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過去(HP開設以前)からの観戦の思い出 あるいは単なるリスト

2001年度 ◆ マリノス編 ◆ (28試合)

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・ 実際にスタジアム観戦した試合だけです。
  (手許にチケット半券の残ってるもの)
・ 一番上が最新です。

●2001年12月9日 三ツ沢
第81回 天皇杯 全日本選手権大会 3回戦   横浜F・マリノス vs 京都


大変なリーグ戦を終えて、 もう完全に緊張の糸がほどけてしまったんでしょうね。 結果的にはいつもの年と同じだが、 まったくやるせない。
これで、 ある意味歴史的な1年は終わった。 忘れたいけど忘れない。
(Mar.2004)



●2001年11月24日 神戸ウイング
2001 J1 2ndステージ 第15節   神戸 vs 横浜F・マリノス


年間順位チーム名2ndStg. 15節終了時14節終了時15節試合結果 
勝点得失点差総得点勝点得失点差総得点
12神戸33-114132-1140(神戸は14節でJ1残留決定済)
13横浜30-123229-1231神戸 1-1 横浜 (延長)
14V6930-193827-2037V69 1-0 東京
15福岡27-213527-2033G大阪 3-2 福岡
16C大阪23-294120-3040(C大阪は12節でJ2降格決定済)

さて、 迎えた最終節。
神戸ウイングもまた翌年のW杯のために作られたスタジアムで、 マリノスはこれまた柿落しに立ち会わされるはめになっていた。
しかしお祭り気分で、 サッカーファンですらない地元神戸の現地人たちとは違い、 こっちは切実なのだ。 今日の試合で勝点が取れなければ大変なことになってしまう。
そもそもこの年のようなこういう事態でもなけりゃあ神戸なんかにまで行ったりしなかった。 この時だってそうだが観光でも行ったことがない。 そしてこれほどの遠隔地へのアウェー・ゲームへは行ったことがなかった。
でも今回ばかりはだまって家になんぞ居られなかった。 交通費はかかるが試合のチケットは1000円だった。 前節G大阪戦より前にチケットを確保し行きの新幹線指定席もGET。 「絶対残留」 のために準備を進めた。
試合は14:00からだ。 たしか9:00東京発の新幹線に乗り、 あらかじめ 「駅前探検倶楽部」 で調べたとおりに新大阪で新快速に乗り換えた。そして神戸市内で当時新しく開通したという地下鉄に乗り御崎公園駅で降りる。 (スタンドによって降りる最寄駅が指定されていた。)
駅とスタジアムとの間の警備は、 翌年のW杯に備えてというよりも、 明石 (だったか?) の花火大会での大惨事を教訓にしてか過剰なほどに行われていた。
広い道路に沿って何分か歩くと左側へ入り、スタジアム到着。 住宅街の中に鉄骨も露わな仮設 (ゴール裏) スタンドの裏側が現れる。 鉄骨の間に設置された階段を上り中へ入って行く。
試合が始まって・・・・・・こっちはテンパって臨み、 観ていたのだが前半にドゥトラのFKで先制 (彼のFKが決まった試合は今だ勝ってない気がするなあ) したもののカズにゴールを許し1-1。 延長突入後には他会場の経過 (G大阪 vs 福岡) がサポからピッチの中へ伝わったとかいう話らしく、 緊張感のないまったりした試合になっていってしまった。 不満だった私は、 試合そっちのけでまるで花見のように飲んでいる周りの神戸住民にもあてつけたくなって、 思わず怒鳴り声を上げたりもしたがピッチ上は変わらない。 結局そのまま試合は終了。 どうもスッキリしなかったが兎にも角にもマリノスはめでたくJ1残留を決めた。 その瞬間はやったあ!というより 「まあいいや」 という感じになってしまったけど・・・。 とりあえず近くにいたマリノス・ファンたちと 「お疲れ様!」 と声を掛け合った。 終わった。 帰るか。
帰りに新大阪駅でお土産を買って実家その他へ送った。 そしてTELで勝利 残留 報告などをした。
帰りの新幹線で酒を飲みながらゆったりしていたら、 車内の電光表示でマリノスが残留を決めたニュースが流れて思わずあらためて 「ホッ」 とため息 (ウソじゃなかった…)、 そしてにんまり。 (J2降格はC大阪と福岡。)
帰ってから分かったことだがG大阪vs福岡戦では福岡が先制し大阪は前半なかばに退場者2人を出していた。 それでも遠藤の弟が活躍してガンバが逆転勝利できたようだ。 何が起こるか分からんよな。
もしこういう結果にならなかったならこのあとのチームの歴史はがらりと変わってしまっていた。 危なかった。 残留できて本当に良かった。
ああ、 疲れた。 2度とゴメンだよこんなの。
(Mar.2004)



●2001年11月17日 三ツ沢
2001 J1 2ndステージ 第14節   横浜F・マリノス vs G大阪


戦々恐々とする思いで迎えたこの日。 チームのまさしく正念場という事態に、 三ツ沢は大変な客の入りになった。
鹿島戦を終えて、 チームはアウェイの磐田にも敗れて帰って来た (しかもまた延長Vゴール負け)。
もはや、 たった一つの小さな事が原因で取り返しのつかないことになってしまう可能性のあるところまできてしまった。 今日この試合でもし・・・(考えない、 考えない!)。
忘れられないエピソードがある。 この1週間ほど(?) 前からマリノスファンの間でNET上で呼びかけられていたことがあった。 魔除け、 あるいは幸運を呼ぶためにスタジアムを清める意味だろうか、 試合当日三ツ沢のスタンドに 「盛り塩」 をしようということになったようだった。 「盛り塩クラブ」 には多くのマリ・サポ系サイトで賛同がなされ、 各々のTOPページには盛り塩をかたどった▲印が表示された。
かくして実際に当日はスタンドやその各入口に塩が盛られていた。 この件でクラブに連絡を取られたであろう際きっとフロント側からも大いに賛同を得たということか、 試合中のマリノスのベンチ横などにも塩が盛られていたという。 私自身も自分の部屋で、 このために買って来た塩を白い紙の上に盛り、 三ツ沢へ向った。 当時掲示板等を読んだ限り、 実際同じようにした人も多かったと思う。
フィールドの近いせいもあってか、 この年のそれまでのとは違い激しい試合だったような気がする。
試合が始まって前半、 あろうことか相手に先制を許してしまう。 なんという試練だろう。 どんな雰囲気だったか今は記憶してないが、 心底辛い前半だったはず。
なんとか1失点のままでハーフタイムになっても、 これからどうなってしまうのか考えないようにした。 恐ろしくて。
だけど後半も中盤にさしかかる頃になって、 俊輔のすばらしいFKが決まった! しかもこっち側のゴールだ。
うわあ! やった! いや〜うれしかった。 救われた。
彼がああやって決めるのは、 なんかずいぶん久しぶりだった気がした。 このおかげでよし! 行けるよ、 と思うことが出来た。 おとなしめに観ていた隣の人も胸の前で小さくガッツ・ポーズしていた。
そして待ちに待った勝ち越し点。 2-1 逆転。 そのスコアで試合終了する。 しんどかった。
ああ、 よかった。 この試合に勝てて本当に良かった・・・。 この1年間で最も大きい1勝だった。 勝点3を得て年間勝点29。 この時点で 「ライバル」 のヨミウリ (V69) と福岡に2点差をつけて13位だ。 一時は降格ライン下に落ちていたこともあったマリノスだが、 これで残留のためにだいぶ有利になった。
でも油断はならない。 すべてがひっくり返ってしまう可能性だってある。
試練は最後まで続く。 今日大活躍した俊輔がイエロー累積で最終節サスペンションに。 そしてラザロニ監督はこの試合で審判への過剰なほどの異議で退場・・・。 バカ!来週の最終節どうすんだ。 試合後のインタビューでの開口一番 「ゴメンナサイ」。 …でもまあこの試合が始まる前に比べたら、 このとき失笑するくらいの余裕はこっちには出ていた。
もう少し早い時期にこの文章を書いていればもっと実感を伝えられただろうけど、 今となってはこれが精一杯。 だけどこのときはほんと、 食欲がなくなるほどの緊張感でバックスタンドに座っていたはず。
ようし、 来週神戸だ! いよいよ最後。
(Mar.2004)



●2001年11月3日 横浜国際
2001 J1 2ndステージ 第12節   横浜F・マリノス vs 鹿島


この時期になるとほとんど悲壮な思いで横国へ向っていた。 行きたくないような気分がしても、 なかば義務的に新横浜まで行った。
1-2。 先制したものの延長Vゴール負け。 選手は頑張ってたんだろうけども。 当日の詳細はもう覚えていないけど、 たまらんかっただろうな全く。
(Mar.2004)



●2001年10月31日 東京
2001 J1 2ndステージ 第11節   東京 vs 横浜F・マリノス


ナビスコカップを獲った。 でも喜んでいたのはその当日だけ。 当然だ。 すぐに現実へ戻らなければならない。
残留争いも終盤に入るがこの11節からの3戦の相手は・・・、
11節 東京 (アウェイ)
12節 鹿島 (ホーム)
13節 磐田 (アウェイ)
酷すぎる。 なんてスケジュールだ。 なんでよりによってこんなシーズンに、 しかもこの時期に、 この3つに連続で当たるのだ?
新聞や雑誌でもTV (スーパーサッカーの 「崖っぷちランキング」など)でも、 マリノスやヨミウリ (V69) が絡んだこの年の残留争いについて例年より大きく取り上げていたはずだ。 現在の年間順位表と残り試合の対戦相手、 ここ数試合の結果とチーム状態などを合わせて、 どこが残留できるかどこが危ないのかを 「占って」 いる。
対戦相手的にマリノスはキツイ。 3試合で勝点1でも取っておかないと相当ヤバイ。
東京は特に当時の苦手チーム。 鹿島国と、 1stステージで優勝した磐田とはこの2ndステージで優勝争い中であり、 取りこぼすような油断をしてくるとは思えなかった。
いよいよ追い詰められてきたような気がした。 やはり前節の負けは痛い。
試合は先制したが結局 1-1 の引分け。 最低限の勝点1獲得にとどまった。
(Mar.2004)



●2001年10月27日 国立
2001 Jリーグ・ヤマザキナビスコ・カップ 決勝   磐田 vs 横浜F・マリノス


残留争いをしているさ中で迎えることになった、 初めてのナビスコ・カップ・ファイナル。 Jリーグが始まって9年余り、 今までまったく縁のなかったこのタイトルの獲得まであと1歩のところまで来ることができたのは皮肉にもこのようなシーズン。 めぐり合わせとは不思議なもの。
でも試合の日を前にしては 「何としても絶対とってくれ!」 という思いよりも、 どちらかと言えば 「とにかく今後のリーグ戦につながるいいゲームをしてくれ」 という意識の方が内心大きかったんじゃないかと思う。 もちろん、 この手にした事のないタイトルが欲しいのは間違いなく当然だったのだけれど。(←当HPの別頁から引用)
リーグ戦と違ってむしろ失うものは何もない気持ちでいた。 能活はもういない。 相手は磐田だし今の状態のウチではとても簡単にいくはずがないのは分かっていた。
まずは磐田の攻撃を90分、 そして更に延長の30分間押さえ切ったことにつきるだろう。 90分終了前にオニクが退場になり10人で延長戦を迎えることになってしまったにもかかわらず最後まで耐えしのいだ。
PK戦だ。 こうなるとチームの実力差は関係なくなり、 なんとかなるような予感が生まれていた。
しかしいったいどうなるか分からない。 数分先、 10分後のこの国立はいったいどうなっているだろうか? 新しいマリノスの正GK榎本達也と、 順番にキッカーをつとめる選手たちに運命を託すしかない。
PK戦はこっちから見て向う側、 すなわちホーム扱い磐田側のゴールで行われた。 通常のゲーム中にはない、 PK戦を見守る時のあの独特の緊張感・・・。
蹴るのはマリノスからで、 一人目は俊輔だったようだ。 彼はきっちり決めた。
そしていよいよ達也が位置に付いた。 向うは藤田からだ。
そうしたらなんといきなりの歓喜。 読みは外れたが神業のごとく横っ飛びした残り足に当てて弾いたのだ! うおぉお! まるで試合中にゴールが決まったかのように立ちあがって喜んだ。
そのあとウチの2本目を決めた、 まだ今よりも超若かった坂田の度胸の座りようにもこの時驚いた気がする。
達也は更に2本を止めた。 向うが外したんじゃなくて3本とも弾き返したのだ。 すごかった。
最後はオムさんが決めた。 やった!! ピッチ上はマリノスの選手たちの歓喜の輪。
(結局PK戦は、 マリノス 3-1 磐田)
優勝だ! ついにマリノスはナビスコカップ初戴冠を遂げた。 苦しいリーグ戦にあえぐ中、 なんともうれしいタイトルだ。 そして新しい守護神が誕生した!
思わず涙がでましたよ、 この日は。
(Mar.2004)



●2001年10月20日 横浜国際
2001 J1 2ndステージ 第10節   横浜F・マリノス vs C大阪


(前節を受けて。) でもこの試合はVゴール負け。
これも怒った。 冗談じゃない。 相手は年間最下位に沈んでるチームなんだぞ!(こっちだって同じようなもんだったが、 ここに勝たないでどこに勝つ?) 今チームがどんな立場にあるのか分かってんのか?! そして川口のマリノス最後の試合だというのに、 何やってんだ!
あまりのことに、 試合終了と同時に席を立ちせっかくの (ポーツマスへ移籍する能活とのお別れの) セレモニーも見ないで帰ってしまった。 川口が悪いってわけじゃあないのに・・・。 一緒に来ていた連れにも悲しい思いをさせてしまった。 オレ(私) もまた最低だな。
(Mar.2004)



●2001年10月17日 横浜国際
2001 J1 2ndステージ 第9節   横浜F・マリノス vs 名古屋


前節に続き勝点3。 しかも他の残留争いのライバルチーム達がたしかこの節は負けたはず。 つかの間のすばらしい日。
(Mar.2004)



●2001年10月13日 埼玉
2001 J1 2ndステージ 第8節   浦和 vs 横浜F・マリノス


埼玉県までアウェーの浦和戦に行った最初。
翌年のW杯で日本が初戦 (vs ベルギー) を戦った 「埼玉スタジアム2002」 の柿落しとなった試合。 入場者は6万を超え、 試合前に浦和側は盛大なセレモニーをやらかしていた。 でもこっちにとってはそんなことのすべてがどうでも良くて、 今日ここで勝点を奪って帰れるかどうかだった。 そのためにこんな遠い田舎まで来た。 残留を目指していたのだ、 ウチは。 (それでも、 駅から畑の中を延々歩かされたあとスタジアムが目の前に近づいて来るとワクワクはしてきたと思うけど。)
3日前の集中豪雨とは打って変って10月にしてはすごく暑い日だった。 特に、 陽射しを正面からまともに受けるバックスタンドだったので暑さひとしお、 死ぬかと思った。(e+での初回のキャンセル分からやっと取れた席)
さて、 試合だが(笑)。 向うは新スタジアムに緊張していたのか、 さっぱりだった。 おかげで勝点3を手に埼玉県から引き上げて来ることが出来た。
(Mar.2004)



●2001年10月10日 三ツ沢
2001 Jリーグ・ヤマザキナビスコ・カップ 準決勝 第2戦   横浜F・マリノス vs 名古屋


いや〜あれはものすごい集中豪雨だった。 三ツ沢のピッチ上みるみるうちに水が浮いてゆく。 パスを強く出しても途中で止まってしまう。 私にとってはあれほどひどい状態での試合を観たのは初めてだった。
試合は0-0引分け。 1stレグで勝利していたのでマリノスの決勝進出が決まった。 うれしい反面、 というか実感なかったなあ。 あったかなぁ? 試合が終わって、 みんなバックスタンドの下へ引き上げて、 カッパを脱いで体を拭いたりしていながら、 決勝戦じゃなくてやっぱり次のリーグ戦のことを考えてたんだと思う。
(Mar.2004)



●2001年9月29日 横浜国際
2001 J1 2ndステージ 第7節   横浜F・マリノス vs 市原


年間勝点、 年間勝点・・・
それでも引分けならまだマシだと思っていた。 このころ、 ムカついて帰って来た試合の場合はチケット半券の左側余白 (この年のシーズンチケットだとマリノスのロゴ・マークが入っている) 部分はミシン目から切り取って捨てていた。 この試合のはそれが残っている(笑)。
(Mar.2004)



●2001年9月15日 国立
2001 J1 2ndステージ 第5節   横浜F・マリノス vs V69


前節清水にアウェーで負けを喫している。 今日の相手は宿敵で、 なお且つ第1ステージでウチより下に終わったチームだ。 残留のためにしっかり勝っておきたかったが、 負け。 いつも怒鳴っていたこの年、 いつにも増して怒ったね。
(Mar.2004)



●2001年8月29日 等々力
2001 Jリーグ・ヤマザキナビスコ・カップ 準々決勝 第2戦   川崎F vs 横浜F・マリノス


もともと8月22日に予定されていた (前売りで買っていたのでチケットもその日付だ) のだが台風だったかで1週間後に延期された試合。
等々力のたぶんこのときは初めてメインスタンドの隅で観た。 邪魔な太い柱のすぐ横の席で。
(Mar.2004)



●2001年8月25日 横浜国際
2001 J1 2ndステージ 第3節   横浜F・マリノス vs 札幌


これだ! 覚えてる。 新外国人選手たちの大活躍が目を引いた試合だった。 延長で、ゴールに向って左側の位置の俊輔の前にボールが出た。 「さあこれを・・・」 と思いきやそこへDFのナザがササッと現れそのボールを瞬く間に奪い去るようにしてドカンと打った!。 やったあ!Vゴール勝ち。 試合後の彼のインタビューもナイス。 たしか 「打たなければ点は入らない。」 とかそのようなことを言っていた。 当たり前のことだが全くその通りだ。 そんな姿勢がマリノスには欠けていたのだから。
これ以降しばらく、 技術やフィジカルが強く頼もしい外国人たち = ○、 消極的で精神的にも情けない日本人たち = ×、 という図式でいつしか見るようになった。 彼ら3人はもうチームの中心だ、 彼らが出られない試合はヤバイ、 と思った。 彼らが来なかったら残留への希望を持ちつづけることなど出来なかっただろう。 すでにファンの間ではNET上などで 「ドゥトラ様」 「ナザ様」 等の呼び名で親しまれるようになっていた。
(Mar.2004)



●2001年8月18日 柏の葉
2001 J1 2ndステージ 第2節   柏 vs 横浜F・マリノス


Let's Go サカタ! 坂田! 彼の柏戦得意伝説の始まり。
(Mar.2004)



●2001年8月11日 横浜国際
2001 J1 2ndステージ 第1節   横浜F・マリノス vs 福岡


強面の(笑)ドゥトラとナザの初登場。 だけど延長Vゴールでやっとの勝利だったようだ。 見てる方はストレスが溜まりに溜まった末のことだから喜びは爆発するが、 選手は疲労がたまるし勝点も伸びないんだよな。
これからシーズン終了まで毎週毎週 「年間勝点」 とのにらめっこ。 2ndステージの順位表なんかどうでもいいんだ!
(Mar.2004)



●2001年8月8日 三ツ沢
2001 Jリーグ・ヤマザキナビスコ・カップ 準々決勝 第1戦   横浜F・マリノス vs 川崎F


ラザロニ監督が就任した。 そしてブラジルから実に久々となるまともな外国人選手3人を連れて来てくれた (この試合に出たのはFWのブリットだけだったけれど)。 これまでは事実上外国人なしでやってたのだ。
この試合から初めてシーズン・チケット (自由席) で観戦。 今回は第2ステージ分からなので 「ハーフ・シーズン・マイシート」 というのかな (この翌年からは年間チケット)。
(Mar.2004)



●2001年7月14日 横浜国際
2001 J1 1stステージ 第14節   横浜F・マリノス vs 清水


この試合を惨敗で終え、 ここまでで3勝1分け10敗。
この翌週の最終節はアウェーで当時岡ちゃんが監督の札幌戦 (ウィルもいた)、 札幌ドームでの試合だった。 これをなんとか引き分けて第1ステージ終了。
勝点11、 得失点差-11 で15位。 下にはたった1チーム、 ヨミウリ (V69) がいただけだ。 なんてことだ。
(Mar.2004)



●2001年7月7日 横浜国際
2001 J1 1stステージ 第13節   横浜F・マリノス vs 磐田


この試合で13節にして磐田がステージ優勝しちゃったんですよね、 こっちの目の前で・・・。 強いんだからしょうがないよな。
今思い出しても本当に辛いシーズンだったな。 弱かったんだからしょうがな…。
忘れてたけど延長までいったんですね。 試合は最後まで観ましたが笛が鳴った瞬間すくっと立ちあがり、 向うの優勝セレモニーどころか磐田選手とかが喜んでる様子すら全く見ないでとっとと帰りました。 それもこれ以上ないしかめっ面で。 家に帰ってももうTVもつけないで寝た (この年負けた日はスーパーサッカーも見なかった。 よって見ない週が多かった。)。
(Mar.2004)



●2001年6月23日 カシマ
2001 J1 1stステージ 第12節   鹿島 vs 横浜F・マリノス


夜の試合だ。 意を決して初めて乗りこんだカシマスタジアム。 あらかじめ帰りの上野行きバスを予約したうえで、 行きは電車で3時間近くかけて現地へ辿りついた。 スタジアムはすでに翌年のW杯用に改装を終えていた。 スタジアム駅でディーゼル・カーを降りた瞬間目に飛び込んできた威容。 そして中に入ると、 サッカー専用でのこの規模のスタジアムとはこんなにすばらしいものなのか、 と目を見張る。 緑も鮮やかなピッチはすごく近い。 アウェー側ゴール裏1Fから、 遥かそびえ立つかのようなメイン及びバック・スタンドを見上げてみる。
しかしそれに感動する心の余裕はあまりなかった。 試合のことを思うと胸のいがらっぽいような感覚が…。 せっかく来たのに試合が始まる前は試合のことを考えたくない感じ。
酒を飲んだりして、 気が小さくなるのを押さえつつ試合開始を待つ。 ともあれ売店でモツ煮込みだけは買って食べてみた。 ウワサどおりウマイ。
さて試合の方だが。 鹿島国側もこの年この1stステージ、 決していいチームじゃなかったはずだ。 だけど・・・、 完全にこっちには相手に勝つ力なんかなかったんだろう。
1stステージ終盤にさしかかり、 そろそろある危機感が具体的に頭をもたげてくる時期に入っていた。 考えないようにはしていたが、 少しずつ覚悟を始めてはいたと思う。 もちろん心の表面ではなんとか 「大丈夫だ」 と思うようにしていた。 まだ1stステージではあったし。
(Mar.2004)



●2001年6月20日 三ツ沢
2001 Jリーグ・ヤマザキナビスコ・カップ 2回戦 (第2戦)   横浜F・マリノス vs 福岡


カップ戦だと勝てるんだがなあ。 つかの間の喜び? いや、 心はリーグ戦のことで一杯だった。
(Mar.2004)



●2001年6月16日 横浜国際
2001 J1 1stステージ 第11節   横浜F・マリノス vs 東京


アウェイ2連戦と、 そのあと代表のコンフェデをはさんで久々のリーグ戦ホーム・ゲーム。 その間変わったことは・・・そう、 アルディレス監督がクビになり、 次期監督までのつなぎの形で下條監督になっていた。
試合のほうは? さあ。 苦手な相手。 ああ。
(Mar.2004)



●2001年5月6日 横浜国際
2001 J1 1stステージ 第8節   横浜F・マリノス vs 柏


前節の勝利で、 これでやっと波に乗れるかなと思っていたんだけど・・・。
(Mar.2004)



●2001年5月3日 東京
2001 J1 1stステージ 第7節   V69 vs 横浜F・マリノス


初めての東京スタジアム (現名称 味の素スタジアム) 。 文字どおり何もないところだったのに、 駅もあんなに立派になっちゃってまあ。
どんな状況であれ今日はこの相手。 絶対に勝ちたい試合。
ホームチーム側の奇妙な演出に嘲笑し、 「裏切り者」 三浦淳と永井にブーイング。 アウェイなのにこっちのファンの方が誰の目にも明らかに多かったし、 何より勝ててほんとにうれしかった。 上野のゴール、 脳裏に焼き付いてるなあ。 すばらしいゴールデン・ウィーク。
ところでこのHP立ち上げ後すでに1年以上経ってから言うのもナンだが、 この年に川崎から移転して稲城に本拠地を構えた1969年設立だと称するこの相手チームについては、 東京にある某クラブ (まぁそっちは 「ガス」 ともいうが) との混同を避けるため(笑)、 誠に勝手ながら当HP内においてはV69と略記させて頂くことにする。
(Mar.2004)



●2001年4月29日 横浜国際
2001 J1 1stステージ 第6節   横浜F・マリノス vs 広島


第6節にしてやっと初勝利。 マリノスなのに。 マリノスなのに。 そんなチームじゃないのに。
誰しもある程度は 「ここには勝てる」 などという皮算用を胸に試合に臨む部分はあると思う。 日程表を見渡して 「これは楽勝」、 「ここはキツイ」とかやって星勘定、 勝ち点計算 (あくまで 「ある程度」 だ。)。 だがこの年はそれがままならない。 勝てそうな相手がどんどん見当たらなくなってくる・・・。 今まで勝てたところもウチより上になっていた (いや、 ウチの方が下に…)。 「こんなところに勝てなかったらもうどこにも勝てないじゃん。」 とか思う事態なのだ。 その上鹿島戦も磐田戦もまだ残しているのだ。
このころあたりまではまだ広島は対戦成績の良さから 「お得意さん」 とか 「カモ」 とかマリ・サポの間では呼ばれていたはず。 とにかく勝ててよかった。 それだけだ。
(Mar.2004)



●2001年4月18日 三ツ沢
2001 Jリーグ・ヤマザキナビスコ・カップ 1回戦 (第2戦)   横浜F・マリノス vs 水戸


下記の試合で書いたように、 これまではホーム試合でも全部見に行くとまでいかなかった私だった。
行きづらい平日の夜の三ツ沢だったけど、 いたたまれずに駆けつけた。 ここまでリーグ戦5試合を消化して今だ未勝利 (このナビスコ1回戦の1stレグでは勝っていたが)。
この試合、 勝てはしたもののJ2相手。 内容的にもどうだったろうか。 せめて次のリーグ戦にいいところをつなげたいという思いはここにいたすべての人の思いだったでしょうけど。
(Mar.2004)



●2001年4月7日 横浜国際
2001 J1 1stステージ 第4節   横浜F・マリノス vs 浦和


リーグ戦もこれで4試合を終えたがなんと1分け3敗・・・。
この試合からホームでは自由席 (バックスタンド2階) で観戦するようになった。 試合の不甲斐なさからチームへ落とす金を少なくしてしまおうというのではなく、 よりマリノス・ファンの密度の濃い場所へ行きたかった。
そしてこんな状況の今年はもうすべてを見届けなければならない。 自分の見ていない所でイヤなことが起る方がずっと辛いと思った。 ホームゲームは当然全部、 そして出来るだけアウェイにも足を運ぼうと決心した。 結果的にこの1年がよりいっそう私をマリノスに近づけることになったと思っている。
(Mar.2004)



●2001年3月10日 横浜国際
2001 J1 1stステージ 第1節   横浜F・マリノス vs 神戸


サンチョル、三浦淳、エジミウソンといった主力が去り、それなのに目立った補強はほとんどなし。今季のスケジュールさえ発表される前のストーブリーグの最中に既にこれじゃあヤバイなと不安を覚えていた。
だからせめていい外国人が欲しいところなのに、 やって来たのはマリノスの歴代ダメ外国人には誰もが必ずペアでリストアップするであろう、 リパティンとレアンドロ (どっちがどっちか分からないが、 ギリシャリーグと香港リーグで活躍していたのだという。) 。 結局彼らを見たことがない人も多いはずだ。
そして、 優秀なユース所属選手たちをトップ・チームに上げはしたものの彼らをいきなり何人もメインに使う他ないような状況にするとは。 いったいこのときのフロントは何を考えていたんだろう。 シーズン開幕直前のプレシーズン・マッチでも思わしくなく、 そのあげくたしかアルディレスが 「合宿は失敗だ。」 とか言ったと報道されたのを覚えている。 冗談じゃないよ、 おいおい!
そのときは始まってみなけりゃ分からないなどと気持ちをごまかしたりしていたが、 やがて不安は全くそのとおりに形になって現れることになる。 地獄を垣間見た2001シーズンの始まりだ。
スペインから出戻りのソニー・ホー(城)選手はそれまでにない超不調なシーズンを迎えた。 良かった時代を知っているだけに、 あれではやる気がないとののしられても仕方がないのじゃないか。 シーズン序盤ですでに、 もういらないという声は上がっていた。
この試合でマリノスの攻撃はみな神戸のシジクレイにはじき返された。 攻撃になっていない。
思えば若い石川ナオは不幸な時代にトップに上がって来たものだ (いや結局我々が不幸なのか?)。 俊輔への負担ばかりが大きくなり、 それが尚更彼の球離れの悪いプレーを助長させてゆく。
チームは機能しなくなった。 川口の仕事はきわめて多かったと思う。 移籍してチームを去ってゆくまで、 彼だけが奮起していたような試合も少なくなかったこの年。
決してこの開幕戦時点でここまで絶望していたわけではなかったが、 あらましということで以上の様にここには書いておく。 今季はこのような空気で進んで行った。
おりしもサッカーくじtotoの販売がスタートしていたが、 毎回のように自分の応援するチームのところでハズレるんじゃあたまらない。 だがしかしマリノスの負けに賭けることなんて出来るか?!
さて、 このHPの別頁にも書いたがこの試合を最後にマリノスのホーム試合で (所詮はもともと 「ゴール裏時代」 のないヘタレな私ではあり、 高見の見物を続けているのに変わりはないのかもしれないが) 指定席で観戦することはなくなった。
(Mar.2004)


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Mar.2004 byま