かなり 実録 バレー部物語

・RI東北バレー部 創部50周年記念祝賀会 挨拶

本日はリコーインダストリー東北バレーボール部創部50周年記念祝賀会へ、お忙しい中ご参加いただき大変有り難うございます。心より御礼申し上げます。
今から51年前、1967年7月に旧東北リコーがこの地に設立いたしました。翌年、夢と希望に満ち溢れた1期生が入社されました。
その1968年ですが、メキシコオリンピックが開催され、バレーの男子女子とも世界の強豪として大変活躍されました。

時を同じく、先輩方が有志を募いまして、柴田町のバレーボール大会に張り切って臨みましたが、完膚なきまでに苦杯をなめたという結果でした。
負けず嫌いの皆さんが「これじゃダメだ!」となり、バレー部を創って一矢報いたいということで結成されました。
体育館もありませんでしたので、昔の食堂、今の厚生棟の脇にお手製のコートを作って練習されたということでした。

実はリコーインダストリー東北バレーボールチームには欠番があります。
当時背番号1番の選手が不治の病により27歳という若さで他界されました。
その選手が身にまとっていた1番のユニフォームを棺に納め、我々の活躍を見守ってくれということで、それ以来背番号1は永久欠番になっております。

そしてこの50年には非常に輝かしい出来事がありました。その最たるものは2001年宮城国体で日本一という栄冠を掴み取ったこと、それから国体の3連覇と、誇れる活躍ができたと思っております。
トータルいたしますと全国優勝7回、準優勝7回、第3位15回という成績を残すことができております。
我々は先輩から受け継ぎ、そして後輩へと伝承を続け、再び栄冠を獲得して参ります。

宮城県バレーボール協会様、柴田町バレーボール協会様はじめ関係者の皆様、応援いただいた皆様、そして東北リコー株式会社、リコーインダストリー株式会社には心から感謝を申し上げます。
今後もチーム一同、精進を重ねまして、皆様のご期待に沿えるよう頑張って参ります。皆様の変わらぬご支援、ご声援、お願い申し上げます。
本日は誠にありがとうございました。

 リコーインダストリー東北 バレーボール部 部長 川村 眞康