2006.12.30 (No.240)
納会にて。特に考えていなかったのか、「え〜それでは私が」と、主将兼幹事が自ら乾杯の音頭を取るという行動に出ようとしました。オイオイ、普通の飲み会とはちょっと違うんだからさ、さすがにそりゃないでしょってことで回避されました。
折角来たんだから、やっぱ温泉に入らないと。ってことで、なんだかんだで管理人とOBの2人で3時頃に入浴に行きましたが、なんと清掃中で5時まで入れない。となると余計に入りたくなるもの。そこで見つけたのが家族風呂。22時以降は予約なしで入れるので、まあこれで納得。「しかしまさか2人で家族風呂なんて考えられないね」と苦笑い。
同室OBの部屋番(部屋のカギを持っている人)が、1次会か2次会かどこかでカギをなくしてしまいました。フロントに頼んで開けてもらいましたが、朝になっても見つからず。戸締まりできないので、朝食は貴重品を持って出ることになりました。温泉郷ホテルのカギってでかいから、見つかりそうなもんですが・・・・無事チェックアウトできてよかった。
2006.12.23 (No.239)
第7回東北リコーバレー部応援のページ・フォトMVP発表!
この1年、画像で最も貢献してくれた部員を勝手に表彰するフォトMVPの季節がまたやってきました。
(思いがけない画像、綺麗に撮れた画像、決定的瞬間、経緯に思い入れがある画像などが選定の対象・・・なんだけど、まあ適当)
2006年は佐藤敬選手に決定、おめでとうございます!
全日本総合、櫻田記念と稼働時間は短かったものの、迫力あるプレーを提供してくれました。苦悶の表情で攻撃、負傷からの復活、そして敵味方構わず撃破する暴れっぷり、で決まりです。来年はスーパーサブから「サブ」が抜けることを期待!
それでは佐藤敬選手を象徴する未公開画像をどうぞ!
フォトMVP
準MVPは半澤選手。これも櫻田記念ですが、暗い体育館ながらレシーブシーンがバッチリ写ったのは嬉しかったですね。ただ、昨年MVPだった分、あと一歩ということです。
ウラMVPは・・・なんつーか、追随を許さないね。掲載数でも2位にほぼダブルスコア・・・ハンデをつけたとしても、追い越す者が見あたらず、川村選手が堂々?の3連覇!
ウラMVP
準ウラMVPは、これまた3年連続今野選手。“鼻血”を撮ってたら、あるいはだったかもね。佐藤敬選手も、ある意味こっちに近いところがあります。
オモテ MVP | ウラ MVP | |
第1回 | 佐々木 秀樹 | 今野 広勝 |
第2回 | 江口 達也 | 太田 宏明 |
第3回 | 岩渕 征宏 | 半澤 健一 |
第4回 | 佐々木 秀樹 | 門脇 純也 |
第5回 | 高橋 健一 | 川村 裕貴 |
第6回 | 半澤 健一 | 川村 裕貴 |
第7回 | 佐藤 敬志 | 川村 裕貴 |
それではまた来年!
2006.12.15 (No.238)
櫻田記念にて。川村選手が練習中か試合中か分かりませんが、おもむろにジャージを着たら「ん?○○くせーな」と一言。番号を見たら“2”のマーク。「やべっ!」と慌てて脱いだときには時既に遅し、失言はしっかりチームメイトに聞かれ、打ち上げでチクられてました。
JT東京戦で遠藤選手がレシーブしようとしてジャンプ一番、足をつって交代となりました。控えメンバーは高橋、川村、佐藤敬選手だったから、当然ここは川村選手のはず。しかしそれを気付いているのかいないのか、なかなかジャージを脱ぎません。高橋選手が「早く脱いで」と催促しても我関せず?状態だったらしい。「脱いでましたって!」と反論してましたが・・・
帰りの電車で今野選手が寝ながら鼻血を流してました。東京でいいことあったのかな? 何かのプレーで鼻に当たってから弱くなったらしいですが、お疲れモードのようです。かく言う管理人も、車内におみやげ忘れそうになりましたけどね。(^^ゞ
2006.11.14 (No.237)
全日本総合、帰り(月曜日)は宮崎→羽田→東京→仙台・・・と、飛行機乗り継ぎの予約が取れなかったので、新幹線を乗り継ぎました。「3連休なので、もし最終日に残らない場合はいつも以上に予約が難しくなるので、事前では日曜日のチケットを予約してました」と佐藤仙マネ。門脇監督、「それっておかしくない? 負け前提だよね」。よかれと思ってでしょうが、どこか心の隅がネガティブイメージになってたのかもしれません。
負傷の佐藤敬選手、最終日はホテルで待機することに。しかし食欲に負け、昼まで待てずに外出して患部を悪化させてしまいました。負傷原因がそこら辺に関係してるようだし、自覚していかないと、せっかくのチャンスも自分で潰してしまいますよぉ。 名誉のため、哀れな姿はあえて画像に収めませんでしたが、「載るんだったら、別に・・・」と、ちょっと残念そう?
2006.10.25 (No.236)
練習試合で工藤選手が佐藤敬選手に体当たりされてました。「勇介がいる時のネットプレーは大体俺が取ることになってるので・・・」と工藤選手。ネットプレーしようとしたら、積極果敢な佐藤敬選手が突っ込んできて吹っ飛ばされたってわけ。何かこの時期になると山形県人が元気になるね。
2006.10.16 (No.235)
兵庫国体にて。空きがあるということで、結局全員西明石のホテルに泊まれることになりましたが、実は未登録選手などのサポート部員&管理人はちょっと離れたホテル(元町)に宿泊することになってました。そしてそのうちの一泊(連泊予約ができなかった)はホテルオークラ神戸!(神戸ポートタワーに隣接してるあのホテルですよ)だっただけに、ちょっと残念!?
公開競技ながら、やはり高校硬式野球の人気は凄かった。「ハンカチ王子」(この言い方ってカッコイイの?)はファンサービスで試合前に買ったハンカチを使ってましたね。それってバレー会場にもあったかな。でもそのニュースを知ったのが明石を離れたあと。勝ってもう1日残ってたら買った・・・・かも?
2006.09.27 (No.234)
県協会60周年記念式典の各感謝状表彰のうち、8名の優秀監督(全国大会5回・5年以上出場)が対象者として表彰されています。国分秀男監督(古川商高)、佐々木繁雄監督(東北高)、岡崎典生監督(古川学園)、伊藤和彦監督(仙台育英)、目黒和哉監督(NTT東日本宮城)、佐々木一明監督(ささにしきクラブ)、大澤由布樹監督(東北リコー)、門脇純也監督(東北リコー)・・・そうそうたる顔ぶれですね。
と、突然スピーチをすることになったそうで、東北リコーから2人も挨拶する必要はないでしょってことで、ここは門脇監督が担当。「マジっすか?」と、ちょっと動揺したものの、そこはうまくまとめてたようです。
国際大会も開催されていますが、ここ10年でのビッグイベントは何と言っても宮城国体。そこで優勝できたのですから、そのめぐり合わせは凄いことです。しかもそこから3連覇ですからね。あ、依頼があった画像は記念誌(しかも予想以上に豪華)にしっかり載ってました。こういう企画の一端を担えることは、HP管理人として嬉しい限りです。
2006.09.05 (No.233)
東北リコーの体育館で県予選をやるのはいいのですが、やっぱり撮影には暗い。築20年ですからね、そりゃ暗くもなるでしょう。切れてるところもあるし、1日中点けっぱなしではないけど、もう寿命じゃないの?
今なら低コスト高輝度長寿命のランプがありそうなので、是非交換して欲しいですね。
「スパイだね」と笑っていたのが門脇監督。先の東北総体、紅白戦で駆り出されたOBの中村さんが敵チームとして対戦することになったからです。
現役の時よりうまくなった?・・・でも体力的にはかなりキツそうです。対戦前には「まあ疲れる前にやられるでしょう」と話してくれましたが、いえいえ善戦してましたよ。
2006.09.01 (No.232)
東北総体にて。開始式の前の審判講習会で紅白戦が行われましたが、メンバーが足りないためスタッフ、OBも選手として参加しました。管理人は残念ながら参加していないので観戦しませんでしたが、「監督とかもユニフォーム着ましたからね。なかなか見られないですよ」・・・って思うんなら撮っとけよ。まあ気が利かないというよりも、みんな参加で撮る人がいなかったってことで。
2006.08.01 (No.231)
ヒスイカップ、住電戦は実業団と同じような点数だったけど・・・と門脇監督に聞いたところ、「ええ、内容も殆ど同じですよ。・・・相手苦しくてタイム取ってんのに川村サーブふかすし・・・直下型ゲンコツ食らわせてやろうかと思った」と苦笑い。
それからバレマガ9月号見ました? な〜んか見たことあるような画像ですが、当HPからの転載です。実は記者さんのデジカメが故障で撮影できなかったため、各チームが集合写真の提供をお願いされたわけ。
最初はそれだけだったのですが、後日試合の画像も掲載したいという依頼が来た次第です。因みによく見ると雑誌とHPの集合写真の画像は違います。2回撮ったからね。
2006.07.23 (No.230)
全日本実業団、他の試合で第2セット19−12くらいで劣勢のチームがタイムアウト。これを見ていた門脇監督、「逆転を狙うにしても、ここまできてのタイムってどうなんでしょう。これってある意味、遅延行為じゃないの?(笑)」名言です。
サブコートの試合は3階なので尚更暑かったですが、カーテン越しに窓が開いていたので、ベンチ側には時折涼しい風が吹いてました。
今野選手:「いやー風が吹いて寒いくらいだったよ」。
川村選手:「それってアップしてないってことじゃないんですか?」。
今野選手:「・・・・ゴルァ!」。
2006.07.01 (No.229)
7月2日、合唱・吹奏楽団によるコンサートが行われます。東北リコーが共催しており、4回目を迎えます。で、6月30日の夕方に放送された地元ローカル番組のイベント告知コーナーで紹介したのですが、その大役を担ったのが門脇監督。
正味1〜2分とはいえ、生放送ですからね。そこは取材慣れしてる?成果を発揮したようです。まあでもメインは一緒に出演した小学生達だったので、目立つこともなく淡々と告知してましたけどね。
「いや、自分だけだったら持ちませんよ。それにしても仙台駅前だったんで暑かったし恥ずかしかったですね」と、門脇監督。周りからはユニフォームでも着てバレー部をアピールしたら?と冗談を言われたりもしたそうです。オツカレ。
2006.06.07 (No.228)
南三陸カップは管理人が観戦しなかった(マネージャーも不参加)ので、何らかの方法でデータを送信してもらうことに。ファックスでということになったのですが、受信後に即、門脇監督からケータイがかかってきました。「送れたかどうかちょっと自信がなかったもんで。ファックスがゼロ○○○だったんで操作がよく分からないんですよ(笑)」。
2006.05.17 (No.227)
宮城県バレーボール協会が創立60周年の還暦を迎える(迎えた?)そうで、記念誌を作成します。そこへ載せる写真(画像)の提供ということで、関係者から大沢総監督を通じて管理人に依頼が来ました。自分の撮った画像がそういう誌面に載るなんて考えもしなかったのですが、誠に光栄なことですね。
2枚という話だったので、ここは無難に初優勝の宮城国体の集合写真と3連覇達成の静岡国体決勝のシーンをセレクト。後日、まだスペースがあるようなのでもっと載せたいということになり、「あと5枚くらい送ってけね?」との連絡がありました。
そんじゃってんで8枚送ったら、更に優勝シーンも欲しいという再再度の依頼があり、2枚送って都合12枚となりました。全部載ったら凄いなあ。
エー、HP参考用として1冊下さ・・・いや安く譲って下さい。(^^ゞ
2006.05.04 (No.226)
ZAOカップも無事終了しましたが、ネットの件でいきなりつまずいてしまいました。Cコートのネットはあったがポールと合わず、ポールを借りてくることに。何で置いてあるネットとポールが合わないの?とは思いましたが、実は倉庫の奥の方にそれ用のネットがあったことが判明。
翌日そのネットで張ろうとしたのですが、巻いても巻いても緩んだままでなかなかピンと張ってくれない・・・結局昨日使用した組み合わせに落ち着いたというドタバタ劇でした。
ポールとネットがあったら普通はそれ以上の確認はしないで安心しちゃうからね。
2006.04.25 (No.225)
現在、アニメ番組・サザエさんのオープニングは宮城県の紹介なのですが、そこに出てくる一目千本桜とそれを一望する船岡城址公園は地元・柴田町の名所。さくら祭りの真っ最中です。因みに宮城紹介は春編と夏編で半年も続くそうですよ。
さて、先の審判研修会において安重選手の強烈サーブが今野選手の指先を直撃! かなり痛がってましたがプレーは続行。しかし後に病院へ行ったところ、亀裂骨折と判明。何故プレーできたのかというと、手にボールがうまく当たらなかったから。←この理由もすごい。
“今野の怪我に優勝有り”とするなら、これは吉兆か? でも大会直前じゃないと効力が・・・ってオイ。\(--;)
その今野選手、河北杯で血まなこになって行方不明のボール2個を探していました。が、それは6人制の試合球に使用されていることを知らされて苦笑い。ちゃんと教えてあげなよ。「ってことは試合が終わるまで帰れないの?」
9人制は3試合だったので午後イチには終わりましたが、6人制はまだ熱戦が続いています。まあそれは送ってもらえることになりました。
試合終了後の川村主将への取材。長く話しても、紙上では一言だけなんてざら。しかも同様な取材で門脇監督、佐藤孔選手の方が時間をかけているようだったので、果たして主将のコメントは載るのか?と思ってましたが、門脇監督よりも多かったね。
でもやはりインパクトは安重選手のカラー画像には敵わなかったかな?
2006.04.19 (No.224)
審判研修会でのこと、何故かボールを持ってくるのを忘れてしまいました。「ネットは9人制用がないかもしれないので持って行くように指示はしましたが・・・ボールは常識でしょ」と門脇監督は呆れた表情。「まあこれは誰が悪いではなくてバレー部全体の責任ですが」と言っていましたが、これがプレーにも少なからず影響しているかも。“他人任せ”“言われたことしかできない”なんてことにならないよう頑張らないとね。
体育館には月刊バレーボールの雑誌が置いてありましたが、これがまた古い。「ワールドカップ81? まだ5歳ですよ」と佐々木選手。ハイマン、郎平と言っても「誰?」。
縛られていて中身までは見られませんでしたが、表紙だけでも往年の名プレーヤーを懐かしく思いました。探せば福祉大・佐藤伊知子監督の勇姿があったかもね。
何故か福祉大が9人制男子のビデオ撮りをしています。聞いてみたところ、「夏の大会(ミニ国体)は9人制で出場するので、参考のために撮ってます」とのことでした。
練習でさえチャンスボールは殆どアンダーを使ってるので、それがオーバーになればなあとは思いますが・・・6人制にフィードバックしてもらって、更に強くなって下さい。福祉大が全国制覇して9人制練習のおかげとなれば、尚いいですなあ。
2006.04.04 (No.223)
4月1日は休日だったこともあり、「去年に比べて反響はかなり少なかったですね」と門脇監督。「背番号はアレ?って思ったけど・・・こんな髪型したヤツいたっけかなーって真剣に考えましたよ。頭も画像加工したんですね、ナットク。でも細かいなあ(笑)」。
来年も休日なんですよねぇ。今度はトピックスにそのまま載せておこうかな。
2006.03.27 (No.222)
バレーフェスタにて川村主将が部員紹介することになりました。しかし何の前触れもなく門脇監督からその場で指名されたので、川村主将は動揺。並び位置が悪く、前に並んでいた岩渕選手を飛ばしたので、指摘されて更に緊張が高まることに。
そこで自分より目上を「さん」、目下を「くん」づけで呼んじゃったので尚更混乱、目上に「くん」づけして笑われてました。まあ彼らしいけど。
突発性の事件が発生しても冷静に対応することに慣れていかないとね。
2006.03.06 (No.221)
小野寺選手の結婚披露宴の余興を何にするか、披露宴2日前になってもなかなか決まらない。最初はビデオレターみたいのにする?って方向でしたが、出席するのにビデオレターはおかしいんじゃねぇの?ってことになり・・・主将、副主将はどうやらインパクト勝負に出たようですね。曲は至ってマジメなORANGE RANGEの「花」熱唱でした。
都合で出席できなかった門田選手のビデオレターがスクリーンに映し出されるはずだったのですが、機器の故障?で音声のみとなり、途中で打ち切られて次の余興へ進行してしまいました。冒頭の「こんにちは、まつおかしゅーぞーです」の声が空しく響く・・・ 更に川村・安重コンビの曲も歌詞が出ない不具合が発生、間延びしてしまいました。門脇監督は「そこをうまくつないでいかなきゃ」とダメ出し。まあ今年のスローガンが“つなぎ”だけにね。
最近のウラMVP選出には、こういう場所でのパフォーマンスが重要なファクターを占めているので、川村選手と安重選手が大きくリードかと思いましたが、そこへ男泣きの小野寺選手が割り込んだって感じですね。今後どういう展開を見せるでしょうか。
2006.02.14 (No.220)
宮城県協会納会で恒例の抽選会が行われ、大沢総監督が見事当選、「手袋」と「サポーター」をゲットしました。ところが二次会の店に忘れてきてしまい、現在調査中とのことでした。
あれ?なんか少し前にもこんなことなかったっけ・・・「またまたのまれました(>_<)」と大沢総監督。ちょっとヤバくない?
→“表彰式で貰った賞状、盾を入れた袋に入ってました”とのことでした。
2006.02.05 (No.219)
「栄光の跡」作成にあたり、ご協力をいただいた皆様にお礼申し上げます。m(_ _)m
全国大会は大体パンフレットとかに載っていますが、折角だから県大会レベルも分かるなら載せてみようか・・・と思って協会に問い合わせる前に手元にある資料を参考にしたり知人に聞いてみることにしたのですが、それにしても記憶っていうのは如何に不鮮明なことか。
数年前のあの試合の相手ってどこだっけ?って当事者に聞いても、ほとんどが知らない、分からないでした。
県大会は実業団とか国体予選とか他にも色々ありますが、県協会によると「平成元年からの記録は手元に保有しているが、それ以前はどこにあるか分からない」ということだったので、全てが揃わないなら載せないことにしました。聞けば全部分かるだろうから簡単だと思ってたのは甘かった。でも意外と管理ってしっかりしてないのね。
それでも埋まらないところは各方面に尋ねまくって何とかデータは寄せ集めました。その他、全日本総合は平成17年が何で第75回なのかっていうのも判明しましたね。
今回は東北リコーに特に関連がある大会を載せましたが、機会があれば他の大会を載せてもいいかなあと思っています。
過去の記録は無くても困りはしないですが、せめて自分のチームの歴史ってどーなの?っていうのが分かると、また違った取り組み方ができるかもしれません。
幸い、ウチは昔から割と組織がしっかりしてたので、バレー部物語みたいなものも作れたわけです。チームがどういう活動をしたか、残せるときに残しておかないとね。
2006.01.16 (No.218)
ちょっと手狭ながらもバレー部新年会が行われました。納会終わって半月ちょっとってことで、もう新年会かって感じではありましたが、新主将の最初の仕事がこれの幹事となりました。
因みにフォトギャラリーで、なぜ佐藤孔選手だけの立ち姿があるかというと、彼が〆の挨拶を指名されたからです。んー、堂々と言えるようになったら選手として一人前かな?
この日は雨でしたが最近は大雪のニュースが多く、蔵王エコーラインぐらいじゃないと見られないような積雪ですね。こちらは殆ど積もらず、東北とはいえ恵まれている環境でしょう。夏もめちゃくちゃ暑いというわけでもなく、台風も少ない。これで地震がなければね・・・
2006.01.04 (No.217)
川村選手の主将指名は予想していなかったので驚いたね。いままでもそういう経験はなく、「いやー、親に電話したら“オマエ、大丈夫か?”って言われましたよ」と笑って話してくれました。「オレもコメントを求められるようになりましたねー。まあでも役職が人をつくるってことで頑張ります!」と、ただの酔っぱらいなのか?よく分からない自信を見せていました。
いやでも飲み会の幹事とか、他にも役を持ってるよね? そういう主将がいてもいいけど・・・「心配ですが後輩に譲ると思います」と寂しそうでした。