かなり 実録 バレー部物語

・極限の戦い

今年の大会は全てノーシードからの戦い。全日本総合が翌年1月開催に変更となり、国体は今年をもって廃止、四冠への挑戦としては最後となる。簡単にいくはずもないが、チャレンジできる位置にいることに、喜びを感じて練習に打ち込む。
しかし遠征は五分五分、トップチームに対しては劣勢が続く。一里塚の赤城カップも5位と芳しくない。今年度からボールも加工技術が上がり真球に近くなった新型となり、以前と軌道が違って対応も苦慮している。そして猛暑の中、全日本実業団が宇都宮市、鹿沼市で開催された。

今大会はリコーグループから史上初の4チームがエントリー。リコー(神奈川)、リコー沼津(静岡)、リコープリンティングシステムズ(茨城)、東北リコー(宮城)が出場した。東北リコーでコーチも務めた工藤が、派遣先のリコー沼津で現役として復帰していた。
1年半かけて基礎からのチーム作りは今までと違う楽しみや苦しみがあったことだろう。「まさか自分でもここに帰ってこられるとは思ってなかったですね」と工藤。リコーグループ同士でお互いに高めあって実力を発揮できれば文句なし。

予選の新日鐵名古屋戦はサービスエースが馬の2度の連続、ピンサ佐藤の3本、針生の4連続など炸裂し無事突破。決勝トーナメントは3回戦で第2シードの横河電機と対戦する組み合わせとなった。
それにしても暑い。中部徳洲会監督、住友電工伊丹監督も「こっちの方が暑い」と、げんなり。サンデンの監督だけは「ん〜ウチの方がちょっと暑いかな?」
1回戦の東邦ガス、リコー沼津を破った住友電工伊丹を2回戦で破り、いよいよ山場の3回戦。昨日より斎藤応援団長が声を張り上げてリコーグループを応援していたが、1回戦第2セットあたりから声が出なくなってしまった。「リコーのチーム多すぎ」と苦笑い。

横河戦第1セット、サーブで崩され0−3とされるが、馬、針生の強打、バックの石川がCクイックのおとりを使っての時間差(今後これを裏時間差と呼ぶことにする)などで5タイとする。横河サービスエースで10−12とされるが、必死に粘って17−18まで持ちこたえる。しかし横河レフト強打ブロックアウト、渡辺強打アウト、最後も渡辺強打がアウトとなり17−21で先取される。

全日本実業団
横河電機戦、川村からのコンビで懸命の追い上げ。=栃木県体育館
第2セットは横河A、横河中央突破、横河サービスエースで10−14と劣勢に立たされたが、永井のサーブで崩して一気に逆転。その後、息詰まるシーソーを繰り返し、デュースから永井C、最後はラリーから馬がブロックをぶち抜く強打を見せ22−20、セットをもぎ取った。

しかし…暑さ、疲労の蓄積、そしてこのギリギリの戦いで我妻に熱中症の症状が見え、スタッフの判断で無念の交代。川村がセッターとして入った。第3セットも追う展開から安重サービスエースで執念の14タイに持ち込む。しかし横河中央攻撃とフェイントでまたすぐに離されてしまう。馬フェイントは拾われ横河Bで14−17、ピンサ佐藤で勝負もセカンドが横河レフトに決められ16−19。最後は中央から永井の強打がサイドラインを割り18−21、フルセット負けを喫した。

この試合に限り川村がベンチ入りしていた。実は一週間前、練習中に我妻が同様の症状を起こしていたのだった。そこでもしものことを考慮し、川村で対応できるよう練習もしていた。だからこそここまで戦えた。川村は持ち味を発揮し頑張っていたが、シード相手にベストの布陣で戦えなかったのは、やはり痛い。

まさに死力を尽くした一戦、現時点での実力は出し切ったと言えよう。安重も「昨年のベスト8よりやれた感はある」と言っていた。夏試合で1日3試合したのは優勝した2002年実業団以来で、ほとんどの部員は未体験。体力消耗は想像を絶したことだろう。
横河電機戦は東北リコーに足りないものを教えてくれたはず。あっけなく四冠の夢は破れたが、得たものも多い。見せ場はこれからだ。

((( Idle Talk )))
あまりの酷暑に感覚が狂わされてしまったか。トーナメント初戦が第3試合ということもあり、珍しくホテルを遅く出発することにした。が、第3試合のチームは第1試合の補助役員担当、これを完全に忘れてしまっていた。
いつもは第1試合じゃなくても早出して“いの一番”でコートを取るので、たとえ忘れていても対応できたはず。今回はマネージャーのケータイに連絡が来て初めて気付いた。誰か一人でも「あれ?ラインズマンは?」となれば回避できたのだが…
会場に到着して関係者と対応されたチームに平謝り。通常は負けチームが次の試合の補助役員を務めるが、勝っても補助役員をすることにした。

実業団はHRに馬と鎌田を交互で起用し、石川がバックに回った。国体は外国籍の馬が使えないため、国体予選を兼ねる東北総体は鎌田がこなして貫録の13連覇。しかし実業団で交互起用したように、まだ不安定さが否めない。本番の国体では、佐藤と永井の位置が違う(FL⇔FR)以外は昨年同様となり、石川がHRを務めることになる。


・この一瞬に輝け!千葉国体

10月1日、ついに最後の国体を迎えてしまった。今回は6人制女子と9人制男子が同じ体育館という不思議な組み合わせ。女子はコート幅も同なのだから、9人制男女が組むと思われたが…
もし9人制だけだと“来年は山口国体でお会いしましょう”と言えなくなる。よって6人制を組み込んだのであろうという思惑は想像に難くない。

今年は1999年以来の1回戦スタート。もちろん現役選手には経験がない。隣は女子が試合をするし、いつも以上に違う状況でリズムに乗った試合運びはできないかもしれない。ここはいい意味で1試合こなすと考えた方がいいだろう。
1回戦は静岡(群雄会)戦、いきなり連続サービスエースを決められ0−4の最悪スタート。一時は8タイとしたが、またもサーブで崩され15−20と追いつめられた。しかしここから驚異の粘りを発揮、針生強打、静岡ラストボールを打って返したがアウト、安重が強打を拾い渡辺が絶妙な軽打18−20。静岡はタイムアウトで立て直そうとするが、てこずっていた静岡の中央攻撃をついにブロックすると、安重サービスエースで20タイ、土壇場で追いついた。
狂喜乱舞の応援団、この好機を逃さず石川リバウンドで静岡がオーバーネット、静岡タイムアウト明けに安重が豪快にサービスエースを決め怒涛の7点連取!22−20。
第2セットはワンサイドに持ち込み、ひと桁に抑えてストレート勝ちしたが…国体初出場は1回戦からだったが、まさかラストも1回戦負けじゃ…なんて思わせるような第1セットだった。もし初戦が準々決勝からで、シード勢との対戦だとしたら、と思うとゾッとする。

翌日の10月2日、いよいよ第1シード・沖縄(中部徳洲会病院)戦。もうとにかくここに全てを懸けるしかなく、次の試合のことは勝ってから。
控室で江口が鼓舞する。「気持ちを一つにして今日、勝つ! 昨年負けた向こうはチャレンジャー精神でくるが、それを受けちゃいけない。こっちが挑戦者としていくことを忘れないように。気持ちをつないで1点取って、みんなで喜ぼう!」

第1セット、沖縄ライト強打をブロック、石川サービスエース、ラリーから沖縄ライト強打をまたもブロック、石川のサーブで崩し沖縄2段トスがドリブル4−0、絶好のスタートを切る。
更に佐藤B、沖縄ライト強打アウト、梅津のサーブで崩し永井C、沖縄レフト強打をブロック9−3と引き離す。
沖縄はサービスエースと渡辺のリバウンドを拾って強打、16−11と追い上げる。ラリーから石川強打、ピンサ佐藤でラリーから渡辺軽打20−13としながら、沖縄ライト強打、沖縄ピンサで崩され沖縄C、沖縄サービスエースで4点差。
ここはタイムアウトで気を取り直し、石川の強打が決まって21−16。

第2セット、石川サービスエース、我妻Aトスミスしたが沖縄片手で押し込みオーバーネット、石川連続サービスエース4−0。我妻の強打レシーブを離れた位置から石川が強打を決め7−2、沖縄はライトをメンバーチェンジして反撃を狙う。 宮城はコンビが冴え、針生、熊谷のサーブが相手を崩し13−5と大きくリードを奪う。
佐藤セカンドでサービスエース16−7、渡辺サービスエース、沖縄時間差をブロック19−8。ここでも終盤にミスと沖縄の粘りで追い上げられるが、最後は渡辺が冷静にフェイントを決め21−13、ストレート勝ちした。
これほど鮮やかな先制パンチで序盤にリードする戦い方は、あまり記憶にない。それにしても…昨日の宮城の流れが沖縄に出たような展開だった。やはり初戦の戦い方は難しい。宮城は既に一戦交えて動きの悪さは全くなかった。

10月3日、準決勝は千葉(選抜)が相手。いつも地元は行く手を遮る難敵だが、昨年も地元の新潟に勝利していることが自信になっている。今日も一戦必勝!
千葉国体
千葉戦、佐藤(洋)のサーブ。
第1セット、大声援に後押しされ千葉が走る。いきなり2−7とされ、必死の追撃もなかなか追い上げられない。それでも佐藤のB、千葉ライト強打を針生が1枚ブロックなどで11−14とすると、石川軽打、ピンサ佐藤で崩し千葉返しきれず13−15、佐藤サービスエース、千葉タイムアウト明けに佐藤サービスエース!ついに並んだ。
千葉はサービスエースで先にセットポイントとするが、針生時間差で20タイ。千葉のリバウンドをブロック吸い込み、針生が裏時間差フェイント21タイ。永井ブロックタッチネット、渡辺強打22タイ。千葉中央からの強打をブロックでワンタッチし安重強打決めてアドバンテージ宮城。ラリーから千葉のトスミスとなって24−22、押されながらも最後にひっくり返し、宮城が粘ってものにした。

第2セットも流れ的には千葉優勢で進んだが、後半の勝負所での起用を考えピンサチェンジしなかった我妻が連続サービスエースを決めて8−7と逆転。その後も要所でサーブと強打が決まり17−13と引き離しにかかる。千葉は既に2度のタイムアウトを使っており一呼吸置くことはできない。
このリードをきっちり守って、最後はラリーから石川が冷静にフェイントを決め21−15、地元の夢を打ち砕いて宮城が決勝進出を決めた。

第1セット、ここで決めて欲しかった場面で期待に応えた佐藤のサーブは素晴らしかった。総監督の門脇も、劣勢になっても動じず、チャンスで畳み掛けるチームの逞しさに目を細めていた。3年連続決勝進出は、そう簡単にできるものじゃあない。
もう一つの準決勝は大阪(住友電工)が東京(横河電機)を逆転フルセットで下した。第1セットを取られ、第2セット13−16から跳ね返した。間違いなく強敵だ。

それにしても準決勝4チームの応援は素晴らしかった。最後だからってこともあるが、観る側を熱くさせる。隣の6人制はギャラリーは多いものの音頭を取る人がおらず、決まったらバルーンを振るという程度。
全日本クラス以外で構成される選手とはいえ、Vリーグ所属が多い6人制の選手。なのに応援では圧倒的に9人制が勝るっていうのは、どちらが大会に寄与しているか一目瞭然だろう。
6人制目当てで来た人も、9人制がかなり気になっていた。「ラリーが続くと何本目だか分からん」とぼやく人もいたが、総じて“9人制は面白い”というのが一致するところ。
「これで9人制最後なの?何で?」と不思議がる人もいた。

◇  ◇  ◇

10月4日、最終日。別れを惜しむかのようにこの日は雨。競技別の成績では地元の千葉が思うような結果を残せていないこともあり、宮城もチャンスがある。高知国体以来の競技別成績1位とチーム優勝の二冠達成なるか。
3・4位決定戦が終わり、ついに残るは決勝1試合のみ。江口が選手たちを送り出す「今までもそうだったけど、今日もどういう展開になるかわからない。しかしどんな状況になろうとも諦めず、最後まで集中して全員で戦い切れば勝てる。行くぞ!」

千葉国体
大阪戦、佐藤(孔)の速攻。
第1セット序盤は互角だったが、大阪ライト強打、石川強打アウトで5−7と一歩抜けられると、徐々に引き離される。それでも石川サービスエースで14−18とすると、大阪ライト強打、佐藤の2段トスを永井決め、渡辺強打、大阪ライト強打をブロックし17−19と詰め寄る。
しかし大阪ライト強打ブロックアウトで大阪セットポイント、針生の時間差拾われ大阪中央強打をブロック吸い込み17−21、最後は決めきれずに先取される。

第2セットもリードを許す苦しい展開、針生時間差を大阪オーバーネット、大阪Cを針生ブロックオーバーネット、渡辺強打、大阪時間差5−7。渡辺強打、つないで安重が強打を決め7タイとすると、シーソーからピンサ佐藤サービスエース、大阪レフト強打ブロックで11−9と逆転。
石川のサーブで崩し渡辺強打で13−10としたが、石川ダブり、熊谷カットミスから大阪中央強打、大阪ノータッチサービスエースで13タイ、更に負の連鎖で我妻トスドリブル、石川のリバウンドを切り返され13−15と、あっという間に形勢逆転となった。
それでも諦めない宮城は、佐藤のB、大阪時間差をブロック、そして永井が豪快にサービスエースで19タイと盛り返す。互いの応援団が絶叫する中、ラリーから渡辺強打を大阪ブロックしてマッチポイント。最後は梅津のカットがわずかに大きく、我妻が懸命に上げたCトスが浮き、永井強打にできず拾われると、大阪レフトに決められて万事休す、19−21で大阪がストレート勝ちした。

終わった・・・・欲を言えば、まずはフルセットに持ち込んで最後の試合を長引かせてほしかったところだが、やれることはやった。終盤は控え選手もアップゾーンから飛び出し喜ぶほどの見せ場は作ったものの、わずかに及ばずうなだれる選手たち。しかし応援団は分かっている。惜しみない拍手で選手を迎えた。今大会、チームはいの一番に出場して最後まで残り、ギャラリーにも9人制の楽しさを伝えられたのではないか。
先日まで観戦していた社長は社用のため帰社してしまったが、以前から「俺が見ると負ける」と仰っていた。これで“見ないから負けた”と言われるかもしれない。

表彰式終了後、控室前では補助役員の生徒からサイン攻め「いいなーいいなー」と羨ましがっていた川村もサインをせがまれ、「オレ出てないのに…いいの?」と言いながらも照れながら応じていた。
少年女子の古川学園が見事優勝し、宮城が千葉を7.5点上回り競技別での1位を獲得。宮城国体、高知国体に続き3回目の栄冠となった。ウチも獲得点数なら古川学園を上回る貢献により、いい置き土産ができた。

近年の東北リコーは国体と共に歩んできた。1995年の初出場から16年で15回出場し、ここまで全国大会7度の優勝のうち4度が国体ということからも、特に重要視していた大会だった。本格強化のきっかけが地元の宮城国体開催だったこともある。
国体は大規模な大会なため、単なる実力だけでも勝ち抜けない難しさがある。多くの関係者方々の助力と思いが結集したこその好結果だったのは間違いないだろう。

雨は止み、外は汗ばむくらいに暑くなっていた。宮城ユニフォームともこれでお別れ。名残惜しいがいつまでも感傷に浸っているわけにはいかない。国体に参加していないチームは次の大会に向け着々と準備しているはず。江口が「前を向いて、また一歩一歩」と言っていたが、次の目標に向かって踏み出さなくては。 大会はひとつ減るが、復活を祈りつつ挑戦は続く。

((( Idle Talk )))
今回、登録選手及びスタッフとサポート選手は宿舎割り当ての関係上、別々のホテルとなった。サポート選手のホテルには応援団も泊まっており、当然のことながら毎夜居酒屋で懇親会が行われた。
10月2日は偶然9人制女子で参加している東北福祉大のご家族、関係者もおられ、「世間は狭いですねー」という感じとなった。「いつも応援団には女子も応援していただき、娘も感謝してました」「親子ともども福祉大です」などなど、ママさん方と一時を過ごすことができた。
全国でも通用する大学(高校も)があるのに、それを受け入れる地元企業がないことを嘆いていたが、まあ酔っているのでその矛先がこちらに向くのは必然的・・・・ここは苦笑いするしかない。
しかしそれから1年後、宮城に初のVリーグ女子クラブチームが誕生することになる。