かなり 実録 バレー部物語

・弱さと強さ

1987年春、第1回仙南地区バレーボール大会(春秋開催)が行われ、2位(優勝は白石クラブ)に終わる。

選手の頭の中は産業人を中心に回り始めていた。実業団(優勝はアルプス電気涌谷)や国体(優勝は宮城クラブ)の予選にも出場はするが、どうにも勝てない状況にはまり込んでしまった。「仙南でも勝てねぇんじゃな・・・」

そして迎えた産業人県予選。昨年の東北大会の雪辱を晴らすべく、勝ち進むはずだった。
2回戦の相手はNTT宮城。実業団でも勝利している相手に、第1セットを楽に取ると気が緩んでしまったのか?若いだけに強さと脆さが極端に出るときがある。その悪い方が出てしまった。第2セットを接戦で落とすと、第3セットはミスで崩れ、あっけなく敗退してしまう。(優勝はアルプス電気古川)
東北リコー 1(21−12、20−22、14−21)2 NTT宮城

「俺たちの実力はこんなもんだ」。ミーティングでは悲観的な意見が続出、引退さえ口にする部員がいた。
「今年はまだ終わっていない。諦めないよ」・・・なんとか気を取り直し最後の総合県予選に望みをつなぐが、1度も優勝がない大会だけに意気は上がらない。

その表情が激変したのは組合せ表を見た瞬間だった。天敵であるアルプス勢が出場していない! どうやら他の大会で優勝したので、今大会は見送ったらしい。
「よおーし!!」
現金なものだ。2ヶ月前はあんなに沈んでいた雰囲気が一変した。それでも東北リコーと同等以上のチームが多数出場しており、勝ち抜くことは難しかったはず。
ところがあれよあれよと勝ち進み、準々決勝では仙南大会で敗れた白石クラブにストレート勝ちの雪辱、決勝も堂々の戦いで優勝してしまった!
その後の秋の仙南大会では大河原体協に負けて、またもや2位になったことを考えれば、この時は全てがうまくいった。千載一遇の好機だったと言っても過言ではない。
東北リコー 2(21−17、21−15)0 名取北高OB


総合宮城県予選


運?実力?総合県予選初優勝。


・目覚め

全日本総合
キレのある紺野のスパイク。=対三菱レイヨン豊橋戦
全日本総合選手権は栃木県宇都宮市で開催された。寒い中での全国大会は始めてであったが、予選グループ戦はそこそこの善戦。敗れはしたが、悲観的ではない。敗者復活戦の相手に恵まれたと言っては失礼かもしれないが、1試合こなして余裕もできた東北リコーが気高クラブ(鳥取)に快勝し、予選突破を果たす。
決勝トーナメント初戦は相手のつなぎのうまさに決定力を欠き、ジリジリと離される。結果的に初戦敗退ながらボロ負けな感じではなく、悔しくもそれなりに戦えたという満足感が少なからずあった。

負けた翌日の11月23日は月曜日だが勤労感謝の日で会社は休み。普段なら負けたその日のうちに帰社するはずであるが、“せっかくだから見ていこう”ということになった。1回戦ボーイの東北リコーだが、上位の対戦を観戦したこともなかった。そう、勝つために何をすべきかということを彼らはまだ知らない。
負けたその夜、今年最後の大会でもあるし試合が控えることもなく、全員が狂ったかのように飲んで騒いだ。気が付くと部員の数が少ない。「アレ?おピーーーは?」「知らねぇよ、ほっとけ」「部屋にもいないし。アイツ、ちゃっかりしてるからなァ」・・・バレーなど頭の片隅にもなかった。。。。

◇  ◇  ◇

間違いなく二日酔いだ。こんなんで観戦できるのか?皆がうつろな目で体育館へ向かう。確か最終日は準々決勝からだが、間に合うはずもない。・・・気が付けば決勝戦、沖縄銀行対山梨クラブ。全国トップレベルの実力とはいかに?

試合が始まった・・・と同時に部員の目が一斉に開き、輝き出す。「おおおおーっ、ボール落ちねえ!」「これが9人制、これが全国かッ!」「おもしれー!」
頭を殴られたような衝撃が走る。自分達はもう9人制プレーヤーだと思っていたが、まだまだ6人制のイメージが抜け切れていなかった。
「俺たちがやっていた9人制はほんの一部分だった」ことに気付く。コートでは優勝した沖縄銀行の選手が何度も宙返りをしていた。

「こりゃちょっとやり方を考えねぇとダメだな」。9人制本来の素晴らしさ、楽しさを味わった部員がそれぞれの思いを胸に秘め、強い東北リコーを目指して新たなる戦いが始まる。