かなり 実録 バレー部物語

・照準、宮城国体

実りある1年が過ぎ、新たな目標に向かって進まなければならない1993年。
2年後には昨年と同様、国体出場のチャンスが訪れる。いや、今年、来年だって為せば成るはずだ。
昨年の全日本総合、マグレと言われてもエイトはエイト。しかし、最終日に上位と対戦して改めて実力差を感じたのもまた事実。
部員は、謙虚?にも来シーズンの目標を昨年と同じベスト16以上に設定する。

そこへ新監督となった大沢の耳にビッグなニュースが舞い込んできた。
---“21世紀、宮城で国体が開催される”---
1987年、宮城県への国体誘致を決定、そして1992年に日本体育協会から内々定として2001年開催の了解を得たのだ。
前回の国体は宮城、山形、福島の共催だった。山形(1992年)、福島(1995年)が開催されるのだから、遠からず宮城にも・・・という感じはあった。

東北リコーから代表選手が・・・いや、選抜チームを組むというよりは既存のチームを強化していくという方針が宮城県にあった。
「東北リコーは今や宮城県のトップ。このまま強さを維持していけば、単独チームでの出場も十分あり得る。また、強化をする上でも大きな励みとなる」。わずか数年前なら、こんなことは考えなかっただろう。
50年に一度・・・いや、一生に一度のこのチャンスとタイミング、生かさない手はない!
8年後・・・長い戦いになりそうだ。“宮城国体優勝”というどでかい目標へ向け、スタートラインに立つ。。。。


・前途多難

都市対抗県予選は4連覇、女子も初優勝、順調な滑り出しを見せる。(実業団は諸事情により不参加)

全日本都市対抗1回戦は九州電力鹿児島と対戦。第1セットはファーストサーブで相手を崩し、中村、岩渕のコンビで圧勝、理想的な展開となった。
しかし、第2セットは九電鹿児島のレシーブが冴え始め、決まったかに見える攻撃も拾われて切り返される。セットオールに持ち込まれた第3セット、必死に反撃に出るが、粘りに粘る相手に根負けし、またしても1回戦敗退となった。

◇  ◇  ◇

国体県予選、9人ぴったりの相手チームに怪我人が出て、実質8人(ひとりはただ立っているだけ)での試合にフルセットという優しさ?も見せたが、何とか4年連続の優勝を果たす。

東北総体は福島県喜多方市で行われた。今回は1995年に開催される福島国体のリハーサル大会となった。

((( Idle Talk )))
成年女子9人制には、東北福祉大倶楽部にあの元全日本主将・佐藤伊知子選手も出場していた。
宮城県一有名なプレーヤーも出場していることは、まさしく生涯スポーツとして9人制の面目躍如といったところか。

昨年の東北総体・選手権で負けた宮城(東北リコー)はシード権がなかったが、その負けた相手、第2シード・岩手(北上)のブロックに入った。昨年の雪辱を期す東北リコーは終始相手を圧倒、見事決勝に進出した。

「山形に往年の絶対的強さが見られない」。反対ゾーンでは第1シード・山形(JTクラブ山形)が強化進む福島(東北電力)に敗れる波瀾。しかしその福島も青森(選抜)に敗れるという三つ巴の激戦となり、結局セット率の差で山形が決勝に進出した。

翌日の決勝、苦手意識があるのか?動きがぎこちなく、山形のサーブに手こずり前半リードを許し、そのまま挽回できずに第1セットを落とす。
第2セットも同じような展開で終盤まで劣勢。だがバック陣が健闘、斎藤が声を張り上げリズムを作り、日下が強打を拾ってピンチを救い、小林が左右に飛びまくって好レシーブを見せる。失点を最小限に抑えた結果、ついに追いつきデュースに持ち込んだ。

「勢いとしては、追いついたウチの方にあったはずだが・・・」。山形は相手のミスを待つかのように冷静なプレーを見せる。もう一本、抜けきる決定力がないまま、ちょっとしたスキを突かれて逃げ切られた。
競ってはいたが、勝負所という点ではまだまだ開きがある。いかにその1点を取りに行くか・・・

◇  ◇  ◇

総合県予選は3回戦で中新田クラブ(国体県予選であの実質8人のチーム)にフルセット、FRのキレのある攻撃とHLの豪快なスパイクにブロックが対応できず敗退・・・
後手に回った脆さは相変わらず。接戦に持ち込まれると先にミスをして自らの首を絞めてしまった。

「やることは・・・ありすぎるな」