河期」に至った背景、企業側のルールなき採用活動、非正規労働者の増加、働き過ぎの理由、キャリア教育の必要性、「まともな」働き方とは何かなど、ひと通りコンパクトに解説している。

 とりわけ、立場の弱い学生が企業側の都合に振り回され、就活期間の早期化・長期化が大学にとっても深刻な悪影響を与えていることに、企業側の改善努力を促している点は説得力がある。

 また、晴れて一流企業の内定を得て入社にこぎつけた新人が、簡単に退社してしまう「七五三現象」(中卒は7年、高卒は5年、大卒は3年で退社するという意味)についても、原因はもっぱら過酷な長時間労働などを強いる企業側にあると力説している。

 著者は長年にわたって関西大学で学生の就職問題にかかわる一方、過労死問題の解決にも尽力していることから、企業の社員の使い方に強い警鐘を鳴らしている。正直に言えば、本書を就活生が読んで「厳しい職場」の雰囲気はわかるにしても、「希望の一冊」になるかどうかは疑問だ。

 また、「まともな雇用の対極にある」雇用として、派遣労働をヤリ玉に挙げ、「本来一体不可分の雇用と使用を分離することによって、間接雇用を容認し、労働市場仲介業者の中間搾取(ピンハネ)を合法化している」といった恐ろしいほどの誤解も載せている。同大OBが大手派遣会社のトップとして「雇用創造」を掲げているのは大いなる皮肉か。 (のり)



毎日jp
http://mainichi.jp/enta/book/hondana/archive/news/2011/12/20111204ddm015070013000c.html
今週の本棚・新刊:『就職とは何か <まともな働き方>の条件』=森岡孝二・著
(岩波新書・798円)

 会社訪問解禁日や採用内定解禁日などを定めた就職協定が、一九九七年に廃止されて以降、学生たちの就活開始時期が早まり、しかも長期化してきた。同時に、正社員採用枠の絞り込みと非正規雇用の増大。今年の大学生の就職内定率は、一〇月時点で、統計をとり始めて以降、ワースト二番目の、六〇%弱。

 運良く就職できた場合でも、三〇代を中心とした正社員の長時間労働が尋常ではない。<まともな働き方>を実現するための課題は山積だが、まずは第一歩として著者が提案するのが「サービス残業解消型のワークシェアリング」。過労死を生むほどの長時間労働がある一方で、働き口のない多くの若者たちがいる。その両者の間での仕事の分かち合いからまずは始めよう、と。(達)



asahi.com
http://book.asahi.com/book/9784004313380.html

 景気の冷え込みに直撃されて「就活」の過酷さが深刻な社会問題として認識される現在、「働く」ことの意味を根本的に問い直す。「社会人基礎力」を小学校教育から適応力としてすりこむ風潮や、就活のために年々短くなる大学生活、雇用環境の格差などの現状に一石を投じ、副題にあるように「まともな働き方の条件」を探る。



R-style
http://rashita.net/blog/?p=7015

「新就職氷河期」。現代の就職を取り囲む状況はそう呼ばれているそうだ。

学生時代の多くの時間を就職活動に使い、激しい競争に晒され、うまく就職できたとしても人員削減の影響で長時間労働が予定調和として組み込まれている。かといって非正規雇用に職を転じれば、ワーキングプアへの道が待っている。やれやれだ。

本書は、現代の「就職」に関する状況を俯瞰し、問題点を挙げ、そして一歩踏み込んだ提言が行われている。つっこんだ詳しい情報を得るためというよりは、若者の労働環境をざっと眺めるのに適した一冊だ。


「就職」状況について

第1章「就職氷河期から新氷河期へ」では、就職に関する数字を読み解いていく。1990年代から起き始めていた正規雇用者の減少及び非正規雇用者の増大。あるいは就職内定率の算出方法。この辺りを踏まえておかないと、「失業率」や「内定率」の数字の変化が何を意味するのかは理解できないだろう。

第2章の「就活ビジネスとルールなき新卒採用」では、今の形の「新卒採用」がどのような経緯で生まれてきたのかが簡単に紹介されている。今年11月にユニクロが新卒採用について一石を投じるような案をぶち上げていたが、おそらく今後この「新卒採用」が変化していくことは十分に考えられる。ただ、その変化が学生にとって良いものになるかどうかは見えてこない。そもそも「学生にとって良い」などと一括りにして考えることそのものに無理があるのだろう。
※ユニクロ、新卒一括採用を見直しへ 大学1年で採用も(朝日新聞)

そうした就職活動の状況を踏まえた上で、実際に「働く」というのはどういうことなのかが続きの章では考察されていく。

「働くこと」について

第3章の章題は「雇われて働くということ」。この章では「雇用」に焦点が当てられている。パート労働者が増えた事による労働組合の弱体化、派遣労働の問題点など、雇用者と被雇用者の関係を作る法律面での問題点は以前からも指摘されていることだ。

第4章「時間に縛られて働くということ」では、働き過ぎ問題が取り上げられている。単純な形での過労死だけではなく、過労が原因となったうつによる自殺までも考慮しないと問題の実際の姿は見えてこないと著者は指摘している。

これまでの章を読めば、おそらく就活生はきっと気分メーターがマイナスの領域に達することは間違いない。良いことなんて全然見えてこないのだから、それも仕方ないだろう。

何が必要か

では、どうすれば良いのか。第五章「就職に求められる力と働き方」ではそれが語られる。企業が学生を採用する場合に、どんな能力に注目しているのか。これも以前から言われていることではあるが、「コミュニケーション能力」が重要視されているらしい。

しかし考えてみればこれも当然のことで、就職活動がどんどん前倒しになればなるほど、学力を測ることは難しくなる。なんといってもまだ卒業していないのだ。結局、普遍的な対人関係能力を見るしかない。

もちろん、それは組織で働く上では大切な能力であることは間違いない。ただ、コミュニケーション能力に優れているからといって、優秀な人材であるかはまた別の話である。奇抜な発想をする人は・・・まあ、多くは語らないでおこう。

加えて「労働」そのものに関する知識の重要性もあげられている。簡単に言えば労働者の権利だ。そういえば、義務教育で労働者に関する権利は一応習うものの、実際の労働者になる時にはそんなことはすっぽりと頭から抜け落ちている人が多いのではないだろうか。こういった知識は無いよりもあった方が良い。

しかし、学生の靴を履いて本章を眺めてみても、あまり希望は湧いてこない。

難しい状況に立ち向かうための武器と防具が提示されているのかもしれないが、なぜその状況に進んで立ち向かわなければならないのか、という根源的な理由が見えてこない。つまり、就職する__企業の務め人になる__選択が本書の前提になっているとも言えるだろう。これはやや「政策提言」めいたものが本書に含まれているせいもあるだろう。今ある状況をどのように「改善」すれば良いのか、という提言では、その選択肢以外について触れる必要はない。

その提言は、終章「<まともな働き方>を実現するために」で提示される。その内容については本書を直接参照されたい。

さいごに

本書を読んで、私が想像していた以上に就職活動の厳しさが増していることがわかった。

私自身は「就職活動」というものがイヤで、その戦線から早々に撤退した人間である。だから、今現在就職活動に頑張っている学生に何か偉そうなことを言える立場にはない。

ただ一つだけ言えることがあるとすれば、「別ルートも存在しているんだ」ということである。前回の書評で紹介したような少々変わった「働き方」もある。あるいは前々回の書評で紹介した「メディア化」は、個人にも適用できる。

確かに社会全体の視点から見れば、「就職活動」にメスを入れる必要はあるだろう。ただ、個人の生き方としてはそれと違ったルートを歩くのもアリではある。少なくとも頭の引き出しにそういうルートの存在を是非とも入れて欲しいものだ



見もの読みもの日記
http://blog.goo.ne.jp/jchz/e/0bd68687f748a7c9e417232fc1e5bc96
「適応」の通過儀礼/就職とは何か(森岡孝二)
2011-12-03 00:26:46

 自分の半生を振り返って、個人的・世代的な運不運を評価できる年齢になってきたが、バブル真っ只中に就職(転職)できたことは、幸運だった。いまの学生が〈まともな〉しごとを得るために費やしている時間とエネルギー、特に精神的な重圧の大きさを見ていると、とても私には耐えらなかっただろうと思う。

 本書は、経済学(労働時間論)を専門とし、私立大学の教員である著者が、学生の就職活動や雇用の実態を、調査研究と観察の両面から論じ、まともな賃金、まともな労働時間、まともな雇用、まともな社会保障を実現するための改善方策を示したものである。

 まず、最近の就活スケジュールが具体的にどうなっているかを初めて知って、本当に「うつ」になりそうだった。本書には、さまさまな国際比較データが掲載されており、9割近くが「卒業前」に就職活動を開始する日本の慣行は、決してスタンダードではないことが分かる。ヨーロッパ諸国(11カ国)の平均は4割弱で、「卒業頃」+「卒業後」の合計のほうが多い(51頁)。それから、OECD加盟国の中で、2000年の年間賃金を100としたときの物価調整をしない名目賃金の推移が、長期的に低下しているのは日本だけというグラフにも暗澹たる気持ちになった(89頁)。男性正規の時給を100としたときの、女性正規、男性パート、女性パートの時給は、それぞれ、67.0、44.0、39.9で、フルタイム/パートタイムの時給格差が大きいのも日本の特徴だという(98頁)。

 さらに、統計には表れにくい、さまざまな「からくり」。一見、好条件に見える初任給が、殺人的な時間外労働を前提とした金額であったり、大手企業が、労働組合や過半数代表者と結んでいる三六協定(142頁、2008年10月)のムゴさ。1日15時間延長可能って、つまり24時間働かせてもいいということか…。これでは労働法規なんて、あってないようなものではないか。

 それでも職を得たいと思う若者は、企業文化への「適応」を余儀なくされる。本書に紹介されている『社会人基礎力養成講座』(同講座事務局編↓下段)という新書の中味を読んで、のけぞってしまった。残業で午後11時帰宅となったとしても、上司に「明日までに企画を10個出しなさい」と命じられたら、「なんとか頑張って、10個の企画を考えようと思う」は不正解で、「ここはやる気を見せるチャンス! 最低20個を目標にできるだけ多く考える」が正解。しかもこれが(冗談でなく)「主体性」の問題だという。えええ〜、それは組織文化への「従属性」だろ、主体的な判断ができるなら、自分の健康をおもんばかって、さっさと寝ろよ、と私は思う。

 「社会人基礎力」は経済産業省が言い出した言葉だが、文科省が推進する「キャリア教育」も『小学校キャリア教育の手引き』『中学校キャリア教育の手引き』によれば、「適応」がキーワードになっている。本田由紀氏は、学校教育が職業生活においてもつ意味を「適応」と「抵抗」に分けて論じているが(そうでしたね→著書)、後者の側面は、すっぽり抜け落ちているようだ。

 それなら、自分の身は自分で守るしかない。著者は、これから社会に出る学生に対し、労働知識の大切さを説き、加えて「大学までに見につけた常識を失わないでもらいたい」と説く。一昔前なら「常識」は、実社会の側にあったが、いまはそうと言えないらしい。

 そして、社会全体が〈まともな働き方=ディーセント・ワーク decent work〉(いい訳だな)を実現するために、最も実効性のある解決策は、ワーク・シェアリングであると提言する。確かに、○○分野の新規雇用創出とか言っているよりは、まだしも実現可能性は高いと思うのだが、経済界が動かないのは何故なんだろう。結果を度外視して「頑張る」ことを美徳や誇りとする伝統的な倫理意識が、邪魔をしているんじゃないかと思ったりする。



読書メーター
http://book.akahoshitakuya.com/b/4004313384

就職とは何か――〈まともな働き方〉の条件 岩波新書巻の感想・レビュー(17)
01/01:アカコ

youfuruya
真面目に働いても、なかなか報われることのない状況というのは、やはり辛い。著者は政府に責任を求めているが、もっと企業も努力すべきような。。


MrO
こんなにも若者たちに未来が見えない国に未来はないな?。


ハレー彗星
将来について考えさせられる内容だった。就活についてや社会人として働くうえで役立つことがたくさんあった。この本から得た知識を一年後に始まる就活で役立てていきたいと思う。


菊見
就職氷河期=内定さえ貰えればどこでもよい、というのではなく、大学生も労働条件をきちんと加味して企業を選ぶべきなのだ、と再認識できた。データに基づく客観的な書き方だからこそ、心にずしりと来て、決意を固めさせてくれる。


12/13:Yumi Ota
下等遊民
就職氷河期にも関わらず、就活は早期化していて、就活生に負担がかかっている。就職してからも、働きすぎなどが問題になっており、就職後のことも考えていく必要がある。


kadoyan
昨今の就職活動状況の苛酷さを、リアルに描き出し、問題点をあきらかにした秀作。また就職活動の歴史的な変遷もよみごたえがあった。就職活動をひかえたり、実際に直面している学生にも、就職活動の社会的背景をとらえるうえでも、ぜひ読んでほしいと思った。


きいち
(自分のキャリア、人生にとって「就職」とはどんな意義をもつことなのか、という内容を期待したが、そうではなく)社会問題としての就職を概説した本。働きすぎの実態、正規と非正規の理不尽な格差、そして、就職する際に必要なスキルが「社会人基礎力」的な片面からしか語られず、働き手が「抵抗」するための労働知識がなおざりにされていること。憤りを感じると同時に、実際職場にいる自分は今どこまで立ち向かえているのか、これから何をしていくべきか、考えて動いていきたいという想いを新たにする。※社会人基礎力の例題は本当に噴飯モノ。

コメント(1)- 12/09

きいち
ただし著者も述べているように、学生が就活でさまざな壁を乗り越え、その経験を通じて成長を遂げていることも実態だし、さらに、「仕事を楽しむ力」は一度とことん働くことで身につくことも事実。重要なのはそこに「自律性」があるか。 例題にあげられている事例にせよ、「やる気をみせるために残業しましょう」というのは本末転倒でばからしいが、実際に企画力を伸ばすには、頭に負荷をかけ無理に考えを絞りだすのが一番(筋トレと一緒)わけだし。


Ryuji Saito
就職活動を控えた学生のみならず、ひろく一般の人にも読んでほしい労働・雇用に関する良書です。



北海学園生協学生委員会
http://sites.google.com/site/gstaffhgucoop/shop/osusumeben

おすすめ本
2011/12/18 6:12 に Gakuencoop Hokkai が投稿

就活が始まって大変ですよね・・・。友達も毎日セカセカ動いています。かくいう私も目標に向かって勉強中ですが・・・。

「こんなことやっていてよいのかよ!!」って??

いや正直ヤバいです。泣

でもそれ以上に衝撃だったのがこの本!!

森岡孝二 著「就職とは何か―〈まともな働き方〉の条件」岩波新書2011年11月18日です。

現代の就職活動や就職の在り方に一石を投じると共に、働くとは何かを考えさせられる本です。

実際の大学生の事例もあるので非常に読みやすいです。

いや〜、やっぱり働くって大変だと思うんですよね。でも働くシステムを知らないで働こうなんて恐ろしいと思いませんか??

就活生はもちろん、2年生や1年生にも是非読んでいろいろなことを考えてもらえたらと思います。

感想なんかをメールで送ってくれると嬉しいです!!

では、首を長ーーーーーーーーーくして待っています。



Booklog
http://booklog.jp/asin/4004313384
就職とは何か――〈まともな働き方〉の条件 (岩波新書) 36人が登録★2.71
みんなの感想・レビュー・書評
(8レビュー)

2011-12-25 | コメントする≫
toshifukushimaさんのレビュー
自分が就職活動をしたのは、ずいぶん昔のことで、事情が違うことは理解していたつもりだが、数字で示されると、現在の、大学生の苦労がわかる。


2011-12-21 | コメントする≫
zippo1985さんのレビュー
新書としては充実してる気がしました♪。ただハウツー本ではないから、今まさに就活中の人には向かないかもしれませんね。それに新しい解決策が提示されるわけでもない。でも当たり前のこと、出来れば苦労しないことが提示されるのは、当たり前が当たり前ではないから。目からうろこの画期的な解決策や、これを読めば内定がとれる的な書物はないと思う。どんな書籍でも生かすも殺すも本人次第。この新書はちゃんと中身があるし、良書だと私は思う。


2011-12-20 | コメントする≫
schlagerさんのレビュー
今年読んだ本の中で、駄目本No.1になりそうなレベルだった。学生の就職活動や、世間一般で言われている雇用問題をかじる程度にはまあいい本かもしれない。しかし、終章で「一刻も早く最低賃金を1000円にすべき」という筆者の主張には呆れる。おまけに、働き過ぎの正社員問題を解決するにはワークシェアリングという…最低賃金の引き上げに関しては、感情論で言うなら「あ、そう」で終わるが、一経済学者が言うのだから、どういう根拠があってこの主張をするのか聞いてみたい。価格は需要と供給で決まるのではないらしい(笑)


2011-12-06 | コメントする≫
タカギさんのレビュー
就職は子供たちの時代になりましたが、本当に「まともな職業」が見つかるかどうか不安。
過労死・過労自殺のあった企業が公表されるようにする運動が広がっている。
これからの職探しは決して自分探しではなく、自分を生かしてくれる「まともな」企業を探すことだろう。本人の独力だけでなく、就職を考える学校や親の力も動員する必要もあるだろう。


2011-12-05 | コメントする≫
hirokitanaka1022さんのレビュー
タイトルから想起されるような哲学的な話はほとんどありません。内容は「就活残酷物語」。最近の若者の就職難の現状を、データと実例を交えて客観的に説明して見せる一冊です。
未だに「若者が就職できないのは甘え」とか思っている団塊の世代に読んでもらいたい本。若者が読むと暗澹たる気持ちになるだけかも。

現状の悲惨さはよく伝わってくるのですが、現状打破の方法として「ワークシェア」等が提示してあるので説得力が非常に弱い。実際にワークシェアを経験した人の話を聞いても、それが機能するとはとても思えないので。



三鷹の一日
http://yamatea.at.webry.info/201112/article_18.html
『就職とは何か』を読む

作成日時 : 2011/12/30 07:57

いま学生は「新就職氷河期」といわれる厳しい就職環境の中で就職活動を余儀なくされています。入学早々から「就活」への備えに振り回され、長く厳しい競争くぐり抜けて正社員になれても、働き過ぎが待っています。一方で、非正規雇用の身には否応なく貧困がついてくる状況があります。

関西大学の森岡孝二さんが書かれた『就職とは何か』(岩波新書、2011年)は、いま学生の就職活動はどうなっているかという問いに、雇用の現場はどうなっているかという問いを重ねて、就職とは何かを考え、〈まともな働き方〉の条件を明らかにしようとした本です。

第1章「就職氷河期から新氷河期へ」では、長期不況と波状的リストラの中で過去最悪の内定率となっていること、長引く就活の中で就活うつや就活自殺が増えていること、若年者の失業率が高く非正規雇用労働者比率も高いこと、など最近の雇用に関わる動きを明らかにしています。

第2章「就活ビジネスとルールなき新卒採用」では、「リクナビ」を運営するリクルート、「マイナビ」を運営する毎日コミュニケーションズなどの就活ビジネスが栄える一方、就職活動の早期化と長期化が問題となっていること、その背景には定期採用(新規学卒一括採用)という日本独自の制度があること、早期化を是正するためには就職協定での是正が必要であることを説いています。

第3章「雇われて働くということ」では、雇用とは何かを考えつつ、労働組合の役割、若者の労働組合に関する意識の変化などを検討しています。

第4章「時間に縛られて働くということ」では、見せかけの労働時間は減っているが、正社員の働き過ぎにを問題にし、とくに最近いわれる「社会人基礎力」とは残業実行力のことかと疑問を投げかけ、若者に広がる過労死・過労自殺の実態と企業の働かせ方の問題点を明らかにしています。

第5章「就職に求められる力と働き方」では、大学が就職部からキャリアセンターになり、小・中学校からキャリア教育が始まったが、それがひたすら「適応力」を育てることにねらいがあることを明らかにしてうえで、企業が求める「コミュニケーション能力」などを重視していることを検討し、仕事に必要なのはハードのスキル(専門知識、英語力、情報処理能力など)とソフトのスキル(コミュニケーション能力、社会常識など)であるが、日本企業はソフトのスキルを重視して採用していることを明らかにしています。そして、キャリア教育が賢く生きるための労働知識を身につけさせることをしていないことを批判しています。

終章「〈まともな働き方〉を実現するために」では、〈まともな働き方〉の条件を、まともな賃金、まともな労働時間、まともな雇用、まともな社会保障を柱に整理し、とくに過重労働に有効な規制を行うべきであるとし、具体的施策として過労死防止基本法の制定を提起しています。

個人的にはキャリア教育の問題点に触れた第5章がもっとも共感することが多かったのですが、大学のキャリア教育でよく目標とされる「社会人基礎力」の問題点を指摘している第4章も、沢田健太さんが「行き過ぎた適応主義」『大学キャリアセンターのぶっちゃけ話』ソフトバンク新書、2011年)と指摘した点と共通するもので、興味深く読むことができました。

大学生だけでなく、キャリア教育に関わる教育関係者をはじめ、働いている若者、採用側の企業関係者など、多くの人に読んでもらいたいと思っています。



AIR RACK
http://airrack.jp/bk/4004313384


M.Mast ( pastelwind )
「就職とは何か」読了。まともな働き方、って何でしょうね?


しぽネコ ( longtailcat )
これ読んだら就活する気が起きないね。森岡 孝二 の '就職とは何か――〈まともな働き方〉の条件 (岩波新書)' を 読了。 http://t.co/3gs4Ad1Z @さんから


sgmt chuya ( uchunohate )
就活ぶっこわせデモの学習会に向けていくつか本を読んでいる。とりあえず課題である本田由紀先生の『軋む社会』と、森岡孝二さんの『就職とは何か』を読了。どちらもいい内容なので勉強会までに読むのがオススメ。 ⇒就活ぶっこわせデモと一緒に意見交換☆ http://t.co/f140T6rn

satoru fujita ( ocha1978 )

森岡孝二『就職とは何か―〈まともな働き方〉の条件』読了。新書で読みやすい、データが新しい、就活・就職する上での基礎知識を学べる。学生に勧めやすい本。

tohdaiji ( Werner_Schlager )

【読了】『就職とは何か――〈まともな働き方〉の条件 (岩波新書)』森岡 孝二 ☆1 http://t.co/PN4i7FNj #booklog

ゆうき@matsu ( otokoha_turaiyo )

『就職とは何か−の条件』森岡孝二 読了。現在の就活の全体像を批判的によくまとめてある。データもふんだんでありがたい。「自分探しw」「コミュニケーション能力w」「社会人基礎力w」など抽象的なことでない、就活する上で必要なコトが書いてある。学生に読んでほしい一冊。

Shigeru ONO ( shig_ono )

[読書日記を更新しました] 読了:「就職とは何か」 http://t.co/dvlnFs2D


中尾 裕一 ( taiyousaisei )

森岡孝二著『就職とは何か』(岩波新書)読了。これから就活を迎える学生はぜひ読むべき一冊。現代の労働の実態が分かりやすく書かれている。



ようこそ!千田孝之のホームページへ
http://sendatakayuki.web.fc2.com/etc6/syohyou329.html
森岡孝二著 「就職とは何か」 岩波新書 (2011年11月)

労働環境の崩壊のなか、まともな働き方の条件とは

ここ数年、新聞・テレビ上で「偽装請負」、「ニート・フリーター」、「派遣切り」、「ハローワーク」、「正規労働者と非正規労働者」、「製造業派遣」、「名ばかり管理職」、「残業代ゼロ」、「過労死問題」が話題にならない日は無いぐらいだ。またそういった労働問題と格差社会を取り上げた書は多い。下にこれまでに私が読んだ関連書を示す。
@ 朝日新聞特別報道チーム著 「偽装請負ー格差社会の労働現場」 朝日新書
A 門倉貴史著 「派遣の実態」 宝島社新書
B 中野麻美著 「労働ダンピングー雇用の多様化の果てに」 岩波新書
C 橘木俊詔 「格差社会」  岩波新書
これらの書物は、問題の本質を新自由主義による企業側の労働規制緩和要求ととらえ、それに反対して労働規制強化の昔に戻そうという図式で、それはそれで理論的には完結する闘争である。自民党から民主党に政権が交代すればある程度はゆり戻しでバランスが傾くことはあるだろう。また上記の労働問題は一人日本だけの現象ではなく、EUでも「派遣」問題は存在するのである。むしろ欧州の方が派遣問題の歴史は長い。小泉元首相の規制緩和路線によって、富の分配は大きく企業側に傾いていることは確かである。労働側の格差や中流社会の崩壊、若年労働者の貧困化は目に見えて顕著である。また労働問題は企業と労働の賃金問題だけではなく、政府の福祉政策とペアーで考えなければならない。さらに職業教育(キャリアー)という点では厚生労働省だけの問題ではなく、これまで職業教育に全く無関心であった文部省の政策も長期的に関係している。これまで政府は健康保険・失業保険・年金などの福祉政策や職業教育、扶養家族手当てや子育て・教育費などの生活賃金、さらに源泉徴収など税制面などを企業側に押し付けてきた。企業と政府の負担のバランスは日本的に歪んでいたといえる。そこでグローバル競争の激化から企業側からの負担返上の要求が、「経済財政諮問会議」において労働側の代表がいないまま企業側が一方的に内閣へ提出された。 こうしてグローバル経済危機を背景に日本の労働環境の破壊が一方的に進行した。このような状況を比較的見通しよくまとめた本として次の本がある。

D 濱口桂一郎著 「新しい労働社会ー雇用システムの再構築へ」 岩波新書
著者濱口氏は厚生労働省のシンクタンク独立行政法人労働政策研究・研修機構(JILT)の労使関係・労使コミュニケーション部門統括研究員である。労働省の政策担当者である。1990年代の新自由主義による規制緩和政策(小さな政府路線、サッチャー・レーガン主義)が日本の労働事情を破壊し、混乱に貶めるまで、日本の経済や生産力は日本独自の労働事情が支えていたのだという世界的な評価もあった。「多様化する労働事情」という言葉は働いたことがない学者たちが好んで使う言葉である。少なくとも当事者(利益関係者)の使う言葉ではない。当事者は事情は単純なほうを好むものである。多様性を喜んでいるの部外者である。複雑で混乱している方が部外者が口を挟みやすいのであろうし、それが自分の立場を誇示することにもなるのだろう。日本では労働情勢は「三者構成原則」というもので運営されてきた。政府の審議会などの政策審議は、政府・使用者・労働者の三者の合意で諮られてきたのが、小泉元首相の「経済財政審議会」がこの伝統を破壊した。「失われた15年」で失われたのは日本の労働社会システムではないだろうか。そして到来したのが西欧流新自由主義の格差社会であり金融資本の格差・貧困ビジネスであった。その金融資本も倒れた今日、日本を再建するために知恵を出し合って考えてゆく一つのきっかけになればいい。濱口氏は@命と健康を守る視点から労働時間規制 、A非正規労働者の派遣問題 、B賃金と社会保障の連環 、C労働組合と産業民主主義 と章を分けて見事に現状を説明しているが、やはり処方箋が「EUを参考に」というのは現状承認の上で成り立つ論理であればいただけない。

これらの労働環境関係の書物の上に本書 森岡孝二著 「就職とは何か」を位置づけるとしたら、これは「新就職氷河期」のただ中、就職を控えた学生に対して学生課(キャリアーセンター)の先生による「最低これぐらいの労働事情を知っておかないとまずいよ」というような「学生に与うる書」(警告の書)であろうかと思う。就活ビジネス、例えばリクルートなどの「・・ナビ」が出している情報誌のように差し迫ったハウツーものでは、就職の大義名分と現状の困難さを個人のテクニックとして切り抜けることが述べられているが、運よく就職できても待ち構える労働環境の劣悪さには殆ど触れていない。職を求めるということは飯を食うためであって、自己実現などということは2の次のことである。1人の人間が飯を食えても家族を養うに足る給料は不可能であると云う現状は隠されている。悪くすると過労で殺されるかもしれないということは絶対に述べられてはいない。まして会社の門をくぐると民主主義は無くなるということもタブーとされている。女性差別、奴隷労働が待っているということは建前上ないことになっている。これらのことを教えないで学生を就職に導く学校の先生たちも共犯者と言われかねない。イギリスのフランシスコ・ベーコンは「知識は力なり」といった。「知らないと損をする」というのはハウツーものである。人間にとって就職は人生ライフスコースの入り口である(すべてだという人もいるが)。就職と労働事情を知る事で人間らしい豊かな人生を考えるのが本書の目的である。

森岡孝二氏のプロフィールを紹介する。森岡氏は1944年大分県生まれ、香川大学卒業、京都大学博士課程を経て、1983年関西大学経済学部教授となる。専門は理論経済学、企業社会論、労働時間論である。学問の師は香川大学山崎怜氏、京都大学池上恂氏だそうだ。教授職のほか、株主オンブズマン代表、大阪過労死問題連絡会長、働き方ネットワーク大阪会長を務めている。主な著書には、『独占資本主義の解明―予備的研究』(新評論, 1979年/増補新版, 1987年) 、『現代資本主義分析と独占理論』(青木書店, 1982年) 、『企業中心社会の時間構造――生活摩擦の経済学』(青木書店, 1995年) 、『粉飾決算』(岩波ブックレット, 2000年) 、『日本経済の選択――企業のあり方を問う』(桜井書店, 2000年) 、『働きすぎの時代』(岩波新書、2005年)、『貧困化するホワイトカラー』(ちくま新書、2009年5月)、『強欲資本主義の時代とその終焉』(桜井書店、2010年) などがある。

1) 新就職氷河期の就職事情
2010年の労働省調査によると、15−24歳の若年雇用者は1992年の750万人から460万人に激減し、非正社員化は全体で39%に増加した。なかでも15−19歳(中卒、高卒)の非正社員化は91%である。若者の人口減少と大学進学率の増加(51%)によるものと思われる。高度経済成長期には金の卵ともてはやされた若年労働者は今ではごみ扱いである。大学卒業者の就職率は約6割で、大学院進学・海外留学などを除いた就職未定者は約2割を占める。2011年3月での就職内定率91%という数値は、就職を諦めた大学生を母数から除いているために高く見えるだけである。企業の採用活動開始時期が早期化するにつれ学生の就職活動開始時期も早期化し、大学教育が成り立たなくなると心配されるほどである。近年の大学生の就職活動は早期化・長期化している。著者に勤務する関西大学経済学部を例にとると、普通3年生の4月には就職・進路ガイダンスが開催され、これは丁寧にも9月、12月の3回も行なわれる。夏休みにはインターンシップ(職場体験実習)に参加する。10月になると資料請求とエントリー(登録)と企業説明会が開催され4年生の春まで続く。企業の採用情報の公開は12月からである。1人平均の説明会参加企業数は80−100社あまりと見られ、そのうち数十社にエントリーシートや履歴書を提出し、20−30社の面接を受けるのである。面接回数は1社3,4回ほどの選考を受ける。こうして長い活動を行なって、1,2社の内定を受けるには半年から8ヶ月を要するようだ。就職が出来ない場合、就職留年を願い出る学生も多い。面接で選考された者だけが筆記試験を受けることが出来る。筆記試験の種類には@SPI(リクルート社の開発になる総合適正試験)、AGAB・CAB(コンピュータ職の採用試験)、B一般常識、C小論文がある。

この長い辛い就活でうまく行かない学生の自殺が増えている。2010年には就活活動の失敗が原因と見られる大学生の自殺者は46人であった。幸い就職できたとしても、若い人ほど失業率が高い。失業率は15−24歳で10%、25−34歳で6%である。求職活動をしなかったものは非労働力人口に編入されるため、実際はこれ以上に失業率は高いと見られる。完全失業者より非労働力中の就職希望者の方が多い。経済学でいう「産業予備軍」は、若年者の完全失業者52万人、非正規雇用者213万人、非労働力人口中の就業希望者120万人を加えると、385万人となる。若者にとって非常に厳しい雇用環境にあるといえる。学校の新卒者の3年内離職率は高卒44%、大卒が34%である。やめる理由の60%は会社側に理不尽な働き方を要求するなどの違法性があったからだ。2011年3月時点での内定率は大学理系で93.1%(国立96%,私立91%)、文系で91%(国立92%、私立90%)、短大で84%であった。ところが実際は就職希望者の内定率は90%を割っているのではいだろうか。大卒者の進路を見ると、文科省の2011年調査では就職者62%、大学院進学者13%、留学など2%、アルバイトなど一時的な就業者3.5%、進学も就職もしていないもの16%である。問題はこの進学も就職もしていない者でほんとうの遊び者は少なく殆どが就職が出来なかったものであるとすれば、内定率91%という数字は80%に減少するのでは無いだろうか。

就職活動を行なう学生を支援する「就活ビジネス」をリクルート社が始め、「リクナビ」や「マイナビ」、「日経ナビ」の就職情報サイトが知られる。大規模な合同企業説明会には数万人の学生が参加し、地方からは「就活バスツアー」が組まれる。メッセで行なわれるモーターショーのような合同企業説明会は、じっくり聞けないので実効性はあまり期待できない。またインターンシップも実習期間が数日−1週間程度では短すぎて、学生側・企業側のどちらもよく分からないままに終っている。それが就職に反映されるわけでもないし、学生の67%はアルバイトを継続的にしているのに比べても、インターンシップの意義は不明である。日本独特の就職制度として「定期一括採用」という制度がある。これが企業の予算編成時期によって左右され就職活動の早期化につながっている。日本では学生の88%が卒業までに就活を行い内定を得ているが、欧州では平均39%(フランス10%、ノルウエー61%)に過ぎない。企業の採用活動の早期化は好景気も不景気にも関係なしに進行した。現在3年生の10月からエントリーシートを提出し、12月から1月に面接などの選考が始まり、3月から4月には「内々定」をだし、10月1日に「内定」が出るスケジュールである。企業の就職協定(紳士協定)はなきに等しく、「仁義なき」協定破りが日常化した。この就活の早期化には就職活動支援ビジネスと情報通信技術も与って影響があった。就職活動がマス化し、大量の企業情報と大量の応募者が飛び交っている。日本学術会議の政策提言や経団連の2011年倫理憲章もはたして守られるかどうかはなはだ怪しい。

2) 雇用と労働時間の現状
学生が企業を選択する基準や、企業が学生を選考する基準のアンケートは建前と本音は異なるので、アンケート結果はそう信用できるものではない。2009年の日本政府が行なった「世界青年意識調査」では、日本の企業選択の第1位は70%が「仕事内容」であるが、米国、韓国、イギリス、フランスの第1位は80%以上が「収入」であった。日本では労働条件を表立って問題視することを避ける傾向にある。筆者は社会人として働こうとする学生の第1の関心事はやはり「賃金」と「労働時間」の労働条件であると見ている。特に就職情報誌に書いてある「初任給」には注意が必要である。一見高い初任給に残業を含んでいたり、勤務地手当てや住宅手当などを含むかどうか見る必要がある。2011年度大学卒業者の上場企業の初任給は、総合職で21万円程度、一般職で18万円程度であった。この初任給は1995年以降ほぼ一定で飽和している。日本の雇用者報酬総額は2010年度で253兆円で2000年以降だらだらと下がり気味である。国税庁の「民間給与実態」では1人平均給与は2009年は406万円であった。男性の給与の落ち込みは著しく1997年に577万円であったが、2009年に499万円に下がった。OECD加盟国主要国で年間賃金が長期的に下降しているのは日本のみであった。韓国では10年間で50%も増加し、イギリス・フランス・アメリカでは20%以上上昇している。雇用とは「賃金や労働時間が法定の基準を満たし、働く権利が保障され安定していて、健康保険・雇用保険・労災保険などの社会的保護が加えられるもので、労働者が使用者の指揮命令下で働き、その対価として賃金を受け取る関係」と定義すれば、日本の雇用は既に崩壊している。それは正社員の絞込みと非正社員化が進んだ結果である。

最低賃金法により2010年都道府県審議会が決めた1時間あたりの賃金は、東京で837円、大阪で786円、福岡695円、岩手などの地方では645円以上である。また法定労働時間は1日8時間、1周40時間と定め、労働者の働き方に一定のルールを設けている。しかし現実にはこれに当てはまらない場合が多い。特に非正規雇用者では、低賃金で有期雇用、社会的保障が殆どない。2007年の非正規雇用者1700万人のうち雇用保険未加入者は1000万人を超えている。全失業者の77%は失業保険をうけていないのである。2004年「ワーキングプア」という言葉がアメリカで生まれた。企業の減量経営のため、かって男性片稼ぎモデルを支えた正社員の比率は急速に減少した。そして賃金の安いパートへ移行した。日本の賃金の男女格差とフルタイムとパートの自給格差は世界的にも類を見ないほど大きい。男性正社員の時給を100とすると、女性正規社員は67%、男性パートは44%、女性パートは40%である。まるでかってのアメリカの人種差別をはるかに超えている。正社員が減ると当然日本の企業別組合の組織率は一層低下し、1980年以降ストライキは全く影を潜めた。1970年代35%であった労働組合組織率は2000年以降20%をきり、2009年では18.5%となった。派権労働については多くの本で語られているので省く。2007年の派遣労働者145万人のうち若年労働者15−24歳は14%、25−34歳が39%、35−44歳が21%を占めている。1985年に労働者派遣法が成立し、専門職の派遣を中心に議論されたが実はじわじわと単純労働に浸透し、2003年小泉内閣のときに原則自由となって製造業の派遣が「規制緩和」され一挙に派遣労働が拡大した。極めて乱暴に不況時に解雇される「派遣切り」が横行した。

年間1800時間、1日8時間という労働時間はほんとうに守られているのだろうか。そして20日の年次有給休暇はほんとうに取れているのだろう。厚労省の毎月勤労調査によると1980年から2010年の間に2100時間から1800時間の減少したという。これにはからくりがあって、一般労働者と全労働者(一般労働者+パート)に分けると、一般労働者の労働時間は1993年以来2100時間と少しも減少していない。全労働者の労働時間が減少したのはパート労働者が増加し、かつパート労働時間が短縮されたためであった。総務省の「労働力調査」は賃金不払い労働を含めた全労働時間は、1993年に2500時間で2010年には2300時間であった。パート労働者数は1990年から15%も増加した(特に女性パート労働者の増加率は20%以上)。男性正社員に限ると年間で2700時間の労働時間であり少しも改善されていないのだ。週平均労働時間は56時間に及ぶ。年次有給休暇の取得は2004年には46%に下がっている。欧米では90%を超えているので隔世の感がある。若者の過労死の労災申請が増加している。脳・心臓疾患と精神障害による過労死の統計は乏しいが、労災申請で見ると2010年には1983件もあった。過労死ラインは月平均80時間の時間外労働といわれているが、労災認定と会社を相手取った遺族の提訴判決は最近「殺人的給与体系」をとる会社(外食産業が多い)に対して厳しくなった。労働基準法がありながらなぜこのような殺人的労働が放置されているのだろうか。それは基準法第36条によって、例外規定があるからで「労働組合と36協定を結び、労働j基準監督署に届ければ時間外労働の制限は免れる」となっているからだ。ブレーキ役の労働組合と基準局が機能を果たしていないためである。運よく正社員として就職できた大学生には、「このように過酷な労働現場が待っているのである。「前門の虎、後門の狼」とはよく言ったもので、「進むも地獄、退くも地獄」の企業戦士の労働環境である。

3) まともな働き方とは
近年大学では就職部を「キャリアーセンター」に改め、就職活動支援、職業意識教育に努めている。就職支援には「人生の職業設計」という意味があり、キャリアー職歴の形成に努めている。しかし大学ではこれまでキャリアー教育は定着していなかった。理科系の専門職は別にしても、文系の一般職ではキャリアー意識が確立していないと「潰しが利く何でも屋」に流されやすい。若者のフリーター化や離職傾向を懸念して、中教審でもキャリアー教育を重視する傾向にある。教育の職業的意義として@労働に関する基本的知識、A職業分野の知識とスキルという観点が欠かせない。企業が選考に当たって重視する能力はアンケートにはさすがに学力・有名大学とは書けないので、第1にコミュニケーション、第2に主体性,第3に協調性となっている。これらはつかみどころの無い総合的人間力である。ただ労働の多様性を個人の嗜好や考えのせいにするには半分は間違っている。若者の雇用・失業問題の主な原因は定職につかない若者が増えているからではなく、定職に就けないからである。お役所が書く「若者サポートガイド」、「社会人としての心構え」などのパンフレット類は厳しい労働環境を取り上げずに個人の意識にすり替えている。これがいわゆる小泉内閣以来の「自己責任論」であり、「必死に努力しない人間は負け組」という切り捨て論に繋がる。さらに酷い扱い方は「心理カウンセラーに相談」というような若者を病人扱いすることである。うまく行かなければうつ状態になるのは人間らしい当たり前のことである。精神安定剤を飲んで世の中がよくなるわけはない。ただ働き方をめぐる神話は棄てる必要がある。@大企業は安定していて労働条件はいい、A公務員は民間より安定している、B女性は子育てをおこなうべきといった迷信は棄てなければならない。

ILOが唱える”decent work"とはまともな人間らしい生き方のできる労働である。それは労働基準法第1条にいう「労働者が人たるに価する生活を営むための必要を充たす」働き方である。「働きすぎの時代」はグローバル化、情報化、消費社会化、雇用の非正規化という要因がもたらした。ではどうしたら働きすぎを防止できるのだろうか。旗rき方が改善されないのは、政治と政府がこの課題に取り組んでこなかっただけでなく、一連の規制緩和策によってブレーキを加えるのではなく財界の要請に従ってアクセルを踏む役割を担ったからである。「変形労働時間制」「事業所外みなし労働時間」、「裁量労働制」、「名ばかり管理職、「ホワイトカラーエグゼンブション」などの言葉に代表される、表面上はもっともらしいきれいなごまかし言葉で「残業ただ働き」を合法化してきたからである。過労死の犠牲者は年間1万人を超えるという人もいる。有効な対策を打つどころか企業のただ働きを基準局が是認してきたからである。36協定という抜け道を用意し、過労死ライン週80時間労働が常態化した。2011年5月日本学術会議は提言のなかで、「過重労働対策基本法」の制定を促している。結局「まともな働き方」とは次の4条件である事を最後に確認しておこう。
@ まともな労働時間
A まともな賃金
B まともな雇用
C まともな社会保障
いわばサービス残業に相当する労働時間を1000万人をこえる産業予備軍に「ワークシェアリング」することである。総労働量が変わらないかぎり、サービス残業をなくすれば400万人を超える雇用が生まれる。しかし産業界は減量経営で雇用者を減らし、現雇用者に無制限のただ働き労働を強要することで利益を上げてきた。企業にとってこんなうまい話はない。恐らく絶対に産業界は承服しないであろう。それなら日本から脱出すると言って脅しをかけるだろう。産業界にお願いしてできる相談でないならこれはもう革命である。



田中秀臣のブログ
http://d.hatena.ne.jp/tanakahidetomi/touch/20111212/p1
2011-12-12
■[就職]森岡孝二『就職とは何か』

 新卒市場の変化と現状を淡々とまとめた好著。就職対策の類というよりも、就職市場の俯瞰といえる。僕が気に入ったところは、第5章の「就職に求められる力と働き方」。企業が採用するうえでも最も重視するコミュニケーション能力のぬらりひょんとした特性を的確に指摘している。また厚労省での労基法関係のサイトの紹介など、過剰な「適応」をせまる現在の雇用市場に対して、学生のうちから「抵抗」する基本的なリテラシーの重要性をといている。しかしちょっとは雇用状況がましにならないものだろうか?



阿部正行のベトナム私信(文中で紹介)
http://vciat.blogspot.com/

2011年12月31日土曜日寺山修司全歌集とか / 維新大好き男子会のつまらない共通項

いま、なぜか寺山修司が読みたくなっていた僕の身体。でも、全部読通したが、心晴れない僕の心。同時に例の「天皇の世紀 第六巻」をふらふらと,じっくり継続。でも、結構面白いのが渡辺京二の「逝きし世の面影」(平凡社)。幕末から、明治中期頃までの日本の姿を再現している。とっても刺激がある。が、彼の独特の文体がやや観念的に流れる場面もなくはなく、わかりにくい面が一部見える。岩波新書の森岡孝二という人の「就職とは何か」は、好著。仕事についての本質的なヒントにあふれている。が、後半、現状の就活批判がおおく、ありふれた「就活批判もの」にちょっとに堕した印象。残念。
(以下省略)



むむちゃんの散歩道
http://mumugi.exblog.jp/15139409/

読書日記12/16-19 森岡孝二『就職とは何か』岩波新書、浦坂純子『なぜ「大学は出ておきなさい」と言われるのか』ちくまプリマー新書

森岡孝二の『就職とは何か』を読む。
ため息。
どんな風に働く構造にコミットメントしていったら、
良い働き、は、できるのだろうか・・・。
気が重くなるけれど、これはまごうことなき現実であって、
知って置くべき事実。
そして、ここで書かれた厳しさに身をさらさずに
するりと、働くことの楽しみと、働く場に自らがフィットする場に
いざなわれることも実際には多くあることも、奇跡のようだけれど真実。

読んでいて苦しい、と思うのは、
働く意思がありながら、働く場を得られないこと。
就活うつ、就活自殺、なるものが増えている、ということ。
あわせて、ホワイトカラー大卒の20代?30代の過労自殺も、増えているということ。
年間労働時間が、30年前に2100時間だったのが、今平均では1800時間になっているけれど、
男性正社員を見ると2700時間にもなっていること。

森岡さんの提案は、ワークシェアリング。
労働時間も、賃金も、過剰に長かったり、過剰に低かったりするのを
避けよう、という提案。

ワークシェアの提案は、この10年くらい行われているけれど、
この10年、実現されていない。
それでも、粘り強く、そう提案していけば、社会の構造は変わっていくのだろうか?
どんな時間の流れで?
ひとりひとりでは変えられないことを、百も承知で、
変えましょうという言い続ける粘り強さと、あきらめない、気持ち。

その間、「いま」にあらがえない中で、生き続けることを、
励ましていけるだろうか。
自らも含め。
すこし、弱気。

*************
そんな本を読んだ後に、続けて。
浦坂さんの『なぜ「大学は出ておきなさい」と言われるのか』を
ちくまプリマー新書で見つけて、読む。

懐かしいといっても、一方的に論文を読んで知っているだけ。
NPOでの就労について論文を書いていた時に
何度か遭遇したので、けっこう一生懸命読んだ時期がありました。

高校生に向けて書かれた本書。
生きることは働くこと、そこに到るプロセスとして
大学の価値の有無について、辛口に、自省的に述べていく。

いろんなトピックがあったのだけれど、印象に残るのは、これ。
数学を、はやまって捨てちゃイケない。
捨てなかった人は捨てた人より、平均年収が100万くらい多い。

のだ、そうです。

経済学的に調査をして、統計を出したところ
びっくりするほどきっぱりと、こんな結果が出たそうです。

ちょっとシンプルすぎて、誤解も招くけれど、
論理的な思考とか、条件や環境を見渡した中で、
今、目の前に生じているものが何なのかを読み解こうとするとき、
使っているのは文学脳ではなく、数学脳だなぁ、と
思うことは、しばしばある。

好きで熟達する日本史世界史などの社会科や、理科に比べると、
好きでなくとも、くり返し勉強していて報われるのは数学だという
気がする。
数学は覚えることが極力すくないので、暗記容量が小さな私には
割と都合のよい科目でした。

でも、統計は統計です。
数学を捨てなければ、年収が100万あがるわけではないのです。
平均とは、そういうもので、
苦しみながら、挑む価値を覚えるかどうか、
個々人の今に帰するものなのだろう、と、思う。

************
森岡さんの本を読むと、浦坂さんの本が、
小手先のことのようで、うつろに読めてしまう。

うつろだけれど、いま、を生きることは、
シビアな現実と、
日々に織り込まれたファンタジーとを
行ったり来たりしながら、
時に運ばれるわが身を、「生きている」と実感することなんだ、と、思う。



asahi.com(文中に紹介あり)
http://www.asahi.com/shimbun/nie/kiji/point/20111209.html
師走、始動 就活・節電の冬・震災被災地/就活、師走の出陣式 長期化回避、2カ月遅く

大阪市立昭和中学校・植田 恭子

 刻々の二十四時間師走かな 稲畑汀子

(中略)

(2)就職活動

 12月1日から大学3年生の就職活動が本格スタート。2013年卒業予定の大学3年生を対象にした企業の採用説明会が解禁されました。企業の選考活動の開始は前年と同じ4月1日ですから、2カ月遅れのスタートは学生にとっては短期で決めなければならず、逆に厳しいといえるかもしれません。

 12月1日付夕刊素粒子には「落ちては困る就職活動。会社はよく見て選ぶべし。ランク上位から落ちていった昔の人気企業がどれほどあるか」と記されています。

 長期化回避という、例年とは大きく違う就職活動にさらに変化があります。2011年4月14日のリクルートは、「学生の就職人気企業ランキングを12年春卒業分から発表しない」と発表しました。1965年春の卒業分から毎年春に発表していましたが、「大学・短大の進学率も上昇し、学生の価値観も多様化している。一律で人気企業ランキングを発表する意義が薄れた」というのが発表しない理由のようです。就職活動にも時代は大きく反映しています。

 (3)日本の労働

 「2007年の労働経済白書」の年齢、男女別の労働時間をみると、1990年代半ば以降、働きざかりの正社員が長時間労働をする一方で、若い世代や女性は非正規社員として働くケースが多いとみられています。朝日新聞の「新しい日本を創る働き方」シンポジウムがひらかれ、その内容は2011年11月24日の紙面にも掲載されていますので、読んでみましょう。

 来春卒業予定の大学生の内定は10月1日時点で6割に留まっているという厳しい時代です。厚生労働省のWEBページからも雇用、労働についての情報を読むことができます。『就職とは何か―<まともな働き方の条件>―』(森岡孝二 岩波新書)なども読み、「なぜ仕事をするのか」「自分の人生の中で仕事や職業をどのように位置付けるか」、勤労や職業についてあらためて考えてみましょう。
(以下省略)


『月刊労働組合』2011年12月号 書評欄

ここ数年、「就職氷河期」を超える就職難になっていることは、テレビや新開の報道で知っていた。本書を読むと、どうも問題は景気の動向だけによるものではなさそうだ。この社会の抱える構造的な欠陥がそこにある。

多くの大学生は、約100社にエントリーし、そのうち面接にまでこぎつけられるのが30社内外、そこまでやって内定を取れるのが良くて2〜3社。これが「就活」の現実だという。35年も前に就職活動を経験した私などは、「それじゃ、大学時代に就活以外何もできないじゃないか」と思ってしまう。貴重な「青年期」の浪費、むだな消耗戦のように思えてならない。ノイローゼになり、「就活自殺」してしまうものまでいるという。

本書の最大の特徴は、就職を「社会問題」として解明しようとしていることである。果てしない価格破壊・リストラ競争に明け暮れる日本企業。経営者は、人件費コストを極限まで絞る込むために、少数の労働者に「過重労働」を課している。新鹿採用が抑えられるのも当然である。また、たとえ就職できたとしても、低賃金の非正規雇用か、1年目から重い仕事のノルマと長時間残業を強いられる「不幸な正社員」か、という遼択肢しかない。

本書では、一部上場の大企業「大庄」傘下の「日本海庄や」において、就職後4カ月で過労死した青年(当時24歳)の例があげられている。彼が倒れる以前の残業時間は、1カ月前102時間、2カ月前115時間、3カ月前141時間。大庄は、求人広告には初任給19万8600円などと書いているが、基本給部分は12万円ほどで、初めから1月当り80時間の残業を組み込んだ額を「初任給」として表示していたのである。

本書が最後に示している「処方箋」は、不払い残業撲滅を柱とした運動によって新たな雇用を生み出すということ。不払い残業をなくせば、単純計算で約400万人分の雇用が生まれるという。これは、政府の新成長戦略の目標である140万人をはるかに上回る。このような「ワークシェアリング」を実現するために、労働運動が担うべき役割は大きい。

もう1つ著者が示している、学生・青年労働者に対する労働基準法、労働組合法など自分の身を守るための教育の必要性も、納得できる提起である。(評=M・T)





『働きすぎの時代』の書評・紹介


ここには、拙著『働きすぎの時代』(岩波新書、2005年8月)に関する新聞・ウェッブなどにおける書評・紹介などを載せました。日時は順不同です
。 2006/3/27日更新


徹底読破
March 19, 2006
働き過ぎの時代

今日紹介するのは、『働き過ぎの時代』(森岡孝二/岩波新書)です。銀行員をしていたときに、会社生活一色で拘束時間が長いあまり、自分の時間がなかなかもてないなとひしひし感じていました。それ以来、労働というのは自分の大きな関心事の一つです。

筆者は、現在を「働き過ぎの時代」と位置づけたうえで、その原因を高度資本主義社会に求めます。高度資本主義社会の4つの側面が働き過ぎに拍車をかけているのです。
1.グローバル資本主義;グローバリゼーション
2.情報資本主義:Eメール、形態などの情報ツールが個人の時間の領域に仕事が侵入してくる原因
  情報通信技術の高度化→労働を単純化→雇用の不安定化
3.資本主義社会:生活水準が向上し、マスメディアが発達した今日の大衆消費社会においては、人々は絶えず拡大する消費欲求を満たすためにも、消費競争の中で自己のアイデンティティーや社会的ステイタスを表現するためにも、より多くの収入を得ようとして(あるいは賃金のより高いポストに就こうとして)、より長くよりハードに働く傾向がある。
4.フリーター資本主義:非正規労働者が基幹労働力になるまで増大した資本主義

・日本でもアメリカでも、比較的高所得階層が方が低所得階層よりも労働時間が長い(83)
・教育は、今日、親たちが手に入れようとして競い合う商品の中で、住宅と並んでもっとも高価な商品である(87)
・現代の消費主義は環境にも有害である。消費は廃棄をともなっており、人々が大量にモノを買うほど、大量にモノが捨てられる(88)

・最近は、学卒後も親と同居を続け、住居や食事や家事などの基礎的生活条件を親に依存している未婚者を、「寄生虫」あるいは「いそうろう」というドキリとするような意味を持つ和製英語で「パラサイト・シングル」と呼び、フリーター増大の主な原因をそうした未婚者の増大に求める議論がある。また、組織に縛られたくないという若者の勤労観や、簡単に離職する若
者の就業意欲の低さを重視する議論もある。しかし、それもこれも一理あることながら、問題の最も主要な側面ではない。フリーターの増大を生んでいる要因としてより重視すべきは、労働力の供給側の要因よりも、むしろじゅようがわの(企業側)の、1990年代半ば以降の長期にわたる新規採用の抑制と、正社員をパート・アルバイト・派遣社員・契約社員・個人請負など
に置き換える雇用戦略である。多くの若者にとっては、いかに正社員として低所勲位就きたくてもそれが容易にできないほどに就職かんきょうが悪化してきたのである(123)。

・現在すでに日本の労働者(雇用者)の4人に1人は年収150万円未満、2人に1人は年収300万円未満、4人3人は500万円未満である。/熊沢誠氏はこうした階層構造を考察して日本の労働者のおよそ半分は一人の賃金では生活できないパラサイト水準にある、と指摘している(126)。

・時短促進法(1992年制定:年間1800労働時間を達成することを目指す)を廃止しようとする動き
・一日の生活リズムを重視した労働時間規制のあり方としては、男女の別なく原則として1日2時間までに制限し、法定労働
時間を実効性のあるものにする方向を模索するべきであろう(155)。

・オランダモデル
フルタイムとパートタイムの時間当たりの賃金格差をなくして、両者を労働時間数に応じて平等に扱うことによって、男女平等の推進と失業問題の解消に挑戦

すべての労働者は一読する価値あり!です。
おすすめ度:☆☆☆☆☆


タワゴト
2006-03-22■ベースボール暮らしっ苦

■読書
『働きすぎの時代』 森岡 孝二 岩波新書 2005

 僕の日々のワーキングスタイルはといえば、朝7時くらいに家を出て、8時に会社に到着、と同時に仕事。終わるの22時。帰宅23時。ちょくちょく7時出社の23時終わりって時もある。そういう時は6時前に家を出て24時帰りになる。大体2週間に1回くらい休日出勤。残業代は月に30時間くらいしかつきません。メチャクチャだ。

 まだ働きだして半年も経ってないけど、もう心も体もボロボロ。なんでこんなに働かなきゃならんの?っていう素朴すぎる疑問にストレートに答えてくれるのが本書。

 著者が理由に挙げるのが、四つの資本主義。曰く、グローバル資本主義、情報資本主義、消費資本主義、フリーター資本主義。具体的に言うと、中国とかと競争しなきゃいかんし、携帯電話があるからどこでも仕事できるし、欲しいモノがあるから金欲しいし、正社員が少ないから仕事量多いし、って事でたくさん働くハメになっているわけだ。資本主義のイヤな所だね。
幸せになろうとしてみんなが頑張れば頑張るほど、他のみんなはもっと頑張らなきゃいけなくなってしまうという世界。ジャスコとか見てると憂鬱になってくるもんな。となりが24時間やってるからうちも24時間やらなきゃーって具合。いいよいいよ。頑張りすぎだって。もう頑張るのやめようぜ。

 この本を読めば読むほどいかに自分がこの会社、ひいては社会に虐げられているかを思い知らされて、怒りがこみあげてくる。くっそーーー。でもこれって戦争なのよね。

 とにかく、労働についてのいろいろな示唆を与えてくれる本だった。働き方も真剣に考えなきゃな。終章は著者が考える解決法、みたいなのが書いてあるのだけど、そんなのよりも「会社の訴え方マニュアル」みたいなのが載っていた方がありがたかったかな。☆三つ


豊田の生活、アメニティ

 森岡孝二「働きすぎの時代」岩波新書、2005年 06/03/11

働かされすぎの日本人の方がいいかも知れません。息子は変則勤務で名古屋にある店の店長をしています。出勤は遅いせいもあって、帰るのは夜の11時か12時です。土日も出勤で変則勤務です。先週聞いた女性の話では、本人はパートで、ご主人は夜勤があり、上の娘が看護婦で、下の娘が介護施設で夜勤があるそうです。家族の食事やコミュニケーションができず、各自の勤務スケジュールが壁に貼ってあるそうです。どこかに一緒に行く用事がある時は、1ヶ月前から予定を立てるそうです。日本の政府も労働組合も年間1800時間の労働時間を目指すといっていたようですが、それは過去の話でしょうか。それにしてもILO条約を185のうち、46条約(04年3月)しか批准していないとは、時代遅れもはなはだしいです。ネット情報によれば、2001年八尾市議会では次のように意見書を採択しています。ILOの「この条約では、パートタイム労働者はフルタイム労働者より労働時間が短いだけであり、その権利や社会保障、労働条件は働く時間に応じて「均等待遇」を保障するよう必要な措置をとることを各国に義務づけている。今や日本のパートタイム労働者は増加の一途をたどり、1100万人を超えている。その大半は女性であり、かつ女性の雇用労働者の3人に1人がパートタイム労働者になっている。・・・、特に家族的責任を持つがゆえの不利益は、なかなか解消されず、フルタイム労働者との均等待遇を求める声は強まっている。1998年の厚生白書でも少子高齢化社会の原因のひとつに、パートタイム労働の低賃金をあげ、出産、育児で女性が損をしないためには、この改善が必要である」と、意見書にあります。

筆者は序章で働きすぎの時代の背景に、現代の高度資本主義の4つの特徴を挙げています。それは、グローバル資本主義で、世界的に途上国を巻き込んで競争が激しくなり、先進国ではかってないリストラと産業再編が起きています。企業が従業員の首切りをすると、株価が上がるという奇妙な現象もおきています。2つ目は情報資本主義で、労働を単純化し非正規雇用に置き換えることを可能にしています。マクドナルドはコンピュータの申し子で、作業手順のマニュアル化によりアルバイト経営が成り立ちます。3つ目は消費資本主義で、コンビニや宅配便に象徴される利便性は、消費者の需要構造を変化させ、経済活動の24時間化をもたらします。4つ目はフリーター資本主義で、中高年も含めて非正規が増加し、正規は長時間労働となっています。ここでは労働の規制緩和を取り上げ、サッチャー、レーガン、中曽根は「1980年代に『小さな政府』を唱え、福祉国家が大きくなりすぎたという理由で社会保障費を抑えるとともに、民間企業の営利機会を拡大するために規制緩和、民営化、市場化を推し進めてきた。」と、述べています。これは橋本内閣、そして小泉内閣の「構造改革」へと、今も引き継がれています。1995年の日本経団連の「新時代の『日本的経営』の名の下に労働時間が流動化され、アメリカ型の労働スタイルとなってきました。最後に「多くの若者にとっては、いかに正社員として定職に就きたくてもそれが容易にできないほどに就職環境が悪化してきたのである。」と同時に、「90年代の初めに比べて、既婚女性の就職率が高まってきたことによって、働く女性全体でみた職場と家庭の摩擦は高まったとさえいえる。」、つまり、若者の結婚、家庭生活は困難が深まり、晩婚化・非婚化へとつながります。さらに家族のコミュニケーションは減り、家庭摩擦は増えて、ストレス、うつ病、DV、離婚への要素に、現代の働きすぎの労働時間が要因になっているように思えます。弱体化した労働組合に期待するよりも、労働法制の改正に期待した方が早いかもしれません。しかし、小泉・自民党の多数政府ではそれも期待薄かもしれません。

トヨタの賃上げはボーナスをカットしてわずか1000円の賃上げです。高級官僚の天下りの一方で、一般公務員の給与カット、人員削減では国民のために働く意欲も萎んでしまいます。地域のコミュニティの希薄化が言われていますが、今や「家族崩壊」の危機を感じます。


風を感じて話しませんか
DASH村っていいですよ。

今日はぽかぽかいい天気。
気持ちもゆったりしました。

菜の花も咲き出していました。
梅の椿も,いい香りを放っていました。

そう,よあけに,小鳥の鳴き声がなんとも気持ちよかったです。

と,いっぽうで今読んでいる『働きすぎの時代』岩波新書
これはけっこうきついです。

最近までは,働くということをテーマにするとき,
「時短」のことも,目標としてあげていました。
けれどこの本などには,すでに,アメリカのめちゃくちゃな
スピード社会,イギリスの長時間労働などのことが書かれていて
「ヨーロッパでは」なんて参考に話せないのだと,
知りました。

この本の帯には「死にいたるまで働いてはいけない!」と
書かれています。
そんなことがメッセージになること事体が変なんです。


こんなことを書き始めたら,テレビで「ダッシュ村」の冬を
写し出しています。ちょっとこっちに目をやって・・・

家では,日曜日は,この「鉄腕DASH」という番組が高視聴率を
あげています。
TOKIOのメンバーのやっている自給自足の昔からの生活を
みるとほっとします。
こんなにこの番組のこの企画が続くとは思っていませんでした。
でもすごい。
瓦から,稲(米)作り,くだもの,炭など何でも挑戦してきました。
今日は雪納豆・赤まめ納豆をみんなで食べています。
いいなぁ。
また,TOKIOのメンバーの顔がいいのです。
ものづくりをしている彼らの顔は生き生きしていて
嬉しそうでおいしそうで。
米や野菜の一部が天候の関係でやられてしまっても,
悲しい顔はしますが,「よっしゃ,来年はうまくやろう」という希望が
いつもあります。
この番組いいですよ。

と,せっかく明るくなったので,
『働きすぎの時代』の話の続きはまた今度に。



かわせみ通信
2006年3月 2日 (木曜日)
労働相談の内容が変化してきている?
今日から、「働く困りごと! 労働相談全国ホットライン」です。春のホットラインは今年で9回目。はじめてのホットラインは1998年2月末でした。

そのころは「倒産・リストラ 労働相談ホットライン」と銘打っていました。その名の通り、時代はバブル経済崩壊後の深刻な不況のまっただ中で、倒産件数がものすごかった。それに、リストラ。人員整理リストラのピークは94年から96年ですが、このホットラインの頃は、陰湿な退職強要やでたらめな解雇が横行していました。年俸制の導入や「成果主義」(当時は実績主義とか能力主義などと言われていました)による職場の人間関係破壊による「職場いじめ」も深刻でした。

その後、この退職強要や「職場いじめ」をしていた当の人間達(結局は余剰人員)も、人員整理され、「成果主義」のために、人事・総務部門が整理されたり、アウトソーシングされました。また、労働者(特に営業・販売・管理部門)は「成果」のためにがむしゃらに働きました。会社には無機質な環境が作られ、「年俸制は残業代がない」などという労基法違反の発想がまかり通り、働きすぎの問題が生じます。2000年頃には「経済的・仕事理由」による自殺者が交通事故死者を上回るようになり、労働者は疲れ・むしばまれていきました。

2002年に入ってから、「働きすぎ」の相談が目に付くようになりました。残業の問題も深刻化し、全国の労基署は残業代未払いの摘発に動きました。働きすぎの時代になったのです。

では、現在の労働相談はどんな傾向にあるかというと。

会社の退職をめぐる相談が目立ちます。

働きすぎで疲れ、会社を離れる労働者が増えています。また、会社をやめたいのに、会社が「やめさせない」という問題も目立ちます。会社を辞めたって、はっきり当てがあるわけではありません。とにかく辞めたい。もしかしたら(政府が「企業業績回復」=けっして日本の労働者の状況が良くなったわけではない=というので)新しい仕事があるかもしれないと・・・。有期雇用契約の問題、派遣労働の問題も多くなっています。


Ikutaの日常、ただなんとなく
ゆとり休暇

レポートを書いていて思い出した労働基準法と労働時間。国土交通省ほか12省庁が呼びかけているらしいゆとり休暇というものがあるけど,これを知ったのは森岡さんの本。

森岡孝二『働きすぎの時代』岩波新書 2005年

この本で一番おどろいたのは,グローバルスタンダードの時代なのに,労働時間と休暇については国際水準を無視しているということ。

「8時間労働」制を定めたILO第1号条約(1919年)すら批准できていない。
その理由は,“日本の労働基準法(1947年)が,表向きは8時間労働制を導入しながら,条約が定める限度を超えて,何時間でも時間外労働(残業)をさせることを認めているから。”
第36条によって,使用者は労働組合や従業員組織と協定を結び,労働基準監督署に届け出れば,時間外および休日に何時間働かせても罰せられない。(サンロク協定)ということらしい。

労働基準法を学ぶ意味を「長時間労働でも,クビになっても,アルバイトだから仕方がない・・」と思っている高校生を対象に考えていたけど,その射程距離は想像以上に大きい。


ESラッシュがきそうだよ〜♪ / 2006年02月09日(木)

明日から学校が閉鎖ということで、
慌ててエントリーシートを出力しに学校に行きました。

生協では10%OFFで本が買えるので、そろそろ
自分もエスピーアイとやらの対策本を買わなければ、
と生協のSPI本売り場に行きました。

昨日、家でweb適性検査を2つほど受け、
自分の数学(あれは算数か?)のセンスにも、
ずいぶんホコリが積もってしまったもんだ、
とやりきれない気持ちになったのです。

んで、対策コーナー。
ものすごい数のSPI本と、就職マニュアル本の数。。。
「難問突破SPI!」「これ一冊で内定確実SPI!!」
「パーフェクト自己分析!」「秘伝★成功するES!!」
「面接はこれで勝て!」「人と差がつく企業研究!!!」


…。

そしてそこで必死に立ち読みする学生達。。。
ちょっと気になる本を取ろうとしても、どいてくれない
くらい集中する学生達。。。。ううう。。。


一気に買う気が覚め、なぜか足が向いたのは
新書コーナー。

・「市場主義の終焉-日本経済をどうするのか-」 佐和隆光(著)
・「働きすぎの時代」 森岡孝ニ(著)

の岩波新書2冊を買ってしまった。前から気になっていた2冊です。
おい、今から市場主義を推し進めてる大企業に入ろうと、
働く事への憧れを持って就活するのに、
そんなネガテイブな匂いのする批判本読んでどうすんだ、自分。

ゼミ以来、小難しい本は脇に、スピリチュアル本ばかり読んでいたので、
発作的に来たですこの感じ!!
現実的なやるべきことと、バランスとって読もうと思います。

そして就職マニュアル本に対し、どうしても嫌悪感がある最近…。
1人1人皆持ってるものや就職に望むものは違うはずなのに、
それを「こうやればうまくいく」みたいな均質化・商品化する感じ。。。

もっと、就活って主体的にやるものだと思うし、
答えなんてなくて、信じられるのは全部自分の中に既に埋まってて、
それを掘り起こすのは大変だけど辛いことじゃないと思う。
なのにそれに対する攻略本みたいなのがあると、なんかがっかりする。

人間性を大量生産する感じ…。

ただちょっとテクニックが欲しい、ぐらいならいいかもしれないけど、
そこに答えや正しさを求めたり、他力本願になるのはやっぱり
だめだよね。それはやっぱりうわべだけの自分でしかないから。

最近ESラッシュが来て、言葉に表現できないくらい、うごめく
自分の想いを、会った事もない人に伝達しなきゃいけない。

沢山の「スキ」や好奇心や使命感があるのは当然。
本音はそんなうまくまとまらないものだと思ってる。

でも、大切なのはその根底に流れる自分の哲学=人間性
みたいなのを探り続けること。
それは抽象的だけど、絶対色んな場面で自分の判断基準に
なっていると思う。
どこかで色んな好奇心とつながっていると思う。

何を扱っていても、それが働くことの根幹にあると思うから。。。

と、いいつつ自分も日々悶々としています。


福岡弁護士会  弁護士会の読書
2006年02月07日
働きすぎの時代
著者:森岡孝二、出版社:岩波新書

 踏切事故について、それが自殺かどうかを争う事件を担当しています。自殺は例外的な現象だと主張したところ、保険会社の方から、今の日本では自殺は決して例外的な現象なんていうものではない。そんな反論が出てきて、驚きました。

 たしかに、年間の自殺者はこのところ、ずっと3万人台です。働きすぎからノイローゼやうつ病になったり、倒産して保険金目あてに自殺するという事件を、私は弁護士としてコンスタントに扱っています。

 労働基準監督署が2003年度に受理した過労によるPTSDやうつ病などの精神障害の労災申請は438人(前年度比28%増)。精神障害の労災認定は過去最高の108人(同8%増)で、うち40人は過労自殺。

 平均的な会社員が一日に受信するメールは61.5通。メール処理その他の関連作業に4.2時間かかっている。パソコンに向かっている時間(6.8時間)の6割がメールがらみとなっている。携帯がつながらなかったら罰金だと上司に命じられていた社員がついに過労自殺した。

 現在、日本の労働者の4人に1人は年収150万円未満、2人に1人は年収300万円未満、4人に3人は500万円未満。

 日本の労働者のおよそ半分は、ひとりの賃金では生活できないパラサイト水準にある。
アメリカで働きすぎを象徴する職業として知られているのは弁護士と研修医。
働き過ぎと浪費が蔓延するアメリカ社会のなかでも、所得よりも自由時間を、出世よりも生活の質や自己実現を追求する生き方を選び、以前より少ない収入で幸せで暮らしている人々が増えている。このような人をダウンシフター(減速生活者)と呼んでいる。

 この本の最後に、労働者、労働組合は何をなすべきかが提唱されています。
 たとえば、次のようなことです。

 自分と家族の時間を大切にし、仕事以外にも生き甲斐をもつ。
 年休は目いっぱい取得し、年に一度は一、二週間の連続休暇をとる。
 なかなか難しいことですが、私は実践しているつもりです。

 日本の公務員は実は少なすぎる。東大の前経済学部長(神野直彦教授)がこのように書いている論文を読み、そうだ、そのとおり、我が意を得たりと叫んでしまいました。

 福祉サービスの立ち後れは公務員の少なさにあらわれる。これは私が、かつてデンマークとスウェーデンに行ったときに知ったことである。北欧は税金の高いことで有名だ、それは国民が貯蓄しているのと同じことなのだ。つまり、税金は老後の豊かな生活を保障してくれるもの。実際、福祉サービスに従事する公務員は、あっと思うほど多い。スウェーデンでは、市町村の公務員だけで、雇用に占める割合が日本の3倍をこえる20%強。その市町村の公務員の40%が高齢者のケアに、20%が子どものケアに従事している。つまり、税金は身近な公務員、つまり介護サービスに従事している人のために使われているのであり、その人は隣りに住む人、いえ私かもしれない。

 日本の消費税のように、導入するときには福祉のためと言っていたけれど、実際にはイラクへ自衛隊を派遣するために使われているというようなごまかしがそこにはありません。
 このように、先進諸国では福祉サービスの供給に従事する公務員を増やしている。OECD諸国の平均で17.5%、アメリカでさえ15.4%になっている。ところが、日本は6.9%にすぎない。

 2004年度、日本に国家公務員は62万人いるが、その40%、25万人は自衛隊。地方公務員308万人のうち教育が115万人、37.4%、警察が8.8%、消防が15万人、5.0%。つまり、教育・警察・消防で地方公務員の51.2%を占めている。公務員の数があまりにも少なすぎて、政府は国民の生活を支えていない。ところが、政府は少なすぎて国民の生活を支えることのできていない公務員を、さらに一律に1割削減を強行しようとしている。その目的は、日本の社会を破滅させること以外に見いだすことはできない。

 国民のとって国がそもそも何のためにあるべきなのか考えるべきだと思います。ホリエモンなどのようなヒルズ族は昔からいました。貴族がいて、財閥があり、特権階級がいました。お金と権力をもつ者が好き勝手にすることを許したら、お金のない弱者は生きていけません。だから、憲法で国は生存権を定めたのです。国は国民ひとりひとりに最低限の文化的生活を保障する責務があります。今こそ、弱者のための福祉の充実が図られるべきです。


Subconscious--潜在意識

・今読みかけの本 or 読もうと思っている本(既読、未読問わず)

『働きすぎの時代』・・・読書感想文のため読んでます。現在2週目ですが、やはり読むにつれて労働意欲が無くなってくる本です^^;

あと、これといって決めてないんですが、大学の通学時間にでも本を読もうかなと思ってます。
さすがに電車の中に1時間以上はipodだけではきつすぎます^^;


・最後に買った本

『働きすぎの時代』


・特別な思い入れのある本、心に残っている本5冊(まで)

『お笑い男の星座2』(浅草キッド)・・・去年の夏休みに読んでいた本です。
勉強の合間に読んでいた本で、リラックスも出来たのでこの本には助けられました。
ただ、内容は女性の方は好まないかも。

『機動戦士ガンダムF91(上・下)』(富野由悠季)・・・ガンダムにはまっていた中学の時読みました。
本ということなので想像力はかきたてられました。映画化されてますけど、本のほうがいろんな想像出来ますからね。
あの頃全然本を読んでなかった自分にとって、上・下読んだことは珍しいです。

『庶民株』(森永卓郎)・・・株に興味を持ち初めてから初めて読んだ本です。
それまで無知だった知識がこの本によって少しはわかってきました。
配当金や株主優待とかそんなような知識です。

『くりぃむしちゅー語入門』(くりぃむしちゅー)・・・これを本として入れていいのかわかんないけど、かなり面白かったです。
お気に入りは「キレてないですよ」「センターへのファールフライくらいありえないよ」「俺はあみんか」ですね。
芸能人の本って読みやすい印象はありますね。

『経済成長がなければ私たちは豊かになれないのだろうか』(C.ダグラス・ラミス)・・・この本を忘れてた・・・読書感想文で苦しめられた本です。
しかも、経済学部の課題なのに著者が政治学者・・・内容も経済少し他いっぱいって感じの本でした。


物語とかはあんまり好きじゃないので、こんな本ばっかになっちゃいました^^;


・バトンをまわす5人
蜜柑系さん、NeNeさん、エイちゃんさん、もとかさん以上の方はご迷惑でないようならバトン受け取ってくださいお願いしますm(_ _)m

あと1人ですが、やりたい方、ネタに困ってる方どうぞ。
[ 更新日時:2006/02/21 20:23


hideo's hideout ぼくは“ぼく”のために仕事をしたい
2006-02-19 ぼくは“ぼく”のために仕事がしたい。■[よのなか][頭の体操] 過労について(2)
ウェブ上に適当な資料が見あたらなかったので直接お見せできないのが残念ですが、前回紹介した森岡孝二『働きすぎの時代』には「労働時間の二極化」を示すグラフが示されていました。

労働者全体でみると一見ここずっと年間労働時間が減っているように見えますが、この本によれば過去十年間で、労働時間が週35時間以下の割合と週50時間以上の割合がいずれも「倍増」しているという話なのです。負担の重い人がさらに重い負担を背負うことになったわけですから、こりゃあ過労死も増えらぁな、と。

その状況を生みだした大きな原因が、平成不況です。会社の収入が減る→人件費を削る→正社員を減らして非正規雇用化する。切られたぶんは不安定になるんですが、残った社員も生活は安泰とは言えないし、仕事はラクになるどころかよほどキツくなっている、というのが実態です。ぼくの職場もまさにそうでした。また、IT社会化などがこの流れをよけいに後押ししている面もあるでしょう。SEの徹夜仕事はよく聞くところですし、インターネットグローバリズムによってアウトソーシングというか非熟練労働の海外移転もすすんでいます。

これが、過労の“時代的背景”です。



一方で、同時代にあってもヨーロッパの先進諸国は日本のようにはきつくないわけですね。確かに「先進国」というくくりで見たときに、日本の労働時間は飛びぬけている。「karoshi」が国際語になる所以です。それではこの、過労の“文化的背景”は何か。

ここで参考になるのは、大野正和『過労死・過労自殺の心理と職場』ISBN:4787232118および『まなざしに管理される職場』ISBN:4787232495です。日本において労働時間が長く、過労死や過労自殺が大量発生するのは、日本がチームワークを重んじる「和の精神」の国だからなのではないか、大雑把にまとめればそういうことになる。

欧米人の労働観についての文献というと、古典としてマックス=ヴェーバーの『プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神』通称「プロ倫」がすぐに思いつきます。仕事というのは「天職」であって、人間の労働は神のためになされるものであり、個人個人に果たすべき役割が決まっていて、その役割のパフォーマンスは上司がコントロールする。そういう“垂直的”なものです。

これに対し日本人の労働観は次のようなものです(とされます)。労働は基本的にまずもって同僚のため、ひいては「お客様」のためになされ、要するに世のため人のためのものである。職場は家庭のような場になっていてお互いの配慮のもとに回っており、互いに気を利かせて補いあうために労働者にはゼネラリストたることが求められる。欧米の労働者が割り当てられた自分のノルマをクリアすればさっさと定時で上がれるのに対し、日本では「他にまだ残って仕事をしてる人(同僚)がいるから」帰れない。自分の仕事のコントロールは、上司というよりは同僚の“目”を気にすることで達成されるわけです。これは“水平的”と言うことができる。

ノルマがクリアできないと、欧米なら「そんな過ぎたノルマを課した上司が悪い」ということで済ませることができますが、日本ではそれが「仲間の足を引っぱる」ことにつながり、そのような状況の出来を許せないために「自分が悪い」と自罰的になります。同僚から“求められていると考える”役割を果たすことに必死になるあまり、いきおい労働時間は延びていく。とりわけ、真面目で責任感が強く他人への気配りも人一倍という、労働する日本人の「理想」を体現する人物ほどその傾向が強く、職場・同僚への配慮から様々な仕事や責任を次々と率先して自分でかぶっていって、ついには「自滅」のように過労死・過労自殺に至ってしまうわけです。

問題は、日本人の「過労」は見かけ上「自滅」に見える、ということです。

上司が明らかに無理難題をふっかけて、それで労働時間が増えサービス残業が増えた、というなら、どうしてくれると訴えることもたやすいでしょう。ところが日本の場合、「察する」文化であるために、直截言われなくても心ある人は勝手に自分で引き受けていってしまうわけですね。

でも、そういう人でも仕事が好きで好きで仕方ないからやっているのではない。それは過労の渦中にある人が「あなた、少しぐらい体を休めたらどうなの」と言われたときに、苦悶の表情を浮かべつつ「仕方がないんだ」と言いおいて職場へ出かける、その様を思い起こせばすぐにも理解できることです。それこそ先に述べたとおり、責任感が強く他人を思えばこそ「どんなにキツくたって今俺がやらねば皆に迷惑をかける」と考えて自縄自縛の状態にハマっていくのです。

このような文化のある地域で、過労死させないために本人に「だからって」などと諭してもムダです。他人に申し訳ないと思うからこそそういう状態にハマるわけですから。本気で過労死・過労自殺を無くしていくためには、本人に「休んでいい」*1という強力なエクスキューズを与えることが必要で、それは端的に言えば、上(本社でも、国でも)が強権を発動して労働基準法のようなルールの遵守を各事業所へ押しつけることでしょう。


しかし、本当に日本人って元からこんなに勤勉だったのでしょうか? 次のグラフを見てください。

図録▽労働時間の長期推移(日本、英国・米国)
戦前はもっとすごかったようです。こないだ出した発展途上国と同様の状況ですね。これは『女工哀史』とか『あゝ野麦峠』を思い出すと納得がいくようにも思われます。でも、もっと昔から見てみるとどうでしょうか。

反社会学講座 第6回 日本人は勤勉ではない 本当に新しい歴史教科書1
反社会学講座 第7回 続・日本人は勤勉ではない 本当に新しい歴史教科書2
歴史学や人類学の研究で、人間はもともとそんなに働く存在ではなかったことが明らかにされています。

人間がこの世に出現してから少なく見積もっても数万年経っていますが、ライオンが一日中獲物を追いかけているのを想像できないことから推測されるように、人類の歴史の大半を占める狩猟採集時代にはもちろん人間はあまり働きませんでした。農業を始めてからでも、日が昇ってから日が落ちるまで一年中毎日働いてたイメージがぼくたちにはありますが、それも後世の想像の産物。人間が今のように猛烈に働き始めたのは、実はイギリスで産業革命が起きてから。明治期にその価値観が日本に伝わって、日本人も時代に追い立てられるようにしてバリバリ働くようになったのです。

*1:「休んで“も”いい」だとこの場合ぜんぜん意味が違っちゃうので注意が必要です。休んでもいい、ぐらいの言い方で休むようなら人は過労死しません。


10ちゃん心
2006年2月 9日 (木)
労働(6):長時間労働

2月25日、過労死・自死予防センター(http://ccunion.net/karoushi/)発足を記念する、講演会・シンポジウム開催の案内が届く。LMCジャパン東京研修センターで午後1時半〜午後5時、開催予定である。

働きすぎの時代 (31)
著者:森岡 孝二
販売元:岩波書店
Amazon.co.jpで詳細を確認する

集会の前半は、著者の講演が予定されている。

著者は、高度資本主義の特徴を4つの側面−−グローバル資本主義、情報資本主義、消費資本主義、フリーター資本主義−−からとらえ、それぞれがどういう風にして、働きすぎにつながるのかを解説する。終章では、労働者・労働組合・企業・立法、それぞれが取り組むべき、働きすぎ防止の指針と対策を、具体的に上げている。著者自身、「ようやく得心がいく本が書けた」と吐露しているとおり、長時間労働問題を概観し、その予防を考える際の必読書になった、と言える。

本書で引用のとおり、執筆当時、労働安全衛生法と労働安全衛生規則等の「改正」は議論中であった。昨年の国会で、これらは成立し、今年4月1日(および政省令によっては一定の猶予期間後)から施行予定である。

主な「改正点」は、週40時間を超える労働時間が、1ヶ月100時間を超え、かつ疲労蓄積が認められ、かつ労働者の申出があった場合、事業主責任で、産業医を始めとする医師の面接指導を受けさせ、かつ適切な事後措置を講じなければならないとしたこと。加えて、衛生委員会の重要事項として、「長時間労働による健康障害の防止対策の樹立」「精神的健康の保持増進を図る対策の樹立」が、安衛規則に新設されたこと、である。一方、「時短促進法」が改正されて−−事実上「廃案」であるが−−、「労働時間等の設定の改善に関する特別措置法」ができた。その設定は事業主の自主性に任されることになった。法律に、過重労働対策・メンタルヘルス対策の根拠が明文化されていなかったから、これらの「改正」は大いに買いたいところだが、内容的には「過重労働による健康障害に対する総合対策」から、明らかに後退してしまっている。

加えて、過去のエントリーに書いたとおり、ホワイトカラー・エグゼンプション、である。「働きすぎの時代」は終わるどころか、ますます加速することが目に見えている。特に、安衛規則の改正点を、知り・知らせ・広げ・守らせ・実効化させる取り組みが、何といっても重要になっている。


きょう豆曜日
1月21日

働きすぎの時代
東京、雪です。

数時間前に手に入れました。

現在みなさんのされている仕事が、毎日のくらしや自分の人生の中で、
本来占めるべき程度をはるかに超え、生活を圧迫してるようなことは、
ありませんか。

そんなことは、露ほども、、、という方は結構ですが、
私の目にした範囲に限っても、気がついたら自ら主導権を失い、
いやんなるほど働かざるを得ない状況に、いつの間にか落ち込んでる。
そのような方も、少なくないように思います。

まだ目次を見ただけですので、内容についてのきちんとしたコメントは
できる段階ではありませんけどね。

ですので、目次の項目のうち、いくつかを抜粋するに留めておきましょう。

・好んでサービス残業をしているわけではありません。

・ホワイトカラーの職場も搾取工場に

・「ロマンチックな夜も台無しに」

・「残業当たり前」「休みも仕事」「うつ病急増」のソフト開発現場

・消費主義は消費的で環境にも有害

・「ワーク・アンド・スペンド・サイクル」

・働きすぎで近所づきあいも政治参加も困難に

どの程度がちょうどいいのか、それは本人が決めればいいことだと、
私自身はそう考えています。

この本、よく読んでみましょう。



HISAの人生やり直し日記+うつ病闘病記

最近の読書
M働きすぎの時代(森岡孝二 岩波新書)
 世界的に、労働時間短縮の動きは止まり、長時間化への反転が!このままでは、サラリーマンの生活は壊れてしまうぞ!



娑婆に出るある日
2006年01月26日

ある日、笑うセールスマンがやって来た
学部の読書室が大入りだ。テスト前になるといつもこうなのだが、さすがに込みすぎている。普段は静かなのだが、コピー室から談笑が聞こえる。どうやら企業金融論は穴埋め問題らしい。横文字にすると、コーポレートファイナンス、何だか難しく聞こえるが、要はMMとオプションである。

何だか人口密度が高すぎて圧倒されてしまう。新書を何冊か借りて、ソソクサと退散しようとしたら、グループ閲覧室から私の名前を呼ぶ声が・・・ 誰?? 2年の憲法ゼミで、ストイック教授に共に悩まされた友人だった。どうやら、ゼミの後輩の就活相談に乗っているらしい。

個人的には、省庁しか受けていない彼に、なぜかマスコミの話を聞く就活生のセンスに愕然としたが、話は簡単だった。誰か紹介してくれ。「OB訪問よりも、テレビ局の下請け制作でバイトした方が、よっぽどタメになるんじゃ?」と答えて部屋を出る。あまりに物寂しげな目をしていたので、知人を2,3人紹介した。

ついでに、読んでなかったらということで、森岡孝二『働きすぎの時代』、島本慈子『ルポ解雇』、森永卓郎『リストラと能力主義』を勧める。エントリーシートを書く前に、これだけダークな世界を理解しておけば、現実的なものが書けるはずだ。

マスコミは日本でも一番IT化の遅れた孤島である。なんたって、NHKにはデジタルビデオがない。CDRも読み込めない。だから単純作業も時間がかかる。これが青天井の長時間労働の根源だったりもする。最近はNHKからも、他社(コンテンツ制作会社)に人材が引き抜かれるケースもあるようだ。そういう人は、こだわりと非効率の違いが分かっているのかもしれない。

家に帰って、国末憲人『自爆テロリストの正体』(新潮新書)を読む。西ヨーロッパ世界で生まれ育った青年が、なぜ自爆テロの実行犯となったのか、興味深い考察がなされている。9.11の犯人のルーツを複数の直接インタビューを通して明らかにしていく。

日本人は無宗教(正確には多宗教)なので、なかなか自爆テロの境地というものが悟りにくいのだが、本書は一種のマインドコントロール(カルト団体)として、テロ組織を捉え、分析を試みている。その中では、「貧困がテロを生んだ」という命題は修正され、「彼の中で何か変化が起きた」という個別的な心理的変化が括りだされていた。

実際に、そこまで貧困だったわけではない青年たちの心の闇にアルカイダはどのように入り込んでいったのか? まさに笑うセールスマンがいたのである。自分探し、アイデンティティ探しに奔走する青年に、小さなエトノスの種を撒く。その種はやがてイスラム原理主義者を生産する。そしてある時命令が下る。爆弾を巻いて、行って来い。

これまでの社会構造論とは異なった、9.11感が示されていた。民衆ではなく個人を見ると、ここまで評価が変わってくるのか。



橋本啓介の独り言

働きすぎの悲鳴が聞こえる―社員のワークライフバランスのための会議システムの可能性(2006/1/4)

 大景気が回復している最近の日本経済ですが、企業のIT投資はなかなか伸びていないという現状があるようです。IT投資が必要な投資であるという認識が企業にはしっかりと浸透していないというのが理由のひとつかと思います。しかし、実際のところ、本音としては、効果が見えないだけでなく、社員を“もっと働かせる”という、社員からすると、IT導入によってもっと働かなければならないのですかという声も聞こえてきます。これが本音のような気がします。

 働きすぎの時代(森岡孝二著 岩波新書)の序章のタイトルは、「働きすぎの悲鳴が聞こえる」となっており、情報通信技術(IT)は、“労働を軽減し労働時間を短くするはずの技術が実は仕事量を増やし労働時間を長くした。”ということが書かれています。結局は、イギリスで起こった産業革命でも技術の進展によって労働量が増えたわけで、技術の進展は歴史的には、人間により負担を強いているというような内容です。

 社員はサービス残業や土日出勤などで疲弊しきっているということは私の周りでも聞きます。メールのやりとりを仕事で行っていても、夜中の12時頃にメールの返事が会社から来たりと昨今の会社社員は大変な時代に生きています。昨今の社員のメンタルヘルス問題、ドクターストップになった働き過ぎの社員など、これらは、社会あるいは会社自体が病んでいるということを示しているのではないでしょうか。

 会議システムを使っていない人に以前、使ってみてはいかがでしょうか。という話をしたら、便利そうだけど時間などが効率化されて上司からもっと働けといわれるといやだからといった答えが返ってきました。恐らく本音だと思います。

 会議システムは、生産性を上げるとか、時間の効率化を行えるとか、言われていますが、会議システムだけでなくIT全般に言えることは、ITツールが社員ひとりひとりの“味方”になっていないということだと思います。ITが言っているのは、「時間を効率化してやった、だからもっと働け!」と。しかし、すでに世の中の社員は疲弊しきっているのです。疲弊しきっている父親の背中を子供達は見ているので、子供達は将来に希望が見いだせないわけです。ニート問題も通底しているところがあるかもしれません。これでは、日本の社会、企業を将来的には駄目にしてしまうことになりかねないわけです。

 会議システムを含むITツールは、社員の味方になり、本来の労働を軽減し労働時間を短くするべきなのです。「さっさと帰るのか。けしからん。」ではなくて、現在仕事への偏重が激しいサラリーマンに、ワークライフのバランス(仕事とプライベートのバランス)を実現することは、逆に社員の英気をやしない、明日への活力を生み、いいアイデアを生み、生産性を上げ、会社にとって強い戦力になるのです。また家族とのコミュニケーションを社員にしっかり取らせるということも重要です。家族内がごたごたしていたら社員のパフォーマンスは下がります。家族とのコミュニケーションが社員を強くし、それが結果として会社を強くするのです。

 疲れ切った社員がどうして、いざというときの戦いの戦力になるのでしょうか。そういった疲れ切った社員がいいアイデアを出すでしょうか、職場は活気があるでしょうか。違うのではないでしょうか。私の自宅の近所の方で朝一番で会社に出勤し、大体毎晩12時頃に帰宅して疲れているサラリーマンを知っています。奥さんは大変だと思います。

 ワークライフのバランスを実現することが強い企業を作るのだと思います。しかし、現在のITツールはそれらに正面から答えていないと思います。会議システムも同じです。

 会議システムがそれにどう答えていくのか。これからの課題でもありますが、会議システムがワークライフのバランスを取っていく上で、たとえば、出張を会議システムに置き換える、家庭の事情で自宅で仕事をしたい場合(介護や産休育児のためなど)などの社内での使い方、そしてワークライフのバランスに関する意識の持ち方で役に立つと思います。

 会議システムは万能薬ではありませんが、社員の意識の持ち方を掛け合わせての相乗効果がここで可能なわけですが、会議システムを入れる側は、会議システムを入れると同時に意識を変えることも同時に必要になります。



人と仕事を考える

勤労感謝の日に  2005-11-23

今日11月23日は「勤労感謝の日」。広辞苑によると、「勤労を尊び、生産を祝い、国民が互いに感謝しあうとする日」となっている。もともとは「新嘗祭」に起源があるようだから、秋の収穫祭という意味合いなのだろう。
 ということで、今日は働いてはいけない日ではないので(というわけでもないが…)、朝から事務所で関与先訪問の資料準備などをした後、午後から「職場の人権研究会」という勉強会に出席してきた。
 テーマは「働きすぎから抜け出す道はあるのか」。岩波新書『働きすぎの時代』の著者森岡孝二氏(関西大学経済学部教授)の報告であった。(ちなみにこの本はとてもわかりやすい文章で書かれてあります)

 昨年の年間労働時間は、「労働力調査」によると、2,200時間となっている。これは毎年わずかずつではあるが減少の傾向にある。しかし、詳細を検討すると、いわゆる正社員においては、週60時間以上勤務する人が増えており、東京労働局の調査によると、月100時間または2〜6ヶ月を平均して80時間を超える時間外・休日労働(過重労働)がある、または今後その可能性があると答えた企業は調査企業の58%に達するという。
 「過重労働」の基準は、「脳・心臓疾患の発症との関連性が強くなる」と見られており、働きすぎが原因で病気になったり、最悪の場合過労死や過労自殺にいたる判断基準とされている。最近では過労による労災の認定も増加しているし、過労死された方の遺族が裁判で企業に勝訴するケースも増えている。
 長時間労働は深刻な問題ではあるが、一方で従業員も「残業代」をあてにしていたり、「仕事熱心な」社員が自ら進んで行う「自発的な働きすぎ」については、どう考えればいいのだろうか。

 企業の責任との関係で言うと、近年の裁判事例に加え、この10月の労働安全衛生法の改正で、労働時間に関する企業の労働者の心身の健康に対する安全配慮義務が明確になった。法律もさることながら、やはり、企業は従業員を働かせすぎてはいけないのである。
 森岡氏も「社員が居残り残業や、持ち帰り残業をすることを、会社がたとえ承認しなくても容認しているとすれば、それは働きすぎを誘発する要因のひとつとなる」(p.140)として企業の健康配慮義務を強調している。その前段での、仕事熱心な人々に言及した箇所で「時間や雇用契約にしばられない自由業や自営業は別にしても」とあるのには苦笑してしまったが…



つれづれなるままに

ヨーロッパの労働時間   2006/1/9(月)


学生から提出された課題レポートを繰り返し読むの日。

課題の内容は、現代日本の労働問題のうち、(ア)失業・非正規雇用の拡大、(イ)長時間・過密労働、(ウ)過労死・過労自殺、(エ)女性労働のいずれかについてその実態をまとめ、かつ、その解消・改善のために必要な対策を自分の考えもまじえて論じよ、というような内容。

【指定図書】としてあげたのは、川人博『過労自殺』1998年、熊沢誠『女性労働と企業社会』2000年、熊沢誠『リストラとワークシェリング』2003年、森岡孝二『働きすぎの時代』2005年。いずれもお手軽な新書で良書なので関心のある方はぜひ手にとっていただきたい。

なおレポートでは、あわせて、自分のアルバイト体験や兄弟や友人・知人あるいは親の仕事の話なども調べ書いてもらった。


さて、学生の選択で多かったのはやはりというべきか、働き過ぎの問題。そして、レポートに書かれていたのは、もう見慣れ聞き慣れ書き慣れ(?)たとはいえ、若者のやはり驚くべき過重労働ぶりと、それを忌避する学生の率直な感想である。

こうした長時間労働も国際競争に勝つためにはやむなし!なのか。しかしながら労働時間に関する国際比較研究はそういった主張をくつがえす事実をわれわれに提示している。すなわち、わが国男性フルタイム労働者の年間労働時間は2300時間を超え、イギリスを除くヨーロッパのそれ(1700〜1800時間台)と比較し、500時間近い差=単純計算で3ヶ月もわれわれは長く働いている、というのである(水野谷武志『雇用労働者の労働時間と生活時間』御茶ノ水書房、2005年)。

もっとも、こうした長時間労働・働きぶりを忌避する学生らも、安定した就職をGETするためには嫌でもそれを「取り入れて」ゆかなければならないのが実態。忌避し続けるならば不安定な就業が待っている。そうでなくとも不安定な就業の道が拡大しているのが実態なのだから。

それにしても長時間労働に追われるわれわれはどこへ向かって走っているのか、立ち止まって考える必要ある、とレポートを読みつつ思い、、、早く論文を完成させねば!と焦るのである。



軽茶(かるちゃ)

『働きすぎの時代』(岩波新書)

 カルチャーセンターの現場で仕事をしている時は、1月教室が始まると、何週間かは休めません。先生に新年の挨拶をできるだけしたいと思うからです。
 今年は、現場にいないので、今日、明日休んでいます。正月休んで、また休みです。なんとなく、後ろめたい感じなのは、一種の病気だなと思います。(知人が、私に会社を辞める精神的な準備がまだできていない、というのは、たぶんこういう気持ちがおきる事をいうのだろうなと考えています。といって、私はそれほど仕事をしてきたわけではないのですが)
 仕事の厳しさということでは、最近の若い人の労働条件はかなり厳しいようです。30代40代の息子、娘を持っている人の話では、朝早く出勤して、夜遅くまで、働いていることがよく出てきます。休みも取れないようです。
 例えば、森岡孝二著『働きすぎの時代』(岩波新書)を読むと、なんだか怖くなります。休みなく、長時間働く事態は世界的な現象のようです。働く時間を少なくするだろうといわれていたインターネットの普及も、逆に労働時間をさらに引き延ばし拘束していることが出ています。メール、携帯電話の普及で、24時間拘束されていることになります。
 たいして仕事をしてきていない、自分のことを思っても、そうだなと思いあたることがあります。
 40代、現場で張り切っていたころ、ほとんど、起きている時間すべてが仕事をしているという時期がありました。現場の仕事は、なかなか仕事を切り上げて帰ることができにくいものです。結局、少なくても10時間は会社にいます。そして休みの日でも、教室は開いているので、何かとでかけていました。今思うと、出かけた価値があったかどうか、出かけなくても同じだったのではと思うのですが。
 会社から家に帰っても仕事をしていました。当時はパソコンでなく、ワープロでしたが、会社にはなかたので、自分で購入し、ワープロに向かい、資料作りや、チラシなどを家で遅くまでかけて作成していました。これは、会社からそのようにしろと指示されていたわけではないので、『働きすぎの時代』でいう「自発的働きすぎ」です。
 「熱中」「打ち込む」「やりがい」「張り合い」、私が無意識によく使っている「好きである」、こうした思いこみがついつい「自発的働きすぎ」を誘発しているのです。
 そして、悪いことは、自分がそうしてきたから、みんなもそうするのが当然と、思ってしまうことがあることです。そういう気持ちの人間はけっこういて、おそらく「働きすぎ」はますます多くなっていくのではと思います。
 『働きすぎの時代』に次のようなことが書いてあります。
 「労働時間が1日10時間、週50時間を超えるほどに長ければ、健康で文化的な生活などできるはずはない。本書でこれまで述べてきたように、日本人男性の異常に長い労働時間は、家庭生活を営むうえで不可欠な家事労働をもっぱら女性に押しつけることによって支えられる。にもかかわらず、近年では女性の多くが結婚後もフルタイムで働き続けるか、でなければパートで勤めるようになっており、雇用労働と家事労働を合わせれば、女性は男性以上に働きすぎの状態にある」 森岡孝二著『働きすぎの時代』は、「死にいたるまで働いてはいけない!」と注意を
喚起していますが、「働きすぎ」状態からはなかなか抜けきれない、社会システムからも、むしろますます増えるという思いがします。
 そして、これは、ちょっと本題からはそれますが、カルチャーセンターに受講生の集まりが少なくなっている要因の1つに、この「働きすぎ」もあると思っています。特に女性の。そういう意味でも「働きすぎ」は決していいことではないのですが。


続 『働きすぎの時代』 2006/01/09

 「自発的働きすぎ」に対して、森岡孝二著『働きすぎの時代』(岩波新書)は、次のように書いています。
 時間や雇用契約に縛られない自由業や自営業は別にして、「その仕事が『好きである』『面白い』という表現にもよくでくわす。これらの言葉が表す心の働きはすべて自発的働きすぎの契機をなしていると言ってよい。にもかかわらず、何らかの強制や、圧力や、奨励や、制度的動機付けを欠いた純然たる『自発的』働きすぎはほとんど考えることはできない」 たしかに、勤めの人間が、純然と「好きだから」と仕事をしているとは言えないでしょう。むしろそう思いたいものを胸にもっているのだと思います。それで生きている充実感を味わっている、とか。
 とにかく、生活に余裕をもって、文化的な生活をしましょうと提唱する立場にあるものが、「働きすぎ」というのは、どんなものでしょう。しかし、カルチャーセンターの職場にも、必ず「働きすぎ」の人(多くは女性)がいます。そして、そういう人の働きでそのカルチャーセンターはもっているのではと私は感じることがあります。
 現代のような情報社会にあって、例えば講座を考えていると、起きている時間は、すべてが「仕事」になってしまいかねません。テレビを見ていても、友人と話をしていても、町を歩いていても、電車に乗っていても頭のどこかに「講座にできないか」が働いています。
 当然「死にいたるまで働く」ことはあってはならないことですが、仕事は8時間と割り切ってしまうのも、何か寂しい気がします。割り切った仕事に喜びはなく、8時間がかえって長く感じられのではと思うのですが。どんなものでしょう。こうした考え方は、あるいは、しらぬまに「会社」の手のうちにはまってしまっているから思うのかもしれません。
 今日の「風のハルカ」、専務に会社を辞める宣言をして、支店長から「甘い」と叱られていました。
 私も『働きすぎの時代』を読んでこんなことを考えているのは、甘いです。だいたいこのブログ自体とても甘いです。ちょっと辛めをと思うのですが、すぐ、底が割れるので無理ですね。



[ニュースワーカー]2006-01-05

書評「働きすぎの時代」

 
今だけ委員長さんが「初売りで賑わう商店街で… 運ぶ手間=300円」のエントリーで、郵政公社とヤマト急便が、福袋の発送を1個300円で請け負うのを見て「これまでは、消費者ニーズがあるから仕事が生まれてきたのでしょうが、いまは『仕事を得るため』にこれまでの生活習慣すらもぶち壊す方向へ向かっているように感じます。自分で買った物を運ばせる―日本人ってそんなに裕福な生活習慣が備わってしまったのでしょうか。」と感想を書かれている。わたしも同感。少し前に読んだのだが、森岡孝二・関西大教授の「働きすぎの時代」(岩波新書)を思い出した。
 労働時間は世界的にみても1980年代以降、増加に転じている。森岡教授は今や世界は新たな「働きすぎの時代」に入っていると指摘し、その原因、背景として現代の高度資本主義の4つの特徴を挙げている。ひとつはグローバリゼーションによるリストラと産業再編、2つ目は情報通信技術の発達、つまりIT化、3つ目が大衆消費社会、4つ目が森岡教授は「フリーター資本主義」と名づけているが、雇用面の規制緩和と労働市場の流動化による非正規労働の増大と、それがもたらした正社員の長時間労働化だ。
 冒頭の郵政公社と黒ネコヤマトに話を戻すと、これは3点目の「大衆消費社会」そのもの。森岡教授は「コンビニや宅配便に象徴される、利便性を追求するサービス経済の発展は、情報化の進展とあいまって消費者の需要構造を変化させ、経済活動の24時間化をもたらし、働きすぎの新しい要因をつくりだしている」と指摘する。
 これもまた、小泉首相が声高に叫ぶ「改革」の果てのわたしたちの社会だ。企業は利益を求めて走り続けるしかない、足を止めたら負け。新しい「仕事」も創り出す。それが「ビジネス・チャンス」。でも、そこで働いている人間はどうなるだろうか。労働組合も現状をすべて受け入れてしまったら、労働者の健康はだれが守るのだろうか。「過労死」は自己責任になりかねない。実際のところ裁量労働、あるいはホワイトカラー・エグザンプションはそうした制度だ。

 新聞産業ではとりわけ編集部門、記者の世界に、伝統的に長時間労働がある。政治部や社会部では、担当によっては月間の超過勤務時間が恒常的に200時間を超えるなど、常軌を逸していると言っていい。記者の働き方の問題は、権力寄りと指摘される新聞ジャーナリズムの問題の本質にも深くかかわっていると思うのだが、なかなか改善されない。社会経済の構造的な変化ばかりではなく、「新聞記者とはそういうものだ」という職業意識もある。
 こうした「自己実現のための働きすぎ」に対しても、森岡教授は解答を用意している。それは雇用者、管理職が強権を発動して働かせないようにすることだ。つまり、労働基準法その他のルールを会社に守らせることだ。
 どこの新聞社も人員増は容易には認めない。会社はホンネでは、まず社員の一人ひとりを目一杯働かせようとする。編集の職場で言えば「記者魂を逆手に取られている」のが現状だと思う。しかし、新聞産業もIT化が進み、インターネット展開で24時間化が進んでいる。生身の人間の働き方としては、限界を超えているというのが実感だ。一人ひとりの働きが足りないのではなくて、記者の人数が足りないのだ。あるいは、仕事を増やしすぎてしまい、人間が追いつけなくなっている。せこい人件費抑制を許してはならない。簡単な話だが「健康でなくてはいい記事は書けない」はずだ。



一日一信

2005/12/6 13:21
ももせさん

やっぱり、ちゃんと休んでこそよい仕事もできるというもの。岩波新書の『働きすぎの時代』面白かったです。日本人も、そろそろ働きすぎから脱したほうがいいような気がします。そして、働くものの権利である有給休暇取得をきちんととれればと思うんです。夢のようですが・・・。



テルセキの自由市場

森岡孝二著: 働きすぎの時代
卒業生を過重労働の現場に送り出すことへの大学教員としての苦悩から執筆したとある。こういう良心的な人物自身が働きすぎなのは皮肉だとしても、どういうライフスタイル(労働時間)が自分にとって幸せか振り返えさせる。

@Sayopee.net

「働きすぎの時代」「論争・少子化日本」 「働きすぎの時代」は9月に買って一度読んだけどまた読み直したもの。「論争・少子化日本」はamazonでたまたま書評を見かけて、最近出た本と思って買ってしまったもの(実は2001年発行)。

 フリーター、ニートの一方で働きすぎの正社員…この問題が世に言われ始めてから随分になるのに、未だに何ら改善がされていない気がします。
 少子化については、私自身は少子化は悪いことではないと思っていて、本の中で少子化に合わせた社会制度を作って行くべきだという主張をしていた論文にほぼ全面的に賛成。

 一見別々の問題のようですが、共通しているのは現在の日本における「働き方」を変えていかなければならないということ。これだけは確かだと思います。
 でも、今のこの状況じゃあすぐには変わらないんだろうなあ。私の職場を見ていてもそう思います。仕事のための仕事が多くて、本当に必要な仕事を厳選していったら、職場環境も、それぞれのやりがいも随分変わるだろうけど、そのためにははてさてどうすればいいのやら。



大阪で独立した若手(!?)弁護士の憂鬱な日常

2006年01月04日
働きすぎの時代
森岡孝二著『働きすぎの時代』(岩波新書,2005年)を読みました。


働きすぎの時代

「働きすぎ」の要因と実態が様々な資料を駆使しながら
詳細に描き出されています。

私たちは,現在の社会をつい固定的に捉えてしまいがちです。
(少なくとも私は,そうです。)
戦後の日本人は,ただがむしゃらに働いてきたし
これからもそうであろうと。

そこで,次のような数字を示されると意外に感じます。
たとえば1980年には61%であった年休取得率が
2004年には47%に低下。
1970年には7時間51分であった有職者の平均睡眠時間が
2000年には7時間07分に減少。
本書に引用された,このような数字からは「働きすぎ」が
深刻の度を増してきていることが窺われます。

その一方で,諸外国の事情に関する本書の叙述からは
社会は人の手で変えうるものであることを思い出させられます。
たとえばドイツには閉店時間法があり,午後8時から午前6時までの
営業は禁止されていること。
たとえばオランダではフルタイムとパートタイムの賃金格差を無くし
相互の移行を可能とする社会改革が進められていること。
そしてそのオランダでは週50時間以上働く人は1.4%に止まっていること
(日本では28.1%)。

もっとも,労働時間短縮の流れはヨーロッパでも80年代に止まり
逆転現象さえ生じているそうです。
厳しいグローバルな競争の中で地盤沈下しないためには
「働きすぎ」もやむを得ないという見方は根強いかも知れません。

しかし,筆者の次のような発言は至言だと私には思えます。
「家事や育児の負担が女性に押しつけられる環境では
男性の長時間労働は,女性に結婚しない,あるいは子供を作らない
という選択を迫る要因となりうる。」(184頁)
『厚生労働白書』には長時間労働者比率の高い地域ほど
出生率が低いことを示すデータが出ていると言われればなおさらです。

「働きすぎ」が過労死・過労自殺の累々たる屍の列を築いていることを
持ち出すまでもなく,長期的に見て少子化が
私たちの社会にとっての最大の不安要因のひとつであるとすれば
その意味からも「働きすぎ」の克服が喫緊の課題であることは
明らかではないでしょうか。



里山研究庵Nomad


2005年8月23日 (火) 森岡孝二 著『働きすぎの時代』(岩波新書)
岩波新書 『働きすぎの時代』(森岡孝二 著)が、8月19日に発行されました。

 カバー見返しの解説には、

「いたるところから働きすぎの悲鳴が上がっている。労働時間が一日一〇時間を超えるほどに長ければ、疲労とストレスがたまり、最悪の場合は死に至ることになる。本書では、グローバリゼーション、情報技術、消費社会、規制緩和などに着目して今日の過重労働の原因に迫る。まっとうな働き方ができる社会を作っていくために、いま何が必要なのか。」
 
 と記されています。

 この本の中で、「働きすぎと浪費の悪循環から抜け出すためのライフスタイルの転換」をめざす新しい動きとして、「菜園家族レボリューション」構想が取り上げられています(*「第五章 労働基準とライフスタイル」参照)。

 過労死・うつ病・自殺など、たいへんな状況にある働く現場。その実態を本書から学び、仕事・暮らしの未来は、どうあるべきなのかを、今一度、根本から考えてみませんか。 



「自己不満足な毎日」を生きる 2005-12-03

売れる新書 

研究会の事務所からの帰り、阪急梅田の紀伊国屋書店に寄った。

新書の新刊コーナーがあるのだが、よく売れている本については多少古くても積まれて売ってんのね。

8月に出た我が師の本、『働きすぎの時代』がまだ新刊のコーナーにあってビックリ。

まだ売れ続けているという嬉しさがひとつ、逆にそのネーミングが多くの人の関心を寄せていることに悲しさも覚える。

ちなみに、パッと見だったので全てを把握してないけど、『働きすぎの時代』以外に新刊コーナーに並んでたロングセラー本は、『下流社会』と『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』だった。

そういえば、大阪ではもちろんのこと最近実家に帰ってもさおだけ屋なんて見かけないねぇ。

小学校の頃とかは「さ〜お〜だけ〜、さ〜お〜だけっ」って売りに来てたっけ。

一回だけ、母親がさおだけ屋からさおだけ買ってたような記憶がありますw

そん時、さおだけの価格がかなり高かったということも記憶していますww



http://d.hatena.ne.jp/ltmswhte/20051205/1133877920
Itms library

流通は進化する―日本経済の明日を読む
作者: 伊藤元重

特にうわーすごい斬新だーなんて内容ではないけれど、日本の流通の歴史から最近の新しい流通までわかりやすく読みやすくという感じ。

トイザらスもスポーツオーソリティもアメリカの企業だったというのに驚いた。それ市内に隣接してあるんですけどー。しかもユニクロのフリースがコスト380円って安すぎ!いや、今着てるんだけどね。冬の部屋着だから。まぁそんくらいじゃないとあれだけ安売りしたら儲けだせないよな。あとダイエーのメーカーとの攻防の話はおもしろかった。『価格破壊』とやらを読んでみるかな。

あとこれからは高齢者が都市に住むようになるんじゃないかという話。確かに都会は便利ではあるけれど、あんな混んだ電車とか街中とか年取ったらとてもじゃないけど遠慮したいような…。ちょっと郊外くらいがちょうどいいような気がするけど。セイブンイレブンは先に地域の流通センターを作ってから店を出店し、効率的に流通させるため一つの流通センターに50店舗は作るそうだ。いやーすごいな。やっぱ今のバイト切られたらコンビニでバイトしようかな。流通に興味出てきた。

しかし、ここで思い出すのは『働きすぎの時代』の話。コンビニやらスーパーの流通システムを支えてるのは長時間労働をするドライバーだったり倉庫で働く人だったりするのだ。もちろん小売の店員もだけれど。単純に流通システムがすごいすごいと感心してもいられない微妙な心境がそこにはある。便利なのはいいことだ。いまさらコンビニがない生活なんて不便だろう。でもそれでいいのかと思うとなんとも言えない。最近どうも間違っている気がしてならない。人間が間違えているのは世界中で繁栄し始めたころかもしれないけどなんだかものすごい間違えてる気がする。だからといって何がどう間違えていてとうすればいいのかなんてわからないけどあまりいい気分ではない。



botticelliの日記

アドヴァイス三浦展の『下流社会』の興味深い書評を見つけた。

@http://d.hatena.ne.jp/Shigeki/20051106

Ahttp://blog.tatsuru.com/archives/2005_11.php (11月1日分の日記『「下流生活者」たち』)

ところで、この本は今でこそあちこちで取り上げられているが、ミネルバさんが僕に「この本は面白いよ」と見せてくれたのは、9月の終りだった。(それほどミネルバさんの感度はいい。こんなところで友人の自慢をしても仕方がないのだが。)

ちなみに僕が前から少し気になっている本は、森田孝二『働きすぎの時代』(岩波新書)である。これは1ヶ月くらい前の毎日新聞で紹介されていた。早く読まねば...

「下」に落ちてしまうかもしれない、という恐怖を感じながら、日々暮らす。そして「上」にも「下」にもあるのは、「働きすぎ」という蟻地獄なのかもしれない。しかし、ムシュー・トクヴィルによれば、そもそも「人生は仕事(besogne)」らしいので、まぁ仕方がない。

でもそんなトクヴィル氏には、人生を懸ける志と、親しい友人、そして信頼出来る妻があった。



アイアンマン・アゲイン

本日の練習
今日は忙しく練習はできませんでした。
仕事も家まで持ち帰りました。
岩波新書の『働きすぎの時代』を読んで、気が暗くなったが、
アイアンマンのために頑張るしかない。
と言い聞かせている。

ところで、腹筋を割るにはどれくらい回数を毎日おこなえばいいのか?
何となく線はついているが、ハッキリ、クッキリ割ってみたい。
何かいい方法はないものか…



アイアンマン・アゲイン
Book for Students
教育学部の学生にすすめる読書
2005年12月14日
働きすぎの時代
働きすぎがグローバルになってきたことをのべている。さらに時間を利用しつくさないのは罪悪と考えられているが、全ての活動を仕事に尽くすのはより大きな罪悪であるという序での指摘が理解できる。
 働きすぎのチェックシート及び労働基準局の住所一覧があるのがいい。
 企業に就職する前に、卒業祝いに送るべき本であると思う。



かんりにんのひとりごと

2006年01月01日

働き過ぎの時代 その3 森岡孝二著

 働き過ぎの時代」という本を読んで2回にわたって、感想を書きましたが、もう一つ書きたかったことがありました。 著者の森岡さんの分析では、以下の4点が今の日本の働き過ぎに影響を与えているとされています。

 一つは、グローバリゼーションが進む中で、途上国を巻き込んでの競争の激化によるもの。 
 二つめは、以前に書いたパソコンやインターネットなどの情報通信技術の変化による仕事のスタイルの変化によるもの。
 三つ目は、生活水準が向上する中で、人々の消費意欲が増大し、より多くの収入を得て、社会的なステイタスを求めるために、より長くよりハードに働く傾向が増えてきたことと、経済活動の24時間化などの需要構造の変化が生まれてきたことによるもの。
 四つ目は、労働分野に置いて、規制緩和が進み、若年だけではなく、中高年も含めて、アルバイト、パート、派遣労働等の非正規労働者が増加し、低賃金で使い捨ての短時間労働者と長時間労働を要求される絞り込まれた正規労働者との二極分化が進んできたというものです。

 今日、書こうと思っていたのは、四つ目の問題です。
もとをたどれば、イギリスのサッチャー首相、アメリカのレーガン大統領、日本の中曽根首相などが唱えた「新自由主義」の流れの中で、「小さな政府」のもとで、社会保障費を抑えると共に、民間企業の営利機会を拡大するために、各種の規制緩和、民営化、市場化を進めた結果、これまでの労働者の保護や労働条件を守るための規制が、どんどん緩和されてきたことにあると思われます。

 日本経団連は、「新時代の日本的経営」のなかで、雇用の階層構造を設定し

Aグループ:正社員(長期蓄積能力活用グループ)
Bグループ:契約社員(有期雇用の低年俸契約社員)
Cグループ:パート、アルバイト、派遣(雇用柔軟型グループ)

Aグループを極端に絞り込み、Bグループと、Cグループを大幅に増やして、雇用の流動化と人件費の引き下げを押し進める方針を打ち出したのです。

 現在フリーターが問題になっていますが、もちろん組織に縛られるのが嫌でフリーターでいるという昔型のフリーターもいると思うのですが、それよりも、就職をしたくても、正社員になれない、せめてアルバイトや契約社員で、何年かつないで、正社員になるチャンスを待つという人が圧倒的に多いのではないでしょうか。
 このようなアルバイトや契約社員の場合、何年たっても、年収は200万円を超えることは難しく、しかも企業の都合で、いつやめさせられるか分からないと言う不安定な雇用状況になります。
一般的には若年層のパートやアルバイトをさして言われますが、中高年層にもこういった雇用形態は多く、年齢を問わなければ、すでに1600万人の非正規雇用者がいることになります。
まさに日本はフリーター社会になっているのです。
これでは、結婚したくても、結婚ができないと言うのが現状ではないでしょうか?

 先日の新聞には、高校卒業生への求人の多くが、正社員ではなくて、非正規社員であるという状況が掲載されていました。
夢を持って、社会に出ていっても、低賃金で生活ができない、労働条件も劣悪な状況の中で離職率も高まっていると書かれていました。
こういう状況は、今後大卒者にも及んでくるのではないかという気がします。

 実際に学校現場や、保育所などでも、1年契約の臨時職員の比率が高まっています。
私の以前勤めていた学校でも、小学部の半分近くは講師の先生で占められていて、何年かしたら、先生の顔ぶれがすっかり変わってしまったという状況がありました。
本来ならば、正規の先生を配置しなければならないのに、わざわざ講師の先生を配置して何年かたって、実力を付けてこられた頃には、退職というケースも多くありました。
この問題は、私の知り合いが「臨時教職員問題を考える」というホームページでくわしく、取り上げています。
http://www.wao.or.jp/user/kishi/

 私の子供が通っていた保育園の園長先生が嘆いていおられましたが、国からの指導があって、職員の20パーセントは、パート労働に切り替えろと言うらしいのです。

 こういう状況を考えると、日本全体で、意図的な正社員減らしが行われているような気がしてなりません。
確かに正社員を雇うと、費用がかかります。
パート労働の方が、安上がりで企業にとっては、良いのでしょう。
しかし、若者が安心して、働くことができて、結婚し、子供を育てながらも働き続けるという環境をつくらないと、今後の日本の将来も先細りになってしまう気がします。
目先の利益だけにとらわれないで、日本の社会の安定という大きな視点から物事を考えていく必要があるのではないでしょうか。



ザ・ロック食堂 店主 ひとりごと:マクドナルド

新聞によりますと、「二人に一人が非正規雇用」 15歳から24歳までの2人に1人が非正規。らしい。

その中で 実態として 

以下、新聞より抜粋
横浜市の藤田健治さん=仮名は、22歳から30歳まで マクドナルドでアルバイト。 ・・・抜粋・・・働きはじめた時の時給が800円。8年経っても40円しか上がらない・・・・・・抜粋・・・・・・急増する若者の非正規雇用。「若者の側に責任を求めるのは間違いだ」と語るのは、『働きすぎの時代』(岩波新書)の著者、森岡幸二関西大学教授。
「主には1990年代以降に企業側が新規採用を抑制し、『雇用の多様化』という名目で正社員を減らし、非正規を増やすという意図的な雇用戦略がとられた結果です」
   (11月20日 「赤旗」より抜粋)

まぁ〜 なんでございますなぁ〜  失業保険も無ければ アルバイトやめて職を探すことも出来ず 最近は働きながらも職安は対応してくれるらしいけど
いつか 正社員にしてやるねんて エエ加減な店長クラスの心無い声を信じて8年がんばりはったかもしれんしねぇ〜

お客さんの忘れ物の「赤旗」から ちょっと気になったのでブログに書いてみました。



電脳亭日乗
10/21

森岡孝二『働きすぎの時代』読了。過労死から身を護るためのサバイバル・マニュアル。



Auld Lang Syne: am sick of it

最近読んだ本です。
理由あって感想は書きませんが、簡単に言うと「働きすぎやでお前ら」ってことです。というのは冗談で、日本人の過重労働、それによる過労死・自殺、また日本だけでなく世界中に広がる「働きすぎ」について、そして著者の言う「まっとうな働き方ができる社会」を創っていくためには何が必要か、という感じの本です。

個人の意見として、仕事にやりがいを見つけるのは結構ですが、生きがいを感じるようにはなりたくないですね。日本もヨーロッパみたいに3週間の休暇を年に2回ぐらい取れるよう、または年休を取得しやすい環境であればいいんですけどね。2004年の年休取得率は47%だそうです。
興味深い本でした。



けやきのかほり

帰り道で自転車のライトが消えた。次は人格か(抜粋)。

昼休みと3限目は昨日買ったばかりの「働きすぎの時代」(森岡孝二)を図書館でイッキ読み。体育会系の部活はイッキ飲みなのかもしれませんが、私は文芸部なのでイッキ読みです。頭の中で「イッキ、イッキ、イッキ」とコールをかけたり、ファミコンの『いっき』というクソゲーを思い出したりしているうちに読破してしまいました。4限目は政治と文化に参加し、ダラダラと90分を消化。正直この授業はどうでもいいです。



アランの読書日記

過重労働の背景、及び解決への処方箋をコンパクトにまとめた一冊である。特に背景に関する記述に重点を置いている。

 “背景”については、4つの点について述べている。1点目は「グローバル資本主義」、すなわち中国等の低賃金・長時間労働の国と競争していること。2点目は「情報資本主義」、すなわち情報通信技術の発達により、いつでもどこでも携帯に仕事関係の電話がかかってくるというように、仕事の時間と個人の時間の境界が曖昧になっていること。3点目は「消費資本主義」、すなわち24時間営業のコンビニや、必ず翌日配達される宅配便に代表されるように、経済活動の24時間化により、働きすぎにつながっていること。そして4点目は「フリーター資本主義」、すなわち労働分野の規制緩和により、正規労働者の絞込みが進み、結果長時間労働者が増えたという。

 一方、“処方箋”については、労働者については「年休をめいっぱい取得」「残業をできるだけせず」といったことを、法律・制度については「一日の残業上限を原則2時間にする」といったようなことを提案する。実現できればすばらしいものの、お題目として唱えられているだけで、残念ながらこのままでは実現は難しいと思われる。また「ダウンシフティング(減速生活)」として、田舎暮らしなどの例もあげられている。私自身魅力を感じる一方、皆が同じことをすれば、わが国は競争力を維持できず、中国・韓国に追い抜かれる。さらに、“背景”の3点目を読んだ読者なら容易に想像できるように、引き換えに便利な生活が失われるであろう。それでよいとするのも一つの道ではある。森永卓氏も「日本はラテン化すべし」といった意味のことをおっしゃっていた。携帯でメールなどできなくてもよいかもしれないし、電車が何十分遅れることがしばしばあって構わないかもしれない。こういったことまで深く突っ込んだ議論がなされていないのが残念だが、そこまで言うのは期待過剰というものであろう。本書については、過重労働の背景の分析について評価したいと思う。



日々のあれこれ

働きすぎの時代 森岡孝二著


図書館で借りた。現在失業中の身にとっては自分とは正反対
の題名だが、正社員の人はだいたいが当てはまるんだろうな。
印象に残ったのは菜園家族レボリューション。p176



ケサラストーリー

働きすぎの時代  森岡 孝二 著  岩波新書

 働くことはいいことである。
 企業や国の政策の犠牲になるのでなく、まさにお国のためにという滅私奉公からぬけでて、いのちと人間らしさをこそ第一に働く働き方をめざすべきである
 そういう示唆にあふれている著書である。

ヨーロッパと日本の働き方の差を端的に示しているのは、年休である。日本の年休の取得率は、1960年に61%あったが、2004年には47%である。
ヨーロッパでは、法律や労働協約で年間20日から30日の年休が付与され、2〜3週間以上の連続休暇を年間2回程度取得するのが普通である。
30年以上前に発効しILO132号条約では、病欠は年休に含めてはならず、休暇は、最低3週間以上、うち2週間は、連続休暇でなければならないとされている。しかし、日本ではこれに対応する国内法が整備されていないために、この条約をいまだに批准できないでいる。
 
 労働時間を短縮し、過重労働をなくすたに
労働者は何をすべきか。
 自分と家族の時間を大切にし、仕事以外にも、生き甲斐をもつ。
 家事労働は、分担し、近所つきあいや地域のボランティア活動にも参加する。
 年休は、めいっぱい取得し、年に1度は1,2週間の連続休暇をとる。
 残業は、できるだけせず、労働が過重な場合は、労働組合や会社に是正を求める
 仕事に殺されそうな状態が続くときは、転職などして、自己防衛をはかる
 働きすぎと浪費の悪循環から抜け出して、スローライフに転換する。



ぽちにゃん☆forever

 森岡孝二関西大学教授が8月に『働きすぎの時代』(岩波書店)という本を
お出しになりました。

1988年、バブル経済の中で日本人の働きすぎと過労死が大きな問題になり、
政府は経済運営の政策目標として
「年間1,800労働時間の実現(1987〜92年)」を掲げました。
10年以上遅れた今年にそれがやっと達成しました。

がしかし、これには
@一人当たりのサービス残業の増加
Aパート・アルバイトなどの短時間労働者の増大
というからくりがあります。

(米英仏独、北欧などでも、労働時間の逆流が生じているのも事実ですが)

この森岡教授はあることを試みます。

ペリカン便の日通が請け負うアマゾンの巨大な物流センターで、
自給850〜900円で雇われた大勢のアルバイトが
注文された本を「一分に三冊」のノルマでひたすら探し回る

という話を耳にされ、
日曜の未明にネットで本を注文したらいつ届くか試されたわけです。
案の定、翌日の午前中に届いたそうです。(在庫がある場合)
ということは、この教授は大阪在住ですので、
千葉県市川市から600kmの距離を宅配便はひたすら走り続けたことになります。

消費者にとっては大変便利で有り難いシステムですが、
安い賃金で働かされるパートやアルバイトの方、
貨物運送労働者の長時間に及ぶ過密運転があってのことでしょうね。

教授はこの本の中で、
ライフスタイルの転換の必要性や残業の制限、サービス残業の根絶を
訴えていらっしゃいますが、
この本を紹介するに当たって教授が某新聞にコメントした中に、
倉本聰さんの著書『優しい時間』の中の言葉を引用されています。


「倉本聰の『優しい時間』(理論社)の中に、
『森の時計はゆっくり時を刻む』
『人の時計はどんどん速くなる』
という台詞が出てきた。
デジタル化し、加速化した『人の時計』を『森の時計』に戻すことは
難しいかもしれない。
それでも、人に優しい時間を取り戻すには、
時間の加速化と働きすぎにどこかブレーキをかけなければならない」

私は倉本さんの本は読んだことがありません。
でも、
「人の時計」を「森の時計」に
ステキな言葉だなあと思いました。

弱肉強食の生存競争の厳しい世の中なのに
何をのんきなことを言っているのか。
田舎だから言えることだ。

と思われる方もいらっしゃるでしょう。

しかし、この世知辛い世の中だからこそ
心にゆとりを持つこと。
他人をいたわり思いやりを持って接することのできる
穏やかな気持ちを持つことは
自己を高めていく上でも大切なことではないかしらと思いました。



さっぽろ地下鉄のなかでマルクスを呼吸する
学生の覚醒

△ ゼミで森岡孝二『働きすぎの時代』(岩波新書)を読んだおかげで、ゼミ生の権利意識が高まったようです。

就職するにあたって、法定労働時間を守っているか、有休消化率はどうか、などきちんと知りたいとのこと。「学問が心の底から好きでそれを職業にできた先生はいいけど、僕たちはある意味生きるためにしかたなく働くところがあるから、仕事と休みはきちんと線の引けるところがいい」とある学生は言いました。

ところが企業のホームページからはもちろん労働時間の実態は分からず、就職活動のサイトの掲示板でもあまりたいした情報はないので、本当に悩んでいるようです。

△ 学生のバイトの話。楽しく働ける職場ももちろん多くあります。雰囲気がよくて長く勤められるレストランもあります。

しかし、働く者を収奪しているなあ、という気分にさせる例もたくさん。

家電量販店で社員さんは徹夜だとか。外食産業で、バイトなのに月2回しか休めなかったとか、18時間ぶっ続けで仕事したとか。

大学を卒業しないうちからこういう現実を見ており、しかも大学の講義でもいろいろ日本の労働現場の現状をきくことも多いため、学生は就職に際して労働条件にはけっこう敏感な感じがします。

△ ついでに学生とした雑談から判明したのは、大学教員のメンヘルの悪さ。何人かの教員の研究室に遊びに行く学生からの話では、「死にたい死にたい」ともちろん冗談でしょうけど、言っている先生がいるとか。私もつい「半径100メートル内に人がいっぱいいて雑談できるのに、研究室で一人キーボードを打っていると、なんか落ち込む」と本音を言ってしまいました。

「先生も今年は大変なきつい業務なんですってね。聞きました」

やっぱり理解してくれている教員がたくさんいるのが幸いです。職場って結局人間関係に左右されるところが大きいです。

△ 自称歌手の学生が、私の研究室にきてテーブルのうえのCDを見てげらげら笑っています。
「先生、けっこうパンクスなんすね。ハイ・スタ(HI-STABDARD)とかロコフランク(locofrank)とか」。

でもやはり世代が違うのか、INUには興味なさそうでした。

△ アジ・カンとバンプ歌ってしまいました。生きる喜びを感じました。

by kamiyam


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hiog 書籍・雑誌の紹介・批評

2005年12月17日
森岡孝二「働きすぎの時代」岩波新書
岩波新書を読んだのは久しぶりな気がする。この本は、タイトルのような問題意識を持つ者にとっての勉強の取っ掛かりになるような本だ。分析には興味深く、ポンと手を打ちたくなるような解説も見られる。しかし、内容に斑や偏向があるように感じられる。主張に対しては、「そのような意見もある」程度に見ておいたほうが良さそうだ

最後の、労働者や会社や組合や国家が行うべきことのリストについては、少し呆れた。このくらいのことはみんな考えているのではないかという感じ。ここだけ読んで退屈に感じるのであれば、そういう人に感じられるような、深い洞察、というものは、この本にはなさそうだ

p34.アメリカの猛烈企業はまるで日本の企業社会であることが、カリフォルニア大学バークレー校教授イブラヒム・ワードの評論にある。「新興宗教の場合と同じく、研修セミナー、修養会、全体ミーティングといった恒常的な教化を通じて、仲間内の価値観が注入され、威勢のよい掛け声が浸透し、批判精神が弱められていく。会社の社訓(使命、目的)が教理問答のように復唱され、スポーツや軍隊を思わせる歌やスローガンが熱っぽく叫ばれる。会社のロゴを身に付けるといった服装に至るまで、あらゆるものが会社への献身を示している」

p53.労働を軽減し労働時間を短くするはずの技術が実は労働量を増やし労働時間を長くするという事態は今になって初めて生じたことではない。18世紀後半から19世紀前半のイギリスなどにおける産業革命では、今わたしたちが目撃していることとある意味で似たことが起こった

p57.バーバラ・ガーソンが「電子搾取工場」で最初に取り上げているのは、マクドナルドである。時給の低いアルバイト仕事であるために、長く働き続ける者はほとんどいない。マクドナルドで働いて辞めていったアメリカ人は80万人―全労働力の7%―にのぼる

p59.アメリカで「インディペンデント・コントラクター」と呼ばれる個人請負労働者は、自己の専門能力を生かした自由な働き方としてもてはやされている面がある。しかし、専門的な技能や知識によって高給を取っている人は少数であり、むしろ働き方や支払いからみると、個人請負労働者は低賃金労働者であることが多い。しかも、より重要なことに、実態は「雇用契約」であるにもかかわらず、労働基準に遵守、付加給付の支給、最低賃金の保障といった雇用主の法的義務を免れるために、契約上「個人請負」のかたちで働かせる「偽装雇用」が多いといわれている

p70.ネットプロバイダー最大手のアメリカ・オンライン社は、社員に祝日前後の3連休だけは、「Eメール・フリー」の指示を出し、Eメールをチェックしなくてよいと知らせている。ということは、他の週末には仕事関連のメールがあるのが普通であり、社員は当然それをチェックしなければならないということである

p75.事務労働者のなかでも、コンピュータの普及の影響を誰よりも強くこうむったのは「ピンク・カラー」(女性の仕事とされてきた職種と職域)の労働者たちである。彼女たちの仕事は自動化の容易なサブルーティンに細分化されてしまい賃金まで下がる結果となった

p89.ロバート・B・ライシュはクリントン政権時の労働長官であったとき、家族とふれある時間も自分自身と向き合う時間もないほど仕事に没頭していた。ある晩、下の息子に電話して、就寝時間までに戻れないので、明日の朝「おはよう」を言いに行くよと伝えた。すると、「どんなに遅くてもいいから起こして」という答えが返ってきた。そんなことがあって、ライシュは労働長官を辞め、自らの個人的経験から出発して、「我々が収入のために働くことが、我々を豊かにさせるのであれば、どうしてわれわれの個人的な生活は貧しくなってしまうのか」考えはじめた。そして書かれたのが「勝者の代償」である

p93.長い労働時間が家庭生活の危機を生んでいることに関しては、ライシュは、企業に対し従業員が家族責任を果たせるように労働時間を弾力化することや、小さな子どもや年老いた家族の世話をするための有給休暇を与えることを求めている。また、有給労働をしているために労働者が負担しなければならない育児や介護の費用を「必要経費」として所得税から控除する制度を導入することも提唱している

p97.宅配便業は労働時間がとくに長いことで知られている。道路貨物運送業の労働時間について厚生労働省の調査を見ると、男性の道路貨物運送従事者のうち、宅配便の受け渡しをする労働者が含まれる「販売従事者」だけをとると、週平均労働時間はなんと56時間にもなる

p101.横田増生氏の潜入ルポ「アマゾン・ドット・コムの光と影」に、アマゾンのスピードの秘密が克明に述べられている。ペリカン便の日通が請け負っている50万点もの本が詰まったアマゾンの巨大な物流センターでは、常時100人のアルバイトが注文された本を「1分3冊」のノルマでひたすら探し回る。「バイト同士の笑い声はもちろん、話し声さえ聞こえてこない」ほどに懸命に働いても、このスピードでできるアルバイトはめったにいない。ベテランでも実際は「1分2.5冊」程度だという。アマゾンでは「30代から50代の男女」がアルバイトの大半を占めている。彼らは「2ヶ月ごとの契約」で雇われ、健康保険も厚生年金もなく時給だけを受け取る。時給は850円。「1年もつアルバイトは10人に1人もいない」

p113.このような「新自由主義」の政治思想は「市場個人主義」の経済思想に支えられている。ジェフリー・M・ホジソンが「経済学とユートピア」で述べているように、市場個人主義は、個人の権利と自由は市場を最大限に利用することによってもっともよく保障されると考え、国家による経済運営の調整、規制、介入を原則として否定する。そのために、市場個人主義は、市場自体が法や慣習や道徳などに支えられて機能する社会制度であることを見ず、文化的・社会的・歴史的な背景を異にするさまざまなタイプの市場があることを見ようとしない。また、金銭的価値や利己心に重きを置いて、経済システムが機能するうえでの信頼や協同や社会的絆の機能を正当に考慮していない

p123.フリーターの増大を生んでいる要因としてより重視すべきは、労働力の供給側の要因よりも、むしろ需要側(企業側)の、1990年代半ば以降の長期にわたる新規採用の抑制と、正社員をパート・アルバイト・派遣社員・契約社員・個人請負などに置き換える雇用戦略である

p126.現在すでに日本の労働者の4人に1人は年収150万円未満、2人に1人は年収300万円未満、4人に3人は500万円未満である

p165.日本の女性は二重の意味で、世界の先進国でもっとも働きすぎである。労働時間に家事時間を加えた「広義の労働時間」では、5カ国の男女の全労働者中、日本の女性がもっとも働きすぎである

p172.働きすぎと浪費が蔓延するアメリカ社会のただなかで、所得よりも自由時間を、出世よりも生活の質や自己実現を追求する生き方を選び、「以前より少ない収入で幸せに暮らしている」人々が増えている。そのことを、広範な調査とインタビューで明らかにしているのは、ジュリエット・B・ショアの「浪費するアメリカ人」である。彼女は、車でいえば高速運転を減速ギアに切り替えるようなライフスタイルの転換を「ダウンシフティング」、それを実行している人びとを「ダウンシフター」と呼んでいる

p196.労働者は何をなすべきか:自分と家族の時間を大切にする、仕事以外の生き甲斐、家事労働の分担、地域活動への参加、年休をめいっぱい取得、残業をしない、労働基準監督署に違法行為を深刻、心身の不調は直ちに医師の診察を受け、指示に従う、時間帯によっては情報ツールの受信を拒否



the other side of ernst

2005年12月17日 (土) くもり時々雪
■[読書]森岡孝二・働きすぎの時代
働きすぎの時代
作者: 森岡孝二
出版社/メーカー: 岩波書店
発売日: 2005/08
メディア: 新書

「働きすぎの時代」への処方箋はあるのでしょうか。

80年代後半から90年代前半にかけて「過労死」という言葉がニュースなどでもよく聞かれました。当時小学生ぐらいであった僕は,死ぬまで仕事をするという行為の意味がよく理解できず,ただ「怖い」という印象を持っていたような気がします。その後はいわば「過去の言葉」になっていた印象でしたが,実はそうではなかったのです。

本書は,働きすぎを招く理由を次の4つで説明します(同書・20-21頁)。

グローバル資本主義
情報資本主義
消費資本主義
フリーター資本主義
「グローバル資本主義」とは,経済の国際化によって生産拠点が海外に移転しやすくなったことが,国内での労働環境を悪くしていることを意味します。「情報資本主義」とは,インターネットの発達によって,仕事と個人の時間との境界が曖昧になり,どこまでも仕事が追いかけてくる状況を招いていること,また非正規雇用がしやすい環境が生まれていることを指します。「消費資本主義」とは,より消費するためにより高い所得を目指す傾向が顕著になることを表しており,コンビニなどに代表される24時間営業,アマゾンに見られるような速達サービスなどが労働環境に悪影響を与えていることを含意します。最後の「フリーター資本主義」とは,アルバイト・パート・派遣などの非正規雇用が増加し,他方で絞り込まれた正規労働者の長時間労働が引き起こされていることを言います。

こうした現象はいずれも,経済構造の変化に伴う労働条件へのしわ寄せです。しかし,このような労働環境悪化を是認する法システムもまた本書の攻撃対象です。それが労働基準法36条の協定(いわゆる三六協定)です(同書・155頁以下)。残業に対する法規制の必要性を本書は訴えています。

本書の最大の特色は,こうした問題分析を踏まえ,具体的な処方箋をたくさん列挙していることです(同書・196頁以下)。気になったものを挙げてみますと,

自分と家族の時間を大切にし,仕事以外にも生き甲斐をもつ
仕事に殺されそうな状態が続くときは転職するなどして自己防衛を図る
情報ツールによる仕事のボーダレス化を阻止し,時間帯によっては受信を拒否する
サービスや利便性を売り物にする消費のあり方を働き方から見直す
三六協定は1日2時間,年間150時間を限度として締結し,要員の確保に取り組む
カップル労働時間の増大をストップさせる見地から労働時間の短縮に取り組む
労働時間を延長する恐れのあるサマータイムの導入はしない
労働基準監督署の監督指導を強めるため,労働基準監督官の人数を増やす
「持続可能」という言葉はよく環境法において用いられます。しかし社会の持続可能という視点は環境だけではなく,人間社会の内部の問題にも当てはまると思います。その最たるものが少子化・若年層のフリーター増加といった現象です。本書は次のように指摘します(同書・123頁)。

フリーターの増大を生んでいる要因としてより重視すべきは,労働力の供給側の要因よりも,むしろ需要側(企業側)の1990年代半ば以降の長期にわたる新規採用の抑制と,正社員をパート・アルバイト・派遣社員・契約社員・個人請負などに置き換える雇用戦略である。多くの若者にとっては,いかに正社員として定職に就きたくてもそれが容易にできないほどに就職環境が悪化してきたのである。

本書の執筆動機として「大学を巣立っていく学生たちへの思い」(同書・213頁)を第一に掲げている著者の持つ印象は,著者と同じく大学という環境から社会を(学部時代を含めて)約10年に渡り見ることになった僕も共感します。社会保障制度の持続可能性,さらにはこの社会の持続可能性は,人々の労働のあり方に大きく依存していると思います。折しも労働契約法に関する議論*1がなされている現在,労働法や労働行政の今後の方向性をどのようなものにするのかが,この社会の大きな分岐点となるような気がしています。



放蕩息子

2005年11月03日
いい休みだった。
 今日はいい休みだった。読みたい本も読めたし、聴きたいCDも聴けた。
 久しぶりに「笑っていいとも」を観た。改めてすごい番組だと思った。タモリさんも還暦をすぎて帯番組はしんどいだろうが、頑張って欲しい。
 ゆったりとした時間の流れが心地よい。
 森岡孝二著『働きすぎの時代』(岩波新書)を読んだ。今の時代ぐらい労働軽視の時代もないだろう。
イギリスの産業革命の時代にも熟練した職人が、機械の出現によって、今まで持っていた裁量や判断を奪われたことが書いてあった。
現在の日本もインターネットの出現によって、インターネット革命のもたらす長時間労働、過労死、精神的・肉体的などさまざまな弊害が起こっている。
いまや人間が正にロボットとして、働かされている。
二極分化が世界中いたるところで起こっている。
日本は経済停滞が15年に渡って続いてきた。今度こそ、日本経済復活へ向けて改革の真っ最中だ。
余り知られていないことだが、15年に渡る経済停滞の中で、アメリカ的経営(グローバリズム)が持て囃され、中国などに生産拠点を移したりした企業よりも、トヨタ・キャノンなどいわゆる「勝ち組」企業は、日本的経営を維持して来た。
トヨタなどは「看板方式」、「カイゼン」など企業の理念を捨てなかった。やはり日本には日本の風土に合った企業経営があるということである。
 80年代末に盛んに言われた日本の閉鎖性ではなく、その国にはその国に合った企業経営があるということであろう。


高校時代をすごした基地の祭りなんですけどね。 就職報告もかねて遊びに行って ... あと文書を手書きで書くのはキツすぎ。 手書きたくさんしたのは就職活動の ... OSI参照モデルとか、ルーターブリッジの働きとか。プロトコルってなにかとか。 今更 ...



TOSHI'S_HOME−読書室

森岡孝二 「働きすぎの時代」 (岩波新書)
多くの職場が過重労働の問題を抱えている。
本書は、このような現状について、他国の状況も参照しつつ、データを示して構造的問題点をあらためて認識させる。
ただ、終章の「働きすぎ防止の指針と対策」は、実践し難いとも思われるので、もっと現場で応用できそうな具体策を提示してくれると更によかった。
深刻な状況にある人は、この本を読む時間さえないのかも知れない。



昼寝とお茶の 仙人文庫

突然、肩が痛くなって、体を動かすたびに「あいててっ」などと言っているので、こりゃきっと五十肩だ、年齢的にもピッタリだし。とにかく医者に、「あー、五十肩です」と審判を下してもらおうと、近くの病院にいってみた。ところが、あにはからんや、「寝違えませんでした?」などと聞かれて、湿布薬をしこたま出されて、様子を見てくれということになった。しかし、肩の痛みは、それからも続き、なんだかんだと、2ヶ月ぐらい続いていた。なんだか釈然としないままに、楠家具工房の安井さんと話していると、安井さんもほぼ同じ症状なのでびっくりする。安井さんのほうは半年近くにもなるという。安井さんと仙人の共通事項を挙げてみると、なまけもの、ではなくて、グラブ生協を取っていること、「けるん」のガイドヘルパーを、ときおり手伝っていることである。同じようなものを食べているので、肩が痛くなる、というのはちょっと考えにくいので、「けるん」のガイドヘルパーが原因であると言う結論になった。「ああー、こりゃ労災だァ」などと笑っていても肩の痛みは直らない。

 動かすと痛いのだから、動かさないようにしてみよう、と真っ当なことを考えて、じっとしていよう、そっとしていようと心がけて生活してみた。左肩だったので、極力左手を使わないようにして、じっと、そっとしていた。なんだか、松下竜一さんを思い出してしまった。彼も病弱な一生だったから、いつもこうしてじっと、そっと生きていたんだろうな。とくに、初期の掌編小説にそんな感じが色濃く出ている。なんでもないこと、見過ごしてしまうこと、そこに焦点を当てて、そっと生きる楽しさがにじみ出ていた。仙人もそんなつもりになって、外出はベスの散歩ぐらいで、じっと、そっとしていた。

 そんな蟄居を三日ほどしていると、なんだか肩の具合がいいのである。年をとると、鍛えて直すとか、痛さを我慢して動かすとか、そんなことをしてはいけないかもしれない。痛さを抱えながらそっと生きることがいいのかもしれない。安井さんにも教えてあげようと思ったけれど、三日もじっとしていたら、仕事も生活も火の車になりそうなので、仙人の胸の奥深くにしまっておくことにした。

 このところ柄にもなく「生きがい」などということを考えたりしている。だいたいへそ曲がりな仙人は、「生きがい」なんてことを考えたこともなかったし、「生きがい」を考えることに嫌悪していたとも言える。「生きがい」なんて口に出すのもいやだ、なんてそっぽを向いていた。なんとなく狂信的な「生きがい」が見え隠れするという疑心暗鬼もあった。愛国心だとか、殉教だとか。だから、無為自然だの、生きていることが生きがいだの、居ながらにしていないだの、訳のわからぬことを言って、自分自身をも煙にまいていた。ところが、94歳で現役の医者をしていて、この間も文化勲章なんかもらっちゃって、90代のスーパースター、日野原重明の文章を読んでいたら、それこそ柄にもなく「生きがい」について考えてしまった。「生きがい」について考えるなら、神谷美恵子かな、とすぐに思いついた。その昔、本屋で平積みになっている『生きがいについて』を横目で見ながら、生きがいを持てないと生きていけないのかい、なんて生意気なこと考えていたから。

 こうして、まず読むことはないだろうと思っていた神谷美恵子の『生きがいについて』を読むことになった。その中に、こんなところがある。ちょっと長いですが、引用します。

 生活を陳腐なものにする一つに強大な力はいわゆる習俗である。生活のしかたまで、ことばの使い方、発想のしかたまでマスコミの力で画一化されつつある現代の文明社会では、皆が習俗に埋没し、流されていくおそれが多分にある。かりに平和がつづき、オートメーションが発達し休日がふえるならば、よほどの工夫をしないかぎり「退屈病」が人類のなかにはびこるのではなかろうか。

 しかし、ここでちょっとみかたをかえてみよう。変化と発展というものは、たえず旅行や探検に出たり、新しい流行を追ったりしなくてはえられないものであろうか。決してそうではない。ほんとうは、おどろきの材料は私たちの身近にみちみちている。少し心をしずめ、心の眼をくもらせている習俗や実利的配慮のちりを払いさえすれば、私たちをとりまく自然界と人間界も、たちまちその相貌を変え、めずらしいものをたくさんみせてくれる。自分や他人の心のなかにあるものも、つきぬおもしろさのある風景を示してくれる。わざわざ外面的に変化の多い生活を求めなくとも、じっと眺める目、こまかく感じとる心さえあれば、一生同じところで静かに暮らしていても、ぜんぜん退屈しないでいられる。

 この本が書かれたのが1966年。いまから、40年前のことである。この中に出てくる「退屈病」のことは、このあいだ、久しぶりに一気読みをしてしまった、森岡孝二の岩波新書「働きすぎの時代」にも書いてあった。1960年代に真剣に話し合われたことに、このまま科学技術が発達していくと、40年後の労働時間は4時間ほどになってしまう、そうなるとどうやって仕事以外の時間をつぶすのかが大問題になってくる。みんな「退屈病」になってしまうのではないか、ということがあって、大まじめに危惧したそうである。今から思えば、なんとものんきな、黄金のように輝く60年代である。40年後「退屈病」の恩恵にあずかったのは、大企業か公務員を無事退職した、ごく一部の人々だけであり、その人々以外の人間は、十分すぎるほどに発達した科学技術のおかげで、つまり、コンピューターやらケータイやら一秒を争う交通機関のおかげで、60年代以上の長時間の働きをしなければならないのである。

 そうした人々に対して、最近は声高に「生きがい」を持てとうるさい。先日も、県教委は「メンタルヘルス」なる、大変立派な冊子を全職員に配り、「心の病に気をつけましょう」キャンペーンを行った。その冊子のなかでも、<退職後に、やることがなくぽっかりと穴が開く人がいます。「生きがい」を今から持ちましょう。精神、病む前に、音楽、スポーツ、映画、旅行・・・>「生きがい」は消費であるかのようにいう。長時間働く、不寛容な職場にいて(不寛容は職場ばかりではないけれど、どうしてこうもルーズがいやになってしまったのか)「精神病むな」と叱咤激励され、退職しては、「精神、病むな」と消費に励む。1960年代からの40年後の世界はこんな世界だ。

 前述の神谷がこの文章を書いたころ、「消費は美徳」に向かう時代だった。その時代に、松下竜一の「生きがい」を先取りしていた女性がいたことに感動する。だから、神谷のこの本を読んでも、仙人の「生きがい」感は、少しも変わらず、むしろいやましに、「無為自然」だの「生きていることが生きがい」だの「居ながらにしていない」だのというボルテージは高くなるばかりなのである。

 あっそうそう、神谷がこの本の中でこんなことも言っている。「ぐちこそ生きがい感の最大の敵である」以て、戒めとすべし。



かんりにんのひとりごと

私は、基本的には仕事が好きです。
今の仕事に就職して良かったと思っています。
若い頃は、仕事が楽しくて仕方がありませんでした。
まるで、仕事が趣味のように感じられて、いくらやっても疲れることがありませんでした。
よく、夜中の3時4時まで仕事をして、次の日にこれだけの仕事ができたと自己満足に陥っていたこともあります。

 けれども、40代に入って、そういうわけにも行かなくなってきました。
職場を取り巻く状況も昔とは違って、ぎすぎすしたものになりつつあり、精神的なストレスも多くなってきています。
教職員の中でも、身体をこわして、病気で休む方が急増し、そのまま退職をせざるを得ないという例も見られるようになりました。
また、家族の病気や両親の介護、また地域での社会的な活動など、仕事だけではなく、家庭や地域社会の中での役割も果たさなければいけない状況もあり、仕事に対する考え方も少しずつ変わってきました。

 今、「働き過ぎの時代」という本を読んでいますが、官・民を問わず、至る所で、働き過ぎの悲鳴が上がっている現実が、数多く描かれていました。
何でも厚生労働省が立ち上げた、労働者の過労に関するサイトへのアクセスが殺到し、サーバーがダウンするという状況で、過労や過労による健康破壊や過労死への懸念の声が予想を超えるものであるという状況が生まれているそうです。
どうして、今の日本でこのような状況が生まれてきているのかということが、いくつかの観点から整理されていて、納得のできるものでした。

 大昔、経済学者のケインズは1930年に書いた「我が孫たちの経済的可能性」という評論の中で、「次の一世紀のうちには、貧困の問題は解決され、『余暇の時代』が訪れて、人々は『退屈』になやまされることになるだろう。」と述べたそうです。
事実、アメリカでは、1940年代から1980年代までに、生産性のレベルは二倍以上に上昇したので、ある意味で言えば、これまでに行っていた仕事量は、半分の時間ですませられるようになったのです。つまり、単純計算でいえば、一日四時間労働で、後の時間は余暇の時間とするということも可能だと考えられていたそうです。また、専門家集団の想定では、1990年までには、週四日労働、週22時間労働年間六ヶ月労働、あるいは標準退職年齢38歳などという夢のような話が、想定され、有り余る自由時間についての論文が書かれていたそうです。

 もちろん、これは単なる机上の話であって、他のいろいろな要素が加わるので、その通りになることはないにしろ、むしろ時代が進んで、技術が進むに連れて、逆にどんどん労働時間が増え続けているという状況が、アメリカやイギリスでも生まれているということです。
世の中は、どんどん複雑化していきますからね。
私なども時々思うことがあるのですが、パソコンやインターネットなど、情報技術が発展したことで、仕事の能率が上がって、職場に行かなくても、また相手の会社に行かなくても、どんどんと仕事をすることが可能になるので、その分仕事は楽になるのではないだろうかと思っていました。
ところが、実際は逆でした。
パソコンやインターネットで仕事ができる分、今までできなかったような仕事ができてしまうようになってきたのです。
交通機関も発達して、東京でも外国でも簡単に行き来ができるようになって、楽になるかと思ったら、日帰りや一泊の出張が入ってきたり、行き帰りの交通機関の中で仕事ができるようになったりして、帰って仕事が増えたのも同じような状況でしょう。

世の中が発展するということは、技術が発展し、人々が豊かになることだと思っていたのですが、世の中の発展によって、そうでもない状況が生まれてきているようにも思います。

 縄文時代の人々は、狩りをし、食べ物を得ないと生きていけない状況だったので、生きるために必死だったでしょうし、医療も福祉もないきわめて原始的な社会だったかもしれません。
しかし、かれらも毎日働きづめだったわけではなく、一日働いて、獲物を得た後は1〜2日休養し、また次の狩りに出かけたと聞きます。
家族も、余暇も全て犠牲にして、仕事のために死んでしまうというようなことは、無かったはずです。
そう思うと、社会はどういう方向で発展すべきなのかということを、もっと考える必要があると思いました。

つづく・・・



かんりにんのひとりごと

働き過ぎの時代 その2 森岡孝二著

 「過労死」という言葉は日本で生まれたのですが、こういう状況は日本だけなくなりつつあるようで、2002年には、「オックスフォード英語辞典」の中にも、新しい単語の一つとしてkaroushiが加えられたそうです。
 特にそういう傾向は、アメリカとイギリスで顕著に表れているようで、アメリカでの急速な労働時間の増加傾向が紹介されていました。

 日本での過労死や過労自殺などの認定状況を見ると、2004年度で見ると、脳・心臓疾患と精神障害を合わせると、請求件数だけでも、1300件を超えるという状況で、実際に労災と認定されたのは、420件前後、過労死・過労自殺と認定されたのは、190件にものぼるということです。請求はされなくても、泣き寝入りしている方もあるでしょうし、実際はもっと多いのでしょう。

 なぜこのような「働き過ぎの時代」になったのかを、森岡さんは四つの視点で分析されています。
一つは、グローバリゼーションが進む中で、途上国を巻き込んでの競争の激化によるもの。
二つめは、前回に書いたパソコンやインターネットなどの情報通信技術の変化による仕事のスタイルの変化によるもの。
三つ目は、生活水準が向上する中で、人々の消費意欲が増大し、より多くの収入を得て、社会的なステイタスを求めるために、より長くよりハードに働く傾向が増えてきたことと、経済活動の24時間化などの需要構造の変化が生まれてきたことによるもの。
四つ目は、労働分野に置いて、規制緩和が進み、若年だけではなく、中高年も含めて、アルバイト、パート、派遣労働等の非正規労働者が増加し、低賃金で使い捨ての短時間労働者と長時間労働を要求される絞り込まれた正規労働者との二極分化が進んできたというものです。

二つめについては、前回に書いたのですが、三つ目についても思い当たることがあります。
近所のスーパーなどは、朝の9時から夜は10時前まで営業をするというのです。労働時間が遅くなるに連れて、帰宅時間も遅くなり、お店の営業時間も必然的に遅くなるのでしょう。まして、駅前などではコンビニなどが24時間で営業しているので、他店との競争も激しくなり、そうせざるを得ない状況も生まれているのでしょう。スーパーというのは昔は、6時頃にはしまっていたので、まあ仕方がないなあ、明日こそ早く帰って買い物に行こうと、思ったものでしたが、今では晩ご飯を終えて、9時過ぎから明日の授業の準備のために買い物に行ったりすることもできるようになりました。店員さんも、もちろん交代で勤務されているのでしょうが、遅くまで大変だなあと思います。

四つ目の非正規雇用の問題は、もっと深刻ですね。また別の機会に、考えたいと思います。若者のうちの何パーセントが正規社員になれるのか?そして、その若者に課せられる、重荷はどれくらいのものなのか、本を読むたびにかわいそうな気がしてきました。



良泉の読書日記

『働きすぎの時代』
2005-12-17
   著者:森岡 孝二
   出版:岩波書店
   サイズ:新書 / 216、27p
   ISBN:4-00-430963-8
   発行年月:2005.8
 過労死が多発し、過度の労働を苦にしての自殺が増大する現代の日本は、やはりどこか病んでいる。誰もがそれに気付いているのに、事態は一向に改善しないどころか、どんどん悪化していく。
 どこかで歯止めをかける必要がある。膿みをすべて吐き出させる必要がある。そのためには、そんな現代日本の労働者達が携わる就業事情を解析し、分析する眼が必要である。
 本書は「働きすぎ日本」の現実を捉え、その実態を追った労作である。本書が現代日本の病を正す処方とならんことを願う。
 著者は、現代の“働きすぎの時代”を的確に体系化し解明する。
 経済のグローバル化により、就業問題は一国内だけでは解決できないほど多様化し拡大していった「グローバル資本主義」による働きすぎ。人類がかつて見ていた将来の夢「生産性の上昇により、労働時間はどんどん短くなり、個人が自由に使える時間が飛躍的に拡大する」が大いなる幻想であったことを思い知らされる。
 電話・FAXにはじまりITと呼ばれる情報技術の幾何級数的発達に伴い出現した「情報資本主義」による働きすぎ。人々の後ろからは常に新しい情報がつきまとい、時間・場所・状況をいっさい問われないまま仕事に追われる。
 本当の生活の豊かさをいつの頃からか忘れてしまった人たちは、物質的豊かさを幸福と勘違いし、次々と現れる最新の商品に体内にしみついた物欲がさらされる。「消費資本主義」による働きすぎをしないと自らの購買欲を満足させることができなくなる。
 そんな社会に夢も生きがいも感じることのできなくなった若者を中心に、フリーターが増加する。収入の低いこういった人たちによる「フリーター資本主義」による働きすぎは、若者の心を一層蝕み、健全な社会参加を阻害する。
 さて、言葉だけではない“真の豊かさ”を皆が感じられる社会に変えていくためには、私たち一人一人は何を考え、何をしていく必要があるのだろう。
<2005/10/28>



遙かな時代の階段を

働きすぎの時代 [ 本 ]

 そりゃ私だって、たまには「岩波新書」くらい読みますよ、えぇ。
 以前労組の役員やってた頃は色々と勉強もしてたけど、社会科学系の本は最近アンマリ読んでいないなぁ。

 本書では、「働きすぎ」が進んでいる現状について、「グローバル資本主義」「情報資本主義」「消費資本主義」「フリーター資本主義」という4つの側面に注目して分析をしている。
 一部首をかしげる分析もあるが、概ね労働をめぐる現在の環境と問題点について丁寧に書かれていると思う。
 そうした「働きすぎ」にブレーキをかけるために著者はいくつかの提言を行っているのだが、労働運動も下火で保守政党が国会の圧倒的多数を占める現在の日本で、残業規制や閉店法などの「社会的規制」を実現するのはちょっと難しいだろう。

 今まさに生きている自分が過労死しないようにするには、しばらくは自己防衛していくしか手は無さそうだ。



An Inlet of Thought

2005年 12月 13日
森岡孝二 『働きすぎの時代』

 森岡孝二『働きすぎの時代』(岩波新書)。

 仕事がキツイ。ということを言いたいときに、いつも頭をよぎるのは、自分よりもっと辛い仲間たちがいるという事実だ。そうだ、こんなくらいのことで弱音を吐いてちゃいけない。もっと頑張らねば。・・・なんてことを考えてると、我々は(誰が仕掛けたモノかは知らないが、とにかく何かの)術中に嵌るのだ。たとえば、授業の責任コマ数を増やせなどと言われる。そんなの嫌だ。しかし、非常勤講師だけで食ってる仲間たちはそれどころじゃない苦労してるわけで、この程度で文句言うのは気が引ける。この「気が引ける」感覚がなければ嘘だ。しかし、「だからこのくらいは頑張ろう」と考えることは二つの意味で間違っている。第一に、もっと大変な人がいることは、私が大変なことを引き受けるべきことを正当化しない。それは端的に関係がなく、引き受けるべきことは引き受けるべきで、そうでないものは引き受けるべきではない。第二に、引き受けることは、仲間をより苦境に追い込む。たとえば、僕の担当授業を増やすとする。すると、学生は授業が増えてサービスがよくなるどころか、一つの授業に振り向ける努力が減って、結果的に一つ一つの授業の質は下がる。と同時に、僕の担当コマが増えた分、非常勤講師の仲間は授業を減らされる。よいことはないのか。一つだけある。経営者が喜ぶ。コストが下がるからな。それくらいのものだ。実にバカバカしい。
 
 つまり、ただ頑張ればよいのではない。どのように、何のために頑張るのかが大事なのだ。そしてそれがちゃんと分かるためには、私たちがどのような状況に置かれているのかを理解する必要がある。・・・というわけで、ようやく本書の話になる。私たちが置かれた状況を理解するために、この本は、間違いなくその助けとなるものだ。グローバル化、情報化、消費社会の変容、雇用の多様化といった様々な側面から労働環境を悪化させていく諸要因をあぶり出されていく。この非人間的な状況を変えていくためにどこから手をつければよいのか、もちろん、それは決して楽な話ではないのだけれども、しかし、それでも具体的な方策を考える手がかりを確かに与えてくれる。最終章の「働きすぎ防止の指針と対策」では、具体的に何をすべきか、それぞれのポジションに応じて提言されている。誰でも思いつくことばかりである。しかし、この誰でも思いつくような対策を、私たちは真面目に考えて実行に移してきただろうか?世界を変えていくこととはつまり、実行可能なことを本当に実行することの積み重ねである。その当たり前の事実が、こうして当たり前のことを列挙してみせることで改めて確認させてくれるのだ。さらに巻末には全国の労働局・労働基準監督署の一覧がついている。著者の本気が伝わってくる。

 充実した内容が見通しよくまとめられている点、そして著者の本気という点だけでなく、参考文献が逐一丁寧に示されている点で実に教育的な配慮もなされている。なんというか、『フリーターにとって「自由」とは何か』と並んで、強力な援軍を得た思いがする。



Evangelist

よみました。 (Evangelist) 2005-10-22 03:49:11

働きすぎ、というのは、社会人のときにずっと考えていたことで、ただ、他の企業がどうなっているのか、ということもわからないわけですから、悶々としていた記憶があります。(その後、見切りをつけた。)きっと今は「働きすぎの時代」で、そういう、「働きすぎ」を「時代」というなにか大きなもの、ことばで総括しているところに、この国が抱えているなかばあきらめ混じりの、そして容易には解決不可能な病根のようなもの(やがて死に至る病というやつです)を、わたしは見出すわけです。
この問題に関して言えば、弱者になっているのは、(日経の特集記事にもあったように)40歳以下〜若年層の人間で、こうした弱者にやさしい視点で書かれた本『仕事の中の曖昧な不安』では、40歳代以上の特に大卒のホワイトカラーが実質的に、その雇用にかたくなにしがみつくことで、われわれの世代がわりを食っている、ということを統計的に明らかにしています。(これがほんとうかどうかということは、見方は分かれているようなのですが。文庫版の「曖昧本」の「あとがき」は、森永卓郎氏で、そのことについて、ちょこっとだけ触れているようです。)また、もう少し新しい本で言えば、ずばり『働きすぎの時代』という本があり、(森岡孝二、岩波新書963)これもまた過酷な労働実態を分析している本として有用な示唆が得られるのではないでしょうか。
なんにせよ法的な問題もあり、働きすぎの問題は、やがて消え去る方向へ行くことになるとは思いますが、おそらくその代わりに生産性の問題があって、それを盾にして会社は、しぶとく労働者を締め付けることでしょう。それが経営の本質といえば、そうなのかもしれません



漫望のなんでもかんでも

『働きすぎの時代』森岡孝二 岩波新書

 この本には、アマゾンの事が載っている。

 ペリカン便の日通が請け負っている50万点もの本が詰まった巨大な物流センターでは、常時百人のアルバイトが、注文された本を「一分三冊」のノルマでひたすら探し回る。

 二ヵ月ごとの契約で、健康保険も厚生年金もなく時給だけを受け取る。
私が日曜の未明にアマゾンに注文したら、翌月曜の午前中に家に届いた本の送り元は千葉県市川市であった。そこから送り先の大阪府高槻市までは優に600キロはある。宅配便の運転手が平均80キロで休まず乗務しても7時間以上かかるこの距離をどのように走ってきたかは定かではない。

 ただ明らかなことは、物流センターのノルマで縛られたアルバイト労働とともに、道路貨物運送業の長時間過密労働がなければ、注文した日の翌日に配達されるこのシステムは成立しないことである。(p103)

 
 注文してから2週間も3週間もかかる、というのもおかしいが、この極端さは何なのか?



最近読んだ本・読んでいる本

★「働きすぎの時代」森岡孝二著,岩波新書
著者は経済学から企業論,労働時間論へと考察を進めた方です。社会システムを変えないと,個人ではなかなか抜け出せない仕事の呪縛の実態について,鮮やかに書かれています。私が大学で担当する専門は環境設計ということになりますが,ライフスタイル,都市と農村,エネルギー問題などを考えるとき,これらは一体で大いに関連があると感じます。どんどん考えが広がっていくのは良いのだけれど,現在の枠組みの中での研究成果とするのが難しいのが悩みどころです。こういう時は実践から入るに限るので,とりあえず休みをとろうかな(^ ^)(2005/11/19)



UMassRyujiSaitoの日記

10-03-2005 働くということ
 森岡孝二(2005)『働きすぎの時代』岩波新書、を読んだ。世の中、フリーターやニートの定義づけだけして、問題点を摘出しましたと言わんばかりに、すっかり安心した気分(本当は安心でも何でもないのだが)になってやしないか?本質は、すべての働く人々の「働き方」をしっかり見つめることだ。

 著者が指摘しているのは、現代の高度資本主義の4つの特徴、グローバル資本主義、情報資本主義、消費資本主義、フリーター資本主義が、人々の、ひいては世界的な「働き過ぎ」を生み出しているということだ。

この4つの特徴は、すべて不可避なものとして考えるのが、K泉、Bッシュをはじめとする新自由主義者。本当に不可避なのか?

事例で取りあげらていたAmazonやトラック輸送、宅配便の実情を知るにつれ、過剰な便利さ・サービスは再考する余地があると思った。

こんな考えを持つ私は、経営者なら失格なのだろうか? 働く人々の幸せを考えない経営など長期的にみれば持ちやしない。

第三の道はきっとある。重心の低い思考を深めていきたい。



門倉貴史のBRICs経済研究所
 

2005-11-02 00:51:43
現代版「死にいたる病」から逃れるために何をすべきか?

これは、「SAPIO」(2005年10月30日号)に筆者が寄稿した原稿です。

森岡孝二さんの「働きすぎ」の時代(岩波新書)を読んで書きました。本書は非常に考えさせられる内容でしたので、未読の方は是非ご一読を。



「現在、世の中ではフリーターやニートなど正社員として働かない若者たちの存在が問題になっている。しかしその裏側で、企業に残った正社員たちが「働きすぎ」という深刻な問題に直面していることに気づく人は意外に少ない。

  バブル崩壊以降、日本企業は収益性を改善させることを目的にリストラによる正社員減らしを行ってきた。この結果、企業に残った少数の正社員たちは、人員減の影響をカバーするために、2人分あるいは3人分の仕事をこなさなくてはならない状況に陥っている。サービス残業(ただ働き)をさせられるケースも少なくない。最悪の場合、過労によって死にいたることもある。

 本書は、こうした「働きすぎ」の問題に正面から切り込んだ良書である。「働きすぎ」の実態を紹介しながら、なぜこのような問題が起こるのか、さまざまな角度から検証している。著者は、労働時間が減らない大きな理由のひとつとして情報化の進展を挙げる。Eメールで仕事の依頼がポンとくるので、多くの人が、会社・自宅、あるいは平日・休日の区別なく強制的に働かなくてはならない状況に追い込まれてしまうというのだ。また、ブランド品をはじめとする見栄の消費が増えた結果、より一層の所得(そのための労働)が必要になるという悪循環が生じているとも指摘する。

 筆者は最後の章で、現代版「死にいたる病」である「働きすぎ」の呪縛から逃れるための方策を労働者・組合・企業・法制度の別に提言している。これによると、労働者がなすべきことは、仕事以外に生きがいを持つ、家事労働を分担する、年休をめいっぱい取得する、残業はしない・・・・などである。どれも簡単なようで実行することはなかなか難しい。しかし、私たちが「死にいたる病」から逃れるには、勇気をもってこうしたことを実践していかなくてはならないだろう。 評者 門倉貴史(かどくら たかし)」



帆をたてて海に出よう

2005年12月04日
働きすぎの時代
前に読もうと思ってそのままにしていた本ですが、森岡孝二『働きすぎの時代』(岩波新書)を購入しました。

前に読むつもりだったときと比べて問題意識が深まったのは、雑誌『経済』に掲載された森岡さんのインタビューを読んだときです(そのときのことを、こちらに書きました)。

「働きすぎ」を象徴する現象は、「過労死」「過労自殺」「サービス残業」となるでしょうか。こうした事態の告発と同時に、世界全体で労働時間の長時間化が進んでいることに目を向け、その要因として現代資本主義の特質の四つをあげています(グローバル資本主義、情報資本主義、消費資本主義、フリーター資本主義)。

読んでいくのが楽しみです。



帆をたてて海に出よう

2005年12月06日
9・11のビルの中で・・・森岡孝二『働きすぎの時代』を読んでいると、こんな記述に出会いました。

アメリカでも「働きすぎ」が重大な問題になっているという話のなかで紹介されていることですが、9・11の時、航空機による最初のテロ攻撃があったツインタワー北棟の88階で働いていた女性は、館内放送で「従業員は仕事に戻れ」というアナウンスを聞いたそうです。彼女が働いていたのは、投資銀行KBW。

いくら「働きすぎ」が強要される世の中だからといって、びっくりしました。



新書スコープ

森岡孝二 『働きすぎの時代』 岩波新書,2005年8月
2005.09.08 Thursday

前半は、実例やデータを用いて、世界的に広がる「働きすぎ社会」
および「労働の2極分化」の現状を説明する。
最後に、労働者、労働組合、企業、制度・法律に関する指針と対策を提案。

資本主義の変化と新たな働きすぎの時代
「グローバル資本主義」「情報資本主義」「消費資本主義」「フリーター資本主義」が、世界的な新たな働きすぎの時代を生み出している。

36協定の廃止と1日の残業時間の制定
時間外労働協定(労働基準法36条)が8時間労働制を空洞化させている。1日2時間の残業時間を上限とする新しい条文を設けるべき。

労働基準監督の取り締まり強化
労働基準監督の実施率は、1948年の36%から、最近は5%を割り込むようになっている。



広島で働く社長のblog

とうとうこんな本出ちゃいました。

『働きすぎの時代』森岡孝二著

今、日本に限らず、超長時間労働は先進諸国共通の問題である。過労死はもとより、健康障害、家事育児に省みない、家族不和、賃金格差、貧富の二極化、交通事故、政治、社会問題に関心が薄くなる等、2次的な問題も多く誘発している。

この原因を、アメリカのジル・A・フレイザーの著書『窒息するオフィス 仕事に脅迫されるアメリカ人』の指摘する4つの理由にあるとする。4つとは

1、グローバル資本主義

2、情報資本主義

3、消費資本主義

4、フリーター資本主義

詳しい説明はできないが、確かに、パソコンが世に出て、しなくてもいい仕事が増えた。手書きの議事録でいいのにわざわざ綺麗な報告書を作っている。さらに情報技術が進んだために、それを家に持ち込む。移動中PCを開いて作業する。ケータイでメールチェックしとかないと気がすまない。ずっと仕事に追いかけられている。

本書では後半、サッチャー、レーガン、中曽根の「新自由主義」(今日本はこの流れまっしぐら)。労働行政の取り組みを紹介しているが、どうにも解決策に近づいていない気がする。

来年度、ニート対策として7億円計上というニュースが出たばかりだが、ニートやニート予備軍を、もう一度この『働きすぎの時代』の労働者に組み込もうというのなら、違う気がする。ニートの存在そのものが、今の社会に『NO』といっているのかも。



o-taroの日記

2005-12-07 若者たちにいま何が……?
格差広げる競争万能社会に立ち向うには(23) 22:00

【その1】
2冊の本『豊かさの条件』と『働きすぎの時代』から
最近読んだ2冊の本に、私は深く考えさせられました。そして、もう少し丁寧に読後感を言えば、鉛を呑んだように、胸に深く、澱(おり)のように溜まった重苦しいものが脳裏を去来して離れませんでした。その本というのは、暉峻淑子(てるおか いつこ)・埼玉大学名誉教授著『豊かさの条件』(岩波新書)であり、森岡孝二・関西大学経済学部教授著『働きすぎの時代』(岩波新書)の2冊です。

もっとも『豊かさの条件』は、03年の5月に初版が出されていますから、私もかれこれ2年ほど前に読んでいたものを、最近再読したものです。再読して、当時の書かれた内容が、現在の社会を実に的確に言当てられていたことに改めて思いを深くしました。

そして、暉峻教授の『豊かさの条件』で書かれた「切り裂かれる労働と生活の世界」などは、森岡教授の『働き過ぎの時代』でも、証明してくれています。森岡教授の同書は、05年8月に初版が出たばかりで、それだけに「働きすぎの悲鳴が聞こえる」等々のなかで、今日の日本経済の実態を実にリアルに提示してくれています。

これらの2冊は、恐らくすでに読まれた方も多いと思いますが、私が拙文で取りとめもなくつづる『若者たちに今何が……?』を考える上で、重要なヒントがそこにはいっぱい詰まっているように思いました。

そこで、両ご著書から私なりにランダムに引用させて頂いていますが、当然ながら、それでは意を尽くさない点も多いと思います。どうか実際に両書を手にとってご覧頂きければ幸いと思います。

労働者に一方的にしわ寄せされる高失業時代
問われないのか、企業の経営責任・社会的責任
・会社分割や合併、買収や倒産など、労働者は自分の会社にいつ何が起こるかわからない不安にかりたてられている。

・会社は存続しても、多くの会社が経営のスリム化に向けて、採算がとれない部門を切り捨てたり、営業を譲渡したり、賃金の安い海外に工場を移したりして、リストラを進めている。

・新規採用の中止、賃金カットやボーナスの削減、出向や転籍、希望退職の募集、解雇、仕事のパートやアルバイトへの置き換えが進む。

・02年の失業者は375万人、失業率は5・5%に達している。

・会社の経営者の経営責任や企業の社会的責任はほとんど問われないのに比して、労働者のほうは、労働者を守るべき労働組合が弱体で、そのうえ解雇制限法も、労働裁判所もない、という状況にある。

(「豊かさの条件・高失業率の時代」2〜4頁)

フリーターの実態、400万人を超えるという計算も
正社員への道閉ざされ将来の見取り図も描けず
・「失われた10年」以前には、日本で若者の失業はほとんどない、といわれていたのに、今日では、年齢別の完全失業率は、若者が最も高い。

・文科省の統計で00年、高卒の正規社員としての就職率は、就職を目的としている農・工・商・水産の高校で平均53%。同じく大学卒の就職率は、90年の81%がピークで、02年には56・9%に低下。

・就職できない若者はどうするか。正規社員として採用されなかった若者達は、生きていくためにフリーターとして働く。

・過労死するほど働かされて自由のない正規社員を嫌って、賃金は安くてもいいから、出世しなくてもいいからフリーターで、の新しい生き方の現れであり、自発的な選択だと言われてきた。

・しかし、それはバブルがはじける前までの、フリーターから正社員になることが可能な時代のことである。現在では、正規社員より劣位にある不安定な周辺労働力として、フリーター、パート階層は社会的下層に定着しつつある。

・多くの若者が就職のために、3〜4年の後にはその不安定さに気がついて、正規の職場に入りたいと焦りはじめても、失業率の高い現在、正社員になることはほとんど不可能。要するにフリーターとは、一種の形を変えた失業形態だ。

・「厚生労働白書 平成14年度版」は、フリーター数を193万人とする推計を紹介しているが、赤堀正成氏は、フリーターの実態は400万人を超えると計算している(「労働の科学」02年3月号)。

・フリーターになると、能力開発のための社内研修も受けられず、昇進もなく、身分不安定のまま単純労働に据えおかれる。つまり低賃金の新しい階層が作り出されつつある。

・働く若者の間に「会社が基幹社員として育成する人材」と「使い捨てのフリーター」という階層分化が進み、しかもその2極の間の階層移動はありえない、という決定的な社会格差ができつつある。

単純労働市場には、アジアの低賃金労働者がライバルとして控えている。経済産業省の調査によれば、02年3月末現在で、海外に現地法人を持つ日本企業の現地法人従業員は345万人。国内の失業者数に匹敵する。

フリーターになった若者たちの老後がどのようになるのか、不安定社会の将来に対する見取り図はなにもない。    

(「豊かさの条件・フリーターへの道」6〜14頁)

使い捨ての労働者多い方が企業には好条件
無力の労組、春闘も賃金カットで差し引きマイナスに
・コスト削減を狙う使用者にとっては、失業者がいて使い捨てできるパートがいることは好都合だ。労働条件がよくなってもいくらでも働きたい人がいるわけだから、賃金を下げ、労働組合の抵抗を無力化し、正社員をパートや派遣労働に置き換え、人件費を節約できるからだ。

・02年、春闘で、春闘相場をつくる自動車、造船重機のベースアップは日産以外すべてゼロ回答。一兆円の連結経常利益を上げ、内部保留7兆円を超えるトヨタも、また過去最高の利益をあげたホンダも、ベースアップゼロ回答に終った。日立製作所は、定期昇給分2%を回答した直後、5%の賃金カット、つまり、差し引き3%の賃下げを行ったが、電機業界では東芝を除き、妥結したその日のうちに賃金カットの再交渉が行なわれている。いすゞ自動車でも定昇を認めた直後に基準内賃金の7%カットが会社から提案された。

(「豊かさの条件・賃金カット」14〜15頁)



o-taroの日記

格差広げる競争万能社会に立ち向うには(24) 12:31
【その2】

2冊の本『豊かさの条件』と『働きすぎの時代』から
前回は、「豊かさの条件」(暉峻淑子教授著)から引用しましたが、今回は、「働きすぎの時代」(森岡考二教授著)から引用、紹介してみたいと思います。

このように、両書の関連するような部分をもとに、今後もしばらく交互に紹介してみたいと考えています。

過労死診断コンピュータに殺到したアクセス
・厚生労働省は、04年6月、「労働者の疲労蓄積度チェックリスト」を同省と中央労働災害防止協会のサイトに公表した。同リストは労働者用と家庭用の2種類ある(同書には票序1及び2で掲載されています)。

・これに先立ち、労働者用の試作版が03年6月23日に公開されたところ、その直後からアクセスが殺到し、一時はつながらない状態になった。同協会は100万件のアクセスがあればダウンするかもしれないと厚生労働省に説明していたという。『毎日新聞』は「過労死診断コンピュータ、働きすぎ? ダウン――厚労省HPにアクセス殺到」と報じ、「予想をはるかに超えた反響。過労問題にここまで関心が高まっているとは思わなかった」という厚生労働省のコメントを載せている(03年6月24日、夕刊)。

・(というのも、東京労働局が従業員300人以上の企業を対象に、02年度から健康管理に関する調査から)「04年度の調査結果(05年2月発表)によれば、回答企業1071社(回答率28%)のうち、『脳・心臓疾患の発症との関連性が強くなるとされる』過重労働(「月100時間または2〜6か月を平均して月80時間を超える時間外・休日労働」)があると答えた企業は全体の36%(382社)を占め、02年度の25%から、11ポイント増えている。今後、このような過重労働を行う可能性があると答えた企業(22%、238社)を含めると、04年度調査において過重労働に懸念を抱いている企業は全企業の58%(620社)にも達する」、という背景があるからでしょう。(「働きすぎの時代」2〜3頁)

労働者の悲鳴満ちる「労働基準オンブズマン」サイト
大阪過労死問題連絡会に寄せられた過酷な労働相談
・以下は、同オンブズマンサイトの簡易相談のページに書き込まれたなかからの紹介(「改行や表記を一部改めた」)、だというこです。

・来週10月10日で今年の仕事始めの日の1月5日からの連続無休出勤日数が280日になります。まだ、労働組合からも休むことについて、職場への是正連絡もしてくれません。どうすればいいでしょうか(大手電機会社従業員)。

・私はあるネットワークのIT系の企業に勤めているものです。大きな企業の下請けで、通信サービス機械の保守(維持管理故障対応)なのです。まず、24時間いつでも故障があれば呼ばれます。交代要員はほとんどおらずほとんど私1人の状態です。2週間の間に6度の深夜作業を強制され、そのうち2回は帰宅してからの呼び出しで拒否は許してくれませんでした。残業代は出ています(IT技術者)。

・先日、(過労自殺した夫の)メールをすべてプリントアウトしました。……ある日、社長からの叱責のメールが入っていました。家族としては、身も凍る思いのするメールでした。主人が自殺したのはその次の日でした。勤務時間に関しても資料をもとに計算してみたところ4〜8月まで、月平均76〜90時間残業をしています。100時間近い月もあります。ちなみに管理職だったので残業代は支給されていません。どうか知恵と勇気を授けてください(過労自殺した男性の妻)。

「契約社員もパートも働きすぎ」新聞読者投稿欄への投書
・契約社員として工場で働く息子は毎日、朝7時過ぎに出勤。帰宅は平均で午後11時ごろ、遅い時には午前1、2時にもなる。家では寝るだけ。過労で倒れないかと心配だ。正社員並に働いているのに、雇用保険や健康保険などの社会保険制度がない厳しい条件だ。/先日、電話でハローワークに相談した。職員は「制度を整えるよう勧告はできるが、誰が訴えてきたのかすぐ分かることを覚悟の上ならば」と言った。結局、会社に知られることを恐れ、自分の名前も会社名も言わずに電話を切った。/……国は保険料を上げる以前に、雇用の形態や期間にかかわらず、企業がきめ細かい社会保険制度を整備するよう対策を考え、早急に実行してほしい(03年5月30日、朝日新聞。54歳の主婦)。

・私は昼間スーパーで働いています。その職場が先日から24時間営業になりました。深夜勤務の求人広告を出す時点では、大学生が来てくれるだろうと思っていました。/けれどふたを開けてみると、応募はほとんど主婦でした。しかも、まだ乳児や幼児、小学生のいる同年代の主婦です。昼間は小さい子がいて働けない、という理由です。/ある人は深夜、子どもが寝静まった夜11時から早朝6時まで働いています。そのまま家に帰り、子どもと夫を起こして朝食を食べさせ、弁当を作り、学校や職場に送り出します。昼間、家事をこなす一方で、短い睡眠を取るそうです。/……現在のスーパーは、大みそかもお正月も眠らない。365日24時間、休むことはありません(04年6月19日、朝日新聞。パートの37歳主婦)。

・昨年暮の検査で大きな病気が発見され、今月初めから入院・手術ということになりました。/普段は会社中心で仕事に追われていましたが、病院ではきわめて規則正しい生活を送りました。……当初は不便さと退屈さに我慢ならず、かえってイライラが募りました。/しかし、慣れるに従って、これはなんとも平和で穏やかな生活リズムだろうか、と考え直しました。/しばしば時計を見る必要もなく、仕事の締め切りに焦ることもなく、満員電車での通勤もありません。身の回りの世話に訪れる妻とジックリ話し合う時間をとることもできました。/……病院に何週間かいる間に、何だか人間らしい時間を過ごせて、すがすがしい気分で我が家に戻ってきました(04年、3月21日、読売新聞。会社役員の54歳男性)。

・会社に勤めていたころ、修理サービス部門の責任者をしていたことがありました。毎日、お客さんから苦情やおしかりの電話を受け、飛んで行っては修理するのです。/会社にいるときだけでなく、家にまでお客さんや部下からの電話がかかってきます。それが夕食中だったり、休日だったり……。そのうち、寝ていても、クレームの電話がかかってくる夢を見るようになりました。/……ところが、そのうちポケットベルが出回り、休まることがまったくなくなってしまいました。そして、ポケットベルが携帯電話に替わり、便利になればなるほど、自由が奪われてしまうのです。/今はもう電話に悩まされるような生活はしていませんが、携帯電話を持とうとは思いません。なんだか電話に拘束されてしまうような気がするからです。便利って罪なものだとつくづく思います(04年4月11日、読売新聞。自営業65歳男性)。

(「働きすぎの時代」6〜10頁)



思ったこと、気がついたこと


2005年10月17日働く
この頃働くとか仕事とかの書籍が結構出ています。
時代が変わりましたからね〜。

で自分でも読んでみたく注目の本は
働きすぎの時代

買切りの岩波じゃなかったらおもいっきり仕掛けてみたい本ですねー。
サラリーマンが読んでいると思うんですが逆にこれから社会に出ると
思われる学生さんに読んでほしい本かな。
なんでもそうですがなんせ知っている知っていないじゃ、
もの凄く大きな差になる時代ですから。



「しんぶん赤旗」読書欄 2005年12月11日
「働きすぎの時代」  森岡孝二著 岩波書店・780円

                        川人 博・弁護士
                        過労死弁護団全国連絡会議幹事長

家庭も出先も職場≠ゥらの出口は

全国の弁護士、医師、職業病専門家などが連携して過労死110番の活動を始めてからもう十七年半になるが、今年もまた、相談電話が鳴りっばなしである。

二十一世紀に入ってからも、日本の職場は長時間残業が当たり前のように行われ、その結果、過労死、過労自殺があとをたたない。

本書は、今日の日本の働きすぎを高度資本主義の四つの特徴、すなわち、@グローバル資本主義 A情報栗本主義 B消費資本主義 Cフリタ一覧本主義との関係で分析している。

著者は、数多くの統計と外国文献によって、グローバリゼーションの進行の結果、以前から働きすぎの傾向にあった英米だけでなく、独仏など時短先進国でも労働時間が増大傾向にあると指摘している。この傾向を促進しているのが、新しい情報通信技術である。

本来は、技術の進化は、労働を軽減するか不要にする強力な手段でありながら、ビジネスの加速化、時間ベースの競争の激化、経済活動のボーダレス化・二十四時間化によって、一人当たりの仕事量を増やしている、と著者は強調する。

第二章のタイトル「家庭も出先も職場になった」は、多くの人が実感をもって受けとめるであろう。

本書の後半では、労働基準とライフスタイルについて考えることを通じて、働きすぎからの出口を探っている。沖縄に移住して、忙しい都会から離れ、自分の好きなことに時間を費やそうとする「ダウンシフティング」の流れも紹介されている。

他方、働きすぎがもたらす弊害について、過労死、うつ病、政治参加の困難、交通事故誘発など多面的に分析している。

本書を通じて、読者が時間をみずからのものに取り戻すきっかけを、つかんでほしいと思う。



『労働と健康』第192号 2005年11月1日発行
森岡孝二著「働きすぎの時代」(岩波新書)を読んで     細川 汀

労災職業病の原因と背景、その責任についてわが国の経済学者のおしごとと言えば、風早八十二「日本の労働災害」と藤本武「労働災害」をあげる。これらの名著によって社会科学の目を教えられたし、またこの二人の先生、とくに藤本先生にはながくおつきあいをいただいた。

今度、森岡先生(関西大学)の「働きすぎの時代」を読んで80年代から顕在化し90年代以降社会問題化した過労死・過労自殺についてとりくみ、経済学者としての分析と定義をされたことを心からよろこび、敬意を表する。著者は、90年代以降のすさまじいリストラとフリーター・アルバイトに悩む若い労働者の長時間労働や過大過重労働の実情を把握し、また労働者サークルでのゼミを通じて企業の体質や状況を探求し、さらに90年以降のショア「働きすぎのアメリカ人」やフレイザー「窒息するオフィス」などの翻訳を通じて、同時代の世界の経済や働くものの状況を知り、さらに大阪の過労死のとりくみやオンブズマン活動に協力されて、この本を書かれた(「あとがき」から)。関西大学の経済学部長のストレスのかかる重責にありながら、この問題によって起こってくる原因と背景を明らかにすることの今日的課題を正しく理解されていたからであろう。

著者は現代を「働きすぎの時代」ととらえ、その主要な背景を@「グローバル資本主義」A「情報資本主義」B「消費資本主義」C「フリーター資本主義」に求めている。すなわち、@ではグローバリゼーションによって世界中働きすぎになり労働時間競争が激しくなっていること、Aでは情報通信革命が仕事をふやし労働時間を長くしていること、Bではコンビニ24時間営業や宅配365日営業のような消費競争が雇用と労働を変えていること、C労働の規制緩和や労働法制の改悪、さらに労働時間規制をなくする方向が企業の要請であること、D労基法を無力化する36協定や、労使協調路線と「効率・能力主義」の労務管理が「働きすぎ」にとめどなくアクセルをかけること、である。これらのことは、この本を読む人は大抵思い当たるであろう。A労働時間が一日10時間、週50時間をこえれば健康で文化的な生活はできようがない。現代の労働状況では満足な家庭での食事や睡眠、休養や休日(連続した)はとりようがない。外国のように近所の人と毎晩食事をしたり、ボランティアの社会活動に参加できない。働きすぎは過労死やうつをおこすだけでなく、JR西日本のような大事故や運転手のいねむり事故の誘因になる。

著者は、今までかかわった多くの事例を検討して「労働時間を短縮し、過重労働をなくすために一働きすぎ防止の検討と対策」を終章としている。すなわち(T)労働者(V)労働組合(V)企業は何をなすべきか、と(W)法律制度はどう改めるべきか、の4セクションに分け、各々に6〜11項目の提案をしている。たとえば、(V)の「企業は何をなすべきか」では労働者の家庭生活や社会参加に留意した時短、仕事量に応じた要員計画と配置、恒常的残業依存やサービス残業・休日労働はさせない、年休の完全取得をとりやすく、健康障害の防止、海外でILO基準を守る、をあげている。しかしこの項目の提案については、過労死(自殺)問題にとりくんだ人からは色々な意見があるだろう。私なら、(T)労働者のところでは、一番自分の体調を知っているカーチャンが今日は休めと言ったら勤めに行かない、同僚がどこか悪いのではないかと言われたら休んで医者へ行く、カレンダーに出勤・退勤・もちかえり・休憩・睡眠・事件・主計を毎日書く、体調がわるかったり、ブレーキのきかない人がいれば声をかけてあげる、職場に人権と健康を守る会を作り、学習する、無茶なことを言う職制を孤立させる、を加えたい。また、(V)労働組合のところでは、毎月職場の率直な声を聞き現場をチェックする、労働安全衛生委員を職場からえらび事故原因の調査、健診成績の検討、現場のパトロールの結果を全員に公表する、職場に毎日の作業者数・目標作業量・コンベア速度を明示させる。「頑張れ、勝て、走れ」というようなスローガンをやめさせる、ことを追加する。

何よりも、この本の趣旨から言えば、外国の労働者との交流と学習、子供に親の仕事場を見せる、家事・育児・近所づきあいの家族分担を決めて実施する、借金をしない、ローンは早くかえす、衝動買いやヤケ食い、となりが買ったからと言って買わない、10時以降のテレビはみない(やめさせる)、人間をモノ扱いにしない、職場の不法・いじめ・パワハラ・セクハラは許さない、チェック要求づくり、たたかう労働組合をつくる、労働者の組織率を西欧なみにする、労働条件(IT夜間労働・有害物・石綿など)の産業衛生学会勧告やILO基準を守る(協約や法令で)、過労死(自殺)の原因調査機関(専門研究者監督官などで)をつくる、過労死裁判や労基署調査に関する情報公開、この間題についての海外を含めての学際的交流や研究者・被災者、家族(会)の交流と運動、国と事業者の法的社会的責任と労働組合のモラルの自覚と反省、などが記されれば、本としての一貫したつながりができたであろうと惜しまれる。



白夢の徒然なる日記

労働問題 働きすぎの時代

作者: 森岡孝二
出版社/メーカー: 岩波書店
発売日: 2005/08
メディア: 新書
大雑把に言えば、ここ10年で労働時間が先進国で増加してきていることの警鐘。日本はもちろん、労働時間がきちんとしていると思われるアメリカやイギリスなどでも、実はホワイトカラーを中心に凄まじい過重労働が行われている実態を示す。その原因として、高度資本主義の四つの特徴をあげている。それぞれの特徴を中心に章立てしているので、特徴については後回し。

○1章

1章では「グローバル資本主義」について。グローバリゼーションが進む中で、世界的に途上国を巻き込んで競争が激しくなり、先進国ではかつてないリストラと産業再編の大波が起きている。その中で、労働者は賃金の引き下げと労働時間の延長を迫られている。

かつては労働生産性が増すにつれて、当然労働時間は減るものと考えられていた。80年代末では40年代末の約2倍の生産性があるから、30年代40年代の学者たちは、90年代には週休3日、週22時間労働、年6ヶ月労働などになると論じていた。あの経済学者ケインズも、将来は余暇の時間が大幅に増えて、人々は退屈に悩まされるだろうと記している。しかし、現実は逆だった。80年代に流れが変わり、90年代には人々の間で働きすぎが大きな話題になっていった。最近ではkaroushi(過労死)がオックスフォード英和辞典に新しく加わるほど、世界中でこの問題が表面化してきている。

グローバル資本主義の中では、株主が必要以上に重視される。その結果、株式市場における評価が重要になり、企業は長期的な安定よりもむしろ短期的利潤を追求することを余儀なくされる。そのために、人員を極力削減して今いる人員に過重労働をさせる圧力が高まる。

○2章

2章では「情報資本主義」について。インターネットや携帯に代表される情報通信技術の変化が、ほとんどすべての産業において時間ベースの競争を強め、仕事のスピードを速め、仕事量を増やしている。また、それら情報ツールは、仕事の時間と個人の時間の境界を曖昧にし、仕事がどこまでも追いかけてくる状態を作り出している。そればかりか情報通信技術は、多くの部面で労働を単純化し、正規雇用の多くを非正規雇用に置き換えることを可能にし、雇用を不安定にしている。

日本では、派遣労働者と個人請負労働者が急速に増えている。1994年度に58万だった派遣労働者は、2005年では236万人になっている。これはあくまで把握できている数だから、実際の数字ははるかに多いと考えられている。これらのほとんどは、不安定で低賃金である。

そして、家庭でも出先でも労働を強要されるようになる。ビジネスの「トゥエンティフォー・セブン(二十四時間週七日体制)」という言葉が印象的だ。

疲れた……。残りは明日。



白夢の徒然なる日記


労働問題 働きすぎの時代
働きすぎの時代

作者: 森岡孝二
出版社/メーカー: 岩波書店
発売日: 2005/08
メディア: 新書

○3章

3章では「消費資本主義」について。これは、人々が絶えず拡大する消費欲求を満たすためにも、より多くの収入を得ようとして、より長くよりハードに働く傾向があるということ。それと共にコンビニや宅配便に象徴される、利便性を追及するサービス経済の発展は、情報化の進展とあいまって消費者の需要構造を変化させ、経済活動の二十四時間化をもたらし、働きすぎの新しい要因を作り出している。

『勝者の代償―ニューエコノミーの深淵と未来』にて、「我々が収入のために働くことが、我々を豊かにさせるのであれば、どうして我々の個人的な生活は貧しくなってしまうのか」という問いの答えとして「買い手としての私たちにとって、より良い製品やサービスを求める選択が簡単になればなるほど、売り手としての私たちは消費者をつなぎとめ、顧客を維持し、機会をとらえ、契約を取るために、ますます激しく闘わなければならなくなる。この結果、私たちの生活はますます狂乱状態となる」とある。まさにその通りなんだよなー。

ニュー・エコノミーでは、人々はより利便性を求める。そうした消費行動の変化の結果、労働生活も変わる。コンビニに負けないためにスーパーの営業時間はヘタしたら同じ二十四時間になり、長距離運転トラックは一秒でも早く商品を配送するために超長時間労働をする。そしてついには、今年四月に起きたJR福知山線の脱線事故のような、利益を最優先させたために起きる事故も出てきた。トラックの事故だって毎日のように起きているわけで。

○4章

4章では筆者の造語である「フリーター資本主義」について。日本では80年代の初めから、労働分野の規制緩和と労働市場の流動化が進められ、若年フリーターだけでなく、中高年も含めて、アルバイト、パート、派遣などの非正規労働者が増加してきた。その結果、雇用形態が多様化するとともに労働時間が二極化している。週三十五時間未満の短時間労働者が増える一方で、絞り込まれた正規労働者のあいだで週六十時間以上働く長時間労働者が増え、三十代の男性を中心に正社員の働きすぎが強まっている。

日本経団連は「仕事の成果が必ずしも労働時間に比例しない働き方が増大している現在では、規制緩和の方向での裁量労働制の大幅な見直しや、一定の限られた労働者以外のホワイトカラーを原則として労働時間規制の適用除外とする制度(ホワイトカラー・エグゼンプション制)の導入など、労働時間の抜本的改正が望まれる」と要求している。これはいわゆるサービス残業を合法化するシステムだ。使用者は残業手当の支払い義務を免除されることになり、大手を振ってただで労働者をこき使えるようになる。これまでの残業手当がなくなる分だけ賃金が少なくなり、今でさえ長い労働時間はさらに長くなることは間違いない。

ILO(国際労働機関)の基礎となっている第一の根本原則は「労働は商品でない」というものだが、市場個人主義者はその意見を退け、今では日本は人材ビジネス、いわゆる派遣業や業務請負業の規制緩和が大幅に進み、労働は商品とされている。ピンハネするだけでえらく儲かるわけだからやめられないわな、そりゃ。これで先進国だから笑える。

企業は正社員を次々と非正規雇用に置き換える動きを進めているから始末に終えない。時給750円のバイトにも責任を持たせる。現場のリーダーにして普通のバイト以上に過重な負担をさせても時給は変わらない。日本の最低賃金はかなり低い上に、物価は世界一高いからますます始末に終えない。あのアマゾンだと、アメリカでは時給1000円超えるけど、日本では850円。非正規雇用者は独立して生活するだけでも非常に苦しい現状。病気になったらそれこそホームレスに転落するのではないだろうか。生活保護はなかなか認められないし。

○5章

5章では労働基準とライフスタイルについて。ヨーロッパと日本の働き方の差を端的に示しているのが年次有給休暇。ヨーロッパでは、法律や労働基準によって年間で20日から30日の有給休暇が付与され、2〜3週間以上の連続休暇を年に二回程度取得するのが一般的。日本では、有職者のうち1年間に2週間以上の連続休暇を取得した者はわずか3.5%。全体の4割は4日以上1週間未満しか取れず、3割は4日以上の連続休暇は一度もない。

30年以上前に発効したILO132号条約では、病欠は年休に含めてはならず、休暇は最低3週間以上、うち最低2週間は連続休暇でなければならないとされている。しかし、日本ではこれに対応する国内法が整備されていないからいまだに批准できないでいる。ILO条約の中で日本が批准しているのは全体の四分の一にすぎず、労働時間に関するILO条約は実に一つも批准していない。

日本では労働基準法はザル法だし、そもそも労働基準法で36条による協定(いわゆるサブロク協定)を結べば週40時間という法定労働時間を無視することができる。つーかもう、暗い話しかないよ。

○終章

で、終章で働きすぎの時代にブレーキをかけるための提言がいくつもされているけど、筆者自身が認めるように「以上の指針や対策は、きわめて当たり前と思われるものも含め、どれをとってもその実行や実現には様々な困難が伴うことが予想される」としている。ただ「しかし、多くの人々が声を上げるようになれば制度は変わり始める。そしていったん問題が煮詰まり制度が変わり始めると、昨日までは困難に思われたことが可能になる条件が生まれてくるものである」とも記している。

そうなんだよね、最初から諦めたらそこでゲームオーバーなわけで。とりあえず、今は衆院選挙で少しでも。比例は共産、選挙区は自民の対抗馬に投票することにするよ。とりあえず、年収700万円未満で自民に投票するのは自分で自分の首を絞めている。とにもかくにも、自分の生活が壊れたら外交とか憲法とか言ってられないし。

とにもかくにも、この本は色々と身につまされる話でした。これから働かなければならない年齢になる人も一度は読んでおくといいです。



昼寝とお茶の 仙人文庫

岩波新書で『働きすぎの時代」という本を読みました。

  1960年代に、まじめに40年後の「退屈」を議論したそうです。
  科学技術の進歩で、2000年には労働時間が4時間ぐらいになる。
  そうなると、人々は余暇がありすぎて「退屈」で困るだろう、
  その時どんな生き方をすればいいかを、真剣に話し合ったというのです。
  2000年を生きる私たちにとって
  1960年代という時代が、黄金のように輝いて見えます。

  便利になって苦しい労働から解放してくれると思っていた科学技術が
  人間をよりいっそう忙しく、あわただしく、狂わせていきます。
  速すぎる動きを「シフトダウン」する。
  これが出来ないのですね人間は。
  このことが出来なければ、人間は滅ぶのでしょうが
  それがわかっていて、出来ないのでしょうね。

  働かない仙人が、「働きすぎの時代」などと言うな!と言われそうですが
  「シフトダウン」しませんか。このパソコンを消して。



Yama's Blog

2005.09.11
まだ迷っているあなたへ
いよいよ「時がきた」である。

各社予想どおり、自民党の圧勝に終わる公算大である。しかしながらこれでいいのか?

オススメ本に「働きすぎの時代」という本を登録した。

本によると、現在、労働を取り巻く環境に変化が生じているという。これまで労働という分野には、国の関与が濃厚であった。実際は、規制(法)と労働の現場とのギャップが指摘され、機能していない面も多々あるのだが、少なくとも労働者の権利や健康状態などは、国の規制の下にあったと言ってよい。

しかしながら昨今、経済団体や規制緩和論者から労働に関する規制の見直し要求が相次いでいるという。経済活動を阻害する傾向にある国の関与をできるだけはずし、企業の活力を引き出すという狙いがある。とりわけ多様な労働スタイルに応じて、労働時間の多様化・自由化をはかるべきであるという主張が台頭している。

1日8時間労働という規制を撤廃して、個人個人によって「何時間でも自由に働けるようにすべき」という主張。これは明らかに「働きすぎ」の現状をさらに助長してしまう主張である。

小泉政権が圧勝した場合、規制緩和の動きはますます加速化すると思われる。労働の分野においてもこうした流れが加速化する。労働者のみなさん、考えてください。とりわけ企業で過重労働を強いられている30・40代のみなさん、労働強化の流れでいいんですか?

街頭演説で「純ちゃ〜ん」と声援を送る専業主婦のおばさんたちよ(たぶんこんなブログなんか見やしないだろうが)、あなたがたの選択が30・40代の労働者を「過労死」させてしまうのだ。そのことを認識してほしい。



みーちぇのつれづれ

2005.12.01
多様な働き方 [ 仕事 ]
最近、よく見る『多様な働き方』という言葉。
確かに、いろいろ選択できるようにはなってきたと思う。
でも、本当にそうなのだろうか。

階層化、二極化が進んでいるのは、最近の本をみても明らかなようだし
正社員で30代の労働時間は以前よりも増えている。
周りをみても、パートナーが午前様っていうのは、結構多い。
そして、30過ぎた自分をみると、仕事としては、契約、派遣、パートな
仕事での募集は多いけど、正社員として働きたくても
求人がなかなかない。
時間の制約を考えたら、パートしかできない。っていうケースも多い。
多様な働き方は、女性が正社員で男性並みに働くか、子育て期間は
シフトダウンして、正社員で時短か、パートか。の選択になっている。
男性が働き方を選択する、っていうのが少ないのではないかと思う。

男性は、家族を支えていく存在で、一家の生活がかかっているから
そう簡単にシフトダウンできないのが現実なのかも。


日本では、長く働く=会社に貢献している良い社員 という考えが
まだまだあるように思う。
お先に、がなかなかいえないとか、上司が帰るまで帰れないとか
なんだか、馬鹿らしい。


4つ葉プロジェクトの杉山さんが
今日のブログで書いていらっしゃいますが
もう、個人努力の問題ではない、って本当に思う。

企業、経営者は、真に働きやすい職場を作るよう、働きかけるべきだし
それを従業員に浸透させる必要がある。
それには、株主だけを見ている経営ではなく、すべての利害関係者を
ステークホルダーと捉えていくCSRが基本となる。

先月の本の
『働きすぎの時代』と『豊かさの条件』は、ちょうどいろいろ考えていたことと一致していて、良いタイミングで読めた。
もう一度、読んで、更に考えていきたいと思う。



F's function

2005年08月29日(月) 22時34分18秒
『働きすぎの時代』 森岡孝二/岩波新書
テーマ:書評(学問・文学・社会)
 現代は世界中で労働時間が増加傾向にあるそうで、特にホワイトカラーにおいてその傾向は著しいということである。なぜかといえば、情報通信が高度に発達したためである、という非常に紋切り型の回答になってしまうわけですが、それでもなるほどなぁ、とうなずける部分は本書には多々あります。

 『生産性が上昇すると、人々の労働時間が増える』という、パラドキシカルなフレーズが当てはまる時代が少なくとも今までには2回あったそうである。ひとつは、産業革命時。工業用機械はそれまでの熟練工の手仕事に比べて、飛躍的に生産性を上昇させた。熟練工はその職を奪われてしまうが、そうではない非熟練の機械工は、過酷な労働環境の中、長時間労働を強いられたのである。

 もうひとつは、まさに現代のいわゆるインターネット革命時。10年前、15年前に比べて、情報伝達の速度・精度が飛躍的に高まった。しかしそのために、常に”繋がっている”状態、常に”競争している”状態に労働環境が変化し、労働時間は増加してきている。


 1930年に、経済学者のケインズは未来に関して、『100年後には、われわれは週15時間程度だけ働くようになっているはずだ』と予言したそうである。


 しかし現実はそうなっておらず、おそらく今後もそうることはなさそうである。なぜ労働時間は短くならないのか、というと、おそらくそれは人々の飽くなき(消費)欲求のためであるといえる。質のいいものをより早く、より安く、であったり、自己顕示欲であったり。


 それじゃあ、社会主義的な計画経済にするか、といえばとても無理なわけで、なんだかんだ言っても現在の資本主義の枠組みから外れるようなことはするつもりはないのである。働きたくても仕事のない人はいっぱいいる。働いてみたら、とんでもない長時間労働をさせられる人もいる。欲望のおもむくままにいると、そのしわ寄せが働く人にくるのは、歴史から得た教訓である。だから、多少なりとも、過当競争を規制する仕組みを残しておかないといけない。


 競争がいけないというのではなく、競争の果てに死んでしまうような状況がいけないのである。過労死という言葉は、英語でも「Karoshi」として認知されていると本書にはある。世界中で、文字通り、”命を削りながら”働いている人がたくさんいるのである。そう考えると、僕はまだまだ削り具合が足らないといえる。



F's function

働きすぎの時代(続き)

2005年09月04日(日) 00時45分29秒
2005/9/4(酒と女とゲームとゴルフ)
テーマ:ブログ

 今日は久しぶりに、知人の方々に無理を言って、ゴルフの打ちっ放しに行ってきました。計150球、黙々と打ち込んで、精進いたしております。現在150ぐらいであるスコアを、なんとかして110台までアップさせたい。それが現在の目標です。

 いっしょに練習した他の方々は、僕より2つ年上で、みな30歳である。30代の入り口を突き進もうとしている諸先輩方であり、いわゆる人生において(ちょっと大くくりな言い方だけど、)いろいろと参考になる事例を豊富に経験されているわけです。

 妻帯者の方が2人いた。一人の方の奥さんは妊娠中だということで、非常にめでたいのであるが、しかしどうもこの若ダンナは溜まっちゃってどうしようもないのだという。まぁ要するにムラムラしていると。困ったもんです。

 いやしかし、もっぱら男性サイドの意見しか聞いていないものの、結婚生活はイイ面ばかりではないようである(決して、結婚はダメだ、と言いたいわけではありません。むしろその逆です)。同級生の中にも、既婚者はいるが、奥方の妊娠中は彼も同じ不満を持っていたようだ。ニッポンのお父さんは、局所のマグマが煮えたぎっているのである。

 だが、何も”マグマ”だけではない。世の中の30代の男性は、週に50〜70時間もの仕事をしていると前述の『働きすぎの時代』 にはあった。働く男性は、相当に消耗している。アタマは睡眠不足、目は眼精疲労、肩はこる、下半身は煮えたぎるマグマ…、とストレスがあちこちに拡散しているのかもしれない。

 働きすぎで鬱になった人も、何人か知っている。ある人は体調不良で会社を休んでいる期間、実家に戻ってテレビゲームをやりまくっていたのだとか。そういう心のケアの方法もあるのです。

 もちろん諸悪の根源を「働きすぎ」に求めてしまうのは、いささか短絡的すぎるかもしれない。結婚という大きな環境の変化が影響しているのかもしれないし、そもそも本人の性格も大きいであろう。男性側のグチばかり聞いているが、これを見た女性の方々は「冗談じゃないわよ!」と文句のひとつも言いたくなるのかもしれない。

 ともかく、何か、ストレスを緩和できる何かをこういった人たちに提供・提案できればなぁと思います。精神論ではない精神面のケアが必要なのである。いろいろと話を聞くと、30代男性に一番ニーズがあるのが、やはりその”ムラムラ”の部分の解消なんですが、僕が個人的に尽くすというわけには、そっち方面の趣味がない限り無理であるので、困っております。

 でもわかります。こんな相談、とてもではないが女性にはできないですもの。「とりあえず、何とかしよう」という方向性を確認し、今日の会合は終了した。  



浅野誠 生活指導・生き方教育のページ

生き方

森岡孝二「働きすぎの時代」(岩波新書)を読む(10月29日)

 今日の日本における働きすぎ状況を、「世界に広がる働きすぎ−−グローバル資本主義の逆流」「家庭も出先も職場になった−−情報資本主義の衝撃」「消費が変える雇用と労働−−消費資本主義の罠」「労働の規制緩和と二極分化−−フリーター資本主義の大波」の四つの視点から分析している。

 私の関心事・主張事と共通することが多く、学ぶこと大の本であった。とくに過剰消費状況の指摘、労働時間の二極化の指摘、スローライフ・ダウンシフトの提起などは興味深かった。そのなかでも、小貫雅雄さんがモンゴルに示唆を受けて提起している「菜園家族レボリューション」構想の紹介は興味深い。週二日を従来型の資本主義セクターないしは公共セクターで働き、他の五日は菜園ないしは自営の仕事にたずさわるというのである。今日の時代では、すべてスローライフだけではうまくいかず、ファーストライフとつきあわざるをえない局面が多い。その意味では、ファーストライフに「専念」する人と、スローライフに「専念」する人に二分化するのではなく、一人の人が双方をもつ、という発想は興味深い。 

 また、スローライフのために沖縄移住をする人々の激増も記述されている。こんな話を読むと、まさに私自身の話だ、と感じる。このごろの私は、非常勤講師の授業と、各地でおこなう講演・ワークショップが、週あたりに換算すると2〜3日で、自宅での菜園・庭仕事と執筆・読書生活が4〜5日であるから、まさに「菜園レボリューション」的生活であるし、沖縄移住者なのである。

 ところで、このところの働きすぎは、「身体」の問題として表現されることが一般的である。身体が働きすぎを拒否し、鬱・自殺を含めて多様な心身の病の形で表現している。そうした状態に陥る原因として、冒頭の四つの視点にかかわることがある。その意味では、心身の病は、個人の問題ではなく社会の問題であり政治の問題である。にもかかわらず、そこにひらいていかない状況がある。政治の世界では、そのことがイッシューにならず、「保守二大政党」は、むしろ上記の四つの視点をいかにおしすすめるかを競い合っているという感じさえする。しかも、人々はその二つをいかに選ぶかという選択肢のなかで、政治を考えるというのが一般的ですらある。個人の問題から出発し、かつ政治を人々の共同の形で創造していくという形へと展開していっていないのである。

 そうした状況があらわれた時代として歴史的にみると、1930〜40年代がある。また、高度経済成長期にもそれに近い状態がみられた。こうした状況とは異なる状況がいかに開かれてくるか、そこに関心をむけて考えたい。



白夢の徒然なる日記

労働問題
働きすぎの時代

作者: 森岡孝二
出版社/メーカー: 岩波書店
発売日: 2005/08
メディア: 新書

こんなの買ってみた。要は行き過ぎた資本主義と通信伝達手段の発達が、労働者の時間を縛り労働時間を増やしていくことになったという話。日本の三十代の平均労働時間は週50時間、4人に1人は週60時間以上働いているというのが2004年度の調べ。週60時間弱働いている身としては、他人事ではない。

内容としては、労働問題に少しでも興味を持っている人にとっては特に真新しいことはない。ただし、こうして一冊の本としてきちんとまとめられている点は大きい。昨今の日本において、財界の意向でさらに労働者の搾取が進んでいることの証明となる幾つかの法案を紹介したりもしている。もちろん、派遣に関する規制緩和が何をもたらしたかということも。

僕としては、よくアメリカやヨーロッパでも最近労働過密が大きな問題となっている話は聞いたことあるけど、この本で初めてそれらのソースとか内容とかを把握することができたのが大きかったかな。まあとにかく、仕事に殺されそうな気はたまにするね。でも、今の職やめたら潰しのきかない業界だから再就職できないと思うし。結局働かねばならんわけで。そして、本当に大きな問題だと思うのに選挙の争点にならない悲しい現実。郵政なんてどうでもいいよ。ぶっちゃけ、外交問題だってどうでもいい。自分の身の方が大切なわけで。

労働基準法の週40時間までってのは、それ以上働かせるのは非人間的だという意味合いもあるんだよね。つまりこれ以上働かせてはいけないという意味。でも、36協定で無意味にされ、今は普通のホワイトカラーにも管理職のように残業代を出さないでOKという法案が経団連の意向で通されようとしているし。まあ、搾取される側ではなく搾取する側に回れということなわけで。ホリエモンは非常に賢い、その意味では。



遠州ネット

[読書] 18:52
働きすぎの時代

作者: 森岡孝二
出版社/メーカー: 岩波書店
発売日: 2005/08
メディア: 新書

働きすぎ、っていうか僕はまあ働いてなさすぎなんですが。でもそれも同年代とか、他の人とかに比してってだけだから、それでも働きすぎではあると思う。本来週3日も働きゃ十分だろ。って気分になりました。

働きすぎは労働力のフレキシブル化に応じて起こる。ような気がした。労働者に自由な選択を!つって働く時間を多くも少なくも早くも遅くもできるようにすれば、自然と多く、早く〜遅くなる。横には働く他者が居ますからね。

オランダ・モデル、という話が出ていて、オランダではパートだろうが正社員だろうが(フルタイムでもパートタイムでも)、時間当たりの賃金年金保険社会保障雇用期間昇進などの労働条件に差をつけることを禁じ、フルタイム⇔パートタイムの移行を保障した。それが効果を発揮して、男女間の性別格差が解消し、労働時間は減少した*1。

結局は制度の問題も大きいんだろうなあ。

(あとで本を探して「ない」と困らないように自分用メモ:図書館で借りた)

*1:日本の女性は労働時間と家事時間の合計が他の国に比してかなり多い。もちろん男性より断然多い



オリーブの牧杖

宅配便にふと思う 00:32
森岡孝二『働きすぎの時代』P.103より。

私が日曜の未明にアマゾンに注文したら翌月曜の午前中に家に届いた本の送り元は千葉県市川市であった。そこから送り先の大阪府高槻市までは優に六〇〇キロはある。宅配便の運転手が平均八〇キロで休まず乗務しても七時間以上かかるこの距離をどのように走ってきたのかは定かでない。ただ、明らかなことは、物流センターのノルマで縛られたアルバイト労働とともに、道路貨物運送業の長時間過密労働がなければ、注文した日の翌日に配達されるこのシステムは成立しないことである。

ネットショッピングとはちがうが、深夜1時にチャイムが鳴り宅配便の荷物が届いたことがあった。このおじさんの勤務体系ってどうなっているのかと他人事ながら心配になった。時間帯指定とか利用者としては便利だけど働く側としてはどうなのか。

本書によると、男性の道路貨物運送従事者のうち、宅配便の受け渡しをする労働者がふくまれる販売従事者だけをとると年平均にすればその労働時間は約2900時間におよぶとのこと。年2900時間というのは、全産業平均1700時間とすると、一日の残業時間が5時間にもなる計算。本書ではこれは過労死ラインを超えるものであるとしている。

[コメント]
# dahlie 『運送業界の競争が激化して、「より速く、ヨソよりも速く」ってのが求められてるんでしょうか。それにしても、深夜1時って凄すぎ。』

# yodaka 『タクシー業界もそうですけど、規制緩和による競争の激化という側面もあるようです。夜1時ですけど、これは僕の荷物ではなかったんですが、夜10時〜12時の時間帯指定をしていたんですね。それで少し遅れて1時に届いたと。これそもそも、こんな夜中に時間帯指定できてしまうことが何か怖いなと。最近は元旦でも店を開けるスーパーなどが増えてきましたが、働く側から見ればほんの少しの利便性のために、多くの時間が私生活と分断され犠牲にされてしまうわけです。』



オリーブの牧杖

労働系の本 02:40
労働問題系の本を立て続けに3冊読んだ。自らをも厳しく問う存在論としての『フリーターにとって「自由」とは何か』(杉田俊介)、高度資本主義が生み出す働きすぎと労働時間の二極化を取り上げた『働きすぎの時代』(森岡孝二)、マクロ的に労働状況を捉え、労働の公平性を問う『働くということ - グローバル化と労働の新しい意味』(ロナルド・ドーア)。いずれも良書。とりあえず正規雇用者と非正規雇用者との間に単純な(もしくは偽の)対立点は引けないよなあ。



他山の石 書評雑記

[雑記][書籍]最近買った本
・森岡孝二『働きすぎの時代』(岩波新書)ISBN:4004309638

労働時間の長期化とその解決を訴える。「働きすぎ」の社会に生きる私たちは幸せなのだろうか。仕事があって働きすぎず適度に趣味を楽しむような生き方ができればいいが、そういう生き方は難しいのだろうか。その種の生き方を記事にしてみたい。



ただ今評論家修行中

『働きすぎの時代』 20:34

作者: 森岡孝二
出版社/メーカー: 岩波書店
発売日: 2005/08
メディア: 新書


過労死、正規常用代替に伴う正社員の仕事量の増加。
現代社会の労働問題を「働きすぎ」という問題に絞って
書かれた本。
少し気になったのは、「学生も働きすぎ」という項目。
学生は学生でも、もう少し質問の範囲を
拡すると、また別の結果が出てくるんじゃないでしょうか。
大学生のアルバイト調査ををご専門のひとつとされている
この森岡氏、せっかくだから宮本みち子氏が仰っている、
「学生バイトがフリーター、パートの仕事を奪う」
という側面にも少し言及してほしかったです。


以下、最近着目している項目

★一時期に比べて日本における労働時間は年間で平均およそ200時間ほど
減ったのだが、実はサービス残業の総時間にはあまり変化が見られない。
実は正当に賃金が支給される時間だけが減ってしまったのです、というお話。



「自己不満足な毎日」を生きる!


2005-11-16 働きすぎとスローライフ
働きすぎの時代

作者: 森岡孝二
出版社/メーカー: 岩波書店
発売日: 2005/08
メディア: 新書

スロー・イズ・ビューティフル―遅さとしての文化

作者: 辻信一
出版社/メーカー: 平凡社
発売日: 2001/09
メディア: 単行本

このふたつの本、分野は違いますがおもいっきり正反対な内容です。
上の本は働きすぎの現状をこれでもかと紹介しており、読んでいてどんどん気落ちしてきます。
もはや病理的な現象ですな。
労働版「日本沈没」と言いたくなるほど、日本の未来は危うい。
下の本はまだ途中までしか読んでませんが、およそ働きすぎな人々から見ればちゃんちゃらおかしいと鼻息で飛ばされてしまいそうな内容かもしれない。
そんなこと実践している暇なんかねー、って・・・。
とはいえ、アクションを起こさない限り、現状はなにも変わりません。
自分で変わろうとすること、自分で変えようとすること、これが最善の方法。
(注:あっしは自己責任論を賛美する人間ではありません!)



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[book]働きすぎの時代 05/11/28 22:36
働きすぎの時代

作者: 森岡孝二
出版社/メーカー: 岩波書店
発売日: 2005/08
メディア: 新書
ものすごい目新しいことが書いてあるわけではないけれど、フリーター資本主義という著者の造語が今確かに問題ではあると思う。要するに非正規労働者が基幹労働力にまで増大した資本主義のことらしい。非正規労働者ばかりを増やして人件費を下げるという企業のやり方は、長い目で見れば絶対に産業全体を損なうものになると思う。非正規じゃすぐ辞めてしまうし、教育をするにも限界がある。大体そんな不安定な雇用の人ばかりが増えている社会が健全なわけがない。

日本では過労死する人が増えているが、アメリカとイギリスでも似たような状況になっているようだ。情報化によっていつでもどこでも仕事の連絡に追われることで気の休まる暇もない。私だったらそんなの絶対嫌だけど、それは企業の側で対策を打っていくしかないんだろうとは思う。

しかし消費資本主義の面では、24時間営業のコンビニやスーパー、翌日配達の宅急便が労働時間の増加につながっているというのはわかるが消費願望の高まりでというのはケチな私にはどうも。消費する暇もないほど働いてブランド物なんかを買いたいと思うだろうか。まぁ子どもの教育費とか色々あげられているが、そういう人が多いのも事実だろうけど私はそうは思わない。でもインターネットやグローバル化など、暮らしが便利になることで逆に労働時間が増えて忙しい生活をするはめになるというのは反省しなければいけない点だと思った。アマゾンの裏話なんて、うわーなんか今後かわいそうで頼みづらいよとか思うくらいだし。便利には誰かの搾取がつき物ということなんだろうか。

ホワイトカラー・エグゼンプションというホワイトカラーの労働時間規制を廃止するという案が出ているらしいが、そんなの冗談じゃない!大体今の裁量労働制でも私はおかしいと思う。なんだかタダで残業させるためだけにあるような法律な気がしてならないんだよな。ホワイトカラー全体が労働時間の規制になじまないなんてそういう問題じゃないだろう。なじまないからといって過労死するまで働かせたり残業をタダでやらなきゃいけないなんてどう考えても間違ってる。誠実さのかけらもない。36協定が法定労働時間をざるにしているという著者の指摘ももっともだ。労働法のレポートでも書いたけれど、女性の残業一日二時間までというのは男女平等で撤廃するのではなくて男性にまで広げるべきだったと思う。みんなが疲弊してそんなんで景気なんかよくなるんだろうか。36協定の文書が載っているが、こんなの本当にありえない。なにをどうしたら年間1000時間まで時間外労働させられるというのか。本当に信じられない。なんのために労働基準監督署があるんだ。社労士の勉強で条文を見ていると、いかにも労働基準監督とか行政はしっかり違反に対しては勧告して労働者を保護してくれるものだと思えるのだけれどそうではないのだろうか。

とにかく日本は変なところまでアメリカ流のグローバルスタンダードを目指さなくていいから、ILO条約で批准していない肝心なものを批准できるように法律を改正するべきだ。低成長時代にこんなこといつまでも続けていくのは労働者にとっても社会にとってもよいことなんかではないに決まっているのだから。



すばらしい新世界

[仕事] 01:20

働きすぎの時代

作者: 森岡孝二
出版社/メーカー: 岩波書店
発売日: 2005/08
メディア: 新書
働きすぎる前に、そもそも働いてないわたし、どうなんでしょう・・・。エントリーシート応募するまえに、労働とは何かと根本から始めないと気がすまないわたし、どうなんでしょう・・・。それはそれでいい経験なのだよ、という複数の友の声がこだまします。でももう10月だよー。

この本の中に、働きすぎる人たちの悲痛な声がたくさん収録されていますが、中でも世界貿易センターにテロがあったとき、場内アナウンスで「従業員は仕事に戻れ」と放送されていたという恐ろしい事実を知った。労基法で定められている40時間労働を、なぜ超過しても許されるのかという、長年の疑問が解決もした。長時間労働せざるをえない理由がミクロ的にもマクロ的にも絡まりあっていることも、よーくわかった。

わかったはいいが、かえって悩むだけだった。



団塊世代の挑戦 2005

働きすぎの時代 / 晴耕雨読
本 > 読書
働きすぎの時代 読了  2005年12月6日(火) (64冊目/50冊/年)

森岡孝ニ著 岩波新書 2005年8月19日発行

 この本についてコラムを書きました。

 ここ二〇年世界は時短から働きすぎにベクトルが向いているという問題意識から、人間的発達の原点にかえり労働時間のあり方を考えようという本が出版されています。『働きすぎの時代』(森岡孝二著 岩波新書)。要点を紹介します▼働きずぎは現代資本主義特有の問題だとして四つのキーワードを提起します。その一、グローバル資本主義。経済のグローバル化と中国・アジアの工業化などによって世界的に資本間競争が激化して労働時間を圧迫していること。その二、情報資本主義。情報通信技術の飛躍的発展が時間ベースの競争を強め仕事のスピードを高め仕事量を増やしていること。その三、消費資本主義。二四時間稼動の大衆消費社会という消費様式が雇用の不安定化と過重労働を誘発していること。その四、フリーター資本主義。労働法制の規制緩和と労働市場の流動化によって、雇用形態の多様化不安定化が進み、非正規労働者が基幹労働力になるまで増大した結果、止めどもなく働く労働者と働きたくても細切れにしか働けないを作り出していること▼総じて労働時間の標準化によって時短が進行した時代から、今は非標準化によって働きすぎの時代になっているのです▼我が子の現状を見るにつけ実感しています。



book

☆ 働きすぎの時代 森岡孝二著 岩波新書

 リストラの一方で、過労も広まり、労働の形態が二極化している。賃金も二極化している。そして、働きすぎによるストレスや、事故、過労死も多発している。特にIT化によって、社員はいつ呼び出されるか分からず、仕事量も返って増えている。この本は、働きすぎによるいろいろな実情をとりあげ、その問題点と解決の具体策を提示している。

 『人びとが仕事に費やす時間が長くなればなるほど、地域のボランティアに参加する時間はなくなり、また人間関係が希薄になって、町内の共同業務や助け合いを維持することが困難になる。疲れきっている人が多いほど、人びとの他人を思いやる気持ちが薄れ、人間関係が荒んでくる。・・・・・』

 働きすぎの背景には消費競争があるという。要らないものまでも必要以上に高い価格で購入し、いやおうなしに働きすぎをうみだしているという。その一方で、労働と生活のバランスをとろうとする動きが始まっているという。

 『以前より少ない収入で、幸せに暮らす「ダウンシフター」(減速生活者)』

 私もまさに、そういう生活を目指しているのであるが、私の減速生活は、今は夫の働きすぎによって成り立っていると言える。夫にも働きすぎから脱却してもらいたいが、ローンもあるし、子どもの教育費もかかるし、なかなかすぐには難しい・・・しかし、なんとか今のライフスタイルをすこしずつ見直していきたいと思っている。



Library

H17/10〜 働きすぎの時代 森岡 孝二 岩波新書 819円
 [コメント]
 グローバル資本主義の逆流としての働きすぎ、情報資本主義による仕事とプライベートの境目がなくなること、消費資本主義の誕生と環境破壊、フリーター資本主義の行く末、労働基準とライフスタイルというテーマを掘り下げ、働きすぎに警鐘を鳴らす本。確かに、情報通信革命は仕事量を増やし、労働時間を長くした。私自身の生活を考えてみても、携帯とPCの利便性を享受する一方、何処にっても仕事から離れなれない。言い換えれば、仕事と生活の境界がなくなってしまった。国会議員に限らず、ホワイトカラーには残業云々と言うことさえも虚しい時代が来たのではないか。この現象は、所得格差の拡大、労働環境の固定化、ライフスタイルの二極化に繋がるはずだ。著者が地元香川大学出身だけに親近感を持って読んだ本。



外面如菩薩内心如夜叉

11月1週読了:『働きすぎの時代』森岡孝二 岩波新書 780円

1日10時間以上働くとストレスが溜まるのだそうです。しかしそんなの当たり前という人は多いと思う。今、労働時間は二極化の方向で、「沢山働いてもいいから賃金が欲しい」「賃金が少なくてもいいから自分の時間を持ちたい」。労働時間はやる気によるとすり替える雇用主もあるけれど、それはこの情報化の時代には関係なく、時間があれば処理する情報が増えるだけで、いくら有能で仕事をこなしたからといって時短にはならない。それなのに二極化が進むと「時短にすると労働意欲がないように見えて評価が悪くなる」という点が今肥大しつつある問題ではないだろうか。消費社会が過剰労働時間を産んでいるというのも納得です。でもだからといって自分に何の改善が期待できるかというと、行政と雇用主に問題意識を持ってもらわないとダメなんだよなー。



老人党掲示板

題名 : Karoshi(過労死)
名前 : しまったk2
日付 : 05/9/5(月) 21:22
 
働き盛りの壮年の過労死と思われる、心筋梗塞、くも膜下出血による死亡者が、17,000人という90年のデータがある。同年の交通事故死が10,000人である。そして、99年の労基署が認定した自殺を含めた正規の過労死は500件に対して、04年のそれは800件である。順調確実に増加している。まだ、日本人は働きすぎてはいない、という経済界の大御所には嬉しい数値である。いま民間の職場の勤務時間は制限も規制も駐車違反なみである。夏場は早朝5:00出勤して毎日夜10:00帰宅などは常識であり、トラック運転手など一作業の性質上継続時間が長い働く人等は、高速道の整備などにより、勤務時間などという概念の無い仕事ぶりになっている。こんな日本人の働きすぎが、欧米にも輸出されて、現在はアメリカやイギリスでも過労死が問題になっている。そしてオクッスフォード英語辞典に「Karoshi」が載っている。元来、欧米人には、働きすぎて死亡するという社会通念は、まったく理解できない概念であったようだ。しかし、以前働き蜂・エコノミックアニマル日本人が世界を駆け巡ったとき、その意味が欧米人なりに受け入れられたようだ。日本では、ホワイト、ブルー、ノンカラーなどあらゆる労働者に過労死が発生しているが、それは、あくまでも経営上の労働者に対するストレスの結果である。しかし、欧米のそれは、ホワイトカラーに多いようである。つまり、ホワイトカラーが自発的に、ハイリスク・ハイリターンとして過密労働をして、その結果、過労死に至っている。欧米のホワイトカラーは、普通の労働者の数十倍、数百倍の報酬を得ていると言う。ところが、日本では、全くハイリスク・ローリターンになっている。これは全く、経営サイドの都合だけで過労死が発生しているという図式である。もうひとつ付け加えると、経済のグローバル化により、この図式は世界中に拡大しているという。これは、経済発展する、中国、インドでの安い長時間労働による製品に対抗するために、日本や欧米でも、賃金カット長時間労働の傾向が次第に、浸透してきている。つまり「悪貨が良貨を駆逐する」構図である。こうした社会の歪みを歪みとして摘出して、政治問題として提起しながら取組むべき政党は、何党になるのだろうか。民主党は、たしか労組を支持母体にしていたはずである。ならば、その政策の一角にキチンと労働環境の衰退に歯止めをかける政策を表示すべきである。しかし、大企業に取り入って政治献金をせしめようとしているようであるから、これには目も向けないし、わかっても本気で取組むことはないだろう。なぜなら、本来、経済的にプラス・マイナスと、合い対峙する企業経営者と雇用者の双方に取り入ろうとする御用組合的な政策では、自己矛盾に、つまりジレンマになり、まともな政策を遂行することは出来ない。ぜひとも、無党派でフリーター、ニートといわれる若者達は、すこし長いスパンで先を見通して、いま何をしなければならないか、を判断して、選挙に積極的に出向いてほしい。よく考えてみれば、選挙とは、一番簡単な動作で、誰にも妨害されない最も安易な手段で政治を代えることができる手段である。過労死については、森岡孝二著 「働きすぎの時代」(岩波新書)を参考にされたい。



大阪過労死問題連絡会

【書評】 「働きすぎの時代」
(岩波新書 2005年8月19日第1刷発行 定価790円+税)
弁護士 松丸 正

  「働きすぎ」をめぐって、今、激しいせめぎあいが続いている。一方では働きすぎによる過労死、自殺の労災認定や損害賠償による救済が広がり、労基署の賃金不払残業(サービス残業)の摘発が進んでいる。
  しかし、その一方では、100時間以上の残業と、本人の申し出がない限り産業医の面接指導をしなくてもよいとするなどの労安法改悪と、年間1800時間の国際公約を取り下げた時短法改悪が行なわれようとしている。
  著者は大阪過労死問題連絡会や労基オンブズマンにも参加されている。働きすぎの現場を熟知した視点で、このせめぎあいのなかで労働者が働きすぎにブレーキをどうかけたらよいかの処方箋も含めて問題を投げかけている。
  働きすぎの背景を「グローバル資本主義」「情報資本主義」「消費資本主義」「フリーター資本主義」と位置づけている。働きすぎの問題はともすれば「日本」の働きすぎと矮小化されがちであった。
「グローバル」「情報」「消費」は全世界的な現象であり、欧米(とりわけ米、英)において、働きすぎと過労死は、日本に劣らず社会問題となっていることを指摘している。
  「フリーター」では、正規社員と非正規雇用者との労働時間の2極分化を指摘している。厚労省の統計上は一見時短が進んでいるかのようにみえるのに、現場では働きすぎの労働者が増加しているカラクリを明らかにしている。
従前の「日本」の働きすぎ論に対する、「目からウロコ」の指摘である。
働きすぎにブレーキをかけるのはどうしたらよいか、この問へも著者は重視し、労働者、労働組合、企業、法制度にわけて、それぞれなにをなすべきかについて述べている。
  労働組合について、時短、年休取得の取り組みに加えて、30代正社員の働きすぎの解消を課題としてあげている。30代の過労死、とりわけ過労自殺の労災申請が増えていることは実感する。これから生まれてくる子を見ずして亡くなった30代の過労死は悲惨である。
 過労死の労災申請の支援も労組の課題としてあげている。加えて在職死亡の一斉調査を行なうことにより、過労死を掘り起こす取り組みを私としては望みたい。
  更に、36協定の締結についての指摘は重要である。特別協定で過労死ライン(月80時間の時間外労働)を超える時間外労働を認める36協定が多数あることを著者は述べている。このような36協定を容認することは、労組が過労死の「共犯者」となってしまうことになりかねない。
  この書を貫くものは、人間らしい働き方を求めようとしながら、働きすぎ社会のグローバルな波にのみこまれてしまう労働者への著者の思いである。
  その波に向かって大学を巣立っていく学生たちへの思いが執筆の動機だったとあとがきで述べている。
  私事であるが、弁護士になった30数年前、「人間性の経済学」のテーマの社会人講座に参加したとき、著者が講師だった。
  経済学者として「人間性」を考察するなかで出会った1つのテーマが労働時間であり、過労死であり、この著書はその働きすぎの研究の集大成であろう。
  自らの働きすぎを省みるためにも必読の書である。
(民主法律時報401号・2005年10月)



かいくんの読書日記+α
働きすぎの時代 [2005年11月21日(月)]


働きすぎの時代 森岡孝二著 8点 2005年の55冊目

 最近、世の中が急に便利になったと思いませんか? 昨日買った冷蔵庫が今日配達されたり、コンビニで貯金が下ろせたり。これらが技術革新とITだけで実現したと思いますか? 実はこれらを実現するにも維持していくにも、システム開発者やトラック運転手の長時間労働が必要なのです。だから現代の世の中は「働きすぎの時代」でもあるのです。
 2、3年前に過労死の人数が交通事故死の人数を追い抜いて、今もどんどん引き離している状態です。
 もはや過労死は交通事故死より身近になりました。その事をこの本は考えさせてくれます。私の知り合いも、4人が過労死で亡くなっています。

 前回読んだ「下流社会」と対極をなす本です。なので「下流社会」を読んだのであれば、是非この本も読んでほしい(だからこの本を読んだら、「下流社会」も読んでほしい)。どちらか片方では片手落ちになってしまいます。
 もし「下流社会」で言っているように上流社会を目指すべきであれば、この本で紹介されているように、週60時間労働で過労死もしくは体を壊してしまうかもしれません。また、この本で紹介されているように、皆が週40時間労働にするのであれば、日本の競争力は世界の50位ぐらいになってしまうかもしれません。

 この2つの考え方は、いずれ世の中の主流な考え方のになって、対立の構図をなすような気がします。なので読んでいて損は絶対ありません。
 
 二冊合わせれば、10点満点の12点です。 



COCO2のバスタイム読書

December 03, 2005
「働きすぎの時代」

男女の働きすぎに関連していま一つ指摘すべきは、共働きの増大による「カップル労働時間」(夫婦の合計労働時間)の増大と、それにともなう職場生活と家庭生活における「タイム・デバイド」(時間格差)の拡大である。

「働きすぎの時代」森岡孝二著 (岩波新書)

企業社会をみてきた経済学者が、世界を覆う「働きすぎ」の構造に迫る。
全国紙の読者投稿から海外の文献までを駆使しており、働くことを取り巻く環境の変化がわかりやすく整理できる。国際競争やネット経済の広がり、そして雇用の非正規化。特に必死に働いて消費する競争心理が、誰か別の人の長時間労働を生む働きすぎの連鎖の指摘が興味深い。人を働きすぎに追い込む要因は、いく層も重なり、絡みあっている。巻末で個人、労組、政府に向けて、働きすぎに歯止めをかける方策を提言しているが、課題はあまりに多い。著者が触れているような、ワークライフ・バランスを真剣に考えなければ経済、社会の持続性が脅かされるという意識を、どれほど多くの人が共有できるか。そこが第一歩なのかもしれない。(2005・11)

森岡孝二「働きすぎの時代」(岩波新書)


わくぶく掲示板 読書好きの広場

1421] 働きすぎの時代 :仁岸 稔 [北海道・東北] 2005/11/25(金)0:00
<本紹介>
Start----------------------------------------------
【ジャンル】ノンフィクション
【著書名】 働きすぎの時代
【著者名】 森岡孝二
【出版社】 岩波新書
【初 刊】 2005年8月19日
【金 額】 780円+税
【カバー文】いたるところから働きすぎの悲鳴が上がっている。まっとうな働き方ができる社会を作っていくために、いま何が必要なのか。グローバリゼーション、情報技術、消費社会、規制緩和などに着目して、今日の過重労働の原因に迫る。
【満足度】 ★★★★

 本書は、現代を「働きすぎの時代」と捉え、その背景を資本主義の変化の4つの特徴である「グローバル資本主義」「情報資本主義」「消費資本主義」「フリーター資本主義」に求めており、過重労働の原因に迫ったもの。豊富なデータをもとに、全世界が働きすぎの時代に突入してしまっており、社会の仕組みが働きすぎを助長していることも教えてくれています。働きすぎの惨状にも触れられており、非常に勉強になった一冊です。



Blog(ブロッグ)@Sayopee.net 

「働きすぎの時代」「論争・少子化日本」

「働きすぎの時代」は9月に買って一度読んだけどまた読み直したもの。「論争・少子化日本」はamazonでたまたま書評を見かけて、最近出た本と思って買ってしまったもの(実は2001年発行)。

 フリーター、ニートの一方で働きすぎの正社員…この問題が世に言われ始めてから随分になるのに、未だに何ら改善がされていない気がします。
 少子化については、私自身は少子化は悪いことではないと思っていて、本の中で少子化に合わせた社会制度を作って行くべきだという主張をしていた論文にほぼ全面的に賛成。

 一見別々の問題のようですが、共通しているのは現在の日本における「働き方」を変えていかなければならないということ。これだけは確かだと思います。
 でも、今のこの状況じゃあすぐには変わらないんだろうなあ。私の職場を見ていてもそう思います。仕事のための仕事が多くて、本当に必要な仕事を厳選していったら、職場環境も、それぞれのやりがいも随分変わるだろうけど、そのためにははてさてどうすればいいのやら。



iCT★今日の出来事

2005年11月23日
働きすぎの時代

今日は「勤労感謝の日」というわけで森岡孝二「働きすぎの時代」を読みました。
帯には「死にいたるまで働いてはいけない!」という過激な言葉がついていました。著者によると1980年代以降、世界は「働きすぎの時代」に入ったそうです。本書ではその背景を高度資本主義の特徴として四つあげています。

グローバル資本主義
グローバリゼーションが進み、途上国を巻き込んで競争が激しくなる。そうすると低賃金で長時間労働の途上国の労働者と先進国の労働者が互いに競争することになる。結果として先進国の労働者の労働時間が長くなる。

情報資本主義
ITツールが仕事時間と個人の時間の境界をあいまいにしている。そのため、仕事がどこまでも追いかけてくる。さらにITは多くの面で労働を単純化し、正規雇用の多くを、非正規雇用におきかえていく。

消費資本主義
大衆消費社会において、人々は自己のアイデンティティや社会的ステータスを表現するためにより多くの収入を得ようとする。そのために、人々はより長くハードに働く。また利便性を追求するサービス経済(コンビニや宅配便など)の発展は経済活動の24時間化をもたらし、新たな働きすぎの要因となる。

フリーター資本主義
非正規労働者の増加、雇用形態の多様化とともに労働時間がニ極分化した。短時間労働者が増える一方で正規労働者の間で長時間労働が増えた。

◆自発的働きすぎ◆
この本では上記の四つの視点にしたがって働きすぎの実態を各章でとりあげながら説明しています。最終章の働きすぎにブレーキをかけるための指針まで、おおよそ納得できました。しかし、私にとってもっとも興味深かったのは、自発的働きすぎについてふれた以下の部分です。ちょっと長いですが引用します。
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時間や雇用計画にしばられない自由業や自営業は別にしても、仕事に関しては「熱中」や「熱心」という言葉とともに「没頭する」「打ち込む」などの言葉がよく使われる。「やりがい」「張り合い」といった充足感を表す言葉や、「できる」という承認願望や「誇り」「名誉」といった達成動機を表す言葉もある。その仕事が「好きである」「面白い」という表現にもよく出くわす。これらの言葉が表す心の動きはすべて自発的働きすぎの契機をなしているといってもよい。
にもかかわらず、何らかの強制や、圧力や、競争や、強制や、奨励や、制度的動機づけを欠いた純然たる「自発的」働きすぎはほとんど考えることができない。p140
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ふーむ、興味深いというか、唯一、ひっかかったところです。他のすべてを犠牲にしてまで働きすぎるのは最悪です。ただし、働く側にとってどうせ働くなら、「やりがい」のある「面白い仕事」をしたいという気持ちはありますよね。また雇用する側も、働く人々が自発的に働けるような組織文化や制度をつくりたいと考えているのではないでしょうか。組織の中で人が気持ちよく働けるにはどうしたらよいか。サービス残業の禁止、労働時間の短縮などの制度的な問題だけではなさそうです。もう少し、別の面からも考えてみたいテーマです。



神戸在住院生のフィールドワーカー・IK@MIの日

『働きすぎの時代』

今、N先生のゼミで教科書として使っているのがこの教科書、『働きすぎの時代』。
Nゼミ所属のIさんがワーキング・プアを研究課題としているので、この本が採用された
わけなんだが、これがすごくおもしろい!もう是非オススメしたい本である。

私は発表では2、3章を担当したのだが、自分の研究ともかぶる問題もあり、N先生からも
いろいろとご意見を戴きました。(これが話すと長いんだ、内容はものすごく濃いんだけど)
本の内容は↑のリンク(アマゾン)から見て下さい。普段の自分の生活を見直す機会にはいいと思います。特に就活中の方、フリーターの方、フツーの会社員の方、必読です。ほとんどの人が「俺って何やってんだろ?」という気持になります。(複雑)

しかし、題材は一見何ともない働きすぎですが、夢はあるけど会社では働きたくないフリーター、ブランド物やエステに目がないOLさん、有名小・中学校へのお受験にやる気満々の母子、携帯電話依存症な大学生、コンピュータが友達のヲタクの人…この全てが昔、イギリスで産業革命がもたらした、仕事の機械化や資本家・労働者の身分関係、そして大量生産による消費などの資本主義社会でつながっていると思うと、とっても壮大です。

実際、私と同期の卒業生(大学)で、すでに会社を辞めてしまったという方もちらほら現れているようです。私と同じサークルだった人もそんなようで、今後も増えるのではないかと私自身、予想。今、ヒルズ族と言われてる人たちは華やかな生活を送っていますが、その下で働く人たちってどんな生活をしてるか、考えたことあります??ヒルズ族の会社は普通の企業に比べ社員は少ないですが、その代わり業務はたっぷりあることでしょう。
特にインターネットは24時間体制なので、このブログ作っている人、体壊してなければいいんですが…。

そういえばIさんが、「タイゾー議員がニートについてとやかく言っているのを見ていると、腹が立ってくる」と言っていた。確かにそうだ。(笑) あそこに集まってた人達もタイゾー見たいがために来たという感じだったし。本当のニートって、あの場にも行きたくないわけで…。しかし、沖縄でやったのは何故?失業率が都道府県No.1だから??



学ゼミ掲示板

森岡孝二『働きすぎの時代』岩波新書963 (No.42 への返信) - ジョル

フリーター、ニート層の増加が話題にあがる一方で正規雇用者の間では、サービス残業、過労死等の労働時間の長期化か問題視されている。本書では、労働時間の長期化について「経済のグローバル化」、「情報化社会」、「消費至上主義」、「労働の規制緩和」の視点から分析を行ない、解決策として労働者、労働組合、企業、法律・制度への具体的な提言を行なっている。

オススメの理由としては、現在、労働者を取り巻く問題について多角的な視点で分析していることです。グローバリゼーションと労働環境については、上瀧先生の講演を具体的な現象から説明されてる箇所もあった気がします。

ボックスにおいとくので興味のある人は、一読あれ。


[No.225] 2005/11/22(Tue) 03:48



不定期な遊民日記 2005/8/30

文明の進歩とともに

 森岡孝二『働きすぎの時代』(岩波新書2005)では、日本はニューエコノミー到来後、正規/非正規雇用の進展とともに、法改正(改悪)も相俟って労働時間の増加が顕著になっていることを指摘しています。アメリカやイギリスも労働時間は長いらしく、働けど働けど暮らしは楽にならず、自分の時間、家族と過ごす時間、地域社会で活動する時間がとれない人が多くいるようです。
 私も塾講師として働いていたときは、週60時間労働は当たり前で賃金は激安でした。今、ほとんどの業種で、正規雇用であるにも拘わらず長時間労働・低賃金で働いている20〜30代はいっぱいいると思われます。当然、子どもを作れるような環境ではないし、結婚をためらう人も多くいるでしょう。保育所新設や子育て手当増額ごときで問題解決には全くなりません(だから公明も民主もまったく事態の本質が分かっていないのです。おぼっちゃん政治ですな)。少子化が進むのは当然の成り行きでしょう。
 この著書は、ベストセラーとなった暉峻淑子の『豊かさとは何か』(続編で『豊かさの条件』)系統と言えます。しかし当時よりも、パート・アルバイト(いわゆるフリーター)の比率が格段に増え、賃金が上昇しなくなった今日では、問題はさらに深刻化しているといえるでしょう。
 ドイツは組合が強烈で、労働時間が短い国ですが、近年では労働時間が延び始めているようです。それでも日本のようなサービス残業がないので、実質的には非常に時間にゆとりがあると考えられます。また、失業率も12%を越えていますが、それでも国が保っているのだから大したものです。早稲田大学の川本某なる女性教授は、外資参入規制撤廃に関して、ドイツ・フランスなどのヨーロッパモデルを推す森永卓郎と議論したとき、「ドイツのようになってもいいんですか?」などと息巻いていました。アメリカ型になってこそ社会は活性化すると考えているようですが、ことに「豊かさ」という観点から考えたとき、アメリカ・イギリス型を見習って幸福になれるとはとうてい思えません。
 本書ではワークシェアリングが進むオランダを取り上げています。北欧(とくにデンマーク)などでも、ほとんど共働きで、税金はベラボーに高いですが、社会保障はしっかりしており、時間はある程度余裕があるようです。特に社会全体で子どもを見るという姿勢は見習うべきでしょう。



Hatena Diary

■[読書]森岡孝二『働きすぎの時代』読了 02:53
実際に読み終えたのはおととい。

働きすぎの時代

作者: 森岡孝二
出版社/メーカー: 岩波書店
発売日: 2005/08
メディア: 新書


ふろしき残業、三六協定、時間外労働、過労自殺、……。

雇用と労働をめぐっては、様々な問題が発生する。本書は『働きすぎの時代』と題して、労働時間が増大し続ける現代社会についてその原因を考察する。


まず序章にて、労働問題を扱うウェブページに寄せられる相談や、新聞の投書欄に投稿される労働実態が具体例として紹介される。連続無休出勤日数が280日だったり、24時間昼夜を問わず機器の故障があれば呼び出される勤務状態だったりと、どれも常軌を逸している。正社員並みに働いていても、契約社員であるために社会保険制度がないというものもある。


二章以降では、グローバリゼーション、情報技術、消費社会、規制緩和などに着目して、現代社会における「働きすぎ」の原因を追究していく。

例えば情報技術の項では、インターネットや携帯電話の普及のために、家・職場を問わず仕事のメールが届くようになって、家庭も出先も職場になってしまった現状が紹介される。

消費社会の項では、24時間営業のコンビニや翌日配達の宅配便など、過剰なサービスが、長時間労働を生む一因になっていることをに言及。消費者側による利便性の追求が労働条件の悪化につながることを指摘している。

ここで登場する、ネット書店として有名な、アマゾンの一例が興味深い。アマゾンの物流センターでは、ネットで注文の入った本をアルバイトがひたすら探し回るらしい。ノルマは「1分3冊」。ベテランでも「1分2.5冊」程度だという。時給は850円。

このほか、今年4月に起きたJR西日本の福知山線の脱線事故にも触れている。利益第一主義に走ったダイヤ編成だけではなく、1分の遅れもなく正確に運行する事を当たり前の事として要求する利用者側の意識も問題になったことを、あらためて指摘している。

問題は多方面に渡るため、ここでは一部しか紹介できないが、このほかに、労働に関する法規の改正問題や、労働とライフスタイルとのかかわり、諸外国における労働時間の現状などについて、本書では触れられている。


かなり難しい本ではあったけれど、なるほどと思わされるものや、得られた知見も多くてためになった。



対他存在

病名:働きすぎていませんか 2005-09-14

働きすぎの時代

岩波書店



この本では、ひとことでいえば、働きすぎの原因を探り、それへの処方箋を示そうとしている。
働きすぎとは、簡単にいうと、一日に10時間以上働いてしまう人のことのようだ。
この定義だと、多くのサラリーマンがおそらく働きすぎということになるのだろう。

この本では、今の世の中では、一昔前の時短の傾向から、働きすぎの傾向が強くなっているという風に捉えている。
その原因としては、
a.グローバル資本主義の進展
これは、これまでは、下請け的であった発展途上国とも競争にさらされることになったため
b.情報資本主義の進展
携帯電話、メールなどIT技術の発展により、いつでもどこでも拘束されるようになった
c.消費資本主義の浸透
メディアによる耐えざる消費喚起により、消費が一種のアイデンティティを主張する手段となり、より消費をすることが前提となった
d.フリーター資本主義
労働時間が短いフリーターが増えた反面、それを補うかのように少数の正社員は労働時間が長くなった
といったことを挙げている。

また、働きすぎを防ぐために、労働者自身が心がけるべきこととして、・3度の食事と睡眠はきちんととる。
・自分と家族の時間を大切にし、仕事以外にも生きがいを持つ
・家事労働は分担し、近所づきあいや地域のボランティア活動に参加する
・年休は目いっぱい取得し、年に一度は1,2週間連続休暇をとる
・残業はできるだけせず、労働が過剰な場合は、労働組合や会社に是正を求める
・職場の労働基準法違反が是正されないときは労働基準局に申告する
・心身の不調を覚えた時は、直ちに医師に診察を受け、指示に従う
・仕事に殺されそうな状態が続くときは転職するなどして自己防衛を図る
・情報ツールによる仕事のボーダレス化を阻止し、時間帯によっては受信を拒否する
・サービスや利便性を売り物にする消費のあり方を働き方から見直す
・流通・サービス部門で働く人は営業時間と労働時間の明確な区別を求める
・働きすぎと浪費の悪循環から抜け出して、スローライフに転換する

といったことが挙げられている。



Journalist-Net
2005年09月18日
四大紙日曜書評欄の簡単レビュー:川瀬俊治
書店の新刊棚を扱っている皆様、本好きのあなた、今週もお届けします。Journalist-netならではの即日版です。再度、残暑お見舞い申し上げます。夏は本が売れないなんて言うのは嘘。新刊書は続々と出ています。今週は江戸時代の文化を読み解く力作が目立ったほか、人物伝も各紙に評された。著作権とは個人の権利保護だが、一体、公共の資源はどこへ行ったと思わせる昨今の風潮を考えるには、ケンブルー・マクロード『表現の自由vs知的財産権―著作権が自由を殺す?』(早川書房、2100円、334ページ)が面白そうだ。現代日本資本主義を考える書として森岡孝二『働きすぎの時代』(岩波新書、819円)が一推し。


森岡孝二『働きすぎの時代』(岩波新書)を読み意外と知らなかったと感じたのは、利便性優先が労働者を酷烈な勤務の代償としてあるということである。最近もアマゾン・ドット・コムから本を買ったが、その労働現場のすさまじさである。ワンクリックでアマゾンのリュ物流センターにつながり、常時100人程度アルバイトが待機、注文品を1分3冊のノルマで探す。評者(中村達也)は「このアルバイトを1年も続けるのは、10人1人もいない。(略)消費者が求める利便性の陰に、どんな労働世界があるのかを知ってしまって、思わず考え込まされてしまう」と歎じている。国の労働政策審議会は全労働者一律の労働時間短縮は時代に適さなくなったとして、「労働時間の短縮」ではなく、「労働時間の設定」を提案しているという。この構造的変化のキーワードは、(1)グローバル資本主義(2)情報資本主義(3)消費資本主義(4)フリーター資本主義―と評者は分析するが、上記の過酷な労働を可能にしているのが(4)のフリーター資本主義なのだ。「フリーターではなく正規職を」とわれわれ大人たちが若者に諭すが、フリーター資本主義が日本を動かし、労働者の解放など飲み込まれている事態に、つくづく考えさせられてしまう。本書はその実態を描き分析している。



「下流社会」と「働きすぎの時代」 ― 2005年10月31日

話題になっている「下流社会 新たな階層集団の出現」(三浦展 著 光文社新書)を、読む。

のっけから「下流度」チェックなるものがある。

12項目の内、自己採点では6項目あてはまる(半分以上あてはまれば、「下流的」らしい。)。

息子たちに診断させると、なんと9項目に該当するらしい。

がーん。私は「下流的」なんだ。

Linuxで遊んでるからなんだ。

山ばかり歩いているからなんだ。

Blogなんか書いているからなんだ。

日経新聞もプレジテントもLEONも読まず、こんな本読んでいるからなんだ。

ジャンクフードが好きだからなんだ。

ところで「下流的」という定義は
団塊ジュニアをモデルにして
「コミュニケーション能力、生活能力、働く意欲、学ぶ意欲、つまり総じて人生への意欲が低いのである。」とのこと。

そこから消費や、勤務形態、結婚、子どもへの教育へのスタイルから「上」と「下」の階層化を、調査を通じて明らかにしていく。

女性を
・お嫁系
・ミリオネーゼ系
・かまやつ女系
・ギャル系
・普通のOL系

男性を
・ヤングエグゼクティブ系
・ロハス系
・SPA!系
・フリーター系

と、かなり強引に分類している。

でも、みなこの本を読んで、
「自分って下流」じゃないと安心するために読むんだろうか?

対照的に「働きすぎの時代」(森岡孝二 著 岩波新書)は、いかに先進国の労働時間(とくにアメリカを中心にして)が、長時間になっているかを描いている。

少し前、WindowsのCMで「笑ってお仕事」などと脳天気なフレーズがあった。

PC化が進むと会社はペーパレスになり、仕事を短時間に終えて、余暇を家庭でのくつろぎ、文化的なことに使うことができるなどと夢想した評論家もいた。

この本は、
・グローバル資本主義(リストラと産業再編)

・情報資本主義(PC、携帯電話などを通じて仕事がどこまでも追いかけてくる)

・消費資本主義(消費するために働く)

・フリーター資本主義(非正規労働者の増加、安い賃金体系で利益率をあげていく)

という4本の柱で、「働きすぎの時代」を描いていく。

マックスウェーバーではないが、

意欲が「下流」から「上流」へと向かう轍になるのか、 国がILO条約をほとんど批准せず、24時間コンビニがあり、正月休みもなく開店する百貨店があり、眠らない都市を造ること
それを当然とする私たちの生活スタイルの見直しを轍とするのか。

対照的なこの本は、一見相反するように見えながら、読み比べてみるとなかなかおもしろいものがある。
あーっ、「下流的」な私が何をいっても
負け惜しみなんかなあ。



本の紹介 推薦図書


●『働きすぎの時代』森岡孝二著(岩波新書)
過労死110番には、連日長時間労働に悩む人々から悲鳴が寄せられる。「毎日毎日夜の12時頃まで残業続きで、帰宅は夜中1時、従業員100人余りで残業手当もゼロで、夜食もラーメンくらいで疲労困憊の状態でした。もう限界だ、殺される、ともらした矢先の死で遺された母娘は、ショックでしばらくは立ち直れないくらいでした。」(製造業、部長)

現代のビジネスマンの心身は間違いなく病んできている。こうした状況を招く一因でもあるストレスや長時間労働が度を越せば、過労死や自殺といった悲劇に至るのは避けられない。いまや各企業にとって、社員の心身の健康維持・増進は、経営上の重要課題になってきた。・・・・以上序章より、抜粋。

著者は、このような長時間労働問題を、高度資本主義が生む働きすぎの時代と捉え、@「賃金が低く労働時間の長い国の労働者と競争させられる“グローバル資本主義”A「情報通信技術の変化」が「正規雇用の多くを非正規雇用に置き換えることを可能にし、雇用を不安定にしている“情報資本主義”B「利便性を追求するサービス経済の発展は、情報化の進展とあいまって消費者の需要構造を変化させ、」「働きすぎの新しい要因をつくりだしている」“消費資本主義”C「アルバイト、パート、派遣などの非正規労働者の増加」「雇用形態が多様化するとともに労働時間は二極分化し」“フリーター資本主義”の4つの視点から、現状分析を行い、鋭い問題提起を展開している。今、現場で起こっている様々な問題が相互に関連している現状を理解し、より、高い視座で、問題を捉えるために、一読をお薦めしたい



起承転結

2005年11月11日
本「働きすぎの時代」
先週、子どもと図書館へ行ったついでに自分も本を借りてきました。ふと目に入ったのが森岡孝二著「働きすぎの時代」(岩波新書)です。

この本を読んでいると、正社員も派遣社員もフリーターも心身を病むほど働いている人が余りにも多いということに驚きます。また、いたるところから働きすぎの悲鳴が上がっているのも聞こえてきます。

「労働時間が1日10時間を越えるほどに長ければ、疲労とストレスがたまり、最悪の場合は死に至ることになる」と書いてあります。著者は働きすぎの原因を4つ挙げています。

1.グローバル資本主義
 中国やその他賃金の低い国と競争をさせられ、賃下げや労働時間の延長を招いていること
2.情報資本主義
 ノートパソコン、携帯電話、電子メールなどの情報ツールの普及によって、仕事がどこまで追いかけてくる状況を作り出したこと
3.消費資本主義
 大量消費社会においては拡大する消費欲求を満たすため、より多くの収入を得ようと働く傾向にあること
4.フリーター資本主義
 アルバイト、パート、派遣などの非正規労働者が増加したことで、正規労働者の長時間労働が増えたこと

働きすぎは日本だけでなく、アメリカ、ヨーロッパでもその傾向が強まっているとのことです。今はまさに「女工哀史」の時代そのものです。

正社員も非正社員も大変な時代。どうしたら安心して働くことができるのでしょうか。



書評男

2005.11.04 Friday
author : paradise39
消費者天国生産者地獄。子供より残業を選んだ国。

「働きすぎの時代」

なぜ自分の労働時間が長いのかわからない人は、これを読むといいと思う。
23で就職した時一日15時間以上働き続け、上司の目が死んでいるのを見て以来、自分の労働環境がどのくらい異常なのかを相対化して理解しようと努めてきた。構造的に把握するのに6年かかった。
結論から言えば、マクロでいえば、中国/インドと競争していること、ミクロでいえば、消費者という王様のために生産者の人生を奴隷にすることを、
およびここ数年間のさまざまな法改正によって、経営者側にとって株主の意向を従業員の生活より重視し、経営者の好き放題の労務管理が出来るようにしてしまったこと、がよく分かった。
グローバル資本主義を受け入れるということは、こういうことだ。

ここ4年ほど労働問題に関してはかなり勉強した。
経済学部でマルクスをしっかりやったので、
資本主義の欠陥を労働組合で補完しない限り、
資本の論理で被雇用者は限界まで搾取されることはわかっていたが、
今の自分の状態、つまりIT最先端企業の職場の経営企画・事業開発部員のほとんど離婚するかもしくは離婚経験者であり、今年に入って3組離婚、すでに別居開始も何人もいるということ、
小泉改革が目指す規制緩和による経済成長大賛美の副作用であることに起因していることなど、がこの本によって構造的にわかった。

同時にイギリス、アメリカを典型例とするアングロサクソン系の国家でも日本と同様の長労働時間化が起こっている上で、各国で国家、民間がそれぞれ生産者の生活を守る動きが開始されているのを本書で理解し、未来を予見しながらも人間愛が社会の中核に無いこの国では、民間にその気概は無く、
相当あとになって政府のトップダウンによって、労働時間を減らす昔の法律を、役に立たなくさせている法律(36協定など)が改正されるんだろうなあって、おもう。

その法律を作成する厚生労働官僚のある人に聞いたことがあるが、厚生労働省の職場に、自分の激務を見て子育てに自信を失くした共稼ぎの奥さん(社会保険庁)に堕胎された時が、生きてきて1番悲しかった、と告白する男性がいたという。
彼は、僕の話も聞いて、あわせて「ある種の(経営者による)”青春の搾取”だな」といった。

なぜ自分が長労働時間なのか、わからない人はこれを読むといいと思う。
理解しないと、個々人の人生戦略は、立てられない。
| 働き方/労働環境



24LIVE

オーバーワーク
「働きすぎの時代」

私の残業時間を制限しないと私の上司がタイーホされるそうです。むしろ(最初から部下の残業時間を管理していない上司なんてタイーホされてしまえ)と心の中でつぶやきながら、今日も徹夜なわけですが。
実体験から残業時間が及ぼす私生活への影響を考えてみると、月間残業時間が


■50時間とすると、毎日19時、20時頃帰社。帰宅が20時〜21時。途中で飲みに行ったりして、0時就寝といったところでしょうか。もちろん土日は休暇を満喫。(タイプA)

■80時間とすると、毎日22時、23時帰社。帰宅するのが0時くらいで、1時〜2時頃就寝。まあこれも土日は休暇を満喫。(タイプB)


■100時間とすると、だいたい23時〜終電。1,2回の休出ありといったかんじで、就寝時間は2時くらい。(タイプC)


■140時間とすると、毎日終電。毎週土日どちらかは出勤なかんじ。就寝時間は2時くらい。(タイプD)


■180時間とすると、毎日終電&週2回ほど徹夜。毎週土日どちらかは出勤。(タイプE)


今年に入ってからの勤務体系はひどく、タイプB,B,C,D,Eときています。あまり自分の残業時間がどうのこうのって書いたって、自分にも読んでくれている人にもつまんない話ですが、一応、これ日記なので。早くラクにしてください。今週は3日も徹夜でした。どういうこと!?



So ist das Leben

森岡孝二著『働きすぎの時代』を読了しての雑感
何と日本人の年収は
4人に1人は150万円未満、2人に1人は300万円未満だそうだ。

この原因はこの原因はフリーターやパートタイマーや
派遣社員・契約社員など非正規雇用労働者の増加による。
女性の非正規雇用率はすでに5割を越えている。
男性でも2割は非正規雇用である。

このような非正規社員の増加原因は、
本人にあるというよりは、
不況期の会社の改革、つまり正社員を
派遣やパートに置き換えて、会社の経費節減をするという
雇用者側の意向があるのではないか。
規制緩和というのは、結局は少数の富める者と
大多数の経済的弱者を生み出している。
しかし、いまはまだ高度経済成長期に
働いていた中高年の貯金があるので、
家族全体で見た場合に、このような低所得者が
数名構成員にいたとしても、まだ生活はしていけるのだろう。
だから、こういう構造がみえにくいのかもしれない。
パラサイトを批判するのもいいが、こういう所得で
パラサイトなしにやっていけというほうが、無理だ。

・有給はめいっぱい消化する
・残業はできるだけせずひどい場合は会社や労組
 に是正を求める。
・家事労働は分担し、地域社会にも参加する

労働者個人に対し、以上のような対処しようという
指針が載っている。しかしこういうことを
個々人が権利としてもっていても
それがきわけてできくい周りの
「空気」という日本独特の存在を
著者はわかっているのだろうか。
結局私は日本社会では社会的正義や理論より
感情(自分だけそんな有給全部とろうなんてずるいとか、いつも
定時に帰るなんてみんな遅くまでやってるのになにごとだ。とか)
のほうが、かつ社会ではないかと思う。
とはいえ、だれかがそれをいいだしていかないと
変らないのも事実で、それが官主導でも
仕方ないのかもしれない。

著者は労組にも期待しているようだが、
労組はそもそも組織率自体が低下していて
最近では求心力を失ってきているように個人的には
おもう。また、教条主義的なところも
問題であると思う。

とはいえ、かなりおすすめの1冊です。



とりあえず読んだ日記

『働きすぎの時代』 森岡孝二 岩波新書

  このところ、日本経済は好調で、GDPはプラス成長が続いているし、上場企業の業績もおおむね好調で、大企業正社員の給与も増加している。しかし、その背後では雇用環境の悪化が進んでいる。大企業が正社員の採用を抑制し、派遣社員など非正規社員の雇用を増やしているので、正社員として働きたくても働けない人が増えている。リクルートスーツの女性は一年中見かけるし、先日のNHKでは地方の高卒者の就職難が深刻であると報道していた。正社員になれなくても、たいていの人は働かなければならないが、非正規社員の賃金は低い。もっとも、正社員になれたとしても、本書が示すように、待っているのは長時間労働であることが少なくない。正社員の数が減っているのだから当然である。残業が増えるので収入も増えるが、健康を失っていく。にもかかわらず、政府はホワイトカラーの労働時間を自由化しようとしている。ホワイトカラーの仕事の中には、労働時間と成果が比例しないものがあるからだ。本当に労働者の自由な裁量に任されるのであれば、それもよいが、実際は現在横行しているサービス残業が正当化されるだけのことだろう。雇用環境の悪化と引き換えの経済成長が本当によいのかどうか、われわれはもっと考えるべきではないだろうか。(2005.11.19)



まぐまぐ

【1】今週のトピックス 「働きすぎの時代?その2;会社の教化」
━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
『新興宗教の場合と同じく、研修セミナー、全体ミーティングといった
恒常的な教化を通じて、仲間内の価値観が注入され、威勢のよい
掛け声が浸透し、批判精神が弱められていく。会社の社訓(使命、
目的)が教理問答のように復唱され、スポーツや軍隊を思わせる
歌やスローガンが熱っぽく叫ばれる。会社のロゴを身につけるといった
服装に至るまで、あらゆるものが会社への献身を示している』
「働きすぎの時代」(森岡孝二 著  岩波新書)より

ふたたび、岩波新書の「働きすぎの時代」より。
冒頭の文章は、同書に引用されているが、元本は、『ル・モンド・ディ
プロマティーク』2003年2月号にカリフォルニア大学の教授が寄稿
した「コミュニティとなったアメリカ企業」というものらしい。

アメリカの企業って、「カイシャ色に染まらせる」なんてこと、ないと
思っていたのだが・・・そうでもないのねぇー。

なんでも、90年代のアメリカは、景気がよくって、株価至上主義経営
が敢行され、人員削減と仕事量の増大にさらされていたらしい。
もちろん福利厚生も削減されて、ね。
しかしだからこそ、ひとりが、数人分効率よく働いてもらわにゃならん
わけで・・。

そこで出てきたのが、「カイシャに忠誠をつくすべく恒常的な教化」
なんだろうなぁ・・・。

今のウチのカイシャとそっくりぢゃん・・。

「カイシャの社訓・使命・目的」、毎日、スローガンとして、唱えあげて
るしねぇ・・・。
キャンペーン時は、おそろいの「ワッペン」をつけることを強要されるし、
「帰りません、シゴトがあれば、いつまでも」
ってカンジだしねぇ・・・。
いや、ま、
「帰っていいよー。残業、申請してないんでしょー」
とか、っていうけど・・。
でも、かわりに誰がしてくれうはずもなく。
本気で、「帰れ」といってるわけでもなく。

まぁ、「組織」である以上、「組織としての体を成すために必要なこと」
ってのは、あるんだろう。
しかし、すべて、「右にならえ」の軍隊方式ってのは、どーか?と思う
んだよねぇ・・。

かくして、ガツガツ、シゴトをしているヒトを置いては、帰りづら〜い雰囲気
になり・・・。
なんとなく、ずるずると、シゴトないけど、居たり・・してしまう・・・・。
はぁ・・・。
「軍隊」では、「規律」を乱すのはご法度だからして・・・。

まぁ、それでも、日付が変わるまで働くことってのは、ここ最近は
ないんだけど・・。

朝、始業前には、必ず「社歌」が流れ、威勢のよいスローガンが、あちこちに
貼られているウチのカイシャに身を置くこと自体、疲れるのだ。


「社訓」なんてのは、日本の大企業だけ、と思っていたが・・・最近は、
アメリカ企業もそうなのねぇ・・・。
「karoshi」が新聞に掲載されたのは、1988年の米国の新聞だったら
しく。今では辞書にも載っている「karoshi」。

カイシャに教化されすぎて、死んでしまったら、モトもコもありませんので。
みなさん、「教化されたフリ」して、賢くやり過ごしましょうねぇ・・・。



ママさん編集者のぶらぶら日記

[書評] 『働きすぎの時代』森岡孝二

働きすぎの時代

作者: 森岡孝二
出版社/メーカー: 岩波書店
発売日: 2005/08
メディア: 新書

技術の発達は人間を幸せにしないのか。生産性があがって余暇が増えると予想されたのは今は昔。その分ますます忙しくなっている。日本だけでなく、世界中で。なにかおかしい。なぜ、こんなに「働く」ことに縛られ、一生懸命になっているんだろう。



へっぽこ社会学

『働きすぎの時代』森岡 孝二 2005/11/15

労働時間、労働環境などの問題というのは
確かにあるだろうし、日本国内でもそれなりに大切なことです。
それらについては、前提ということで、この著書に対する批判をいくつか。

まず、著書内で扱っているデータがちょっと怪しい。
世界各国の労働時間の推移が製造業限定であったりなど。
全体的には、どうも都合のよい情報ばかり
載せているような感じが否めません。
「働き過ぎの時代」というタイトルである以上、
労働時間は増えているという話しになるわけでしょうが、
実際、日本においてはどうなのでしょうか?
実のところ、この著書内には
日本国内の労働時間の推移グラフが載っていません。
そして、僕の予想だと中期スパンでは日本人の平均労働時間というのは
着実に減っているのではと思います。*1
ただし、ここ数年では労働時間が増加に転じている可能性は高いです。
まず、中期スパンで労働時間が減っているというのは、
高度経済成長期と、現在を比較すれば明白でしょう。
当時は、残業だらけ、週休二日という概念もない。
間違いなく、現在の方が労働時間は圧倒的に少ないと考えていい。
そして、最近労働時間が増えている可能性があるという件に関しては、
理由は、フリーターや派遣社員がすごい勢いで増加しているからです。
著書内にも、労働時間の二極分化という話しがありました。
つまり、正規雇用者は長時間労働を受け持ち、アルバイトなどが、
短い時間で区切りをつけやすい労働に従事しやすい。
つまり、統計を取る際に、正規雇用者で
平均をとれば、当然労働時間が増えるわけです。
逆に、アルバイトなども入れて平均をとると相当減ります。*2
要するに、まともに平均を集計する方法というのはなかなかに難しいわけです。
日本国内において過労死が増加しているという話しも、
単純に、今まで以上に過労死が表に出やすくなり、
認知件数が増えただけという可能性があります。
これも、高度経済成長期の方が多かったんじゃないかといのが僕の予想です。*3

また、この著書のなかで、貧富の差の大きな先進国の方が、
労働時間が近年増加傾向にあるというようなことが書いてあるのですが、
(アメリカや、イギリスなどですね)
上記の話と合わせれば、貧富の差が大きな先進国というのは、
パート労働者が高い率で増加傾向にあるわけで、
その人達を労働時間の統計に入れずに、正規雇用者で集計すれば、
当然、平均労働時間が上昇していくわけです。

上記を踏まえた上で、やっぱり正規雇用者なんかでは、
かなりやばい労働をさせられている人たちがかなりの数に達しているわけで、
いろいろ対策を考えなくてはならないこともあります。
僕が考えるに、最も改善するべきなのは、
正当な対価の得られない労働、つまり「サービス残業」を
減らしていくことでしょう。
単純に解決策としては、
@違法企業への罰則規定の強化、
A残業労働への規程料金の底上げ
など法的なアプローチが近道だと思われます。

もっとも、日本では*4サービス残業をさせることが、
法律違反で刑事罰の対象であるという意識もかなり薄く、
それどころか、サービス残業含め、馬車馬のように働かされているのを
俺様伝説として、胸を張って語るのに美徳を感じるという
真性マゾな風習がしばしば見られるので、
いろいろと、考えるところがあります。*5

他にも、労働時間、労働形態の歪みというのが、
グローバリゼーションの進展による過激な経済競争に関連などの
議論があるわけですが、その辺に入り込むと
かなり複雑になってくるので、またの機会ということで



Profile of Single Dad

働きすぎの時代
森岡 孝二
8月に出版された岩波の新書です。  岩波新書を手にするのは何年振りでしょうか? 学生時代はよく読んでいたのですが。
それで『働きすぎの時代』
グローバリゼーション、情報技術、消費社会、規制緩和などに着目して今日の過重労働に迫る。まっとうな働き方ができる社会を作っていくために、今何が必要なのか。


私みたいに夜8時には家に居る人間が「働きすぎ」について意見するのは、恥ずかしいのですが、この本は、一旦減少傾向にあった労働時間が世界的に最近増加の傾向にあること、またその原因は何かを分かりやすく説明してくれています。

終章は、「働きすぎにブレーキをかける」という事で、個人のレベルで何ができるかとの提言はなかなか示唆に富んでいるのですが、(太字は本書より)

■自分と家族の時間を大切にする。
■家事の分担、近所付き合い、ボランティアへの参加
 パチッ☆-(^ー'*)bナルホド 分る、分る!

■有給休暇はめいっぱい取得し、年に一回は一、二週間の連続休暇を取る。
 取りた〜い。 どっか行きた〜い! でもねぇ・・・・・、
 全員がほぼ100%の出勤率で人員って決まっているんだよね。
 そんなに休むと他の人にね・・・。 
 因みに私の有給休暇40日。 使うのは1年で多くて5日かな。
 あとは、・・・(・・*)ノ ⌒◇ポイッ 捨ててます (>_<)
 
■情報ツールによる仕事のボーダレス化を阻止し、時間帯によっては受信拒否する。
 たしかに最近は休みの日に会社からや取引先から電話は入るし、
 どうしてプライベートの携帯の番号を会社に教えないといけないの?

■サービスや利便性を売り物にする消費のあり方を働き方から直す
 ( ̄ー ̄(_ _( ̄ー ̄(_ _そうそう。 24時間のコンビニ、
 夜遅くまでやっているスーパー、明日には届いちゃう宅急便!
 確かに便利、でもその裏で長時間労働を余儀なくされている人達
 がいらっしゃる。 そんな人たちをちょっと想像してみるのも良いかも。

■働きすぎと浪費の悪循環から抜け出して、スローライフに転換する。
 所得より自由時間、出世より自己実現の追及! 田舎暮らし! ダウンシフター!
 格好いい! 憧れです! でも今はなにも出来ない。 

でもこの本を読むと、今は劇的な変化は自分も社会も出来ないけれど、自分の働き方を見直して一歩でも理想に近づこう!ってキッカケをもらえる本です。



sociologic

【2005/11/17】
以前にも間接的に紹介した「働きすぎの時代」を今更ながら読了。現実認識は正しいけど、全員(少なくとも大半)が同時に行動しない限り変わらないですよね。だから分割統治が有効。個人の戦略としてはさっさと経営側に行く事でしょうか(経営側は経営側で厳しいでしょうが)。やはり働く人は一方で消費者でもある、ってのが一番のポイントかと。便利で「豊か」な消費社会を望んだのは私たちです。



読もうよビジネス書

週刊東洋経済掲載の書評 『ブックレビュー』の紹介です。
働きすぎの時代
森岡 孝二

過労死が大きな社会問題になったのは、バブル経済盛んなりしころの1980年代後半であった。「Karoshi」という言葉が英語にもなったが、人々は、いや日本人はなぜ死に至るほど働きすぎるのだろうか。

もっとも、日本人がみな過労死するほど働きすぎるのではない。役人が過労死したという話はあまり聞かないし、大学の先生が過労死したということも聞かない。会社に勤めている人が会社のために働きすぎているのである。バブル経済が崩壊したあと不況が長期間続いたので、会社の仕事も減り、働きすぎる人も少なくなるはずだったが、そうはなっていない。

なぜ、そんなに働きすぎるのか。株主オンブズマンの運動を先頭に立って行ってきた著者は株式会社論を専門としているが、かねて労働時間の問題に深い関心を抱いて論文や本を書いている。

著者によると、働きすぎは日本人だけの問題ではなく、アメリカ人やイギリス人も働きすぎになっているという。そこで、グローバル資本主義、情報資本主義、消費資本主義、フリーター資本主義という四つの面が現代の資本主義の特徴であり、これが人々を働きすぎにしているのだという。確かにグローバリゼーションや情報化が世界的に進展していることが働きすぎを起こさせているのだろうが、しかし、逆にグローバリゼーションの進展で労働時間が短くなるということも可能だし、パソコンやインターネットの普及で仕事の時間が少なくなるということも考えられる。

にもかかわらず、なぜそうならなかったのか。グローバリゼーションも情報化も、そして消費資本主義もフリーター資本主義も、それを積極的に推進しているのは会社、とりわけ巨大株式会社ではないか。70年代からのプロフィット・スクイーズ(利潤圧縮)に対抗するために巨大株式会社が主体的に推進したのが著者が挙げているような四つの面であった。

そしてこのために労働基準を緩和させ、働かせすぎを可能にしたのも巨大株式会社の利益のためではなかったか。このような働きすぎにブレーキをかけるにはどうしたらよいか、ということを最終章で取り上げ、労働者は自分と家族の時間を大切にせよ、年休をいっぱい取れ、残業はできるだけするな、などという。そして労働組合や企業もそれに協力すべきだし、国の法律や制度も変えるべきだと具体的に提案している。

この当たり前の提案が受け入れられれば問題はないが、はたしてそうなるであろうか。問題は会社のあり方にあるのではないか。【評者 奥村 宏 株式会社研究家】



今日の一冊

働きすぎの時代

クリントン政権時の労働長官ライシュ言葉
『「われわれが収入のために働くことが、われわれを豊かにさせるのであれば、どうしてわれわれの個人的な生活は貧しくなってしまうのか」』



Wallaby's den

October 15, 2005
働きすぎの時代
森岡孝二著作の岩波新書。

1990以降、日本に限らず欧米でも労働時間は増大しているとのこと。
情報通信革命によりどこでもE-mailができ、ケータイによるる通話もできるようになって、かえってどこにいても仕事をするはめになったのも要因のひとつだそうな。
また、日本では30代の人が一番労働時間が長いということ。
私も30代のある時点までは長時間労働していたが、今ではその当時と比べてれば随分、労働時間が減ったように思う。
自宅にいても常時インターネットに接続できるようになって、私の場合はひとりお家で仕事ができて楽になったのが大きいです。

"karoshi"(過労死)が英単語としてオックスフォード英語辞典に載っているなんて、なんという時代になったんでしょ。

働きすぎの時代 岩波新書



オーバーワーク 
(働きすぎの時代 岩波新書の写真を貼り付けている)

私の残業時間を制限しないと私の上司がタイーホされるそうです。むしろ(最初から部下の残業時間を管理していない上司なんてタイーホされてしまえ)と心の中でつぶやきながら、今日も徹夜なわけですが。
実体験から残業時間が及ぼす私生活への影響を考えてみると、月間残業時間が


■50時間とすると、毎日19時、20時頃帰社。帰宅が20時〜21時。途中で飲みに行ったりして、0時就寝といったところでしょうか。もちろん土日は休暇を満喫。(タイプA)

■80時間とすると、毎日22時、23時帰社。帰宅するのが0時くらいで、1時〜2時頃就寝。まあこれも土日は休暇を満喫。(タイプB)


■100時間とすると、だいたい23時〜終電。1,2回の休出ありといったかんじで、就寝時間は2時くらい。(タイプC)


■140時間とすると、毎日終電。毎週土日どちらかは出勤なかんじ。就寝時間は2時くらい。(タイプD)


■180時間とすると、毎日終電&週2回ほど徹夜。毎週土日どちらかは出勤。(タイプE)


今年に入ってからの勤務体系はひどく、タイプB,B,C,D,Eときています。あまり自分の残業時間がどうのこうのって書いたって、自分にも読んでくれている人にもつまんない話ですが、一応、これ日記なので。早くラクにしてください。今週は3日も徹夜でした。どういうこと!?

働きすぎの時代

サービス残業・労使トラブルを解消する就業規則の見直し方

社長!会社を守るには就業規則を見直してください―ケーススタディから学ぶ労働トラブル回避のツボ



今日のできごと

アマゾン・ドット・コム

今日、アマゾンで本を買った。
大学時代から活用していただ、これは実に便利なサイトだ。
なにしろ、買った本が次の日、遅くとも次の次の日には届くのだ。

更に驚くのは、以前、買った本をもとその人がにどんな本に興味があるかを分析し、お勧めの本を紹介してくれるのである。
しかもそれがドンピシャ。
さらにその本をクリックすると「この本を買った人は他にこんな本も買ってます」とまたまた紹介してくれるのだ。
それがまたドンピシャ。
読みたい、読みた過ぎる!!
と思ってまたそれも買ってしまいもともと1冊も買うつもりはなかったのに何の気なしにサイトを開いたが故に結局、6冊買ってしまった。

私がアマゾンを利用する度に思い出す話がある。
以前読んだ本(森岡孝二著『働きすぎの時代』)に書かれていたことなのだが、これは過酷な労働の上に成り立っているビジネスだ。
アマゾンのスピードの秘密は「ハイテクとは対照的な肉体労働の世界」。
物流センターでは、常時100人(1週間では400人)のアルバイトが注文された本を「1分3冊」のノルマでひたすら探し回る。
アルイトの大半はは30代から50代の男女。
2ヶ月ごとの契約で雇われ、健康保険も厚生年金もなく時給だけを受け取る。
しかもその時給は900円だったのが850円に引き下げられ、何年続けてもあがることはない。1年もつアルバイトは10人に1人もいない。

アマゾンで注文した本が届くと私は1分3冊で本を探し回るおじさん、おばさんの姿を想像する。
なんともいえない。
でも、池袋ジュンク堂に行ってもない本がアマゾンにはあるんだもん(><)
みなさん、仕事を増やしてごめんなさい、、、と思ったりもするが、それもなんだか違う。

ITの普及によって「あぁ便利だなぁ」と思うことが増えた。
なにかあったらネットネット、、と私はすぐにPCに頼る。
アマゾンも利用すれば、ヤフオクも利用する。
なければないで生きていけるけれど。
でもやっぱりほしい。

しかし、便利になった一方で、今までしなくてもよかった仕事をしなければならなくなったり、毎日が忙しくなった人はたくさんいるし、アマゾンのような過酷な労働条件で働いている人の上に成り立っているITビジネスは数多くある。

じゃぁ私、どうしようか、となったときに身動きがとれなくなってしまう。
ITビジネスに問題を感じながらその恩恵をこうむっている張本人であるが故に。。。

著者の森岡氏は労働問題の一例としてこのアマゾンを取り上げていた。
労働環境の改善、急務である。

しかし、今の私が労働環境の改善のために何をしているかといえば、何もしていない。
そして今日も本を買った。
でもだから買わないというのもなんか違う。

とにかく今はこのことは忘れずに日々考え続けていきたい。



学級崩壊しているクラスから

働きすぎの時代

傑作(0)
2005/10/24(月) 午後 8:51 | 中学校・部活 | 中学校

岩波新書『働きすぎの時代』を読んだ。

この本によると、オレと同年代30代前半の平均勤務時間は
9時間という。

ちょっとまて、これが長め?

オレは毎日7時出勤、最低でも6時30分退勤
日々12時間前後働いているぞ。

まぁ上をみたらキリがないんだけど。

やっぱり暇な時間がほし〜いよ〜。



黒いTシャツデザイナーの2行日記

8月30日 岩波新書の「働きすぎの時代」を買ってみた。過重労働が世界的な現象であること、つまり、今の経済システムに原因があることが書かれている。ところで、今回の選挙のマニフェストで2大政党は過重労働問題を真剣に扱ってはいない。つまりこの問題は、自民党か民主党かということよりもラジカルな変化を要求する問題ということ。それから、これから更に加速していくということ。昨日触れたことも同じ。これらの問題への注目を高めるために最も効果的な今回の選挙の結果は、これらの問題を全面に出している政党がマスコミの予想を超える躍進をすること。しかし、これらの社会の根幹に関わる問題を、意識的・戦略的に争点にしようとしている政党はまだない。みんな流行ばかり追っている。日本はあきらめたほうがいい?

以上、05/11/22更新



「毎日新聞」今週の本棚: 2005年9月18日
中村達也・評 『働きすぎの時代』=森岡孝二・著
 (岩波新書・819円)

 ◇利便性の陰に広がる過酷な労働世界

 「ホタル族」という言葉をご存じだろうか。長時間労働やサービス残業への世の中の批判が高まり、厚生労働省の監督が厳しくなって、夜九時、会社の天井の電灯が一斉に消える。そんな中で、パソコン画面と電気スタンドの明かりを頼りに残業を続ける人たちのことである。薄暗い部屋の中で、パソコンに向かって黙々と仕事に打ち込んでいる風景は、なんとも侘びしい。ひと頃まではあんなに労働時間の短縮が叫ばれていたのに、まったくの様変わりである。

 いや正確には、長時間労働の人たちと短時間労働の人たちに両極分化し始めたといった方がよい。労働基準法の第三二条では、使用者は労働者に一週に四〇時間を超えて、一日に八時間を超えて労働させてはいけないとされている。しかし第三六条では、もしも労使間に協定が結ばれるなら、時間外労働も休日労働も認められるとされている。このいわゆる「三六(さぶろく)協定」によって、事実上、残業が野放し状態になっているのである。

 一方、九〇年代以降、パート・アルバイト・派遣などの非正規社員が正社員にとって代わり、すでに三割を超えるまでになっている。これらの人たちは、身分的にも不安定な短時間の低賃金労働が中心である。かくして、週六〇時間以上の正社員と、週三五時間未満の非正規社員への両極分化がはっきりしてきた。とりわけ、三〇代の男性正社員の長時間労働がきわだっている。「ホタル族」は、いわばそうした状況の象徴といってもよい。

 そんな中で、年間一八〇〇労働時間を目標に一九九二年に制定された時短促進法が廃止されようとしている。厚生労働相の諮問機関である労働政策審議会が、全労働者一律の労働時間短縮は今や時代状況に適さなくなったとして、「労働時間の短縮」ではなく「労働時間の設定」を提案しているのである。労働時間を、労使の「自主性」に委ねて自由に「設定」すべきだというのである。こうした流れが、果たしてどのようにして生み出されるにいたったのか。著者は、資本主義の構造変化に結びつけてそれを解き明かす。

 その構造変化とは、次のキーワードによって表現される。(一)グローバル資本主義、(二)情報資本主義、(三)消費資本主義、(四)フリーター資本主義、の四つである。例えば、日本の大企業の海外生産比率は、いまや三割を超えている。中国、メキシコなどの低賃金で劣悪な労働条件の国で商品を生産し、それを日本に逆輸入する。われわれ消費者は低価格の恩恵に浴するものの、競合する国内の会社で働く人たちは雇用の場を脅かされ、価格下落に伴う賃金の切り下げや労働時間の延長を余儀なくされる。『ニューヨーク・タイムズ』の報じるところによれば、中国の反日ストライキは、一日一一時間労働で基本給が月六千円という待遇への不満が爆発したものだという。そうした途上国の労働者と日本の働き手が競合関係にある点を著者は強調する。

 あるいはまた、情報通信技術の発展が仕事のスピードを速め、かえって仕事量を増やしている。コンピューターの導入が労働を単純化し、非正規雇用で仕事を賄うことができるようになった。リストラを免れた正社員の長時間労働と、非正規社員の短時間労働への両極分化である。さらに、コンビニや宅配便に代表されるように、消費者にとっての利便性がとことん追求され、それに対応するために、パートやアルバイトの細切れの過酷な労働が求められるようになった。

 著者が紹介しているアマゾン・ドット・コムの例が、胸に突き刺さる。インターネットを通じてワンクリックで本を注文すれば、瞬時にアマゾンの物流センターにつながる。その巨大なセンターでは、常時百人程のアルバイトが待機していて、注文された本を「一分で三冊」のノルマでひたすら探し回る。労働が厳しいために、アルバイトを一年も続けるのは一〇人に一人もいないという。見つかった本は梱包されて宅配便業者に渡され、深夜便を含む過密労働によって、翌日、消費者のもとに届く。消費者が求める利便性の陰に、どんな労働世界があるのかを知って、思わず考え込まされてしまう。

 そうした過酷な労働を可能にしているのが、著者のいう「フリーター資本主義」である。パート・アルバイト・派遣など非正規の労働者が基幹労働力として組み込まれていてこそ、経済が成り立っているのだ、と。しかもこうした動きは、どうやら日本だけではないようだ。ヨーロッパ大陸諸国は別として、アメリカやイギリス、つまりアングロサクソン圏でも、一九八〇年代を境に、とりわけホワイトカラーの労働時間延長の動きが始まっているらしい。思わぬ「ジャパナイゼーション」の広がりである。つまるところ、われわれは、どんなライフスタイルを望んでいるのだろうかと、つくづく考えさせられる一冊である。



読売新聞 2005/ 09/ 04
「働きすぎの時代」森岡孝二著

 世界の労働時間は1980年代以降、減少から拡大傾向に転じたと筆者は訴える。グローバル化で企業競争が拡大し、インターネットの発展で自宅でも仕事をする人が増えたためだ。過剰労働社会を警告し、改善のための処方箋(せん)を示した。(岩波新書、780円)



毎日エコノミスト 2005/09/06
働きすぎの時代 岩波新書
森岡 孝二

いまや世界の労働時間は減少から増加へと転じ、日本人顔負けのモーレツな働きぶりの欧米人など、新たな「働きすぎの時代」に入っているという。著者はこの現象を、グローバル資本主義、情報資本主義、消費資本主義、フリーター資本主義という、現代の高度資本主義の四つの特徴から分析する。


朝日新聞 2005/09/25
中国農民の反乱、−−隠された反日の温床
著者: 清水 美和  出版社: 講談社

働きすぎの時代
著者: 森岡 孝二  出版社: 岩波書店

下流社会−−新たな階層集団の出現
著者: 三浦 展  出版社: 光文社

格差拡大、中国でも日本でも 斎藤貴男さん


 中国の最大のアキレス腱(けん)は「三農問題」である。農業、農村、農民。基幹産業でしかも人口の過半を占める存在が、“狗日的(人でなし)戸籍”と呼ばれる独特の身分制度によって底辺に捨て置かれ、すべてに二等公民(市民)の扱いを受けてきた。

 彼らは経済成長の恩恵にも与(あずか)れない。一方ではテレビやインターネットの普及で、大都市の情報がなだれ込む。堆積(たいせき)していた不満が、当然、爆発し始めた。

 『中国農民の反乱』は、中国深奥部のそんな実態を活写している。日本にあまり伝えられてこなかったのは、沿海各州の開放経済や人民元の行方のようには、とりあえずのカネにならないためか。

 毛沢東の故郷で、無名の村で、農民たちは蜂起した。中国四千年の歴史が事あるごとに求めてきた“農民領袖(りょうしゅう)”たちが、はたして今回も台頭する。改革を急ぐ中央の実力者らは、彼らをこそ国を統べる道具に活用したがるものの、変革期には私利私欲の追求を否定したユートピア思想“大同世界”への夢に大衆が熱狂する習いが、グローバル経済での必勝を期す国家戦略とも矛盾して……。

 評価も判断も軽々にはできない。ただ、反日ムードが生意気だとか、いずれは分裂するに違いないなどという、やたら勇ましい短絡で対立してしまってよい相手ではない真実は読み取れる。

 学生時代のトラウマを経て、十年以上の歳月を北京や香港の特派員として過ごした筆者は、中国の情報筋を安易には信じない。今どき慎重な筆致が心地よい。

 さて、日本でも国民各層の格差拡大が深刻な社会問題になりつつあるのは周知の通り。中国農民のドラマに比べれば卑小にも映るが、先行するアメリカ同様、自称エリートのホワイトカラーも含め、人間という人間が資本への奉仕に動員されていく奔流も狂気に近い。『働きすぎの時代』に描かれた現実と提案に学ぼう。

 日本の経済格差、不平等社会日本、機会不平等、希望格差社会、ときて、ついに『下流社会』が出た。マーケッターを兼ねた著者らしいタイトルの妙はさておき、このテーマは考えれば考えるほど複雑だと改めて思い知らされた。お互い他者に対する最低限の想像力と優しさを歯止めにしなければと、いつもと同じ感想をここでも書き留めておくしかない。



アマゾン・カスタマーレビュー
森岡 孝二 (著) 働きすぎの時代 岩波新書 新赤版 (963))



二極社会のグローバル化を検証(お勧め!), 2005/11/23
レビュアー: graduate_student - 自分が書き込んだレビューをすべて見る

最近、格差社会本が売れていますが、その現象を指摘しただけではなんら積極的な提言をなしておらず、その背景にある多国籍企業の動きとそれを容認する政治の動きを視野に入れないことには本格的な分析になりません。森岡氏は関西大学教授ながら、NGO株主オンブスマンの立ち上げや過労死訴訟へのかかわりを通じて、ここ20年ほど日本の労働問題に現実的かつ理論的な分析を残してきた大家です。分析のビジョンは彼のこれまでの研究蓄積がすべて生かされ、1)株主資本主義の台頭、2)それを支えるIT化による24時間労働化、3)同時に生ずる正社員と非正規社員への雇用の二極分化(「フリーター資本主義」)、4)すべてを規定する消費至上主義という点に集約されています。

最近の本では週刊誌レベルの駄文、わかった気になっているジャーナリスト上がりの著作が売れていますが、この本を読むといかに多角的な本が必要で、従来の議論を批判的に検討することが必要かとあらためて思います。学生よ読むならこういう新書を読め!とアジテーションしたくなる一品です。(最後意味不明)


とるべき対策が書かれていて具体的, 2005/11/06
レビュアー: right-now

学者によって書かれた本には、現状や分析だけ書かれて、「ではどうすればよいのか」という対策が書かれていないものが多いが、本書は違う。

本書では、悲鳴を上げる労働現場の実情、その原因(パソコンなどの情報化や、企業の姿勢、労働法制の不備など)がしっかり書かれているうえに、労働者が身を守るために気をつけることや、労働組合はどうすべきか、また制度をどう変えていくべきかも書かれていて、参考になる。


悪いのは労働者ではない, 2005/10/15
レビュアー: くま (プロフィールを見る)   岡山県

情報通信技術の発達が経済のグローバリゼーションを誘発し、それがアメリカイギリスも日本みたいな過労死続発という事態をもたらし、更にそれが24時間労働も可能にする情報通信技術の発達を促し、日本では派遣企業の拡大、アルバイト・パートの活用という賃金のダウンサイジングへと続いていく……この止まりそうにない「悪循環」の中で、労働者は声にならない悲鳴を上げている。その仕組みをきちんと描いている。

この10年間でわれわれは日本経団連の『新時代の「日本的経営」』(1995)でつくられた戦略にまんまと嵌められてしまった気がする。この書物では次の記述があった。正規社員(Åグループ)有期雇用の低年俸契約社員(Bグループ)雇用柔軟のパート・アルバイト・派遣(Cグループ)この三類型に分け、Aを極端に絞り込み、BとCを大幅に増やして、雇用の流動化と人件費の引き下げを推し進めることが提案されている。私は90年代後半リアルタイムでこの本の内容については聞いたが、全然実感がわかなかった。パートアルバイトはあくまで若者と共働きの補助収入と認識しており、年収100万〜300万の層がここまで増えるとは想像できなかった。(01年で417万人)。

政府と財界の「戦略」はまだ完結してないどころか、これから仕上げの段階に入ろうとしている。しかしそのことを描くのはこの本の課題ではない


いつのまにか働きすぎになっていませんか, 2005/10/02
レビュアー: vatmideo (プロフィールを見る)   大阪府

 2002年の「オックスフォード英語辞典」のオンライン版に「Karoshi」(過労死)が追加されたという。つまり日本発のモーレツが欧米にも浸透しているということか。
 本書の豊富なデータに基づいた記述では、労働時間の短くなっている人とどんどん長くなっている人との二極分化が進行しているという。特に正社員では競争・ノルマがきつく、労働時間が延びている。
 ニート、アルバイトの増加は、そういった競争からの離脱かもしれないが、その分、正社員がよりきつい状況に曝されることになる。
いくら法律で規制しても「サービス残業」はその網の目をくぐってしまうことになるだろう。
 それらの現状を詳らかに分析し、著者の提言が述べられている。
 周囲に同調して、知らず知らずのうちに働きすぎになっている人は、自分の仕事のペースを見直すためにもお勧めの本。


労働者が万雷の拍手で迎える本, 2005/09/29
レビュアー: マルチちゅ (プロフィールを見る)   岐阜県可児市

 本書は日本の労働者を苦しめている長時間労働について、その悲惨な実態を告発し、労働時間の短縮を訴える本です。
 本書の特徴は詳細な数値データと、マスコミ等に寄せられた生々しく凄惨な労働の実態、そして行間の節々に垣間見られる著者の「長時間労働は人間らしい生活を保障しない」という強い思いです。爆発寸前の緊張感がひしひしと伝わってきて、胸の内に切迫感を抱かずにはいられません。
 しかし、ただの告発には終わりません。この「働きすぎ」はどのように起こっているのか、4つのシンプルな分析軸から丹念に分析していきます。個人的には働きすぎが日本だけでなく、世界全体にまで広がっていて、まさに「働きすぎの時代」になっているということに驚きました。
 最後には働きすぎにブレーキをかける様々な行動指針が提案されます。些か決定打に欠けるような気もしますが、労働条件や権利を全く知らない人にとってはこれでもかなりの力になると思います。無力だった人々が少しずつ力をつけ、それがまとまることで大きな力になるのではないでしょうか。
 日本で働く労働者の大多数が、本書を読んで「そのとおり!」と、まさに万雷の拍手でもって迎える内容です。本書を読むことで、日々苦しめられている長時間労働を客観的に見ることができ、そして現状の改革に向けて大きく励まされる、そんな力強い本です。


労働者は消耗品でも奴隷でもない, 2005/09/29
レビュアー: kewpie (プロフィールを見る)

 景気が上向きだといっても、誰もちっとも幸福そうにみえないのは、多分仕事に疲れているからだろうと思っていた。また、サービス業全般の昨今のサービスぶりは空恐ろしくなるほどである。誰かが無理をしているはずなのであり、それが自分自身であることも少なくないのだから、いつまでたっても歯止めがかからないことに、私は強い違和感を感じていた。
 こうした現代日本の異常な事態を、労働者の働き過ぎの観点から見事に論考した本が登場した。私が教えて欲しかったことが、ほぼ余さず書かれている。企業トップたちによる「経済改革」が、実はより徹底的な労働搾取、より効率的な金儲けの合法化に他ならないことも暴かれている。本書は、その周到さ、簡潔さ、  明快さから、名著と呼ぶに値する。また、まことに時宜を得た出版である。
 それでもまだ、甘いと感じる点もある。私は医師なので、研修医の労働時間がここに書かれた数字よりもはるかに長いことを知っているし、研修を終えた医師でも、超長時間労働に甘んじている人がむしろ大半である。長く働くこと、職場に長時間いることを「偉い」と考える風潮があることも、労働環境の悪化に手を貸している。私が知っている職場は医療機関だけであるが、他職種がそうでないと考えることはむしろ不自然であり、過労死の予備軍は、著者が考えているよりも遙かに多いと考えられる。また、夫に対して休養を望む妻が44%だった(p.194)、ということは、つまり56%はそうではないということである。より高いステータス、より高い収入のために、配偶者(または息子、娘)をもっと働かせたい、という考えも成立しうる。医師の場合、ステータスの高い病院ほど給料は安い傾向にあるが、ステータス(つまりは見栄)だけのために、家族が夫(や妻、息子、娘)をそうした勤務に縛り付けることも、実際にある。労働は人生において重要な要素ではあるが、何よりも人には「人たるに値する生活」(p.211)を営む権利がある。かつて過労死に接近遭遇した経験をもつ一人として、本書は働く人だけでなく、その家族にとっても必読の書であると考える。


安心しました。, 2005/09/28
レビュアー: qwerty   埼玉
 僕は今年の3月に過労で体を壊して会社をやめましたが、自分の体力のなさや体調管理に問題があったのではないかと自分を責めていた日々がありました。しかし、働きすぎは自分一人の問題ではなく社会の病理である事がこの本を読んで理解し、少し安心しました。


たしかにそうだ, 2005/09/27
レビュアー: クリエイティブFMKTG田作健一 (プロフィールを見る)   東京都

 たしかに、自分も含めて、働きすぎかもしれない。もっと適当にやりたという気もしてくるが、そうはいかない。
 特に日本人の顕著な傾向だ。
 本書は資料統計がかなり充実している。調査は相当されている。ただ、企業実態への踏み込みがもっとあってもよかったのではないかと思う。


警鐘が届くか, 2005/09/09
レビュアー: 佐藤忠義  (プロフィールを見る)   大阪府 Japan

 本書の指摘は極めて正しい。だが、社会全体に余裕がなくなりつつある現在、残念ながらこうした傾向は今後ますます広がっていくだろう。 
 日本人の`勤勉さ´がこうした傾向に拍車をかける。職場内で、働きすぎを減らすためにどうしたら良いか、を考えるプロジェクトを作っても、そのために残業をしてしまうのが日本人だからである。本来なら労働者の健康や労働条件を守るべき厚生労働省の役人が過労であったり、本書の著者自身がそうであったり、こうした事例は枚挙に暇がない。
 経営者側の配慮が第一なことは言うまでもないが、私たち自身がもう少し`いい加減´になることこそが必要だ。電車や宅配便が遅れていらだつ私たちが、その向こうで働く人々の過労を誘発しているのだから。


紙上の実論, 2005/08/26

レビュアー: 清田 カー (プロフィールを見る)   青葉区

 この本のよいところ
@自分の体験・見聞した限りでも正しいと思われる、現在の日本の労働環境の悪化を、資料を駆使して表現しているところ。この本を読んだ人は、現実に起こっていることに対する疑問を解消できるであろう。
A巻末資料が充実しているところ。文献のみならず、労働局・労働基準監督署の一覧や、ホームページのアドレスまでたくさん載っている。この本を読んで疑問に思ったり、もっと詳しく知りたい人に対する配慮が行き届いている。
この本のイマイチなところ
@著者が学者であるためか、内部に入っての取材が足りないと感じた(せいぜい学生に対する調査だけで、企業内部に潜入している部分はあまりなかったように感じた)。
A終章の提言。労働者はわかっていても提言のとおりにはしにくいだろう。やはり法律の制定・ILO条約の批准が最重要課題だろう。
結論
 いいところ星5つ、イマイチなところで星1つひいて星4つ。しかし、この本は今働いている労働者のみならず、学生、政治家、経営者にぜひ読んでほしい。


働かされる理由, 2005/08/26
レビュアー: ソコツ (プロフィールを見る)

 容赦なく拡大する「働きすぎ」の原因を解明し、それに一定の歯止めをかけることを提言する本。豊富なデータに基づいた現状の問題の指摘には、かなり驚かされた。
 グローバル化により、世界中でもっとも安価で長時間こき使える人々の所に仕事がまわり、競争が激化して、世界各地で賃金が引下げられ、労働時間は引き延ばされる。高度の情報化により、新種の仕事が増えるだけでなく、私生活と職場が着実につながれて、仕事がどこまでもついてくる。消費社会化により、「自分らしさ」を確認するためにも買いたいモノが多すぎて、たくさん働いて稼がなくてはならない。企業はフリーター(派遣なども含めて)をいいように活用した方が効率がよいから、不安的な雇用形態に依存せざるをえない人が増える一方で、しぼりこまれた正社員たちは過剰な仕事を押しつけられる……。
 こうした背景のもと、いくつか引用される「働きすぎ」の事例は悲惨である。著者は、新聞の投書欄やネット上の関連ページから、「犠牲者」の家族らの「証言」を拾ってくるのだが、その悪夢のような記述を読んでいると、著者の客観的な社会分析の方も具体的かつ鮮明になってきて、この書物の世界にどんどんひきこまれていった。こういっては不適切かもしれないが、「読みもの」としても、十分おもしろいのだ。
 最後に、いくつかの改良案がコンパクトにまとめられている。「スローライフ」の紹介など、著者はこれもやはり別の「ビジネス」に結びついてしまうだろう、という点にも注意を向けつつ、しかしこの恐ろしいまでの「スピード社会」をどうにかするための一つの希望として、ささやかに語られている



中澤信彦 乱読ノート 2005-09-12
森岡孝二『働きすぎの時代』

同僚の森岡さんの新著。今日は脳みそが元気だったので、一日で一気に読み通すことができた。

今や、「世界でもっとも豊かな(はずの)国」アメリカでも、「ゆったりと時間が流れる(はずの)国」イギリスでも、日本に劣らず過重労働や過労死が問題となっている。本書は、現代を「働きすぎの時代」ととらえ、その主要な背景を1980年代以降の資本主義の変化の4つの特徴、「グローバル資本主義」「情報資本主義」「消費資本主義」「フリーター資本主義」に求めている。それぞれに1章ずつをあてて――もちろんこれら4つは相互に密接に関連しあっているが――、豊富な(しかし痛ましい)具体的事例を援用しながら、過重労働の原因に迫っている。

著者は株式会社論の専門家として研究生活をスタートさせた。前任校ではアメリカ経済論を講義されていたと聞いている。以下の一節を読めば、労働時間論が著者の三十数年来の研究と教育の合流地点であることがよくわかる。

アメリカ経済は1970年代に石油危機をやインフレで困難に見舞われ、1980年代にかけて長期の停滞に陥った。1980年代のアメリカでは、日本をはじめとする他の国々との競争の激化に直面して、乗っ取りや大型合併が続いた。この時期からアメリカ企業では経営者が「従業員が多すぎる」「過剰な福利厚生で甘やかされている」などと言い立てるようになった。そして、余分の人員や人件費を削減して「リーン」な(引き締まった)会社に変える新しい経営スタイルがもてはやされるようになり、本格的なダウンサイジングが始まった。それとともに、戦後の労使関係に特徴的であった温情主義的経営――雇用の安定、余暇時間、企業福祉――がかなぐり捨てられ、日本企業も顔負けの猛烈経営が広がってきたのである。

10年」と言われた1980年代に台頭してきた株価至上主義経営においては、株式市場の評価が企業経営者たちにとっての最大の関心事になり、株主を重視し、株価を高くすることが従来にもまして企業経営の最優先事項となった。そういう経営が強まるにつれて、株式市場は、企業が大規模な人減らしを断行すればコスト削減効果から短期的には企業収益が増大し、株価が上がるので、当然のようにダウンサイジングを歓迎してきた。

・・・株価至上主義経営の台頭が労働条件を悪化させ働きすぎを助長してきた・・・。(pp.32-8)

著者が指摘しているように、たしかに1980年代に資本主義は大きく変容したように思う。イギリスのサッチャー、アメリカのレーガン、日本の中曽根は、「小さな政府」を旗印に、いわゆる「新自由主義」政策、民間企業の営利機会を拡大するための規制緩和・民営化・市場化を推し進めてきた。90年代に社民リベラル路線への揺り戻しがあったように見えたが、大きな流れは変わらないまま、その流れは21世紀に入っていっそう加速している。どうして流れは変わらなかったのか?クリントン政権時の労働長官であったライシュの見解がそれを象徴している。著者の説明によれば、

ライシュは、ニュー・エコノミーが雇用を不安定にしたり、労働時間を長くしたり、貧富の差を拡大したりして、家族の崩壊やコミュニティの分解を招くことを問題にしている。またそういうなかで人びとが誠実に生きることが難しくなっていることを憂えている。そして、ニュー・エコノミーがもたらす不公正を緩和し、人びとの生活を守るために採用するべき種々の改善策を提起してもいる。

・・・しかし、彼は規制緩和の時代の労働長官経験者にふさわしく、労働時間についても根本は規制緩和論者であり、法律による労働時間の制限や短縮には、慎重であるというよりは、むしろ消極的でさえある。なぜなら、ライシュは、「すばらしい取引の時代」が提供する、より良い、より速い、より安い製品とサービスはもはや放棄することができないと考えているからであり、また、人びとが豊かな生活を享受するためには、より長く働いてより多く稼ぐ選択肢を排除するような労働時間の短縮は放棄されなければならないと考えているからである。(pp.93-4)

僕はバブル絶頂期の1988年に大学に入学した。バブルと聞いて今の学生は就職活動に苦労しなくてすむバラ色の時代であったかのように想像するかもしれないが、少なくとも僕はすでに暗い未来を予感していた。長時間労働による過労自殺のニュースがちらほら聞こえてきた頃でもあり、「働きすぎの時代」の到来を薄々と感じ取っていたのだ。

果たせるかな、バブル経済は崩壊した。携帯電話が普及し始めたばかりの十数年前、電車の中で、「自分はエリートサラリーマンなんだぞ」とばかりに自慢げに大声で仕事の話にいそしむサラリーマンを数多く見かけた。学生だった僕は、「そんなもん持たされたら、24時間仕事に追い回されて、プライベートがなくなるだけやのに、なんで嬉しそうにしてるんやろう、おもちゃのつもりなんやろか」と心の中で悪態をついた。僕がおぼろげに予見していたダークな未来は、思っていたよりもずっと早く現実のものになってしまった。本書の第2章の表題どおり「家庭も出先も職場になった」。

「働きすぎの時代」を考えることは一種独特な閉塞感を伴う。苦しんでいる我々がその苦しみの作り手でもあるからだ。消費者としての我々が多様化・24時間化・スピード化の利便を求めれば求めるほど、労働者としての我々はそれだけますます消費者の欲望の奴隷となってしまうのだ。誰が敵なのかわからない。ゲリラ戦を戦っているようなものだ。

高度資本主義は物質的には豊かな社会だ。豊かな社会の中で若者は、長い就学(被扶養)期間を過ごすようになり、労働・生産の現場から遠く離れたまま、消費に専念できる特権的地位を与えられるようになった。労働ではなく消費によって自己実現が追及されるようになった。何を消費・購入したのかが、その人のアイデンティティを規定する。選択の自由がアイデンティティの基盤となる。本書の言う「消費競争」(p.84)とは、個人が消費を通じてしか自身のアイデンティティを探求できなくなってしまっている現実の別名なのだ。*1

・・・消費は以前にもまして、他人を真似たり、他人と張り合ったりする点で、ある種のコミュニケーション手段となり、ブランド志向にみられるように、自己のアイデンティティや社会的ステータスを表現するための手段となる。(p.85)

このように考えてみた時、働きすぎにブレーキをかけるには、本書の言うように、政府や企業(経営者)の労働者への配慮を高めることが必要なのは言うまでもないが、それ以上に決定的な問題に思えるのは、果たして我々自身がもう少し「スロー」になれるのか、スローな消費で満足できるのか、アイデンティティを維持できるのか、ということである。消費者としてスピードを求めながら、労働者としてスローでありたいと願うのは、たしかに身勝手な相談だ。しかし、そのような身勝手さの礼讃こそ資本制システムの本質であるとも言える。そもそも消費者とはどこまでも身勝手なものであり、身勝手を許されるからこそ消費は快楽なのではないか?

マルクスが述べているように、「家畜が餌を食うことは家畜自身の喜びであるからといって、それが資本の再生産過程の一環であることに変わりはない」。*2「働きすぎの時代」を考えることは、つまるところ、「情念(欲望)の奴隷」――今やその情念(欲望)大半は資本制システムによって強制的に生み出されているから「資本の奴隷」と言っても本質的には同じだ――としての人間存在(自分自身)を正視することなのだ。



キャリアネットワーク神戸
今日のコラム「働きすぎの時代」(第388回 2005.9.3)

◇岩波新書から、森岡孝二さんの「働きすぎの時代」という本が出たので読んでみた。働きすぎの悲鳴が聞こえると序章にあるが、たまたま入院した病院で人間らしい時間を取り戻したという話もわびしい。小生なども、転職希望の若い方と話していて、まっこと働きすぎを心配している。えらい時代になったものだ。過労死のことも時々新聞に取上げられているが、サラリーマンは気楽な稼業ときたもんだとは、ほど遠い時代になってしまった。

◇もう20年以上も前の話で恐縮だが、勤務していた化学メーカーでデュポン社と共同研究をやっていたが、そこの研究所ではあまり残業をしないんだと話していた。理由は、研究者が同じ時間働いて、どれだけ成果をあげたかを競うのであって、長時間働いて成果をあげても、それはフェアーではないと話していたのを思い出す。そのアメリカでも、今では働きすぎが蔓延しているらしく、隔世の感がある。働きすぎは、何も日本だけの話ではないようだ。

◇高度資本主義が働きすぎを生み出し、グローバル資本主義、情報資本主義、消費資本主義、それにフリーター資本主義と4つの側面があると解析しているが、競争、競争が生み出した産物でもある。グローバル資本主義では、中国等の賃金の安い労働者との競争。情報資本主義では、情報通信技術の変化が時間ベースの競争を強め、仕事量を増やしている。消費資本主義は、絶えず拡大する消費欲求を満たそうとして、消費競争のなかで、より多くの収入や高いポストを得んがために結局ハードに働いてしまう。フリーター資本主義は、企業の競争力を高めるためにとられた施策で、人件費削減に寄与する短時間労働の非正社員が増えた影で、正社員は長時間労働を強いられている。

◇とりわけ情報通信技術、端的にいえばインターネットが人びとの消費生活や労働生活に大きな変化をもたらしているという。アマゾンで書籍を注文された方もおられると思うが、インターネットで注文でき、翌日には注文した本が届くという、きわめて便利な仕組みで成功しているのだが、現実は、アマゾンの巨大な物流センターで、低賃金のアルバイトが、注文された本を「1分3冊」のノルマで必死になって探し回り、トラック運転手が長時間過密労働をやって成り立つシステムであるという。

◇競争、競争で、「働きすぎ」の悲鳴が聞こえる社会になってしまったようだが、こんな「働きすぎの時代」がいつまで続くのだろうかと、ふと疑問を覚える。こんな働きすぎの人生に疑問を覚え、現に、ライフスタイルを変える動きも増えているようだ。仕事一辺倒の生き方に別れを告げ、田舎暮らしを志す人も多い。

◇所得よりも自由時間、出世よりも自己実現の追求、転職や早期退職などによってライフスタイルを変えてみることと、森岡さんは助言しているが、自分も定年を過ぎた今、やっとそういうことができるようになった。まさしくスローライフに転換できたとも言えるのだが、現役のサラリーマン諸氏はそう簡単にライフスタイルを変えられないだろう。

◇しかし、消費のあり方を考えてみては如何でしょうかという著者の意見には賛成だ。働きすぎと消費の悪循環、消費者としてサービスや利便性の追求が結局長時間労働や雇用の不安定化をもたらしていることは確か。「モノからこころの時代へ」というキャッチフレーズを、もう一度思い起こす時ではないでしょうか。働きすぎの人には是非読んでもらいたい本だが、働きすぎで、本を読む時間もないのではと危惧する。

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 少しの勇気で動いて下さい!動かなければ何も変りません。
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心のノート ガラガラポン 2005/09/24
Book vol.14:『働きすぎの時代』
2005年9月24日掲載 学校の外から 読者から  

森岡孝二著『働きすぎの時代』(岩波新書、780円)はとってもよかった。タイトルが端的に表すように現在の「働きすぎの時代」を分析し、問題解決方向を提示した本だ。

 冒頭、現在は世界的にも「労働時間短縮(時短)の時代から働きすぎの時代」に逆行しているという分析に「そうだったのか!」と得心させられた。そして、週60時間以上働く労働者と週35時間未満働く非正規労働者(パート、派遣労働者等)への両極分化が進んできており、「過労死」問題等が起こっていると詳細な労働実態が分析される。

 このような労働の変化が起こっている原因として、著者は(1)グローバル資本主義、(2)情報資本主義、(3)消費資本主義、(4)フリーター資本主義を上げ、具体的にその分析を進める。その内容に衝撃を受け、著者の提示する実態のアクチュアリティにすごく納得させられた。そして、今後の方向性として、「スローライフ」の必要性を提示される。最後に「働きすぎ防止」の具体的な解決方策も提案される。(労働者、労働組合、企業のそれぞれに。さらに法律・制度改善の提案)

 利便性を追求する私たちの生活があり、それがたとえば宅急便配送労働者の過酷な長時間労働を生み出す。メール便を最近利用することが多くなったが、その裏の過酷な労働について考えさせられた。このようなことは注意して観察してみれば、あちこちに見られる。町中を汗をかきながら必死に走る「黒ネコヤマト」の労働者の姿を見よ!また、海外への工場移転は低賃金・長時間労働を現地労働者に強い、低価格の輸入品を日本にもたらすが、そのはね返りとして、日本の同業種労働者の低賃金・長時間労働をもたらし、自らの首をしめる結果となっている。

 また、日本の労働基準法は1週40時間、1日8時間と規定しているが、1日8時間を越える労働を禁止していず、超過勤務への歯止めが弱い。(同法37条)また、同法36条(時間外労働についての労働組合との協定)の規定は時間外労働を無制限に拡大させる原因になっているという指摘にはあらためて目をひらかされた。(教員には実質36協定が存在しない実態だが)企業での働きすぎの実態とその法的な歯止めのなさについて無知だったと認識をあらためさせられた。私たちは教員労働の超過勤務、休憩・休息時間の有名無実化の実態を告発し、裁判に訴えてきたが、さらにより広い労働世界と関係させてとらえ直さねばと思った。

森岡孝二著『働きすぎの時代』(岩波新書)

<目次>
序 章  働きすぎの悲鳴が聞こえる
第1章  世界に広がる働きすぎ/グローバル資本主義の逆流
第2章  家庭も出先も職場になった/情報資本主義の衝撃
第3章  消費が変える雇用と労働/消費資本主義の罠
第4章  労働の規制緩和と二極分化/フリーター資本主義の大波
第5章  労働基準とライフスタイル
終 章  働きすぎにブレーキをかける
あとがき



黒川滋の活動日記&報告
2005.08.31
8/31 努力貧乏の働きすぎの時代

●通勤電車の中で、森岡孝二「働き過ぎの時代」岩波新書を読む。技術革新や情報化で仕事が効率化しているとともに、いつでもどこでも仕事に応えなくてはならなくなって、かえって人間性を喪失した労働環境になっているという現実から、さまざまな問題提起をしている。引用文がいい。

買い手としての私たちにとって、より良い製品やサービスを求める選択が簡単になればなるほど、売り手の私たちは消費者をつなぎとめ、顧客を維持し、機会をとらえ、契約を取るために、ますます激しく闘わなくてはならなくなる。この結果、私たちの生活はますます狂乱状態になる。

24時間の郊外型スーパーができて、コンビニができて便利になる一方で、そんなところぐらいしか働き口がなくなっている現実がそれだ。そして、この狂乱状態の枠外にいる人だけが、つなぎとめられる消費者としてのおいしい思いをしている。つまり土地持ちの資産家、その子弟の大学院生とニート、公務員・教員、シンクタンク職員たちだ。そして彼らに対する必要以上の反感、嫉妬、風当たりも起きてくる。「民間はこんなに努力しているのに」と。でもそれは努力貧乏というものだ。でも、そうしないと目先食べていけない。無産者はやるせない。

それはともかく、ケインズ経済学が否定され、社会のパイを増やさずにがんばることがイデオロギーになった。社会の繁栄の源が、すべて需給の力関係と、それをシフトする個々人の努力の問題にすりかえられてきた。そうなると収奪しかない。低位安定のように見える労働政策や労働組合のふんばりは、収奪の邪魔者なのだろう。その絶叫して労働組合を批判し、収奪を正当化して言いくるめるのが、小泉構造改革だ。あるいは民主党の半分もそんなことかも知れない。
小泉は労働組合が国民の敵だと選挙演説で絶叫する。国民は自分が収奪される側であることを全く気づかず、収奪する側に立っていると勘違いして絶叫に聞き惚れている。

私は小泉構造改革も、規制緩和の盲信も、イデオロギーであり宗教のようなものだと思っている。結果的に人や社会を幸せにしようがしまいが、正しい、ということを前提に議論されているからだ。しかしその猛威は激しい。民主党の半分はそのいわしの頭を疑えない。だから金子勝にバカにされ続けているし、内橋克人にも相手にされない。



ささやかな思考の足跡 働きすぎの時代(T)

 大阪から帰ってくるとき、駅で買った本です。パラパラと読み始めている程度ですが、なかなか驚くほどの内容です。日本の長時間労働の実態のえげつなさは、格差社会が展開するなかで、いっそう深刻になっているとがよくわかります。同時に、驚いたのが、米英などの動向です。グローバル社会の展開のなかで、労働時間の長時間化がはじまっているという指摘。資料を見ると、この問題は、正直、とらえ直していかないといけないと思いました。フリーター資本主義など、新しい造語による分析も参考になります。働きすぎって自分のことだって? 全体を読んだ感想はまた後日。


ささやかな思考の足跡 働きすぎの時代(2)

 途中、ほかの本を読んでいたりしていたので、やっと読み終えることができました。
 さて、本の内容は、岩波のホームページには

 6月中旬の土曜日、学会主張のついでに岩波書店に立ち寄り、本書の編集について打ち合わせをした。そのなかで「働きすぎ」に関連して、書店のアマゾンが「一分一秒の世界」だという話を聞いた。
 帰宅後、ネットで検索し、アマゾンの巨大な物流センターでは、時給900円で注文された本を「一分に三冊」のノルマでひたすら探し回るという新聞記事を探し出した。翌日曜未明、アマゾンに先の記事に出ていた本を注文した。すると「二四時間以内に配達する」という触れ込みどおり、月曜の午前中には家に届いた。送り元は千葉県、家は大阪府。この間600キロを宅配便はひたすら走ったのだろうか。
 アマゾンや宅配便のことは他人事ではない。今この国では正社員もフリーターも働きすぎで悲鳴を上げている。
 本書では、さまざまな職場の過重労働の実態を掘り下げ、世界に広がる働きすぎの原因に迫る。そして、まっとうな働き方ができる社会を創っていくために、いま何が必要なのかを提起する。

 との著者からのコメントが紹介されています。このアマゾンのエピソードはあまりにも象徴的。
 働きすぎということが、いまや世界に広がっている。東アジア諸国、アメリカ、イギリス…。経済のグローバル化、情報化社会の進展で、24時間、それも家庭のなかまで仕事はおしかけてくる。消費社会で、その働きすぎは生活すべてを包み込みことになり、一方でその形態は、労働の規制緩和で2極分化していく。フリーターの時代である。働き方のみならず、人生のおくり方そのものが、その方向で追いつめられている。社会の根本から変えなければならない。
 21世紀のグローバル経済と情報化社会のなかで、働きすぎにブレーキをかけるには何をすればいいか。著者は、最後に提言を多面的におこなっている。「市場」が人間のすべてを支配し、命までも奪っていくこの社会。この本で提起されている問題はものすごく重い問題だと思った。



労働新聞 2005年9月25日号 通信・投稿
書籍紹介 森岡 孝二 著「働きすぎの時代」

背景にグローバル競争

 この本は、現代の労働者が働きすぎに追い込まれている現実を直視し、なぜそうなったのかを考察した本である。
 まず、過労死を含む日本の労働者の実態が明らかにされる。リストラによる労働強化で、過労死、過労自殺、精神障害などが急増。家族たちの切実な声も紹介されており、痛々しい。
 しかし、働きすぎに追い込まれているのは日本人だけではなく、世界的傾向であると指摘している。
 なぜ世界的な「働きすぎ」の時代が到来したのか。森岡氏は現代の高度資本主義社会が「働きすぎ」を招いていると分析。その主要な背景をグローバル資本主義、情報技術、消費社会、規制緩和などに求めている。
 グローバル資本主義によって、先進国ではかつてないリストラと産業再編の大波が起きている。日本は生産拠点の海外移転の圧力を受けて、中国など賃金が低く労働時間が長い国の労働者と競争させられ、賃金の引き下げと労働時間の延長を迫られている、と指摘している。
 第四章では、一九八〇年代の初めから、労働分野の規制緩和と労働市場の流動化が進められ、若年フリーターだけでなく、中高年も含めてアルバイト、パート、派遣などの非正規労働者が増加してきたことが述べられている。雇用形態が多様化すると同時に、所得の二極分化が進んでいる。二〇〇三年の統計によれば、現在すでに日本の労働者の四人に一人は年収百五十万円未満、二人に一人は年収三百万円未満、四人に三人は五百万円未満である。また、もっとも働きすぎは三十歳代男性で、四人に一人が週六十時間以上働いている現状が、明らかにされている。
 さらに、森岡氏は労働時間の歴史をふり返り、労働者がどうやって時短が勝ちとっていったのかにも言及している。
 労働時間の制限と短縮が始まったのは、一八三三年のイギリスの工場法からであり、四七年には十時間労働法が誕生。マルクスが指導した国際労働者協会は六六年に「われわれは労働日の制限が、それなしにはすべての改善と解放の試みが失敗に終わらざるをえない先決条件であると宣言する。…われわれは労働日の法定の限度として八時間労働を提起する」と八時間労働制を世界の労働運動の目標とすることを決定したことが紹介されている。
 しかし日本は、八時間労働制を定めた一九一九年のILO第一号条約をいまだに批准していない。また、日本の労基法は残業規制に関してはまったくザル法である。
 森岡氏は「労働時間があまりに長くなると、働く人びとの間に人間らしい生活を求める声が広がり、それが社会意識の変化や労働組合の要求や、労働時間法制の整備などを通して、早晩、労働時間の短縮をもたらさずにはおかない、ということを強調しておきたい」と述べている。
 森岡氏はグローバル資本主義に代わる「人間らしい生活」ができる社会を提起してはいないが、労働環境が激変する日本で、労働者がおかれている状況を客観的に見つめる上で、参考になると思われる。(S)



講義雑感 2005-08-29
働き方を考える 

 私は大学の教壇に立っているが、現在までに2回仕事を変えている。昔から転職を繰り返す人間は「腰の軽い人間」として理解され、周囲からの信頼を失うことが多いとされてきた。現に私の歩み方に対して批判的な人はいたし、家族からも仕事を辞めることに対してはいろいろと抵抗していた側面があったのも事実である。できることなら、仕事はあまり変えないで与えられた仕事を全うできる人間でありたいとは思うのはわが子を思う親心である。
 私は昔から根はまじめであったから、仕事についてもどちらかというと丁寧にやるほうであったために周囲から期待され、仕事量もどんどん増えていった。比較的早く管理職にもなったことがある。しかしそうした生活がいつしか重荷となって感じるようになり、自己では管理し処理できなくなってしまったのである。そして最終的に仕事を辞めざるをえなくなったのである。
 仕事に対しては特になんの不満はなかった。ただ自分的に仕事量が多かっただけなのである。しかしこうしたことはどんな仕事でもあるわけで、「自分にはできると思っていたことが結果的にできなかった」ことに対する挫折は自分なりに受け止めざるを得なかったのである。
 私は働くことよりも「働き方」に抵抗を感じていたといえる。働き方の二極化が進行している。死にいたるまで働いてはいけない。
  この8月に発刊された「働きすぎの時代」岩波新書は、何が人びとを、ひいては社会全体を追い立てているのか。様々な職場からの声なき悲鳴の実態に迫っている。このことはいまの「ニート」問題を考えるうえでも重要な点である。私は教育現場の勤務が長いが、自分のペースを大切にしたワーキング・スタイルを見つけ出してほしいと思う。



Under my thumb 働きすぎ
森岡孝二『働きすぎの時代』岩波新書 2005/9/16

タイムリーは本だと思う。
みんな心のどこかで感じているんじゃないか。

キーワードは、「グローバル資本主義」「情報
資本主義」「フリーター資本主義」。



Ya,a's blog  2005/9/11

オススメ本に「働きすぎの時代」という本を登録した。

本によると、現在、労働を取り巻く環境に変化が生じているという。これまで労働という分野には、国の関与が濃厚であった。実際は、規制(法)と労働の現場とのギャップが指摘され、機能していない面も多々あるのだが、少なくとも労働者の権利や健康状態などは、国の規制の下にあったと言ってよい。

しかしながら昨今、経済団体や規制緩和論者から労働に関する規制の見直し要求が相次いでいるという。経済活動を阻害する傾向にある国の関与をできるだけはずし、企業の活力を引き出すという狙いがある。とりわけ多様な労働スタイルに応じて、労働時間の多様化・自由化をはかるべきであるという主張が台頭している。

1日8時間労働という規制を撤廃して、個人個人によって「何時間でも自由に働けるようにすべき」という主張。これは明らかに「働きすぎ」の現状をさらに助長してしまう主張である。

小泉政権が圧勝した場合、規制緩和の動きはますます加速化すると思われる。労働の分野においてもこうした流れが加速化する。労働者のみなさん、考えてください。とりわけ企業で過重労働を強いられている30・40代のみなさん、労働強化の流れでいいんですか?

街頭演説で「純ちゃ〜ん」と声援を送る専業主婦のおばさんたちよ(たぶんこんなブログなんか見やしないだろうが)、あなたがたの選択が30・40代の労働者を「過労死」させてしまうのだ。そのことを認識してほしい。

投稿日 2005.09.11 in 国際・政治 | リンク用URL | コメント (0) | トラックバック (0)



過去と未来の間
改革」のなか、過労死が増える!! 2005/09/07

 小泉改革はアメリカ型社会をつくる改革である。アメリカの基準を「グローバル・スタンダード」とし、アメリカ資本が自由に日本の「富」を持って行くことができるようにするという改革である。

 ところでその「富」とは、日本で働く人々の汗の結晶である。日々の労働という営みが、日本の経済を支え、「豊かさ」をつくりだしてきた。

 今、アメリカン・スタンダードが日本社会に普及していく中で、日本生まれの過労死がその数を増加させている。いや日本だけではなく、アメリカン・スタンダードを受け入れた国々で、増えているようなのである。イギリスなどでは  KAROSHI ZONE に数百万人がいるそうだ。

 会社は株主のもの、という「株価至上主義」は、1980年代にアメリカに台頭した。短期的な収益をあげるために労働者を減らし、アメリカ企業に存在していた温情主義的経営をかなぐりすて、ひたすら労働者を犠牲にして、株主と経営者が甘い蜜を吸うという社会ができあがっていった。

 アメリカでも、イギリスでも、日本でも、企業で働く労働者は、人減らしのなか、長時間の過密な労働を強制されている。労働時間はどんどん増えている。

 日本の労働時間は減ってきていたにもかかわらず、今では再び長時間労働へと回帰を始めている。そして、小泉改革で、長時間・過密労働で生み出された「富」がアメリカに送られていく。

 果たしてそういう社会がよいのだろうか。この改革が進めば、この傾向は強化される。グローバルな経済状況において、日本から見れば低賃金の中国人労働者と競争しながら労働条件を低下させ、株主のため短期的利益をあげることを目的に必死に働く、そして労働者は命をとられ、「富」は去っていく。

 足下をしっかりとみつめることが、大切だと思う。

 森岡孝二『働きすぎの時代』(岩波新書)を読んで、学び、感じたことを記した。ぜひこの本を読んでいただきたい。日本の KAROUSHI ZONE の実態を知ることが出来る。



Sanjirooo Weblog  2005年09月18日 (日)
働きすぎの時代@岩波新書

アマゾン・ドット・コムの労働の実態。アルバイト・フリーターを前提とした競争社会なんですね。

済みません。今日のは、自分が読んだ本じゃなくて新聞の書評の感想です。

森岡孝二著「働きすぎの時代」岩波新書を、中村達也氏が評している。
毎日新聞9/18(日)書評欄の1/4面を使った扱いの大きな書評。

後半部分にアマゾンの労働の実態が明かされている。

----------引用開始----------
アマゾンの物流センターには常時100人程のアルバイトが待機しいて、注文された本を「1分で3冊」のノルマでひたすら探し回る。労働が厳しいためにアルバイトを1年も続けるのは10人に1人もいない。見つかった本は梱包されて宅配業者に渡され深夜便を含む過密労働によって、翌日消費者のもとに届く。消費者が求める利便性の陰に、どんな労働世界があるのかを知って、思わず考え込まされてしまう。そうした過酷な労働を可能にしているのが、著者のいう「フリーター資本主義」である。...
----------引用終わり----------

効率の追求、競争の行き着く先。「個人の価値=他の人を持って代えがたい」を極力消していく。1人のプロを雇うより10人のフリーター。これが究極の勝ち組社会というものなのか。

夕方のTVで田舎型テーマパークで黒字を出している企業の社長が登場して、経営の効率化を話していた。
その中に明日の天候(予報)によって従業員の人数を加減するという話が出てきた。「雨の予報が出た時は、最低限の人数に減らして、人件費を抑える」ということなんだが、経営の効率化っていうのは、あくまで経営側の論理。働き手にとっては、明日仕事があるかどうかが天気に左右されることになる。もちろん常勤の社員相手にこんなことはできないだろうから、フリーターの重用ということになる。

一見消費者至上主義に見える(価格を下げるのは善!)のだが、消費者であり続けられる人はいない。いやいるのかも。こども...



Toshihiko Douzono's Home Page
更新状況・日々雑感・研究メモ

2005年9月11日(日)

今日は、おそらく今月唯一の休みの日ということで、家族で外出。息子とマジレンジャーと仮面ライダーの映画を観た。マジレンジャーには、デンジマンでヘドリアン女王を演じていた方(曽我町子さん)が、天空大聖者として出演していた。驚き。仮面ライダーの方は、昨年同様、仲間だと思っていたライダーが実は敵だったというストーリー。しかしなかなか凝っていておもしろかった。その後は東武デパートに行き、おもちゃ売り場で時間をつぶす。妻に息子を見てもらっている間、本屋で森岡孝二『働きすぎの時代』という新書を買った。でも、この本が忠告したい当事者たちは、この本を読む暇がないだろうな。で、おれも多分、しばらくは読めないだろう。帰りに体調が悪くなり、帰宅後一眠り。夕食後、息子はすぐに寝たので、D労にとりかかる。今週もおそろしく忙しそうだ。
自民圧勝。おれの投票した政党は…善戦か?



無料レンタル日記
そこそこやる  2005-09-19(月)

あっという間に連休が終わってしまった。もう生きていく希望がないわって感じではかなげ路線で行こうとしても、無駄に元気な私には所詮無理な相談。とりあえず、今週はまた連休があるので、半分ゴールデンウィーク気分。こんなペースで働ければいいな。そういえば、岩波新書の売れ行きベストテンで、『働きすぎの時代』が1位になっている(by岩波サイト)。かたや過労死が言われる中、ニートも巷間かしましい。絶対何かがおかしい。富や権力や情報だけではなく、明らかに労働負荷も偏っている。まあ、私みたいにある程度ちゃらんぽらんに働いていけばいいのにと言っても何に解決にもならないけれどさ(一応自覚はあるのよ)。でも、それでも言うと、絶海の孤島にひとりぼっちじゃないんだから、何とかなるわよ。死のうとするだけの力があるなら、とりあえずでも生きればいいんだよ、開き直って。一人で何もかもやろうと思うからしんどい。いざとなったらできるだけのことはしてとっとと逃げるしかないときだってあるかも知んない。そういう人を指差して非難しきれる人は、きっと幸せな道を歩いているのでしょう。夢うつつのたわごとだと思ってそっとしておいてあげましょう。

パソコン内の大掃除。いらないファイルの削除やら、フォルダの組み立て、ソフトの更新、リンクの入れ替え。バックアップをしようと思ったんだけど、どうせとるなら整理したものをと思って。マックに変えてから、わりと安心してファイルを触れる。どれがどれでどこに入っているのかがハッキリしているから、処分の判断に迷うことがないのが大きい。ソフトを触っているといつの間にかいろんなファイルが増えているもんだから、どんどんハードを使っていくことになる。まあ、ちょっとやそっとじゃ使いきれないだけの記憶容量はあるけれど、バックアップをとるのがしんどいのよね。ほとんど変化のないものは別に保存しているんだけど、わりと頻繁に更新しているようなファイルや、動かしているソフトはバックをとっていないとイザって時にものすごく恐いことになるのが身にしみて分かってからは、わりとマメにバックをとっている。だから、バックの量が多いと作業時間が長くていやなのだ。5、10分でできるんならこんなことはしないけれどさ。だいたいご飯を食べている間にバックをとってるんだけど、結構時間がかかる。とりあえず、今回の目標は合理化。徹底的にスリム化を行った。その結果、いつもの量の3分の2にまで減った。結構便利かなと思ったソフトが案外使わなかったり、その逆があったりで、その入れ替えをして関連フォルダの整理をしたらすっきりした。ネットのリンクも大幅に組み直して、巡回しやすくしたし。ちょっとずつながらも使い勝手が進化する私のパソコン。それにしても、フォルダって何?って言っていたあの頃からすれば考えられないくらいにパソコンの知識は増えたな〜。もっともプロから見れば、赤ちゃん同然なのだろうけれど



NORIMAのミクシィ日記 2005年08月26日
ほどほどができない社会

なんでも、夏休みを減らす学校があるとか。なんとも馬鹿らしい。なにかと”ゆとり教育”の弊害という。だが、急に学力競争主義にしたのだからこんな無茶苦茶な方法を考え付く奴もいるのだろう。しかし、こんなことをして誰が喜ぶのだろうか?誰も一週間夏休みを減らして学力が変わるなどと思っていないだろう。こんなのはまやかしだ。要は”偉い人々”のメンツ(評価)の問題だろう。被害者は自由な時間を奪われた子供達だ。

なんでも、自衛隊駐屯地内に保育所をつくるらしい。子育て支援だという。まったく呑気な話だとしか言い様がない。ここまでボケた連中が戦争をするのだ。

自分が病気になって人間の限界や、生活のバランスについて色々考えさせられた。
ちょっと気になった本を買った。”働きすぎの時代”という本だ。のろのろ読もうと思う。

日本の年功序列、終身雇用社会が壊された今。働くという価値感が多様化し誰もが考えねばならないことではないだろうか?個人格差が肥大化し、治安も崩れ、どこまでも金と不安と便利さに溺れる社会。成果主義、能力主義、結果がすべて。どこまでも人間に100%を求める社会は異常ではないか?汚い選挙を見ていても国民の不安を払拭できる未来は見えない。ほどほどに生きることを認めない社会になってきている不安感がある。

こんな社会を国民は望んでいるのか?



ハードワーク~低賃金で働くということ.com
働きすぎの時代

 本書の指摘は極めて正しい。だが、社会全体に余裕がなくなりつつある現在、残念ながらこうした傾向は今後ますます広がっていくだろう。 
 日本人の`勤勉さ´がこうした傾向に拍車をかける。職場内で、働きすぎを減らすためにどうしたら良いか、を考えるプロジェクトを作っても、そのために残業をしてしまうのが日本人だからである。本来なら労働者の健康や労働条件を守るべき厚生労働省の役人が過労であったり、本書の著者自身がそうであったり、こうした事例は枚挙に暇がない。
 経営者側の配慮が第一なことは言うまでもないが、私たち自身がもう少し`いい加減´になることこそが必要だ。電車や宅配便が遅れていらだつ私たちが、その向こうで働く人々の過労を誘発しているのだから。



どくしょ室/使い捨てられる労働者
2005年09月30日発行905号
『働きすぎの時代』 森岡孝二著/岩波新書/780円+税
 
景気は低迷、だが労働者は働き過ぎ。「過労死」は増加の一途をたどっている。一体どうなっているのか。

 ”ホタル族”をご存知だろうか。「夜9時以降、天井の電気が強制的に消され、パソコンの画面の明かりと電気スタンドで居残り残業を続ける」労働者の姿を思い描いてほしい。「残業するのは能力がないからだ」と労働者に責任を転嫁し、ただ働きを強要。その上、長時間労働の実態を隠すために事務室の照明まで消す。労働者の健康に配慮する義務を使用者は負っているが、その責任を棚上げし、労働者の「自己責任」にすりかえる。「働きすぎの時代」を象徴する事例だ。

 物流を担うトラック運転手も長時間労働の典型だ。宅配便では週平均56時間。月100時間の時間外勤務に相当する。厚生労働省は「月100時間、または2〜6ヶ月平均月80時間以上の時間外・休日労働」を「脳・心臓疾患の発症との関連性が強い過重労働」としている。平均値で過労死ラインを超えているのだ。

 注目すべきは、週60時間以上の長時間労働とともに、週35時間未満の短時間労働者が増大していることだ。労働時間の2極化は一層進み、短時間労働者は長時間労働者の倍ほどの数になった。つまり、わずかな正社員に長時間労働を押しつけ、多くの派遣社員・フリーターには企業が必要とするときにだけしか働かさせないのである。「働きすぎ時代」を支えているのは非正規労働者の短時間使い捨てシステムにあることがわかる。

 健康管理や社会保険、生活を維持する時間・経費をことごとく労働者に負担させ、すべての利潤を手に入れるのである。

 これまで国際的な労働基準となっているILO条約185本のうち日本が批准しているのはわずか46本に過ぎない。労働時間に関するものは1本もない。8時間労働制を定めた第1号条約すら86年経っても批准できない。残業を野放しする労基法第36条が抵触するからだ。

 政府は1992年、年間1800労働時間におさえる時短促進法を制定したが、まったく効果を上げていない。それどころか、廃止を狙っている。そして労働時間の制限そのものを撤廃しようと目論んでいるのである。

 「働きすぎ」は日本だけの現象ではない。80年代後半から先進資本主義諸国では労働時間は増加に転じた。”過労死”は英語となり、英国では数百万人がKAROSHI・ZONEにいるという。グローバル資本主義が求めた”規制緩和”が生み出したものなのである。

 どうすればこの「働きすぎの時代」を変えられるか。本書には、いくつかの提言がなされているが、何よりもまず、パートの賃金と処遇を改善して均等待遇を実現し、長時間労働への法規制を強めることだ。グローバル資本の労働者使い捨てを規制する以外ない。(T)



二浪三流大学生的読書日記
働きすぎの時代
作者: 森岡孝二
出版社/メーカー: 岩波書店
発売日: 2005/08
メディア: 新書

二浪三流大留年確定人生終了5分前な僕の本領発揮的読書です。高校卒業から大学入学までの二年間NEETをやっていた僕にとっては本書の帯「死にいたるまで働いてはいけない」はなんとも魅力的でした。

一秒間に三つもの冷凍春巻きを作ってしまうマシーンが昼夜を問わずウィンウィン春を巻いているこの現代、「なぜ働かなければいけないのか」という疑問と「働いたら負け」という結論は、健康で文化的な脳みそを持っている現代の若者にとって当然の思考だろう。それで、本書を働いたら負けという事実を岩波が公認してくれたと喜び勇んで購入したわけです。

が!!!!

また騙された!!

帯の「死に至るまで働いてはいけない」は、本書にはそんなこと一言も書いてありませんでした。内容をまとめると

現代を「働きすぎの時代」ととらえ、その主要な背景を「グローバル資本主義」「情報資本主義」「消費資本主義」「フリーター資本主義」に求めている。

・「グローバル資本主義」→生産業のアジアなどの移転による雇用の減少。それを起因とする労働時間の歪曲化。

・「情報資本主義」→情報機器の広がりによりオフィス外でも仕事に追われることに。

・「消費資本主義」→便利を追求する「買い手の私たち」と、24時間化、迅速な宅配などで顧客を獲なければならない「売り手の私たち」の地獄のスパイラル。因果は巡る糸車、と申します。

・「フリーター資本主義」→派遣や請負の実態。企業主導の雇用状況。ホワイトカラーですら人員削減のしわ寄せによる労働時間の増加、けど残業代は出ない。

これだけの原因を表や図を使って懇切丁寧に説明してくれた上で、最後に解決策も提示してくれている。けれど、個人単位の解決策が

・自分と家族の時間を大切にし、仕事以外に趣味を持つ

・残業はせず、無理なら会社に是正を求める。無理なら転職

・疲れた医者に行け

・すろ〜らいふ

なんて消極的な対応ばかり。それが出来ないから過労死が増えているのだろうが…。

この後に労組、企業、政府のやるべきことが並んでいるが、こいつらが労働者の過酷な環境をなんとかしてくれるとは到底思えない。

労組べったりと言われている民主党の元代表ですら、ジャスコの御曹司じゃあないか。

大学を中退後はフリーターか派遣に身をやつすだろう僕に出来ることって、切腹かテロしかないんじゃないか知らん?と人生を疑ってしまう本であったよ。



虫食い日記 2005/10/05
働きすぎの時代 森岡孝二 岩波書店 ¥780 2005/10/05 完読

 年間労働時間が1800時間。これを守っている人はどれほどいるだろうか。
この作品は、その実態を明らかにしている。

 たとえば、アマゾン。
注文された本を1分で3冊探すのがノルマだという。
ベテランでも2,5冊が限度。しかもそれを翌日には届ける。
1年もつアルバイトは10人に一人。
便利だから、私もよく利用するが、便利の陰には犠牲が伴っていた。

 アメリカも事情は同じで、バイシクル・メッセンジャーという自転車便は1日、80〜100キロ走り、多いときは130キロ走るという。それでも月給は30万に届かない。しかもその中から、保険料やヘルメット代を払う。

 働きすぎによって、男性は家事労働から遠ざかり、ボランティアなどもできない、政治参加もできず、健康にも悪い。
おまけに給料も低い。

では、どうしたらよいか。
著者はいろいろ提言している。
だが、うちで実現可能なものはない。
労働時間を減らし、人員を増やす。それは、受注単価が上がらない限り不可能だ。
時短になればなるほど売り上げが減少し、人員を増やせばコストが増加するからだ。

自主的な働きすぎもあるが、そうしなければ生きていけない側面もある。



SC School
森岡孝二『働きすぎの時代』(岩波新書、2005年)

 「働きすぎ」の惨状について、世界の現状、情報技術の影響、消費資本主義の影響、フリーター資本主義、ライフスタイル、といった様々な視点から包括的に描き出している。おもしろく、かつ、勉強になった。

 読んでいる最中は、何度となく、左翼-マルクス主義用語を叫びたくなった。いや、心の中で叫んだ。

 ただ、総務省の調査によると、日本の年間労働時間は「役員」が2408時間、「一般常雇い」が2304時間だという。また、アメリカでも、管理的・専門的・技術的職業従事者、大学卒業者、白人、といった条件を満たす人が最も労働時間が長いという。

 だがそもそも、「働きすぎ」を単純に時間の関数だけで考えることはできない。職場環境や職務内容なども本来は考慮すべき関数である。

 とはいえ、これを言い出したら、本人の性格や体力などあらゆる個性を考慮しなければならなくなり、何事も言えなくなってしまう。したがって、本書のように「時間」に還元するのは一つの分析の戦略としてはやむを得ないところだ。
 
 しかし、兎にも角にも、労働者の「働きすぎ」の問題は、サービス残業、有給休暇の低取得率、無意味な労働基準法、過労死、うつ病、自殺、労働時間の二極分化、男女の役割分化などなど、様々な形であらゆる場所で実際に顕在化しているのである。

 そこで思うに、結局のところ、過重労働問題の根源は、本書の中で多様な働き方に合わせた「労働の個人化」の流れを批判する文脈で述べられていることに尽きるように思える。以下の文である。

「産業や企業の別を問わず一般的に、労働時間を1週40時間、1日8時間というように制限することを「労働時間の標準化」というなら、「労働時間の個人化」というのは、文字どおりには、労働時間の基準とそれに基づく規制を緩和・撤廃して、1日あるいは1週に何時間働くかを個人の自由な意思決定に委ねることである。
 しかし、文字どおりの意味での労働時間の個人化は、そもそも「一定の雇用関係のもとで労働者が使用者の指揮命令下におかれる時間」を意味する労働時間の概念とは相容れない。労働契約においては、労働者は使用者の指揮命令下で一定時間以上働くことが前提とされているので、いったん労働契約を結んだ後では、何時間働くかは決して個人の自由だとはいえない。」(pp137-138)

 つまるところ、雇用者(より正確には「会社」)とその下で働く労働者(役員等を含めてもいい)との間には絶対的な権力関係が存在するということだ。このことを自覚しないままに、いくら「労働者に“権利”は与えられている」と言ったところで全く無意味なのだ。
 
 とはいえ、資本家・経営者の搾取の問題だと単純に片付けられないのは、自ら積極的に会社や金や利益の奴隷に成り下がる“会社人間”がいるからである。この、会社にしか自分の存在意義を見出せないお寒い人たちのために周りの人たちは迷惑を被ることになる。第一に、こういう人の周り、あるいは、こういう人が作る雰囲気の中で働く非会社人間の人は有給などの権利を行使しにくくされてしまう。また、こういう会社にしか生きがいを見出せない人が、よりによって結婚し、子供を持ったりしていると、また色々な人に迷惑がかかる。

 一元的な帰属はあまりに脆い生き方であるし、一つの組織の中の文化や価値に染まりすぎるのはその人自身の、そして社会の、生き方や可能性を狭めることになるし、やはり、社会の中には労働力や時間を使うべき場所は会社以外にもたくさんある。
 
 しかし、そんな惨状に対して、筆者自身も本の最後に「試論的私見」として「働きすぎ」に対抗するための労働者、労組、企業、法律・制度のあり方を述べている。

 しかし、「残業はできるだけせず、労働が過重な場合は労働組合や会社に是正を求める」というように、実現可能性が全く考慮されていないものばかりである。そして実際、筆者自身も「働きすぎ」でこの本を作ったことを「あとがき」で告白している。

 ただ、本文中で紹介されている新しい試みは一つの解決策へのヒントになり得る。フルタイムとパートタイムの賃金格差を減らし、ワークシェアリングを導入するなどした「オランダ・モデル」や、クリントン政権時に労働長官だったロバート・ライシュが提案している、育児や介護を会社が負担する育児休暇などの「有給」で行うだけでなく、政府が負担することになる「税控除」でも行うというやり方などである。これらは望ましい方向性をもったアイディアであるように思える。
 
  しかし、やはり現実的に考えて、企業の自主努力や労働者の自主救済に任せていては実効的な行いは期待できない。また、本来は労働組合が機能するのが望ましいのだが、現在の労組の組織率などを考えるとこれもあまり期待できない。

 そこで、労組以外を使った解決策として、期待を込めて二つほど挙げてみたい。

 一つは、労働者がどうせ有給を“取れない”ならば、いっそのこと国が祝日を増やすことである。特に、連続しての休日が正月や盆でもせいぜい3〜4日である惨状を考えるなら、ゴールデンウィークを文字通り実現することは重要だ。つまり、4月29日から5月5日までを休みにすることだ。また、冗談ではなく「シルバーウィーク」(老人週間ではない)を創設することを考えてもいい。

 もう一つの策は、実現可能性は高くないが実現すれば素晴らしいものである。アメリカでは、市民団体がNIKEなどの途上国での搾取の現実を暴き、不買運動などを行い、改善させるまでこぎ着けた。企業の利益最大化という選好を利用するだけに、運動が盛り上がりさえすれば効果は期待できる。
 
 ところで、本書の欠点の一つとしては、労働時間を制限・軽減することによる企業の競争力の低下や経営難といった問題への言及が全くないことがある。もちろん、本書を読むと「働きすぎ」の問題が人の生命にまで及んでいることが明らかにされているから、筆者からすれば言うまでもないことなのかもしれない。しかし、過労死やうつ病にまで至るほどの過重労働の制限と、平均的な労働時間の増加とは、本書では一緒に議論されているがより意識的に分けて考えなければならない問題であり、労働時間の標準化を求めるのであれば企業の競争力という問題への応答は不可欠である。
 
 しかし、兎にも角にも、「働きすぎ」のひどい惨状とその解決の困難性という現実をここまで見せつけられると、最近よく目にする、「フリーターという選択がいかに正常な感覚をもった人間によるものであるか」を思わずにはいられない。

 なにせ企業とは、飛行機の突っ込んだワールドトレードセンタービルで「従業員は仕事に戻れ」という館内放送をするようなところなのだから。



速読!!読書日記
2005.09.23 Friday
働きすぎの時代
森岡 孝二
岩波書店 2005-08


より良い消費のためのお金、そうしたお金を稼ぐための労働、より良い消費の求めに対しての労働の負担、そうしてお互いが疲弊する。

働くことは素晴らしいことだけど、人類全体が豊かに生きるためにどれだけの労働が必要なのだろうか。労働のベクトルがずれているがために、無駄な労力が費やされてはいないか。

科学技術の発展で労働時間が減少するかと思うが、どうもそういうわけにもいかない。

仕事自体を楽しみとすることも、もちろんある。自分だって、勉強しているときのほうが充実感があって良い。だけど、一方で、そうしたことに熱中していると、驚くほど世間に疎くなるというか、文化的に無知になるというか、どうも人間らしくないような。



Slow life blue 宮城大学工藤研究室資料庫

働きすぎの時代  [life]  

 今は便利な時代である。年中無休で夜10時まで営業なんていうショッピングセンターが多い。しかし、そんなに働いて大丈夫か?である。

 最近、産業保健に注目が浴びつつある。なぜか?過重労働による過労死や自殺が多いのから。便利な時代ではあるが、その便利さで健康が保てない時代となりつつあるのか。怖い時代だ。



愛媛若年者意識研究所 2005/9/14
働きすぎていませんか、松山情報発見庫♯128

この本では、ひとことでいえば、働きすぎの原因を探り、それへの処方箋を示そうとしている。
働きすぎとは、簡単にいうと、一日に10時間以上働いてしまう人のことのようだ。
この定義だと、多くのサラリーマンがおそらく働きすぎということになるのだろう。

この本では、今の世の中では、一昔前の時短の傾向から、働きすぎの傾向が強くなっているという風に捉えている。
その原因としては、
a.グローバル資本主義の進展
これは、これまでは、下請け的であった発展途上国とも競争にさらされることになったため
b.情報資本主義の進展
携帯電話、メールなどIT技術の発展により、いつでもどこでも拘束されるようになった
c.消費資本主義の浸透
メディアによる耐えざる消費喚起により、消費が一種のアイデンティティを主張する手段となり、より消費をすることが前提となった
d.フリーター資本主義
労働時間が短いフリーターが増えた反面、それを補うかのように少数の正社員は労働時間が長くなった
といったことを挙げている。

また、働きすぎを防ぐために、労働者自身が心がけるべきこととして、
・3度の食事と睡眠はきちんととる。
・自分と家族の時間を大切にし、仕事以外にも生きがいを持つ
・家事労働は分担し、近所づきあいや地域のボランティア活動に参加する
・年休は目いっぱい取得し、年に一度は1,2週間連続休暇をとる
・残業はできるだけせず、労働が過剰な場合は、労働組合や会社に是正を求める
・職場の労働基準法違反が是正されないときは労働基準局に申告する
・心身の不調を覚えた時は、直ちに医師に診察を受け、指示に従う
・仕事に殺されそうな状態が続くときは転職するなどして自己防衛を図る
・情報ツールによる仕事のボーダレス化を阻止し、時間帯によっては受信を拒否する
・サービスや利便性を売り物にする消費のあり方を働き方から見直す
・流通・サービス部門で働く人は営業時間と労働時間の明確な区別を求める
・働きすぎと浪費の悪循環から抜け出して、スローライフに転換する

といったことが挙げられている。



本の検索エンジン:検索サイトBooks  2005/10/08
働きすぎの時代
著者:森岡 孝二

警鐘が届くか(4点)
 本書の指摘は極めて正しい。だが、社会全体に余裕がなくなりつつある現在、残念ながらこうした傾向は今後ますます広がっていくだろう。 
 日本人の`勤勉さ´がこうした傾向に拍車をかける。職場内で、働きすぎを減らすためにどうしたら良いか、を考えるプロジェクトを作っても、そのために残業をしてしまうのが日本人だからである。本来なら労働者の健康や労働条件を守るべき厚生労働省の役人が過労であったり、本書の著者自身がそうであったり、こうした事例は枚挙に暇がない。
 経営者側の配慮が第一なことは言うまでもないが、私たち自身がもう少し`いい加減´になることこそが必要だ。電車や宅配便が遅れていらだつ私たちが、その向こうで働く人々の過労を誘発しているのだから。 紙上の実論(4点)

この本のよいところ
自分の体験・見聞した限りでも正しいと思われる、現在の日本の労働環境の悪化を、資料を駆使して表現しているところ。この本を読んだ人は、現実に起こっていることに対する疑問を解消できるであろう。
巻末資料が充実しているところ。文献のみならず、労働局・労働基準監督署の一覧や、ホームページのアドレスまでたくさん載っている。この本を読んで疑問に思ったり、もっと詳しく知りたい人に対する配慮が行き届いている。
この本のイマイチなところ
著者が学者であるためか、内部に入っての取材が足りないと感じた(せいぜい学生に対する調査だけで、企業内部に潜入している部分はあまりなかったように感じた)。
終章の提言。労働者はわかっていても提言のとおりにはしにくいだろう。やはり法律の制定・ILO条約の批准が最重要課題だろう。

結論
いいところ星5つ、イマイチなところで星1つひいて星4つ。しかし、この本は今働いている労働者のみならず、学生、政治家、経営者にぜひ読んでほしい。

働かされる理由(5点)
容赦なく拡大する「働きすぎ」の原因を解明し、それに一定の歯止めをかけることを提言する本。豊富なデータに基づいた現状の問題の指摘には、かなり驚かされた。
グローバル化により、世界中でもっとも安価で長時間こき使える人々の所に仕事がまわり、競争が激化して、世界各地で賃金が引下げられ、労働時間は引き延ばされる。高度の情報化により、新種の仕事が増えるだけでなく、私生活と職場が着実につながれて、仕事がどこまでもついてくる。消費社会化により、「自分らしさ」を確認するためにも買いたいモノが多すぎて、たくさん働いて稼がなくてはならない。企業はフリーター(派遣なども含めて)をいいように活用した方が効率がよいから、不安的な雇用形態に依存せざるをえない人が増える一方で、しぼりこまれた正社員たちは過剰な仕事を押しつけられる……。
こうした背景のもと、いくつか引用される「働きすぎ」の事例は悲惨である。著者は、新聞の投書欄やネット上の関連ページから、「犠牲者」の家族らの「証言」を拾ってくるのだが、その悪夢のような記述を読んでいると、著者の客観的な社会分析の方も具体的かつ鮮明になってきて、この書物の世界にどんどんひきこまれていった。こういっては不適切かもしれないが、「読みもの」としても、十分おもしろいのだ。
最後に、いくつかの改良案がコンパクトにまとめられている。「スローライフ」の紹介など、著者はこれもやはり別の「ビジネス」に結びついてしまうだろう、という点にも注意を向けつつ、しかしこの恐ろしいまでの「スピード社会」をどうにかするための一つの希望として、ささやかに語られている。



Diary 2005/09/20

この所身体の調子が悪く、寝てばかりいます。
まあ、元々病人ですしね、無理はできないってことなんでしょうね、やっぱり(^^;)

ああ、でも早く社会復帰したいよーー(;;)、・・・・・が、しかし、

今日、森岡孝二著「働きすぎの時代」(岩波新書)を読んだんですが、フリーターと正社員の雇用形態の二極分化による労働時間の長期化傾向や、それによる過労死、鬱病の増加はもうハンパじゃないくらい酷い状態らしい。

病気になってしまったのは本当にイヤなんですけど、病気になってようやく人間らしい生活に戻ったといえばそうかもしれない・・・・とも本を読んで考えました。

お金や仕事は大切だけど、「命」より大切か、と言われればねえ・・・

かといってお金と仕事がなければ喰ってもいけない訳で、難しい所です。

ともかく今は病気を治すことに専念しなくてはね。


あ、いいことが一つありました。
なくしたピアスのキャッチが見つかりました!
なぜか布団の足下のシーツの皺の中から発見。
(どうしてそんな所に?(^^;))



時事問題(1)働きすぎの時代に想う
―世界に広がる労働時間増加の逆流化―

村井 徹

多くの先進諸国では1980年代以降、従来の着実な時短の流れが逆転し、労働時間が長くなり始めました。米国では特に職業別で管理、専門、技術職のホワイトカラーで、男女共、週50時間以上の長時間労働が増えています。それに伴い共働きの増大により、夫婦労働時間の増大や職場生活と家庭生活の時差格差の拡大、子持ちと子どものいない労働時間の時間格差をもたらしています。また英国でもホワイトカラー層は週48時間(4労働週20日)で、日本でも6人に1人は週60時間以上働いています。

上述のことは、今日の情報通信技術の進歩と関連して時間ベースの競争を強め、仕事のスピードを速め、仕事量を増やしています。またノートパソコン等の情報ツールは仕事の時間と個人の時間の境界をあいまいにし、仕事がどこまでも追いかけてくる状態をつくりだしていると共に、正規雇用の多くを非正規雇用に置き換え、雇用を不安定にする要因にもなっています。つまり労働時間を長・短時間に二極化を促進します。

1947年に制定された日本の労働基準法は当時から時間外労働を殆んど無制限の残業(時間外労働と休日労働)として認めてきました。それも一因となって多くの職場で長時間残業が常態化し、2003年に“サービス残業”が社会問題になりました。残業は元来特別な業務上の理由による一時的・臨時的な仕事量に対応するものです。しかし厚生労働省では労働時間の規制を緩和・撤廃して、働きすぎを助長する動向も強まっています。年間1800労働時間を達成するために、1992年に制定された時短促進法を廃止し、多様な働き方に対応して労働の自主的な努力を促進する法律の制定があります。今年3月労働に係わる4つの法律の改正案が国会に提出。その改正案には「過重労働による健康障害防止対策として、残業が月100時間を超え疲労の蓄積が認められ、本人から申し出があった労働者に産業医の面談指導を行う」としています。東京労働局の過重労働の捉え方が月45時間以上であるにも拘らず、政府のそれは月100時間以上と大きく後退させています。今回の改正案は労働時間の短縮を設定に置き換える特別措置法の制定であり、しかも労働時間の設定を労使の自主性に委ねています。この改正案が成立すると、2006年4月から施行されます。冒頭に述べたように、80年代以降労働時間はかつての標準が後退し、多様化、分散化、個人化に向かっています。産業や企業の別を問わず、上限として労働時間を1週40時間、1日8時間という現行の労働時間が1日あるいは1週に何時間働くかを個人の自由意志に委ねようとしています。しかし労働契約で使用者の指揮命令下で一定時間以上働くことが前提にあり、いったん労働契約を結んだ後で、何時間働くかは決して個人の自由とは言い難しです。こうした規制緩和は、労働者にとって本人や家族のために労働時間を短くしたいと考えても、より長時間働かざるをえない人が増えています。そうなれば労働時間の上限は、法律によって与えられるよりも、職場で自発的であれ強制的であれ、実質的にもっと長時間働く人によってつくられていくことになります。例えば午後8時に職場が閉まるなら、それ以降の残業はできなくなります。その場合、社員は家に仕事を持ち帰るかもしれません。社員がカバン残業あるいはフロッピー残業をするのは、そうしなければ終らないような量の仕事があるか、そうしなければ達成できないような成果が期待されるからです。社員が居残り残業、休日残業や持ち帰り残業をすることを会社がたとえ奨励しなくても容認していれば、それで働きすぎを誘発する要因になります。

過労死および過労自殺について2003年最高裁では、会社側の主張を退け遺族側の訴えを全面的に認めて、労働者の過重労働を強いて心身の健康配慮義務を怠った会社側に厳しい判決でした。今後は個別企業の社会的責任として捉える必要があります。

過重労働問題は、18世紀後半の英国の産業革命でも似たようなことが起り、1日12時間、週70時間も働きました。法律による労働時間の制限と短縮が制定されたのは、1930年代からでした。日本でも1日12時間を超えたのは明治中頃以降でした。今回問題提起した働きすぎのテーマは、マクロ的にはグローバル・情報資本主義時代の雇用のあり方、国際労働基準の設定があり、ミクロ的には企業の要員計画と業務体制の整備、健康障害防止策などがあります。そして労働者にとっては、ライフスタイル(仕事と生活)の調和からみて、人たるに値する生活とは何か、まっとうな働き方ができる職場とは何かを実労働時間の適正を重視して職場づくりすることが重要です。
なお、年次有給休暇の未取得問題は紙面の都合で割愛しました。



本あれこれ3 2005年10月4日(火)
働きすぎの時代 森岡孝二 岩波新書 05年8月

今日(10月3日)の朝日新聞夕刊一面の連載記事で、97年にオックスフォード英語辞典にトヨタ自動車の「kaizen」「kanban」が載ったことが紹介されています。この本にも02年に同辞典のオンライン版に「karoshi」が加えられたことが紹介されています(27頁)。記憶では、過労死(karoshi)が英語の世界でもそのまま通用するようになったのはもっと前だったような気がしますが・・・この本は帯にもあるうように、死にいたるまで働いてはいけない!という著者の思いが込められた力作だと思います。単に、働きすぎの実態を集めて記述するだけでなく、その背景をきちんと説明してるのが特徴です。著者は「グロバール資本主義」「情報資本主義」「消費資本主義」「フリーター資本主義」を指摘しています。働き方は、結局は生き方でもあると思うのですが、自分と仕事、社会と労働を考えるために欠かせない本だと思います。
働きすぎを本人が選んだ道だから自由であると言わないため、あるいは、今の社会にとってはやむを得ないことと諦める道も選ばないためにご一読をお勧めします。



BHT Weblog 2005年09月28日

働きすぎのIT産業
「働きすぎの時代」
岩波新書(NO963) 森岡孝二著 819円

前々回のコラムに「IT技術者の心の病」について書きましたが、今回は長時間残業に関しての参考図書を紹介します。

前のコラムでも一部触れていましたが、長時間残業が引き金になって「うつ病」が急増していると明確に述べています。メーカの「開発競争を支える下請けソフト会社の、現場の労働実態についても詳しく書かれています。

「労働基準法」、個々の会社では「36協定」または組合が労働者への長時間残業から守ってくれているはずなのだが「うつ病」とか「過労死」が増加しているのは”自発的な働きすぎ”とする会社側の姿勢と責任感の強い本人にあるとしています。
さらに働きすぎて病気とか過労死にならないためのマニュアルも用意されています。



泉 富士夫の粉末回折情報館
2005年10月3日(月) 過重労働をもたらす高度資本主義

森岡孝二著「働きすぎの時代」(岩波新書)は、現代の労働者が置かれている厳しい状況を詳細に報告しています。情報通信革命は企業活動の地球規模化を進行させ、仕事を増やし、実質的労働時間を長くし、正規雇用の多くを非正規雇用に置き換え、ストレスを増大させ、健康障害を引き起こすという指摘は正鵠を得ています。

以前、大卒男子3割、女子5割が入社3年以内に離職するとTVで報じていました。働きすぎがこのような離職率の高さの一因になっているのは間違いないでしょう。精神疾患の発症や過労死を防止するための自己防衛という側面です。

私もかつては、押しも押されもせぬ働きすぎ人間でした。しかし私の場合、自分のやりたいことをやりたいときにやりたいようにやっていましたし、仕事はすこぶる順調にはかどっていましたから、疲れはしたものの、ストレスはほとんど感じませんでした。Creativeでない苦役を長時間強制されたら ―― と思うと、ぞっとします。

研究活動のために残された数年をどうやって過ごせばいいかを、この本で再確認しました。それは、専門知識をもつテクノロジストとして、情報通信革命を推進する側に留まり続けるということです。情報通信革命は一種の産業革命なのです。既成ソフトウェア資産とこれまで培ってきた知識・ノウハウを徹底活用し、技術力の向上を絶えず心がけていけば、働き過ぎなどに陥らずに済みます。革命の犠牲者にはなりたくありません。

サバイバル戦略の中核的存在はもちろんRIETAN Proの開発です。今年から来年にかけて全力を挙げて取り組んでいきます。



タカマサの気まぐれ時評 2005年10月04日(火)

働きすぎの時代
■森岡孝二『働きすぎの時代』〔岩波新書〕は、経済学者による労働社会学的な現代日本批判といえる。■本書は、読後感によって、読者の所属階級がうきぼりになるだろう。いかりや あきらめを おぼえる層は、労働者階級、なにを いかっているのだと 冷笑的な層は、資本家階級ないし その代理人としての管理者層。そして、「おかわいそうに」なら、後者の家族など、有閑階級と(笑)。
■もちろん、ハラナ自身は「労働者」階級に属するが、本書の序章は、ひとごとではないと、正直ゲンナリする。過労死関連の本をすこしはよんできたハラナにとっては、想像以上のことは、かかれていない。しかし、
 「もっと働け日本人」
 労働者がサービス残業をさせられ、なかには過労死するほど働いていても、経営者はもっと働くべきだと考えている。『日経ビジネス』の「もっと働け日本人」という特集(03年1月27日号)に登場する日本電産の永森重信社長は、「午前6時50分に社内の誰よりも早く出社し、1日16時間働き、土日も全く休まない男」である。この記事によれば、永森社長は次のように語っている。

  「日本人は働きすぎだ」なんていうのは、もう昔話だ。最近は欧米のビジネスマンの方がずっと勤勉ではないかと感じる。……それが一番よく分かるのは、国際線の機内だ。日本人は、飲まなければ損だとばかりに、酒を頼んで、そのうち酔っぱらって寝てしまう。片や欧米のビジネスマンは、搭乗時間の直前まで携帯電話で仕事の打ち合わせをし、機内ではノートパソコンを開いて作業を始める。あるいは、仕事の書類を読みふけっている。

 第二章で詳しく紹介するジル・A・フレイザーの『窒息するオフィス 仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店、2003年)には、アメリカのビジネスマン(男だけではない)の旅行中や出張先の働き方の事例がいくつもでている、ノートパソコンはホテルのプールサイドだけでなくプールのなかでも使うことができる。【中略】
 これはけっして荒唐無稽な話ではない。それと同じ程度にさきの永森社長の話は真実味を帯びている。とはいえ、日本のビジネスマンはもっと働くにはあまりに疲れ切っている。それが証拠にさきの『日経ビジネス』の同じ号には「社員の病は会社の病」という第二の特集があり、そのリードにはこう書かれている。

  現代のビジネスマンの心身は間違いなく痛んできている。こうした状態を招く一因でもあるストレスや長時間労働が度を越せば、過労死や自殺といった悲劇に至るのは避けられない。いまや各企業にとって、社員の心身の健康維持・増進は、経営上の重要課題となってきた〔pp.17-9〕

■「狂気のさた」とは、こういった状況をさすのだろう。■「狂気のさた」とは感じず、これを「敗残者」「落伍者」の うらみぶしと、とるとか、「やっぱり、欧米人の体力はちがう」とか、「それみろ、日本の90年代以降の経済停滞は、はたらきかたが相対的にすくないからだ」などといった見解が すぐわきあがるなら、永森社長とやらと同類、資本家階級ないし その代理人としての管理者層といって、さしつかえなかろう。■「まあ、ひどい」なら、それは、主婦か学生か、ともかく現時点で、「もっと働くにはあまりに疲れ切っている」ビジネスマンを、ひとごとにしか 感じとれない「有閑階級」だろう。
■以前 ローマ字化された日本語“Karoshi”は、日本の企業文化のまずしさ/異常さを象徴する典型的な用語として、欧米につたわった。■しかし、なんのことはない、新自由主義をあおった、サッチャー/レーガン時代の 過当競争志向は、ちゃんと過労死寸前まで、欧米の労働者、とりわけ、裁量労働で自主的に時間をきめられるホワイトカラー上層以上に進行/定着しつつあるということだ。■まさに、「クレイジー」な状況が世界化した。労働者および、管理者層が、こぞって「労働単価のやすうり競争」、つまり 過当競争による 人生の「きりうり」合戦を世界中でやらかしているということだ。

■これはもちろん、市場原理に対応しようという大状況のもと、複製技術/通信技術の革新が、おいうちをかけている。■タイムカードと無関係な、サービス残業、もちかえり残業が急増し、政府統計などから、膨大にモレたままということだ。一部の まともな判事以外は、「うたがわしきは、罰せず」で、会社の無体をを黙認し、徹底的に労災がなかったように 判断をくりかえす。■「もっと働け日本人」とは、アジア各国はもとより、欧米各国でも進行する「過労死寸前労働」に あおられて、国力減退幻想に あせりをつのらせている 資本=神の声である。■おそらく、「もっと働くにはあまりに疲れ切っている」日本のビジネスマンが 心身を消耗しつくしてたおれたあとは、アジア系のビジネスマンたちが、しかばねをふみこえていくのだろう。

■重要な指摘はたくさんある。■めぼしいものだけあげても、「仕事はきつく、雇用は不安定に」なりつつあること(pp.91-4)、それを「労働者」でもあるはずの「消費者」が、サービス業を中心に加速化していること(pp.94-109)、雇用形態が差別的な分業体制を強化しつつあること、労働時間が二極化していること(第4章 労働の規制緩和と二極分化)など。■着目すべきことは、コンビニ/宅配/アマゾン/JR福知山線などに 象徴的にふきだしている病理に、森岡さんが、すべて反応していることだ(3章/終章)。■このウェブログで とりあげなかった 現象としては、スピードをうりものにする、自転車宅配がある(pp.103-6)。自転車は、環境負荷がちいさい すぐれた技術だが、一方で、究極の労働力搾取の装置にもなると。

■本書は、現代社会のみならず、歴史的なスケッチもしてくれている(3〜5章)。■いささか抽象論だし、現実的に最前線の労働者たちに実行可能かあやしいが、「突破口」も提示してある(終章 働きすぎにブレーキをかける)。
■「企業内部に潜入している部分はあまりなかったように感じた」とか「終章の提言。労働者はわかっていても提言のとおりにはしにくいだろう。やはり法律の制定・ILO条約の批准が最重要課題」といった読者評もあるが、それは、伊原亮司『トヨタの労働現場』(桜井書店)とか、ジル・A・フレイザーの『窒息するオフィス 仕事に強迫されるアメリカ人』(岩波書店)あたりで、おぎなえばよいし、ILOうんぬんは、森岡さん充分認識されているだろう。
■そして、こういった、きびしい注文をつけた読者でさえも、「いいところ星5つ、イマイチなところで星1つひいて星4つ。しかし、この本は今働いている労働者のみならず、学生、政治家、経営者にぜひ読んでほしい」と、しめくくっているところをみても、事実上の絶賛といえるだろう。■ハラナも同意する。しかし、例外的な層以外、「政治家、経営者」は直視をさけるか、「かてば官軍」式に、現在の不公正を合理化しつづけるだろう。したがって、ILOなどの「外圧」によって、強行的に規制するほかあるまい。かれらは、重度な「資本依存症」なのだから、主体性にまかせて 病理を病理として正視するとか、是正するとかの努力をはじめるはずがないのだから。

■あわせて、過労死の微視的な過程をあきらかにしようとした、大野正和『過労死・過労自殺の心理と職場』(青弓社ライブラリー)も紹介しておく。



LIGHTS ON? Zope  2005/08/31
森岡 孝二 (著) 「働きすぎの時代」
死に至るまで働いてはいけない

大量に消費するために、長時間労働を余儀なくされていく現代人。
少子化への対策として、一人当り数万円を出すというようなことが提案されることがあるが、人間の価値はそんなに低いものだろうか。

今の経済を回している構造が、持続的なのかを見直し、どうするのかを考えていく必要があると思う。



Freedom Life 2005/09/26

欲しい本(「働きすぎの時代」)があったので今日はわざわざ
ひとつ前のバス停で降りて本屋へ行ったのだけど、
その本は見つかりませんでした。
ああ、やはりアマゾンになってしまうのだろうか。
リアル書店を応援したい気持ちもあるのだが。
しかし、探す手間と移動の手間を考えたら
アマゾンになってしまうなぁ。



Magazine229:働きすぎの時代
 森岡孝二、岩波書店、780円と税金。

 90年代から0年代における働きすぎの実態を示した本だ。それがもたらされた原因を、4つ挙げている。グローバル資本主義、情報資本主義、消費資本主義、フリーター資本主義と名付けている。現象に対応した名付けなので、従来の概念と比較してなんだかんだ詮索するのは、詮索する方が間違っている。

 むしろ、グローバル化の中で労働時間が長くなっているとか、情報化が進行したのでどこでも職場になって労働時間が長くなっているとか、消費欲求に応えるためにコンビニのように労働時間が不規則かつ長時間となっているとか、フリーターという不規則労働者の急増などがタイムデバイドを拡大する中で広がっていることなどのことを指している、と理解した方がいい。

 実感的な言い方だから現象を理解するにはいいなづけかもしれない。しかし、データ、事例がいっぱいあるのだが、そしてデータとしてまとまっているので便利なのだが、その世界をすでに生きている人にはちょっと面倒だったかもしれない。

 高校の先生が、資料として引用するには便利だ。個別の人の体験というよりは、数量的なデータが多いだけに、しかも直近のデータまで入っているので、時代的にはぴったりという感じだと思う。本書の後半に行くと、特に、働きすぎの時代と社会を変えることが今こそ必要だという思いが伝わってくる。

 蘊蓄話。アメリカの研修医のことをレジデントと呼ぶのは、病院に泊まり込んで帰ってこないから。日米ともひどいものだ。

(2005.10.3)



徒然草

森岡孝二 働きすぎの時代 岩波新書  [読書]  

 著者によると、2002年版「オックスフォード英語辞典」にkaroushi(過労死)という単語が採用されたらしい。これは過労死が日本から世界に広がりつつあることを示唆している。かつて「働き蜂」と揶揄された日本固有の現象は、今や全世界で見られる現象となっている。
 この働きすぎの時代を著者は、
・グローバル資本主義
・情報資本主義
・消費資本主義
・フリーター資本主義
の四つのキーワード使って読み解く。

 ボーダレスの今日、日本の労働者は中国の労働者と競争して働かなければならない。産業の空洞化とあいまって、賃金に限らず労働環境そのものが競争にさらされている。第三の波でアルビン・トフラーはホームオフィスの夢を見させてくれたが、インターネット、携帯電話をはじめとするIT化は家庭と職場をボーダレス化し、私的時間を簒奪をしつつある。また、IT化により労働は標準化マニュアル化され、アウトソーシングを可能としたため、大量の派遣労働者を生み出した(アマゾン、マグドナルドの例)。ITを使ってビジネスをするためには、ビジネスを分析し標準化する少数の労働者と、それをシステム化する労働者、システムを使う多数の労働者に2極分化する。後者二つはほとんどの場合派遣労働者によるアウトソーシングである。システム開発の現場とコールセンターがその代表であろうか。ソフト開発の現場を訪れたことがある。若い男性が百人あまりズラリと並んで一斉にパソコンの画面と向かい合っている。ジーンズにカジュアルシャツの軽装もあれば、スーツ姿もある。会話も電話もない部屋でキーボードの音だけが響く異様な光景であった。一方、某大手のコールセンターは妙齢の女性派遣社員だけである。幾何学的に配置されたデスクで(雰囲気を和らげるために長方形の机の配置はしないそうだ)ヘッドフォンを付け数百人の女性が端末に向かっている。こちらも全員私服である。かかってくる電話はIVRにより業務別、スキル別に振り分けられるため、熟練を要しないそうである。部屋の中央に航空管制棟を想像させるガラス張りのコントロール室があり、彼女らの働きぶりがディスプレイでモニターされている。ここで、正社員はこのコントロール室の数人だけである。
 フリーター資本主義のフリーターとは、パートタイマー、アルバイトをはじめこれら派遣社員を含めた広義の非正社員を指している。こうした労働の2極分化は、週30時間の労働と週60時間を越える労働時間(働きすぎ)の2極分化を生んでいる、と著者はいう。
 この本を読んだ理由のひとつが、以上の光景が印象深く記憶に残っていたためである。技術の進歩、経済の発展は時短というかたちで我々に豊かな余暇を生み出すはずであったが、著者の言う4つの資本主義は、労働の形と質を変えてしまったらしい。



部屋の隅 2005/8/21
おもしろい偶然

昨日外出した帰り、本屋に立ち寄って一冊の本を買ったんです。
「働きすぎの時代」(森岡孝二著/岩波新書)っていう本を。
今日は一日その本を読んで家でのんびりしてました。早く帰る決意を新たにして。

本といえば、我が父親はとても本が好きなので、たまに本の話をします。さて、今日たまたまこの本が面白いということで手渡したところ、
「あ、これ読んでんの。僕も今読んでるんや。」と。続けて、「この本昨日買ったとこなんや。」と。しかも買った店まで同じ。父親の方が一時間早く買ったみたいで。
あぁ、親子ってもんなのかなぁ〜と思いました。
ちょっと嬉しかったりもするわけで。

ま、そういうわけで我が家にはこの本が二冊あります。
欲しい方、喜んで差し上げます。



持続可能な暮らし+社会起業家+LAHAS
2005年09月27日
働きすぎの時代ー死にいたるまで働いてはいけない!
森岡 孝二
岩波書店 2005-08

厚生労働省が2004年6月に公表した「労働者の疲労蓄積度チェックリスト」。公表直後からアクセスが殺到し、一時はつながらない状態になったとか。
「過労死診断コンピュータが働きすぎでダウン!?」とは笑えない冗談ですが、それだけ過重労働が深刻化しているということですね。

2005年8月に発刊された岩波新書『働きすぎの時代』(森岡孝二著)によれば、「karoshi(過労死)」が『オックスフォード英語辞典』にも載っているとか。

社会を豊かにするための「労働=仕事」が、人々を苦しめる元凶になっている。この矛盾、一体どうすればよいのでしょうか?

以前、「豊かな国の貧しいシゴトー35歳男女『職場地獄』」というエントリーを書きました。経験した方ならわかると思いますが、慢性的な過重労働は、まさに「地獄」。決しておおげさな表現ではありません。

どう考えてもこなしきれない膨大な仕事量。毎日終電まで、いえ、ほとんど徹夜状態が何日も続き、土曜も日曜もなく、締め切りと格闘しながら、ひたすら仕事をこなすだけの日々。仕事の満足度はおろか、心はすり切れ、感情に乏しく、まるで「仕事マシーン」になったような感覚。終わりの見えないプレッシャーと苦しみは、まさに「無間地獄」です。

僕自身は4年前に、そうした働き方を“卒業”しましたが、今も多くの人が同じような経験をしているかと思うと胸が痛みます。

先に紹介した『働きすぎの時代』によれば、働きすぎが特に目立つのは、総じて「中産階級上層の大卒、ホワイトカラー層」だとか。

激しい受験戦争を勝ち抜いて、「よい大学、よい会社」に入ったものの、行き着いた先が「職場地獄」だとしたら、「一体、何のための人生か」と言いたくもなります。ひょっとしたら、都市部の大卒サラリーマン層が、「人生の質」という意味では最も貧しいのかもしれません。

しかし、事は単純ではありません。
私たちは、消費者として、こうした過重労働を助長しているかもしれないのです。

例えば宅配便。
「全国翌日配送」を実現するために、十分な休息や睡眠がとれないドライバー達が高速道路をギリギリの状態で走っています。

例えば携帯電話。
次々と発売される新機能製品は、下請けソフト会社の想像を絶する労働環境が支えていると言います。

私たちの身近にある商品やサービスの利便性が、誰かの人生の犠牲によって成り立っているとしたら…。なんとも薄ら寒い思いがします。

こうした問題を一挙に解決できる方法を提示することはできませんが、少なくとも個別の対症療法では無理だということだけは言えそうです。どうも、社会全体の基本システム、パソコンで言うところのOS(オペレーションシステム)を取り替える必要があるように思います。

無理や矛盾は必ず問題を招き、問題はさらなる無理や矛盾を招き、悪循環のサイクルに突入します。

いま、立ち止まって自分の生き方・働き方を見つめ直せる人がどれだけいるでしょうか?

『働きすぎの時代』には、早朝から深夜までの過重労働で、新聞や政見放送を見る余裕もなく、総選挙で投票しなくてはならない働き盛りのサラリーマンの実態が描かれています。
政治や地域社会に参加する機会もなく、いえ、それどころか自らの家庭に参画する余裕すら奪われて、この国はどこまでもつのでしょうか。

「大量生産・大量消費・大量廃棄」の時代。実は、私たちの「人生」も「使い捨て」なのかもしれません。


この記事へのコメント
人生使い捨て…イターイ言葉ですね。エリートサラリーマンは働き過ぎないとダメなんだ、負けなんだと思い込んでいるような気がします。経営者はただで長時間働くことが当たり前と思い、労働者を扱っています。また私たちも便利さを求めつづけてきました。
根本問題を解決するのは難しいでしょうが、働き過ぎず、いい仕事して、ハッピーでおしゃれにかっこよく生きられるモデルを私は追求したいと思ってます。
Posted by 榊原 陽子 at 2005年09月30日 00:24

陽子さん、どもども。
「…ハッピーでおしゃれにかっこよく生きられるモデル…」、いいですねー。
陽子さんはお名前のとおり、ポジティブなエネルギーにあふれてますね。

素敵なコメントをありがとうございました!
Posted by toshi at 2005年09月30日 08:00

なんかHappyさが上から降り注いでくるような〜

「私たちは、消費者として、こうした過重労働を助長しているかもしれないのです・・・」

同感です。携帯電話の事例とか興味深いですね。頻繁なモデル・チェンジって、環境負荷も高そうだし・・・。でも新しいのが出るとついつい興味をもってしまったり。。

IT産業もフリーターの単純労働に支えられていることを教えてくれる、下記の本も衝撃的でした。ご参考までに。

アマゾン・ドット・コムの光と影―潜入ルポ
横田 増生 (著)
http://www.amazon.co.jp/exec/obidos/ASIN/4795843422/

千葉の配送センターってこうなってるんだという本です。断片的な情報かも知れませんが、まずは知ることから始めなきゃと思った次第です。ちなみにアマゾンでは買ってません。。
Posted by ラマくん倶楽部 at 2005年10月03日 19:02



pass the note around 2005/10/02
森岡孝二『働き過ぎの時代』岩波新書、2005年

現代の日本で、働き方の分極化を伴いつつ労働の過密化が進行している
ことを論じた著。読んでいて身につまされました(泣)。ドーアさんの
『働くということ』中公新書とあわせて読むとよいかも。



新・後藤和智事務所−−若者報道から見た日本
18:森岡孝二『働きすぎの時代』岩波新書、2005年8月
 近年、労働時間の短縮どころかそれが更に長くなっている、という問題に対し、それはどのような構造によって引き起こされているか、ということを解き明かした本。「働きすぎ」や「労働時間の二極化」を問題として構築して告発し、それを解決しようという意欲は買えるが、どうも「働きすぎ」に抗うために会社員個人がやるべきこと、という提言に関しては、かなり共同体主義的な匂いがするのだが。9のロナルド・ドーアの著書と是非併読したい。



ひと・仕事・うた
森岡孝二「働きすぎの時代」を読んで
2005-10-04 23:54:29 / 就活&CSR
 森岡孝二著「働きすぎの時代」(2005.8/岩波新書)

 経済が成長し、社会が豊かになれば労働時間が短縮し余暇が増えるというのが過去に期待されていた。しかし、世界の労働時間は1980年代以降、それまでの減少傾向が止まり、再び増大に転じつつあるという。

 著者はその背景として、グローバル資本主義(途上国を巻き込んだ労働者同士の競争)、情報資本主義(情報ツールの発達で、個人の時間まで仕事が追いかけてくる)、消費資本主義(経済活動の24時間化が働きすぎの新しい要因)、フリーター資本主義(労働時間が二極分化し、若手正社員に働きすぎ傾向)をあげており、この大きな流れに抗するのが容易ではないことを知る。

 しかし、関西大学経済学部の教授の職にあり、大学を巣立っていく学生たちを待つ長時間労働の日々を痛ましく思う著者は、「・・・・食事や睡眠や家庭生活の時間まで削って、すべての活動時間を仕事に費やすような働き方/ 働かせ方をさせるのはより大きな罪悪である」と断じ、働きすぎ防止の指針と対策を提案している。

 CSR(企業の社会的責任)が経済界で話題になり、多くの企業がホームページでCSRを宣伝する時代になってきているが、企業を支える従業員の労働生活に対する配慮を怠っておいては、かっこよく見える環境対策や慈善活動でいくら実績をあげようとも、CSRを本当に果たしたとは言えまい。

 法は建前とはよく言われ、我が国ではサービス残業が常態のようになっているが、「サービス残業は、所定の賃金および割増賃金を支払うことなく所定時間外および休日に労働をさせる点で、賃金不払いと割増賃金不払いの二重の違法行為であり、被害者数と被害金額からみれば最大の企業犯罪でもある」という著者の指摘に、少なくとも遵法経営を掲げる企業は耳を傾けてもらいたいものである。

 そして、就職活動される学生の皆さんも志望先の企業犯罪状況は要チェックである。残業が悪いのではない。企業活動には繁閑があり、残業が必要な場合も多い。問題は、残業をさせながらコスト(賃金)を払わないこと=残業は従業員の無償の慈善活動?、あるいは毎日・毎週遅くまで残業が恒常化という状況なら最初から適正な人員配置の能力に欠ける経営であることである。

 自ら寝食を忘れて働くとき、ひとがあってもよい。ただし、企業が雇ってやっているからと、それを従業員に強いるべきではない。



2005.10.09
「働きすぎの時代」あるいは戦略ということ
「本日の1冊(2403)」 [ みた映画や読んだ本のこと ]
「働きすぎの時代」森岡孝二著、岩波新書
この本を読みながら、思ったことをつらつらと。

情報通信技術の発達が経済のグローバリゼーションを誘発し、それがアメリカイギリスも日本みたいな長時間過密労働をする(米英で過労死続発)という事態をもたらし、更にそれが24時間労働も可能にする情報通信技術の発達を促し、日本では派遣企業の拡大、アルバイト・パートの活用という賃金のダウンサイジングへと続いていく……この止まりそうにない「悪循環」の中で、労働者は声にならない悲鳴を上げている。

この10年間でわれわれは日本経団連の『新時代の「日本的経営」』(1995)でつくられた戦略にまんまと嵌められてしまった気がする。この書物では次の記述があった。正規社員(Åグループ)有期雇用の低年俸契約社員(Bグループ)雇用柔軟のパート・アルバイト・派遣(Cグループ)この三類型に分け、Aを極端に絞り込み、BとCを大幅に増やして、雇用の流動化と人件費の引き下げを推し進めることが提案されている。私は90年代後半リアルタイムでこの本の内容については聞いたが、全然実感がわかなかった。パートアルバイトはあくまで若者と共働きの補助収入と認識しており、年収100万〜300万の層がここまで増えるとは想像できなかった。(01年で417万人)。それは労働者の組織もたぶんそうだったのだろう、有効な戦いを組織出来ていない。

℃グループは正規と同じように働いているのに、給料は1/2〜1/3しかもらえない。その不満の捌け口はなんと政府には向かわずに、「強いリーダー」への期待に向かい、改革の名の元に「公務員の給料を下げろ」と言い、「強い国ニッポン」を目指すのである。正規はどうか、パートと共闘するなんて思いもつかない。俺たちは彼らとは比べ物にならないくらい責任ある仕事をしているのだ、と更なる長時間労働強化で乗り切るしか道は無くなる。政治について考える暇なんてあるはずがない。「改革を止めるな」というワンフレーズがとても新鮮に聞こえる。

一方厚生労働省は、この間やっと重い腰を上げてサービス残業の解消に取り組んできた。(3年間に2200社、33万人に392億円の支払いを命じる)しかしこの本ではその努力も無駄になるような法案の働きを伝えている。時短促進法の実質廃止と、労働安全衛生法の「改正」で過重労働への助言指導が緩和されるのである。実はそれどころではない。私は更に労働基準法の抜本的「見直し」の動きを知っている。ひとつ、労働時間規制を外す。ひとつ、不当解雇しても金を払えば解雇できる。ひとつ、期限のない試用採用期間。ひとつ、労働条件の切り下げの下請け機関「労働委員会」の設置。(2005.04「労働契約法制のあり方に関する研究会」「中間とりまとめ」)

政府と財界の「戦略」はまだ完結してないどころか、これから仕上げの段階に入ろうとしている。憲法が定める「生存する権利」を条文含めて無くしていこうとしているのであろう。それが指し示す未来はどういう未来なのだろうか。

田中芳樹「銀河英雄伝説」では、自由惑星同盟のヤン・ウェンリーは銀河帝国側のラインハルト・フォン・ローエングラムに、「戦術」的には時々勝ちながらも、「戦略」的に敗れてしまう。しかしこの小説の真の主人公とでいえる「後世の歴史家」の書き方では決して銀河帝国が最終的に勝ったとは書いてはいない。
後世の歴史家が今現在のわれわれをどう評価するか、
われわれは歴史の只中にいる。



文庫本大好き
2005年10月11日 
8月刊の岩波新書「働きすぎの時代」(森岡孝二)を読む。

著者は,「働きすぎのアメリカ人」や「『窒息するオフィス 仕事に強迫されるアメリカ人」などの訳書もある経済学者。

『アマゾンの巨大な物流センターでは,時給900円で注文された本を「1分に3冊」のノルマでひたすら探し回るという新聞記事を探し出した。翌日曜未明,アマゾンに先の記事に出ていた本を注文した。すると「24時間以内に配達する」という触れ込みどおり、月曜の午前中には家に届いた。送り元は千葉県,家は大阪府。この間600キロを宅配便はひたすら走ったのだろうか』

たしかに,深夜営業や宅配便の利便性の裏に,従業員の過重労働があることは想像できる。また,電子メールやインターネットが導入されたことで,仕事のスピードは上がったが,その分仕事量が増えて,一層忙しくなったと感じている人は多いはず。家庭も出先もメールチェックをしなければならない人もいるだろうし,結果として,労働時間や残業の意味が変わってしまった。

職場にも,フリーター・アルバイトなどパートタイム労働者が増えて,給与の削減にはなったかもしれないが,その分人員削減された残り少ない社員は労働時間が増え続けている。一時期減り続けてきた労働時間が増加に転じているのは世界的傾向とのこと。

本書では,過重労働の実態を調査し,働きすぎの原因をわかりやすく示している。職場にいれば,こんなことは分かってるんだ,だからどうしろと・・・と思うかもしれないが,オレだけではないと確認することで,多少は癒されるかも。



書評:政策情報を発信する岩佐充則のウェッブサイ
2005年10月9日
森岡孝二著『働きすぎの時代』(2005年、岩波新書)

*日本、米国、イギリスでは、労働の規制緩和、株主を向いた経営方針の確立などによって、働きすぎの社会が生まれているとの警鐘を鳴らしている書である。情報通信の発達もその要因と分析されている。「オランダはフルタイムとパートタイムの時給格差をなくして失業問題や時短で成果を上げたが、日本ではフルタイムとパートタイムの間に大きな時給格差があるだけでなく、男女の間にも大きな時給格差がある」として、日本ではオランダモデルが全く普及していないことが明らかにされている。「多くの企業において、正社員が絞りこまれてより長時間働くようになるとともに、短時間を切れ切れに働くことが多いパート・アルバイトなどの非正規雇用が増えてきた」のが日本の現状である。日経新聞に投書欄がないことについては、「働きすぎの日本の『ビジネスマン』たちは、家で新聞を購読している場合も、出勤前にゆっくり読む時間がなく、夜や週末も、仕事のメールのやりとりはしても、自分の思いを文章にして投書する時間はほとんどない状況におかれているのではなかろうか」との指摘がなされているが、面白い視点と言える。深刻な雇用情勢をあらわす局面に焦点が当てられているので、全体としてのトーンは重苦しい。



自由法曹団通信
総選挙から
東京支部  神 田   高

一 米国同時テロから四年後の九月一一日に投票日を迎えた総選挙は、議席上、自民党の「圧勝」で終わった。民主党が一議席しかとれなかった東京の小選挙区でも、得票率をみると自民・民主は三〇%台でほぼ拮抗しており、自民党が獲得した議席も堅固なものではないが、小選挙区効果としての結果であった。

しかし、自民党が増やした五〇〇万票には、単なる 小泉旋風 とはいえないこれまでとは違った側面があるように思う。投票日に町で、「茶髪もけっこう来ていたな」という若者の話を耳にした。無党派層の多い私の住む地域の息子の保育園時代からの親しいある父親は「三〇〜四〇代が自民党に投票したんじゃないかな」とも言っていた。投票率を押し上げた原因には、 改革熱 に誘導され民主から自民に流れた票以外に、新自由主義的 構造改革 によって生み出されてきた格差拡大にあえぐ者による投票行動があったと思われる。


 投票日直前の九月八日の朝日朝刊に掲載された、総選挙特集「二極化の足下〜活況の一方 格差拡大」の記事には、貧困度の各国比較とともに所得格差の広がりのグラフが出ていた。八〇年代前半に上位二割と下位二割の開きが一〇倍以内だったのが、九〇年代後半から急激に拡大し、〇二年には一六八倍に達しているという。最近出版された森岡孝二『働きすぎの時代』(岩波新書)には、「現在すでに日本の労働者の四人に一人は年収一五〇万円未満、二人に一人は年収三〇〇万円未満」。複数世帯では階層化は表面に出ないが、「フリーターのような低賃金でシングルでいつづけることは厳しい」という。九八年に出版された橘木俊詔『日本の経済格差』(同)の出版の動機は、「理にかなわない不平等化の阻止」である。

二 シラク政権のイラク戦争反対の姿勢を理論的に支えたとされるEトッドは、『帝国以後〜アメリカ・システムの崩壊』(藤原書店)で、「経済の帝国的変貌は、アメリカ社会の上層階層を一国の枠組みを越えた帝国的(「グローバルな」)社会の上層階層に次第に変貌させていく」と述べている。アメリカで、「国民」所得のうち最も豊かな五%に吸い上げられる割合は、一九八〇年には一五・五%だったのが、二〇〇〇年には二一・九%となり、最も豊かな二〇%の取り分は四三・一%から四九・四%に上昇している。

 しかし、 不平等の劇的拡大 があったのは、八〇年代から九四年の間で、最も資産のある五%では、増加率は五九%にも達している。同時に注目すべきなのは、アメリカの「帝国」への傾向が加速化したのは、九四年から二〇〇〇年までの間であると指摘されている点である。トッドは、「貿易自由化は、世界規模での不平等の拡大を引き起こし、全体としての世界の特徴である所得格差を一国規模で各国に導入し、総賃金の停滞」をもたらしたと言う。縮小された賃金は増大する生産を吸収できず、結局資本主義の伝統のジレンマを世界的規模で噴出させることになるのだが、「帝国化」の過程で国内的にも格差社会がもたらされることは、重大である。

三 九九年に小沢一郎の改憲試案に続いて出された、鳩山由紀夫の「ニューリベラル改憲論・自衛隊を軍隊と認めよ」(文芸春秋一〇月号)は、グローバリズムの中で弱肉強食の世界を生き抜ける日本をつくる、そのために憲法を、九条を変えると言い放っていたが、ここに来て、そのリアリティが見えてきた。その路線は、五年余を経て小泉純一郎に引き継がれたが、その本質が、体内的には「構造改革」という名の国民収奪、格差拡大路線であり、対外的にはー「帝国」に従属したー軍拡戦争路線(トッド風にいうと「演劇的(小規模?)軍事行動主義」への参戦)であることが明らかとなってきた。

 憲法九条という日本に独自の戦争政策に対抗する社会文化的な力と「構造改革路線」に対抗する国民に見える運動の創造によって、ポピュリスト的野望をうち破っていくべきだと思う。



夜を渡る風
Oct 16, 2005
『働きすぎの時代』 森岡孝二著、岩波新書

経営者は、生産性のひくい従業員を「この給料泥棒」
と腹立たしく思っているのだろうが、
搾取されている従業員の方にしてみれば、時間泥棒に人生の大事な時間を抜き取られているようなものだ。ミヒャエル・エンデの小説『モモ』に”灰色の男たち“という悪役が登場する。人間から時間を盗んで生きている彼らの支配がすすむにつれ、人々は生活からゆとりや潤いを失い、世の中は殺伐としてゆく。


 労働基準法のさだめによれば、
「1週間40時間、1日8時間の法定労働時間を越えて労働させたり、週1日の法定定休日に労働させたりした場合は、通常の賃金だけでなく割増賃金を支払わなければならない。違反すれば、賃金不払いと割増賃金不払いの二重の違法行為となり、6ヶ月以下の懲役か30万円以下の罰金に処せられることになっている。従業員にサービス残業をさせないためには、サービス残業が企業犯罪であることを肝に銘じ、コンプライアンス(法令遵守)につとめる」

 ということに決められているのだが、
こんなものは、絵に描いた餅。
「過労状態が続くと、労働者の健康は、破壊され、精神は蝕まれ、最悪の場合倍家庭や社会の維持が、危うくなる」
と、本書の中でも書かれている。

 私は今、週に60時間以上働いている。
いや、働かされている。某大手スーパー内のテナントで働きはじめて5年になる。ここの会社で勤めを始めた時は、夜8時までの営業時間だったのが、いつの間にか、スーパーの営業時間が11時までになった。アアもウウ、もなく、強制的にテナントもそれに従わされ9時までは、店を開けていなくてはならない。と、いう事になってしまった。
 会社は経費を押えようとするので、人手は増えず、勤務時間は長くなって、当然のように、残業手当はつかない。

 不況のせいだけではない、今の働きすぎの状況を作り出す社会的背景を、分析してみせる一冊だ。

 それにしても、働きすぎで身も心も、へろれろ。
本や雑誌に載っている、ストレスやら鬱の、チェックテストを、試してみれば、その項目の、半分くらいには、チェックが入った。
へろへろ、へろへろ、へろへろ、ヘロ、ヘロ。ヘロヘロヘロヘロヘエエエエエエ。

 『働きすぎの時代』  森岡孝二著   岩波新書  780円+税
 2005年8月19日 刊



浮遊空間掲示板

2005/10/1  9/11(総選挙)の余波は、まだ続いています。テレビのワイドショーは「小泉チュルドレン」の追っかけ、新聞は静かになりましたが、週刊誌は「バブル議員」の裏話を満載、月刊誌は「小泉劇場の舞台裏」の解析、政治に関心が持続するのはいいことです。でも巨人に勝った阪神タイガースの優勝と、小泉自民党政府の衆院3分の2議席独占は、同列では論じられません。選挙から3週間たって分かってきた、いくつか。15億円の使途不明金まで出た政治資金のカラクリも出てきて、国民の多くは「自民党の勝ちすぎ」と内省し危惧しています。郵政民営化選挙と言われましたが、この争点のみで選挙区の小泉民営化法案賛成候補の総得票と法案反対候補の総得票を比較すると、「国民の審判」はむしろ反対、控えめにみてもイーブンでした。それが小選挙区死票マジックで、圧倒的な差に見えるのです。「小さな政府への新自由主義構造改革」は、構造改革というリフォーム詐欺の手口を使って、小泉ブームに乗り国民の望む方向に見えました。しかし、「今後の日本社会は、どのような社会を望みますか」と問うテレビの世論調査によると、「税負担が重くても弱者に配慮した平等社会」が64%、「税負担を軽くし所得格差があっても自由競争社会」は16%にすぎません。読書の秋に、前回指摘した「閉塞気分・改革願望」の根拠を探るための本を数冊、新書で気軽に読めるかたちで紹介しておきましょう。第一にロナルド・ドーア『働くということ』(中公新書)、第二に森岡孝二『働きすぎの時代』(岩波新書)、第三に三浦展『下流社会』、第四に稲葉振一郎『「資本」論』(ちくま新書)。中味は読んでのお楽しみ、こんな順序で読んでみると、何らかの社会イメージを得るでしょう。日本社会のシャンペングラス化も進んでいますが、「勝ち組」も出ています。それにフリーター、ニート問題です、少子高齢化です、そこに年金改革の遅れ、膨れあがる国家の借金です。私はかつて「エルゴロジーの政治学」を提唱しましたが、タイミングは早すぎたようです。今改めて「働くことの意味」を問い直すべき時です。そのうえで、そろそろ「ポスト新自由主義」の政府と市場と社会のあり方を考えてみましょう。



stream diary
2005.10.15(土)
「働きすぎの時代」

「死にいたるまで/働いてはいけない!」

話題の新書の帯に書かれたキャッチです。本当にそう思います。
最近の職場環境・労働状況を見ても、著者の指摘されている現象があっちでもこっちでも展開されているように思います。PCやモバイルの進化で仕事が楽になるかと思いきや、まったく逆。私の若かった頃は―若い人はわからないだろうけど―印刷物も<写植>という文字を切ったり貼ったりして、<版下>なるものを作って校正をしていたものですが、そういう工程を踏んでおればかかるそれなりの時間というものをクライアントさんも理解していたと思うのですが、今のようにすべてDTPでデータを簡単に修正できることを知ってしまったら、「じゃ、明日の朝までにね」みたいなことが簡単に横行してしまう。異常です。企画書やマニュアル・デザイン案についても同じ。
私がこの世界に入った頃は、まだ手書きの企画書でした。それがワープロになり、パソコンになり、今やクライアントへの提出も<メール送り>だったりします。
そんな中、最近特に目立つのは「正しい働き方・健全な生活」ということを意識しない人々(自発的な働きすぎ人間)が、権力や恫喝をもってまわりを巻き込み、一種集団ヒステリー的な環境を形成していく現象です。非常に危機感を感じます。
この本の中の指摘をいくつか拾いますと
○アメリカにも働きすぎ人間が増えていて、karoshiという言葉が生まれている。
○厚生労働省も月100時間以上の超過勤務には、「脳・心臓疾患の発症との関連性が強い過重労働」とみなしている。
○アマゾンの巨大物流センターでは、常時100人のアルバイトが注文された本を「一分三冊」のノルマでひたすら探し回る。しかもこのアルバイトの時給が上がるということはまずないため、「一年もつアルバイトは十人に一人もいない」らしい。
○企業の採用抑制とリストラで若手の下働きと中堅の責任ある仕事の両方をさせられている30代男性がもっとも働きすぎ……………………などなど。

浪費のために過重労働をしているその人がアマゾンやマクナルドなどの快適で便利な生活を愉しむため、その陰にはまたそのことの実現のために過重労働を強いられている人々がいる………。ナンカ間違っていますよね。

アメリカ社会ではそんな異常な時代にNOを表明し、「以前より少ない収入で幸せに暮らしている」人々が増えていることも紹介されていました。そんな人々を「ダウンシフター(減速生活者)」と呼んでいるそうだ。日本でも「スローライフ」や「田舎暮らし」がブームだが、私が《海外移住》に興味があるのもその辺だ。少しずつ少しずつ家人を洗脳しなければ、と思う今日この頃。

そう言えば、一昨日久しぶりに業界の大先輩:ヒゲのW氏が来社されて暫し歓談していたのですが、「いまだにこんなことやってるんだよ」と言って<手書きの企画書>を見せていただいたのですが………。いやはや。本当にびっくりいたしました。(二重の意味で)。それはそれで、また問題ですけどね。



仁和寺のほうじ茶
[読んだ本]森岡孝二「働き過ぎの時代」岩波新書

「お客様は神様である」という格言は、経営者にとっての客のニーズにたいする応答性の重要性を示した経営哲学の言葉としてみることができるが、同時にその言葉はもっとも優れた労働管理のイデオロギーのひとつでもある。

「わたしが命令しているのではなく、お客様のニーズに応えるためだ」

「お客様の求めるよりよいサービスを提供するためだ。」

飽くなき消費者の要求に応える形をとる最強の労務管理。

「われわれが君たちに命令して働かしているのではないのだよ、よりよいサービスを求める消費者が働かしているのだよ。」

そしてこの命令する消費者は労働者自身でもあるのが皮肉だ。この本の中にもアマゾンの過酷な労働の実態を告発する本をそのアマゾンに注文するシーンが描かれていたが、それこそが労働者=消費者が相互に管理者としてお互いを働かせあう社会、消費資本主義の社会だ。

しかしこれは単に人間の消費行動が本質的に問題であるとか、消費者のマインド(そして労働者の側のマインド)の問題であるというわけではない。消費者のニーズを企業が労務管理の手段に転換していることこそが問題なのだ。

こうした観念のトリックのみならず、企業は実際にさまざまな手段を用いて、責任主体としての地位を放棄しようとする。そうした企業にたいして、管理者としての責任を追及し、どのようにしたら首根っこをひっつかまえて責任を果たさせることができるのか、それこそが問題なのだ。森岡先生がこの本で問うているのはまさにこの企業の責任をいかにして追求するのかという問題である。

ニート君やフリーターの心理分析なんかして分かった気がして悦に入っているタイプの本は百害あって一利なし!



pass the note around
森岡孝二『働き過ぎの時代』岩波新書、2005年

現代の日本で、働き方の分極化を伴いつつ労働の過密化が進行している
ことを論じた著。読んでいて身につまされました(泣)。ドーアさんの
『働くということ』中公新書とあわせて読むとよいかも。



松桐坊日乗
床屋世談 / 2005年09月13日

働きすぎの時代

毎月届く、岩波書店の「図書」。今回もいくつかの掌編が心に残った。中でも最後の広告のページに出ていた「働きすぎの時代」の話にはハッとさせられた。
というのは、日頃、便利に遣っているAmazonの話だ。「時給900円のアルバイトが1分間に3冊のノルマで書籍の倉庫の中で本を探して走り回っている」という。確かに、ウェブのワンクリックの向こう側では人間が動いている。つい、そのことを忘れてはいないか。

以前紹介した、ビートたけしの本で、宅配便の話が出てきたが、便利といっている向こう側には走り回っている人がいる。

かつて、本を取り寄せようと思うと、本屋に注文。本屋は取り次ぎ(日販、東販、栗田書店、大阪屋などなどがあった)に伝票を送り、取り次ぎは出版元から本を取り寄せ、「番線」と呼ばれた配送系統別に乗せて小売りに発送−−。この間約2週間。この辺りの経緯は山本夏彦の「私の岩波物語」



どんなことがあっても本が大好き 
本に関するささやかな個人的意見
2005年10月15日
森岡孝二著『働きすぎの時代』

 森岡孝二さんの『働きすぎの時代』(岩波新書)の最終章に「働きすぎにブレーキをかける」として、労働者、労働組合、企業、そして政府に著者自ら様々な提案をしているが、分かるけどそれが出来ないから、働きすぎになってしまっている。一人一人が声を上げて訴えればそれが改善できるという考えは、確かにそうだろうけど、それが許されない社会になってしまっていることを問題とすべきじゃないかと思うのだ。声を上げれば、みんなが認めてくれる社会じゃなく、逆に疎んじられる社会だから、なかなか声を上げられないのだ。その為働きすぎが、ストレスや体調不良、あげくのはてに過労死と泣き寝入りさせられてしまう。働きすぎを会社や社会が求めている部分がある以上、その犠牲者減りはしないだろう。

 たとえば私が住む近くの駅に、ダイエーがあるが、ここは営業時間が23時までとなっている。サミットは1時まで、駅前にあるモスバーガーは24時30分までと、営業という表示が書かれている。(こんな表示でいいのかなぁと思うのだが、まぁ言いたいことは分かる)もちろんコンビニは24時間営業だから、深夜でも煌々と明かりがついている。
 いくら駅前とはいえ、こんな遅い時間にそれほどお客が来るのかと不思議でならない。お店を開けている以上、たとえ少ない客数でも昼間と同じように店内には照明を点けておかなければならないだろうし、看板だって同様に点けておかないとなるまい。更に当然従業員もそこに配置させないとならない。ニーズがあるからそうしているといえば聞こえがいいが、はたしてそれだけだろうか?どうも私には経営者の売上アップを望む声が聞こえてきてしまう。こういう時代だから、少しでも売上数字が欲しいのは当たり前だ。みんなと同じことやっていたんじゃ売上なんか上がりやしない。コンビニにお客を持って行かれるくらいなら、それを取って自分のところの売上にしてやろうという考え方があってもおかしくない。
 しかし深夜に営業する以上、当然経費がかかる。はたして利益と経費のバランスは取れているのだろうかと、かねがね疑問に思っている。かなり厳しいんじゃないかと思う。「いや、それはいいんです。宣伝としてうちは遅くまで営業しているというのがお客様に分かってくれれば、いつか使ってくれるはずです」なんて言うかもしれない。けれどその深夜営業の赤字は単純に考えて、昼間の売上利益から補填されているはずだ。たとえそれが広告宣伝費の要素が強くたって、結局そういうことだろう。ということは、その補填数字は誰が出すかと言えば昼間のお客である。つまり深夜営業の赤字の分、昼間のお客は高い商品を買わされていることだってあり得るんじゃないかと思うのだ。
 一方深夜営業の赤字を昼間のお客にすべて補填してもらうわけにもいかないだろうから、少しでも経費を安く上げるために、特に経費のかかる人件費は抑えるために使われるのが、フリーターやアルバイトなどだ。恐らくコンビニにしても、こんな深夜営業をするお店が維持できるのも彼らの存在のお陰だ。
 ここに働きすぎの構図がいくつか見えてくる。まずは会社がそれを求めているということである。次にライフスタイルが深夜にも多様化し、本来休養や睡眠を取らなければならないのに、まだ活動している。あるいは遅くまで仕事をしている。眠らないがために、そこに商売が成り立つ背景があるのだ。
 次に安い給料のフリーターやアルバイトは、自分の欲望を満たすため、長い時間働くことで必要なお金を得ている。そしてそのフリーターやアルバイトがそこで簡単に仕事が出来てしまうのは、コンピューターに管理をやらせ、その手足となれるだけの能力と体力があれば仕事が出来てしまうほどマニュアル化したものがすでにあるから、フリーターやアルバイトが簡単に仕事が出来るのだ。

 以上、身近な例で、この著者言わんとすべきことを書いてきた。著者は働きすぎの原因が、「グローバル資本主義」、「情報資本主義」、「消費資本主義」、「フリーター資本主義」といって、それらが進んだことで、1980年代以降働きすぎの傾向増進したのだという。
 でも「○○資本主義」だなんだといっても、資本主義という以上、「売ってなんぼのもの」なのだから、どうやって売るかにすべてがかかってくる。競争に勝つためには何でもありという考えますます浸透していくような気がしてならない。自由競争を前提として、どんどん競争していったら、こういう働きすぎが必然的に起こるのは当たり前だろうし、モラルハザードだって起こってくる。
 さっきもいったけど、競争である以上、人と同じことをやっていたんじゃ競争には勝てない。そういうことなのだ。人間性回復なんてしゃらくさいことを言う前に、どうしたら売上が伸びるか考えろ!そして働け!それがあんたらの生活を豊かにするんだという経営者の声が聞こえそうだ。こんな経営者達に労働基準法のコンプライアンス求めるのは無理だろうし、労働者も自分のライフスタイル維持、もしくは向上させるには働くしかないと思っている以上、働きすぎを改善することは難しいだろう。
 だったらどうすればいいのだろうか。よく分からない・・・?

 ところでこの本を読んで知ったのだけど、日経新聞には読者の投書欄がないらしい。へぇそうなんだと思ったが、この著者は日経新聞を読むビジネスマンは忙しくて、投稿なんてしていられないからと書いているが、はたしてそうだろうか。
 たとえば仕事のしすぎで過労死してしまった夫の妻が夫が読んでいた日経新聞に「夫は会社に殺された」なんて投稿されたら、日経新聞を読んでいる経営者は苦々しく思うからじゃないかなぁと思っちゃうのだけどネ。真相はどうなんだろうか?

管理人の追記: 「どんなことがあっても、本が好き」さんは横田増生氏の著書『アマゾン・ドット・コムの光と影』の長文の書評の冒頭に、「横田増生さんの『アマゾン・ドット・コムの光と影』(情報センター出版局)は先の森岡孝二さんの『働きすぎの時代』とセット読んでみると面白い」と指摘している。



あきやまのホームページ
<<最近読んだ本>>
森岡孝二、『働きすぎの時代』、岩波書店

── マトモに書き直した『豊かさとは何か』。
同じ岩波新書で、巷でとりあげられることの多い輝峻淑子『豊かさとは何か』は、 ぼくはハッキリ「駄本」と言っていいと思うけれど。 本書はマトモだ。 そして、日本という国が、どうしようもない国であることもよくわかる。 さすが「Karoshi」が国際語になってしまうだけのことはある。 こんなお粗末な状態を放置していて、何が「国を愛する心」だ、バカも休み休み言え、と。
あと一つ、この国の未来を憂える優れた論客は、近頃必ず、 その著書でウルリッヒ=ベック『危険社会』を引いてくる。 それは、山岸俊男が「信頼社会」と呼んだ当のものだ (『安心社会から信頼社会へ』)。 誰もが“信頼”にもとづいてつながれるはずの「信頼社会」の本性は、 誰もが生きていくのに多大の“危険”を背負い込む「危険社会」であった。 学生時代、山岸の本を読んで「ふざけるな」と思ったけれども、 ぼくの考えはやはり正しかった。 くたばれ、山岸俊男。 [評価:○]





以下のページでは、拙著『日本経済の選択―企業のあり方を問う』(桜井書店、2000年9月)に関する新聞・雑誌における書評・紹介などを載せました。





『朝日新聞』2000年9月19日 くらし欄(火曜日:仕事・雇用)
長時間労働から会社員をまもれ


 企業活動を市民が監視する「株主オンブズマン」代表の森岡孝二・関西大学教授(56)が=写真(略)=が、『日本経済の選択―企業のあり方を問う』(桜井書店、2400円税別)を出版した。

 異常な長時間労働が「過労死」を生み出す実態や、「男は残業・女はパート」という性別分業がもたらすゆがみなどを分析しながら、法的義務や社会的責任を逃れようとしている日本企業の仕組みを検証している。規制緩和で広がるルーズな労働時間管理に警鐘を鳴らし、市民の目から考えた企業改革を提言する内容だ。

 森岡さんは過労死が社会問題になった1980年代に(心臓弁膜症の手術で)入院し、企業社会の傷病兵を身近に知った。亡くなった会社員の遺族や弁護士から、「経済学者は労働時間の実態を甘くみている」と指摘され、この問題に真剣に取り組み始めた。「働いている人たち、日本経済のあり方を変えていかねばと思っている人たちの役に立てばうれしい」と話している。



『日本経済新聞』2000年10月1日 書評欄

 戦後の経済成長至上主義がいかに日本の企業経営をゆがめてきたかを論じている。世界の見本となった日本的生産システムも工場の作業長らに重責を負わせ、過酷な労働を強いたことで成立してきたと主張する。著者は関西大教授で、株主オンブズマン代表としても知られる。

 個人株主ら市民による企業活動の制御の必要性を強調し、21世紀の日本は「低成長でも生活が安定している社会」を目指すべきだと訴える。ただ、日本はすでに成熟し、豊かさのために高い経済成長は不要という主張は、国際競争の激しさを過小評価している印象もある。



「著者に聞く」『エコノミスト』、2000年10月24日号
市民の目で考える日本的企業システムと企業改革
    

――バブルの崩壊と長期不況という日本の90年代に、日本的企業システムを通して切り込み、さらに市民の目で企業改革を考える。一味違った日本経済論といっていいですね。

■この10年余りを振り返ると、日本経済は古いシステムではうまく機能しなくなっています。その間、私は過労死の問題から入り、4年ほど前からは株主オンブズマンの活動にかかわり、株主総会に関与してきました。経済学をやってきて理屈では企業のことを知っていたつもりでしたが、実際には見えざる部分があり、それが企業を作っている。そういった問題を自分なりに捉え直したのがこの本です。

――くたくたになるまで、ひたすら会社のために働き、亡くなってしまう。まさに異常な世界です。

■経済のルールに従えば、企業は信義誠実で、公序良俗に反してはいけない。そのルールが日本では働いていません。労働基準法も企業内では建前にすぎず、過労死の根源はそこにある。憲法で保障される男女平等も企業社会では形式でしかない。上場企業をみても女性の役員はほとんどいません。

――いま問われている最大の問題は?■株主オンフズマンの活動を通して見えてきたのですが、まず日本的生産管理が大きく揺らいでいること。経済が国際化、地球化するなかで、メガ・コンペティションに生き残るために徹底したコスト削減が行われる。また、規制緩和で効率が最優先され、安全や人間優先は後回しにされてきました。

 もう一つは熟練労働が企業に蓄積されなくなってきた。熟練労働の解体と言っていい。終身雇用が揺らぐなか、企業に一生を捧げようという労働者を企業が振り払っている。企業への忠誠心はどんどんなくなっている。内部告発の増加がその表れといっていい。

――日本全体の問題ですが、先送り体質も大きいのではないですか。

■そごう問題が典型です。金融危機と消費不況が重なるなかで、問題を先送りしてきた。同時に、水島廣雄会長に待ったを掛けられなかった。取締役会の議事録を見ると、「水島天皇」がこうおっしゃったからやると、正直に書いてあります。主力銀行の日本興業銀行も責任を取っていない。日本ではこの10年の失敗を十分検証したり責任追及したりすることが、政治、官庁、日銀、一般企業を通じて行われていません。

――それでも、株主オンブズアマンの活動で、企業は変わってきていますね。

■役員報酬を、総額ではあるが、その年度に開示するところも現れてきました。株主が経営者を雇っているのですから、役員の報酬を知るのは当然のことです。ところが、隠したがる。そうした体質は、どこかで経営を誤ることになる。不良債権がいい例です。

 いま求められるのは、まっとうなルールがきちんと働く社会に戻すこと。将来への不安はかつてないほど高まっている。若い人の間でベンチャー人気が上がっているといわれますが、実際には、学生は依然として寄らば大樹の陰です。

(聞き手・今松英悦=毎日新聞論説委員)



 『しんぶん赤旗』2000年10月30日 書評欄  評者:下平尾 勲(福島大学教授)

 本書は、バブル経済の形成と崩壊のメカニズムの分析、それの及ぼした社会・経済的な影を事実にもとづき詳細に分析していることでは、高い学問的価値を有している。

 また、たとえ収入が減っても、労働時間を短縮し、雇用拡大と人々の生活の質を高める経済政策の転換と市民運動による企業改革を力説している点では、新しい視点からの問題提起の書物であった。

 わたくしが本書を読んで考えさせられことは次の点であった。

 まず、経済学とは何かということであった。もともと経済学は、経世済民の学として、多くの人たちのくらしを良くするために登場してきたが、株主利益の企業経営の学となりつつある。本書は経済学の存在理由を問うたのである。バブル経済崩壊後の影の部分(企業倒産やリストラで苦しんでいる多くの労働者や零細企業)を苦渋にみちた実践活動で得た知識と経験で裏付けつつ、経済分析の対象として真正面からとりあげたことは注目に値する。

 第二に、市民運動に立脚して経済政策と企業の改革を提起したことである。長期不況下でも、雇用削減を伴うリストラを強行すれば、株価が上昇するから、株主利益の企業経営が横行している。しかしそれは、企業においては雇用削減、銀行においては貸し渋りにより、企業経営の破綻を引き起こし、不況を長期化させている。企業倒産の増加と金融システムの危機が続く。公的資金をつぎ込む。この悪循環を打破するためには経済政策の転換と企業改革が必要である。それを推進する主体は市民運動であるという。こうして実践の経済学と経済学の実践を提起した。

 第三に「規制緩和と安い政府」という理論があらゆる分野で一人歩きしているが、事実にもとづいて勇気ある発言を行っていることは本書の特色である。

 いかなる立場に立とうとも、今日の事実をとりまとめた本書は一読に値するすぐれた労作である。



『J通信とくしま』第40号、徳島自治体問題研究所、2000年10月  評者:中谷武雄(橘女子大学教授)

 1 本書の構成と流れ

 帯や表紙に記載された幾つかのつかの宣伝文をつないで本書の流れと構成を示せば、次のようになるだろう。

 帯表:ここには21世紀の日本経済の針路がある。

 <カンパニー・キャピタリズム>を超えて バブルと不況を生んだ日本の経済システムを企業システムに焦点を絞って検証し企業のあり方を問う。

 帯表裏:当事者のモラル・ハザード(倫理喪失)はだれの目にも明らかだが当事者の誰も責任をとろうとしない。                       '
 帯裏裏:株主オンプズマンとして日本の企業のあり方を問い続ける著者がバブル破綻後の不況と続発する企業不祥事に揺れる日本の経済・企業システムを検証し提言する。

 表紙表裏:バブルや不況を取り上げた類書と異なって、本書は、企業経営の歪みを論ずるだけでなく、市民の側からの企業改革の可能性についても幾つかの問題提起を行っている。

 目次は、序:変化のなかの経営システム、1:パブルの環境はこうして準備された、2:パブルの崩壊と90年代不況、3:日本的生産システムを問直す、4:日本的企業システムと労働時間、5:労働時間の規制はなぜ必要か、6:コーポレート・ガバナンスと株主権―日本とアメリカの株主総会を比較する、7:市民の目で企業改革を考える、終:日本経済の針路を切り替える、である。内容要約は、著者自身による「はしがき」5〜7頁を参照。
         
 本書の課題設定とその背景は明らかである。「はしがき」に要領よくまとめられている。「バブルと不況を生んだ日本の経済システムを、企業システムに集点を絞って検証し、企業のあり方を問う観点から21世紀の日本経済の針路を定めようとしてまとめたのが本書である。/……バブルを戦後最大規模の国民的損失を生んだ企業犯罪として暴き、その責任を追及する点で、[他書は]多くの甘さを残している。それ以上に大きな問題はこの十数年の間に政府も国会もパブルとバブル破綻後の不況についてこれという検証作業を行ってこなかったことである。」(4頁) 
       
 「失われた10年」や「平成(大)不況」といわれる、バブル破綻後の日本経済は、低成長率と企業の経営成績の不振だけでなく、60兆円もの公費投入を受けながらの金融機関を中心とする経営破綻した企業の粉飾決算や総会屋への利益供与事件など、企業(経営者)のモラル・ハザードを示す企業不祥事と企業犯罪の連続によっても特徴づけることができる。「バブルや不況を取り上げた類書と異なって、本書は、企業経営の歪みを論ずるだけでなく、市民の側からの企業改革の可能性についても幾つかの問題提起を行っている。日本の企業では、経営者が違法や不正を犯しても、それをチェックする仕組みがないか、あっても機能せず、しばしば取り返しがつかない事態にいたることが多い。それとともに法的義務や社会的責任を逃れて恥じない企業が少なくない。こうしたことがなぜ生ずるのか、どうすれば改められるのかを検討していることも本書の新しさの一つである。」(5頁)  

 2 原理論研究と政策・運動(団体)との関係のあり方

 本書の著者は、金融資本と創業者利得を中心にした、『独占資本主義の解明』(新評論、1979年)、『現代資本主義と独占理論』(青木書店、1982年)から出発した。その後、理論問題から現状分析へと進み、現在は日本型企業社会の分析を中心に論陣を張っている。今回は具体的な提言にまで及んでいることが特徴的である。著者は「経済理論学会」の代表幹事(1998.3〜2001.3)も務めていることからも伺いしれるように、独占資本論における(原論的)研究で一定の地歩を築いたうえで、理論研究から現状分析=日本型企業社会論へと歩を進めた。(マルクス経済学研究における、一つのあるべき、典型釣な研究遍歴を示していると思われる。      
   
 著者の日本型企業社会分析の具体的出発点は過労死問題であり、これは労働時間論という理論問題と労働条件や雇用慣行などの政策的・制度的分析との不可分の関係にある領域である。労働時間問題を取り上げたことが、その後の研究の展開と発展に大きく貢献していると思われる。1つはこの領域が労働者の人権問題と人間的発達の実現という、経済学の学際的な拡大、発展が強く求められる分野であるからであり、2つは理論屋が各種の膨大な労働時間の調査資料を新たな視点から分析対象とすることにより、「労働時間構造の2極化」や「性差別システム」の存在構造などが明らかにされ、この分野に大きな刺激となっているからである。

 そして今は、過労死問題を通じて知り合った弁護士からの誘いを受けて、企業活動の市民監視を目的とする株主オンブズマンの結成に参加し、株主代表訴訟に幅広くかかわっている。本書は、過労死問題(3章:スナック菓子メーカー製造工場の作業長の過労死の労災申請関係資料)と株主代表訴訟(6章:日米比較、7章:障害者雇用状況調査、政治献金、役員の報酬と退職慰労金の個別開示)の現場からの、日本経済の改革ビジョン、針路の提示である。

 こうした著者の(原論)研究者としての歩みは、研究領域や研究対象の推移を知るうえでも興味深いが、こうした変遷が、研究スタイルというか研究の場(研究会)の設定において、すでに準備されていたのであろうということを、一言つけ加えておきたい。奥付の著者紹介にもあるように、著者は現在、関西大学に籍を置くとともに、大阪過労死問題連絡会や株主オンプズマンという市民(運動)団体に密接にかかわっている。こうした大学外の諸団体との交流、共同研究の成果として、本書は編まれている。経済学研究のあり方や研究姿勢、また研究と(運動)団体や現実社会との関係・交流についても、考えさせられるところが多い。
        
 さらに、基礎経済科学研究所の設立に参加したことも奥付で紹介されているが、本書巻末の参考文献には、若者の諸業績とともに、基礎経済科学研究所の名による編書が7冊もあり、これらはいずれも著者が生みの親として深くかかわった成果でもある。著者の大学外の団体との交流は、(純粋なアカデミズムのなかにあるのではないにしても、)(共同)研究面を中心にしたものと、(市民)運動面における政策的提言に重点があるものとの、2本立てになっていることが こうした大きな成果が豊富に生み出されてくる要因になっていると思われる。 

 3 企業改革と企業統治

 市民の側からする企業改革案の提示にまで踏み込んでいることが、本書を類書から分かつ大きなメリットの1つである。奥村宏『大企業解体―株式会社が変わる』(ダイヤモンド社、1999年)のように、単純化する(しすぎる)立場はとられていない(7章1節参照)。奥村は、協同組合やNPO、NGOに期待する。今はやりのIT論でいえば、ペンチャーやSOHOなども含まれるのであろう。しかし20世紀と同様に、21世紀もまたかなりの長期間にわたって、株式会社の時代であるだろという立場を著者はとる。この立場に立てば、企業改革は株式会社改革として論じられ続けるであろうし、これは避けて通れぬ課題として存続し続けるであろう。

 例えば、障害者基本法に定められた法定雇用率達成のために労働省がなすことができる命令や勧告が、どの程度実施されているか。またそのこととさらにその結果にかんする情報公開がどの程度なされているか。こうした課題に取り組む企業改革(運動)は、例えば嫌煙権運動の広がりと成果の発展にみられる、様々な価値観にもとづく市民運動の成果と教訓に照らし合わせると、決して不可能でないばかりか、放置すべきものではないのである。また株主絵会そのもののあり方を変化・民主化するだけでも、色々な効果を生じることができると著者は強調する。

 こうした課題は本書では、コーポレート・ガパナンス(Corporate Governance)論として展開されている。コーポレート・ガパナンス(企業統治または会社運営)は、内容的には、株式会社における株主、その他の関係者(従業員、顧客、供給業者、債権者など)および社会からみた会社運営の機構と基準を意味するが(209頁)、本書の重点はオンプズマンの立場からする株主提案に置かれている。総会屋やシャンシャン総会に象徴される、日本における株主権(行使)の低迷状態の打破と、株主総会の活性化が重要となる。                            

 しかしこれらの提案は、狭いまたは純粋の意味での企業経営と営業利潤(最大化)を目指すことに重点を置いてなされるのではない。むしろそれとは逆比例的な関係が認められる企業と社会との関係、企業市民として市民社会との共存のあり方に専らかかわるものとしてなされるのであるから、むしろこうした目的を持つ介入とは区別する意味も含めて、企業改革ではなく、企業統治(コーポレート・がバナンス)という名称を選ぶべきではなかったのかと思われる。企業の内部改革と外部改革というようなものに分類できるとするならば、前者は企業改革、後者は企業統治となるのではなかろうか。

 両者の区別と関連は、オンプズマンとしての株主(機能)と株主一般との区別関連にも深く関わる。同じ株主として企業にかかわるにしても、オンブズマンとしての独自の機能を発揮させて、しばしば多数の他の株主の利益とは反するような提案を実現させるには、1株株主運動のような告発型なのか、連帯型か統制型かなど、そのプロセスとスタイルについてももう少し詳しく説明して欲しかったとも思われる。このことは、株主とその他の利害関係者(ステークホルダー)との関係、利害関係の共通性と相反性の問題とも関連していると思われる。
 
 内部改革・企業改革の主体は労働者・労働組合であるだろう。外部改革・企業統治の主体が株主になるのであろうか。しかっし、ドイツなどでは労働者・従業員の経営参加が義務づけられているし、経営協議会が実体として存在している。またアメリカなどでは自社株所有やストック・オプションなどが最近普及しつつある。これらの傾向を踏まえると、やほり改革・統治の主体は誰かという疑問も浮かんでくるように思われるし、オンプズマンとしての株主提案の独自性・領域や課題についての定義のようなものがあれば、理解はもっと進むかと思われた。        

 4 企業の存在意義と存続可能性

 企業の内部改革・外部改革、企業改革・企業統治の問題は、企業のサステイナビリテイ(存続可能性)、すなわち民間企業が一市民として社会において存続することの意義とその可能性(共存関係の持続)について問うことになるのであろう。この問題ではやはりまたは相変わらず労働者としての立場、または組合(運動)とというものが焦点となるのではないかという判断(予測)は、あまりにも古い考え方に捕らわれすぎた偏見となるのであろうか。

 「私は、生産関係上の地位を異にする社会集団として二つの階級が区別されることや、資本主義の経済現象の説明において、二つの階級の利害対立が重要な意味を持つことは認める。しかし、基本的な階級対立以外のさまざま社会集団――生産者と消費者、労働者と農民、労働者と自営業者、都市住民と農村住民、大企業と中小企業、産業間、地域間、民族間、ジェンダー間、世代間――などの対立を、基本的な階級対立より重要性が劣るものと見なすような見解はとらない。と同時に、人びとを、資本家、労働者、土地所有者のほかに、経営者、従業員、生産者、消費者、株主、債権者、債務者、預金者、納税者、年金生活者、地域住民、家族成員といった多様な経済的社会的属性をもつ存在としてとらえる。また、そうした属性の多くを合わせ持つ存在として個人あるいは市民という概念の社会分析における有用性を承認する。」(228頁)

 宮本光晴『変貌する日本資本主義:市場原理を超えて』ちくま新書、2000年によれば、最高経営責任者の内部昇任・充足制が、企業の経営責任を不問にし、企業のモラル・ハザードを招来する、日本型企業社会システムの悪の根源であり、社外役員制(実質化)と流動的な経営者外部市場の整備とが、当面する日本の構造改革の焦点である。SOGOにおける人事・組合担当の役員の責任問題がとくに問われていることは、この改革案の妥当性を示しているように思われる。うえの問題は、企業経営責任の内部性と外部性の問題でもあるといえよう。

 労働者という階級的概念にかかわる部分と、企業の内と外、株主一般とオンプズマンとしての株主(機能)の区別と関連は、企業の社会的な存在価値(意義)や社会的分業体制における企業の位置づけにかかわる。(社会的な)価値創出にかかわる側面と、その生産物の使用価値にかかわる側面も区別する必要があろう。こうした観点も踏まえて、企業改革・企業統治に大きな一石を投じる、記念すべき業績である。



『経済』No.66、2001年3月号  評者:角瀬保雄(法政大学教授)

 2001年、新世紀の暮開けを迎えたマスメディアは、いっせいに森内閣のIT戦略支援の大合唱を繰り広げた。かつてバブル崩壊後の90年代不況のなかで打ち出された規制緩和論の大合唱を思い起こさせるほどのものであった。しかし、この大合唱を迎えたのは、皮肉なことにアメリカ発の株式市場の急落であり、ITバブルの崩壊であった。そして日本のITベンチャーの前途にも暗い影が投げかけられた。

 『日本経済の選択』と題した本書は、90年代バブルとその崩壊を生み出し、国民に大きな災厄をもたらしている日本経済のあり方に対する市民の立場からの厳しい批判を展開し、21世紀の日本経済の針路を定めることを目的としている。もちろん、そうした著物はすでにこれまでにもないわけではないが、本書の大きな特徴は「企業のあり方を問う」という副題が示しているように、一般的な経済学的分析に止まることなく、経済の具体的な担い手である企業のレベルにまで降りて、したがって経営学の領域にも踏み込んで分析を展開しているところにある。しかも、単なる客観的な批判に止まることなく、著者自らが株主オンブズマンの代表としてこの間展開してきた市民運動の実践の経験を盛り込んでいるところが注目される。そしてこれまでのマルクス経済学における欠落として企業改革論の不在を指摘し、その意義と役割を明らかにしている。こうして本書は他に例をみないユーニークで、刺激的な内容の書物となっているのである。

 まず本書の内容に一通り目を通してみると、第1章「バブルの環境はこうして準備された」、第2章「バブルの崩壊と90年代不況」、第3章「日本的生産システムを問い直す」、第4章「日本的企業システムと労働時間」、第5章「労働時間の規制はなぜ必要か」、第6章「コーポレート・ガバナンスと株主権」、第7章「市民の目で企業改革を考える」、終章「日本経済の針路を切り替える」となっており、全体が大きく三つの部分から構成されている。

 第1章と第2章が第1部で、バブル崩壊の実態とともに、日本経済の行き詰まりの原因が日本的経営システムにあることが、金融システム、雇用システムを中心にして分析されるとともに、住専問題を契機に1996年、株主オンブズマンが誕生するに至った背景が明らかにされている。

 第3章から第5章は第2部で、日本的企業システムの分析となっている。日本的生産システムの本質が実際にあった中間管理者の過労死問題の追究から、長時間過密労働、男女の性別分業にあることが実証的に明らかにされ、これを合理化し、目をつぶってきた労働経済学者が批判されている。そして労働時間規制の必要性が主張されている。内容の濃い分析である。

 そして第6章と第7章が第3部で、企業改革論の提起がなされ、終章での全体の総括へと導かれている。以下ではマルクス経営学の課題とも重なり合い、本音の目玉ともなっている第3部を中心に若干の論点を取り上げてみたい。

 まず第6章では、株式会社企業のコーポレート・ガパナンスの基軸となっている株主の情報アクセス権、代表訴訟権、株主総会への議案提案権などの事例が日米比較によって対比され、わが団の企業の統治構造にどのような問題があるかが具体的に明らかにされ、その後進性が摘出されている。

 第7章では、奥村宏氏などの株式会社論の代表的見解を取り上げて批判的に吟味している。すなわち、大企業病にとりつかれた株式会社は解体するほかは無く、株式会社に代わる企業形態としては、協同組合や利潤追求を目的としない組織のNPOの発展に期待が寄せられているが、それに対して著者は、「これらによって企業形態の多様化が進むことは間違いないとしても、株式会社が社会の富の生産と再生産において現在果たしている役割にそれらがとって代わることは近い将来にはありえない。むしろ、企業形態が多様化していくなかで、株式会社の形態や役割も変化していくと考えるほうが現実的である。とすれば、人類は今後もかなり長期にわたって、株式会社と付き合っていかねばならないことになる。その意味からも、企業改革論として株式会社のあり方を問わなければならない」として、「労働運動だけでなく、消費者運動、環境保護運動、平和運動、住民運動のそれぞれに、市民が企業を変える主体として積極的に関与していくことが重要である」とする。そして「株主や、消費者や、環境保護団体や、従業員による情報アクセス権と経営参加権の拡大を実現することが避けられない課題になる」としている。基本的に著者の見解に賛成である。

 さらに著者は、日本社会の階級分析に関して、賃金で生活しているものは労働者であるという理解は形式的には正しいとしても、現実的有効性をもたないとし、資本主義の基本的な階級対立の存在を認めながらも、それ以外の「さまざまな社会集団――生産者と消費者、労働者と農民、労働者と自営業者、都市住民と農村住民、大企業と中小企業、産業間、地域間、民族間、ジェンダー間、世代間――などの対立を、基本的的な階級対立より重要性が劣るものとみなすような見解はとらない」とする。そして、「種々の形態の社会運動を労働運動に従属させ、労働渾動を反体制運動に従属させる態度は、消費者運動、環境保護運動、平和運動、女性運動、住民運動、市民運動などを軽視することにつなが」るという。こうして著者は、「企業改革の視点をもつことは、こうした傾向を克服するためにも重要である」とする。

 私は労働運動のみならず、様々な市民運動から非営利・協同の運動まで含めて広く階級闘争の現代的な存在形態としてとらえており、企業改革へ向けた様々な運動の連帯と共同を重視しているので、著者の見解に共感するところが大である。だが、議論を詰めていくと意見を異にするところがでてくるかもしれない。ともあれ、著者の問題提在を契機に議論が発展し、マルクス経済学が現実の運動への政策提言能力を高めることを願っている。問題を提起された著者の労を多としたい。



『季刊労働総研』No.42、2001年春期号  評者: 藤田 実(桜美林大学教授)

 バブル崩壊以後の日本経済は、この10年間ほぼゼロ成長と長期的な停滞状況にある。こうした90年代の経済停滞をめぐっては、経済学者や政府関係の報告書などでさまざまな議論がなされている。しかし、著者も指摘しているように、「政府も国会もバブルとバブル破綻後の不況についてこれという検証作業を行ってこなかった」(4ページ)ことは事実である。

 またバブルの発生とその崩壊後の停滞を日本的経済システムの展開とその帰結という観点から構造的に解明した研究も井村喜代子氏の『現代日本経済論』(有斐閣、2000年)、産業構造研究会編の『現代日本産業の構造と動態』(新日本出版社、2000年)などを除いては、数少ない。本書は、先の二者とは分析の視角は異なり、日本的経営システムや日本的生産システム、日本的企業システムという観点から、バブルの発生とその崩壊後の経済過程を分析し、バブルの発生と長期停滞の原因となっている企業の改革方向を提案した、優れた研究である。

 まず本書の構成と内容を示しておこう。

 序章「変化のなかの経営システム」は日本的経営システムの中で、とくに金融システムと雇用システムをとりあげ、それが崩壊過程にあることを論じている。そうした崩壊の危機に対して、政府は金融機関への公的資金の投入や公共事業と規制緩和を中心とする日本経済再編戦略を打ち出しているが、それは日本社会の不平等を拡大させていく可能性があると、批判する。

 第1章「バブルの環境はこうして準備された」は、バブル発生の環境と要因を分析したものである。著者は、これを外的環境としては、日本の経済大国化による日米摩擦の激化に対して、対米協調の立場からプラザ合意による円高容認と内需拡大政策に基づいて、長期にわたって金融緩和政策をとったことに求めている。また内的環境として、大企業の銀行離れや資産価格の上昇期待から銀行や企業の不動産融資への傾斜などバブル期の企業行動が指摘されている。

 第2章「バブルの崩壊と90年代不況」はバブル崩壊後の金融危機・破綻を分析し、不良債権の隠ペいと処理の先送りを批判し、それが隠ぺいできなくなると、銀行は「貸し渋り」「貸し剥がし」という身勝手な行動にはしったことが、指摘されている。同時に企業倒産の増加と失業問題の深刻化のなかで消費が低迷するなど、不況の長期化をもたらしていると分析している。そして90年代不況は、日本的経営システムの行き詰まりによると総括されている。

 第3章「日本的生産システムを問い直す」は、ある作業長の過労死問題を取り上げることで、日本的生産システムの要である作業長の全能性が殺人的超長時間労働でまかなわれていることが、鮮やかに分析されている。

 第4章「日本的企業システムと労働時間」は、不況が深刻化している90年代でも年間3100時間以上働いている超長時間労働が存在することとサービス残業の蔓延を明らかにしている。ついで生活時間を考慮に入れて日本の労働時間・生活時間におけるジェンダーギャップの存在をえぐり出している。こうした労働時間の分析をふまえて、日本では労働基準法などのワークルールが無視されていることが批判されている。

 第5章「労働時間の規制はなぜ必要か」は、人間の生活はサーカデイアン・リズム(概日リズム、日周性)によって支配されていることから、労働時間規制の基準に据えられるべきは1日の労働時間であることが、まず明確にされている。そのうえで、労働時間は個別的には企業が決定権を握り、社会的には資本と労働の対立と妥協を通じて集団的・制度的に決まることが指摘されている。そして労働時間の規制は、労働者の人間としての「尊厳の保持」と「発達の場」の確保の点からも必要であることが指摘ざれる。

 第6章「コーポーレート・ガバナンスと株主権――日本とアメリカの株主総会を比較する」は、著者が代表を務める「株主オンプズマン」による株主総会や株主代表訴訟の経験とアメリカの株主総会の視察をふまえて、日本におけるコーポーレート・ガバナンスの確立に向けた改革課題をまとめたものである。著者は日本のコーポーレート・ガバナンスの改革課題を、年間を通じた株主活動の重要性、株主総会での情報開示要求など株主責任の行使に求めている。

 第7章「市民の目で企業改革を考える」は、奥村宏氏の企業改革論やマルクス経済学における企業改革論の欠落を批判し、最近の株主オンプズマンの取り組みから、個人株主や市民株主による企業改革の可能性に言及する。個人株主でも株主権限を行使することで、企業を改革し、企業を制御できることを指摘している。

 終章「日本経済の針路を切り替える」は、土地神話に基づく行動原理の背後にある戦後の日本経済における経済成長至上主義的な価値観を批判し、経済成長神話からの脱却が求められていると総括して、新しい日本社会の編成原理を次のように主張している。すなわち「経済の成長率が低くても人々の生活は安定している社会、勤勉に働く人々が報われる社会、企業中心ではなく人間中心に回る社会」をめざすべきである、と。

 このような構成と内容からわかるように、本書は90年代の日本経済を扱った多くの日本経済論とは異なり、労働者の労働過程や生活に視点を置いて、90年代の日本経済を分析し、その改革の方向を示したものである。著者の長年の日本経済に対する思いが凝縮している労作である。

 バブルの発生からその崩壊後の不況にいたるまでの事実認識や日本的経営システムに対する批判的観点については、評者も認識を同じくするものであるが、同時に90年代の長期不況の見方については、若干の異論がある。90年代の長期不況はバブル崩壊を直接的帰結とするものの、より根源的には戦後日本資本主義の展開の総括としてとらえる必要があるのではないか、ということである。もちろん筆者も戦後の日本経済における経済成長至上主義的なあり方を批判しているが、そうしたある種「倫理的な」批判ではなく、日本資本主義の歴史現実的な構造の分析が必要であろう。

 戦後日本資本主義における「成長構造」は国民生活の向上を目的とするというよりも、むしろ「反共の生産基地」というアメリカの世界戦略と資本の強蓄積欲求に基づいて「生産のための生産、輸出のための輸出」を主目的として形成されたものである。したがって輸出主導を前提とするかぎり、労働時間の短縮、賃金引き上げなどの内需拡大はコスト増になるから、選択しえない。また内需拡大にむけて政府が音頭を取っても、長い労働時間、狭い住宅、低い社会保障基盤のもとでは、国民は消費を拡大させる余地がない。したがって日本における「内需拡大」の道は、結局のところバブル経済にならざるを得なかったし、いったんバブル経済が崩壊した後は、経済の再構成抜きには長期不況からの脱却は困難にならざるを得ない。また日本の場合、企業の資金調達の多くが間接金融に依存しているがゆえに、不良債権を累積させた金融機関の早期処理は不可能だったのではないか。したがって、バブル崩壊後の金融危機もまた日本資本主義の構造的帰結であると総括すべきであろう。

 筆者の市民の目からみた企業改革の提言は貴重ではあるが、日本資本主義の輸出主導型経済構造の根本的転換抜きには、人間らしい生活の実現は困難ではないかと思われる。

メールマガジン『日本国の研究 不安との訣別/再生のカルテ』2001年4月27日発行、第24号  

評者 赤間道夫(愛媛大学教授)

「行動する経済学者の企業改革論」

 書店では昨秋以来日本経済の先行きを悲観的に論じるいわゆる「破綻警告本」が平積みとなって並べられ、軒並み3万部以上の売れゆきだという(『朝日新聞』2001年2月18日付けの特集「ウイークエンド経済」第729号)。現実が本に近くなる怖さが背景になっているとはいうが、なるほどバブルと不況は決して他人事ではなく、日常の関心事になっていることの証ではある。政府や日銀、大蔵省の政策がこれほどまで国民の関心を経済や経済学に引きつけたのだから、「警告本」の真の仕掛人として印税の何割かは国庫に入ってしかるべきかもしれない。

 著者は、独占理論や現代資本主義論を専門にする経済学者にして、過労死問題を通じてコミットすることになった株主オンブズマンの代表でもある。株主オンブズマンとは「株主の地位を高め、企業の違法・不正な行為を是正し、健全な企業活動を推奨する目的」で1996年に設立された非営利市民団体である(詳しくはhttp://www1.neweb.ne.jp/wa/kabuombu/参照)。理論家としてまた実践家としての両者を総合して「カンパニー・キャピタリズム」のモラル・ハザードを告発し、企業改革論を展望したのが本書である。「破綻」「崩壊」「再生」と銘打った類書と違うのは、現在の日本経済の危機的状況をまねいた原因を指摘しただけでなく、市民的行動の延長線で改革論を提起したことだ。

 評者の問題関心に合わせて本書の構成を分解すればほぼ以下のようになろう。企業システムと金融システムを論じてバブルと不況を生み出した日本経済の実態を抉った章(第1章、第2章、第3章)、雇用システムの特徴を労働時間短縮の課題と結びつけて論じた章(第4章、第5章)、そして株主代表訴訟の経験を踏まえて「市民による企業の制御」を提起した章(第6章、第7章、第8章)。いずれの章においても必要最小限の資料が使われ、事実の確認と論証は要を得ている。長時間(著者は超長時間とも表現)労働や株主代表訴訟の実態例は、著者が実際に関わった事例であるだけに貴重だ。

 現在の不況をどうみるか。この点では著者は、故宮崎義一の「複合不況」論(長期的不良債権処理と短期的在庫調整)を支持し、同時に企業統治(コーポ-レート・ガバナンス)の欠陥によって増幅されたとする「システム不況」あるいは「ガバナンス不況」ととらえる。今時不況が日本的経営システムの危機と変容をともなっていると理解することで、著者の企業改革論は意味をもつ。企業改革論ではあってもけっして企業解体論でもない、いたずらに「体制的」危機をあおることで資本主義を一方的に批判するのでもない。企業中心社会への警鐘と転換の提起は著者の不況論と結びついている。

 「企業改革は株式会社改革抜きには現実性をもちえない」(233ページ)。著者はこう断言し、改革の主体にも注視している。市民参加型と一言であらわすことができるが、株主代表訴訟の例にみられるように訴訟の主体は株主であっても、経済的利益をえるのは企業であるかぎり、「会社のために、ひいては社会のために」(206ページ)強い倫理性をもとめられる主体である。「現代の市民社会論」(247ページ)はこうして著者によって「市民による企業の制御」として展開される。1000万人を超える個人株主に、「社会的責任や倫理的投資の見地」(246ページ)に立つことを希求することで、はたして企業改革論は成功するか。日本経済の選択は、少なくとも個人株主の選択にかかっていることになる。

 本書に先立って同じ著者によって出版された『粉飾決算』(岩波ブックレットNo.498、2000年1)では、経営者に「市民社会に通用するあたりまえの経営倫理」(62ページ)をもとめた。「あたりまえ」のルールを企業改革論に援用するかぎりでは、本書も「あたりまえ」の企業改革論の提示かもしれない。企業や経営者はルールを遵守せよ、「ワーク・ルール」、「人権ルール」(以上第4章)、「株式会社や市場経済のルール」(第6章)がその具体化であるからである。しかし、企業が社会的責任を果たしているかどうかを問う改革論は、「信義誠実」(民法第一条)や「公序良俗」(同第九〇条)を企業にもとめることにおいて企業社会の意義を認めようとする著者の積極的な意見の表明である。指摘されている障害者雇用、女性登用の問題にとどまらず、本書では対象としていない動物実験や軍事産業とのかかわり、国際的視野も視野に入れれば児童労働や過酷な労働条件などは、企業改革論の内容となり、企業の社会的責任問題と結びついていくにちがいない。 

著者が切望する「人間中心に回る社会」=「21世紀の日本経済の針路」(266ページ)は、市民参加型によって切り開かれるしかないだろう。だが、株主代表訴訟が市民参加型のひとつではあっても、すべてではないことははっきりしているし、著者も同じであろう。企業のあり方が問われていると同時に市民参加のあり方も問われている。

 


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