iちゃんはくまちゃんを抱えてネットの中を歩いていた。
少しうつむいた表情は寂しげだ。
”ひまわり”。
それが何だったのか思い出せずにいる。
でも、
『頼んだよ。』
そう言った誰かのやさしい笑顔だけは覚えてる。
iちゃんは顔を上げた。
お届け物、しなくちゃ。
ネットの中は美術館のように広い部屋で、宝石店のショーケースのようなガラスケースがたくさん並べられている。
人々はそれをのぞきこみながら何かを探しているようだった。
ケースはちょうど少女の目の高さにあって見えにくかったが、iちゃんは一生懸命背伸びして覗き込んでみた。
ケースの中に大切に並べられているその中身は人形やら貝殻やら、特に高価なものではなかったが、
iちゃんはものめずらしそうにひとつひとつ見てまわった。
「これ!私の日記!小さい頃書いた思い出の日記だわ。」
隣のショーケースを覗いていた見知らぬ女性が叫んだ。
「これを開けて。」
「わかりました。これですね。」
管理をしているソフトに頼むと、ショーケースのガラスは台の中に収納され、中身があらわになる。
「思い出・・・。」
iちゃんはつぶやいた。
思い出せるのは、まっくらな中にずっと座っていたことだけ。
それと、ひまわり。
でも、・・なんだったっけ・・。
顔を伏せると、腕に抱えたくまのぬいぐるみと目が合った。
動かないままのぬいぐるみはiちゃんを力づけるようにその目をじっと見つめかえした。
iちゃんはぎゅっとくまちゃんを抱きしめると、また歩き出した。
一つのケースのそばを通りかかった。
その中には、ボウリングのピンのような形の手も足もない木の人形が、大きい順に並んでいる。
iちゃんは全部同じ顔をしたその奇妙な人形を、首をかしげて不思議そうに眺めた。
ふと、その人形の向こう側にあるケースの中にあるものが少女の目にとまる。
「あ・・。」
とことこと小走りにそのケースの前にゆくと、いま目を捕らえたものを覗き込む。
それは赤いギンガムチェックの柄の蓋を閉じたガラスの瓶だった。
iちゃんの頭の中で遠い記憶が呼び覚まされる。
“そうだ、メールの宛先をまだ言ってなかったね。いいかい、よく覚えるんだよ。ひまわりの・・”
そう言った誰かの机の上に確かにあの瓶がのっていた。
「これ・・」
ケースに手をかけると、管理ソフトも居ないのにショーケースのガラスはすぅっと開いた。
iちゃんは背伸びをして台の上に手を伸ばし、指先で瓶を手繰り寄せようとした。
「きゃぁぁぁぁ!!!このお面、まなまなのおじぃさまのだわぁぁぁぁ!!」
すぐそばでいきなり嬌声があがった。
iちゃんはその声に驚いて手を引っ込め、振り向きざまにショーケースにどん、と背中をぶつけた。
台の上で瓶がぐらりと揺れる。
「!!」
少女は目をぎゅっとつむった。
その時、何かがゆがんだ。
目を開けると周りの景色は一変していて、iちゃんはどこかの廊下に一人立っていた。
またどこかに来ちゃった・・・
少女はバグルスの影響でアクセス記録を残さずにどこにでも入れるようになってから、
動揺すると知らない間に違うネットに入ってしまうようになっていたのだ。
ここは?
自分の周りをきょろきょろと見回す。
どこかはわからないが、なんとなくここにいるべきでないような、そんな気がした。
元のところにもどらなくちゃ。
くまちゃんを小脇に抱えなおして歩き出したが、廊下の向こうからやってくる人影をみとめてはっと立ち止まる。
いつも追いかけてくる赤い髪のお姉さんだ・・
頭を掻きながらこちらにやってくるが、まだ少女には気付いていないらしい。
逃げなきゃ・・
iちゃんはとっさに、横手にある少し開いていたドアの中に滑り込んだ。
暗くて狭い部屋の中はよくは見えないが、机の上に端末が幾つか並んでいるだけで誰も居ないようだ。
とりあえずドアを閉めてほっとしたが、
ひっく
いろいろなことが一気に起こって悲しくなり、iちゃんは思わず泣きそうになった。
その時、はっと気がつく。
机の上の端末の一つが起動している。
画面に絵が映し出されているのだ。
誰かがここで絵を見ていて、そのまま画面を閉じずに去っていったらしい。
あ・・
少女は端末に吸い寄せられるように近づく。
それはiちゃんの絵だった。
とてもうれしそうな顔をして笑っている。
その周りにはたくさんの人。
見たことのあるようなお姉さんもいれば、初めて見る人もいるが、みんなiちゃんに優しく微笑みかけている。
iちゃんは絵の中の自分をじっと見つめた。
悲しかったさっきまでの自分を忘れてゆく。
そして、しらずしらずのうちに絵の中の自分と同じように微笑んでいた。
追いかけてくるお姉さんは行ってしまったようだ。
いかなくちゃ。
歩き出す前に、iちゃんはもう一度机の上の画面を見上げた。
と、見上げた画面の隣に、ガラスの瓶が置いてあるのに気がついた。
あれ・・さっきの瓶・・?
iちゃんは机の上に片手を伸ばした。
「ねえレスキュー、春菜のジャム見なかった?どっかに置いたはずなのよ〜!」
「見なかったですけど〜。そこの部屋はどうかしら、結ちゃんさっきその部屋にずっといたでしょう?」
「ああ、絵を描いてきたのをちょっと自分で見てたのよ、あとで見せてあげるわね。
・・そっか、そのときジャムも置いたかも!ありがとレスキュー!」
大きな声のやりとりがすぐそばで聞こえたかと思うと、突然入り口のドアが開いて光が流れ込んできた。
「!!」
iちゃんは驚いてどしんと机に背中をぶつけ、その振動で机の上の瓶がぐらっと揺れた。