かなり 実録 バレー部物語

・暗雲を吹き飛ばせ

「若い力に責任を持たせて、活性化させるという考え」に基づき、主将が工藤から川村に交代し2006年がスタート。6月には招待を受け南三陸カップに参加、市町村合併により町名は変わったが宮城国体開催から5年、全国大会初優勝の地で試合を行う。

全日本実業団
東電埼玉戦、川村のサーブカット。=平塚総合体育館
第4シードとして迎えた全日本実業団(平塚市)は、不安な陣容で挑むことになった。負傷が元でシーズン途中で佐々木が引退、速攻陣は鈴木と佐藤に託されるが、接戦になったときの細かいプレーにどう影響するか。
更にサーブカットの要、岩渕が故障により今回はコーチ専任となったのだ。そこは川村が務めることになったが、他チームから「東北リコーが強いのはサーブカット要の半澤、岩渕がいるから」と言われてきただけにどうなるか。
実際、無理すれば出られないことはないが、あえてここは主将にもなった川村に託す。ひとつ間違えば初戦敗退もあり得る決勝トーナメントから出場となるプレッシャーの中、これを乗り越えればチームにとってのステップアップは間違いない。

トーナメント2回戦、3回戦は途中苦しんだ場面もあったが、ストレート勝ちして準々決勝進出。その相手は第5シード・北陸電力を下した東京電力埼玉だったが、相手の勢いを前半での連続ポイントで止め、快勝となった。ここで勝つと負けるとではシード権にも大きく影響するため、うまさの北陸が上がってきたら岩渕かという考えもあったが、とりあえず杞憂に終われた。このまま川村で行く。
戦前は苦しい対戦が続くと思われたが、まずはシードとしての役割を果たし、ここまで割とスムーズに来られた。問題はここから。真の実力が試される。

準決勝は第1シード・住友電工戦。第1セット序盤はフォローが今ひとつでリードを許す。更にサービスエースを決められ、反撃の糸口を見つけられず落とす。
第2セット、高橋強打、江口ツーアタック、川村サービスエースなどで5−3、ようやくエンジンがかかったかと思われたが、カットミスが響き8−10とされる。しかしここから両者逆転に次ぐ逆転で17タイ、ミスで17−19となるが相手も連続ミスで19タイ。どちらに転ぶか予断を許さなかったが、住電レフトに決められると、長いラリーから高橋のスパイクがサイドラインを割り、もう一歩及ばず敗退となった。

少なくともフルセットに持ち込みたかったが・・・レシーバーとして本格的な練習を始めてまだ半年だった川村の起用は、昨年佐藤を起用したときと同じ「ある意味ギャンブル」の心境だったようだが、とりあえず3年ぶりの3位は確保したし、準々決勝までは粘りを発揮できた。しかし上位との対戦は、チームとしてのわずかなズレさえ見逃してくれない厳しさがある。
「まだまだです」と川村が言う通り、これからが本当の戦いである。岩渕はレギュラーになってから全国で初めてワンポイントもコートに立たなかった。負けて一番悔しいのは岩渕ではなかったか。

関東実業団連盟の創立50周年記念も兼ねて経費削減を重点においた改革案を実施した大会であったが、予選直前の開会式、コート数削減、チームからの補助役員、冷房不可など不評が多かった。尚、記念大会として半澤と江口がベストナインプレーヤー賞を受賞した。


・県協会還暦に華添えて

東北総体は地元宮城の利府町、グランディ21で開催された。予選リーグは岩手、福島に勝利し、決勝は2年連続秋田(鷹巣クラブ)。春のZAOカップでは1セットを落としているだけに油断はできない。種別ごと4コート同時に決勝が行われ、3チームが決勝に進んでいる宮城は、どこからか大声援が飛んでくる頼もしい状況。
結果、2セットとも圧倒して9連覇を達成した。東北総体で9人制が始まってから20年間、宮城は東北リコーが制覇するまで一度も優勝できなかった。それが今では自己の持つ単独チームの連続優勝記録を更新するまでに至った。
全国トップの前にやはり東北一、これだけは途切れさせることなく歴史に刻み込んでいきたいものだ。

((( Idle Talk )))
東北総体開始式での選手宣誓の依頼が、なんと開始5分前に川村に知らされたというハプニング。
「最初に杜の都、仙台って入れようかと思いましたが、ここ仙台じゃなく利府だし」と、かなりテンパっていた。案の定、途中で詰まってしまったが、これは前任者も同様。違った意味で東北リコーを印象付けたことだろう。

◇  ◇  ◇

9月23日、宮城県バレーボール協会創立60周年記念式典が行われ、180余名が出席した。この式典において宮城県バレー界に寄与したとして、東北リコー(株)会長でバレー部元部長の白幡、バレー部総監督の大澤、バレー部監督の門脇が表彰され、感謝状が贈られた。

6年前まではバレー王国・宮城と言われながらも9人制は蚊帳の外状態だった。しかし宮城国体を契機に全国で通用するまでの強豪となり、牽引する立場にまで成長した。これも県協会の多大な協力があってそこ。
記念誌「六十年史」では国体3連覇や大澤の回顧録“宮城国体の思い出”などが掲載され、東北リコーも大きく扱われた。


・心ひとつに!兵庫国体

今年の国体は高校硬式野球のおかげで例年にない盛り上がり。“ハンカチ王子”なる流行語も生まれるほどである。その開会式で今野が栄誉ある宮城県選手団の旗手を務めた。「ええ、知事とマンツーマンで話してましたよ」

兵庫国体
東京戦、工藤のダイレクト。=明石中央体育会館
初戦の準々決勝は東京(横河電機)との対戦。第1セット序盤こそリードするが、カットミスからのスパイクアウトなどで4−9、そこからシーソーになるが差は詰まらない。結局そのまま先取される。
第2セット、連続オーバーネットなどのミスで10−11と逆転を許す。ライト安重にボールを集め、相手ミスもあって19−16とするが、東京のサービスエースなどで追いつかれてしまった。安重強打、東京時間差21タイ、江口時間差アウト、東京の中央攻撃をブロック22タイ、息詰まる熱戦だったが、最後は東京の速攻とライト強打でストレート負けを喫した。

「まさかここで負けるとは・・・」そう全員が思ったに違いない。実力というよりも気力に差があった。サービスエースを決められるにしても見逃しノータッチが多く、消極的なプレーが目立つ。順位決定戦に向け、果たして立ち直れるのか?

5、7位決定戦は広島(選抜)と対戦。第1セット出だしは順調。しかしラリーからオーバーネットすると、レシーブお見合い、広島ライト強打をまたもオーバーネット7−9。川村のサーブで崩し広島つなげず17タイとようやく追いつき、ブロックして逆転。流れ的には有利なはずが、広島のライト強打とサービスエースであっけなく逆転されると、最後は安重のストレート強打がサイドラインを割ってしまった。

あとがない第2セット、岩渕が入り今季全国大会初プレーをみせる。このセットもリードするが、広島はレフトにボールを集めて反撃、13タイとなる。シーソーの激闘からAとサービスエースを決められ16−19、苦しくなった。
エンドラインより後方へ跳ねたボールを高橋懸命ダッシュから奇跡のリターン、それを広島強打アウトにして、さらにブロックも飛び出し18−19。しかしここまで粘りながら同点にできず、痛恨のストレート負けとなった。

高橋が無理かと思われたラストボールをエンドライン外から電光掲示板に突っ込みながらも返したときは会場が大きく沸き、相手ミスを誘った・・・それでも勝てなかった。岩渕が入って確かにカットは安定したが、打開できる状況とはならなかった。
7位・・・・国体に出はじめた頃に1回戦負けや7位はあったが、9年連続出場中では初の成績。「力不足ということです」と門脇。大会前の練習でも緊張感がない(なあなあになってる)ということで、全員一丸・戦う集団になりきってなかったってところか。

一大会での未勝利は1997年の櫻田記念で3戦全敗を喫して以来のこと。これは江口、工藤、今野などの主力選手が入部する以前のことだ。このままただの全国常連チームとして埋もれてしまうのか? 精神的ダメージは大きいかもしれないが、この逆境を跳ね返さないと栄光はつかめない。やるしかないのだ!