2004.12.30 (No.183)
バレー部納会は温泉郷で行うのが通例となっていますが、いつも飲み過ぎから?せっかくの温泉なのに全く入らないで帰る人が若干名います。しかし今回Aさんは「夜も朝も入れたなんて信じられない」と納会での初入湯にご満悦。Sさんも「朝風呂ですけどようやく入れました」と感無量の様子。それだけはしゃげなくなった?
2004.12.26 (No.182)
ひとつ書き忘れてましたね、今野選手の一足早いシーズンオフの原因。それはコンビ練習で速攻に入ったら手がセッターと接触して骨折したらしい。どーなったらそうなるのかよく分かりませんが、その時トスを上げていたセッターが川村選手。なら“あり得る”ってことになるのかな? しかしそれじゃあアタッカーが思い切り突っ込んでいけませねぇ。
2004.12.21 (No.181)
第5回東北リコーバレー部応援のページ・フォトMVP発表!
この1年、画像で最も貢献してくれた部員を勝手に表彰するのがこのフォトMVP。
(思いがけない画像、綺麗に撮れた画像、決定的瞬間、経緯に思い入れがある画像などが選定の対象)
2004年は高橋選手に決定! おめでとうございます。もともと打数は多いのでシャッターチャンスも多いのですが、今年は昨年に比べて表情が豊かになりました。特にスパイクを打つときの辛そうな、厳しそうな、鬼気迫る表情は哀愁が漂うようになりましたね!
というわけで高橋選手の未公開スパイクシーンをどうぞ!
フォトMVP
準MVPは安重選手。高橋選手に及ばなかったのは、ひょうひょうとしていた分かな。今後、酸いも甘いも噛み分けるようになれば?シブい表情になっていくでしょう。
今年のウラMVPは例年以上に激戦? 元祖ウラ王・今野選手の復活とコンスタントにハイレベルの半澤選手、新興勢力・ハッスル川村選手の三つ巴。
そして結果は終盤猛追して一気に抜き去った感のある川村選手が初受賞! おめでとうございます。最後はオモテでも活躍して印象付けました。
今回は期間限定で動画も放出、お見逃しなく!!
ウラMVP フォト
72時間限定配信 MPEG1 320x240 2MB
ウラMVP ムービー
準ウラMVPは今野選手。出場機会が増えるに比例して持ち前のウラパワーを発揮しましたが、ゴール直前でこけちゃいました。来年は完走して下さい。
江口選手、あなたウラMVP獲ってませんから。オモテじゃ不満?(^^)
オモテ MVP | ウラ MVP | |
第1回 | 佐々木 秀樹 | 今野 広勝 |
第2回 | 江口 達也 | 太田 宏明 |
第3回 | 岩渕 征宏 | 半澤 健一 |
第4回 | 佐々木 秀樹 | 門脇 純也 |
第5回 | 高橋 健一 | 川村 裕貴 |
それではまた来年をお楽しみに!
2004.12.19 (No.180)
ここではもう少し櫻田記念での祝勝会で聞こえてきたお話を。
「徳洲会の決まったときのあのパフォーマンスは独特だねぇ、うちらもやったら? 花笠音頭とか」「総合の時やりましたよ!“ヤッショウ、マカショウ、シャンシャンシャン”・・・ってこれって徳洲会にそっくりだあ!(苦笑) 二番煎じって思われる」
「半澤、サーブをブロックすることないだろ? そりゃ味方にブロックされたら工藤もフライングするっちゅうねん!」「あれ審判フエ吹いたけど、上がってたよな?」「十分すぎるぐらい手じゃなく腕に当たってましたよ(怒)」
「フライングって言えば富士通戦で手前に落ちてきたサーブにユースケがフライングしたときはびっくりした」「突然、誰が突っ込んできたかと思った」「つーか、誰が見てもネットにかかるって分かるだろ」「こういうわけ分かんねープレーが出ると好調ってことだよ。昔はもっと多かった」
「富士通のレフトのサーブは凄ぇからさ、ファーストミスって“こりゃチャンス、絶対セカンドで切るしかねぇ、1回で切んなきゃダメだ〜”ってのに失敗して、オレ次のファーストでやられるみたいな。オレのせいになってる、サイアクだ」
「九電福岡の2セット目は絶対気ィ抜いたね。だって足さっぱり動いてなかったもん」
「総監督、決勝3セット目の17、8点ぐらいで目に涙ためてた」「いやーなんかね、目頭が熱くなった」「遠藤も試合終わってねーのに何か泣いてたぞ?」「今年はいろいろあったんで・・・」
「安重!ボーっとしてんな!」「自分が入って勝てなかったらどうしようかと思って。余韻に浸ってるっス」「ただ酔っぱらってるだけじゃないの?」
「一足お先にシーズンオフになりました。俺が大会直前に怪我をすると優勝するようなので、来年は4回怪我します!」「俺が入ると準優勝しかしてないので今度は優勝したい!」
「川村のサーブ良かったねぇ。相手もかなり意識してたよ」「でも真正面のボールをアゴでレシーブしてた」(アンダーで腕に当ててからアッパーカットされる、いわゆるビギナーがよく痛い思いをするプレー)「確かにあのエースで完全にウチの流れになった。総合の抽選といい、なんか最近の川村にはあるかもね」「でもそれ以外はダブりばっかりだったからな。期待すると墓穴掘るから、期待しない」
「来年はどのポジションを狙うんだ?ピンサ?レシーバー?アタッカーか?」「・・・いやいやいや、セッターでがんばります!」
「よーし、帰ったらビールかけするぞっ!」「えーっ!?」
2004.12.03 (No.179)
すっかり忘れとった! HP開設5周年だった。(^.^) だからって何か企画は考えていなかったけど。
いやーっ、もう5年だよ。5歳も年取ったよ。始まったときは9人制のHPなんて数チームしかなかったのに、今や40チーム以上は軽く確認できます。
この前の全日本総合で写真撮ってたら「東北リコーHPの方ですね? いつも楽しく見てます」なんて声掛けられてしまいました。うれしかったですよ。
客観的に振り返ってみると、よく事細かにやってきたなあという感じでしょうか。公開しすぎでは?ってくらい詳しくチーム情報を公開してますから。こんなHPは他にないんじゃないかな? それだけ会社、部員の強力な協力があるからこそですが。
追い越してくれるHPがあったら、もう止めていいかなとも思うんだけどね。
2004.11.30 (No.178)
先日、某OBの結婚パーティにバレー部で出席しました。やっぱりこっぱずかしいってことでウラだけね。
ここではおなじみ、PIRATESさん企画のゲームとか盛り上がっていましたが、男子バレー部のパフォーマンスは未完成なので中途半端で支離滅裂。笑いは取ってましたがそれは哀れみの失笑でした。
2004.11.27 (No.177)
全日本総合決勝戦、第3セット13−16でピンチサーバー川村選手。決勝トーナメントの組み合わせ抽選で川村選手が引いた結果がこのような波乱を呼んだ?ので、ここは逆転の望みをかけて「最後も自分で締めくくれ!」的に門脇監督が送り出したのですが、残念ながらあっさり切り返されました。まあそれはそれで仕方ありません・・・
ところがどこでどう間違ったのか、周りでは“川村のせいで負けた”という話になってるそうです。ご愁傷様。
2004.11.22 (No.176)
全日本総合、良くも悪くも管理人の予想が当たってしまいました。その予想というのは・・・今年、結果が何となく群馬銀行と似ているなあと感じていました。ただし群銀より必ずワンランク下の成績で。実業団、群銀ベスト4、東北リコーベスト8。国体は準決勝で共に敗退するも群銀3位、東北リコー4位。
そして総合、群銀はノーシードから優勝・・・ということは東北リコーが準優勝なのでは? と思っていたら群銀と同じように第1シード枠に入るとこまでそっくりなので、土曜の夜に監督やマネに冗談半分で話しました。第1シードを倒してというところまでは同じではありませんでしたが、そんな予想にはまってしまうとは東北リコーらしくない! 決勝進出うれし、負けて悔しの複雑な心境でした。
2004.11.15 (No.175)
11月6日〜7日、福島市国体記念体育館で第1回東北クラブバレーボール選手権大会・みちのくカップが開催されました。
各県から6人制、9人制の男女各1チームが参加して行われ、男子9人制は鷹巣クラブが山形を下して初代チャンピオンになったようです。(宮城からは槻柳会が出場、準決勝で山形に敗北)
せっかくの東北レベルの大会なのに、ほとんど情報が入ってこないのは寂しいですね。そんなこと言ったら他の地方大会もそうですけど・・・もっと盛り上げて欲しいものです。
2004.11.07 (No.174)
埼玉国体のパネル写真が送られてきました。普通は全紙サイズ位(約55cm×45cm)なのですが、今回はそれを縦ふたつに割ったようなスリムサイズでした。今までに見たことないカタチですね。
ん?そこにポストイット(は商標で一般名称は粘着メモかな?)が貼ってあります。まあ内容は画像にて。
2004.11.04 (No.173)
埼玉国体でのこと。開始式選手退場時にマスコットの“コバトン”やミニボールを投げ込むので、もうギャラリーはてんやわんや(って言葉古い?)。東北リコーは佐藤敬、安重、遠藤が担当でしたが、連続で投げるんじゃない!撮影が追いつかんだろー(泣)。まあそこまで意識してたら凄いことだけど・・・
「わざとボールを転がしてた」。日下選手の怪我の犯人は川村選手という噂。昔、そういうやたら疑惑のかかる(いじられる)選手がいたねぇ。「同じ10番ですから」。!!なるほど。
その川村選手、打ち上げの居酒屋では「このチェーン店でアルバイトしてたことあるんですよ」と自ら注文を取ったり、料理を取り分けたり、料理を解説したりハッスルしてました。「接客楽しー!」と言うくらいですから、皆さんイジってやってください。
大会初日(総合開会式)に大型地震。不幸中の幸いは新潟県チームが出場していなかったことでしょうか。大型台風もあり天変地異が激しい今年、宮城の被害は少なかったものの他人事ではないです。 何しろ30年以内に宮城に大地震が発生する確率100%ですから。こんな風になったら大変だなあと思いつつ、防災などの準備はさっぱり・・・
2004.10.05 (No.172)
総合県予選、サイアクの雨で午後スタート。試合終了が16時半頃だったかな? 1試合棄権があったからまだこれで終わったものの、半日損した気分になってしまいました。結果論だけどウチ(東北リコー体育館)でやってもよかったね。
某ご家族の話。「いつもはねぇ、旅行とかに行けるんだけど・・・」。総合の全国大会は11月19日〜22日なのですが、東北リコーの休みも20日〜23日、4連休とバッティング。櫻田杯以外の全国大会の最終日は平日がお決まりですが、今回は休みなので山形だしトップレベルの試合も観られるし応援も期待できそう。でも連休だからなあ、逆に誰も来なかったりして。
2004.09.06 (No.171)
宮城県実業団選手権のパンフレットに記載されているチームの特徴。“セッター川村の柔らかいハンドリングから正確無比なトスと、そのトスを起点にした緻密なコンビバレー”
で試合後「いや〜、正確無視ですね」なんて自虐ギャグ飛ばしてる場合か川村選手!面白いけど。監督からダメ出しを食らってました。
この体育館、エンドライン後方が若干短め。そう言えばラインクロスの瞬間って撮ったこと無いなぁっちゅうことで、やりそうな選手に狙いを定めたらドンピシャ! オモテの正解は門田選手でした。分かった?
宮城県実業団選手権はウラ画像の宝庫、いつもよりレベルが違う。
2004.09.03 (No.170)
東北総体の予選はチームからモッパーが出ることに。セット間に拭いていると、突然主審に呼び止められました。小野寺選手、「早く出てけって言われるのかと思いました」。実際は拭き終わったあと、モップは壁に立てかけないで寝かせておいて下さいとのことでした。
怪我治療中の佐々木選手も応援に駆けつけましたが、宿泊はOBとの相部屋。「小学校の頃から運動してましたから、こんなに休んだのは記憶にないというか初めてですね」と言ってました。夕食のバイキングでは食べ過ぎて苦しんでました。しっかり治して復活してくださいね。
2004.08.02 (No.169)
茨城選抜との練習試合、半澤選手に替わって川村選手がピンチサーバー。ところが実は門田選手のサーブ順。間違いに気付いても、もうチェンジしちゃったからどうしようもない。そのままレシーバーとしてプレーしました。
しかしサーブ権が移動したら半澤選手と交代せざるを得ない。サーブカットの要だからね。「だって半澤さんが交代のジェスチャーするから…」。いや、前に誰が打ったかぐらいは覚えておかなきゃ。
当然次は半澤選手がサービス。ということで、せっかくチェンジしながらボールに触ることさえなく下がった川村選手でした。
2004.07.26 (No.168)
熊本のホテルでのこと。佐藤敬選手の部屋で夜中1時半頃、突然テレビがスイッチオン! 慌ててリモコンの電源ボタンで切ってもボリュームが勝手にどんどん上がりMAX! コンセントは冷蔵庫の奥で更に埋め込みタイプなので電源を切ることもできずにたまらずフロントにTEL。設備の担当者を呼んでも修復出来ず、結局1時間くらい悪戦苦闘してようやく電源を切ることができたそうです。
それにしても突然ついちゃうなんて真夏の怪みたいで怖いね。まさか・・・
大騒音なのに隣部屋の鈴木勇選手は「いや、寝てましたけど」。アンタ、天変地異でいち早く死ぬタイプだわ。
「そう言えばウラページのプレーヤーの画像、新しいユニフォームになってますよね?こまかい〜!」と門脇監督。とっくの昔に替わってたけど皆さん気づいてました? 背番号56ってのは全国初優勝した宮城国体の第56回にちなんで。
安重選手、「ウラページってどこから入るんですか?」で、すかさず今野選手、「そんなの自分で探せやぁ!」。その一言で管理人に聞きそびれ、まだここは見れてない模様。今野選手のツッコミぐらい軽くいなすようになんなきゃあね。
遠藤選手はアメリカ出張で練習ができず大変でしたが、よかったことも。なんとニューヨークでメッツの試合を観戦しました。羨ましい!
もちろんカズオ・マツーイのプレーも堪能。で、見せてもらったケータイの画像・・・ちっちぇ!誰この人?って感じでした。たった一人の出張ということで「通訳さんはいましたけど、英語分からないからかなりびびりました」とかなり心細かったそうです。ずーっと時差ぼけで深く眠ることもできず、日本に戻ってきて熊本のホテルでようやく超爆睡。オツカレ。
今大会は試合開始前に対戦チームをアナウンス(少なくとも決勝T以降は)します。「宮城県・東北リコー 対 大阪県・東芝大阪の試合を行います」。
ちょっと待て、今なんつった?場内みんな目が点に。緊張で口走ったのか?まさか紙に書いてあった訳じゃないよね? 何回練習しても信じられないようなミスは起きるものだと感じた出来事でした。
2004.07.14 (No.167)
つくばでのエキシビジョンは茨城選抜との間柄で実現しましたが、最初から東北リコー指名ではなかったそうです。やはり初めは近隣チームに依頼。しかし声をかけてはみたものの、都合がつかずことごとく断られ、最後の最後で東北リコーにお鉢が回ってきたという次第です。
第3セットは15点マッチ。事前の打ち合わせでは「40分」ということでした。しかし40分っていったら普通にストレート勝ちしても厳しい時間じゃないかな?
まあ関係者の思惑通りに事が運ばない、運ばせないのは東北リコーらしいっちゃらしいね。
パンフはフルカラーでかなり豪華、監督からの依頼で選手・スタッフの顔写真や試合の画像を提供しました。
それから、アピールの場ということなのでHP用の画像を依頼してましたが、チアガールに見とれて?撮るのを忘れたようです。雰囲気を伝えられず残念でした。
なんもないっつーのも寂しいので、パンフの画像を東北リコー関連だけならウラで公開してもいいっしょ。
2004.07.07 (No.166)
国体県予選、日東電工vs船岡自衛隊は大熱戦。というよりもちょっと荒れた試合でした。昨年の東北リコーvs横河電機戦に似ていると言えば何となく分かるでしょうか。日東はどーにか勝ったけど、かなり苛ついてました。まあ強くなればもっと残酷なことに遭遇しますよぉ。覚悟しておいてください。(^^)
東北リコーも強豪になったからこそ自制心が出てきましたが、あの選手が数年前なら罵声浴びせてポールひっぱたいてイエロー確実だったね。
今大会は1コートでの試合。初戦はいつものようにギャラリーから撮ってましたが、なかなかない機会なので決勝戦は下に降りてベンチ裏から撮影してみました。下からだとアタッカーの格好いいところは難しいのでレシーブが中心となりました。たまにはこういうアングルも迫力があってイイですね。
あーそれから、試合開始が9時頃って聞いてるのに、9時過ぎにやっと開会式ってのはよくないね、前回もそうだったし。朝の貴重な時間、遅くやるならやるで、きちっとした時刻に始めてもらいたいものです。と監督も言ってました。
2004.06.13 (No.165)
佐藤仙マネの結婚を祝う会、普通の2次会みたいな感じかなあと思っていたら、司会者はいるし新郎新婦は前の席に座るし、上司や知人のスピーチもありました。山形から駆けつけたOBの鈴木弘さん、ちょっと遅れてきたのですが、ラフないでたちだったため「みんなスーツ着て入りづらかったや〜」っと言っていました。
さて東北リコーとパイレーツのハンドベル対決は和音を駆使したパイレーツの勝ち。っていうかテーブルで自分のパートをマーキングしてる時点で負けですけど。でも東北リコーも4曲演奏するなど上達しているようであります。スピーチもね。
垂れ下がるリーゼントを支えながら熱唱した川村選手、今回のデキに「ん〜40点ぐらいですねぇ、まだまだこんなもんじゃありません!」。今後に期待しましょう。
もう登場しないんじゃないかと思われたロックンローラーは新曲披露で拍手喝采!今年もウラMVP候補筆頭か?
忘れないように書いておきます。佐藤仙マネ、帰り際に「このHPを継ぐのは俺です」と断言しました。その日が来るのを期待して待ってるよん。
2004.06.10 (No.164)
「意外と使うので今年も作って下さい」と門脇監督から部員紹介パンフ作成の依頼があり、鷹巣クラブとの練習試合の昼休みに安重選手を撮影。これは紙ベースでの紹介用なのですが、当然このサイトにも流用。で、なにやら先輩達に言われて小道具を持参。
マウスポインタを置くと画像が切り替わるのを知っていて、それ用に何かしたかったようですが、「すいません、案が思いつかないので今度にして下さい」「おいおい、今度って早くて来年だぞ? その持ってきたのくわえたら?」と口にしたのがサクランボ。赤みがないのでちょっと見、分かりづらいかな?
この画像切り替わりが何故か人気があるようで、その点、江口、半澤、鈴木勇の3名はただ漠然と写らず、管理人からの要求もないのにその場でシャレたのはさすが。来年は全員が切り替わってるような・・・皆のセンスが分かるかも。
2004.06.07 (No.163)
鷹巣クラブとの練習試合の日は目と鼻の先にある表蔵王国際ゴルフクラブで行われるJCBクラシックの最終日。ということで例年通り東北リコーの駐車場を開放してシャトルバスを運行してました。管理人はゴルフをしないので興味はありませんが、自然との闘いって厳しそうです。バレーは雨が降っても濡れないからいいよね。7日から宮城も梅雨入り、うっとうしい季節が始まりました。
2004.05.15 (No.162)
よかったですねえ。アテネオリンピック最終予選で全日本女子が早々に出場を決めました。上位と下位のチームの格差があったので最低でも最上位とアジア1位を除く上位2チームにはなるだろうと予想していましたがまさかここまで全勝とは。もちろんホームの利を存分に活用したのは言うまでもありません。ちょっとショー的すぎるのも困りものです。ほんとに試合を見たい人が入れないよ、あれじゃ。
確か開催国は2試合を自由に決めることができます。予想としてはデータバレーを駆使するランキング最上位国・イタリア戦を調子が出にくい初戦に持ってきたのと、全勝で1日休んで韓国戦というのをコントロールしたと思うのですが、ロシアが最後っていうのも出来過ぎですしね。それについてどっかにログあったかな?
まあでも韓国戦は相手のミスが多かったもののプレッシャーにも打ち勝ち、久々に“やるじゃん、日本も”と思わせました。やはり強いって盛り上がります。
目標をオリンピックでのメダルに設定したことも大きいです。予選突破を目標にしていたらダメだったかもしれません。一歩高い目標を掲げる大切さを感じました。
2004.05.08 (No.161)
ZAOカップは選手の奥さんと子供が観戦に来てくれました。こう見ると既婚者も多くなりましたね。さて、ある選手が言ってました。「サーブの時、やたら早くホイッスルを吹く審判がいました」。ナルホド、ここら辺はまだばらつきが大きいのかもね。でもさ、サーブ前にだらだら時間を稼ぐ動作をしっかり見透かされてんじゃないの?とも思ったわけで。
2004.04.26 (No.160)
河北杯は優勝こそしたものの凡戦。メンバー取っ替え引っ替えってのはあったにしろ、いつものプレーができていませんでした。門脇監督は「2セットは取られてましたネ」と言ってました。ここまで追いつめたならセット奪って慌てさせて欲しかったですねぇ。まあコート内はかなりアップアップだったようですが・・・
不幸中の幸いは田尻だったこと。ギャラリー少なくて無様な姿を見せずに済んだからね。あるOBがこれを見たらヤジ飛びまくりだったかもしれん。
2004.04.21 (No.159)
河北杯組み合わせの情報をもらって、サイトの更新。その後、県協会へアクセスしてみたら、もう組み合わせが載ってました。はやっ!…そう心の中で叫びつつ、久しぶりに「負けた!」と感じました。(つーか、勝ち負けじゃないんだけど)
東北リコー以外の試合の詳細も分かるのでありがたいですね、やっぱり。
2004.04.08 (No.158)
分からねぇ…分からねぇよ、ランキングでのスーパー9の格付けが。参加チームが少ないため、、単独チーム出場不可の当分の凍結と、選手の2年連続出場不可という制限が撤廃されたようです。「やっぱりね」と思った方も多いんじゃないでしょうか。
しかし開催が12月というのは変わらず。連週かバッティングするかもしれない櫻田記念に出場の実業団12チームは、スーパー9には出ない確率が大きい。他のチームも12月まで活動するというのは大変なのでは?
だから初めから都市対抗の代替として6月にやってればスムーズに移行できたハズなのに!大人ってイヤね。予選もあるので「時期が時期なだけに、よく検討しないと」と門脇監督も言ってました。参加チームを増やしたかったら12月はダメ、持ち回りもダメかな。
さて、出場資格がフリーになったからには「勝手にランキング」として総合、国体と同じ配点にするべきなんでしょうが、トップが出られないような大会を総合ランキングに加えるかが悩みどころです。来年また規定が変わりそうだしね。いい加減にしてほしい。
国体も先延ばしにはなったけど結局廃止の方向だし・・・JVAはやっぱり9人制を軽んじてるねぇ。
2004.04.06 (No.157)
この前、現役復活の記事を載せたら「やっぱり見てるんですね。みんなから言われましたよ」と門脇監督。信じ切ってた人もいたそうで、以外と分からないものですね。でもそういう人がいるのがウレシイ。しかし中には「ジョーダンじゃなくてほんとに復帰したら?」と望む人も。
「でもこれで復帰できなくなりました」と、ちょっぴり残念そう。復帰したらエイプリルフールじゃなくなっちゃうからね。いや、もしかして・・・
そうそう、書き忘れてた。先日のハッピーリタイア激励会で、平塚さんがここで何回か話題に上っている轟音イビキの人と初めて同室に。知らずに泊まった感想は「凄い! 自分のイビキで死ぬんじゃないかと心配になった」そうです。最後の最後でこんな経験するなんて・・・他のOBも「人間じゃない」と言ってました。部屋割りは自由だったので、その豪快さを知ってた人は隣の部屋に逃げ込み難を逃れたとさ。
2004.03.30 (No.156)
ハッピーリタイア激励会では平塚さんに記念品が贈られました。工藤選手からはネーム入りのジャージ、門脇監督からは選手・スタッフ全員の直筆メッセージ。メッセージの内容は分かりませんが、訳すのが必要な文章があったかも。まあそこがイイんですけどね。
この日のために北海道から駆けつけた岡本さんは涙ながらに花束を手渡してました。「感動を与えられるのは東北リコーしかいない!」と部員に向けた岡本さんのメッセージには力がこもってました。
で、管理人からは門脇監督からの依頼でHPを開設してから現在まで公開した出来事を納めたCD−ROMを。データ的にまだCD1枚に余裕で収まるレベルでした。
とはいえ、過去ログは残していても再編集は一苦労。今後更にデータが増えるから、都度編集してたらきりがない。ので、もう依頼があっても作らないよと宣言しました。(^^ゞ
2004.03.24 (No.155)
いやいや〜、越えましたねカウンタ10万! 前日であと50くらいになって、23日は怖くてサイトにアクセスできませんでした。だって自分でキリ番ゲットしたら間抜けっしょ?
4年と4ヶ月で達成したわけですが、日割りにすると約63アクセスとなります。初めは画像やBBSもなかったため伸びませんでしたが、最近は多い時で500近いアクセス(これは高知か静岡の国体決勝の日だったかな?)もあります。連続アクセス対策(同じパソコンで短時間に何回見てもカウンタがアップしない)もあるので、実際はもう少し多いでしょう。
ありがたいことです。
ただ、ここまでくると逆に考えるのが「止め時」。ここが個人で運営しているサイトの悩み、永久に続けることはできませんからね。HPもここまで成長したのにいつかは終わりが来るのかなあと。
部員の誰かに引き継げればベストですが、「止めるなんてまだまだ早すぎるよ」と言われそうです。西田さんとこ(VB9com)が閉鎖するまでは止められないかな?
2004.03.15 (No.154)
栃木遠征でのキューバのニコラスさん。さすがに9人制は慣れていないようで、東北リコーの繋ぎに感心しきりだったようです。これでキューバにも9人制を伝えてもらうと面白いかも。ただ、9人制の技術を6人制に応用されて強くなるのも困りますが…。日本は手本が身近にいるのに、使おうとしませんからね。
2004.03.08 (No.153)
日東電工との練習試合、前日だったら雪で大変でしたね。
さて、トピックスでもご紹介した「あしくびかんたん」。他にも「ひざかんたん」とか色々バリエーションがあります。昔はこんなテープは存在していなかったので、知識がなければ“とにかく固めとけ”でした。キネシオとかスパイラルテープとかテーピング技術も日進月歩ですね。
2004.02.19 (No.152)
ついに出来たね!県協会のHP! 「やっぱりバレー王国と名乗るなら、協会のHPがないと」と言っていたのですが、「やる人がいないんだよねぇ」という返事でムリかなあと思っていたのですが・・・
先日、納会のパンフを眺めていたら、納会に出席した監督に聞いても「そんなのありましたっけ?」って言われるくらい、なにげにURLが。え?まさか・・・とアクセスしてみたら、しっかり出来上がってました。(も〜、早く教えてよ)
とにかく、色々活用させていただきます。あ・と・は・高校、大学などの学校関連が単独で開設できれば完璧!
2004.02.13 (No.151)
先日、ある方からこんな質問のメールが来ました。
「相手からの返球がネット際だったので、プレーヤーAが拾ったがネットにかかった。その球を再度プレーヤーAが上げた。
プレーヤーBがその球を拾ったがまたネットにかけた。しかしプレーヤーBが再度拾い、それが相手コートに入った。合計4回の接触だがドリブルを取られた。2度のネットプレーは反則か?」というものでした。
管理人はこの文章を読んだとき、すかさずドリブルじゃんと思ったのですが、ルールブックには2回はダメだよと記載されていません。ということで知り合いの審判さんに聞いてみたのですが、「できないなぁ、ドリブルじゃないの?」という返事。しかしその審判さんも不安になって、更に上級の方に聞いてみたところ、「そんなのOKに決まってるだろ!」と事も無げに言われたそうです。
つまり、4回接触内なら2度のネットプレーはグッド! いやー、思い違いしてました。審判側から言えば「たまにあるよ」ということでしたが、こういうシーンって希ですよね。
そんなのジョーシキだって? でもそのシーンを思い浮かべてみて下さい。相手がネットプレーを2度した瞬間・・・ほーら、「ドリ、ドリ!」って叫んでるでしょ?
そうそう、白い巨塔の里見助教授の使用しているPHSが、管理人と同じ機種なので妙に嬉しかったりする。(^^)
PHSなら院内でも使えるってことかな。
2004.01.28 (No.150)
「どうしたらいいですか〜」と、K選手が泣きついてきました。聞けば、デジカメで撮ったデータを転送してたらパソコンの電源が落ちて読み取れなくなったらしい。
まあよくある話だね。このサイトでも読み取りエラーになってから復活した画像を掲載したことがありましたが、それはスマートメディアでのこと。今回はコンパクトフラッシュ。スマートメディアなら無料修復してくれるとこがあるけど、コンパクトフラッシュは・・・「修復のソフトがあるから、まずは試用で使ってみたら? 保存はできないけど修復できる画像を表示してくれるよ」とURLを教えてあげました。
ほどなく、「表示されました!イケそうです!!」との返事。ただネックなのが金額。「って言ったって5〜6千円だろ? カネと写真、どっちが大事なのさ」。
倹約家なのか、極度の財政難なのか、財務省が厳しいのか分かりませんが、ここまで結果が出てもかなり渋ってました。
そんなこんなで数週間・・・何の音沙汰もないのでまさかね・・・聞いてみると、「まだ買ってません」。予想通りだよ、踏ん切りつけなきゃあ。
2004.01.24 (No.149)
2004年も練習が再開されましたが、かなりきつい?筋トレでS選手が筋肉痛で悲鳴を上げてました。「電話の受話器も取れなかったです」というコメントに「いや、そんなきつくないですよ。基礎的な筋力がないね。よく優勝してるよなあ」と門脇監督も苦笑。S選手の車がマニュアル車なので、体をねじ込むようにシフトチェンジしているそうです。
ちょっと業務多忙で練習参加していないE選手にたまたま会ったので「筋トレきついぞー」とあおると、「ホントですか?やべー」とびびってました。
話は全く違うけど、リコーラグビー部が最終戦に勝ってなんとかトップリーグ自動降格を免れました。グループ企業なんでちょっとは気になりますが、こういうギリギリの状態で実力を発揮したのは流石です。まだ入れ替え戦が残ってますが、頑張って欲しいと思います。
2004.01.11 (No.148)
新年会でのこと。大沢総監督の挨拶によると、扁桃炎で年末3日間入院していたそうです。なんとか新年は自宅で過ごしましたが禁酒だったため、この日が総監督にとっての正月。おいしそうに飲んでました。
引退した太田さんが新しいメガネに。実は納会で胴上げしたとき、キャッチ失敗で畳に落ちた拍子にメガネが壊れてしまいました。(フォトギャラリーの画像で太田さんが絆創膏貼ってたの気づいた?)
そしてトドメは江口選手が踏みつけ(たらしい)・・・度がきついので小さいレンズにしてフレーム付きにしないと格好悪いらしいです。OBになって早々大変でしたね。