かなり 実録 バレー部物語

・9人制の壁

実業団県予選、2回戦でアルプス電気古川に2セットとも14点で落とし、またも予選突破はならず。
国体県予選1回戦、フルセットにもつれ込んだ相手は仙台市役所。いつになくミスが少ないこの試合を制し、ついに仙台市役所から初勝利(21−18、17−21、21−16)を上げた。
これで勢いの付いた東北リコーは続く2回戦の対白石クラブもフルセットで退け、準決勝で宮城教員と対戦した。

この試合もフルセット。第1セットは簡単に失うが、気が緩んだ相手に対し第2セットは猛攻、接戦で奪い返す。
しかし第3セット、実力差に加えて3試合のフルセットで体力は限界、あっけなく敗れ去った。
東北リコー 1(9−21、21−19、9−21)2 宮城教員

産業人県予選はブロック決勝でアルプス電気古川にフルセット負け。
総合県予選2回戦、電電宮城にストレートで初勝利を上げるものの、準決勝の亘理体協戦でまたもフルセット負け。
県予選突破はならなかったが、徐々にレベルアップを感じられるようになる。

◇  ◇  ◇

1981年、5月に槻木勤労者体育館、12月に船岡体育館が相次いで落成、よりよい練習環境が整った。メンバーも大幅に入れ替わり、攻撃の幅も広がる。

実業団県予選は準決勝で電電宮城にストレート負け。(16−21、17−21)
国体県予選は1回戦、矢本クラブに第1セット一桁に押さえながら続く2セットをいずれも19点で落とし、まさかの敗北。
産業人県大会は準決勝で専売東北にストレート負け。(11−21、17−21)
総合県予選は1回戦で仙台市役所にフルセット負け。(21−16、9−21、14−21)

この年も優勝は無かったが、県内の強豪チームと互角に戦えるようになってきた。

◇  ◇  ◇

翌年、新入部員によって更に層は厚くなり、コンビバレーが展開できるようになる。
部も若くなり人数も多くなった。ここで指導的立場の人材も充実させるということで、現役ながらコーチという役目も担当してもらうことにしたが、ここで最大のネックが若返ったメンバーの9人制への対応だ。
ネットプレーなど簡単にこなせるものではない。ワンタッチしたボールをセッターに返してしまう、大事な場面でオーバーネットを犯す。接戦でこれらのミスは痛い。

ミスが出るとリズムが崩れ、そしてミスに気を取られて本来のプレーが発揮できなくなってしまった。結果、接戦に持ち込むも抜け出すことができずに敗北を繰り返す。

実業団県予選は2回戦でアルプス電気涌谷と対戦、調子よく第1セットを奪うが徐々にリズムを崩しフルセット負け。(21−19、17−21、10−21)
国体県予選は準決勝まで勝ち進んだが、電電仙台にストレートで敗れる。(19−21、15−21)
産業人県大会はブロック決勝に進みながら、電電宮城に昨年の雪辱を果たせず無念の敗退。(14−21、20−22)
総合県予選は2回戦で電電仙台にまたもストレート負け。(14−21、19−21)

「こればっかりは体で覚えるしかない」地道な反復練習が続く。


・反骨精神

1983年、長年監督を務めた村上から村上にバトンタッチ、また村上もアドバイザーとして選手・スタッフをサポートしていくことにした。
そして実業団県予選、古川市役所、電電宮城、アルプス電気涌谷と並みいる強豪を撃破し、決勝戦に進出。
相手は苦手の電電仙台だったが、勝ち抜いてきた勢いがそのまま決勝も持続、7年ぶり2回目の優勝を果たす。
若手とベテランがかみ合った見事な優勝であった。
更に、女子も接戦を制し、初のアベック優勝を達成した。
男子
東北リコー 2(21−19、21−14)0 電電仙台
女子
東北リコー 2(21−16、21−17)0 仙台市役所

しかし国体県予選は準決勝で電電仙台と対戦、今度は見事に雪辱された。第1セットを取ったが、第2セット惜しくも19点で落としたのが痛かった。試合運びのうまさにやられた・・・

◇  ◇  ◇

「専売広島!? はーっ・・・」全国大会の予選組合せ表を見て村上はたじろいだ。
「専売広島って言ったら6人制では名門じゃないか。もちろん9人制も・・・」
特に対策なんてない。時間はあっという間に過ぎ、徳島で開催される全日本実業団選手権の日を迎えた。

「暑い!とにかく暑い!! こんな暑さは生まれて初めてだ」
それなのに、開会式は長袖のトレーナーを着て行進した。行進時は“揃いの服装”が条件ではあるがユニフォームでもOK、いや、7月末なら猛暑なのは分かっていたはず。
「なんでかって?なんでなのかな・・・分からない。とにかく暑い中、長袖をまくって行進したことだけ覚えてる」(佐藤
入場行進

・・・パンフレットには全日本代表だった選手が名前を連ねていた。「専売広島戦はどうにも勝てる相手ではない。ならばこの試合は諦めて、余力を残して敗者復活戦に賭けるべきだ」。その夜、ミーティングで村上がこう切り出した。
そこはひと癖もふた癖もある部員達、「そんなの、やってみなくちゃ分がんねーべ!?」 当然の如く反発された。
スカイブルーのトレーナーの背中にはスローガンである“ATTACK IS THE BEST DEFENSE”がプリントされている。消極的な試合などできるわけがない。

これが起爆剤になったのか、試合は予想に反して東北リコーが有利に進める。多少のミスなど気にしない、とにかく攻めまくった。
特に小野寺のサーブが効果的に決まった。「さすが元テニス部。サーブもテニスそのままの格好だ」。190cmの長身から繰り出されるフローターサーブが相手のレシーブ陣を揺さぶる。
もちろんレフト半澤も決めまくるし、チャンスボールになればコンビも炸裂、自分達が思い描く以上の展開だ。

第1セットをなんとか物にし、第2セットもデュースにもつれ込む大接戦。皆の体力が限界近くなり、アドバンテージで好調の小野寺にサーブが回ってきた。
動悸・息切れが激しい中、ファーストサーブミス。そして放たれたセカンドサーブ・・・もはやもうろうとする意識に、ホイッスルの長い音だけが聞こえる・・・「勝った、勝ったぞ!」
相手コンビを封じた東北リコーが快勝、そしてこれが全国大会初勝利となる歴史的1勝となった。
誰も点数など覚えていないし、スコアブックへの記録も途中から忘れていた。
とにかく苦しかったが、最後まで戦えた原動力は監督のあの一言だったのかも知れない。
全日本実業団
一本集中、ここからが勝負だ!
全日本実業団
1勝へ向かって・・・佐藤(康)のサーブカット。

「ウソだべ?勝っちゃったよ」。若手はあっけらかんと試合を振り返る。ベテランは感慨深げに勝利の味をかみしめる。ここにたどり着くまで、いかに時間がかかったことか・・・しかしついに壁は破られた。
「ウマイ。やっぱり勝利の味は格別だ」 その夜は疲れていても酒の入りだけは好調であった。この流れに乗っていきたいところ・・・

翌日、決勝トーナメントの帝人岐阜戦も死闘。好調さを維持し互角の戦いでフルセットにもつれ込んだ。しかし・・・いつも以上の負荷がかかっていたのか、半澤と渡辺がこの暑さで参ってしまった。
大活躍のエース半澤が疲労も重なり脱水症状を起こしては打つ手なし、惜しくもトーナメント初戦で敗れた。「渡辺は・・・あれは絶対太りすぎだ(笑)」(村上)

村上は反省しきりだった。「諦めたり油断したりしなければ道は開ける。まさしく万事“ヤル気”だということを思い知らされた」

◇  ◇  ◇

全国大会で力を付けたか、総合県予選は松下電器仙台、米谷排球クラブを破り3回戦で電電仙台と対戦。
「今度は負けねえ!」死力を振り絞り、2セットとも25−23の大接戦をモノにし、準決勝で名取市役所をフルセットの末に撃破、ついに決勝へ進出した。

相手は東北学院大学、第1セットは互角の展開、相手も若さ故のミスも多い。しかし最後はパワーで押されて先取される。
第2セットは勢いのままに圧倒され、あと一歩の所で全国を逃す。
東北リコー 0(20−22、14−21)2 東北学院大学

「今年はいつになく試合をこなした。来年は更に好成績が狙えるぞ!」