§復活の都市対抗

今年で11回目を迎える黒鷲旗全日本都市対抗は、男女合わせて100チームを越える強豪が一堂に会し戦います。9人制バレーでこれほどの規模で開催される大会は他にありません。(大会規模なら国体でしょうが)
一番新しい大会ながら、選手から見れば最も規模が大きく、華やかな大会なのです。
しかし、“復活!都市対抗”として第1回大会は開催されました。これはどういうことなのでしょうか。ここら辺の内容を当時の記事を参考にちょっと覗いてみましょう。

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東京五輪(昭和39年:1964年)に“東洋の魔女”が金メダルを獲得して以来、人気スポーツの地位を維持しているバレーボール。
この人気を巻き起こす機動力となったのが毎日新聞社で催している各種のバレーボールイベントだった。その中で歴史をとっても、レベルの高さをとってみても最高峰に位置するのが天皇杯・皇后杯 黒鷲旗全日本男女選手権(6人制)だ。

昭和27年(1952年)、毎日新聞創刊70周年(大阪)記念事業として「全日本都市対抗バレーボール優勝大会」(この時点では9人制)の名で産声を上げた。
第1回は大阪・扇町プールの特設コートで行われ、第2回以降途中体育館改修工事が行われた第34回大会(昭和60年)を除き、ずっと大阪府立体育会館を舞台に行われてきた。

都市対抗野球のバレーボール版として発足した大会は男女各16チーム、計32チームの出場で第一歩を記し、第11回大会(昭和37年)に2年後に迫った東京五輪をにらんで、それまでの9人制から6人制に移行、第33回大会(昭和59年)から全日本選手権に改称、現在は天皇杯、皇后杯の冠大会になっている。

東京五輪以降の人気は6人制が主役だった。とは言え、9人制が衰退したわけではなく、地味ながらすそ野を着実に広げてきた。
「都市対抗復活」を望む声が増す一方で、NHK連続TVドラマ「和っこの金メダル」で9人制バレーが登場したこともあって「9人制にも光を当てよう」との機運は大いに盛り上がった。根強い9人制支持層の期待に応えるべく、毎日新聞社、日本バレーボール協会、大阪府バレーボール協会が検討・準備を進め、平成2年(1990年)、ついに舞台も同じ大阪府立体育会館で「毎日新聞大阪本社新社屋建設記念」として都市対抗が復活することになったのである。

こうして日本バレーボール協会と毎日新聞社主催、久光製薬協賛で9人制バレーボールの日本一を争う「久光製薬杯第1回全日本都市対抗9人制バレーボール男女優勝大会」が開催された。

かつて東洋の魔女など多くの名プレーヤーを輩出した都市対抗バレーが21世紀に向けてどんな名選手、個性派を生むのか。バレーボール・ルネサンスに期待が高まる。
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協会として9人制バレーに対する姿勢をきちんと示すという意味から9人制都市対抗バレーの復活を決意しました。「時代を逆戻りさせるのではないか」と思わせるこの企画に、都市対抗バレーの生みの親で、現在も6人制黒鷲旗を共催するなど、バレーボールに深い理解を示してくれている毎日新聞社が賛同してくれました。実りある大会になることを期待しています。(松平康隆・日本バレーボール協会会長:当時)


都市対抗の特徴をいくつか挙げてみると

ちなみに、東海以北(男子)に優勝チームは出ていない。さあ、2000年代最初の王者はどこだ?

※全日本都市対抗は2001年の第12回大会をもって終了しました。上記の文章も寂しい限りです。残念ですね。

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