かなり 実録 バレー部物語

・力戦奮闘

今年度も東北総体は中止となった。もう廃止に近い。 国体予選という観点から見れば全国大会が無くなったのだから…というのもある。宮城以外はクラブチーム主体なので、クラブは“みちのくカップ”という東北大会があり、それほどダメージはないだろう。
県内に目を移せば、大会要項から河北杯が消えており、プレーする、観戦する機会がまた減りそうだ。

春の宮城県社会人強化練習会は今年度から東北ブロック審判員の公式講習会となり、更に重要な位置付けの強化練習会となった。
以前は全国レベルとして持ち回りで国体開催都道府県による6・9人制合同で行われていた。ちなみに2001年の宮城国体開催時は横河電機、東京電力埼玉をお呼びして仙台市体育館で行われた。
国体の9人制が廃止され、6人制は東北大学リーグ戦の中で講習会を行っていたが、9人制は自然消滅のような状況になってしまった。これじゃイカンということで、この練習会を公式な講習会として開催することになる。やはり審判員による控室での朝のミーティングはいつもより緊張感のある雰囲気。
RI東北は故障者が多く前衛の選手が後衛を務めるなど万全には程遠い状態だが、最終戦のリコー戦でようやくそれらしい兆しが見えてきた。RI東北OBの今野、鈴木、川村の3人はリコー沼津の選手として元気ハツラツ。「今年で39歳になりますよ」と今野、まだまだやる気満々だ。

4年振りに開催された実業団県予選(2チーム参加)は一度も追いつかれること無くストレート勝ちの優勝。相手のNittoは東ブロックの社会人大会において、ここ4年で3回のベスト4と地力を付けてきている。先の強化練習会では1セットオールだった。
東北地区としてもこの2チームのみが実業団登録だが、相手は打倒RI東北で今後も立ち向かってくることだろう。
群馬で開催される6月の赤城カップはグループ戦3戦全敗、トーナメント最終戦勝利で8チーム中7位。最終戦でようやく形になったようだ。完敗という試合はなかったものの、リズムに乗れなかったり勝負所を見誤るとこうなる。

◇  ◇  ◇

全日本実業団は愛媛県松山市、伊予市で開催された。予選グループ戦は大会1ヶ月前くらいに決まるのだが、まさか第2シードの住友電工と対戦することになるとは…今まで予選でシード勢との対戦は記憶にない。
強化試合の傾向から、日程の終盤でようやくらしさが出てくるという内容だったので、本番で調子が上る前に終わってしまった…とならないようにしないといけない。ただ、昨年度全日本総合と同様に両サイドの馬と渡辺は故障で無理はさせられない状況、レフトには鎌田、ライトには石川が入る布陣。

全日本実業団
住友電工戦、梅津のオーバーパス。=伊予市民体育館

その住電戦第1セット、住電が3点抜ければ3点追いつき、ラリーから針生時間差、佐藤B、鎌田サービスエース、住電レフト強打は高橋のレシーブがダイレクトで住電コートに返り7−4とリード。針生の強打とサービスエースなどで11−6とするが、住電はここから急追、5連続得点で11タイとされる。
お互いサービスエースを絡めて15タイ、終盤までシーソー18タイ、ここから住電レフト強打をブロック、住電ネットプレーフォローしきれず、石川サービスエース21−18、最後振り切って先取。
2セット目は前半RI東北リードで後半住電が追い上げる展開、19−16まで行きながらミスで19タイにされてしまう。デュースから佐藤B、ラリーから住電レフト強打21タイ、鎌田強打を住電ブロック、住電ダブリ22タイ。ラリーは住電中央からフェイント、住電ピンサはラリーから住電ライト強打決まって22−24、セットタイとなる。

第3セットはRI東北がスタートダッシュを見せ、コンビと石川、鎌田のサービスエースで9−3。しかし敵もさるもの、巧みな攻撃とこちらのミスで挽回し15−13と詰め寄られる。
ここで住電ダブリで一息つくと、シーソーから針生時間差、住電ライト強打アウトで20−17のマッチポイント。住電の強打連発で1点差とされ、更に住電サーブで崩され鎌田軽打で返したが、無回転気味の当たり損ね?で、住電のレシーブタイミングが合わずにオーバーハンドが突ききれず、下に落として21−19、かろうじてフルセット勝ち。

最後は…「やったー」という嬉しさより「ふぅぅ〜」っていう安堵感か。ここ最近の対戦成績は芳しくなく、負けたら1997年の全日本総合で岩崎通信機に敗れて以来、17年ぶりの敗者復活となるところだった。住電の強打は破壊力抜群で、スバズバ抜いてくる。ただちょっと決め過ぎに来たところに、付け入る隙ができたのかもしれない。
一戦必勝で見せた強さは、一日1試合で抜群の強さを誇った国体での戦いを思い出させ、久しぶりに伝統復活というところ。
FRに長身の吉田を起用したが、セッターを邪魔したり2段トスをドリブルしたり、1本もアタックを打たずブロックはオーバーネット…「俺って役に立ってるのかなあ」と落ち込んでいたが、「向こうのアタッカーに十分プレッシャーをかけたよ」と仲間が慰めていた。自分が出て勝ったのだから、必要な戦力であることに間違いはない。
試合時間は1時間40分。試合終了後は隣のコートの第2試合が終わっていて、2試合分を消耗した感じではある。負けて敗者復活よりはいいけど、ウチは体力ないから…これがどう出るか。

決勝トーナメント組み合わせ抽選。第2シードだった住友電工がシード権を剥奪され、どこに入るかが最大の注目点。ただし同一企業のゾーンには入らないので、先に割り振られた住友電工伊丹と住友電工横浜のゾーン以外となり、空いているのは第1シードの中部徳洲会のゾーンか、もともと入るはずだった第2シードのゾーン。そこで見事に45番、第2シードの位置を自力で引き当てた。「えぇっ!」 1/20くらいの確率になっていたとはいえ、どれだけ強運なんだと周りもざわついた。
で、RI東北は順当なら3回戦で第4シードの住友電工伊丹との対戦になる。「どこと当たろうとも自分たちの力を出し切るしかない。住電に勝つ力があるのだから、自信を持ってみんなで行きましょう」

決勝トーナメント1回戦の相手は明治大阪。第1セットはRI東北が7−3とするが明治が二度の4連続得点で11−13と逆転。白熱のシーソーから抜け出したのは明治の方、明治B、鎌田強打アウト、明治レフトプッシュで15−19とされ、そのまま逃げ切られた。
第2セット、またも東北がリードし9−1。そしてシーソーとなるが今度は流れを渡さない。相手ミスと強打で連続得点を与えずセットタイとした。
第3セット、東北が5−3とすれば明治もサーブとブロックで8−12とする。しかし鎌田の強打とサーブで流れを呼び戻し14−13と逆転、16タイから針生時間差、針生のサーブで崩し本国ダイレクト、ラリーから佐藤A、ラリーからレフト側で熊谷強打20−16、一気に引き離してフルセット勝ちを収めた。

「昨日の疲れも抜けきってないかもしれない。しかも1回戦からだからなぁ。できればストレート勝ちで行ってほしい」と澤の願い通りにはいかなかったが、勝負所で集中力を発揮した。
2回戦は昨年の全日本総合でも対戦したジェイテクトとの試合。しかし2セットとも前半で圧倒し、1セット目は5−1→16−5、2セット目は11−1、1回戦の試合をチェックされていたが、ものともせずに3回戦へ駒を進めた。

そして3回戦は住友電工伊丹との対戦、第1セット今まで東北がしてきたスタートダッシュをされてしまい4−12。ようやくエンジンがかかったか、コンビと梅津のサービスエースで13−16まで迫る。しかしミスで相手に繋がれ16−21で落とす。
第2セットも伊丹優勢で展開、相手の好サーブになかなか流れを掴むことができない。石川リバウンドを伊丹オーバーネット、本国に替わってピンサ佐藤サービスエースで9−12とするも、伊丹のサービスエースや東北のミスで差が広がる。最後は針生強打アウトで16−21、ストレートで敗れ去る。

簡単に言うとガス欠だろう。ここまでの激戦で反応が遅れ、相手のいいようにやられてしまった。特にサーブカットが乱れて単調になり、繋がれてからの攻撃を食い止められなかった。「この暑い中、よく頑張ってくれた」と安重は手応えを掴み、奮闘を称えていた。課題山盛りは変わらないが、得るものも多かったであろう。今後、更なる上昇となるか。

((( Idle Talk )))
リコーインダストリー東北事業所で初の試みとなる「夏祭り」が夏休み前日の就業時間後に開催された。
その夏祭りでバレー部が余興をやることになったのだが、このサイトでの余興の姿を見て、夏祭りでもやってもらおうと考え付くのは容易いか。ただし余興はしょっぱな、開会式の前。つまり前座ってわけだが、出だしで盛り上がるかどうかは夏祭りの成否に関わる大事な役目。
全国大会が終わってからの突貫だったようだが、曲に合わせてのダンスパフォーマンスを披露してくれた。これで場内が一気に活気づき、役目は十分果たしたと言える。「でもこれ徳洲会のネタなので」と鎌田は謙遜していたが、模倣された側も納得してくれるだろう。

総合県予選では都合でセッターの本国が出場できないため、全日本実業団からコーチ業のウェイトが大きくなっていた我妻が急遽代役セッターをこなした。
2セット目は19点まで迫られる劣勢だったがNittoにストレート勝ち、「俺のせいで負けなくてよかった」と苦笑い。セッターじゃなかった選手が代役ならともかく、そう簡単に技術が衰えるわけでもないので安心感はあった。
以後、我妻は正式にコーチ就任となる。


・歳月

「2001宮城国体メモリアル 南三陸大会」として13回目のZAOカップが南三陸町で開催された。
参加チーム:中部徳洲会病院(沖縄)、住友電工(大阪)、JT東京(東京)、横河電機(東京)、サンデン(群馬)、リコーインダストリー東北(宮城)
初日の10月11日は東日本大震災の月命日でもあり、3年7ヶ月を迎えた。
リコーインダストリー東北が地元で全国大会初優勝を果たした2001年宮城国体(当時のチーム名:東北リコー)。その激戦のメイン会場が南三陸町(旧志津川町)ベイサイドアリーナであった。
2011年、宮城国体から10年という節目に、同アリーナにてZAOカップ開催の計画が立てられた。しかし3月に東日本大震災が発生し当地が被災、避難所になったアリーナも損害を受けた。現地での開催は断念となるが、それでも何とか元気を発信しようと、復興祈念として当社体育館で開催することになった。
いつかお世話になったあの地で必ずや感謝の意を伝える! それから3年…その熱き想いの火は消えることはなかった。現在もなお復興の途中にあるが、アリーナの修復完了を機に再度大会を計画。9人制バレー強豪チームを招いて日本トップレベルの試合を観戦いただくと共に、バレーボールを通じた交流イベントの実施により南三陸町復興支援の一助にもなればと、今回のZAOカップ開催に至った。

澤実行委員長の依頼で茨城県のリコーインダストリー勝田バレー部の皆さんにもお手伝いいただいた。「ホント、勝田さんがいなかったら大変だった」と澤も感謝していた。
「まあでも事務機器メーカーのチームで良かったってつくづく思う。だってさ、看板文字とかパンフレットとか掲示物とかプリントサービスとか外に発注したらとんでもないことになるよ」と澤。手作り大会にしてはそこそこ見栄えする大会に仕上げることができ、安堵の表情であった。

主将の梅津が選手宣誓、澤は「ありきたりの宣誓だったら承知しねぇぞ!」とプレッシャーをかけていたが、まぁ定形通りの内容だった。
大会期間中の来場者にはオリジナルうちわをプレゼント。季節的にどうかなあという感じだったが、館内は熱気があったため予想以上に役立った。また先着順ではあったがパンフレットも配布された。
更に今回は13年前の宮城国体の画像を展示し、同時に希望者にはプリントサービスも実施。オフィス向けだがカラーレーザープリンターをグループ企業のリコージャパンからお借りした。
もともとZAOカップ開催に合わせてHP上でも宮城国体の画像を掲載しようとしていたが、そこへ澤から「会場で写真展でもやりませんか」と提案があったのがきっかけ。「んじゃ展示した写真をその場でプリントサービスってのはどうだろう…あの頃を懐かしむ方がいるかもしれない」と提案返ししたところ、何かとんとん拍子に話が進んで実施されることになった。

「ウチの父さんが写ってる!」とか聞こえてくると、実施した甲斐があったと実感する。「宮城国体の関係者とか集まって撮ったけど、写真もらわなかったなあ」と、プリントされた画像を手にしてつぶやく方も。
普通、自チームの試合だけ撮っていればいいのだが、せっかくの地元国体なんだから、それ以外もなるべく残しておこうと思ったのが今になって役に立つとは。宮城国体には中部徳洲会の新城監督やJT東京の渡辺監督が現役で出場しており、その姿を今の現役選手が見るのは恐らく初めてではないだろうか。
「いやあ懐かしいですね。ありがたいです」とは渡辺監督。「国体に出てたんですねとか、キャプテンだったんですねとか言われて、今の子たちに尊敬の念で見てもらえたっていうのは嬉しいです」と新城監督。「まあよく撮っててくれてたよな」とは当時東北リコー監督の大澤後援会事務局長。

ZAOカップ
スポーツ少年団とともに。=南三陸町ベイサイドアリーナ

初日のお昼には志津川中学バレー部と実業団選抜メンバーとの2セットマッチ交流戦が行われた。異なるユニフォームの選手がコート内にいる実業団選抜は、なかなかお目にかかれない光景だ。志津川中は6人制ルール(ただしコート内は9人・21点制)、実業団選抜は9人制ルール(ただしサーブは1回・ボールは4号)という変則マッチなため、審判は大変だったことだろう。
また初日のZAOカップ試合後はスポーツ少年団とのバレー教室。参加いただいたのは南三陸スポーツ少年団、大谷(おおや)スポーツ少年団、志津川バレーボール教室の方々。横河電機のマスコットキャラクター“かばはじめ君”も応援に駆けつけてくれたが、児童に大人気。むむ…やはりゆるキャラの可愛さには敵わないか。
サンデンの外丸監督指導のもと、明るく楽しく行われ、「元気のない人にはボール出さないよ!」と外丸監督、まずはなにより声を出す、元気を出すことの大切さを説いていた。「やはりこういう子供たちの笑顔を見られるのが嬉しいし復興にもつながります」と協会の方々も目を細めていた。

((( Idle Talk )))
夜は懇親会が行われた。宮城国体の頃の中部徳洲会はまだクラブ登録の時代で、規律も緩かったらしい。「会場に行ったら富士通さんが汗だくでアップしていて、徳洲会はどこでアップしてきたんですか?って言われました。いやもう慌ててアップしましたよ」とか、国体は食中毒防止のため生ものはほとんど出ないのだが、「海沿いの民宿でそりゃないでしょ。自分たちで釣りをして自己責任という形で特別に出してもらいました」など新城監督他、貴重な体験談を聞くことができた。
沖縄(徳洲会)は宮城国体3年後の埼玉国体に2度目の出場、そこで宮城(東北リコー)の4連覇を阻んだ。そして2009年新潟国体で沖縄の3連覇を阻んだのが宮城。国体ではちょっとした因縁じみたものがあった。

富士通小山の元監督で第1回のZAOカップからアドバイスいただいている磯 栃木県実連理事長には今回も参加いただいた。「富士通小山の監督として第1回の3位というのは光栄。あのころは東北リコーに研修所っていうのがあって、めちゃめちゃお安く泊めていただきました。夜は大澤監督と盛り上がりましたね」と、思い出を語っていた。
えーっと、夜のエピソードは激しすぎてここには書けないね。(^_^;
「でもこのHPは自分のチームに厳しいこと書くよね。それがいいんだけどさ、いつも見てますよ」。確かに他のサイトに比べると辛辣かな? でも良かった、惜しかっただけじゃあ面白くないですから。

最終日のお昼は各チームからいただいた協賛品の抽選会が行われ、各チーム代表者の抽選で当選者が決まる度に歓声が上がっていた。予定よりも多くの協賛品をいただいたため、最後の抽選が終わった時に箱の中には応募抽選券が何と1枚のみ!
ところが特賞の当選者1名が不在だったため、その残った最後の1枚の方が当選者に決定! 劇的な締めくくりとなった。
大会としては白熱のフルセットが多く、見応えのある内容で観戦された方々も9人制の面白さを堪能されたのではないか。各チームも課題と手応えを掴んだことで、次の大会につなげていくことだろう。(優勝は住友電工)
RI東北としては13年前のようにはいかず、連動した動きが今一つで最終戦に負ければ最下位という状況の中、勝ち切って4位となった。最近、強化ゲームの最後の方になってようやくらしさが見えてきた…っていうのが多いのだが、今回もそんな感じ。
「ポテンシャルは持ってると思う。しっかり練習をこなし、コンディションを整えれば上位に食い込める」と門脇も認識していた。今後の強化で巻き返さなければならない。

大会終了後、昨日のバレー教室の集合写真をプリントし、記念額としてエントランスの棚に置いていただいた。
継続は力なり、9人制発展と地域復興を目指し、共に頑張っていこう!