プレーヤー

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2008.12.22 (No.299)
第9回東北リコーバレー部応援のページ・フォトMVP発表!

この1年、画像で最も貢献してくれたと思われる部員を勝手に表彰するのがフォトMVP。とは言っても劇的なエピソードとリンクするなら、何が何でも画像だけというわけではありませんが。

ということで2008年は針生選手に決定しました。おめでとうございます!
昨年のウラから一転のオモテMVP。もともとハーフセンターは画像的、決定力的に最も“オイシイ”ポジション。第1回、第2回がハーフセン選手の受賞ということからも、中央に位置しているだけでシャッターチャンスが多くなり有利。加えてここぞの決定力も上がり、素晴らしかった。
針生選手の未公開画像をどうぞ。
フォトMVP

準MVPは石川選手。身長のことを言われると本人は嫌がるでしょうが、あの背丈でトップチームに挑むこと自体が凄いこと。惜しむらくは、まだ全てを出し尽くしていないような雰囲気に見えたところでしょうかね。つまりまだこんなもんじゃないだろ?ってことです。

ウラのフォトMVPは梅津選手に決定しました。これはもう試合に出る機会が多くなったことに他なりません。純粋にプレーのみで獲得するのも珍しいことであり、そこが“アナタとは違うんです”(^_^)。動画でもしっかり撮れてましたし、異論ないでしょう! これを糧に、オモテMVP目指して頑張ってください。
ウラMVP

準ウラMVPは先駆者・今野選手。これも出場機会が増えた恩恵ですが、櫻田記念は今まで出場した中で一番撮れたと思われるぐらい打ってました。前半の怪我が痛かったなー。渡辺選手は“カンケーネー”を見て笑いが止まらなかったそうです。
大澤前総監督、納会だけで持って行きそうな勢いだった。


オモテ MVP  ウラ MVP 
第1回 佐々木 秀樹 今野 広勝
第2回 江口 達也 太田 宏明
第3回 岩渕 征宏 半澤 健一
第4回 佐々木 秀樹 門脇 純也
第5回 高橋 健一 川村 裕貴
第6回 半澤 健一 川村 裕貴
第7回 佐藤 敬志 川村 裕貴
第8回 安重 司 針生 暖司
第9回 針生 暖司 梅津 成樹

来年は早いもので10周年ですねぇ。今後も元気な画像をお届けしたいと思います!

2008.12.21 (No.298)
バレー部納会にて。大澤前総監督は前週の別件の忘年会と宿が同じ、部屋番号まで同じだったそうです。そういう偶然ってあるもんですねぇ。料理が違ったのは不幸中の幸いでした。
引退した岩渕選手、半澤選手はバレー部史上の高齢選手ワンツーかな? 岩渕選手は実働20シーズン、半澤選手は同17シーズンもの間、バレー部を支えてくれました。県大会敗退するような弱小時代を知る現役選手がいなくなり、門脇総監督が話されたようにまさしく東北リコーの転換期というか、新たな歴史を作らなければなりませんね。

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2008.12.15 (No.297)
櫻田記念にて。長岡名物、フレンド(というファーストフード店)のイタリアン(というメニュー)を食べました。手っ取り早く言うと、“ミートソースがかかった焼きそば”であります。ジャンクフードファンにはおすすめです。機会があったらお試しあれ。

それにしても実連サイトの住電優勝集合写真は酷いな。生データなのでExifを見ればどのカメラを使ったか分かりますが・・・今時のデジカメならそこそこ撮れそうなもんですがね。失敗は付きものですが、高機能も使い方次第と再確認。因みに管理人のは図体はでかいですが一眼レフではありませんよ。
トップページのアニメーションGIFも、画像の大きさ指定を等倍より大きくすればモザイクがかるのは当たり前。更に縦横比もおかしい。
安易に「大きくすりゃ見栄え良くなんじゃね?」とした結果でしょう。個人サイトならまだしも、あれで誰も何とも思ってないのかな。我ら実業団の顔なんだからさ。

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2008.12.04 (No.296)
河北杯、負けなかったとはいえセットを取られたのは久しぶり。負けだったら1996年河北杯以来となるところでした。横綱が負けた相手へ出稽古して徹底的に鍛えるように、ウチもそれくらいの意識を持たないとね。
管理人は過去のセットを取られた記憶を思い出せませんでしたが、江口監督や今野選手はうろ覚えながら「ある」と断言。
「確か国体予選ですね」さすが当事者、よく分かってらっしゃる。「日東電工と?・・・」というのは県実業団でBチームが負けたことじゃないでしょうか。

ところで河北新報には16度目の優勝とありましたが、こちらで確認する限り17回優勝(中止の第20回除く)しており、毎回1回優勝回数が少なく記載されています。

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2008.12.03 (No.295)
全日本総合にて。山口までのアクセスは、仙台空港→大阪空港→新大阪駅→新山口駅でした。大阪空港からのリムジンバス乗り継ぎは、わざわざターミナル間を移動(全員乗れるように、念のため上流で出発する方まで移動した)して乗車したため、1本遅くなりました。
まあでも指定を取ってる新幹線の出発にはまだ50分の余裕があり、バス所要時間も25分なので間に合うはずでしたが・・・バスチケット販売所の電光掲示板に“所要時間45分”の表示が。

自然渋滞が解消されておらず、時間がかかるとのこと。「間に合わねぇ」・・・江口監督と遠藤マネは既に山口入りしていたので、高橋主将と川村副主将が引率責任者だったのですが、顔が引きつってます。
開会式へは時間的にまだ余裕があり、指定席取り直しか自由席で行けば問題はないのですが、何しろ団体を引き連れていくっていうのはそれだけで大変ですから。
結局奇跡的に30分チョイで到着し、事なきを得ました。ツイてるねぇ。

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2008.11.17 (No.294)
小野寺さんの激励会。会話の中で出てきた、強く印象に残った出来事というのは主に3つ。まずは高知国体、静岡国体などでの“みやぎいけいけ”応援ダンス。未だに応援でこれ以上のパフォーマンスには、お目にかかってません。若手も是非見習って欲しい。
2つ目は宮城県実業団でタイムアウト明けにペットボトル持ったままコートへ出て行ったこと。緊張のデビュー戦とはいえ、これもなかなかないことです。
そして3つ目、レギュラーへ向け猛アピール中の加茂川カップで、何の変哲もない対人パス中に足を捻挫(骨折)したこと。すぐに回復すると思って30秒待って下さいの訴えが、30分・・・30日になってしまいましたね。他にも色々話題を提供していただき、ありがとうございました。
バレー部が続く限り、伝説は語り継がれることでしょう。

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2008.11.10 (No.293)
日本精工との練習試合ではお二人のOBが主審をしてくれましたが、仲良く1回づつノーカウントのジャッジ。
最初は相手強打をジャストミートで好レシーブしたのですが、これは決まって間違いなしの思いこみで、つい吹いてしまいました。公式戦だったら大ブーイングですなあ。
二度目は川村選手のファーストコンタクトをドリブルに。「だって川村のオーバーパスが、あまりにもバラバラなんだもの」と苦笑いしてました。

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2008.10.28 (No.292)
先日、所用で仙台に行ったのですが、仙台・宮城デスティネーションキャンペーンは開催真っ最中、駅コンコースは催し物で賑わっていました
たまたまその日は全日本大学女子駅伝(杜の都駅伝)開催日で、ベンチコートを着た人や幟を持った人が行き交ってます。
某テレビ局が箱根駅伝の女子版?のようなテイストで放送していますが、駅伝は陸上競技としては数少ない団体戦なので、ドラマになりやすいのでしょうね。
今後更に人気が出るかもしれませんが、そうなると本当に箱根路を走らせようなんて考えもあり得る?

2008.10.20 (No.291)
大分国体の宿泊場所、どうします?と加川マネから問い合わせ。選手・スタッフと同じ宿舎にするか、離れてもHP更新の利便性を考え、インターネット環境が充実しているところがいいか確認のためです。国体でLANが常設されてる宿って、なかなかないですからね。
「みんなと同じで」と即答。近くにいないと、いろんな情報が半減しますから。それにナローバンドは今まで体験してきたこと。回線が速くないからって禁断症状には陥らないです。で、結果は正解。
昔を知らない人が100kbpsレベルでアクセスしたら、遅くてキレてしまう?

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2008.10.01 (No.290)
大分国体のソフトボール競技が台風接近による雨の影響で、ベスト8に残った全チームが優勝という異例の結果に。これで記録的には初優勝というところもあるかもしれませんが、素直には喜べないでしょう。
1試合もしていないチームもあるし、2日間の中止で打ち切りになってしまうとは・・・自然には逆らえないからしょうがないとしても、もうちょっと何とかならなかったのでしょうか・・・ならないんでしょうねえ。
特に成年女子の群馬県はオリンピック金メダリストの上野投手が所属、しかも隣県福岡県出身。投げていたらさぞかし盛り上がったことでしょう。地元チームも晴れ姿を見せることなく終わってしまいました。大会関係者もガックリです。

因みに競技得点を全部足して8で割った36点が、各チームに与えられました。もしベスト8が確定していなかったら順位も得点も与えられないところでした。
宮城県は惜しかった。1回勝てば優勝でしたが、サヨナラ負けだったようです。 

2008.09.20 (No.289)
いやいや新聞見てびっくり。東北リコーバレー部の元部長でもあった白幡洋一さんに、サッカーのベガルタ仙台次期社長として非公式ながら要請があったそうです。
もし受諾したなら強いベガルタ仙台を目指すと共に、ちらっと東北リコーバレー部もアピールしていただけたらなーなんて(^^ゞ 思います。ベガルタ仙台にリンクを貼らないとダメかな? 

2008.09.11 (No.288)
大分国体の組み合わせが決まりましたねえ。第1、第2シード以外はフリー抽選のようですが、昨年の国体以降の大会、例えば全日本総合の結果もポイント対象になるという話も聞いたことがありますし、まあこの辺の流動的さがよく分からないのですが・・・せっかくなのでウラ的深読みしてみましょう。
もちろんこれはフィクションであり、団体名等は全て架空のものです。(^^ゞ
1回戦に、ここ最近の勝利がないチームや初出場とか昨年出場しなかったチームが集まったり、実業団ベスト4が偏ったりしたことが偶然ではなかったとしたら? 

“第3シードを割り振ると、YDかCTになる。準決勝ではOSの分が悪くなるので、第3シード以下はフリー抽選だということにして強いチームを偏らせよう。実業団で結果を残していないTRとの対決なら見込みがある。KCは昨年のクラブカップでも勝っているし”

そんな風に思わせるような組み合わせではありますが、暗躍せずともOSは強いし、厳正な抽選と思われますので。
TRとしてはホントのことにしてもイイかもね。見事かませ犬にされたわけですから。北京オリンピックの日本シンクロペアが「コンチクショー」を合い言葉にメダルを死守したように、TRもそれくらいの必死さ、気概を出して欲しいものです。

2008.09.10 (No.287)
総合県予選にて。審判委員長が高速道路で東北リコーへ向かう途中、タイヤがパンク! 徐々に空気が漏れたのではなくバースト状態で、かなりハンドルを取られたそうです。
なんとか路側帯に止めたところ、運良く?道路公団(今はNEXCOって言うの?)の車が通りかかり、程なく警察も到着。自力でタイヤ交換しようとしたところ、「ここじゃダメ、待避所まで移動して」と言われ、パンクしたままガタゴトと移動。無事交換して試合開始まで間に合いました。
4本とも交換しないとダメでしょうね・・・折しも9月1日にタイヤが値上がりしたばかり。「ついてないなー」

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2008.09.01 (No.286)
東北総体にて。宿泊したホテルはスタッフ陣と相部屋だったのですが、そこでHPの話になって・・・「ウラページって? それどうやって見るんですか?」と、帯同しているトレーナーの方。あら、誰も教えてなかったのね。で、せっかくだからその場で見てもらいました。ページが切り替わった瞬間、「うぉっ!」と一声の後、しばらく沈黙・・・「面白いっすね、こっちしか見なくなるかも」

決勝戦当日、あるOBが観戦に来ましたが、「着いたときは終わっててさ・・・」と苦笑い。どんだけゆっくりしてるのよ。まさかフルセットを予想してたわけじゃないですよね。仕方なく食事して帰ったそうですが、雨の中お疲れ様です。

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2008.08.16 (No.285)
茨城選抜との練習試合にて。まあ情けない試合、君たちが目指しているのは何なのかということを問いたいですな。言えたらこんな体たらくなプレーはできないはずだけどね。暑さもあったけど、撮るのも馬鹿らしくなったよ。
審判をお願いしたOBからは「途中でフエ吹くのも嫌になったよ。ボールが落ちるまで勝手にやってくれって感じだな」と、笑顔の中にも厳しい言葉をいただきました。さて、一週間でどう変わるか見物。

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2008.08.03 (No.284)
魚沼サマーリーグにて。新潟選抜に敗れたあと、出場していた2人がギャラリーから観戦していた姿を加川マネが撮影したそうです。「石川が頭を冷やして反省?(石川が悪くて負けた訳ではありませんが…)しているように見えたので」。加川マネ、グッジョブです。

先日、病み上がりの今野選手に会ったとき、「ジャンプはできるようになったの?」と訊いたところ、隣にいた我妻選手が「そうっすよ。これ以上、低いトスは上げられません」と返して、今野選手をからかってました。

2008.07.24 (No.283)
国体県予選にて。いやー久しぶりに岩渕選手のキレある時間差攻撃を見ることができました。最近アタック練習を目にする機会が増えたので、どうしてかと思ってましたが。
「空いていたところにフェイントで落とそうかと思ったけど、まあ普通に」と岩渕選手。まだ接戦状態で何本も上がらないうちの1本なら、やはり確実に決めておくという判断です。若手はこういうところを見習わないとね。

でも岩渕選手のポジションはバックセンターだよね? 「んーでも実際、バックセンのポジションにはほとんど付かないんですよ」と苦笑い。サーブを打った選手がBCに入ることが多く、サーブカットもBCと呼べる位置ではありません。とりあえず便宜上BCと言うだけで、どこでもこなす岩渕選手が大車輪の活躍を見せれば、勝利もグッと近くなる!?

そうそう、なぜ今回土曜日開催だったかというと、“4種別を一気に開催できるグランディが土曜しか空いてなかったから”だそうです。女子は開催されずちょっともったいなかったですけどね。冷房効いてたし(効き過ぎて寒かった)、ウチは土曜も会社休みなので歓迎です。

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2008.07.23 (No.282)
全日本実業団にて。打ち上げで退任する工藤コーチから挨拶がありましたが・・・・言葉になってませんでした。ところで派遣先は沼津事業所。そう、リコー沼津のバレー部もあることから、「現役復帰したらいいじゃん」と、からかわれてました。
まあ現役はともかく、臨時コーチみたいなのはできるかもしれません。静岡はバレーも盛んなので、クラブチームという手もあります。何かバレーに携わって、戻ってきたときにフィードバックしてもらえたらいいですね。

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2008.07.06 (No.281)
先日スタッフ、一部選手(主将など)とOBとの懇親会が行われました。全国大会へ向け、OBが練習の手伝いをしましたが、その感謝と慰労というのが主です。
日頃こういう機会があまりなかったので、いろいろ意見を交わし合い、有意義な時間を過ごしたのではないでしょうか。呼ばれてないのに参加して、何で来たんだと突っ込まれた選手もいましたが・・・
決意も固く、発言も頼もしかったので、是非とも好結果を残して欲しいですね。

2008.07.03 (No.280)
ランキングの表示をリニューアル・・・ってほどのもんじゃないけど、一新しました。まあ中身はエクセルで作成した表をwebページで書き出しただけですけどね。今までは作成したデータを二度手間かけて、自分で作ったhtmlファイルのテーブルタグに書き写していました。
んじゃ何でそんなことをしていたかというと、ファイルサイズ。エクセルで保存すると、普通にwebページを作成するよりサイズが何倍にもなります。

HP開設前、何でもエクセルやワードで作れば簡単かなあと考えていましたが、プロバイダから割り当てられた容量は確か5MBで、そこにファイルや画像をアップロードしたら、あっという間に一杯になってしまいます。しかも当時はナローバンド全盛で、開くファイルはとにかく軽くしようという思いがありました。それをここまで引き継いできたわけです。
これでちょっとはラクになるかな? でも国体やスーパー9が廃止になったり、トップリーグの話もあって、ランキングの見直しも必要になってくるでしょうねぇ。

2008.06.24 (No.279)
「沿革」でツイてることを書きましたが、ツイてるツイてないに関係なく、一番の出来事は宮城国体1ヶ月前でのポジションチェンジではないでしょうかねぇ。
今野選手の腰痛による一時リタイアで大澤監督の決断があり、それまでハーフセンだった佐々木選手がセンターに、バックの江口選手がハーフセンに、控えの半澤選手がバックに入ったわけで・・・結果的には優勝となりましたが、大会直前まで半澤選手が控えで江口選手がバックだったなんて、今にしてみると考えられません。

それ以来、何か“アクシデントがあった方が優勝する”なんて感じでした。今野選手がスタメンの大会だと優勝しないなんてジンクスがありますが、それは今野選手が控えに回るほどチームが強いという意味でもあります。ムードメーカーでもある彼は、途中出場の方が長所を生かせますからね。・・・フォローになってない?

2008.06.05 (No.278)
依頼があって全国大会パンフレット掲載用の集合写真を撮りました。昨年の画像を使い回しても問題ないかもしれませんが、ここはキッチリしておきましょう。
しかし撮影予定時刻を過ぎても来ない部員が約1名。もうすぐ来られるという連絡はあったものの、練習を中断しての撮影だけに、あまり長引かせるわけにもいかない。「しょうがない、撮ってください」と江口監督。
で、撮り終わって外に出たところで駆け寄ってくる人影が。だからって撮り直しはしません。まあ今の世の中、これくらいの画像なら何とかなりますので・・・折角だからそこでフラッシュ撮影、当然のごとくウラ行きだわね。

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2008.05.26 (No.277)
南三陸カップにて。公式戦ではありませんが1日5試合というのはあまりないので、いい経験になったことでしょう。移動時間も含めて大変でした。
しかし準決勝以降の点数を見れば、情けないの一言。17時近くなってから決勝トーナメントっていうのはモチベーションが上がらないかもしれませんが、これで全国優勝を狙うなんておこがましい。

因みに開催日程が2日間から1日になったのは、2日間とも参加できるチームが少なかったということらしいです。
ただ日程変更や組み合わせなど、情報がこちらから問い合わせないと得られなかったことには、「?」。1コート8試合っていう設定は強化ゲームと考えればアリなんでしょうが・・・こういう状況だと、来年の出場は微妙かもしれませんねぇ。

2008.05.18 (No.276)
鷹巣クラブとの練習試合、諸事情っていうのは弁当の発注ミス。ちょっとした手違いだったようですが、弁当買い出しのためもう1セットで時間を潰したってわけです。
午後からは公式審判員が不在となり、仕方なく遠藤マネと工藤コーチが主審を務めました。特にクレームが付く場面もなく無難にこなしました。
大阪遠征で親指を負傷した今野選手。「大分選抜戦でライトにトスが上がって、フォローに回ろうと移動した瞬間に打ち込まれちゃって・・・速いトスを全く予想してなくて、ブロックもノーマークでした」と、まさかの状況に苦笑い。お大事に。
メンバーも揃ってるということで、新人と遠藤マネのHP用顔写真を急遽撮影することにしました。「それだったらヒゲ剃ってくるんだった」と遠藤マネ。日頃の身だしなみが大切です。

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2008.04.30 (No.275)
ZAOカップにて。マネージャー成り立ての遠藤マネはスコアブックへの記入も勉強中。なのでいつもより慎重に点数経過をメモ書きしました。
すぐに大阪遠征もありますし、新マネージャーとして大変な日程ですが、頑張って欲しいと思います。

ZAOカップ実行委員長から開催前に年度の出場チームを教えて欲しいとの連絡がありました。ん?データないの?と聞いてみると、「前にPCのHDDが壊れてデータを全て失ってしまいました(泣)。この為、おすがりするしかなかったと言うわけです。面目ない・・・・」ということでした。バックアップの大切さを痛感しましたが、地震対策同様、あまり積極的にならないんですよね、バックアップって。

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2008.04.23 (No.274)
県社会人大会にて。「厳しく見て下さい。ええ、それで結構です」と江口監督が言っていたので、コメントはチョイ辛口。危機感を持ってやらないと、なんだかんだであっという間に全国大会ですから。江口監督の構想通りになかなか運ばなくて大変ですが、頑張って欲しいと思います。
「AB戦ではかなり苦戦しますよ。Bチームの方が強いかも」と今野選手。今回出場しなかった岩渕選手、半澤選手がBチームに回るとなかなか決まらない。これを打ち破っていかないとね。

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2008.04.13 (No.273)
「50枚ほど画像お願いしたいのですが」と江口監督から依頼があったのは3月中旬でしたかねぇ。門田さんの結婚披露宴で歌うときにスライドショーにするそうです。セレクトしても70枚ぐらいにしかすることができなかったので、あとは江口監督にお任せしましたが・・・
“感動!と一生懸命”をテーマに綿密なリハーサルを行い見事成功。歌唱がちょっとBGMに埋もれてしまいがちでしたが、「それが狙いです」と今野選手。

通常パソコンで見るよりもかなり明るめに補正した画像もバッチリでした。古いプロジェクターって暗めに映りますからね。他にもDVDのスライドショーがありましたが、見栄えは一番でした。
これを新郎新婦に渡せば、記念品にもなりますしね。便利な世の中になりました。江口監督、「オレの時も欲しかったな・・・」とボソリ。

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2008.04.06 (No.272)
村上さん鏡さん激励会にて。司会の大澤さんが手にしていたのはHPの歴代メンバー一覧。挨拶で、あれは確か・・・ってところで「XX年からですね」と、合いの手が入ってました。その一覧を見た白幡さん、「こんなのあるのか」って・・・HP見てないようですね。(T.T)
バレー部物語作成にあたり、村上さんには大変お世話になりました。村上さんも、「伝統とか残すのもさ、文章とかにしていかねぇと」と、おっしゃられてました。
ただ・・・鏡さんとか女子の話を聞いてると、できれば女子のバレー部物語も作れたらなぁとちょっと思いましたが、さすがにパワーがね。

2008.03.17 (No.271)
東京遠征は遠藤マネージャーにとって本格的な初仕事。本人は「バタバタです(汗)」と言ってましたが、情報のやり取りは特に混乱もなくスムーズに行うことができました。
そうそう、某選手がホテルに忘れ物をしたそうですが、帰りはホテル経由で東京駅に無事到着したそうです。まあ気をつけてね。

2008.03.12 (No.270)
バレーフェスタにて。表彰式は舞台上で行ったのですが、逆光だったためフラッシュ撮影をすることに。しかし卒業記念優勝の船岡主将を撮影するときに、なぜか電源が突然オフになってしまいました。とりあえず再起動できましたが、表彰には間に合わず、船岡はあとで別撮りになりました。

嫌な予感がしつつも予備バッテリーに交換する暇もなく、新人戦表彰もフラッシュ撮影をしましたが、ここで残量警告表示点灯! バッテリーも劣化してきてますからねぇ。このままいけるという予想が甘かった。
個人賞の撮影のためにはフラッシュをオフにしないと持たないと判断し、ギャラリーではあのような画像になったってわけです。

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2008.01.15 (No.269)
先のミーティングにて。川村選手が初の快挙? 主将を経験した選手がその後に副主将を務めるというのは、今までなかったんじゃないかな? 主将をしっかりフォローしないとな、と話しかけるとニヤっと微笑み返しされましたが、「主将からフォローされてちゃダメだぞ」と、門脇総監督からツッコまれてました。


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