かなり 実録 バレー部物語

・突貫

東日本大震災によって東北リコーも甚大な被害を受けた。およそ3週間は出勤できず、停電、断水、スーパーやガソリンスタンドに長蛇の列と、非日常の状態が続いた。関係者の尽力により驚くべきスピードで復旧していったが、家族、親戚、友人知人が犠牲となったバレー部現役・OBの方々がいた。

体育館は復旧優先のため多目的に使用され、練習が開始されたのは5月16日。この頃になると、社内でも東北リコーはもはや被災という立場にないという考えになっていた。バレー部が普通に活動することが、東北リコーにとって復興としての証しの一つでもある。
しかし今度は節電という新たな敵が。夜も節電対象になるのがちょっと納得いかないところもあるが、周りがそういう対応なのにそこだけ例外というわけにもいかないらしい。
7月からは体育館も使用不可となり、周囲の体育館を借りて練習することに。監督の江口は「広い体育館でやれた時もあったし、メリットもあった」と前向きだったが、1988年に東北リコー体育館が建てられてから、まさかこんなことになるとは思いもよらないことだろう。部員が恵まれていたことに気付いてくれれば、これも意義があるということか。

6月、サンデン主催の赤城カップに出場、震災から3ヶ月、全日本総合から4ヶ月半ぶりの試合であった。この大会は東北リコーへの激励を込めた大会と位置付けられ、主将の針生が選手宣誓を行い、その他いろいろ配慮をいただいた。
結果は7チーム中6位。無駄な失点が多く結果は致し方ないが、今の自分たちの位置を確認できたのは大きな収穫。まだまだ厳しい状況は続くし、全国大会まで残り時間は少ないが、出るからには目指すは頂点。この難局を乗り越えなければならない。

実業団はとりあえず昨年の櫻田記念3位でシードでの推薦出場は決まっていたものの、一時は部活動としての存続さえ危惧された。もし推薦出場でなかったら県予選も開催されず出場できなかったかもしれない。(1チームのみエントリーで出場できたかもしれないが)
ほとんどぶっつけ本番に近い状態で、果たしてまともな試合ができるのか?という不安感はある。


・元気印として

全日本実業団は山形県鶴岡市で開催された。ここまで練習不足とはいえ今まで積み重ねてきたものがあり、第4シードでもあるため、そう簡単に負けるわけにはいかない。いやが上にも注目されるであろう東北リコー、ここは元気あふれるところを皆さんに見てもらうしかない。
ただ…絶景ではあるものの宿泊ホテルが海沿いというのは、複雑な心境になる部員がいたかもしれないが…
多くのチームから義援金など様々な援助をいただいた。大会出場チームのうち直接的被害は東北リコーが一番大きかったかもしれないが、間接的を含め影響を受けなかった企業はほとんどないだろう。ここは全チームで盛り上げることが必要。
大会には“がんばろう日本”のTシャツを着て参加しているチームもいる。東北リコーとしても感謝のしるしを表すために、がんばろう東北の横断幕(紙製)を作成した。

予選グループ戦は北陸電力福井と対戦。2セットともダブルスコアレベルで圧倒したが、ミスは多い。決勝トーナメントへ向け、「震災以後、初めてバレーができたときの、あの喜び。もう一回思い出して欲しい。そしてこの大会に出られたことは色々な人たちの支援や協力があってこそ。それを忘れず気持ちを一つにして、喜びを分かち合おう」

トーナメントは2回戦から日本化薬と対戦。第1セット、化薬のコンビが合い2−7とリードを許してしまう。化薬はサービスエースなどで差を広げ5−13、東北リコーは追い上げるもののミスで流れを持ち込めない。結局大差の12−21と、一気に持って行かれた。
第2セットも苦しい展開、前半こそリードで推移するが、化薬ライト強打、永井C、化薬A、熊谷2段トスドリブル、渡辺を襲う化薬サービスエース、鎌田強打ブロックされ9−12、一気に離された。
ブロックで追いつき一進一退、ピンサで2度メンバーチェンジをしていたが、21−20から3度目のチェンジで安重を投入。つないで鎌田強打が決まり22−20、何とかフルセットに持ち込む。
第3セットは前半東北リコーリードで中盤化薬追いつき12タイとされシーソー、17−15としながら化薬ライトフェイントをブロック吸い込み、化薬サービスエース17タイ、またも追いつかれた。しかし鎌田強打、化薬ライトリバウンドフォローがネット超えてアウトとなり、集中力を切らさなかった東北リコーが逃げ切った。

最後まで諦めない姿勢が勝利を呼んだと言える。「気力で勝てたっていう、こんな勝ち方ってたぶん初めてじゃないか」とコーチの門田。ここは全力で戦い抜いた選手に拍手を送るべきだろう。

全日本実業団
住電伊丹戦、我妻からのコンビ。=鶴岡市羽黒体育館
3回戦は昨年度全日本総合3位の住電伊丹が相手。2回戦同様出だしが悪く1−6。伊丹のサービスエースが随所に決まり、こうなると連続得点が奪えない。最後は伊丹レフト強打をつなぎ切れず14−21。
第2セットは0−2とされるが、すかさず追いつき相手ミスに乗じて逆転。熊谷の胸元を襲う強力サーブも、見事なカットから佐藤Bが決まると、梅津サービスエース14−10。波に乗ってそのまま逃げ切り21−16、セットタイに持ち込んだ。
第3セットは激しい攻防からリードを奪うも、伊丹のサーブが炸裂し6−8と逆転される。伊丹セカンドでサービスエース7−11、コートチェンジ直後にタイムアウトを取り必死に挽回を図るが、伊丹両サイドの強打が決まると、立て直すのに必死となりサービスの吹笛も体勢不十分なままサービスエース決められ9−15、もはや勝負あり。 14−21で無念の3回戦敗退を喫した。

震災によるブランクを理由にしたくはないが、やはり練習不足は否めない。基礎練習を飛ばして仕上げてきた綻びが出たような感じだった。SPを取られた場面は「セカンドなのに凄いサーブだった。経験していないモノで来られたら対応しようがない。でも基本的にウチが下手、2段トスが相手コートにいっちゃったら2点分のダメージがある」と門田も溜息。
今度は気力でカバーしきれない、実力差を見せつけられてしまった。

レフトの渡辺はサーブで決められ強打は拾われ、普通ならもう意気消沈してしまうはず。それでも声を絶やさずプレーしたのはさすが。
終盤にライトの鎌田が豪快に打ち抜く場面もあったが、満足はしていないだろう。もう一段登れば、かなり嫌らしいプレーヤーになるかもしれない。
気力で逆転できた試合、精神力だけではどうにもならなかった試合を経験でき、とても実りある大会であったことは間違いない。これをどう昇華していくか、各自の奮起が期待される。これしきのことでへこたれる訳にはいかないのだ。
応援いただく方々に今度こそ喜び(嬉し泣き)を!


・あれから と これから

10月、ZAOカップが東北リコー体育館で行われた。昨年までは東北・関東地区のレベルアップと審判講習を兼ねて春先に開催していたが、東日本大震災によって計画が頓挫。それでも何とか開催しようと計画を進め、規模的には小さくなったものの全国トップレベルの強豪を招いての大会となった。
多方面から「言ってくれれば駆けつけます」「何かできることはないか?」「宮城で大会を開催してほしい」など逆に提案されることもあり、使命感みたいなものが大会実行委員長にはあったと思われる。
ただ、開催するのに難航したのが体育館選び。大きな体育館はまだ使用不能だったり、使えても他に予約が入っている状態。県外開催も検討されたが、それでは震災復興としての意味が半減する。でも開催するなら多くのチームに参加してほしい…

最終的には当社開催なら小ぢんまりしててもいいじゃないかと、結局東北リコー体育館に落ち着くこととなった。この時期はちょうど国体も開催されており、「できる限り全国大会の最終日、特に国体スタイルに近付けたい」と実行委員長が並々ならぬ決意で準備し、当日を迎えた。

山岸バレー部後援会会長 兼 ZAOカップ大会会長の挨拶要約
「このたびはZAOカップにご参加いただき、誠にありがとうございます。東日本大震災においてはテレビ、新聞などで報じられている通り、東北リコーにおきましても大きな損害となりましたが、おかげさまで現在は通常の業務を行っております。
バレー部におきましても2ヵ月間の活動休止がありましたが、5月中旬から再開し現在に至っております。ここにお集まりの住友電工様、横河電機様、サンデン様はじめ、全国各地のバレーボール関係者より多くのお心遣いと義援金をいただき、この場をお借りして心より御礼申し上げます。
ZAOカップ
横河電機との決勝戦。=東北リコー体育館
今回のZAOカップは東日本大震災復興祈念大会として、全国の強豪をお招きしての開催となりました。国体の9人制は廃止になりましたが、今回出場される皆様方におきましては、国体以上のプレーを発揮し、ご観戦の皆様に元気と感動を与えていただければ幸いと思います」

4チームでの予選リーグは横河電機にストレート敗退、若手主体で参戦している住友電工にはフルセット勝ち、サンデンにもフルセット勝ちを収め、予選2位。翌日の決勝トーナメント初戦は予選3位の住友電工との対戦となった。
トーナメントの住友電工戦は予選の反省を生かし見事ストレート勝ちで決勝進出。決勝は本番さながらの選手紹介まで行った。ここまで全勝の横河電機との対戦はフルセットの激戦となった。3セット目中盤は11−8でコートチェンジ、強打が冴え粘る相手を振りきって東北リコーが優勝を果たした。

第1セット14点で先取されたときはこのまま敗退かと思われたが、そこから見事な逆転劇でカップ死守。一戦ごとにチームがまとまり、強くなっていった。課題も少しずつ克服しつつあり、今後に期待が持てる。
実業団では戦力として間に合わなかった新人選手2名が入り、後進に道を譲ろうとしていた安重がスタメン復帰、他ポジションもガラリと変わった。
ギャラリーは二日合計の概算で240名ほどだったが、距離感も近く、見る側にとっては迫力のプレーが間近で観戦でき、満足度は高かったと思われる。実際「近くで見ると凄いね〜」と、うなる人もいた。

2001年宮城国体での全国初制覇からちょうど10年でもある。意義ある大会での優勝で、復活の狼煙を上げた。
今できることを確実に…東北リコーの進撃はこれからだ。